常勤監査役

上場企業役員

【2024年最新情報】 上場企業社長・役員一覧 大阪経済大学出身者編

最終学歴が大阪経済大学出身の上場企業役員一覧①

はる坊です。

今回は、最終学歴が大阪経済大学卒業・中退の上場企業役員をまとめました。

大阪経済大学は、大阪府にある私立大学です。

【外外経工佛】・・・関西外国語大学・京都外国語大学・大阪経済大学・大阪工業大学・佛教大学

という大学群の一校です。

関西の私立大学ですと、

【関関同立】・・・関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学

【産近甲龍】・・・京都産業大学・近畿大学・甲南大学・龍谷大学

の次に来る大学に入っていますね。

データの見方

銘柄コード・銘柄名(企業名)・役職・氏名・出身校・兼任職の順です。

代表取締役から社外取締役。

監査役のデータです。

東京証券取引所プライム市場・スタンダード市場・グロース市場の各市場上場企業

名古屋証券取引所プレミア市場・メイン市場・ネクスト各市場上場企業

札幌証券取引所単独並びに重複上場・アンビシャス市場上場企業

福岡証券取引所単独並びに重複上場・Q-Board上場企業企業をカバーしています。

情報ソース元は、各企業のIR情報・各紙の新社長情報・専門誌の情報です。

福岡大学出身 上場企業役員

1439 安江工務店
社外取締役 常勤監査等委員 時田 光一郎 大阪経済大学経営学部卒業

1788 三東工業社
社外取締役 監査等委員 津田 穂積 大阪経済大学経済学部卒業

1925 大和ハウス工業
取締役 常務執行役員 下西 佳典 大阪経済大学経済学部卒業

1968 太平電業
取締役 上席執行役員 日下 慎也 大阪経済大学経済学部卒業

2154 夢真ホールディングス
代表取締役会長CEO 西田 穣 大阪経済大学経営学部卒業

2195 アミタホールディングス
代表取締役会長CEO 熊野 英介 大阪経済大学経営学部卒業

2266 六甲バター
常務取締役 斎藤 保典 大阪経済大学経済学部卒業

取締役 永田 勝久 大阪経済大学経営学部卒業

2291 福留ハム
社外取締役 原 孝司 大阪経済大学経営学部卒業
経営研究所ワンナップ 兼任

2917 大森屋 
取締役 寺川 正敏 大阪経済大学経営学部卒業

2976 日本グランデ
社外取締役 監査等委員 森本 和男 大阪経済大学卒業

2993 長栄
社外監査役 平野 貢 大阪経済大学経営学部卒業

3030 ハブ
代表取締役社長 太田 剛 大阪経済大学経営学部卒業

3173 Cominex
常務取締役 澤口 典宏 大阪経済大学経済学部卒業

3205 ダイドーリミテッド
代表取締役社長 鍋割 宰 大阪経済大学経営学部卒業

3401 帝人
代表取締役 専務執行役員CFO 鍋島 昭久 大阪経済大学経営学部卒業

3418 バルニバービ
取締役 水澤 完昭 大阪経済大学経済学部卒業

3497 LeTech
社外常勤監査役 橋本 伸行 大阪経済大学経営学部卒業

3655 ブレインパッド
専務取締役CFO 高田 和幸 大阪経済大学経営学部卒業

4241 アテクト
代表取締役社長 大西 誠 大阪経済大学卒業

4409 東邦化学工業
常務取締役 永岡 幹人 大阪経済大学経済学部卒業

4923 コタ
取締役 沖村 英明 大阪経済大学経済学部卒業

4923 アジュバンホールディングス
取締役 中川 秀雄 大阪経済大学経済学部卒業

4957 ヤスハラケミカル
社外取締役 監査等委員 前岡 良 大阪経済大学経営学部卒業

5195 バンドー化学
取締役 専務執行役員 柏田 真司 大阪経済大学経営学部卒業

5658 日亜鋼業
取締役 寺川 斉貴 大阪経済大学経済学部卒業

5943 ノーリツ
取締役 常務執行役員 廣岡 一志 大阪経済大学経営学部卒業

取締役 監査等委員 綾部 剛 大阪経済大学経済学部卒業

5973 トーアミ
取締役 常勤監査等委員 吉川 保 大阪経済大学経済学部卒業

5987 モリテック スチール
常務取締役 執行役員 谷口 正典 大阪経済大学経済学部卒業

取締役 執行役員 内山 良成 大阪経済大学経済学部卒業

6018 阪神内燃機工業
取締役 常務執行役員 藤村 欣則 大阪経済大学経済学部卒業

6233 極東産機
取締役 佐用 善彦 大阪経済大学経営学部卒業

6262 ペガサスミシン製造
代表取締役社長 美馬 成望 大阪経済大学経済学部卒業

6294 オカダアイヨン
社外取締役 岡本 富男 大阪経済大学経営学部卒業
三相電機 常務取締役 兼任

6307 サンセイ
取締役 執行役員 西村 直樹 大阪経済大学経営学部卒業

6322 タクミナ
取締役 常務執行役員 山田 圭祐 大阪経済大学大学院修了

6430 ダイコク電機
代表取締役社長 大上 誠一郎 大阪経済大学経済学部卒業

6455 モリタホールディングス
代表取締役会長CEO 中島 正博 大阪経済大学経営学部卒業
モリタ 代表取締役会長
モリタ環境テック 代表取締役会長 兼任

6757 OSGコーポレーション
代表取締役社長 山田 圭輔 大阪経済大学経済学部卒業
ウォーターネット 代表取締役社長 兼任

7018 内外造船
常勤監査役 田坂 光宏 大阪経済大学経営学部卒業

7590 タカショー
代表取締役社長 高岡 伸夫 大阪経済大学経営学部卒業

7851 カワセコンピュータサプライ
取締役 監査等委員長 窪津 薫 大阪経済大学経済学部卒業

7922 三光産業
常務取締役 執行役員 長谷川 勝也 大阪経済大学経営学部卒業

7946 光陽社
取締役 八木 浩志 大阪経済大学経営学部卒業

7947 エフピコ
専務取締役 高橋 正伸 大阪経済大学経営学部卒業

8007 高島
取締役 専務取締役 高垣 康孝 大阪経済大学経済学部卒業

8088 岩谷産業
代表取締役会長CEO 牧野 明次 大阪経済大学経済学部卒業
ダイキン工業 社外取締役 兼任

8107 キムラタン
常勤監査役 岡村 秀信 大阪経済大学経済学部卒業

8127 ヤマト インターナショナル
常勤監査役 市原 英之 大阪経済大学経済学部卒業

9417 スマートバリュー
取締役 代表執行役社長 渋谷 順 大阪経済大学大学院修了

9449 GMOインターネットグループ
取締役 グループ副社長執行役員 伊藤 正 大阪経済大学経営学部卒業

9699 西尾レントオール
取締役 濱田 雅義 大阪経済大学経営学部卒業

9934 因幡電機産業
代表取締役社長 門林 弘 大阪経済大学経済学部卒業

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

心より御礼申し上げます。

よろしければ、下記もご覧くださいませ。

今後もデータを更新してまいりますので、よろしくお願いいたします。

はる坊拝

上場企業役員

【2024年最新情報】 上場企業社長・役員一覧 福岡大学出身者編①

最終学歴が福岡大学出身の上場企業役員一覧①

はる坊です。

今回は、最終学歴が福岡大学卒業・中退の上場企業役員をまとめました。

