不動産

ドケチ術

ドン引き!?尊敬!?節約術を見習う!?働きながら資産1億円以上貯めたドケチ警官

ラジオ大阪で「これがケチだ」という番組があった。面白ドケチエピソードの数々

かつて、大阪のラジオ局で「これがケチだ」という身も蓋もないプログラムがありました。
実行中のケチなり、アイデアを募集して、秀作と認められれば3000円、佳作を半ケチと称してハンケチ(ハンカチ)が送られるというもので、大阪という土地柄からか応募者が多く、週に200以上の応募がありました。

放送されたドケチエピソードはこんな感じです。

◎絶対に二度寝をしないドケチな方法

『わたしは牛乳配達をしてもらう契約をする際に、牛乳を置いてもらう時間に、必ず玄関のインターホンを押してもらう約束をさせました。それで、目覚まし時計を買うお金を貯金しました』
二度寝はしなかった模様です・・・

◎絶対に早起きできるドケチな方法

『寝る前に、多量のお茶を飲めば膀胱タイマーが起こしてくれます。早起きしなければならないときに実行しています』
膀胱に良くないと思いますが・・・

◎ドケチ座布団

『牛乳瓶のフタにかぶせてあるポリエチレンの覆いを数百枚ためて、座布団に入れました』
座り心地はどんなものでしょうか・・・

◎健康とお金を手に入れて、道に落ちているお金も拾って一石三鳥なドケチの朝

『朝、運動のつもりで新聞配達をしています。二百部配達して月の小遣いにしています。配達帰りに1部もらって読むので新聞代が浮きます。読んだ新聞を貯めて古紙回収業者に売ります。新聞の配達地域は、キタのバーやクラブの多い北新地付近なので、百円玉や千円札がよく落ちています』
新聞配達は健康的ですね。

◎ドケチな親の教育方法

『普通科に進みたいという娘を説き伏せて、看護科に入れました。5年制で就職は100%保証されますから安心です。卒業後はなるべくへんぴな田舎へ行かせるつもりです。遊びに行くところもないから無駄遣いしない。寄宿舎で生活費は安くておしゃれをする気にもならないだろうから、結婚費用もすぐに貯まります。白衣姿は美人に見えますから、玉の輿に乗るかもしれません。離婚したり未亡人になっても看護師資格があるので安泰です』
娘さんご自身の意思は、完全に無視されていますが大丈夫なんでしょうか・・・

◎無料で身体を温めるドケチな方法

『寒いときは、身体の温まるアルバイトをするに限ります。満員電車の乗客を車内に押すバイトです。身体が温まり、バイト代ももらえて一石二鳥です』
押されるほうはキツイんですけどね・・・

この番組は人気となり、3年半続きましたが、スポンサーがケチだったため、終了となってしまいました。

警官として勤務しながら1億円以上貯めたドケチ警官がスゴい!

大阪府警のある地域課に勤める巡査はドケチで有名でした。
“「あの男の生活を見とると、根っからのケチやと思いますね。われわれがケチしよう思たらそれなりに努力します。努力いうんは、イコール苦労と違いますか? 楽しいということは全然ない。ところが彼は違うんです。『メシに塩かけて食べて生きていけるオレは、生まれつきツイてるんや』とケロッとしているんです」”(同僚の話)

“「彼が趣味やゆうとるデパート巡りは、ほかの目的がおまんのや。閉店まぢかになると安く売るんで、そいつを買うて帰ろうという魂胆ですわ。昼間にうろついてたら、それは試食巡り。昼飯分タダや」”(別の同僚の話)

“「何しろ無口ですよ。舌を動かすのも惜しいのとちゃうかな? しゃべれば腹減るわな。奥さんと家で食事しとるときも、奥さんがごはんのおかわり3杯目になると、やっこさん、キッと奥さんにらむそうです。奥さんは居候やないのにね」”(別の同僚の話)

