伝説の高利貸し 日本百貨通信販売・杉山グループ総帥 杉山治夫の生涯 その4
〝杉山式〟金融債権取り立て法の中身とは
はる坊です。
その3では、杉山治夫が唯一尊敬していた人物・小林大二郎氏に諭され、組織を抜けることを決意し、東京に移り住み、川崎で一年間のヒモ生活を送りながら100万円を元手に金融業を始め、翌年に東京・新宿に拠点を移し、金融債権取り立て屋として名を馳せて、日本百貨通信販売を核とした杉山グループの形成までをご紹介しました。
それでは、引き続き杉山治夫の生涯をみていきましょう。
1983年に貸金業規制法(サラ金規制法)が制定される以前は、貸金の取り立てはまさにやりたい放題だったと杉山が述懐しています。
では、〝杉山式〟金融債権取り立て法の中身をみていきましょう。
これは、サラ金業者に広く伝わり、現在では当たり前、いや、それ以上のことをする業者もいるかもしれません。
ただし、絶対にマネをしたりしないでください。
もし、あなたがマネをして不利益を被ることがあっても、私は一切責任を持ちません。
杉山の元に金を借りに来る人間は、そもそも他の消費者金融から相手にされなくなった人間でした。
そんな彼らに、杉山は金を貸します。それは、どんな相手からでも取り立てる確信があるからです。
貸金の返済期限が過ぎると、日本百貨通信販売 管理本部に関係書類が上がってきます。
ここには、借主の住所・氏名・家族構成・勤務先などが明記されています。
まずは、女性社員が電話連絡を入れて、返済を求めます。
あくまでもやんわりとした口調で、返済意志の有無を確認します。ここで、相手に返済意志があれば、少しの猶予を与えます。
電話が掛かってきた時点で、杉山がどんな人物か、杉山グループがどんな存在かを相手が知っていれば、借主は慌てて返済をしてきたといいます。
しかし、借金に慣れてのらりくらりと返済を渋る態度を見せたり、行方をくらませたりする客も出てきます。
そのときには、〝杉山式幸福の手紙〟なるものが借主に送られます。
一番はじめに送る、〝催告状〟と大書きされたハガキは、縁も印字もすべて真っ赤なインクで印刷されています。
こんなハガキを受け取ったら、一体、何事が起こったのかと思います。
このハガキの効果は抜群で、多くの借主は不気味さを覚えて返済をしてきたようですが、それでも、居直って返済をしてこない人間もいます。
そんな人間に対して、〝杉山式幸福の手紙〟はどんどんエスカレートしていきます。
何だか文面がとんでもなくとんちんかんでですが、これはわざとだと杉山が語っています。
読む者に不安感を抱かせるのが一番の目的だと。
このあたりについては、感心はしませんが、長年の経験からか、杉山が人間心理を読むのに長けていたと感じます。
行方をくらませた債務者へ仕掛けるワナ
杉山の取り立てに耐えかねて、行方をくらませる債務者もいました。
ところが、杉山はそんな債務者からも、取り立てを成功させています。
行方をくらませたものの、自分の家がどうなっているかが気になり、闇に紛れて、家の様子を探りにくるのが、人間の心理だと杉山は見抜いていました。
そこで、郵便ポストにこんな返信用ハガキを入れておくのです。
送り主は『日本運命学協会 抽出者現金送付係』
裏面には、債務者に希望を与える文面が書かれていました。
「よかったですね。おめでとうございます」
続けて、あなたに1,620円が当たったという報せが書かれていました。
更に、ダブルプレゼントとして、最高賞金100万円が当たるチャンスの申込書も添えられていました。
債務者は、『日本運命学協会』など知りません。
普通なら気味悪がって、破り捨ててしまうところです。
しかし、切羽詰まった債務者は、ワラにもすがる気持ちで、返信用ハガキに、現住所を書き込んで投函してしまうのです。
