早稲田大学

最新大学・高校・高専・中学校偏差値データ

【2019年版】全国 私立大学 偏差値 ランキング 2019年(偏差値74~56)

<74~67>
慶應義塾大学[東京/私立]
医学部/医学科74
慶應義塾大学[東京/私立]
法学部/法律学科72
慶應義塾大学[東京/私立]
法学部/政治学科72
慶應義塾大学[東京/私立]
総合政策学部/総合政策学科71
慶應義塾大学[東京/私立]
経済学部/経済学科71
慶應義塾大学[東京/私立]
環境情報学部/環境情報学科71
順天堂大学[東京/私立]
医学部/医学科71
東京慈恵会医科大学[東京/私立]
医学部/医学科71
日本医科大学[東京/私立]
医学部/医学科71
早稲田大学[東京/私立]
政治経済学部/政治学科71
早稲田大学[東京/私立]
政治経済学部/経済学科71
早稲田大学[東京/私立]
政治経済学部/国際政治経済学科71
早稲田大学[東京/私立]
社会科学部/社会科学科71
早稲田大学[東京/私立]
先進理工学部/生命医科学科70
自治医科大学[栃木/私立]
医学部/医学科69
慶應義塾大学[東京/私立]
商学部/商学科69
上智大学[東京/私立]
総合グローバル学部/総合グローバル69
上智大学[東京/私立]
総合人間科学部/社会学科69
東京医科大学[東京/私立]
医学部/医学科69
早稲田大学[東京/私立]
法学部/学科なし69
早稲田大学[東京/私立]
商学部/学科なし69
早稲田大学[東京/私立]
文学部/文学科69
早稲田大学[東京/私立]
教育学部/教育学科/教育学専攻69
早稲田大学[東京/私立]
教育学部/社会科69
早稲田大学[東京/私立]
文化構想学部/文化構想学科69
大阪医科大学[大阪/私立]
医学部/医学科69
関西医科大学[大阪/私立]
医学部/医学科69
近畿大学[大阪/私立]
医学部/医学科69
産業医科大学[福岡/私立]
医学部/医学科69
国際医療福祉大学[栃木/私立]
医学部/医学科68
慶應義塾大学[東京/私立]
文学部/人文社会学科68
上智大学[東京/私立]
法学部/法律学科68
上智大学[東京/私立]
法学部/国際関係法学科68
上智大学[東京/私立]
外国語学部/英語学科68
上智大学[東京/私立]
外国語学部/ドイツ語学科68
上智大学[東京/私立]
総合人間科学部/教育学科68
昭和大学[東京/私立]
医学部/医学科68
東邦大学[東京/私立]
医学部/医学科68
久留米大学[福岡/私立]
医学部/医学科68
東北医科薬科大学[宮城/私立]
医学部/医学科67
慶應義塾大学[東京/私立]
薬学部/薬学科(6年制)67
慶應義塾大学[東京/私立]
薬学部/薬科学科(4年制)67
上智大学[東京/私立]
経済学部/経済学科67
上智大学[東京/私立]
経済学部/経営学科67
上智大学[東京/私立]
文学部/史学科67
上智大学[東京/私立]
文学部/国文学科67
東海大学[東京/私立]
医学部/医学科67
東京女子医科大学[東京/私立]
医学部/医学科67
法政大学[東京/私立]
グローバル教養学部/グローバル教養67
早稲田大学[東京/私立]
国際教養学部/国際教養学科67
早稲田大学[東京/私立]
先進理工学部/物理学科67
早稲田大学[東京/私立]
先進理工学部/化学・生命化学科67
早稲田大学[東京/私立]
先進理工学部/応用化学科67
早稲田大学[東京/私立]
基幹理工学部/数学科67
早稲田大学[東京/私立]
基幹理工学部/応用数理学科67
早稲田大学[東京/私立]
基幹理工学部/情報理工学科67
早稲田大学[東京/私立]
基幹理工学部/情報通信学科67
早稲田大学[東京/私立]
基幹理工学部/機械科学・航空学科67
早稲田大学[東京/私立]