記者が本人に会うと、たしかに言葉は少ないが、人の噂には泰然としていてへっちゃらだったようです。
本人の話。“「噂には本当のこともウソもあります。たしかに僕の生活は質素です。というより、他の人が派手すぎるんですよ。僕に酒なんかたかろう思っても、僕が応じないからケチをつけるんです。そやけど、直接耳に入ってこなければ平気や。

愚かな連中は金を持たない。金も持たん人が、愚かなことを言ったり、愚かなことをするんです」”

彼はどうして資産を形成したのか?
巡査を拝命してから2年間で貯めたお金を株式に投資しました。相変わらず食生活は塩と漬物を貫いて、貯めた金で増資、株式の新株購入をしているうちに株価は上昇、5年後に5倍になったところで売却。日曜日に大阪市内をパトロールして、土地を購入。
その後、大阪市内の土地の値上がりを見て、大阪には見切りをつけて、滋賀県の土地を購入。
不動産投資で1億円以上、他にも当座預金と株式が1万6000株。

住まいはずっと古ぼけた府営住宅に住み、奥さんは銀行勤めなので2馬力で収入はそこそこあるのですが、本人曰く“「自分の家も、車も、必要と認めんですよ。警官仲間の2割くらいが手弁当ですが、僕はいまでも塩とタクアンで平気やけど、女房がみっともないと言うて、人並みにおかずがついています。もったいないな。映画でっか? 3年に1度観るくらいや。タクシーなんか乗らへん。タバコは1日1本や」”

資産をもっと増やしたいかと記者に聞かれると・・・

“「わたしは一応、目標を立ててますんやけど、貯める努力が楽しいんですよね。ああするとええかな、こうするかなと考えていると楽しいです。同僚からケチと言われても何とも思いません。あんなに貯め込んで、少しぐらい奢ったらええやんか、と言うとるかもしれんけど、意地でも奢りません」”

そして、資産作りのコツを聞かれると・・・
“「運・勘・根や」”と答えています。
最初に運があって、勘を磨いて、資産を形成するぞという強い思いが大切だと言っています。

参考・引用:週刊読売「塩とタクアンで一億円貯めたドケチ警官ーウン・カン・コンの資産作り16年」より

最後まで、読んでくださり本当にありがとうございました。
他にもお役に立てる記事があるかと思いますので、どうぞお楽しみくださいませ。

人物伝

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その2

西村寿行 小説家デビュー

1973年(昭和48年)2月、西村寿行のデビュー作瀬戸内殺人海流が、サンケイ出版より出版されました。

42歳での小説家デビューです。

9月には第2作安楽死が出版され、翌年には第27回日本推理作家協会賞の候補に挙げられます。

※『安楽死』は2018年8月に角川文庫から復刊されています。

西村寿行の小説を読んだことのある方なら、〝男根さま〟〝後背位〟〝尻〟〝人妻〟〝ジーパン人妻〟がやたら出てくる、「ああいう小説か」と思われるかも知れませんが、作家生活前半の西村作品には、そんな言葉はほとんど出てきません。

受賞したのは、1973年内に上巻204万部・下巻185万部を売り、当時大ベストセラーとなった小松左京の『日本沈没(上下)』でしたが、

選考委員の評を読む限りでは、次点といったところで、一定以上の評価を受けています。

本格的に作家デビューとなったこの年の年収は250万円。
ちなみに、この年の大卒初任給は62,300円です。

翌1974年(昭和49年)には、第3作屍海峡が刊行され、出版業界では、〝新進の推理小説家〟と呼ばれ始めます。
この年の収入は1,200万円となり、デビューした1年前より大幅にアップします。

しかし、西村寿行のなかでは違和感と悩みが生まれていました。

『推理小説家になりたかったわけではない』
『推理小説家と呼ばれたところでしっくりこない』

そして、『トリックというものが性に合わない』

そんな折りに、西村は直木賞作家・生島治郎からアドバイスを受けます。

「冒険小説を書いてはどうか」

生島治郎は、早大英文科を卒業後、早川書房にて編集者を務め、『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』編集長を経て、退社。
『傷痕の街』で作家デビュー後、『追いつめる』で直木賞を受賞。
『黄土の奔流』などで、ハードボイルド小説の書き手として活躍。
『兇悪』シリーズが、天知茂主演のテレビドラマ『非情のライセンス』の原作になるなど、人気作家として名を轟かせる一方、大沢在昌を見出すなど、才能を見出す力にも秀でていました。
また、韓国籍のソープランド嬢との結婚を題材にした『片翼だけの天使』の作者としても有名です。