今回は、その1回目となります。

データの見方

銘柄コード・銘柄名(企業名)・役職・氏名・出身校・兼任職の順です。

代表取締役から社外取締役。

監査役のデータです。

東京証券取引所プライム市場・スタンダード市場・グロース市場の各市場上場企業

名古屋証券取引所プレミア市場・メイン市場・ネクスト各市場上場企業

札幌証券取引所単独並びに重複上場・アンビシャス市場上場企業

福岡証券取引所単独並びに重複上場・Q-Board上場企業企業をカバーしています。

情報ソース元は、各企業のIR情報・各紙の新社長情報・専門誌の情報です。

福岡大学出身 上場企業役員

1743 コーアツ工業
取締役 坂元 広明 福岡大学経済学部卒業

1771 日本乾溜工業
取締役 田吹 一茂 福岡大学商学部卒業

1808 長谷工コーポレーション
取締役 常務執行役員 古泉 正人 福岡大学工学部卒業

1848 富士ピー・エス
社外取締役 松藤 悟 福岡大学経済学部卒業
西日本鉄道 取締役 常務執行役員 兼任

1888 若築建設
取締役 専務執行役員 恵下 弘幸 福岡大学法学部卒業

取締役 常務執行役員 平田 靖祐 福岡大学法学部卒業

常勤監査役 佃 敏郎 福岡大学法学部卒業

1909 日本ドライケミカル
取締役 松岡 猛 福岡大学工学部卒業

1939 四電工
常務取締役 山本 愛朗 福岡大学工学部卒業

1966 高田工業所
取締役 執行役員 廣橋 幸一 福岡大学工学部卒業

社外監査役 林 秀之 福岡大学法学部卒業
FFGビジネスコンサルティング 代表取締役社長 兼任

1969 高砂熱学工業
取締役 常務執行役員 横手 敏一 福岡大学工学部卒業

1999 サイタホールディングス
常務取締役 鹿子生 忠 福岡大学工学部土木工学科卒業

社外取締役 監査等委員 森田 公一 福岡大学工学部中退
社会福祉法人 恵徳会 理事長 兼任

2198 アイ・ケイ・ケイホールディングス
取締役 寺澤 大輔 福岡大学法学部中退

2291 福留ハム
常勤監査役 明石 嘉典 福岡大学経済学部卒業

2315 CAICA DIGITAL
常勤監査役 古賀 勝 福岡大学法学部卒業

2790 ナフコ
取締役 馬渕 祐二 福岡大学経済学部卒業

2815 アリアケジャパン
代表取締役副社長 岩城 勝利 福岡大学経済学部卒業

2816 ダイショー
取締役副社長 松本 俊一 福岡大学経済学部卒業

2919 マルタイ
常務取締役 安達 誠 福岡大学商学部卒業

2924 イフジ
取締役 原 敬 福岡大学商学部卒業

3106 クラボウ
取締役 執行役員 藤井 裕詞 福岡大学経済学部卒業

3111 オーミケンシ
社外監査役 桑野 哲雄 福岡大学商学部卒業

3180 ビューティガレージ
社外取締役 監査等委員 緒方 大助 福岡大学商学部中退

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

心より御礼申し上げます。

よろしければ、下記もご覧くださいませ。

今後もデータを更新してまいりますので、よろしくお願いいたします。

はる坊拝

上場企業役員

【2024年最新情報】 工学部出身者が大活躍中!上場企業社長・役員一覧 東海大学出身者編①

最終学歴が東海大学出身の上場企業役員一覧①

はる坊です。

今回は、最終学歴が東海大学卒業・中退の上場企業役員をまとめました。

今回は、その1回目となります。

データの見方

銘柄コード・銘柄名(企業名)・役職・氏名・出身校の順です。

代表取締役から社外取締役。

監査役のデータです。

東京証券取引所プライム市場・スタンダード市場・グロース市場の各市場上場企業

名古屋証券取引所プレミア市場・メイン市場・ネクスト各市場上場企業

札幌証券取引所単独並びに重複上場・アンビシャス市場上場企業

福岡証券取引所単独並びに重複上場・Q-Board上場企業企業をカバーしています。

情報ソース元は、各企業のIR情報・各紙の新社長情報・専門誌の情報です。

東海大学出身 上場企業役員

1333 マルハニチロ
取締役 専務執行役員 栗山 治 東海大学海洋学部卒業

1430 ファーストコーポレーション
取締役 横山 一夫 東海大学教養学部卒業

1447 ITbookホールディングス 
取締役 石田 伸一 東海大学短期大学部卒業

1764 工藤建設
常務取締役 藤井 研児 東海大学体育学部卒業

取締役 中山 仁 東海大学教養学部卒業

1766 東建コーポレーション
代表取締役社長兼会長 左右田 稔(左右田 鑑穂) 東海大学政治経済学部中退

1770 藤田エンジニアリング
取締役 長 素啓 東海大学工学部卒業

1828 田辺工業
常勤監査役 小杉 順 東海大学工学部卒業

1832 北海電気工事 
取締役 常務執行役員 笠島 龍広 東海大学工学部卒業

1841 サンユー建設
代表取締役社長 馬場 宏二郎 東海大学工学部卒業

1914 日本基礎技術
代表取締役社長 中原 巖 東海大学大学院海洋学研究科修士課程修了

1929 日特建設
代表取締役社長 和田 康夫 東海大学工学部卒業

1944 きんでん
取締役 専務執行役員 網崎 雅也 東海大学工学部卒業

1948 弘電社
代表取締役 専務執行役員 山崎 勉 東海大学工学部卒業

1968 太平電業
取締役 上席執行役員 有吉 正樹 東海大学工学部卒業

1975 朝日工業社
取締役 常務執行役員 菊池 眞治 東海大学工学部卒業

2153 E・Jホールディングス
常勤監査役 藤井 勉 東海大学工学部土木工学科卒業

2173 博展
取締役 専務執行役員 原田 淳 東海大学工学部卒業

2224 コモ
常勤監査役 加藤 英次 東海大学海洋学部卒業

2286 林兼産業
取締役 安部 克彦 東海大学海洋学部中退
ウォーターベアーズ社長兼任

2293 滝沢ハム
常務取締役 斎藤 信明 東海大学教養学部卒業

2305 スタジオアリス
代表取締役社長 牧野 俊介 東海大学工学部卒業

2349 エヌアイデイ
取締役 小菅 宏 東海大学工学部卒業

2359 コア
取締役 監査等委員 市川 卓 東海大学工学部卒業

2481 タウンニュース社
取締役 執行役員 露木 敏博 東海大学政治経済学部卒業

2488 JTP
常務取締役 伊達 仁 東海大学工学部卒業

2812 焼津水産化学工業
取締役 監査等委員 杉山 洋志 東海大学工学部卒業

2816 ダイショー
取締役 根岸 宏樹 東海大学大学院医学研究科修了

2831 はごろもフーズ
取締役 田村 智之 東海大学海洋学部卒業

2874 ヨコレイ
代表取締役社長 松原 弘幸 東海大学海洋学部卒業

2876 デルソーレ
取締役 森山 敏治 東海大学工学部卒業

2877 日東ベスト
常務取締役 渡邉 昭秀 東海大学政治経済学部卒業

3020 アプライド
代表取締役会長兼社長 岡 義治 東海大学工学部卒業

取締役 山口圭介 東海大学政治経済学部卒業

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