基幹理工学部/電子物理システム学科67
早稲田大学[東京/私立]
基幹理工学部/表現工学科67
早稲田大学[東京/私立]
創造理工学部/建築学科67
早稲田大学[東京/私立]
創造理工学部/経営システム工学科67
早稲田大学[東京/私立]
創造理工学部/社会環境工学科67
金沢医科大学[石川/私立]
医学部/医学科67
愛知医科大学[愛知/私立]
医学部/医学科67
藤田医科大学[愛知/私立]
医学部/医学科67
同志社大学[京都/私立]
グローバル・コミュニケ学部/グロー
バル・コミュニケ学科/英語コース67
兵庫医科大学[兵庫/私立]
医学部/医学科67
福岡大学[福岡/私立]
医学部/医学科67
岩手医科大学[岩手/私立]
医学部/医学科66
青山学院大学[東京/私立]
経営学部/経営学科66
北里大学[東京/私立]
医学部/医学科66
杏林大学[東京/私立]
医学部/医学科66
慶應義塾大学[東京/私立]
理工学部/機械工学科66
慶應義塾大学[東京/私立]
理工学部/電子工学科66
慶應義塾大学[東京/私立]
理工学部/応用化学科66
慶應義塾大学[東京/私立]
理工学部/物理情報工学科66
慶應義塾大学[東京/私立]
理工学部/管理工学科66
慶應義塾大学[東京/私立]
理工学部/数理科学科66
慶應義塾大学[東京/私立]
理工学部/物理学科66
慶應義塾大学[東京/私立]
理工学部/化学科66
慶應義塾大学[東京/私立]
理工学部/システムデザイン工学科66
慶應義塾大学[東京/私立]
理工学部/情報工学科66
慶應義塾大学[東京/私立]
理工学部/生命情報学科66
国際基督教大学[東京/私立]
教養学部/アーツ・サイエンス学科66
上智大学[東京/私立]
法学部/地球環境法学科66
上智大学[東京/私立]
外国語学部/ポルトガル語学科66
上智大学[東京/私立]
総合人間科学部/心理学科66
上智大学[東京/私立]
文学部/英文学科66
上智大学[東京/私立]
文学部/ドイツ文学科66
帝京大学[東京/私立]
医学部/医学科66
日本大学[東京/私立]
医学部/医学科66
早稲田大学[東京/私立]
教育学部/教育学科/初等教育学専攻66
早稲田大学[東京/私立]
教育学部/国語国文学科66
早稲田大学[東京/私立]
教育学部/英語英文学科66
早稲田大学[東京/私立]
教育学部/理学科66
早稲田大学[東京/私立]
教育学部/複合文化学科66
聖マリアンナ医科大学[神奈川/私立]
医学部/医学科66
青山学院大学[東京/私立]
文学部/英米文学科65
青山学院大学[東京/私立]
法学部/法学科65
上智大学[東京/私立]
外国語学部/フランス語学科65
上智大学[東京/私立]
外国語学部/イスパニア語学科65
上智大学[東京/私立]
外国語学部/ロシア語学科65
中央大学[東京/私立]
法学部/法律学科65
日本大学[東京/私立]
生物資源科学部/獣医学科65
日本獣医生命科学大学[東京/私立]
獣医学部/獣医学科65
<65~63>
立教大学[東京/私立]
異文化コミュニケーション学部/
異文化コミュニケーション学科65
立教大学[東京/私立]
経営学部/経営学科65
立教大学[東京/私立]
経営学部/国際経営学科65
立教大学[東京/私立]
社会学部/社会学科65
立教大学[東京/私立]
社会学部/現代文化学科65
立教大学[東京/私立]
社会学部/メディア社会学科65
早稲田大学[東京/私立]
先進理工学部/応用物理学科65
早稲田大学[東京/私立]
先進理工学部/電気・情報生命工学科65
同志社大学[京都/私立]
商学部/商学科65
立命館大学[京都/私立]
国際関係学部/国際関係学科/
国際関係学専攻65
立命館大学[京都/私立]
国際関係学部/国際関係学科/