出世作『君よ憤怒の河を渉れ』誕生

西村寿行は生島のアドバイスに従い、手にした印税で山中に建つ一軒家の一角を借りて、大量の資料を持ち込んで、一心に冒険小説を書きます。
そして、彼の運命を変える『君よ憤怒の河を渉れ』は完成しました。

西村は書き上げた原稿を手に、講談社を訪れます。
早速、作品を読んだ編集者からは、〝作品が荒削りであり、荒唐無稽な箇所もあるので、もう一捻りして欲しい〟と指摘を受けます。

しかし、自分の作品に絶対の自信があったのか、西村は原稿を直すことなく、今度は徳間書店を訪れます。

作品を読んだ『問題小説』編集長は、荒削りな作品であることを承知で、そのまま『問題小説』に掲載します。

掲載されると、作品は大いに反響を呼び、刊行されたノベルス(新書版)『君よ憤怒の河を渉れ』はベストセラーとなります。
ノベルスと文庫を合わせて、最終的には発行部数70万部を記録しました。

ただ、デビューから数年がたっただけの西村の作品を、西村寿行選集(NISHIMURA HARD-ROMAN SERIES)と銘打って大々的に売り出したのも、当時大きな効果があったのでしょう。

ちなみにこの選集は、他社から刊行された本も、徳間書店が二次的にノベルスで発売を続け、1999年に発行された『鷲』『涯の鷲』まで全112冊に及びました。

また、続けて徳間書店から『蒼き海の伝説』も刊行。

いままでの書き下ろし一辺倒から、短編小説の雑誌掲載依頼も出版社から来るようになり、1975年分の年収は一気に4,400万円にアップ。

中野区上高田のマンションに仕事場を構えます。
順調な作家生活が始まりました。

西村寿行の活躍が始まる

1976年に入ると、角川書店から前年の終わりに野性時代誌上に一挙掲載された化石の荒野が刊行されます。(のちに渡瀬恒彦主演で映画化されます)
ストーリーはまったく違いますが、『化石の荒野』は『君よ憤怒の河を渉れ』を大幅にブラッシュアップした印象を受けます。

そして、この後の作品群で見受けられる設定や構成が決定的なものになるのも、この作品からです。
西村寿行自身もこの作品を気に入っていたのでしょう。
あとがきでは「ぼくのデビュー作」とまで言い切っています。

これもベストセラーとなり、西村寿行は、〝推理小説家〟ではなく〝新進気鋭のハードボイルド作家〟と見なされるようになります。
(〝ハードロマン〟という呼び方はまだ浸透していませんでした)

1976年(昭和51年)に刊行された本

この年には、前述した化石の荒野の他に、『娘よ、涯なき地に我を誘え』(78年に『犬笛』に改題)『幻の白い犬を見た(短編集)』『滅びの笛』『牙城を撃て(上)』『牙城を撃て (下)』『原色の蛾(短編集)』を刊行。

スポーツ新聞連載、小説雑誌連載・掲載が相次ぎ、執筆量が大幅に増加します。
この当時、西村寿行の月産枚数は原稿用紙900枚と報じられました。

1976年度分の年収は8,800万円。

まさに、倍々ゲーム。
仕事場も、新宿区と渋谷区の境に建ったばかりのマンション最上階に移します。

7月には、ニホンオオカミを題材に取った短編『咆哮は消えた』で第75回直木賞候補に挙げられます。
落選こそしましたが、当時の選評を読む限りでは、源氏鶏太・水上勉・柴田錬三郎からは好感を得ています。
※参照 オール讀物 1976年9月号

