社員の最高平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス③

はる坊です。
引き続き、キーエンスと創業者・滝崎武光さんの足跡を追っていきます。

怒濤の急成長を遂げた1980年代のリード電機(キーエンス)

リード電機が急成長を遂げたのは、1980年(昭和55年)4月から光電センサの分野に進出してからです。
いままでの自動車業界や弱電業界だけではなく、一般の工場でも導入できる製品の開発販売を手掛け始めました。1981年(昭和56年)には本社を大阪府吹田市に移転。

1982年(昭和57年)に自動線材切断機事業を売却しています。この事業は年間売上高の10%を占め、経常利益率も20%ありました。
普通なら、この利益率に満足するところですが、滝崎氏は利益率が低いと感じ、将来性も薄いと判断してこの事業を売却します。そして得た売却益を、電子部品業界向けのセンサ事業につぎ込みます。

センサ事業を軸としたリード電機は、翌1983年(昭和57年)には年間売上高13億円を超え、経常利益率は37%台に伸びます。

この年以降、売上高は25億円(1984年3月期分)⇒42億円(1985年3月期分)⇒60億円(1986年3月期分)⇒73億円(1987年3月期分)と急激に伸び、経常利益率も38~40%をキープし続けます。

上場を1年後に控えた1986年秋の時点で、取引先企業は、NEC・日立製作所・東芝・新日本製鐵(当時)・武田薬品工業などの大企業から中小零細企業まで1万社を数え、営業拠点は、東京・名古屋・広島・福岡など全国に12拠点を擁して、従業員は330名。そのうち100名が営業マンでした。

当時、センサ業界で先行していたのは、横河北辰電機(現:横河電機)・山武ハネウエル(現:アズビル)・立石電機(現:オムロン)でしたが、先行メーカーの製品が、液体や粉体の計測を主としていたのに対して、リード電機の製品は、主に検査・組立ラインに設置されるものでした。

注目すべきは、当時から〝業界初のオリジナル製品〟が売上の90%を占め、独占商品が70%を占める状態であったことです。

他の企業が参入してこない分野であれば、リード電機の商品が自動的にプライスリーダーになれます。

このことで〝キーエンスはニッチ商品を開発して成長した〟と言われることになるのですが、この時代から、基本的に製造は外注でおこない、販売方法も直販のコンサルティング営業で、顧客側から「こういうものを作って欲しい」「こういう風にできないか?」と提案をされてから応えるのではなく、顧客の潜在需要を拾い上げる考え方を重要視していました。

直販方式なのは、キーエンスが扱う先端技術商品は、商社を使って販売するとそのマージンが非常に高かったこと、そして製品の価値がうまく顧客に伝わらないと滝崎氏が考えた為ですが、結果的に、製品の価値を顧客に直接PR可能で、また、現場での潜在需要を拾い上げることもでき、営業利益を大きく取れるスタイルとして確立したといえるでしょう。

キーエンスは、メーカーでありながらセンサ事業で注目され始めた頃には、すでにファブレス経営に徹しています。これはなぜなのか、滝崎氏の答えは明解です。

(生産を外部に委託するやり方のままで、会社を大きくしていくことに不安はないか)との問いに、“「いいえ、設備投資をしたら、その設備を遊ばないようにしなくてはならない。そういう理由から、本当に有名な会社が「キーエンスさん、仕事ないですか」と言ってこられることもあるんですよ。自分で設備を持つ方がずっと大変ですね」”

キーエンス 設立13年で上場企業に

1987年10月29日大阪証券取引所第2部上場

1984年(昭和59年)11月には、本社を大阪府高槻市に移転、1985年(昭和60年)3月には、米カリフォルニア州にキーエンス・コーポレーション・オブ・アメリカ(KEYENCE CORPORATION OF AMERICA)を設立(KEYENCEはリード電機時代から商品のブランド名でした。米国子会社は先駆けて商号にをKEYENCEにしたわけです)。

同年9月には製造子会社として、本社と同じ高槻市にクレポ株式会社(現:キーエンスエンジニアリング)を設立します。

ちなみに、このクレポという商号は〝クイックレスポンス〟の略で、滝崎氏の思考が堂々と表れている社名だと思います。キーエンスエンジニアリングでは、協力会社に依頼することの出来ない極めて機密性の高い商品を開発・製造しています。

1986年(昭和61)年10月には、リード電機 株式会社から、商品ブランド名との統一を図るために、商号を株式会社 キーエンスに変更します。

そして、1987年10月29日キーエンスは大阪証券取引所第2部に上場します。公募価格は5540円。初値は6800円でした。

会社設立から13年。滝崎武光氏は42歳でした。

株式上場については、滝崎氏は早い段階から考えており、まだ零細企業に過ぎなかった会社設立6年目で、「会社らしい会社をつくりたい。株式上場をするためには、組織や財務体質をどうしたらいいのか?」と自ら証券会社を訪ねていった経験をもっています。

