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芥川賞

【2026年1月14日発表】第174回芥川龍之介賞 候補作と候補作家のプロフィール① 久栖博季さん『貝殻航路』坂崎かおるさん『へび』編

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第174回(2025年下半期)芥川龍之介賞候補者と候補作

2026年1月14日に第174回芥川龍之介賞と直木三十五賞の受賞者と受賞作が決定します。

このページでは芥川賞の候補者と候補作を取り上げ、候補作家がどのような人物かもまとめてみました。
また、各候補者へのインタビュー記事のリンクもご紹介しています。

候補者と候補作は、

久栖 博季さん  『貝殻航路』 (文學界 2025年12月号掲載)
坂崎 かおるさん 『へび』 (文學界 2025年10月号掲載)
坂本 湾さん   『BOXBOXBOXBOX』(文藝 2025年冬季号掲載)
鳥山 まことさん 『時の家』 (群像 2025年8月号掲載)
畠山 丑雄さん  『叫び』(新潮 2025年12月号掲載)

の5名・5作品です。

芥川賞と直木賞の選考は、公益財団法人 日本文学振興会のサイトによると“都内にて開催致します”とありますが、

選考会がおこなわれるのは、築地の料亭「新喜楽」です。

この新喜楽では芥川賞と直木賞が決まる日(今回は2026年1月14日)に、1階で芥川賞の選考会が、そして2階で直木賞の選考会がおこなわれます。

芥川賞の選考委員は、小川洋子さん、奥泉光さん、川上弘美さん、川上未映子さん、
島田雅彦さん、平野啓一郎さん、松浦寿輝さん、山田詠美さん、吉田修一さん(五十音順)の9名です。

芥川賞と直木賞の選考が、築地の料亭「新喜楽」でおこなわれるのは、なぜ?

さて、なぜ芥川賞と直木賞の選考が、築地の料亭「新喜楽」でおこなわれるのか?
新喜楽は「日本二大料理屋」(もう1店舗は金田中)
または、「日本三大料亭」(他の2料亭は金田中・吉兆)と呼ばれています。

東京で老舗の料亭であること、そして政財界のトップがよく利用したように、店側の口が堅いことで有名であるのが大きいようです。
文藝春秋新社の初代社長(文藝春秋は1946年に戦争協力をしたとのことで解散に追い込まれています。)の佐々木茂索が、新喜楽の応援団的存在である「新喜楽後援会」メンバーだったこともあるのでしょう。

また、これは私見ですが、1961年(昭和36年)から、長年に渡って選考会場になっていますので、店側もいろいろと心得ていて、賞を主催する日本文学振興会(文藝春秋)も使い勝手がいいと感じているのかもしれません。
さらに、名のある老舗の料亭で選考会を開くことによって、芥川賞と直木賞のブランド力を維持しようという目的もあると思います。

それでは、今回の芥川賞の候補者をおひとりずつご紹介していきます。

正賞の懐中時計と副賞の賞金100万円を手にされるのはどなたでしょうか。

さすがに今回は、第173回のように、芥川賞・直木賞ともに該当者なし、という結果にはならないと思います。

最後に、私の受賞予想を載せていますので、ご覧ください。

第174回芥川龍之介賞候補作 候補作と候補作家のプロフィールです

久栖博季『貝殻航路』(文學界 2025年12月号掲載)

久栖 博季(くず ひろき)さん のプロフィール:
生年月日:1987年4月8日 38歳。
出身地:北海道道東生まれ。
学歴:北海道内の高校を卒業後、2010年 弘前大学人文学部(現、人文社会科学部)卒業。
弘前大学人文社会科学研究科修士課程中退。
現在、北海道道東在住。

作家デビュー:
2021年『彫刻の感想』で第53回新潮新人賞受賞

文学賞受賞歴・候補歴:
2019年 『みずやどり』で第52回北海道新聞文学賞[創作・評論部門]最終候補
2020年 『鳥の顔』で第52回新潮新人賞最終候補
2021年 『彫刻の感想』で第53回新潮新人賞受賞
2024年 『ウミガメを砕く』で第37回三島由紀夫賞候補

文芸誌等執筆作品
◎小説  
『彫刻の感想』[新潮 2021年11月号]
『ウミガメを砕く』[新潮 2023年6月号掲載]
『貝殻航路』[文學界 2025年12月号掲載]

