2018年10月

1970年代の話

1974年分~2006年分までの所得税率と住民税率の推移一覧表

はる坊です。
エントリーする記事に併せて、1974年分~2006年分までの所得税率と住民税率の推移を載せていきます。

1974年分~1979年分は所得税+住民税=最高93%時代!

1974年分~1983年分の所得税率は、細かく19分類に分かれていました

課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10%

課税所得60万円超~120万円以下・・・・・・12%

課税所得120万円超~180万円以下・・・・・14%

課税所得180万円超~240万円以下・・・・・16%

課税所得240万円超~300万円以下・・・・・18%

課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21%

課税所得400万円超~500万円以下・・・・・24%

課税所得500万円超~600万円以下・・・・・27%

課税所得600万円超~700万円以下・・・・・30%

課税所得700万円超~800万円以下・・・・・34%

課税所得800万円超~1000万円以下・・・・38%

課税所得1000万円超~1200万円以下・・・42%

課税所得1200万円超~1500万円以下・・・46%

課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50%

課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55%

課税所得3000万円超~4000万円以下・・・60%

課税所得4000万円超~6000万円以下・・・65%

課税所得6000万円超~8000万円以下・・・70%

課税所得8000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・75%

1974年分~1979年分の住民税の税率です。

1973年分から使用されていました。細かく13分類に分かれていました。

課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%

課税所得30万円超~50万円以下・・・・・・・5%

課税所得50万円超~80万円以下・・・・・・・6%

課税所得80万円超~110万円以下・・・・・・7%

課税所得110万円超~150万円以下・・・・・8%

課税所得150万円超~250万円以下・・・・・9%

課税所得250万円超~400万円以下・・・・・11%

課税所得400万円超~600万円以下・・・・・12%

課税所得600万円超~1000万円以下・・・・13%

課税所得1000万円超~2000万円以下・・・14%

課税所得2000万円超~3000万円以下・・・15%

課税所得3000万円超~5000万円以下・・・16%

課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%

1980年分~1986年分の所得税と住民税の最高税率は、驚異の88%でした。

1984年分~1986年分の所得税率について
なんと15分類に分かれていました

課税所得50万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5%

課税所得50万円超~120万円以下・・・・・・12%

課税所得120万円超~200万円以下・・・・・14%

課税所得200万円超~300万円以下・・・・・17%

課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21%

課税所得400万円超~600万円以下・・・・・25%

課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30%

課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35%

課税所得1000万円超~1200万円以下・・・40%

課税所得1200万円超~1500万円以下・・・45%

課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50%

課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55%

課税所得3000万円超~5000万円以下・・・60%

課税所得5000万円超~8000万円以下・・・65%

課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・70%

1980年分~1984年分の住民税の税率です。

さらに細かく14分類に分かれていました。

課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%

課税所得30万円超~45万円以下・・・・・・・5%

課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・6%

課税所得70万円超~100万円以下・・・・・・7%

課税所得100万円超~130万円以下・・・・・8%

課税所得130万円超~150万円以下・・・・・9%

課税所得150万円超~230万円以下・・・・・11%

課税所得230万円超~370万円以下・・・・・12%

課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%

課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%

課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%

課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%

課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%

課税所得4900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%

1985年分~1987年分の住民税の税率です。

同じく14分類に分かれていました

課税所得20万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4.5%

課税所得20万円超~45万円以下・・・・・・・・5%

課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・・6%

課税所得70万円超~95万円以下・・・・・・・・7%

課税所得95万円超~120万円以下・・・・・・・8%

課税所得120万円超~150万円以下・・・・・・9%

課税所得150万円超~220万円以下・・・・・11%

課税所得220万円超~370万円以下・・・・・12%

課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%

課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%

課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%

課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%

課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%

課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%

1987年分の所得税率について

まだ、12分類に分かれていました。

課税所得150万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5%

課税所得150万円超~200万円以下・・・・・12%

課税所得200万円超~300万円以下・・・・・16%

課税所得300万円超~500万円以下・・・・・20%

課税所得500万円超~600万円以下・・・・・25%

課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30%

課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35%

課税所得600万円超~1000万円以下・・・・40%

課税所得1000万円超~2000万円以下・・・45%

課税所得600万円超~1000万円以下・・・・50%

課税所得1000万円超~2000万円以下・・・55%

課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60%

1988年分の所得税率について

やっと6分類まで減りました。

課税所得300万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・10%

課税所得300万円超~600万円以下・・・・・20%

課税所得600万円超~1000万円以下・・・・30%

課税所得1000万円超~2000万円以下・・・40%

課税所得2000万円超~5000万円以下・・・50%

課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60%

1988年分の住民税の税率です。

所得税と同じく7分類に簡略化されました

課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5%

課税所得60万円超~130万円以下・・・・・・・7%

課税所得130万円超~260万円以下・・・・・10%

課税所得260万円超~460万円以下・・・・・12%

課税所得460万円超~950万円以下・・・・・14%

課税所得950万円超~1900万円以・・・・・・15%

課税所得1900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・16%

1988年分の所得税と住民税の最高税率は、住民税の最高税率が2%下がったため76%でした。

1989年分~1994年分の所得税率について

課税所得300万円以下・・・10%

課税所得300万円超~600万円以下・・・20%

課税所得600万円超~1000万円以下・・・30%

課税所得1000万円超~2000万円・・・40%

課税所得2000万円超・・・50%

1989年分~1990年分の住民税の税率です。

課税所得120万円以下・・・5%

課税所得120万円超~500万円以下・・・10%

課税所得500万円超・・・15%

所得税と住民税の最高税率は65%でした。

1991年分~1994年分・1995年分~1998年分では住民税の税率は多少下がります。

○1991年分~1994年分

課税所得160万円以下・・・5%

課税所得160万円超~550万円以下・・・10%

課税所得550万円超・・・15%

○1995年分~1998年分

課税所得200万円以下・・・5%

課税所得200万円超~700万円以下・・・10%

課税所得700万円超~・・・15%

現在より個人所得への所得税がキツかったのがおわかりいただけると思います。

1999年分以降は、所得税率が過去最低にダウン

1998年(平成10年)分までは、最高税率が所得税50%+住民税15%でしたが、

所得税率は最高で37%までダウンしました。
住民税率も最高で13%でした。

1999年分~2006年分まで使用された所得税率表は下記のとおりです。

年収330万円以下・・・・・・・・・・・10%

年収330万円を超える部分・・・20%

年収900万円を超える部分・・・30%

年収1800万円を超える部分・・37%

1999年分~2006年分の住民税の税率です。

課税所得200万円以下・・・5%

課税所得200万円超~700万円以下・・・10%

課税所得700万円超・・・13%

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

はる坊の雑記

何だか色々早すぎた企業・昌和製作所と日本計算器(ビジコン)

早すぎた企業というものが存在する

はる坊です。

今回は、知る人ぞ知る、時代を、あるいは先を走りすぎた企業をご紹介します。

昌和製作所と日本計算器(ビジコン)

あとになってみれば、「あれを言うのは早すぎた」とか「あれをするには早すぎた」ということがあります。

すべてはあとの祭りなのですが、企業のなかでもそのような会社が存在します。

昌和製作所と日本計算器(ビジコン)もそのなかのひとつです。

この2社は小島和三郎・小島義雄親子を中心に運営されていきましたが、昌和製作所では1950年代後半に昌和ライトクルーザー・昌和クルーザーという名オートバイを開発販売して大ヒットさせたかと思うと、1960年に軽乗用車『昌和ミニカ』を開発。
東京モーターショーに出展。

しかし、技術開発に傾きすぎたため資金ショートを起こしてヤマハに買収されるという運命を辿っています。

また、日本計算器も並行して営んでいた企業ですが、機械式計算機(手回し計算器)の国内シェアを40%獲得するまでになり、タイガー計算器と双璧を成し、米インテル社との共同開発で世界初のマイクロプロセッサ「Intel4004」を開発するも、他製品を含めて販売を対米輸出に大きく頼っていたため、1973年の石油ショック時に起こった円安によって大幅な為替差損が発生する形になり、製品を増産するほど赤字が増すという状況に陥り、1974年に和議を申請して、第一線から姿を消します。

あとから振り返ると、やり方によっては大企業に発展したかもしれないと思う一方、このときはこの判断しかなかったのだなと思うこともあり、30年、50年、100年と長きにわたり続いている企業は本当にすごいとあらためて感じる次第です。

昌和製作所と日本計算器(ビジコン)の成立から倒産(和議)までをまとめてみました

結局のところ昌和製作所と日本計算器のすごさを知っていただくには、時系列が一番良いと考え、整理しました。
どうぞ、ご覧下さい。

1918年
4月22日 『堀井謄写堂』(ガリ版を発明した会社)に勤務していた小島和三郎(?~1954)が、『堀井謄写堂』の2代目堀井耕造(1875~1962)の妻の妹を娶ったことにより独立。中国・満州国奉天にて、昌和洋行(昌和商店とは別法人)を設立し、『堀井謄写堂』の謄写版事業を皮切りに、手動タイプライター・自動タイプライター・手回し計算器の販売をおこなう。