心より御礼申し上げます。

よろしければ、下記もご覧くださいませ。

今後もデータを更新してまいりますので、よろしくお願いいたします。

はる坊拝

上場企業役員

【2024年最新情報】 上場企業社長・役員一覧 専門学校出身者編①

最終学歴が専門学校出身の上場企業役員一覧①

はる坊です。

今回は、最終学歴が専門学校の上場企業役員をまとめました。

今回は、その1回目となります。

データの見方

銘柄コード・銘柄名(企業名)・役職・氏名・出身校の順です。

代表取締役から社外取締役。

監査役のデータです。

東証プライム・スタンダード・グロース各市場

名証プレミア・メイン・ネクスト各市場をカバーしています。

情報ソース元は、各企業のIR情報・各紙の新社長情報・専門誌の情報です。

【建設業】
1430 ファーストコーポレーション
代表取締役社長 中村 利秋 東京デザイナー学院中退

1438 岐阜農園
常務取締役 小栗 栄一 東海ビジネス専門学校卒業

1439 安江工務店
常務取締役 新田 義正 HAL名古屋卒業

1444 ニッソウ
取締役 湯浅 一彦 工学院大学専門学校卒業

1449 FUJIジャパン 
取締役 樋口 俊一 札幌理工学院専門学校卒業

【サービス業】
1717 明豊ファシリティワークス
常務取締役 大島 和男 専門学校東京CPA会計学院卒業

【建設業】
1758 太洋基礎工業
常務取締役 土屋 敦雄 東海工業専門学校卒業

1764 工藤建設
常務取締役 田崎 功 北九州YMCA卒業

1771 日本乾溜工業
取締役 今田 暢也 長崎県立建設大学校土木科卒業

1771 日本乾溜工業
取締役 荒木 強 KJC専門学院卒業

1788 三東工業社
取締役 専務執行役員 中村 幸治 修成建設専門学校卒業

1795 マサル
取締役 高橋 聡一郎 日本工学院専門学校卒業

1795 マサル
取締役 蛭子屋 新一 日本電子専門学校卒業

1827 ナカノフドー建設
社外取締役 小高 光晴 東京情報ビジネス専門学校卒業

1841 サンユー建設
常務取締役 清本 孝敏 東京デザイン専門学校卒業

1841 サンユー建設
取締役 下瀬川 泰 大原簿記専門学校卒業

1873 日本ハウスホールディングス
代表取締役社長 真田 和典 読売九州理工専門学校卒業

【サービス業】
2122 インタースペース
取締役 岩渕 啓太 専門学校日本ホテルスクール卒業

2137 光ハイツ・ヴェラス
常勤監査役 若林 弘子 北海道医師会看護専門学校卒業

2150 ケアネット
社外常勤監査役 高橋 幸定 千代田電算機学院卒業

2180 サニーサイドアップグループ
取締役 久貝 真次 沖縄ビジネス外語学院卒業

【食料品業】
2222 寿スピリッツ
常務取締役 松本 真司 大原簿記専門学校卒業

【情報・通信業】
2307 クロスキャット
取締役 副社長執行役員 山根 光則 広島電子専門学校卒業

2317 システナ
代表取締役会長 逸見 愛親 千代田電算機学院卒業

2326 デジタルアーツ
代表取締役社長 道具 登志夫 東京商科学院専門学校中退

2335 キューブシステム
代表取締役会長 崎山 收 日本電子工学院卒業

2335 キューブシステム
取締役 内田 敏雄 日本電子工学院卒業

2349 エヌアイデイ
常務取締役 盛光 敏昭 コンピュータ教育学院卒業

【サービス業】
2435 シダー
代表取締役社長 座小田 孝安 国立療養所福岡東病院附属リハビリテーション学院卒業

2435 シダー
社外取締役 中村 儀成 国立善通寺病院附属リハビリテーション学院卒業

2435 シダー
常勤監査役 二宮 さおり 国立療養所福岡東病院附属リハビリテーション学院卒業

2488 JTP
取締役副社長 為田 光昭 専門学校静岡スクールオブビジネス卒業

2492 インフォマート
取締役副会長 長濱 修 九州電子計算機専門学校卒業

【小売業】
2687 シー・ヴイ・エス・ベイエリア
社外取締役 高橋 尚人 東放学園専門学校卒業

2754 東葛ホールディングス
代表取締役社長 石塚 俊之 ホンダインターナショナルテクニカルスクール卒業

2754 東葛ホールディングス
取締役 森田 誉 新堀ビジネス専門学校卒業

2754 東葛ホールディングス
取締役 高橋 輝 大原簿記専門学校卒業

2754 東葛ホールディングス
取締役 監査等委員 吉井 徹 東京デザイナー学院卒業

2776 新都ホールディングス 
代表取締役社長 鄧 明輝 東京外国語学院卒業

2788 アップルインターナショナル
代表取締役 小林 正示 中部日本自動車整備専門学校卒業

【食料品業】
2816 ダイショー
常務取締役 坂田 恵輔 福岡経理専門学校卒業

2872 セイヒョー
取締役 宮島 亜佐夫 新潟商科電算専門学校卒業

2882 イートアンドホールディングス
取締役 監査等委員 椎木 孝 進栄経理専門学校卒業

2901 石垣食品
代表取締役社長 小西 一幸 大原簿記専門学校卒業

2916 仙波糖化工業
常務取締役 前田 立志 コンピュータ日本学院専門学校卒業

2934 ジェイフロンティア
取締役 執行役員 鈴木 信二 大原簿記専門学校卒業

【小売業】
3028 アルペン
取締役副社長 執行役員 村瀬 一夫 日本ビジネス専門学校卒業

3038 神戸物産
取締役 浅見 一夫 兵庫栄養専門学校卒業

【情報・通信業】
3042 セキュアヴェイル
代表取締役社長 米今 政臣 東京商科学院専門学校卒業

3042 セキュアヴェイル
取締役 常務執行役員 白石 達也 京都コンピュータ学院卒業

3042 セキュアヴェイル
取締役 執行役員 大政 崇志 愛媛電子ビジネス専門学校卒業

3053 ペッパーフードサービス 
取締役 猿山 博人 日本電子専門学校中退

3057 ゼットン
取締役 常勤監査等委員 木村 治 YMCA国際ホテル専門学校卒業

3073 DDホールディングス
常務取締役 矢口 健一 武蔵野調理師専門学校卒業

【卸売業】
3180 ビューティガレージ
取締役 供田 修一 石川美容専門学校卒業

3180 ビューティガレージ
取締役 野村 貴久 石川経営専門学校卒業

【小売業】
3181 買取王国
取締役 監査等委員 松岡 保富 東京デザイナー学院卒業

【卸売業】
3183 ウイン・パートナーズ
取締役 執行役員 三田上 浩美 東京電子専門学校卒業

【小売業】
3184 ICDAホールディングス
代表取締役副社長 向井 俊樹 ホンダ学園卒業

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

よろしければ、下記もご覧くださいませ。

今後もデータを更新してまいりますので、よろしくお願いいたします。

はる坊拝

スクウェア全盛・黄金期を生んだ ゲームソフトメーカー スクウェアオーナー・投資家 宮本雅史という生き方

スクウェア全盛期・黄金期を生んだ ゲームソフトメーカー スクウェアオーナー・投資家 宮本雅史という生き方

現在、スマートコミュニティ稲毛を手掛ける投資家・宮本雅史さんとは?