◎エッセイ 
『船乗りに吹く風』[群像 2022年7月号掲載]
『末裔の足裏』[文學界 2022年4月号掲載]
『一頭の動物として』ー特集「熊を考える」[文學界 2025年2月号掲載]

◎公式Xアカウント
久栖博季 @kuzuhiroki [新しいタブが開きます]

◎インタビュー記事

【文春オンライン】著者は語る『ウミガメを砕く』(久栖博季 著)週刊文春 2024年11月7日号 [新しいタブが開きます]

【新潮】第53回新潮新人賞「彫刻の思想」受賞者インタビュー 内なる北海道的なものへ/久栖博季 [新しいタブが開きます]
 
さて、第174回芥川賞の候補になった『貝殻航路』の単行本・電子書籍はまだ発売されていません。
発売は、2026年2月頃に発売されると思います。
また、発売日がわかりましたら、こちらでお知らせします。

『貝殻航路』は「文學界2025年12月号」に掲載されていますので、読んでみたい方は、「文學界2025年12月号」[雑誌・電子書籍]を手に取って見てください。

第37回三島由紀夫賞候補となった『ウミガメを砕く』の単行本には、第53回新潮新人賞受賞作『彫刻の感想』も収録されています。

坂崎かおる『へび』(文學界 2025年10月号掲載)

坂崎 かおる(さかさき かおる)さん のプロフィール:
生年:1984年 41歳~42歳。
出身地:東京都出身。
最終学歴:中高一貫校を経て、教育系大学国語教育専攻卒業。
経歴:大学卒業後、アフリカでボランティアに従事。
帰国後は、民間企業に就職。
現在は教育関係の職業に従事。

現在、坂崎さんは【覆面作家】であり、いつもマスクをされているので、ネット上で顔写真やマスク無しの顔画像はありません。
理由として、

“「まずは本業との兼ね合い。切り分けてやりたい。2つ目には、作品に対する先入観を排して読んでもらえるといいなとの気持ちがあります」”

との事です。(日本経済新聞 2025年7月28日号より)

公式note・pixiv

【note】さかさきかおる(@saksakikaoru) [新しいタブが開きます]

【pixiv】坂崎かおる [新しいタブが開きます]

作家デビュー:
2020年 『リモート』で第1回かぐやSFコンテスト審査員特別賞受賞。

文学賞受賞歴・候補歴:
2021年 『電信柱より』で第3回百合文芸小説コンテストSFマガジン賞受賞
2021年 『ファーサイド』で第1回日本SF作家クラブの小さな小説
コンテスト日本SF作家クラブ賞受賞
2022年 『あたう』で第28回三田文学新人賞佳作受賞
2022年 『嘘つき姫』で第4回百合文芸小説コンテスト大賞受賞
2023年 『僕のタイプライター』で第1回幻想と怪奇ショートショート
コンテスト優秀作受賞
2023年 『渦とコリオリ』で第6回阿波しらさぎ文学賞受賞[受賞後、辞退]

2024年 『ベルを鳴らして』で第77回日本推理作家協会賞短編部門受賞
2024年 『海岸通り』で第171回芥川龍之介賞候補
2025年 『箱庭クロニクル』で第46回吉川英治文学新人賞受賞
2025年 『嘘つき姫』で第24回センス・オブ・ジェンダー賞候補

◎インタビュー記事

【作家の読書道】第271回:坂崎かおるさん [新しいタブが開きます]

【小説丸】坂崎かおる『嘘つき姫』◆熱血新刊インタビュー◆ [新しいタブが開きます]

【ナニヨモ】自分のベストアルバム的な作品集ですので、どんな方にも「刺さる」一篇があるのではないか、と思います――『嘘つき姫』坂崎かおるさんインタビュー [新しいタブが開きます]

【文春オンライン】女性的な電信柱に恋を…「なぜか惹かれるんです」初の作品集で“百合小説”を多く書いた理由 著者は語る 『嘘つき姫』(坂崎かおる 著) 週刊文春 2024年4月25日号 [新しいタブが開きます]

