昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その3

1978年(昭和53年)に刊行された本

1978年(昭和53年)に入っても、西村寿行の勢いは増す一方でした。
『黄金の犬』『去りなんいざ狂人の国を』『われは幻に棲む』『わが魂、久遠の闇に』『回帰線に吼ゆ』『魔界(短編集)』『神の岬』『怒りの白き都』『闇に潜みしは誰ぞ』『峠に棲む鬼(上・下)』『鬼が哭く谷(短編集)』『荒らぶる魂』『蒼茫の大地、滅ぶ(上・下)』を刊行。
年間13冊。書き下ろし小説でよく見受けられる原稿用紙350~400枚程度のものではありません。
長編はすべて、分厚いです。しかも、上下巻が2冊。

特に『峠に棲む鬼(上・下)』のヒロイン・逢魔麻紀子は、数多くの西村作品のなかでも人気の高いキャラクターです。
また、『犬笛』が映画化&テレビドラマ化されたことで、大ヒットとなります。

ちなみに、この作品に登場した紀州犬は、ソフトバンクのCMで大人気となった初代お父さん犬・カイくんの曾祖父です。
さらに、鯱シリーズの第1作『赤い鯱』と第2作『黒い鯱』が週刊現代で連載され、

人気作家の地位を不動のものにしていきます。

1978年度分の年収は2億8,000万円。
翌79年5月に発表された長者番付では作家部門で第3位に初登場します。
ちなみに、1978年度分の長者番付作家部門のベスト10は以下の通りです。
この当時は納税額ではなく、申告所得額が発表されていました。
申告所得額(実際の所得-経費)です。

1位  森村誠一  4億3,139万円
2位  松本清張  3億1,856万円
3位  西村寿行  2億3,467万円
4位  司馬遼太郎 1億8,863万円
5位  五木寛之  1億7,058万円
6位  横溝正史  1億6,815万円
7位  新田次郎  1億5,140万円
8位  有吉佐和子 1億4,812万円
9位  池波正太郎 1億3,878万円
10位 梶原一騎  1億3,240万円

1位が森村誠一なのは、角川書店と組んで映画化された『人間の証明』により、過去の著作が77年~78年に掛けて非常に売れたことが要因です。
また、漫画家の水島新司や作詞家の阿久悠、そして、『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサー西崎義展が、文化人部門にランクインされています。
さて、この年の秋、多摩市の聖蹟桜ヶ丘に購入していた敷地面積200坪の土地に、鉄筋コンクリート造りの邸宅を新築します。
「苦労をかけた女房への罪滅ぼし」
と西村寿行自身語っていたようですが、建物内にはエレベーターが備え付けられ、飼っていたエレという名の猫が自由に屋内外へ出入りできるように、80万円を費やして自動モーター式の専用の出入口を作ったのも西村寿行らしいと思います。
しかし、猫のエレがこのモーター音を嫌った為、早々に棄ててしまったというのも西村らしいと思います。

この年にはもうひとつ大きな出来事がありました。
四国の観光ガイドを執筆するなど、マスコミで活躍していた実兄の西村望(にしむら・ぼう)が、『鬼畜』で小説家デビューを果たしたことです。
“「先に弟が作家になったから、自分は無理だと思っていた」”と望氏は語っていますが、同時に“「あいつ(西村寿行)があんな下手くその小説書いて売れるんなら、おれも書いてやろかと思いましてね」(引用元:サンデー毎日 1979年37号 劇的人間 追い続ける犯罪者の「心」『鬼畜』の作者西村望)”52歳で遅咲きのデビューを果たしました。
別子銅山の社宅で起きた実際の事件を扱った『薄化粧』、
津山事件を題材にした『丑三つの村』でヒットを飛ばし、3度直木賞候補に挙げられます。

映画『丑三つの村』は、ポスターも凄いですが、主演の故・古尾谷雅人を始め、五月みどり・池波志乃・大場久美子・田中美佐子という女優陣の演技には迫力があります。
また、石橋蓮司や夏八木勲といった俳優陣も素晴らしいです。
この時代は、『復讐するは我にあり』で佐木隆三が直木賞を受賞したように、ノンフィクションノベルという、実際の事件の小説化が注目された時期でもあります。
そして、ついに長者番付に名を連ねた西村寿行に、「清張を抜け」と檄を飛ばした人がいます。
他ならぬ西村の父親・西村正義です。
正義氏は80歳を迎えていましたが、高松市内で元気に働いていました。
父親との関係は良好で、西村は新刊が出る度に送って、父も息子の小説を読んで感想を伝える間柄だったようです。