1939年
(株)目黒製作所が製造したメグロ号が好評。警視庁の白バイにも選ばれる。
当時、大阪にいた小島和三郎より、「中国大陸にバイクを輸出して売り込みたいが、御社で造れないだろうか?」と依頼があり、目黒製作所が二気筒100 CCの二輪車を製造することが決定。

3月、静岡県沼津市に昌和洋行と目黒製作所の合弁会社として昌和製作所が設立される。
(登記上は、1944年11月16日が昌和製作所の設立日になっている)
社長には小島和三郎が就任。他役員には、目黒製作所の社長 村田延治・同社専務 鈴木高治が就任。
沼津工場長には鈴木の甥が就く。沼津工場では自動二輪車の製造が始まったが、まもなく横須賀海軍工廠の指定工場とされ、航空機の製造に変更となる。

1940年
平田勝治郎が計算器に関する特許を取得。翌年にも4件を取得。

1941年
小島和三郎が平田勝治郎の特許を買い取るとともに、計算器開発の資金を援助。

1942年
小島和三郎が出資をおこない、平田勝治郎・吉田喜一(平田の実兄)・錦織米一が中心となり、大阪市西淀川区にて富士星計算器製作所 (株)を設立。

1943年
富士星計算器製作所が機械式手動計算器の開発に成功する。

1944年
戦況の悪化により、富士星計算器が峰山(現・京丹後市)へ疎開移転。
同年に、疎開先である峰山の鉄工所が戦時企業合同して、(有)峰山鉄工所が設立される。

1945年
4月に富士星計算器製作所と峰山鉄工所が合併。社名は富士精工(株)と変更され社長には小島和三郎が就任。計算器事業と鉄鋼事業の二本柱で事業を行う。

1946年
静岡県沼津市は、海軍工廠の指定工場があったものの空襲被害が少なかった。物資不足ではあったが、早期に工業製品製造に着手できる環境が整った。
5月 昌和製作所の沼津工場にてエンジン単体の開発販売を再開。

1948年
経営難により富士精工(株)は富士精工・日進製作所・峰山鉄工の三社に分離。
この折に、創業メンバーのうち、吉田喜一が富士精工に残留し、錦織米一が日進製作所社長・平田勝治郎が峰山鉄工社長となり独立。
沼津市の昌和製作所がオートバイ昌和号を製造販売するに至る。

1949年
富士星計算器(株)から日本計算器(株)に商号変更。

1950年
小島和三郎の息子・小島義雄(1924年~2013年)が京都大学を卒業。日本計算器株式会社に入社。日本計算器の沼津出張所は昌和製作所と同じ場所にあった。

1953年
この当時、昌和製作所の事業所は以下の通り。
本社:静岡県沼津市松長178
東京:東京都千代田区神田多町1―9
(現在の東京都千代田区内神田町23番付近)
大阪:大阪府大阪市西区江戸堀北通3-20
(現在の大阪市西区土佐堀2丁目3番付近)

1954年
昌和クルーザー250 CCを発売。大ヒットとなる。
昌和製作所・日本計算器の創業者・小島和三郎逝去。
昌和製作所の社長に小島義雄が就任。
日本計算器の社長には、黄地金右衛門(滋賀県出身)が就任。
他役員には、黄地幸造・高田文雄が就任。

1955年
日本計算器の大阪進出を決定。

1956年
日本計算器の大阪進出決定により、大阪府茨木市三島町に土地を取得。

1957年
小島一族が経営する(株)昌和商店から計算器の販売部門を独立させ、日本計算器販売(株)を設立する。こちらの沼津事業所も昌和製作所と同じ敷地内にあった。
昌和ライトクルーザー 125 CC発売
昌和クルーザーSC57型 250 CC発売。

1959年
昌和製作所が、バイクメーカー・日本高速機関(株)(ブランド名はホスク〔HOSK〕を買収。同社の技術を利用して軽乗用車『昌和ミニカ』を開発。東京モーターショーに出展。
この日本高速機関のスタッフは、のちにトヨタ 2000GTの開発に携わる。

1960年
昌和製作所は若い従業員が多く、技術開発を最重要視していたが、販売面が振るわず、開発費用が重くのしかかり資金繰りが悪化。負債を肩代わりする形で、1955年よりバイクの製造販売を手掛けていたヤマハ発動機の傘下に入る。小島義雄は社長を退任。小島一族が経営から退く。

昌和製作所は法人として継続となり、同社沼津工場はヤマハ発動機 沼津工場として引き継がれる。その後、昌和製作所はヤマハ製の発電機やゴルフカートを製造する。

1961年
日本計算器販売(株)の社長に小島義雄が就任。
茨木市の土地(1.3ヘクタール)に「茨木寮」が完成。同時に研究所を併設。

1964年
日本計算器(株)の社長に小島義雄が就任。
本社(大阪)・峰山工場(旧製造部)・茨木研究所(旧・技術部)・大阪事務所・東京事務所に組織変更。
日本計算器の国内シェアが40%に達し、タイガー計算器と双璧となる。

1965年
茨木工場が完成。同社初となる卓上式電子計算機「UNICOM160」を製造。
茨木研究所を「茨木工場」と「研究部」に改組。名称を、日本計算器(株)茨木製作所に変更。

1966年
茨木製作所にて開発・生産をおこなった「ビジコン161」を発売。大ヒット製品となる。
この年、茨木工場において12日間の部分ストライキが断行されている。

1967年
4月 のちに世界初のマイクロプロセッサ「Intel4004」を開発する嶋正利が東北大学理学部を卒業して入社。
(71年に米インテル社との共同開発で4004を開発後、インテル社に入社)
「ビジコン161」増産により、茨木製作所に第2茨木工場が増築される。

1968年
NCR社(米国)と契約が成立。同社のブランドにより「ビジコン」シリーズが発売される。
米国現地法人ビジコンUSA設立(同社の出資比率は日本計算器販売(株)70%・日商岩井(株)30%)
フロイド・ランソン・ヒジョス社(メキシコ)と現地法人を設立。
日本計算器(株)・日本計算器販売(株)・三菱電機(株)の共同出資により電子技研工業(株)を設立。

1969年
この年、日本計算器の機械式計算器の生産台数が頂点を迎える。
1968年~69年には、大きな役員変更があった。1968年に黄地幸造が逝去。69年には高田文雄取締役が辞任。
堀場雅夫(堀場製作所創業者・当時社長)・市原孝一(1947年早稲田大理工学部卒。のちにビジコン常務)が取締役に就任。

1970年
日本計算器販売(株)をビジコン(株)に商号変更。

1971年
日本計算器(株)が世界最小電卓「ビジコンハンディ 120A」を発売。同製品には米モステック社と共同開発した1チップLSIを搭載。茨木製作所で開発・生産がおこなわれる。
ビジコン(株)がプリンター機能を搭載した「ビジコン141-PF」を発表。同製品には、
米インテル社と共同開発した世界初のマイクロプロセッサ「4004」が搭載されていた。

1972年
カシオ計算機(株)が破格の小型電卓を発表し、電卓業界は泥沼のダンピング競争に突入。

1973年
第4次中東戦争による第1次オイルショックが起きる。

1974年
2月28日 ビジコン(株)(本社:東京都 資本金1億5000万円 社長:小島義雄)、日本計算器(株)(本社:大阪府茨木市三島2-18 資本金:4940万円 社長:小島義雄)が大阪地裁に会社更生法を申請し倒産。
※倒産時、ビジコン(株)は、従業員100名 売上高70億円。日本計算器(株)は従業員300名 売上高32億円。
その後、ビジコン(株)は、本社を東京都台東区浅草橋に移して、コンピュータ関連部品の製造販売を手掛ける。

1988年
昌和製作所を存続会社として、(株)榛葉シボリ製作所と合併。新社名は創輝(株)となる。

1991年
NHKが制作したドキュメンタリー『電子立国 日本の自叙伝 第5回 8ミリ角のコンピュータ』にビジコン社長の小島義雄がコメント出演。

2006年
創輝(株)がヤマハモーターパワープロダクツ(株)に社名を変更。現在に至るまで、ヤマハブランドの発電機、ゴルフカー、汎用エンジン等の生産を続けている。

2013年
11月10日 ビジコン社長 小島義雄逝去(享年89)

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

ビジカジサブスク

長者番付

印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1996年分~2004年分)

はる坊です。

個人情報保護の為、2005年(平成17年)以降は、発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年(平成16)分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1996年(平成8年)から2004年(平成16年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。
毎年のベスト20までを列挙しています。
ソースは、当時の新聞報道・各年の『全国高額納税者名簿』(東京商工リサーチ刊)によるものです。