【音声[肉声]】第77回日本推理作家協会賞〈短編部門〉受賞の言葉
【YouTube】第77回日本推理作家協会賞〈短編部門〉受賞の言葉 坂崎かおるさん「ベルを鳴らして」(講談社「小説現代7月号」掲載) [新しいタブが開きます]

肉声が聞ける、武田砂鉄さんによる音声インタビュ-
【武田砂鉄 ラジオマガジン「ラジマガインタビュー」】2026年1月5日 坂崎かおる(『サンクトペテルブルクの鍋』著者)[新しいタブが開きます]

第174回芥川賞の候補になった坂崎かおるさん『へび』の単行本・電子書籍はまだ発売されていません。
発売は、2026年2月頃に発売されると思います。
また、発売日がわかりましたら、こちらでお知らせします。

『へび』は「文學界2025年10月号」に掲載されていますので、読んでみたい方は、「文學界2025年10月号」[雑誌・電子書籍]を手に取って見てください。

2024年第171回芥川龍之介賞候補作となった『海岸通り』は単行本化(ハードカバー/電子書籍)されています。

2025年には『箱庭クロニクル』で第46回吉川英治文学新人賞を受賞されています。
本書には、2023年に第6回阿波しらさぎ文学賞受賞作[受賞後、辞退]『渦とコリオリ』と
2024年に第77回日本推理作家協会賞短編部門受賞された『ベルを鳴らして』が収録されています。

2025年に、第24回センス・オブ・ジェンダー賞 最終候補になった『嘘つき姫』は短編集です。
『電信柱より』『ファーサイド』『嘘つき姫』を含む9作を収録しています。

『サンクトペテルブルクの鍋』は、現在、大注目を浴びている文芸誌 GOATの第2号
『GOATSummer2025』に一挙掲載された原稿用紙換算210枚の作品です。


坂本湾『BOXBOXBOXBOX』(文藝 2025年冬季号掲載)

2025年 第62回文藝賞受賞作

坂本 湾(さかもと わん)さん のプロフィール:
生年月日:1999年 26歳~27歳。
出身地:北海道札幌市。
最終学歴:日本大学芸術学部演劇学科劇作コース(現:舞台構想コース劇作専攻)出身。
経歴:沖縄・宮古島で小学校時代を過ごし、中学校・高校時代は福岡県に居住。
北九州市や福岡市内で過ごす。
大学時代は文芸サークルに所属していた。

公式Xアカウント
坂本湾 @wan_sakamoto [新しいタブが開きます]

作家デビュー:
2025年 『BOXBOXBOXBOX』で第62回文藝賞受賞

『文藝 2025年冬季号』に受賞作『BOXBOXBOXBOX』が掲載されています。

2025年11月に、第62回文藝賞受賞作として、単行本と電子書籍が発売されています。

鳥山まこと『時の家』(群像 2025年8月号掲載)

鳥山 まこと(とりやま まこと)さん のプロフィール:
生年:1992年 33歳~34歳
出身地:兵庫県宝塚市
最終学歴:京都府立大学卒業。九州大学大学院修士課程修了。
経歴:現在、建築士。
兵庫県明石市在住。

作家デビュー:
2023年 『あるもの』で第29回三田文学新人賞受賞

文学賞受賞歴・候補歴:
2025年 『時の家』で第47回野間文芸新人賞受賞

2025年10月に『時の家』はハードカバーと電子書籍で発売されています。

東京創元社の創元文芸文庫から発売されたアンソロジー文庫『駅と旅』に、鳥山まことさんの作品『辿る街の青い模様』が収録されています。

畠山丑雄『叫び』 (新潮 2025年12月号掲載)

畠山 丑雄(はたけやま うしお)さんのプロフィール:
生年月日:1992年 33歳~34歳
出身地:大阪府吹田市
最終学歴:京都大学文学部卒業。

作家デビュー:
2015年 『地の底の記憶』で第52回文藝賞受賞
(京都大学文学部在学中の受賞)