グローバル・スタディーズ専攻65
関西学院大学[兵庫/私立]
国際学部/国際学科65
獨協医科大学[栃木/私立]
医学部/医学科64
埼玉医科大学[埼玉/私立]
医学部/医学科64
青山学院大学[東京/私立]
国際政治学部/国際政治学科64
青山学院大学[東京/私立]
国際政治学部/国際経済学科64
青山学院大学[東京/私立]
国際政治学部/国際コミュニケ学科64
青山学院大学[東京/私立]
総合文化政策学部/総合文化政策学科64
青山学院大学[東京/私立]
経営学部/マーケティング学科64
青山学院大学[東京/私立]
経済学部/経済学科64
上智大学[東京/私立]
総合人間科学部/社会福祉学科64
上智大学[東京/私立]
文学部/哲学科64
上智大学[東京/私立]
文学部/フランス文学科64
上智大学[東京/私立]
文学部/新聞学科64
上智大学[東京/私立]
理工学部/物質生命理工学科64
上智大学[東京/私立]
理工学部/情報理工学科64
明治大学[東京/私立]
法学部/法律学科64
明治大学[東京/私立]
政治経済学部/政治学科64
明治大学[東京/私立]
政治経済学部/経済学科64
明治大学[東京/私立]
政治経済学部/地域行政学科64
明治大学[東京/私立]
国際日本学部/国際日本学科64
明治大学[東京/私立]
商学部/商学科64
明治大学[東京/私立]
情報コミュニケーション学部/
情報コミュニケーション学科64
早稲田大学[東京/私立]
教育学部/数学科64
早稲田大学[東京/私立]
人間科学部/人間環境科学科64
早稲田大学[東京/私立]
人間科学部/健康福祉科学科64
早稲田大学[東京/私立]
人間科学部/人間情報科学科64
同志社大学[京都/私立]
グローバル・コミュニケ学部/グロー
バル・コミュニケ学科/中国語コース64
同志社大学[京都/私立]
グローバル地域文化学部/グローバル
地域文化学科/ヨーロッパコース64
同志社大学[京都/私立]
グローバル地域文化学部/グローバル
地域文化学科/アジア・太平洋コース64
同志社大学[京都/私立]
グローバル地域文化学部/グローバル
地域文化学科/アメリカコース64
同志社大学[京都/私立]
心理学部/心理学科64
同志社大学[京都/私立]
社会学部/社会学科64
同志社大学[京都/私立]
社会学部/社会福祉学科64
同志社大学[京都/私立]
社会学部/メディア学科64
同志社大学[京都/私立]
経済学部/経済学科64
川崎医科大学[岡山/私立]
医学部/医学科64
青山学院大学[東京/私立]
教育人間科学部/心理学科63
青山学院大学[東京/私立]
文学部/フランス文学科63
青山学院大学[東京/私立]
文学部/日本文学科63
青山学院大学[東京/私立]
文学部/史学科63

<63~62>
青山学院大学[東京/私立]
文学部/比較芸術学科63
北里大学[東京/私立]
獣医学部/獣医学科63
慶應義塾大学[東京/私立]
看護医療学部/看護学科63
上智大学[東京/私立]
理工学部/機能創造理工学科63
東京理科大学[東京/私立]
理学部/応用化学科63
日本女子大学[東京/私立]
家政学部/食物学科/管理栄養士専攻63
法政大学[東京/私立]
国際文化学部/国際文化学科63
明治大学[東京/私立]
文学部/文学科63
明治大学[東京/私立]
文学部/史学地理学科63
明治大学[東京/私立]
文学部/心理社会学科63
明治大学[東京/私立]
経営学部/経営学科63
明治大学[東京/私立]
経営学部/会計学科63
明治大学[東京/私立]
経営学部/公共経営学科63
明治大学[東京/私立]
農学部/農学科63
明治大学[東京/私立]
農学部/農芸化学科63
明治大学[東京/私立]
農学部/生命科学科63