1996年分~1998年分の所得税率について

課税所得330万円以下・・・10%

課税所得330万円超~900万円以下・・・20%

課税所得900万円超~1800万円以下・・・30%

課税所得1800万円超~3000万円・・・40%

課税所得3000万円超・・・50%

参考までに、1996年分~1998年分の住民税の税率です。

課税所得200万円以下・・・5%

課税所得200万円超~700万円以下・・・10%

課税所得700万円超・・・15%

それでは、長者番付・作家部門(1996年分~2004年分)です

1996年(平成8年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  内田康夫 1億4657万円

2位  西村京太郎 1億3351万円

3位  森村誠一 8222万円

4位  神坂一 8010万円

5位  津本陽 7450万円

6位  渡辺淳一 7327万円

7位  田中芳樹 6568万円

8位  椎名誠 6199万円

9位  石原慎太郎 6096万円

10位  斎藤栄 5933万円

11位  宮部みゆき 5291万円

12位  菊地秀行 5017万円

13位  五木寛之 4960万円

14位  群ようこ 4112万円

15位  童門冬二 3976万円

16位  宮本輝 3973万円

17位  荒巻義雄 3860万円

18位  赤川次郎 3805万円

19位  平岩弓枝 3795万円

20位  宮城谷昌光 3696万円

※赤川次郎首位陥落の理由
13年連続で長者番付・作家部門の1位を守り続けた赤川次郎氏が一気に18位まで順位を下げたのは、バブル期に購入した自宅兼仕事場の売却損で、作家活動による印税・原稿料・著作権収入と売却損が相殺された為。
収入は例年と同様の額があったとのこと。

※司馬遼太郎の遺産評価額
1997年2月、1996年2月に逝去した司馬遼太郎氏の遺産評価額が管内税務署にて公示されました。
遺産額は約26億4000万円。
約20億1000万円が銀行等金融機関への預貯金。
約3億9000万円が著作権。
約2億4000万円が自宅の土地建物でした。

1997年(平成9年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 2億7760万円

2位  渡辺淳一 2億2675万円

3位  西村京太郎 2億1257万円

4位  内田康夫 2億0827万円

5位  村上春樹 9244万円

6位  浅田次郎 9187万円

7位  森村誠一 8611万円

8位  林真理子 6980万円

9位  宮部みゆき 6942万円

10位  津本陽 6752万円

11位  神坂一 6336万円

12位  菊地秀行 5817万円

13位  群ようこ 5298万円

14位  斎藤栄 5147万円

15位  星野富弘 5103万円

16位  田中芳樹 4981万円

17位  平岩弓枝 4632万円

18位  髙村薫 4439万円

19位  椎名誠 4293万円

20位  大沢在昌 4247万円

落合信彦 3311万円

1998年(平成10年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 2億5196万円

2位  赤川次郎 1億9087万円

3位  鈴木光司 1億4207万円

4位  宮部みゆき 1億1679万円

5位  内田康夫 1億0594万円

6位  浅田次郎 1億0474万円

7位  五木寛之 7780万円

8位  森村誠一 7128万円

9位  宮城谷昌光 6738万円

10位  神坂一 5612万円

11位  菊地秀行 5495万円

12位  群ようこ 5357万円

13位  渡辺淳一 4998万円

14位  星野富弘 4962万円

15位  椎名誠 4927万円

16位  落合信彦 4687万円

17位  馳星周 4412万円

18位  斎藤栄 4399万円

19位  田中芳樹 4385万円

20位  筒井康隆 4220万円

北方謙三 3905万円

河合隼雄 3563万円

林真理子 3211万円

平岩弓枝 1974万円

1999年分以降は、所得税率が過去最低にダウン

1998年(平成10年)分までは、最高税率が所得税50%+住民税15%でしたが、
所得税率は最高で37%までダウンしました。

そのせいか、下記に挙げる作家の納税額も前年までに比べて減少していますが、2000年に入ると出版不況が深刻化して、作家の収入自体が減少していく様子が分かります。

1990年代初頭では、年収1億円あったとしてもランキングのベスト20に入れるかどうかでしたが、2000年分以降では、ベストテンに入れる年収になっています。

それほど、本が売れずに印税収入が細ってきている模様もうかがえます。

2006年分まで使用された所得税率表は下記のとおりです。
課税所得330万円以下・・・・・・・・・・・10%
課税所得330万円超~900万円・・・・20%
課税所得900万円超~1800万円・・・30%
課税所得1800万円超・・・・・・・・・・・・・37%

参考までに、2006年分まで使用された住民税税率表は下記のとおりです。
課税所得200万円以下・・・5%
課税所得200万円超~700万円以下・・・10%
課税所得700万円超・・・13%

1998年分までに比べると最高税率が大幅に下がりました。

1998年分まで、所得税50%+住民税15%=最高税率65%
1999年分から、所得税37%+住民税10%=最高税率47%

1999年(平成11年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 1億6519万円

2位  内田康夫 1億3929万円

3位  宮部みゆき 1億1492万円

4位  鈴木光司  7656万円

5位  浅田次郎  7315万円

6位  五木寛之  6320万円

7位  森村誠一  6199万円

8位  桐生操(堤幸子) 5640万円

9位  桐生操(上田加代子) 5610万円

10位  星野富弘 5246万円

11位  村上春樹 4664万円

12位  津本陽 4329万円

13位  赤瀬川源平 4015万円

14位  山崎豊子 3940万円

15位  東野圭吾 3803万円

16位  菊地秀行 3777万円

17位  天童荒太 3718万円

18位  桐野夏生 3355万円

19位  京極夏彦 3300万円

20位  神坂一 3282万円

21位以下で公示された作家

林真理子 2719万円

平岩弓枝 2174万円

馳星周 1412万円

2000年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 1億5603万円

2位  赤川次郎 1億1108万円

3位  宮部みゆき 7873万円

4位  山崎豊子 7559万円

5位  内田康夫 7265万円

6位  浅田次郎 6758万円

7位  五木寛之 6468万円

8位  天童荒太 6465万円

9位  真保裕一 4153万円

10位  北方謙三 3956万円

11位  菊地秀行 3886万円

12位  夢枕獏 3591万円

13位  江國香織 3412万円

14位  阿川佐和子 3227万円

15位  落合信彦 3188万円

16位  津本陽 3176万円

17位  星野富弘 3108万円

18位  森村誠一 2887万円

19位  東野圭吾 2878万円

20位  林真理子 2746万円

21位以下で公示された作家

山口洋子 2624万円

森博嗣 2392万円

大沢在昌 2223万円

渡辺淳一 1932万円

柳美里 1891万円

宮尾登美子 1724万円

曽野綾子 1714万円

花村萬月 1332万円

平岩弓枝 1116万円

2001年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 1億5946万円

2位  宮部みゆき 1億4566万円

3位  赤川次郎  8648万円

4位  内田康夫  7743万円

5位  浅田次郎  6633万円

6位  夢枕獏   5960万円

7位  江國香織   4331万円

8位  

長者番付

印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1989年分~1995年分)

はる坊です。

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1989年(平成元年)から1995年(平成7年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。
毎年のベスト20までを列挙しています。

この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。

1989年(平成元年)分所得税納税額

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1989年(平成元年)から1995年(平成7年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。
毎年のベスト20までを列挙しています。

この時代、新刊の小説本が売れた最後の時期にあたっており、作家には印税収入を主として、まだ大きな収入がありました。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。

長者番付・作家部門(1989年分~1995年分)です

1989年(平成元年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 4億6173万円

2位  西村京太郎 2億6262万円

3位  吉本ばなな 2億3699万円

4位  村上春樹 1億5111万円

5位  司馬遼太郎 1億4012万円

6位  池波正太郎 1億0920万円

7位  西村寿行 9508万円

8位  菊地秀行 8208万円

9位  渡辺淳一 7829万円

10位  藤島泰輔 7197万円

11位  藤川桂介 7190万円

12位  笹沢左保 6656万円

13位  遠藤周作 6637万円

14位  山村美紗 6485万円

15位  斎藤栄 6011万円

16位  内田康夫 5759万円

17位  森村誠一 5718万円

18位  椎名誠 5671万円

19位  胡桃沢耕史 5526万円

20位  田中芳樹 5103万円

※10位にランクインしている藤島泰輔は、作家・評論家として活動。学習院時代の学友だった明仁天皇(上皇明仁)をモデルにした『孤獨の人』で衝撃的なデビューを果たす。
〝在日フランス人〟ポール・ポネ名義での著作もある。
また、ジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川の妹、藤島メリー泰子とのあいだに藤島ジュリー景子を儲けている。
馬主としても有名でランニングフリーなど名馬を所有していた。
収入には、本業の作家活動の他、ジャニーズ事務所からの役員報酬。馬主としての収入が大きかったといわれている。