はる坊です。
千葉県千葉市稲毛区長沼町93-1にある、スマートコミュニティ稲毛の評判が良いようです。
スマートコミュニティ稲毛はシニア向けの分譲マンションです。
2010年に分譲以来、高い評価を得ているようです。

このマンションを運営する株式会社スマートコミュニティの代表取締役会長は宮本雅史さん。
現在は合併してスクウェア・エニックスとなった一社、ゲームソフトメーカー・スクウェアの創業者にして初代社長。
スクウェアの成功によりフォーブスに掲載されるほどの大資産家となっただけではなく、アパレル業界でも活躍した人物です。

そんな宮本さんが、“「最後の事業」”として臨んでいるのが、スマートコミュニティです。

今回は、そんな宮本雅史さんの人生を追ってみたいと思います。

宮本雅史さんプロフィール

宮本雅史さんは1957年3月18日 徳島県徳島市で実業家の宮本國一さんを父として生まれました。
1963年4月に、父・國一さんは株式会社電友社を設立して、電気工事・一般土木工事を手掛け、事業を拡大します。
(※ネット上に誤った記載もあるのですが、電友社は四国電力の協力会社・取引先であって、四国電力の子会社ではありません。)

やがて成長した宮本さんは、超難関校である灘中学校・灘高校を卒業。
その後、早稲田大学に進学しています。
早大卒業後は、一貫して事業家・投資家としての人生を歩まれています、

息子の宮本淳太さん・宮本礼さんとも、スクウェアが単独上場していた折には、1%ほどのスクウェア株を保有する大株主として四季報に名前が掲載されていました。
現在、おふたりともスマートコミュニティの取締役 執行役員を務めています。

パソコン時間貸し事業⇒電友社スクウェア⇒スクウェア設立

宮本雅史さんが最初に目を付けた事業。
それは、コンピータ・ソフト事業でした。
「必ず、コンピュータ・ソフトの時代が来る」
そう考えた宮本さんは、1983年横浜市日吉に物件を借りて、40台もの最新型パソコンを置いて時間貸しするビジネスを始めました。

-ソフトは作れるヤツに作ってもろたらええのや。

のちにスクウェア社長となる鈴木尚さんは、甲陽学院高等学校を卒業後、京都大学を目指しますがその夢は果たせず、一浪後、慶應義塾大学経済学部に進学していました。
スクウェア関係者のなかで、一番早く宮本さんに接触した人物です。

一度は、大言壮語する宮本さんから逃げた鈴木さんですが、日吉界隈にいてはそのうち出くわします。
「(逃げるなんて)ずるいやん」
「ごめん」
宮本さんのボンボンらしい鷹揚さに惹かれて、鈴木さんは再度宮本さんとタッグを組みます。
宮本さんが日吉にパソコン・サロンを設けたのには理由がありました。

-ゲームづくりは、早稲田より慶應の学生のほうが向いている。

結果的に集まってきた学生は、慶應義塾大学・横浜国立大学・神奈川大学など周辺の大学に在籍する学生が集まりました。
半年後に本格的にゲーム製作に入るときには、横浜国立大学に通っていた坂口博信さんと田中弘道さんなどスクウェアを支えていく人材が集結していました。

最初は、電友社のソフトウェア部門ということもあり、〝電友社スクウェア〟という名前でゲームをリリースしていましたが、1986年9月4日に電友社から独立。資本金1,000万円で株式会社スクウェアが設立され、代表取締役社長に宮本雅史さん。取締役に坂口博信さん・鈴木尚さんが就きました。

しかし、この頃、スクウェアのゲームは売れなくなり、会社設立早々、ゲーム業界からの撤退案も出始めます。

しかし、翌年に坂口博信さんが中心となって製作した『ファイナルファンタジー』がヒットをして、これを皮切りにスクウェアはゲームソフトメーカーとして地歩を固めていくことになります。

四国銀行との関係について

宮本雅史さんは徳島県徳島市のご出身です。
宮本家が運営する、徳島では名門と位置づけられているサンピアゴルフクラブも徳島市内にあります。
⇒サンピアゴルフクラブウェブサイト
それなのに、徳島県の指定金融機関である阿波銀行とは関係がなく、高知県に本店を置く四国銀行との関わりが強いです。
これはなぜか。
一説には、宮本國一さんと阿波銀行とのあいだにトラブルがあり、その最中に、徳島に進出を図っていた四国銀行が宮本さんに食い込んで、宮本家のメインバンクになったという話があります。
また、現在、サンピアゴルフクラブの代表を務めておられる宮本家の方が四国銀行OBだということも関係していると思います。

四国銀行からは、当初、スクウェア株式上場準備のため社長室長として、そしてのちに社長・会長を務めた武市智行さんを始め、経営の一翼を担った幹部が何名も在籍しています。
開発力に定評のあったスクウェアでしたが、銀行出身の幹部の支えがあって発展を遂げたともいえるのではないでしょうか。

1991年宮本雅史さんスクウェア社長を退任

株式上場のため四国銀行から1990年に武市智行さんを社長室長に迎えていた1991年。
宮本さんはスクウェア社長の職を水野哲夫さんに譲ります。

理由は「35歳になったら違う事業をやりたいとおもっていた」からでした。

宮本さんは会長職に就くこともなく、過半数の株式を持つオーナーとしてスクウェアの経営を見守ります。

宮本雅史さんは、1988年に設立していた自身の会社・株式会社エスシステムの経営を本格化させて、1995年3月から女性服ブランド・ファイナルステージを展開。
森ビルが手掛けたショッピングモールのヴィーナスフォートにアイデアを提供するなど、アパレル業界で活躍します。
その一方で、1年の半分をアメリカで過ごし、名刺に〝Fischerman〟と刷り込むなど、実業家と投資家のバランスを取りながら、スクウェア以後の人生を歩みます。

1994年8月 スクウェア ジャスダック市場に上場

1994年8月、スクウェアは株式を店頭公開(現在のJASDAQ上場)します。
初値は1株・7380円で、公募価格の6600円を上回る好調なデビューでした。

宮本さんはスクウェアの株式上場による創業者利益を得て、翌1995年5月に公示された高額納税者(長者番付)において、全国第2位にランクインします。
納税額は17億7220万円。
推定年収は88億6500万円。

当時の会社四季報で、上場まもないスクウェアの会社情報・役員・業績を見ておきましょう。

※データはすべて1994年9月30日時点のものです。
まず、資本金は44億9700万円
借入金は5億700万円しかなく、株式資本比率86.6%とエニックス並みの好財務状況でした。

役員構成を見てみましょう

社長:水野哲夫
副社長:坂口博信
副社長:竹村仁志
副社長:鈴木尚
取締役:河津秋敏
取締役:田中弘道
取締役:小林宏
取締役:藤岡千尋
取締役:堀井敏行
常勤監査役:安岡洋向(四国銀行OB)
常勤監査役:三笠照文(協和銀行OB(現・りそな銀行の前身行のひとつ)
監査役:西田晴彦(四国銀行OB・当時電友社 常務。その後社長を歴任)
監査役:中川康生

株主構成

発行済株式数29,695,000株

宮本雅史 15,556,000株 52.3%
エスシステム 3,312,000株 11.1%(宮本雅史の会社)
宮本國一 598,000株 2.0%(宮本雅史氏の父)
四国銀行 473,000株 1.5%
坂口博信 343,000株 1.1%(スクウェア副社長)
三和銀行 256,000株 0.8%
野村證券 256,000株 0.8%
四銀総合リース 236,000株 0.7%
宮本淳太 230,000株 0.7%(宮本雅史氏の長男)
宮本礼  230,000株 0.7%(宮本雅史氏の次男)