『日本運命学協会』の所在地は、東京都豊島区東池袋。
これも、杉山が自らの拠点である新宿区内だと、債務者に勘づかれる恐れがあると、まったく関係なさそうな東池袋に所在地をもってきたのでしょう。
やがて、日本運命学協会を名乗る人間から、債務者に電話連絡が行き、家にいることを確認してから、債務者の元へ向かい、当選金1,620円を手渡しで渡します。
「おめでとうございます。本当によかったですね。これもあなたが常日頃真面目に生きてきたからですよ
債務者(当選者)はありがたそうに賞金を受け取ります。
ところが、現金を渡してくれた柔和な顔をした男の後ろに、獰猛な顔つきの男たちがいることを知って愕然となります。
当選金1,620円をキチンと渡した上で、借金を返済するように強く迫ります。
子どもだましのようなやり口ですが、金に困り、切羽詰まった人間が相手なので、この方法は面白いほど決まったようです。
しかし、1,620円を受け取り安堵している債務者が、そのすぐ後ろに杉山グループの取り立て人が控えていたことを知るやいなや、まさに天国から地獄で、発狂してしまった例もあるようです。
杉山グループの本拠地は、なぜ新宿二丁目にあったのか?
さて、杉山治夫とそのグループの拠点は、新宿二丁目にありました。
新宿二丁目といいますと、ゲイバー・ゲイスポットが乱立している場所です。
なぜ、杉山はこの場所に拠点を構えていたかというと、その理由を杉山は、
“「わしの俗悪趣味にぴったりだったから」”
と語っていますが、この言葉を額面通りに受け取るのは早いと思います。
前述したようにゲイバー・ゲイスポットとして知られる新宿二丁目に拠点を構えることで、不気味さを演出する部分もあったとは思います。
しかし同時に、現在のようにLGBTや同性愛に理解がなかった時代。
そんななかで、たくましく生きている彼らに、世間から忌み嫌われていた杉山は、どこかでシンパシーを覚えていたのかも知れないと感じます。
杉山治夫は、極貧の生い立ちがトラウマになって、弱者に対して必要以上に残酷な取り立てをおこないました。
しかし、必死で頑張ろうとする者には、
“「まだ若いんやから、死ぬ気でがんばればなんでもできるやないか」”
と励ましの言葉を掛けたり、就職の世話をして、返済の猶予をする一面もあったようです。
-「死んだ気でやればなんでもできるんや」
杉山の取り立て行為はとても許されるものではありませんが、人間は奥深いものです。
鬼畜としかいいようのない言動をみせる人間にも、こんな一面は隠されていました。
しかし、拠点のビル内には、取り立て用のファイルが棚にギッシリと収められていました。
1万件以上の債務者資料が整頓されてファイルされていたのです。
転居者不明・差し押さえ・当て所知らず・執行不要・内容証明・異議申し立て・訴訟和解・興信所調査中・戸籍謄本申請・会社謄本申請・・・
そして、死亡・自殺・一家心中・殺人・逃亡・夜逃げという物騒な項目も。
杉山は取り立て成功率98%と豪語していました。
残り2%は、自殺・一家心中を選んだ方々です。
杉山がどれほど過酷な取り立てをしていたかがわかるエピソードです。
マスコミは、杉山の取り立ての残酷さを報じて、〝極悪人〟の烙印を押しました。
しかし、皮肉なことに、マスコミが杉山を取り上げれば取り上げるほど、〝極悪人〟のイメージが高まりに、杉山の取り立てがはかどったのも事実であったようです。
杉山がマスコミで話題になったときに、取材に来た著名人を紹介すると、フジテレビの須田哲夫アナウンサー・タレントのミッキー安川・漫画原作者の梶原一騎・弁護士の木村晋介・政治家の渡辺美智雄と多士済々です。
いずれも、当時大きな影響力を持っていた人物です。現代的に言えば〝インフルエンサー〟でもあった彼らが、杉山を取り上げるほど、杉山のビジネスは順調に進み、更なるビジネスに邁進していきました。