1990年(平成2年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億7980万円

2位  西村京太郎 2億4497万円

3位  司馬遼太郎 1億1140万円

4位  松本清張 8736万円

5位  菊地秀行 8622万円

6位  西村寿行 8185万円

7位  田中芳樹 7944万円

8位  内田康夫 7927万円

9位  渡辺淳一 7572万円

10位  斎藤栄 7266万円

11位  門田泰明 6705万円

12位  笹沢左保 6618万円

13位  山村美紗 6578万円

14位  遠藤周作 6239万円

15位  椎名誠 6127万円

16位  落合信彦 5929万円

17位  森村誠一 5801万円

18位  藤島泰輔 5760万円

19位  村上春樹 5890万円

20位  田辺聖子 5404万円

※20位圏外で登場した作家

北方謙三 3716万円

森瑤子  3095万円

大藪春彦 2890万円

柳田邦男 2081万円 

草柳大蔵 1709万円

1991年(平成3年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億5512万円

2位  西村京太郎 2億5489万円

3位  内田康夫 1億7140万円

4位  司馬遼太郎 9101万円

5位  椎名誠 8577万円

6位  山村美紗 8404万円

7位  菊地秀行 8325万円

8位  遠藤周作 8171万円

9位  落合信彦 7378万円

10位  笹沢左保 7290万円

11位  渡辺淳一 6643万円

12位  田中芳樹 6508万円

13位  森村誠一 6414万円

14位  斎藤栄 6003万円

15位  山崎豊子 5315万円

16位  橋本治 5294万円

17位  門田泰明 5062万円

18位  陳舜臣 4933万円

19位  豊田行二 4794万円

20位  松本清張 4393万円

※20位圏外で登場した作家

西村寿行 3873万円

森瑤子  3737万円

大藪春彦 3692万円

北方謙三 3584万円

夢枕獏  2875万円

草柳大蔵 2078万円

柳田邦男 1602万円

1992年(平成4年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億5093万円

2位  西村京太郎 2億3698万円

3位  内田康夫 1億8649万円

4位  司馬遼太郎 1億1944万円

5位  菊地秀行 7890万円

6位  田中芳樹 7650万円

7位  渡辺淳一 7318万円

8位  山村美紗 7261万円

9位  豊田行二 7187万円

10位  辺見じゅん 7155万円

11位  森村誠一 6530万円

12位  斎藤栄 5902万円

13位  椎名誠 5728万円

14位 荒巻義雄 5486万円

15位  落合信彦 5244万円

16位  津本陽 5233万円

17位  門田泰明 4846万円

18位  笹沢左保 4822万円

19位  平岩弓枝 4720万円

20位  宮本輝 4673万円

※20位圏外では、

西村寿行が納税額4098万円

夢枕獏が納税額2000万円

佐木隆三が納税額1127万円で登場している。

『生涯収入9億6400万円 !『身分帳』が原作となる映画『すばらしき世界』が2月11日に西川美和監督・役所広司主演で公開。代表作『復讐するは我にあり』の直木賞作家・佐木隆三が公表した30年間の収支一覧表』はこちらから。(新しいタブが開きます)

1993年(平成5年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億2209万円

2位  西村京太郎 2億2168万円

3位  内田康夫 1億7412万円

4位  司馬遼太郎 9969万円

5位  山村美紗 8624万円

6位  津本陽 7765万円

7位  森村誠一 7689万円

8位  荒巻義雄 7680万円

9位  菊地秀行 6970万円

10位  斎藤栄 6650万円

11位  宮尾登美子 6384万円

12位  藤沢周平 6351万円

13位  椎名誠 6050万円

14位  童門冬二 5686万円

15位  渡辺淳一 5365万円

16位  志茂田景樹 5272万円

17位  豊田行二 5224万円

18位  遠藤周作 5029万円

19位  平岩弓枝 4979万円

20位  門田泰明 4777万円

1994年(平成6年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億2209万円

2位  西村京太郎 2億2500万円

3位  内田康夫 1億7700万円

4位  司馬遼太郎 1億0287万円

5位  森村誠一 8864万円

6位  斎藤栄 7957万円

7位  菊地秀行 7586万円

8位  荒巻義雄 6786万円

9位  椎名誠 6694万円

10位  津本陽 6449万円

11位  山村美紗 5991万円

12位  藤沢周平 5986万円

13位 

長者番付

印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1984年分~1988年分)

はる坊です。

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1984年(昭和59年)から1988年(昭和63)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。各年のベスト20までを列挙しています。

この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。

記事の一番下に、当時の所得税率・住民税率を記載しておりますので、ご興味のある方はご覧ください。

それでは長者番付・作家部門(1984年分~1988年分)です

1984年(昭和59年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 6億3836万円

2位  西村京太郎 1億8276万円

3位  司馬遼太郎 1億7432万円

4位  松本清張 1億7240万円

5位  西村寿行 1億5615万円

6位  渡辺淳一 1億0481万円

7位  笹沢左保 9941万円

8位  森村誠一 8300万円

9位  平岩弓枝 8157万円

10位  片岡義男 8064万円

11位  池波正太郎 7429万円

12位  栗本薫中島梓)7357万円

13位  田辺聖子 7104万円

14位  筒井康隆 6714万円

15位  斎藤栄 6251万円

16位  夏樹静子 5884万円

17位  遠藤周作 4774万円

18位  柳田邦男 4521万円

19位  大藪春彦 4316万円

20位  和久俊三 4251万円

1985年(昭和60年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 7億5709万円

2位  西村京太郎 2億4789万円

3位  池波正太郎 1億9872万円

4位  松本清張 1億4105万円

5位  西村寿行 1億3745万円

6位  司馬遼太郎 1億2567万円

7位  栗本薫中島梓) 9717万円

8位  渡辺淳一 9333万円

9位  森村誠一 8665万円

10位  笹沢左保 8061万円

11位  平岩弓枝 6712万円

12位  斎藤栄 6459万円

13位  田辺聖子 6059万円

14位  夢枕獏 5971万円

15位  遠藤周作 5560万円

16位  大藪春彦 5131万円

17位  和久俊三 5073万円

18位  高城肇 5007万円

19位  平井和正 4355万円

20位  胡桃沢耕史 4300万円

21位以下

菊地秀行 3981万円

1986年(昭和61年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 8億6100万円

2位  西村京太郎 2億9662万円

3位  司馬遼太郎 1億4368万円

4位  渡辺淳一 1億4036万円

5位  西村寿行 1億1809万円

6位  松本清張 1億0914万円

7位  遠藤周作 1億0621万円

8位  菊地秀行 1億0458万円

⇒菊地秀行の生誕から爆発的な人気を得る1980年代後半に至る軌跡をまとめた記事はこちらです。魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第1回~第4回』(新しいタブが開きます)

9位  栗本薫中島梓)1億0430万円

10位  池波正太郎 9919万円

11位  畑正憲 8904万円

12位  田辺聖子 7290万円

13位  笹沢左保 6774万円

14位  夢枕獏 6769万円

15位  胡桃沢耕史 6664万円

16位  斎藤栄 6452万円

17位  平岩弓枝 6064万円

18位  井上ひさし 6006万円

19位  山村美紗 5781万円

20位  森村誠一 5370万円

1987年(昭和62年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 6億4860万円

2位  西村京太郎 2億8468万円

3位  司馬遼太郎 1億4980万円

4位  西村寿行 1億3190万円

5位  池波正太郎 1億0257万円

6位  菊地秀行 9533万円

7位  田辺聖子 9531万円

8位  渡辺淳一 9331万円

9位  松本清張 8866万円

10位  栗本薫中島梓) 8437万円

11位  山村美紗 7536万円

12位  遠藤周作 7080万円

13位  胡桃沢耕史 6404万円

14位  椎名誠 6390万円

15位  安部譲二 6255万円

16位  笹沢左保 6157万円

17位  斎藤栄 6111万円

18位  森村誠一 6060万円

19位  新井素子 5576万円

20位  平岩弓枝 5482万円

1988年(昭和63年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 5億8233万円

2位  西村京太郎 2億8833万円

3位  村上春樹 2億5369万円

4位  池波正太郎 1億3898万円

5位  西村寿行 1億0072万円

6位  司馬遼太郎 9920万円

7位  菊地秀行 8673万円

8位  松本清張 7903万円

9位  山村美紗 7376万円

10位  斎藤栄 7018万円

11位  平岩弓枝 6957万円

12位  遠藤周作 6931万円

13位  田辺聖子 6711万円

14位  笹沢左保 6237万円

15位  藤川桂介 6235万円

16位  渡辺淳一 6079万円

17位  藤島泰輔 5918万円

18位  椎名誠 5913万円

19位  門田泰明 5871万円

20位  森村誠一 5598万円

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

何かございましたら、こちらまでお願いいたします。

はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます)