明治大学[東京/私立]
農学部/食料環境政策学科63
立教大学[東京/私立]
経済学部/経済学科63
立教大学[東京/私立]
経済学部/経済政策学科63
立教大学[東京/私立]
観光学部/観光学科63
立教大学[東京/私立]
観光学部/交流文化学科63
早稲田大学[東京/私立]
創造理工学部/総合機械工学科63
早稲田大学[東京/私立]
創造理工学部/環境資源工学科63
早稲田大学[東京/私立]
スポーツ科学部/スポーツ科学科63
同志社大学[京都/私立]
法学部/法律学科63
同志社大学[京都/私立]
政策学部/政策学科63
青山学院大学[東京/私立]
教育人間科学部/教育学科62
北里大学[東京/私立]
薬学部/薬学科(6年制)62
中央大学[東京/私立]
法学部/国際企業関係法学科62
中央大学[東京/私立]
法学部/政治学科62
中央大学[東京/私立]
総合政策学部/政策科学科62
中央大学[東京/私立]
総合政策学部/国際政策文化学科62
中央大学[東京/私立]
文学部/人文社会学科62
東京理科大学[東京/私立]
薬学部/薬学科(6年制)62
東京理科大学[東京/私立]
工学部/建築学科62
東京理科大学[東京/私立]
工学部/情報工学科62
東京理科大学[東京/私立]
工学部/機械工学科62
法政大学[東京/私立]
文学部/哲学科62
法政大学[東京/私立]
文学部/日本文学科62
法政大学[東京/私立]
文学部/英文学科62
法政大学[東京/私立]
法学部/法律学科62
法政大学[東京/私立]
法学部/政治学科62
法政大学[東京/私立]
法学部/国際政治学科62
法政大学[東京/私立]
経営学部/経営学科62
星薬科大学[東京/私立]
薬学部/薬学科(6年制)62
明治大学[東京/私立]
理工学部/建築学科62
明治大学[東京/私立]
理工学部/情報科学科62
明治学院大学[東京/私立]
心理学部/心理学科62
立教大学[東京/私立]
文学部/文学科62
立教大学[東京/私立]
文学部/史学科62
立教大学[東京/私立]
現代心理学部/心理学科62
立教大学[東京/私立]
法学部/法学科62
立教大学[東京/私立]
法学部/国際ビジネス法学科62
立教大学[東京/私立]
法学部/政治学科62
麻布大学[神奈川/私立]
獣医学部/獣医学科62
<62~60>
南山大学[愛知/私立]
外国語学部/英米学科62
同志社大学[京都/私立]
社会学部/産業関係学科62
同志社大学[京都/私立]
社会学部/教育文化学科62
同志社大学[京都/私立]
文化情報学部/文化情報学科62
関西大学[大阪/私立]
外国語学部/外国語学科62
関西学院大学[兵庫/私立]
文学部/総合心理科学科62
酪農学園大学[北海道/私立]
獣医学群/獣医学類61
青山学院大学[東京/私立]
経済学部/現代経済デザイン学科61
青山学院大学[東京/私立]
地球社会共生学部/地球社会共生学科61
学習院大学[東京/私立]
法学部/法学科61
学習院大学[東京/私立]
法学部/政治学科61
学習院大学[東京/私立]
経済学部/経済学科61
学習院大学[東京/私立]
経済学部/経営学科61
中央大学[東京/私立]
経済学部/経済学科61
中央大学[東京/私立]
経済学部/経済情報システム学科61
中央大学[東京/私立]
経済学部/国際経済学科61
中央大学[東京/私立]
経済学部/公共・環境経済学科61
中央大学[東京/私立]
商学部/経営学科61
中央大学[東京/私立]
商学部/商業・貿易学科61
中央大学[東京/私立]
商学部/金融学科61
津田塾大学[東京/私立]
総合政策学部/総合政策学科61
東京理科大学[東京/私立]
理学部/数学科61
日本女子大学[東京/私立]