この年、スクウェア株の最高値は上場時の7,380円。
その後は、6,000円台前半~4,000円台後半で推移し、最安値は3,750円でした。

1992年3月期~1994年3月期までのスクウェア業績推移

1992年3月期決算
売上高:166億4900万円 営業利益:39億8600万円 経常利益:36億2300万円

1993年3月期決算
売上高:209億3300万円 営業利益:56億7900万円 経常利益:54億6600万円

1994年3月期決算
売上高:257億1300万円 営業利益:61億3100万円 経常利益:60億6100万円

1995年3月期決算予想においても、
1994年4月2日に発売した『ファイナルファンタジーⅥ』は初回で225万本出荷した。
1995年春に『クロノトリガー』発売予定(出荷目標200万本)
『フロントミッション』発売予定(出荷目標100万本)
とイケイケです。

実際、この出荷目標を上回ってしまうのですから、当時のスクウェアの勢いがわかります。

1996年3月期~2003年3月期までの、スクウェア業績推移

スクウェアの黄金時代と大赤字をもたらして経営危機が囁かれ、その後、和田洋一社長が最高益を出すも、エニックスに吸収合併されるまでの各年のスクウェアの業績をみていきましょう。
※現在1995年3月期決算のデータのみ不明です。
見つかり次第UPします。

1996年3月期決算
売上高:302億3,300万円 経常利益:77億3,400万円 純利益:36億4,700万円

1997年3月期決算
売上高:353億7,000万円 経常利益:▲2億9,300万円 純利益:▲12億700万円
※四国銀行を退職した武市智行さんが顧問として入社。
その1ヶ月後に代表取締役社長に就任。
水野哲夫社長は取締役会長に。

1998年3月期決算
売上高:689億4,800万円 経常利益:99億3,400万円 純利益:31億9000万円

1999年3月期決算
売上高:717億5,900万円 経常利益:78億1300万円 純利益:41億5100万円

2000年3月期決算
売上高:729億2300万円 経常利益:33億6300万円 純利益:16億8500万円

2001年3月期決算
売上高:755億3800万円 経常利益:▲26億9300万円 純利益:▲31億6000万円

※2000年5月鈴木尚さんが代表取締役社長に就任。
武市智行さんは代表取締役会長に就任。

※2001年2月武市智行会長・坂口博信代表取締役副社長が映画事業失敗の責任を取り辞任。
平松正嗣取締役も取締役職は辞任するも執行役員として残留。
平松氏は現在、滋賀県内を地盤とするスーパーマーケットチェーン・平和堂の代表取締役社長を務める。

※2001年から2002年のあいだに、従業員が1210名から952名に減少。
大幅なリストラがおこなわれた。

2002年3月期決算
売上高:366億4600万円 経常利益:40億6600万円 純利益:▲165億5400万円
※2001年8月取締役CFOだった和田洋一さんが代表取締役兼COOに就任。
2001年12月には代表取締役社長兼CEOとなる。
鈴木尚社長は取締役会長に就任。

2003年3月期決算
売上高:402億8600万円 経常利益:127億7600万円 純利益:140億7400万円

2004年4月1日、エニックスに吸収合併。

幻に終わった2000年のエニックスとの合併

2003年4月1日、スクウェアはエニックスに吸収合併される形で、スクウェア・エニックスが誕生します。
この時、宮本雅史さんが久々に話題に上ります。
野村證券が算出したスクウェア株の価値が、エニックス株を1として0.81と評価したことに異議を唱えたのです。
結果、エニックス株1に対して、スクウェア株を0.85と評価し直すことで、両社は合併にいたりました。

しかし、この3年前のこと。
2000年に宮本さんから直接、エニックス会長(当時)の福嶋康博さんに「福嶋さんの気持ちひとつで、うちを吸収合併してもらってかまわない」とラブコールを送っていました。
しかし、慎重な福嶋さんが、当時のスクウェアの経営を見て、「危なっかしさがある」と判断して、断ったという経緯があります。

宮本雅史さんのこれから

宮本雅史さんは現在61歳。
まだまだお若いです。
ただ、事業としては公言どおりスマートコミュニティが最後の事業になるのではないでしょうか。
しかし、投資家としては、人脈も広いことですし、ひょんなところでお名前が出るかもしれません。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

Brandear オークション(ブランディア公式オークション)
【毎日更新/最大30万円】お得なクーポンのご利用で賢いお買い物 ブランド中古販売【ブランディア オークション】

ゲーム業界昔話

【懐かしい1993年1月】株式上場していたゲーム会社各社の会社情報・役員・株主構成一覧

はる坊です。
今回は1993年にゲーム業界で上場していたゲーム会社の会社情報をご紹介したいと思います。

1993年1月 任天堂 役員情報

東京・大阪1部上場・京都上場
売上高:5075億円(1992年3月期)
営業利益:1403億6400万円(1992年3月期)
経常利益:1562億4700万円(1992年3月期)
従業員:890名(平均年齢35.8歳)
平均給与:352,675円
初任給:191,000円
30歳モデル賃金:315,000円

役員構成
社長:山内溥
常務:谷本克典 祖谷登希雄
取締役:福田博之 辻昭男 大西康博 荒川實
常勤監査役:近藤良明
監査役:稲葉實 澤井末造

株主構成:
山内溥 11.0%
京都銀行4.9%
大和銀行4.9%
東海銀行4.9%
三和銀行4.9%
東洋信託銀行4.4%
三菱銀行4.4%
中央信託銀行3.2%
住友信託銀行2.7%
日本興業銀行2.0%

1993年1月 コナミ(現・コナミホールディングス)会社情報

上場市場:東京証券取引所第1部・大阪証券取引所第1部上場
資本金:80億9600万円
売上高:470億8000万円(1992年2月期)
営業利益:81億1600万円(1992年2月期)
経常利益:81憶1900万円(1992年2月期)
従業員:641名(平均年齢28.0歳)
平均給与:308,875円
初任給:193,000円
30歳モデル賃金:305,580円

役員構成
会長:上月景正
社長:西村靖雄
専務:上月景彦
常務:藤田昌弘 今井中
取締役:矢野一夫 豊開壮吉 坂本進 五代友和
常勤監査役:井上更明
監査役:成瀬俊昭 森信静治

株主構成:
上月景正     13.6%
上月教育財団   13.4%
有限会社スリーケイ10.0%
住友信託銀行    5.6%
大和銀行 4.9%
さくら銀行 4.9%
あさひ銀行 3.4%
三菱信託銀行 1.4%
東洋信託銀行 1.4%
中央信託銀行 1.1%

1993年1月 カプコン会社情報

上場市場:店頭登録(JASDAQ上場)
資本金:65億6500万円
売上高:354億4500万円(1992年3月期)
営業利益:59億1400万円(1992年3月期)
経常利益:57憶3000万円(1992年3月期)
従業員:705名(平均年齢27.2歳)
平均給与:246,284円
初任給:188,000円
30歳モデル賃金:非公表

役員構成
社長:辻本憲三
専務:門脇精
常務:中村昌弘 置塩安雄
取締役:大島平治 中山喜仁 岡田光雄 濱田典彦 保木純夫 坂井昭夫 小沢吉郎
常勤監査役:黒田守男 來栖三郎
監査役:阿部幸孝