1989年から1995年分はこちらです。

1996年から2004年分はこちらです

1984年分~1986年分の所得税率について

なんと15分類に分かれていました

課税所得50万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5%

課税所得50万円超~120万円以下・・・・・・12%

課税所得120万円超~200万円以下・・・・・14%

課税所得200万円超~300万円以下・・・・・17%

課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21%

課税所得400万円超~600万円以下・・・・・25%

課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30%

課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35%

課税所得1000万円超~1200万円以下・・・40%

課税所得1200万円超~1500万円以下・・・45%

課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50%

課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55%

課税所得3000万円超~5000万円以下・・・60%

課税所得5000万円超~8000万円以下・・・65%

課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・70%

1987年分の所得税率について

まだ、12分類に分かれていました。

課税所得150万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5%

課税所得150万円超~200万円以下・・・・・12%

課税所得200万円超~300万円以下・・・・・16%

課税所得300万円超~500万円以下・・・・・20%

課税所得500万円超~600万円以下・・・・・25%

課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30%

課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35%

課税所得600万円超~1000万円以下・・・・40%

課税所得1000万円超~2000万円以下・・・45%

課税所得600万円超~1000万円以下・・・・50%

課税所得1000万円超~2000万円以下・・・55%

課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60%

1988年分の所得税率について

やっと6分類まで減りました。

課税所得300万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・10%

課税所得300万円超~600万円以下・・・・・20%

課税所得600万円超~1000万円以下・・・・30%

課税所得1000万円超~2000万円以下・・・40%

課税所得2000万円超~5000万円以下・・・50%

課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60%

参考までに、1984年分の住民税の税率です。

1980年分から使用されていました。
こちらもなんと、14分類に分かれていました。

課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・4%

課税所得30万円超~45万円以下・・・・・・・5%

課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・6%

課税所得70万円超~100万円以下・・・・・・7%

課税所得100万円超~130万円以下・・・・・8%

課税所得130万円超~150万円以下・・・・・9%

課税所得150万円超~230万円以下・・・・・11%

課税所得230万円超~370万円以下・・・・・12%

課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%

課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%

課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%

課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%

課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%

課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・18%

よって、1984年分の所得税と住民税の最高税率は驚異の88%でした。

1985年分~1987年分の住民税の税率です。

同じく14分類に分かれていました

課税所得20万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4.5%

課税所得20万円超~45万円以下・・・・・・・・5%

課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・・6%

課税所得70万円超~95万円以下・・・・・・・・7%

課税所得95万円超~120万円以下・・・・・・・8%

課税所得120万円超~150万円以下・・・・・・9%

課税所得150万円超~220万円以下・・・・・11%

課税所得220万円超~370万円以下・・・・・12%

課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%

課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%

課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%

課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%

課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%

課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%

1987年分の所得税と住民税の最高税率は、所得税の最高税率が10%下がったため78%でした。

1988年分の住民税の税率です。

所得税と同じく7分類に簡略化されました

課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5%

課税所得60万円超~130万円以下・・・・・・・7%

課税所得130万円超~260万円以下・・・・・10%

課税所得260万円超~460万円以下・・・・・12%

課税所得460万円超~950万円以下・・・・・14%

課税所得950万円超~1900万円以・・・・・・15%

課税所得1900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・16%

1988年分の所得税と住民税の最高税率は、住民税の最高税率が2%下がったため76%でした。

本当の最後まで読んでくださって、心より御礼申し上げます。



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1970年代の話

印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1974年分~1983年分)

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1974年(昭和49年)から1983年(昭和58)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。

ちなみに、1982年分(昭和57年)までは納税額ではなく申告所得額が発表されていました。

1981年分(昭和56年)までは、ベスト10。1982年分(昭和57年)以降はベスト20までを列挙しています。

1983年度(昭和58年)からは、発表されるのが申告所得額から所得税納税額に変更されています。
この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。

ソースは、当時の新聞報道によるものです。

申告所得額とは?
簡単に説明をしますと、実収入ー経費=申告所得になります。
小説家の経費は実収入の30%が認められていたようです。
例)実収入・・・1億円
経費・・・3000万円
申告所得・・・7000万円

この申告所得に下の所得税率が掛かるのです。

当時の所得税率は恐ろしいものでした!

1974年分~1983年分の所得税率は、過去・現在に至るまで日本の所得税率の推移を見た上で、最も税率が厳しかった時代です。下の税率表をご覧になっていただくと、国税ではなく“酷税”と呼ばれていたことがご理解いただけるかと思います。

1974年分~1979年分は所得税+住民税=最高93%時代!

1974年分~1983年分の所得税率について

なんと19分類に分かれていました。

課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10%
課税所得60万円超~120万円以下・・・・・・12%
課税所得120万円超~180万円以下・・・・・14%
課税所得180万円超~240万円以下・・・・・16%
課税所得240万円超~300万円以下・・・・・18%
課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21%
課税所得400万円超~500万円以下・・・・・24%
課税所得500万円超~600万円以下・・・・・27%
課税所得600万円超~700万円以下・・・・・30%
課税所得700万円超~800万円以下・・・・・34%
課税所得800万円超~1000万円以下・・・・38%
課税所得1000万円超~1200万円以下・・・42%
課税所得1200万円超~1500万円以下・・・46%
課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50%
課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55%
課税所得3000万円超~4000万円以下・・・60%
課税所得4000万円超~6000万円以下・・・65%
課税所得6000万円超~8000万円以下・・・70%
課税所得8000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・75%

参考までに、1974年分~1979年分の住民税の税率です。

1973年分から使用されていましたが、細かく13分類に分かれていました。

課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%
課税所得30万円超~50万円以下・・・・・・・5%
課税所得50万円超~80万円以下・・・・・・・6%
課税所得80万円超~110万円以下・・・・・・7%
課税所得110万円超~150万円以下・・・・・8%
課税所得150万円超~250万円以下・・・・・9%
課税所得250万円超~400万円以下・・・・・11%
課税所得400万円超~600万円以下・・・・・12%
課税所得600万円超~1000万円以下・・・・13%
課税所得1000万円超~2000万円以下・・・14%
課税所得2000万円超~3000万円以下・・・15%
課税所得3000万円超~5000万円以下・・・16%
課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%

よって、1974年分~1983年分の所得税と住民税の最高税率は驚愕の93%でした。

参考までに、1980年分~1983年分の住民税の税率です。

1984年分まで使用されていました。さらに細かく14分類に分かれていました。
課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%
課税所得30万円超~45万円以下・・・・・・・5%
課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・6%
課税所得70万円超~100万円以下・・・・・・7%
課税所得100万円超~130万円以下・・・・・8%
課税所得130万円超~150万円以下・・・・・9%
課税所得150万円超~230万円以下・・・・・11%
課税所得230万円超~370万円以下・・・・・12%
課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%
課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%
課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%
課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%
課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%
課税所得4900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%