家政学部/食物学科/食物学専攻61
法政大学[東京/私立]
文学部/史学科61
法政大学[東京/私立]
文学部/地理学科61
法政大学[東京/私立]
文学部/心理学科61
法政大学[東京/私立]
キャリアデザイン学部/
キャリアデザイン学科61
立教大学[東京/私立]
経済学部/会計ファイナンス学科61
立教大学[東京/私立]
コミュニティ福祉学部/
コミュニティ政策学科61
豊田工業大学[愛知/私立]
工学部/先端工学基礎学科61
同志社大学[京都/私立]
文学部/英文学科61
同志社大学[京都/私立]
文学部/哲学科61
同志社大学[京都/私立]
文学部/美学芸術学科61
同志社大学[京都/私立]
文学部/文化史学科61
同志社大学[京都/私立]
文学部/国文学科61
同志社大学[京都/私立]
理工学部/情報システムデザイン学科61
同志社大学[京都/私立]
理工学部/機械システム工学科61
立命館大学[京都/私立]
総合心理学部/総合心理学科61
立命館大学[京都/私立]
法学部/法学科61
立命館大学[京都/私立]
経営学部/国際経営学科61
立命館大学[京都/私立]
経営学部/経営学科61
関西学院大学[兵庫/私立]
経済学部/学科なし61
関西学院大学[兵庫/私立]
商学部/学科なし61
獨協大学[埼玉/私立]
外国語学部/交流文化学科60
青山学院大学[東京/私立]
社会情報学部/社会情報学科60
青山学院大学[東京/私立]
理工学部/機械創造工学科60
学習院大学[東京/私立]
文学部/哲学科60
学習院大学[東京/私立]
文学部/史学科60
学習院大学[東京/私立]
文学部/日本語日本文学科60
学習院大学[東京/私立]
文学部/英語英米文化学科60
学習院大学[東京/私立]
文学部/ドイツ語圏文化学科60
学習院大学[東京/私立]
文学部/フランス語圏文化学科60
学習院大学[東京/私立]
文学部/心理学科60
学習院大学[東京/私立]
文学部/教育学科60
学習院大学[東京/私立]
国際社会科学部/国際社会科学科60
國學院大学[東京/私立]
文学部/日本文学科60
國學院大学[東京/私立]
文学部/史学科60
成蹊大学[東京/私立]
経済学部/経済経営学科60
聖路加国際大学[東京/私立]
看護学部/看護学科60
東京家政大学[東京/私立]
家政学部/栄養学科/管理栄養士専攻60
東京理科大学[東京/私立]
工学部/工業化学科60
東京理科大学[東京/私立]
工学部/電気工学科60
東京理科大学[東京/私立]
経営学部/経営学科60
法政大学[東京/私立]
経営学部/経営戦略学科60
法政大学[東京/私立]
経営学部/市場経営学科60
法政大学[東京/私立]
社会学部/社会政策科学科60
法政大学[東京/私立]
社会学部/社会学科60
法政大学[東京/私立]
社会学部/メディア社会学科60
法政大学[東京/私立]
人間環境学部/人間環境学科60
武蔵大学[東京/私立]
人文学部/日本・東アジア文化学科60
武蔵大学[東京/私立]
社会学部/社会学科60
武蔵大学[東京/私立]
社会学部/メディア社会学科60
明治大学[東京/私立]
理工学部/電気電子生命学科60
明治大学[東京/私立]
理工学部/機械工学科60
明治大学[東京/私立]
理工学部/応用化学科60
明治学院大学[東京/私立]
国際学部/国際学科60
明治学院大学[東京/私立]
国際学部/国際キャリア学科60
明治学院大学[東京/私立]
文学部/英文学科60
立教大学[東京/私立]
文学部/キリスト教学科60
立教大学[東京/私立]
文学部/教育学科60
立教大学[東京/私立]
現代心理学部/映像身体学科60
南山大学[愛知/私立]
国際教養学部/国際教養学科60
同志社大学[京都/私立]