日本初の腎臓移植ビジネスを手掛ける
杉山治夫は、更なる商売に着手します。
『未来への希望 じん移植 全国腎臓器移植協力会』という不気味な団体を立ち上げ、腎臓移植ビジネスに手を染めるのです。
これには、表に出てこないニーズがあったからでしょう。
杉山の顧客は、都内の上場企業元社長や大地主、また地方の有力者など、
「金で健康が買えるなら、いくらでも出す」
という人物たちでした。
杉山が狙うのは、借金返済にやってくるものの。もう首が回らなくなった人間たちです。
彼らは、自分から臓器提供を杉山に持ちかけるのです。
杉山は本人に意思確認を取り、健康状態をチェックすると、あらかじめ金を掴ませていた医師の元で腎臓移植がおこなわれたようです。
杉山に密着取材していた作家・本橋信宏氏は、その現場に立ち会ったことを、のちに綴っています。
適合性の問題で、どうしても臓器提供者が見つからない場合は、消費者金融で多額の借金を抱えた人間に恩を売り、豪華な食事や酒、そして女をあてがって、説得します。
また、腎臓だけではなく、睾丸まで抜き取って売りつけることもしていたようです。
マスコミに散々叩かれても、杉山はどこ吹く風。
自らを〝現代に蘇った『ヴェニスの商人』のシャイロック〟と呼び、
“「借金返せにゃ腎臓を売れ」”
-人間の欲望を巧みに金に換えていくのが、自分の錬金術。
-法の裏道は、どこでも抜けられる、それがわしの金銭哲学。
と嘯く始末でした。
そんな杉山が50歳を迎える頃、日本はバブル経済に突入します。
バブル期には地上げに進出
バブル経済が始めると、杉山は土地に着目します。
バブル期といえば、同時に株式投資も思い当たりますが、杉山には、株は性に合わなかったようで、あるとき、持株のすべてを売却した直後に、ブラックマンデーが世界の株式市場を襲ったのを見て、やはり自分には土地のほうが合っていると確信したようです。
時は1987年後半。
東京の地価はすでに値が上がりすぎていると判断した杉山は、まだ、値上がりが波及していなかった地方に目を付けます。
第一に、杉山が目を向けたのは、高知県でした。
生まれ故郷の高知で地上げを開始したのです。
杉山自身、イギリス製高級スーツに身を包み、左腕には黄金のローレックスをはめ、足元はイタリア製高級革靴というスタイルで高知に乗り込みます。
東京では、地上げが横行していましたが、高知では、地上げの波は押し寄せていませんでした。
杉山と杉山グループの独壇場となった高知での地上げは順調に進み、やがては、全国に波及していきます。
地上げした土地は高額で売却、あるいは担保にして更なる地上げ資金としていきました。
普通なら、ここでバブルに踊り狂って、破滅の道へ進むところですが、杉山の嗅覚は恐ろしいものでした。
家庭の主婦までが、株式投資に熱中し、一介のサラリーマンが高額の住宅ローンを組んで投資用マンションを争って購入する姿をみて、バブル経済の先行きに危機感を覚えて、バブルが弾ける前に、地上げからスッパリ手を引いていたのです。
何という悪運の強さ。
何という強運の持ち主。
杉山治夫は、まだまだ悪の快進撃を続けます。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
(その5に続きます。後日更新予定です)
※参考文献・一部引用
杉山治夫『実録 悪の錬金術―世の中金や金や!』
杉山治夫『ドキュメント新 悪の錬金術―世の中・金や金や!』
杉山治夫『ドキュメント 新・悪の錬金術―世の中・金や金や!杉山治夫・自叙伝』
本橋信宏『悪人志願』
本橋信宏『心を開かせる技術』
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