1977年(昭和52年)に刊行された本

咆哮は消えた(短編集)』『妄執果つるとき』『帰らざる復讐者 』『汝!怒りもて報いよ(上)』『汝!怒りもて報いよ (下)』『魔の牙』『魔笛が聴こえる』『荒涼山河風ありて』『悪霊の棲む日々』『白骨樹林』『双頭の蛇(短編集)』『往きてまた還らず(上)』『往きてまた還らず(下)を刊行。

1977年には更なる活躍を見せ、毎月の執筆枚数は400字詰め原稿用紙で800~1000枚。
急激に読者の人気を得ていきます。
西村寿行の専売特許ともいえる〝ハードロマン〟という言葉も浸透し始めました。

1月に『滅びの笛』で第76回直木賞、7月には、『魔笛が聴こえる』で第77回直木賞候補に挙げられます。

新聞や雑誌に連載され本にまとまったとき、連載時と文章を比較すると、しっかりと著者校正作業をおこなっていたのが分かります。

しかし、執筆量が大幅に増えて、ひとつひとつの作品の細部にまで、目が届かなくなっていったこともあったでしょう。
急激な西村寿行作品の人気上昇を面白く思わない選考委員も存在したと思います。

選考委員の意見は、「着想は面白いが雑」「荒唐無稽」「劇画的」と否定的になり、いずれも落選の憂き目に遭います。
※参照 オール讀物 1977年4月号・1977年10月号

西村は3度目の直木賞落選のあと、文藝春秋に「もう候補にしてくれるな」と断り状を出しています。

この断り状のタイミングが不明なのですが、77年の年末に、78年1月に選考が行われる第78回直木賞候補に自作が挙げられるのを知って、断り状を出したのであれば、どの作品が候補に挙がることになったのかは、気になるところです。

1980年に受けたインタビューで、“「どこの賞も候補になるのは断っている。」”と発言しています。
参照:「データバンクにっぽん人 西村寿行」週刊現代1980年5月22日号

日本推理作家協会賞や、雑誌の企画で誌上にて手紙のやり取りをした五木寛之が仕掛け人となった泉鏡花文学賞。
それに、この年に始まった日本SF大賞の候補打診があったのかもしれません。

しかし、このインタビューでは、こんな思いも漏らしています。

“「でも、同業者が選ぶ賞は欲しくないが、前に小説現代がやっていたような読者賞ならいい。」”

西村が触れているのは『小説現代ゴールデン読者賞』のことです。

この賞は、読者の投票によって決まる賞で、1970年~1975年まで続きました。
受賞者は以下の通りです。

第1回 笹沢佐保『見返り峠の落日』
(推理小説から時代小説に初めて挑戦し、『木枯し紋次郎』の原型となった作品です)

第2回 梶山季之『ケロイド心中』
(被爆と性をテーマにした短編です。発表当時には各所から猛抗議を受けたようですが、彼自身、広島に深い縁があり、原爆被災資料の刊行に資金援助をした人物でもありました)

第3回 松本清張『留守宅の事件』
(短編集『証明』に収められている一編です。ここではネタバレはしません)

第4回 野坂昭如『砂絵呪縛後日怪談』
(本人のイメージと異なる江戸を舞台にした時代小説です。執筆にあたって柴田錬三郎から「江戸の夜は暗かった。女のほうが強かった」という短いアドバイスをもらって書き上げたというエピソードがあります)

第5回 池波正太郎『殺しの四人』
(『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶ人気シリーズ『仕掛人 藤枝梅安』の一編で、「おんなごろし」に次ぐ梅安シリーズの2作目です)

第6回 井上ひさしいとしのブリジット・ボルドー
(東北の旧家で発見された1800年代中盤のボルドーワインを巡る騒動を描いています。笑い・ユーモアはすごいと思います)

こうやってリストアップしてみると、小説の読者は、いい小説を選んでいるなとつくづく思います。

1977年度の年収は1億5,000万円。
前年度から更に倍増します。

⇒アマゾンのKindleでは、電子書籍のキャンペーン実施中で、西村寿行作品が270円から読めます。

⇒西村寿行の勢いは留まることを知りません。更に読者の人気を得ていきます、そしてついに・・・
その3に続きます。

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その3