法学部/政治学科60
同志社大学[京都/私立]
生命医科学部/医生命システム学科60
同志社大学[京都/私立]
理工学部/インテリジェント情報工学60
同志社大学[京都/私立]
理工学部/電気工学科60
同志社大学[京都/私立]
理工学部/電子工学科60
同志社大学[京都/私立]
理工学部/エネルギー機械工学科60
同志社大学[京都/私立]
理工学部/機能分子・生命化学科60
同志社大学[京都/私立]
理工学部/化学システム創成工学科60
同志社大学[京都/私立]
理工学部/環境システム学科60
同志社大学[京都/私立]
理工学部/数理システム学科60
立命館大学[京都/私立]
文学部/日本文学研究学域60
立命館大学[京都/私立]
文学部/日本史研究学域60
立命館大学[京都/私立]
文学部/地域研究学域60
立命館大学[京都/私立]
文学部/コミュニケーション学域60
立命館大学[京都/私立]
薬学部/薬学科(6年制)60
立命館大学[京都/私立]
経済学部/経済学科60
立命館大学[京都/私立]
産業社会学部/現代社会学科/
メディア社会専攻60
立命館大学[京都/私立]
産業社会学部/現代社会学科/
スポーツ社会専攻60
立命館大学[京都/私立]
産業社会学部/現代社会学科/
子ども社会専攻60
立命館大学[京都/私立]
政策科学部/政策科学科60
関西大学[大阪/私立]
文学部/総合人文学科60
関西大学[大阪/私立]
社会学部/社会学科/心理学専攻60
関西大学[大阪/私立]
社会学部/社会学科/メディア専攻60
関西大学[大阪/私立]
法学部/法学政治学科60
関西外国語大学[大阪/私立]
英語キャリア学部/英語キャリア学科60
近畿大学[大阪/私立]
薬学部/医療薬学科(6年制)60
関西学院大学[兵庫/私立]
社会学部/社会学科60
岡山理科大学[岡山/私立]
獣医学部/獣医学科60
<59~58>
青山学院大学[東京/私立]
理工学部/化学・生命科学科59
青山学院大学[東京/私立]
理工学部/情報テクノロジー学科59
國學院大学[東京/私立]
文学部/外国語文化学科59
國學院大学[東京/私立]
法学部/法律学科59
成蹊大学[東京/私立]
法学部/法律学科59
成蹊大学[東京/私立]
法学部/政治学科59
成蹊大学[東京/私立]
文学部/英語英米文学科59
成蹊大学[東京/私立]
文学部/日本文学科59
成蹊大学[東京/私立]
文学部/国際文化学科59
成蹊大学[東京/私立]
文学部/現代社会学科59
中央大学[東京/私立]
商学部/会計学科59
東京理科大学[東京/私立]
薬学部/生命創薬科学科(4年制)59
東京理科大学[東京/私立]
理学部/物理学科59
東京理科大学[東京/私立]
理学部/化学科59
日本大学[東京/私立]
文理学部/心理学科59
日本女子大学[東京/私立]
家政学部/住居学科59
法政大学[東京/私立]
経済学部/経済学科59
法政大学[東京/私立]
経済学部/国際経済学科59
法政大学[東京/私立]
経済学部/現代ビジネス学科59
法政大学[東京/私立]
スポーツ健康学部/スポーツ健康学科59
法政大学[東京/私立]
現代福祉学部/福祉コミュニティ学科59
法政大学[東京/私立]
現代福祉学部/臨床心理学科59
武蔵野大学[東京/私立]
薬学部/薬学科59
明治大学[東京/私立]
総合数理学部/
先端メディアサイエンス学科59
明治学院大学[東京/私立]
社会学部/社会学科59
立教大学[東京/私立]
コミュニティ福祉学部/福祉学科59
立教大学[東京/私立]
コミュニティ福祉学部/
スポーツウエルネス学科59
佛教大学[京都/私立]
教育学部/教育学科59
立命館大学[京都/私立]
理工学部/建築都市デザイン学科59