文学賞受賞歴・候補歴:
2025年 『改元』で第38回三島由紀夫賞候補

第174回芥川龍之介賞候補作『叫び』の単行本は、2026年1月14日頃発売予定です。

第38回三島由紀夫賞候補作となった『改元』の単行本・電子書籍には、『文藝2017年秋季号』に掲載された『死者たち』が併録されています。

畠山丑雄さんが、第52回文藝賞を受賞され作家デビュー作となった作品はこちらです。

私の第174回芥川龍之介賞受賞作予想

最後に、私の芥川賞を受賞されるのはどなたか、予想を載せたいと思います。

もちろん、候補者5名・5作品を掲載された文芸誌で読了済みです。

そんな私の受賞予想は、鳥山まこと さんの『時の家』です。

そして、2作同時受賞だと考えているのでもう1作。

久栖博季さんの『貝殻航路』です。

鳥山まことさんの『時の家』
久栖博季さんの『貝殻航路』

を受賞作品と予想させていただきます。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

それでは、2026年1月14日に行われる第174回(2025年下半期)芥川龍之介賞・直木三十五賞の受賞者発表を楽しみに待ちたいと思います。

人物伝

エニックス2代目社長・スクウェア・エニックスホールディングス副社長・取締役を歴任した本多圭司氏

エニックス2代目社長・スクウェア・エニックスホールディングス副社長・取締役を歴任した本多圭司さんのプロフィール

はる坊です。
今回は、エニックス2代目社長を務め、スクウェア・エニックス・スクウェア・エニックスホールディングス副社長・取締役を歴任した本多圭司さんについて触れたいと思いますのでよろしくお願い申し上げます。

まずは、本多圭司さんのプロフィールです。
1957年(昭和32年)12月29日福岡県生まれ。山羊座。
現在、61歳です。

◎学歴
1980年(昭和55年) 3月 大阪市立大学工学部建築学科卒業。
1982年(昭和57年) 3月 早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了

◎職歴
1982年(昭和57年) 4月 株式会社乃村工藝社 入社
1987年(昭和62年)10月 エニックス 入社
1990年(平成2年)  7月 エニックスアメリカコーポレーション駐在(現地責任者)
1994年(平成6年)  4月 エニックス 商品企画本部 ソフトウェア企画部長
1998年(平成10年) 6月 エニックス 取締役 商品企画本部 ソフトウェア企画部長
2000年(平成12年)10月 エニックス 代表取締役社長兼最高執行責任者COO
2001年(平成13年) 4月 エニックス 代表取締役社長兼最高執行責任者COO兼出版事業部長 
2002年(平成14年) 9月 エニックス 代表取締役社長兼最高執行責任者COO兼ソフトウェア事業部長
2003年(平成15年) 4月 スクウェア・エニックス 代表取締役副社長
2004年(平成16年) 6月 スクウェア・エニックス 取締役副社長(中国・上海駐在)
2005年(平成17年) 1月 SQUARE ENIX(China)CO.LTD 董事長(代表取締役に相当)
2006年(平成18年) 4月 スクウェア・エニックスホールディングス 取締役副社長
2008年(平成20年)10月 スクウェア・エニックス 代表取締役副社長
2009年(平成21年)10月 SQUARE ENIX OF AMERICA HOLDINGS, INC.取締役
2013年(平成25年) 4月 スクウェア・エニックス 取締役
2013年(平成25年) 6月 スクウェア・エニックスホールディングス 取締役
2018年(平成30年) 3月 スクウェア・エニックス 取締役を退任
2018年(平成30年) 6月 スクウェア・エニックスホールディングス 取締役を退任

◎ご家族や趣味
ご家族は奥さまと3人のお嬢様。
趣味は仕事と家庭。
「この2つから得られる満足感に人生の豊かさを感じます」
とコメントされています。

ゴルフとテニスを嗜み、音楽もバッハ、キース・ジャレット、ビートルズとクラシック、ジャズ、ロックと垣根を超えて好きなモノを聞くという方です。

愛読書にしているのは加藤周一さんの『羊のうた』。これは名著ですね。

座右の銘は「転石、苔生せず」
-物事についてのんびり構えず、スピーディに対処するという意味に独自で解釈されています。

エニックス入社までの本多圭司さんについて

早稲田大学大学院を修了した本多さんは、乃村工藝社に入社します。
乃村工藝社は、百貨店等の商業施設、美術館、博物館等の展示施設、万国博覧会等のイベント展示の企画、デザイン、設計・制作施工を手掛けている企業で、筒井康隆さんがサラリーマン生活を過ごした企業としても知られています。