株主構成:
辻本憲三 41.8%
辻本美之  6.4%
辻本美佐子 6.1%
辻本春弘  6.1%
辻本良三  6.1%
富士銀行  1.8%
住友信託銀行1.6%
三菱銀行  1.5%
自社持株会 0.9%
大橋幸彦  0.9%

1993年1月 エニックス(現・スクウェア・エニックスホールディングス)会社情報

上場市場:店頭登録(現:JASDAQ上場)
資本金:37億9700万円
売上高:85億4400万円(1992年3月期)
営業利益12億0200万円(1992年3月期)
経常利益18億5200万円(1992年3月期)
従業員:142名(平均年齢29.3歳)
平均給与:270,061円
初任給:180,960円
30歳モデル賃金:280,240円

役員構成
社長:福嶋康博
専務:千田幸信
常務:前川敏雄
取締役:川口貴雄 才藤智宏 蟹江元 上條弘
常勤監査役:舟田正男
監査役:河野先

株主構成:
福嶋康博    46.6%
有限会社 福嶋 16.7%(現在の株式会社 福嶋企画)
福嶋美知子   5.9%
千田幸信    2.2%
三和銀行    1.9%
高野豊     1.8%
川口貴雄    1.8%
東洋信託銀行  1.6%
三菱銀行    1.3%
才藤智宏    0.9%

1993年1月 光栄(現・コーエーテクモホールディングス)会社情報

上場市場:店頭登録(現:JASDAQ上場)
資本金:70億4100万円
売上高:106億2000万円(1992年3月期)
営業利益36億2200万円(1992年3月期)
経常利益31億3000万円(1992年3月期)
従業員:258名(平均年齢26.9歳)
平均給与:271526円
初任給:189,000円
30歳モデル賃金:非公表

役員構成
社長:襟川陽一
副社長:襟川恵子
専務:江藤弘之
常務:堀口大典 丸山侑生
取締役:伊従勝 福井清之助 栗野敏和
常勤監査役:井上清栄
監査役:長堀守弘

株主構成:
有限会社 光優  53.2%
襟川陽一     14.8%
襟川恵子     11.8%
横浜銀行     2.7%
住友信託銀行   0.7%
田邊恵造     0.7%
従業員持株会   0.7%
富士銀行     0.6%
中央信託銀行   0.5%
日本BT信託銀行  0.4%

※日本BT信託銀行⇒日本バンカーズ・トラスト信託銀行

※セガ・エンタープライゼス、ナムコ、テクモ、ジャレコはもう少々お待ちください。
旧スクウェアの株式上場は1994年です。

中古スマホを買うならゲオマート
ゲオマート【GEO-MART】

【モンスター企業】キーエンスと創業者・滝崎武光氏のまとめ

社員の平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス①

※本ページはアフィリエイト広告を利用しています

はる坊です。

今回は、フォーブス誌の2021年日本人長者番付で、2020年に引き続き第3位にランクインしているキーエンス創業者で同社名誉会長・滝崎武光氏に迫っていきたいと思います。

キーエンス創業者で同社名誉会長・滝崎武光氏の総資産3兆1,700億円!

米フォーブス誌によると、滝崎氏の資産は滝崎武光氏個人、そして、妻の滝崎美弥子氏が代表取締役を務める滝崎氏の資産管理会社・株式会社ティ・ティが保有するキーエンス株の合計で、3兆1,700億円に上ります。

2017年では1兆3880億円でしたから、6年間で約2.3倍も資産を増やしたことになります。

ちなみに、日本人長者番付のトップ3は、

ユニクロを率いるファーストリテイリングの柳井正 代表取締役会長兼社長

本記事でご紹介するキーエンスの滝崎武光 取締役名誉会長

ソフトバンクグループの孫正義 代表取締役会長兼社長。

の順です。

上位には滝崎氏とともに、サントリーホールディングスの佐治信忠会長やユニチャームの高原豪久会長など、日本人の日常生活に欠かせないモノを手掛ける企業のトップが名を連ねています。

米フォーブス誌日本版で発表された2015年からの滝崎氏の資産推移を見てみましょう

2015年 第5位 資産額:1兆0472億円

2016年 第4位 資産額:  9379億円

2017年 第4位 資産額:1兆3880億円

2018年 第4位 資産額:1兆8430億円

2019年 第3位 資産額:2兆0670億円

2020年 第3位 資産額:2兆1190億円

2021年 第3位 資産額:2兆8420億円

2022年 第2位 資産額:2兆9,700億円

2023年 第2位 資産額:3兆1,700億円

すっかり、ファーストリテイリングの柳井正氏、ソフトバンクグループの孫正義氏、サントリーホールディングスの佐治信忠氏と並んで、日本人トップの資産を保有する人物として定着している感があります。

滝崎氏が、ここに挙げた3名の方と違うのは、滝崎武光氏は資産家・実業家の子息として生を受けたわけではなく、サラリーマン家庭に生まれ育ち、学歴も高卒であること。

約6年間のサラリーマン生活を経て共同経営の会社を設立するも、短期間で倒産させ、再度のチャレンジでも上手くいかず、20代後半までに結局2度の会社倒産を経験している人物であること。

3度目に正直となったキーエンスも、最初はリード電機という滝崎氏ただひとりの個人事業に過ぎない時点からスタートしているところでしょう。

まさに立志伝中の人物といえます。

この記事を読み進めていただくとお分かりいただけると思うのですが、滝崎氏ご本人は、この2兆円を超える資産のことは、必要以上に誇っているようには思えません。

もし、滝崎氏に現在の資産額について尋ねたら、

「資産といっても、私個人や家族、資産管理会社で保有している株式が大半です。

株価は必ずしも、会社の業績に比例して上下するものではなく不確かなもの。

ですから、あてにはなりません。

私は株や不動産売買で利益を出そうとする〝財テク〟はしてはいけないという考えです。

それよりも高付加価値の仕事をすること、会社の営業利益のほうが大切ですよ。

私は売上高には目を向けません。

いくら売上があっても低い利益率では、従業員を含めて企業に関わる人々がメリットを享受できませんから、意味がありません。

現在、キーエンスの営業利益率は売上高の54%強です。

この数字は社員ひとりひとりが、付加価値の高い良い仕事をしてくれていることの証だと思います。

私はそちらを誇りたいです」

きっと、そんな答えが返ってくるような気がします。

それでは、キーエンスと滝崎武光氏の足跡を追っていきましょう。

株式会社 キーエンスとは?