関西大学[大阪/私立]
経済学部/経済学科59
関西大学[大阪/私立]
政策創造学部/政策学科59
関西大学[大阪/私立]
商学部/商学科59
関西学院大学[兵庫/私立]
人間福祉学部/社会福祉学科59
関西学院大学[兵庫/私立]
人間福祉学部/社会起業学科59
関西学院大学[兵庫/私立]
人間福祉学部/人間科学科59
西南学院大学[福岡/私立]
文学部/外国語学科/英語専攻59
獨協大学[埼玉/私立]
外国語学部/英語学科58
青山学院大学[東京/私立]
理工学部/物理・数理学科58
青山学院大学[東京/私立]
理工学部/電気電子工学科58
青山学院大学[東京/私立]
理工学部/経営システム工学科58
北里大学[東京/私立]
薬学部/生命創薬科学科(4年制)58
國學院大学[東京/私立]
文学部/哲学科58
國學院大学[東京/私立]
人間開発学部/初等教育学科58
上智大学[東京/私立]
総合人間科学部/看護学科58
中央大学[東京/私立]
理工学部/数学科58
中央大学[東京/私立]
理工学部/物理学科58
中央大学[東京/私立]
理工学部/都市環境学科58
中央大学[東京/私立]
理工学部/精密機械工学科58
中央大学[東京/私立]
理工学部/電気電子情報通信工学科58
中央大学[東京/私立]
理工学部/応用化学科58
中央大学[東京/私立]
理工学部/経営システム工学科58
中央大学[東京/私立]
理工学部/情報工学科58
中央大学[東京/私立]
理工学部/生命科学科58
中央大学[東京/私立]
理工学部/人間総合理工学科58
東京歯科大学[東京/私立]
歯学部/歯学科58
東京理科大学[東京/私立]
理学部/応用数学科58
東京理科大学[東京/私立]
理学部/応用物理学科58
東京理科大学[東京/私立]
理工学部/情報科学科58
東京理科大学[東京/私立]
理工学部/応用生物科学科58
東京理科大学[東京/私立]
理工学部/建築学科58
東京理科大学[東京/私立]
理工学部/電気電子情報工学科58
東京理科大学[東京/私立]
理工学部/機械工学科58
東京理科大学[東京/私立]
経営学部/ビジネスエコノミクス学科58
東洋大学[東京/私立]
社会学部/社会心理学科58
日本大学[東京/私立]
法学部/公共政策学科58
日本大学[東京/私立]
理工学部/建築学科58
法政大学[東京/私立]
生命科学部/生命機能学科58
法政大学[東京/私立]
生命科学部/応用植物科学科58
法政大学[東京/私立]
デザイン工学部/建築学科58
法政大学[東京/私立]
デザイン工学部/都市環境デザ工学科58
法政大学[東京/私立]
デザイン工学部/システムデザイ学科58
武蔵大学[東京/私立]
人文学部/英語英米文化学科58
武蔵大学[東京/私立]
人文学部/ヨーロッパ文化学科58
明治大学[東京/私立]
理工学部/機械情報工学科58
明治大学[東京/私立]
理工学部/数学科58
明治大学[東京/私立]
理工学部/物理学科58
明治学院大学[東京/私立]
文学部/芸術学科58
明治学院大学[東京/私立]
経済学部/経済学科58
明治学院大学[東京/私立]
経済学部/経営学科58
明治学院大学[東京/私立]
経済学部/国際経営学科58
明治薬科大学[東京/私立]
薬学部/薬学科(6年制)58
立教大学[東京/私立]
理学部/数学科58
立教大学[東京/私立]
理学部/物理学科58
立教大学[東京/私立]
理学部/化学科58
立教大学[東京/私立]
理学部/生命理学科58
中京大学[愛知/私立]
心理学部/心理学科58
名古屋外国語大学[愛知/私立]
現代国際学部/国際教養学科58
名古屋学芸大学[愛知/私立]
看護学部/看護学科58
南山大学[愛知/私立]
外国語学部/
スペイン・ラテンアメリカ学科58