よって、1980年分~1983年分の所得税と住民税の最高税率は、驚異の88%でした。

長者番付・作家部門(1974年分~1983年分)です

1974年(昭和49年)分申告所得額

1位 松本清張   3億0959万円

2位 司馬遼太郎 2億1463万円

3位 五木寛之   2億1226万円

4位 遠藤周作   1億8637万円

5位 石川達三   1億0710万円

6位 山岡荘八   1億0283万円

7位 宇能鴻一郎    9712万円

8位 北杜夫      8803万円

9位 川上宗薫     8488万円

10位 花登筺      8023万円

1975年(昭和50年)分申告所得額

1位 松本清張 3億0027万円

2位 司馬遼太郎 2億3512万円

3位 五木寛之 2億2587万円

4位 石川達三 1億3422万円

5位 遠藤周作 1億3403万円

6位 横溝正史 1億1547万円

7位 有吉佐和子 1億1474万円

8位 山岡荘八 1億1259万円

9位 宇能鴻一郎 1億0656万円

10位 井上ひさし 9484万円

1976年(昭和51年)分申告所得額分

1位 松本清張   3億3461万円

2位 司馬遼太郎  3億3032万円

3位 横溝正史   3億3825万円

4位 五木寛之   1億4125万円

5位 森村誠一   1億1042万円

6位 城山三郎   1億0654万円

7位 宇能鴻一郎  1億0477万円

8位 石川達三   1億0237万円

9位 遠藤周作    9947万円

10位 高木彬光    8799万円

1977年(昭和52年)分申告所得額分

1位 森村誠一   6億2264万円

2位 横溝正史   4億0416万円

3位 松本清張   3億0545万円

4位 司馬遼太郎  2億1785万円

5位 新田次郎   1億7766万円

6位 五木寛之   1億5034万円

7位 城山三郎   1億2768万円

8位 梶原一騎   1億1504万円

9位 高木彬光   1億0564万円

10位 池波正太郎  1億0470万円

1978年(昭和53年)分申告所得額分

1位 森村誠一   4億3139万円

2位 松本清張   3億1856万円

3位 西村寿行   2億3487万円

4位 司馬遼太郎  1億8863万円

5位 五木寛之   1億7058万円

6位 横溝正史   1億6815万円

7位 新田次郎   1億5140万円

8位 有吉佐和子  1億4812万円

9位 池波正太郎  1億3878万円

10位 梶原一騎   1億3240万円

1979年(昭和54年)分申告所得額分

1位 西村寿行   2億6932万円

2位 大藪春彦   2億3452万円

3位 五木寛之   2億2013万円

4位 高木彬光   1億9313万円

5位 松本清張   1億7942万円

6位 司馬遼太郎  1億7085万円

7位 池波正太郎  1億5487万円

8位 横溝正史   1億5360万円

9位 花登筺   1億5085万円

10位 半村良   1億4451万円

1980年(昭和55年)分申告所得額

1位 司馬遼太郎  3億0102万円

2位 五木寛之   2億7570万円

3位 西村寿行   2億5017万円

4位 松本清張   2億4733万円

5位 大藪春彦   2億0029万円

6位 井上靖    1億6792万円

7位 森村誠一   1億4427万円

8位 遠藤周作   1億2251万円

9位 池波正太郎  1億1704万円

10位 小松左京   1億1435万円

1981年(昭和56年)分申告所得額

1位 司馬遼太郎  2億9193万円

2位 石坂洋次郎  2億1670万円

3位 西村寿行   1億8746万円

4位 松本清張   1億7853万円

5位 横溝正史   1億4582万円(発表時故人)

6位 五木寛之   1億4264万円

7位 森村誠一   1億4254万円

8位 勝目梓    1億4065万円

9位 笹沢左保   1億3832万円

10位 遠藤周作   1億2961万円

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1982年(昭和57年)分申告所得額

1位  松本清張   3億1489万円

2位  赤川次郎   2億7041万円

3位  西村寿行   2億5946万円

4位  司馬遼太郎  2億5731万円

5位  森村誠一   2億4362万円

6位  笹沢左保   1億7016万円

7位  渡辺淳一   1億4707万円

8位  大藪春彦   1億3650万円

9位  池波正太郎  1億1935万円

10位 井上ひさし  1億1861万円

11位 平岩弓枝   1億1492万円

12位 田辺聖子   1億0886万円

13位 西村京太郎  1億0720万円

14位 黒岩重吾   1億0158万円

15位 遠藤周作   1億0131万円

16位 筒井康隆    9823万円

17位 五木寛之    9800万円

18位 梅原猛     9545万円

19位 井上靖      9295万円

20位 平井和正     9003万円

1983年(昭和58年)分所得税納税額
1位  赤川次郎   4億0838万円

2位  松本清張   1億9201万円

3位  司馬遼太郎  1億5360万円

4位  西村寿行   1億2588万円

5位  西村京太郎  1億0969万円

6位  笹沢左保   1億0733万円

7位  渡辺淳一   1億0117万円

8位  平岩弓枝     9085万円

9位  池波正太郎    8353万円

10位  筒井康隆     8005万円

11位  森村誠一      7933万円

12位  田辺聖子     6815万円

13位  勝目梓      6167万円

14位  大藪春彦     6043万円

15位  平井和正     5800万円

16位  中島梓(栗本薫) 5155万円

17位  和久俊三     5149万円

18位  斎藤栄      5100万円

19位  三浦綾子     5085万円

20位  遠藤周作     5026万円

1984年から1988年分はこちらです。

1989年から1995年分はこちらです。

1970年代の話

印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1959年分~1973年分)

はる坊です。

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1959年(昭和34年)から1973年(昭和48)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。

ちなみに、1982年分(昭和57年)までは納税額ではなく申告所得額が発表されていました。

この時代、売れている小説家は凄まじい年収があり、名声と地位に包まれ、俳優やタレント、そして歌手よりも稼いでいる存在でした。

ソースは当時の新聞発表によるものです。

申告所得額とは何か?

簡単に説明をしますと、実収入ー経費=申告所得になります。

それでは、長者番付・作家部門(1959年分~1973年分)をごらんください。

1959年(昭和34年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 吉川英治   3948万円

2位 源氏鶏太   2951万円

3位 松本清張   2728万円

4位 川口松太郎  2694万円

5位 井上靖    2206万円

6位 舟橋聖一  2176万円

7位 柴田錬三郎  1692万円

8位 谷崎潤一郎  1662万円

9位 菊田一夫   1619万円

10位 山手樹一郎 1613万円

1960年(昭和35年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張   3842万円

2位 源氏鶏太   3738万円

3位 川口松太郎  2823万円

4位 吉川英治   2735万円

5位  舟橋聖一   2521万円

6位 菊田一夫   2455万円

7位 井上靖   2397万円

8位 富田常雄   1979万円

9位 柴田錬三郎  1967万円

10位 山手樹一郎  1926万円

1961年(昭和36年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位  松本清張   6150万円

2位  源氏鶏太   4150万円

3位 川口松太郎  2980万円

4位 丹羽文雄   2650万円

5位 吉川英治   2560万円

6位 山手樹一郎  2480万円

7位 井上靖   2360万円

8位 柴田錬三郎  2200万円

9位 舟橋聖一   2140万円

10位 菊田一夫   2050万円

1962年(昭和37年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張 6013万円

2位 山岡荘八 5837万円

3位 源氏鶏太 4620万円

4位 川口松太郎 2983万円

5位 柴田錬三郎 2913万円

6位 山手樹一郎 2882万円

7位 丹羽文雄 2866万円

8位 石原慎太郎 2432万円

9位 今東光 2232万円

10位 水上勉 2191万円

1963年(昭和38年)分 長者番付・作家部門 申告所得額は発表資料なし

1964年(昭和39年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 山岡荘八 7046万円

2位  松本清張 6654万円

3位 源氏鶏太 5552万円

4位 石坂洋次郎 4708万円

5位 山田風太郎 4453万円

6位 柴田錬三郎 4427万円

7位 川口松太郎 4338万円

※この年の公表はなぜか7位まででした。

1965年(昭和35年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 山岡荘八 9699万円

2位 源氏鶏太 5645万円

3位  松本清張 5298万円

4位 谷崎潤一郎 4551万円

5位 川口松太郎 4532万円

6位 柴田錬三郎 4238万円

7位 司馬遼太郎 4034万円

本当の年収はいくらだったのか? 柴田錬三郎の場合

申告所得が、実収入から経費を差し引いたものであると説明しました。
では、実収入はどれくらいだったのか?
1965年に柴田錬三郎がかなりあけすけに語っていますので、ご紹介します。

実収入  6000万円
経費   1800万円弱
申告所得 4238万円

申告所得から、どれだけ税金をとられるか・・・
所得税  2500万円
住民税  800万円
合計   3300万円

ダウンタウンの松本人志がTwitterで“高額納税者は高額所得者と知れ”とツイートして、様々な意見が出たことがありますが、高額所得者に課せられる税金は、この頃も酷なものだったようです。

1966年(昭和41年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張 7527万円

2位 源氏鶏太 5371万円

3位 石坂洋次郎 4920万円

4位 山岡荘八 4807万円

5位 柴田錬三郎 4760万円

6位 井上靖 4164万円

7位 黒岩重吾 3679万円

8位 石原慎太郎 3534万円

1967年(昭和42年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張 7353万円

2位 司馬遼太郎 5954万円

3位 源氏鶏太 5335万円

4位  石坂洋次郎 4822万円

5位 梶山季之 4081万円

6位 谷崎松子 4019万円谷崎潤一郎(夫人)

7位 柴田錬三郎 3964万円

8位 井上靖 3844万円

9位 黒岩重吾 3565万円

10位 山岡荘八 3408万円

11位 大久保康雄 3201万円

12位 北杜夫 3143万円

1968年(昭和43年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 司馬遼太郎 7593万円

2位 松本清張 6370万円

3位 佐賀潜 6043万円

4位 梶山季之 5182万円

5位 源氏鶏太 4545万円

6位 柴田錬三郎 4492万円

7位 石坂洋次郎 4461万円

8位 北杜夫 4093万円

9位 黒岩重吾 4092万円

10位 山岡荘八 3706万円

11位 川端康成 3189万円

1969年(昭和44年)分 長者番付・作家部門 申告所得

1位 梶山季之 7786万円

2位 松本清張 6514万円

3位 佐賀潜 6046万円

4位 司馬遼太郎 5538万円

5位 吉田健一 4630万円

6位 海音寺潮五郎 4305万円

7位 山岡荘八 4256万円

8位 川端康成  4136万円

9位 柴田錬三郎 4056万円

10位 源氏鶏太 4050万円

※漫画原作者・梶原一騎の申告所得額は2099万円

1970年(昭和45年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張  7825万円

2位 司馬遼太郎 7565万円

3位 山岡荘八 6949万円

4位 梶山季之 6897万円

5位 五木寛之 4979万円

6位 石原慎太郎 4958万円

7位 黒岩重吾 4662万円

8位 井上靖 4502万円

9位 曽野綾子 4491万円

※この年の発表は、なぜか上位9名まででした。

漫画原作者・梶原一騎の申告所得額は3761万円でした。

※『銭ゲバ』『アシュラ』などの衝撃作で、一躍スターダムにのしあがった漫画家・ジョージ秋山の年収が5000万円でした。

ちばてつやは、すでにちばプロダクションを設立していましたので、個人の所得は把握できませんが、1967年頃に、まだ『男一匹ガキ大将』を週刊少年ジャンプに連載する前、デビューまもない本宮ひろ志がちばてつやの家を訪れた際には、練馬区に仕事場を兼ねた豪邸を構え、当時庶民には到底手の届かなかった高級車・メルセデスベンツを所有していました。