上場初となる1988年3月期決算では売上高101億4800万円(前年比38.6%増)営業利益40億1300万円(前年比58.0%増)経常利益35億5900万円(前年比36.6%増)と極めて高い成長を見せ、売上高に対する営業利益は39.5%となります。

翌1989年(平成元年)3月期決算では、売上高146億6300万円(前年比44.5%)営業利益62億9700万円(前年比57.0%増)経常利益64億1000万円(前年比80.1%)となり、営業利益率は42.9%と40%台に突入します。

同年12月25日には、東京証券取引所第2部に上場します。

1990年10月 東証・大証1部上場企業に

1990年10月には東京証券取引所第1部・大阪証券取引所第1部に上場。

名実ともに1部上場企業の仲間入りを果たしました。時に滝崎氏は45歳の若さでした。この時代、創業社長でも45歳で東証1部上場企業の社長は最年少に近かったのではないでしょうか。
そして、翌1991年4月下旬には、任天堂を抜いて株価日本一を記録します。

しかし、滝崎氏は株価にはあくまでもクールな姿勢を保っていました。インタビューを受けても“「株価はしょせん人気指標。知名度が上がるのはありがたいのですが、浮かれることはありません」”株価にはそっけない対応に終始します。

滝崎氏が“「株価日本一なんかより、こっちのほうが自慢なんですよ」”と言ったのは、やはり、売上高に対する営業利益率の高さでした。“「これなんか、社員1人1人が付加価値の高い、いい仕事をした証でしょ。こっちのほうが私としてはうれしいですね。(中略)何年かしたら、30歳で1000万円は超せる給料を出せると思います。そしてゆくゆくは給料でも日本一にしたいと思ってるんですよ」”
何よりも付加価値の高い仕事をすることが大切だという滝崎氏の考えが率直に表れています。

また、すでに20代で高給が得られる会社という噂は立っており、1991年時点には、30歳で平均年収900万円。
その後、この発言のとおり、“30歳で年収1000万円超え”“給料(年収)日本一”も達成したのですから、すごいものだと感じます。

ここで1990年~1992年の決算を見てみましょう。

1990年(平成2年)3月期決算
売上高187億7700万円 営業利益 77億1000万円 経常利益 86億5600万円(営業利益率41.0%)

1991年(平成3年)3月期決算
売上高262億6700万円 営業利益108億7300万円 経常利益129億2800万円(営業利益率41.4%)

1992年(平成4年)3月期決算
売上高301億4500万円 営業利益120億5600万円 経常利益106億4300万円(営業利益率40.0%)

これほど急速に確実性を持って成長した企業があるでしょうか?
わたしは、正直なところ奇跡的にすら感じます。売上高も毎年伸びていますが、営業利益率は40%で推移しています。
〝キーエンスはニッチ商品を開発して成長した〟と前述しましたが、滝崎氏は1991年のインタビューで高成長ができた理由を次のように語っています。

“「巷間、キーエンスは隙間商品を開発して伸びた、と言われていますが、私は市場創造ができたからだと思っています。われわれの商品政策は、従来からある商品でも非常に精度を高くするとか、精度は同じでも非常に小さい商品にするとか、はっきり特徴を出すやり方であり、こうして付加価値の高い商品を開発し、それを汎用品として売る力があるからこそ、高い成長力を維持できるのです」”

ちなみに、大阪証券取引所第2部に上場した際、キーエンスの発行済株式は1820万株でした。以後、公募もありましたが、無償株式分割・株式無償割当ては何度もおこなわれて、現在の発行済株式は12160万株です。その時にキーエンス株を100万円分買っておけば、今頃はどうなったでしょうか。

キーエンス その①はこちらです。
キーエンス その②はこちらです。

引用元:
サンデー毎日 1991年7月 株価日本一「キーエンス」社長の倒産歴
週刊ダイヤモンド1997年 編集長インタビュー 滝崎武光氏(キーエンス社長)大企業の悪い面に学ぶ 将来考えぬ役員が規律乱す
Will 1991年 株価日本一「キーエンス」の秘密

最後まで、読んでくださり本当にありがとうございました。
他にもお役に立てる記事があるかと思いますので、どうぞお楽しみくださいませ。

はる坊

40代。ここでは、来て下さった方に少しでも役に立つような情報・楽しんでもらえるような情報をと思い、綴っています。

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