〝人件費は経費にあらず〟従業員の最高平均年収は何と2,279万3,975円。ボーナスは年4回

キーエンスは、創業者・滝崎武光氏が1972年3月に兵庫県伊丹市において、個人事業・リード電機として創業。

1974年5月に兵庫県尼崎市に移転するとともに法人化され、リード電機株式会社となります。

その後、FA(ファクトリーオートメーション)用センサーや計測器の開発・販売を手掛けて業績を伸ばし、1986年10月に商品ブランド名のキーエンス(KEYENCE)と商号の統一を図るために株式会社キーエンスに社名を変更。

ちなみにキーエンス(KEYENCE)とは、Key of Science-キー・オブ・サイエンス(科学の鍵)の略語です。

翌1987年10月には大阪証券取引所第2部に株式を上場。
株式上場準備に3年も4年もかかり、上場審査基準も厳しかった当時としては、かなりのスピードといえる会社設立から僅か13年で上場企業の仲間入りを果たします。

2年後の1989年12月には東京証券取引所2部にも重複上場。
1991年9月には、ついに東京証券取引所1部上場を果たします。

上場時から高収益企業・高株価企業として有名でしたが、

まれに見る高収益体質を維持したまま、現在まで成長を続け、

2023年3月期の連結決算では、

売上高:9,224億2,200万円 売上総利益:7,547億3,200万円 営業利益4,989億1,400万円を記録

粗利率は驚異の81.9% 営業利益率は何と54.1%です。

2024年3月期の連結決算数字がどうなるか、これから注視していきたいと思います。

キーエンスは、従業員の年収が高い企業としても有名ですが、〝人件費は経費にあらず〟というキーエンス独自の思考から、2023年6月に提出された有価証券報告書では従業員:2,788名(平均年齢35.8歳)の平均年収は2,279万3,975円となっています。

前述したように、ボーナスは(3月・6月・9月・12月)の年4回です。

2022年6月に提出された有価証券報告書では、従業員:2,599名(平均年齢36.1歳)の平均年収は2,182万7,204円となっていましたので、業績好調を受けて、従業員の平均年収もアップしています。

また、従業員の人数も単純計算で189名増加しています。
退職者もいるので、仔細は不明ですが、新卒・中途採用とも継続してかなりの人数を採っていることがわかります。

キーエンスの本社は東京ではなく大阪。JR新大阪駅の近く

キーエンスは、国内・海外(北米・欧州・南アフリカ・中国・アジア・中東・オセアニア)に営業拠点を張り巡らせていますが、本社・研究所は、大阪府大阪市東中島(JR新大阪駅の近くです)に構えています。

この社屋が建てられたのは1994年とかなり年月が経ってしまっているのですが、高さ111メートル・21階建てのビルは非常にスタイリッシュで、数々の賞にも輝き、現在でも古くささを感じさせません。

創業者の滝崎氏は2000年12月に、当時43歳だった生え抜きの佐々木道夫氏(明治大学政治経済学部卒業)に社長職を譲り、55歳で代表取締役会長に就任。
自身が会長に退いた理由を、

「創業当時から自分がいなくても、会社が回るようにずっと考えてきました。会長に退いたのも、私が半年1年いなくてもこの会社は回るなと思ったからです」”と語っています。
(引用元:2003年10月27日号 日経ビジネス 特集 利益率40% 驚異の経営 キーエンスの秘密 編集長インタビュー 滝崎武光氏[キーエンス会長] 会社に思い出は不要)より。

2012年12月からは、佐々木道夫氏は取締役特別顧問となり、当時45歳だった山本晃則氏(立命館大学理工学部卒業)が代表取締役社長が就任。

滝崎氏は引き続き会長職に就かれていましたが、2017年12月からは取締役名誉会長を務めておられます。

2019年12月には、山本晃則氏は取締役特別顧問となり、1974年生まれの中田有氏(関西学院大学法学部卒業)が代表取締役社長に就任しています。

そして、

キーエンス社長の年収・役員報酬は意外に低い

モンスター企業のキーエンスですが、意外に経営トップの年収はそこまで高くありません。

従業員の最高平均年収は約2,279万円ですが、

創業者の滝崎氏から数えて、4代目代表取締役社長を務められている中田有氏の年間役員報酬は2023年3月期の有価証券報告書によると、1億8,800万円

前社長で、現在は取締役 特別顧問を務められている山本晃則氏の年間役員報酬も1億1,300万円です。

社外取締役をのぞく、他の常勤取締役に1億円プレーヤーはいません。

これには理由があり、創業者の滝崎武光氏が社長在任時代に、自身の報酬を低めに設定していた伝統が残っているからです。

滝崎氏自身“「サラリーマン社長と同等にしている」”とインタビューで発言しており、役員だからといって、億単位の役員報酬をもらっていなかったのです。

現在、SHIFTの取締役副社長を務められている、キーエンス2代目社長・佐々木道夫氏の後継者として、

3代目社長を務められた山本晃則社長も、

年間役員報酬は、2018年3月期の有価証券報告書で1億3800万円。2019年3月期が1億5600万円でした。

そして、2019年に社長職を中田有氏にバトンタッチされ、取締役特別顧問となられた2020年3月期の有価証券報告書では1億5000万円。

2018年6月には、給付型奨学金を提供するキーエンス財団を設立

また、滝崎氏は2018年6月に、まだまだ日本では浸透していない大学進学者向けの給付型奨学金を提供する一般財団法人キーエンス財団を設立され、代表理事も務められています。

2019年4月大学新入学生を対象とするものですが、募集人数は125名程度で月額8万円を在学中の4年間支給する
(4年間の合計支給金額は384万円になります)

という返済の必要がない奨学金ではかなり規模の大きなものです。

現在の日本では経済的な理由で奨学金を利用して大学や専門学校に進学される方が多くなっていることは事実です。
ただ、その奨学金の大半は貸与型であり、卒業後に社会に出てから返済の必要があります。

若くして高収入が得られる職に就き、奨学金の返済を滞ることなく支払える方もおられるでしょうが、不安定な立場や低収入から返済をすることができず延滞金が上乗せされ、最悪の場合、自己破産に追い込まれ、人生に大きな狂いが生じている方も多く存在していることも事実です。

そんななかで、前途のある学生に返済不要の給付金を提供する財団を立ち上げられたのは素晴らしいことだと思います。

実は、滝崎氏が奨学金に目を向けたのは今回が初めてではありません。
1990年にアジアから学びに来る理工系の留学生の為に、私財3億円で奨学基金を設立していました。

さて、キーエンス財団の事務局も大阪府大阪市東中島キーエンス本社ビル内にあります。

これは公私の区別を厳しくしている滝崎氏らしいと思うのですが、普通、成功を収めた事業家などが奨学財団や文化・スポーツ振興財団を設立した際には、自分の苗字を財団名の頭に付けていたり、理事や評議員に親族が名を連ねているケースがほとんどです。

また、自らの人脈をアピールする目的もあるのか、財界や学界、専門分野のなかでも著名な人物や肩書きが立派な人物の名前が並んでいることもあるのですが、キーエンス財団の場合はそういったものがないように感じられます。

理事や評議員のなかに、滝崎氏の親族は誰ひとり名前がありません。

奨学金を給付する有能な学生を選考する為には、どのような人物を置けば一番効果的で合理的かという滝崎氏の哲学が、この財団にも表れているような気がしてなりません。

ミステリアスな滝崎武光氏の詳細なプロフィールをご紹介

さて、日本人長者番付2位の大資産家である滝崎武光氏ですが、その人物像はほとんど知られていません。
第一に滝崎氏自身がメディアに露出しないからです。

よって、ウェブ上では〝前半生が謎〟であるとか、〝来歴や家族関係は一切不詳〟と書かれているページすら見受けられます。
また、〝韓国〟というキーワードが検索されていますが、韓国に縁のある人物であるとは確認できません。

さて、滝崎氏自身、社長職を退いて、会長となって以降はたった一度しかマスコミのインタビューに応じていません。

名誉会長に就任して、後進に会社を託すような形となった現在では、メディア露出の可能性は更に低くなったと思います。

東証1部上場企業の創業者ですが、財界活動にも全く興味を示さない人物ですので、世界に通じる日本有数の大富豪として一部の人だけに名前を知られた状態で、このままミステリアスなイメージを保っていくのではないでしょうか。