また、石ノ森章太郎(石森章太郎)も同じ練馬区に、プール付きの豪邸を1960年代後半に新築しています。

1971年(昭和46年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張 1億4538万円

2位 司馬遼太郎 1億1862万円

3位 山岡荘八 8782万円

4位 五木寛之 6761万円

5位 川上宗薫 5920万円

6位 梶山季之 5864万円

7位 井上靖 5835万円

8位 柴田錬三郎</p

わたしが出会った占い師たち

占い師“キタの父”三光堂・井上真教の思い出

いつの時代も占いが人気です。朝、テレビをつけると、どの民放でも星座占いをしていますし、ゲッターズ飯田や島田秀平のように占い芸人がひとつの個性として定着する時代です。

大阪・梅田には店を持たない占い師が何人もいる。500円で手相を見てくれるホームレス風占い師おじさんも

現在も大阪梅田では、店を持たない占い師が何人もおられます。有名どころでいくとホームレスのおじさんにしか見えませんが、500円でじっくり手相を見てくれるサンタクロースのような見事のひげのおじさんもおられます。

たしか、お名前は黄帝観(きいてみい)さん。いかにも大阪らしいネーミングです。
大阪って、本当に面白い街です。
友達とでもひとり旅でも充分に楽しめます。
ミナミに行けば行くほど、コテコテ具合は濃くなっていく印象がありますが、キタと呼ばれる大阪・梅田周辺は、ビジネス街の性格も有しているため、まだそこまでコッテコテではなく、デパートやショッピング・センターも多くあります。
それでいて大阪をしっかり楽しめる雰囲気です。JRや阪急を使えば神戸も近いですし、地理的にも旅行の拠点にオススメですね。

かつて、“ミナミの母”希多真生子さんとともに、“キタの父”と呼ばれた占い師がいた!!

人物伝

現在はギャンブルをやめて、妻と仲良く認知症の星に!異色タレント・蛭子能収さん、実はクズではない?超有能伝説。

はる坊です。

そういえば、いつのまにか姿を見かけなくなったタレントが何かを機に復活することがあります。
2021年10月21日に74回目の誕生日を迎えられた蛭子能収さんもそのおひとりです。

2020年に放送されたテレビ番組で、専門のクリニックで診断した結果、レビー小体型認知症とアルツハイマー型認知症の合併症を発症していることが判明して、テレビ出演の機会は少なくなりましたが、インタビュー取材などマイペースで活動を続けられています。

また、2021年6月には、ご自身の現在の姿を飾ることなく語った『認知症になった蛭子さん~介護する家族の心が「楽」になる本』を出版されています。


そんな蛭子さんは、1980年代後半に、異色タレントとして登場。
1990年代に入ると、バラエティ番組を中心に活躍しCMにも登場。人気タレントとしてテレビで観る機会が多くなります。

しかし、1998年12月に賭けマージャンで逮捕され、数ヶ月間の謹慎を余儀なくされたことも機になったのか、その後、次第にテレビ観る機会が少なくなります。

しかし、2007年に太川陽介さんとのコンビでスタートした『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』を契機に、その自由すぎる言動が再注目され、人気が復活します。


今回は、そんな蛭子さんを違った角度から捉えてみたいと思います。

はたして蛭子能収はクズなのか? 有能エピソードをまとめてみました。

蛭子能収=クズ。
これはまとめサイトにも載っていますし、『水曜日のダウンタウン』で勝俣州和さんが「蛭子能収を超えるクズそうそういない説」を披露して、スタジオを納得させたこともあります。

(私としては、蛭子さんをダシにしている勝俣州和さんのほうがクズに思えますが)

蛭子さんは自分をネタにする人物がいると、真っ正直といいますか、平然と「ああ、私をネタにして食べている人ですね」と言ってしまう方なので、要注意人物ではあります。

NAVERまとめでは、蛭子さんがいかにクズかというエピソードを連ねているページが数十万以上のアクセスを集めていました。

しかし、蛭子さんはクズなのか?

今回は、蛭子さんを違う角度から検証してみます。

蛭子能収は勤勉な働き者。テレビに出る前でも年収は1000万円以上の漫画家だった。

蛭子さんの芸能界デビューのきっかけは、劇団東京乾電池のポスターを依頼されたことに始まります。

何度かポスターを手掛けるうちに、座長の柄本明さんから舞台に出てはどうか、と進められて舞台に立つことになりました。

そんな蛭子さんがテレビに出て、タレントとして人気を得るきっかけになったのは『笑っていいとも』出演でした。
素人枠で「怒って怒って大作戦・あなたも私もプンプンプン」というコーナーですが、これに約2ヶ月のうちに11回登場して、1回につき4万円のギャラを手にします。合計で44万円。

『笑っていいとも』出演には、東京乾電池の座員でもあった高田純次さんがレギュラー出演をされていた時期(1982年10月~1984年9月)があり、東京乾電池が芸能事務所を立ち上げていたことも関係していると考えられます。

ちなみに、本人が真面目に答えているところで、蛭子さんの1986年分の年収は1400万円です。

この収入の内訳はマンガとイラスト、それにエッセイで、テレビ出演分はほとんどありません。

1984年分、1985年分でも年収1000万円、同1200万円と語っています。

この2年間の収入は、テレビ出演はなく、純粋にマンガ・イラスト・エッセイの仕事で得たものです。

コアなファンが存在しているとはいえ、ヘタウマと呼ばれたジャンルのマンガやイラストがもて囃された時代だったとはいえ、メジャー誌では活躍していない(載せられない漫画を描いていた)マンガ家としては、この年収には驚かされます。

そして、「仕事は来た順に受けて、断らない」という蛭子さんの仕事に対する姿勢も、すでに語られています。

蛭子さんが再注目されて、新書や人生相談の刊行が一気に増えました。

このなかでは、一番ギャラが良い時代にCM1本で数千万もらっていたことも語っていますが、これは、タレントになってからも、ギャラで仕事を選ばず、オファーがあった順番に受けて、時たま、高額なギャラを受け取ることができるCMにありつけることがあったという話のなかでです。


蛭子さんは芸能界という特殊な世界でも、人気を得たからといって、仕事を選り好みしたり急に威張り出したりせず、ずっと地道に仕事をしてきた人物だとわたしは思います。

蛭子さんは元ダスキンのセールスマン。33歳で漫画家として独立してからの仕事に対する考え方がスゴイ!!

蛭子さんは33歳でセールスマンをしていたダスキン練馬を退職してから、マンガ家専業となりますが、

サラリーマン時代の収入を計算して、「一日2万円分の仕事をする」と決めて、日々、それに従った

と語っています。

2万円分とは、蛭子さんが勝手に決めた「このマンガやイラストならこれくらいの価値がある」ではなく、蛭子さんが受け取る現実的なギャラを差します。そして、「2万円に足りないときは、翌日までに埋め合わせた」と。

さらに、

仕事が順調に回り出すと、「一日5万円分の仕事をする」とハードルを上げた

というのです。
仕事を依頼されたら断らず、こなしていた結果、年収1000万円をクリアしています。
この姿勢を勤勉な働き者といわずしてなんというのでしょうか。

さらに1986年には、当時在住していた所沢市に3LDKのマンションを購入しています。
時代はバブルに差し掛かったところ。わずか1年半で2.5倍に値上がりしたことが、一番嬉しいことだと告白しています。

自宅は、このマンションを経て、同じく所沢市内の中古の一戸建てに変わり、テレビに出始めてから10年ちょっとで、現金1億円一括払いで、住み慣れた所沢に新築の一戸建てを建てています。

もっとも、この家を建ててからしばらく経った1998年12月に、蛭子さんは賭博容疑で逮捕され、このときには「人生、終わった」と観念したと語っています。
また、2001年には24歳のときに結婚して、若い頃から蛭子さんを支え続けた前妻・貴美子さんを51歳で亡くしています。