1979年(昭和54年)に刊行された本

その父親の声にも応えるかのように、翌1979年(昭和54年)にも、
『黄金の犬 第二部』『炎の大地』『修羅の峠』『わらの街』『妖獣の村』『梓弓執りて』『赤い鯱』『黒い鯱』『遥かなる海嘯』『二万時間の男』『遠い渚』『昏き日輪』『垰』『呑舟の魚』
を刊行。長編作品ばかりです。
なかでも、仙石文蔵、関根十郎、十樹吾一、天星清八の4人組が活躍する鯱シリーズが書籍化され、その他にも書き継がれることになる、
・垰(たわ)シリーズ
・幻戯シリーズ(宮田雷四郎シリーズ)
・渚シリーズ
の刊行もこの年に始まっています。
また、『黄金の犬』が映画化され、

ポスターの〝ダイナミック・ジュコー!〟というコピーも、西村寿行という原作者の存在を強烈に示しました。

西村寿行 長者番付作家部門トップに

1980年(昭和55年)5月に、1979年度分の長者番付が発表されました。
作家部門のトップは西村寿行でした。
申告所得額(実際の所得-経費)です。
1位  西村寿行  2億6,932万円
2位  大藪春彦  2億3,452万円
3位  五木寛之  2億2,013万円
4位  高木彬光  1億9,313万円
5位  松本清張  1億7,942万円
6位  司馬遼太郎 1億7,085万円
7位  池波正太郎 1億5,487万円
8位  横溝正史  1億5,360万円
9位  花登筺   1億5,085万円
10位 半村良   1億4,451万円
1973年に42歳でデビューした男は、実質7年で長者番付作家部門のトップに立ちました。
西村寿行 49歳での快挙でした。

[br num=”1″]トップに登りつめたこの時、あけすけに収入についてインタビューに答えています。
・総所得は3億4,500万円だった。
・所得の内訳は、印税が65% 原稿料が35%。
・税金が高いから(当時の所得税率は最高75% 住民税率は18%)、
手元にはほとんど残らない。
・家も出版社から借金をして立てた。
・来年は3位、その次は9位くらいで番付からは消えるだろう。
・年収は800~1000万円くらいがちょうどいい。
・いまの俺の状態は異常だと思う。

インタビューに答えているときの表情は、誇らしげでいて、どこか照れているようでした。 [br num=”1″]しかし同時期に悲しい出来事もありました。
溺愛していた紀州犬の二代目ちー子が、自宅近くで遊ばせている最中に、ウサギを追ったまま戻ってこなかったのです。
西村は動転して近所を探し回りました。
それでも見つからなかった為、新聞やラジオでも愛犬を探している旨を告知して、西村自らが犬のごとく駆けずり回りますが、ちー子は見つかりません。
[br num=”1″]仕事も手につかず、狂ったように探し続けます。
そんな西村を見て、担当編集者もひとり、またひとりとちー子捜索に乗り出した矢先、ちー子は見つかりました。
自宅近くを走る川崎街道の側溝で。
自動車に撥ねられて亡くなっていました。
西村は冷たくなった亡骸を抱えて慟哭します。
そして、この時だけは担当編集者に泣き言を漏らします。
「とても書ける状態ではない。仕事を休ませてほしい」
しかし、編集者の答えはNOでした。
[br num=”1″]大流行作家・西村寿行の原稿は、各社が奪い合い読者も新作を求めていました。
特に多くの著作を刊行した徳間書店では、この頃、社業の大黒柱的な存在になっていたのです。
担当編集者も状況と西村の憔悴しきった姿を見て、執筆を促すのはツラいことだったと思います。
西村は原稿に向かいます。
そして、完成した原稿を編集者に渡します。
原稿用紙に万年筆で書かれたその原稿には、西村寿行が泪をこぼしながら原稿に向かった跡が、残っていました。
[br num=”1″]同時に西村は、ちー子の通夜と葬儀を執り行います。
初七日と四十九日の法要もおこなわれました。
西村寿行と妻、一人娘、同居していた猫のエレ。
駆けつけた友人・知人と20名以上の編集者が集った式でした。その4です。1980年代に入っても快進撃を続けます。

最後まで、読んでくださり本当にありがとうございました。
他にもお役に立てる記事があるかと思いますので、どうぞお楽しみくださいませ。

はる坊

40代。ここでは、来て下さった方に少しでも役に立つような情報・楽しんでもらえるような情報をと思い、綴っています。

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