それでも、まだ1980年代、1990年代には、多少ではありますがマスコミの取材やインタビューに応じていました。そこで語られたエピソードを中心に、滝崎武光氏に迫ってみたいと思います。

滝崎武光氏は1945年兵庫県出身の78歳です

滝崎武光氏は1945年(昭和20年)6月10日兵庫県芦屋市で出生しています。

現在は大阪府豊中市に在住です。

芦屋市といえば、関西で一番富裕層が集い邸宅を構えているようなセレブなイメージがありますが、滝崎氏の父親はお金持ちでも経営者でもなく一介のサラリーマンでした。
しかし、真面目で働くことを美徳とする人物だったようで、モノ作り一筋の滝崎氏の人生にも大きな影響を与えている気がします。

その父親がメーカー勤務だったのかはあきらかにされていませんが、幼い頃、父親とともに住友金属工業(現在の新日鐵住金)和歌山製鉄所へ行ったときの思い出が滝崎氏には強く残っているようです。

当時、この製鉄所の中には、そこで働く人々を運ぶバスが運行されていました。

滝崎氏はこのときを振り返って、

“「理屈っぽい性格なので、これほど巨大な工場が何のためにあるのかを考え、自分の生活にも寄与しているんだと気が付いた」”

と語っています。

また、父親は機械の見本市にも武光少年を連れていったりもしています。

武光少年は小学校の卒業アルバムに『今度会うときにはテープレコーダーを作っているだろう』と寄せ書きしていたそうで、中学校時代には、友達から10円を集めて薬局でマグネシウムなどを購入して、実験をしていました。

モノづくりや電気いじり、科学実験好きの少年時代を過ごしたようです。

尼崎工業高校電子科時代、一流の事業家を志す

滝崎氏が中学校卒業後に進学したのは、兵庫県立尼崎工業高等学校電気通信科(在学中に電子科に名称変更)でした。

(尼崎工業高校の後輩にはダウンタウンの松本人志氏(機械科卒業)がおられますが、島田紳助氏と共演していたトーク番組『松本紳助』内で「賢いクラスがありましたねえ。電子科は賢かった」と発言していましたので、いくつかに分かれている科のなかでも、滝崎氏はレベルの高いクラスに在籍していたと思われます)

高校在学中、滝崎氏は自治会や生徒会の役員になります。

このとき、滝崎氏は先頭に立って市内5校で連合会を作っています。

ご本人は

“「(自身が通っていたのが女子生徒のいない工業高校だったので)女学生のいる学校に遊びに行きたかっただけかもしれません」”

と多少冗談めかしてはいますが、高校生にしてリーダーシップを取ることのできる人物だったことがわかります。

また、この経験からでしょうか

「人を組織することに興味を覚えた」

とのちに語っています。

時代はちょうど大学紛争の頃、自治会の役員をしていた滝崎氏は京都大学などで学生運動をしている人々と出会うことになります。

滝崎氏が、学生運動をしている年上の人々と知り合ったなかで、気が付いたのは、

思想というものは文学や芸術と同じで好き嫌いの世界

で、そういった客観的に測れないものは自分自身の性格上、相容れないものだということ。

そして、

経済というのは数字の世界だから客観性があり、企業の善し悪しも数字で対比すれば分かるもの

だということでした。

そして、滝崎氏は志を立てます。

自分は主観だけで判断するものには向いていない。

それなら、一流の事業家になろう。

それも、デザインや個人の趣味、趣向に左右される消費財ではなく、ユーザーの生産性を上げることに狙いを絞り込み、機能や性能に対して価格が安いか高いかで評価される生産財がいい

1964年(昭和39年)3月滝崎氏は、兵庫県立尼崎工業高校電子科を卒業すると、実社会に足を踏み入れます。

実社会に足を踏み入れた滝崎氏は、エンジニアとなり24歳で独立を果たしますが・・・

最後まで読んでくださってありがとうございました。
よろしければ、その②もお読みいただけるとありがたいです。

その②に続きます⇒社員の平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス②(新しいタブが開きます)

3分でキャリア診断!若手ハイエンド向け転職サイト『ASSIGN』



何かございましたら、こちらまでお願いいたします。

はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます)

メール:http://info*harubou-room.com (*を@にご変更いただきますようお願いいたします)

VAIOストア

元キーエンス従業員の方が書かれた本で、最もオススメしたいのがこちらです。


次にオススメしたい、充分に一読の価値があるのがこちらです。


【2018年11月に出版】キーエンスでの経験を生かしたサイト運営について普遍的で重要な事柄が凝縮された一冊

キーエンスの社内ベンチャー・イプロスでウェブサイト作成・運営に携われた方の本です。

「心に触れるホームページをつくる」


筆者の秋山典丈さんは、キーエンスの社内ベンチャー・イプロスで『製造業向けマッチングサイト』を企画された方です。

東京工業大学大学院理工学研究科情報工学専攻修士課程修了後、1995年にキーエンスに入社。

2000年にキーエンスの社内ベンチャーとしてスタートしたイプロス(株式会社 イプロスとして法人設立は2001年)の立ち上げに参画され、「徹底的に受け手の身になってサイトを作る」ことに向き合われた経験を生かして書かれた本です。

秋山さんは2003年に独立され、現在はシステム開発とサイトコンサルティング・商品企画コンサルティングに携わる株式会社 レクタスの代表取締役を務められています。

この本では、個人でも法人でも、また初心者から上級者までサイト作成・運営にとって重要なことが満載されています。

私も折に触れて読み返しています。

サイト作成に関する本は多く出版されていますが、ここまで普遍的で重要な事柄が凝縮されている本はめったにありません。

キーエンスに興味のない方でも、ご自分のブログやサイト、そしてSNSで見る人の心をガッチリ掴みたいと少しでも思われている方なら、ぜひお読みになってください。

一橋大学イノベーション研究センターとキーエンスに長年在籍した方による共著です。
キーエンスの内部を知るには最もわかりやすいと思います。


ただ、『キーエンス~驚異的な業績を生み続ける経営哲学』というタイトルですが、『経営哲学』はどこにも書かれていません。

『経営哲学』を『経営目標』『経営手法』と読み替えるのが正しいと思います。

Kindle版しかありませんが、こちらもオススメできます。

また、もう一冊だけ、現在紙の書籍で入手することは困難ですが、機会があればぜひ読んでいただきたい本があります。

キーエンスに1986年に新卒で入社され、アンリツを経て、現在は立石シゲオ中小企業診断士事務所代表として活躍されている、経営コンサルタント・立石茂生氏が2014年に書かれた書籍です。


キーエンスで得られたノウハウを含めて、高収益企業を実現する経営指南書で示唆に富んだ良書中の良書なのですが、残念ながら古書でも手に入れるのは難しい状態です。


立石氏のホームページによると、2016年9月の時点では30,000円で古書がネット上で販売されていたようです。
これには、著者の立石氏も戸惑われたようですが、この本にそれだけの価値があると認められていることも、また事実でないかと私は思っております。

そのような状況が長く続きましたが、2020年8月にアマゾンKindleにて第2刷として出版されました。

Kindle Unlimited 会員の方は、このタイトルを追加料金なし(¥0円)でお読みになれます。

ご一読をおすすめいたします。

他にも元キーエンスの方が書かれた本があります。
参考にはなりますが、あえてこの場でおすすめするのは、控えさせていただきます。