“新築の家を建てると、5年以内に良くないことが起こる”という根拠のない話があり、私は、美輪明宏氏がテレビでこの発言をしていたことで、この言葉を知ったのですが、残念ながら、蛭子さんの場合は、偶然かどうか、見事に当たってしまいました。

2007年、悠加さんとの再婚を機に、蛭子さんは都内へ移り、現在は都内世田谷区のタワーマンションに在住です。
再婚と同時に奥さんの連れ子である希和さんが新たに娘となります。

蛭子希和さんは、1989年東京都生まれ。小学校4年生の時に大阪へ引っ越しますが、ご両親の離婚を機に上京され、東海大学文学部広報学科へ進学・卒業。
在学中に蛭子さんが監督を務めた映画では女優として出演されました。
現在は、ご結婚なさってお子さん(蛭子さんにとってはお孫さん)にも恵まれています

高学歴より高収入。蛭子さんの学歴コンプレックス解消法

蛭子さんの最終学歴は長崎県立長崎商業高等学校商業科卒業です。

1947年10月21日生まれの蛭子さんが高校に進学したのは1963年4月。
この年、全国でみた高校進学率は64%。

おそらく、都市部はこの数字より高く、地方では中学を卒業したら働くのがあたりまえという考え方も根強く、そのなかで商業高校へ進学して卒業した蛭子さんは、当時としては恵まれた立場といえるかもしれません。

また、大阪で開かれていた万国博覧会を口実に、上京を果たすと看板屋で働きながら青山のシナリオセンターに通い、卒業証書(修了証書)を受け取っています。

グラフィックデザイナーを目指していた蛭子さんは、上京後、出版社や映画会社の入社試験を受けようとしますが、どこも大卒優遇で、高卒の蛭子さんにはそのチャンスさえありませんでした。

また、漫画家として活動をするようになり編集者との付き合いが始まると、編集者が軒並み大卒で高学歴なのが、蛭子さんを鬱屈させました。

初対面で「高卒ですか?」または「大卒ですか?」と訊ねる

のは、その証拠でしょう。

ちなみに、漫画家になることを諦めかけていた蛭子さんにチャンスをもたらした自動販売機で販売する漫画雑誌『Jam』の高杉弾さんや山崎春美さんは日本大学芸術学部文芸学科出身。漫画作品には東大卒の編集者をヒドい目に遭わせるものもあります。

まだ、サラリーマンで漫画家としても芽が出ていない頃は、“「家でも機嫌が悪くて」”と前妻の貴美子さんも共にテレビ出演を果たした際に語っています。

そんな蛭子さんですが、漫画家として独立して年収は1000万円台となり、その後、タレント活動で人気者になると年収は跳ね上がり1億円を稼ぐようになります。
学歴コンプレックスの根本は完全になくなったようではなさそうですが、以前よりは気にならなくなったと自著で語っています。

子どもには、個性に合った教育をキチンと与える父親でもあった

しかし、蛭子さんは息子の一郎さん。娘の史英さんには、しっかりと学歴や技術をつけさせています。

息子の蛭子一郎さんは中学時代に手に入れたパソコンで、独学でプログラミングを習得。現在は、株式会社ノイジークロークでサウンドデザイナーとして活躍中です。ご結婚もされており、お子さん、蛭子能収さんにとって孫にも恵まれています。

ちなみに、一郎さんは私立埼玉栄高校を卒業後、駿台電子情報専門学校(現・駿台電子情報&ビジネス専門学校)に進学しています。
大学には通われていません。

娘の蛭子史英さんは武蔵野美術大学卒業です。

最高年収1億円以上を稼いだ、息の長い異色タレント・蛭子能収

さて、蛭子さんの職業はなんでしょうか?
マンガ家・イラストレーターだと思いますが、その収入は月に数十万円です。
蛭子さんの収入の大半は、テレビ・ネット番組・イベントへの出演料が大半を占めるのではないでしょうか。

テレビ出演を機に、その特異なキャラクターが注目を受け、出演オファーが順調に増えたことで、次第に年収は高額となり、ビートたけし氏から「どーもどーもで1億円」と揶揄されるまでになりました。

1993年には所属事務所とは別に、個人で有限会社を設立していますが、これは節税対策の一環でしょう。

蛭子さんは、

“「金持ちに見られるのが嫌で貧乏人のフリをしている」”

と正直に発言しています。

2004年分までは長者番付(高額納税者)というものが発表されており、毎年、5月になるとワイドショー以外でも新聞にも掲載され、その後、週刊誌では、全国上位にランクインした人物を追う記事が載せられていました。ワイドショーや新聞で取り上げられるのは、芸能界ではベスト20まででしたが、スポーツ新聞は、全国の税務署を回って、氏名と納税額を拾い集めて、1000万円以上を納税した著名人を一覧にして発表していました。

実際、年収1億円以上を稼いだことは事実であると本人が認めています。

しかも、何年にも渡って稼ぎ続けた。
そうでなくては、現金一括払いで1億円の自宅は購入できません。

5ch(当時は2ch)の過去ログや当時のまとめを見ると、その残滓がありますが、蛭子さんは、個人事務所を設立して、所得を分散して、長者番付に載らない額を給与として月々受け取っていたと思います。

当時は、現在のように個人情報の保護についてやかましく言われておらず、この番付でも、税務署では氏名、納税額のほかに住所まで公表されていました。

蛭子さんはテレビに登場するようになってから、親しくもなかった昔の知人からも借金の依頼をされて、断り切れず貸してしまったところ踏み倒されたり、悪質なセールスに騙されてしまった過去があります。

当時、長者番付に乗った人間が一番嫌っていたこと、それは、あの手この手のしつこいセールスです。氏名も住所も公表されているのですから、格好の標的になってしまうのです。

マンション投資はどうですか。

有事に備えて金を買いませんか。

秘書はいかがですか。

その他もろもろのセールスレターだけで、毎日20㎝にもなると嘆いていた人物もいましたので、それを避けるためにも、蛭子さんは身を守る意味でも、こうしてきたと思えるのです。

また、住所が番地まで公示されているのですから、空き巣や強盗に狙われる確率も上がります。

「あの家は金を持っている」

そんな情報が、世間一般に知れ渡ることはマイナス面が大きいです。

蛭子さんは2000年に「バブルは終わった」というエッセイを発表しています。1998年12月に麻雀賭博で逮捕されてから、スケジュールに穴が空くようになり、同時に収入が減ったことを嘆きつつ、これまではバブルだったんだと語っているのです。

かつて、『ろみひー』というヒロミ氏の帯番組がありました。

ゲストの履歴書をもとに、その人生を振り返る番組で、生前の飯島愛氏がご意見番役で出演していた番組でもありました。1998年から2003年まで続いたので、人気番組であったと思います。

蛭子さんがこの番組に出演したとき、当時はかなり調子に乗っていたキャラクターだったヒロミ氏に、タクシーの運転手さんから「最近、テレビで見なくなったね」と言われて落ち込んだエピソードを暴露されています。

たしかに、テレビで蛭子さんを観る機会が減った時期もありました。
しかし、タレントには地方営業という強力な武器もあります。蛭子さんは芸能界から消えることはなく、2007年の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』を契機に復活します。

蛭子さんが、もっともテレビでもて囃されるようになったのは、この6、7年ほどです。
アップダウンはあっても、1980年代後半からの30年間、移り変わりの激しい芸能界で消えることなく、70代を迎える頃に、再び注目を浴びるタレントはなかなかいないでしょう。

ついにギャンブルをやめた蛭子さん。競艇での損は通算1億円以上! それでも競艇を愛した理由、通い続けた理由

蛭子能収さんのギャンブル好きは有名です。特に競艇への情熱は並々ならないものがあります。
しかし、現在はギャンブルをやめられて、ご家族との時間を大切にされているようです。

担当している人生相談でも、競艇の話が入り込んできたり、競艇に比べればたいしたことではないという蛭子さんらしい回答になっているときもあります。その昔はイメージキャラクターとしてCMに登場していました。

かつて、競艇必勝法を編みだしたりしたようですが、結果、大損。お金を都合してくれた前妻・貴美子さんに、自宅から叩き出される目にも遭いながらも、競艇は、蛭子さんの人生に寄り添い続けてきました。
蛭子さんは競艇を始めたのは20歳を過ぎた頃です。それから、半世紀も続けてこられました。

蛭子さんの論理は独特です。

パチンコ依存症の人に対して、「パチンコでお金を稼ごうとしているのだから立派だ」と言い、蛭子さん自身も、競艇へ行くことを「仕事がオフの日でも、競艇場へ金を稼ぎに行っている」と表現しています。

実際は、通算で競艇だけで1億円以上の損をしており、他のギャンブルを加えると1億4000万円以上の損をしているわけですが・・・

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。