本多さんは乃村工藝社で、文化施設のデザイン・プランニングを担当します。
そして、30歳を迎えようとしているあるとき、仕事である企業の社長と話す機会を得ます。
その折に、“「本多さん、経営もデザインなんですよ」
という言葉を掛けられます。
その言葉は、本多さんのなかに残りました。

仕事に不満があったわけではありませんでしたが、新しい仕事をしてみたいという思いが強くなり、乃村工藝社を退職。ヨーロッパ放浪の旅に出ます。途中で、パスポート盗難の被害にも遭いますが、放浪の旅を満喫して帰国します。

帰国した本多さんは仕事を探すことにします。
「小さい会社でもいい、自分の力が発揮できるところに」と求人雑誌を開いたところ、目に入ったのがエニックスの求人でした。その求人広告は、他の企業と違っていて、手作り感に溢れていたところが特徴的で、本多さんは興味を覚えました。

早速、アポイントメントを取り、当時のエニックス本社に向かうと、そこは西新宿の雑居ビル。
そのなかのエニックスを訪ねると、本多さんが声を掛けるより早く、小太りのおじさんが段ボール箱を抱えて出てきました。
「ウチの会社に何か用なの?」
「面接にまいりました本多ですが」
「ああそう。じゃあ入って」

面接担当者は、その小太りのおじさんでした。
社長の福嶋康博さんです。

「最近、何してたの?」
「ヨーロッパをぶらぶらしてました」
「いいねえ」

話は本多さんのヨーロッパ放浪に始まり、若き福嶋康博さんのアメリカ・インド・東南アジア放浪の話に移り、一向に面接らしい話に移りませんでした。

「OK。じゃあ一緒にやろう」
結局、そのまま本多さんの採用が決まりました。

エニックス入社後の本多圭司さん

本多圭司さんはエニックスに入社するまで、ファミコンの存在は知っていましたが、『ドラゴンクエスト』のことは知りませんでした。
そんな本多さんは、千田幸信さんの元でドラクエグッズの商品企画を担当します。
そして、入社3年弱が過ぎた頃、アメリカの現地法人であるエニックスアメリカコーポレーション現地責任者となります。

実力主義のエニックス・福嶋康博イズムでは珍しくもないことかもしれませんが、入社してまだ3年に満たない、30歳過ぎの人間を現地法人の責任者にするとは、かなり大胆な人事といえます。
それだけ、福嶋さんは本多さんを買っていたともいえると思います。

アメリカ現地法人に渡った本多さんは、忘れられない経験をすることになります。
ある玩具卸問屋がいきなり倒産してしまい、本多さんは売掛金の回収に走りますが、結果としてほとんど売掛金の回収をすることができませんでした。
しかし、同じゲーム業界の企業で、完璧に売掛金の回収をおこなっていた企業がありました。
NOA。ニンテンドウ・オブ・アメリカです。
本多さんは「さすが任天堂・・・」と脅威を感じたといいます。

このようにシビアなビジネス体験をしたアメリカでしたが、後年スクウェア・エニックスとして合併するスクウェアの鈴木尚さんも、時を同じくしてアメリカの現地法人にいた為、ふたりは遊び友達になり楽しい時間も過ごしたようです。

ミリオンセラーソフトを目指す

帰国した本多さんは、1994年4月にソフトウェア企画部長に就任しました。
そして、千田幸信さんに次いで〝アシスタント・プロデューサー〟として『ドラゴンクエスト』シリーズにも関わりますが、目指したのは、ドラクエに続く柱を作ることでした。

つまりは、ミリオンセラーとなるゲームソフトを作ること。

現在、スクウェア・エニックス取締役 執行役員を務め『ドラゴンクエストX』『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』でプロデューサーを務め、『ニーア オートマタ』で世界的に大ヒットを飛ばした齊藤陽介さんをソフトウェア企画に引き入れたのは本多さんの大きな功績でしょう。

結果、本多さんはミリオンセラーを作ることが出来たか?
これは否です。
最高のヒットは、『スターオーシャン セカンドストーリー』でしたが、国内のみでは売上は70数万本。
しかし、『バスト ア ムーブ』(発売本数 約40万本)を生み出すなど、ドラクエシリーズとクインテット開発のゲームしかなかったエニックスのゲーム企画部門を大きく発展させた功績は非常に大きいと思います。

取締役、そしてエニックス2代目社長に就任

1998年6月 本多圭司さんは、エニックス 取締役 ソフトウェア企画部長に就任します。
ちょうど40歳。
エニックスに入社して10年半。早い出世であることは間違いありません。

そして、2000年10月に福嶋康博さんのあとを継いで、エニックス2代目社長に就任します。
本多さんが代表取締役社長兼COOとなり既存の事業を担当。
福嶋康博さんは代表取締役会長兼CEOとなり新規事業の企画に専念します。
本多さんは、まだ42歳の若さでした。

エニックスの社長交代は、内外で驚きをもって迎えられたようですが、社長交代から5ヶ月前に福嶋さんと本多さんが共に関西出張に出掛けた際に、福嶋さんが「ブロードバンド事業をやりたい」と言いだし、「面白そうじゃないですか」と返した本多さんに、「いまのままじゃ時間が取れない。だから本多君が社長やって」と福嶋さんが伝え、本多さんがそれを承諾したのが実際のところです。

〝エニックスお家騒動〟勃発

本多圭司さんの社長就任から半年が経過した2001年春、エニックスに激震が走ります。
出版事業部門の実質的創設者で、取締役 出版事業部長の保坂嘉弘氏をはじめ、出版事業部の幹部数名がエニックスを退社して、新会社マッグガーデンを設立して、同時にエニックスのコミック誌で活動していた漫画家を引き抜いたのです。
エニックスの出版部門(コミックス部門)には大ダメージでした。

結局、当時、取締役 営業本部 営業部長だった田口浩司さんが和解条項をとりまとめますが、2001年5月から9月までは、出版事業部長を社長である本多圭司さんが担当することになります。(以後は田口浩司さんにバトンタッチ)

これは経営者・本多圭司にとって大きなショックだったと思います。

スクウェア・エニックス誕生

2003年4月、スクウェアを吸収合併する形で、スクウェア・エニックスが誕生しました。
代表取締役会長CEOに福嶋康博さん
代表取締役社長COOに和田洋一さん
代表取締役副社長に本多圭司さん
取締役に鈴木尚さん・千田幸信さん・成毛眞さんが就任します。

この合併について、和田洋一社長と実質的に話を進めたのが本多圭司さんでした。
本多さんから報告を受けた福嶋さんが和田社長の経営能力を評価して、合併へOKサインを出しました。
合併については、旧スクウェアの株式を50数%保有していたオーナーの宮本雅史さんから、スクウェア株式への評価が低いとして、
エニックス1:0.81スクウェアから、
エニックス1:0.85スクウェアに株式の評価があらためられるという一幕もありましたが、合併は無事におこなわれました。

スクウェア・エニックス時代の本多圭司さん

当初、代表取締役副社長に就いた本多圭司さんでしたが、仕事を終えたのちに立ち寄った新宿の居酒屋で和田洋一社長に「現場に戻してください」と直訴して、代表権を返上。
上海に駐在して、中国事業全般を担当することになります。
中国事業においては、現地法人の代表も兼ねて利益を出し続けました。
スクウェア・エニックスホールディングスが誕生して持株会社化されてからも取締役副社長を務め、子会社となったスクウェア・エニックスでは代表取締役副社長を務めます。

しかし、2013年にはスクウェア・エニックス全体の業績悪化の為、取締役兼業務執行担当に降格。
2018年4月には、スクウェア・エニックス取締役を退任。
同年6月にはスクウェア・エニックスホールディングス取締役も退任されました。

旧エニックスに入社されてから30年。
そして、旧エニックスから役員として20年間、本当にお疲れさまでしたと申し上げたいです。

これだけの実績をお持ちの方ですので、どこかのゲーム関連企業の社外取締役などを務められるのではないかと思います。

本多圭司さんの年収は?

前述しましたが、本多圭司さんは2018年6月をもって、スクウェア・エニックスホールディングス取締役を退任されました。
本多さんが2017年度に受け取っておられた役員報酬は、金銭報酬として8900万円+ストックオプションとして1500万円の1億400万円でした。
2016年以前は、年間報酬1億円以上の取締役として公示されたことはありませんでしたので、最高でも年収8~9000万円だったのではないかと思います。