南山大学[愛知/私立]
人文学部/人類文化学科58
南山大学[愛知/私立]
人文学部/心理人間学科58
南山大学[愛知/私立]
人文学部/日本文化学科58
南山大学[愛知/私立]
法学部/法律学科58
南山大学[愛知/私立]
経済学部/経済学科58
南山大学[愛知/私立]
経営学部/経営学科58
京都女子大学[京都/私立]
家政学部/食物栄養学科58
京都女子大学[京都/私立]
家政学部/生活造形学科58
同志社大学[京都/私立]
生命医科学部/医工学科58
同志社大学[京都/私立]
生命医科学部/医情報学科58
立命館大学[京都/私立]
文学部/人間研究学域58
立命館大学[京都/私立]
文学部/東アジア研究学域58
立命館大学[京都/私立]
文学部/ 国際文化学域58
立命館大学[京都/私立]
産業社会学部/現代社会学科/現代社会58
立命館大学[京都/私立]
産業社会学部/現代社会学科/人間福祉58
関西大学[大阪/私立]
社会学部/社会学科/社会学専攻58
関西大学[大阪/私立]
社会学部/社会学科/
社会システムデザイン専攻58
<58~57>
関西大学[大阪/私立]
環境都市工学部/建築学科58
関西学院大学[兵庫/私立]
文学部/文化歴史学科58
関西学院大学[兵庫/私立]
文学部/文学言語学科58
関西学院大学[兵庫/私立]
法学部/法律学科58
関西学院大学[兵庫/私立]
法学部/政治学科58
関西学院大学[兵庫/私立]
教育学部/教育学科/教育科学コース58
大妻女子大学[東京/私立]
家政学部/食物学科/管理栄養士専攻57
学習院大学[東京/私立]
理学部/生命科学科57
共立女子大学[東京/私立]
家政学部/食物栄養学科/管理栄養士専57
駒澤大学[東京/私立]
文学部/国文学科57
駒澤大学[東京/私立]
文学部/地理学科57
駒澤大学[東京/私立]
文学部/歴史学科57
駒澤大学[東京/私立]
文学部/心理学科57
芝浦工業大学[東京/私立]
工学部/機械工学科57
芝浦工業大学[東京/私立]
工学部/情報工学科57
芝浦工業大学[東京/私立]
建築学部/建築学科57
上智大学[東京/私立]
神学部/神学科57
昭和大学[東京/私立]
歯学部/歯学科57
成城大学[東京/私立]
社会イノベーション学部/
政策イノベーション学科57
成城大学[東京/私立]
社会イノベーション学部/心理社会学57
成城大学[東京/私立]
経済学部/経済学科57
成城大学[東京/私立]
経済学部/経営学科57
成城大学[東京/私立]
文芸学部/英文学科57
成城大学[東京/私立]
文芸学部/マスコミュニケーション学57
成城大学[東京/私立]
法学部/法律学科57
専修大学[東京/私立]
人間科学部/心理学科57
津田塾大学[東京/私立]
学芸学部/英語英文学科57
津田塾大学[東京/私立]
学芸学部/国際関係学科57
東京農業大学[東京/私立]
応用生物科学部/栄養科学科57
東京薬科大学[東京/私立]
薬学部/女/医療薬学科57
東京薬科大学[東京/私立]
薬学部/女/医療薬物薬学科57
東京薬科大学[東京/私立]
薬学部/女/医療衛生薬学科57
東京理科大学[東京/私立]
基礎工学部/電子応用工学科57
東京理科大学[東京/私立]
基礎工学部/材料工学科57
東京理科大学[東京/私立]
基礎工学部/生物工学科57
東洋大学[東京/私立]
文学部/国際文化コミュニケーション57
日本大学[東京/私立]
文理学部/史学科57
日本大学[東京/私立]
文理学部/英文学科57
日本大学[東京/私立]
文理学部/教育学科57
日本女子大学[東京/私立]
理学部/物質生物科学科57
法政大学[東京/私立]
理工学部/機械工学科57
法政大学[東京/私立]
理工学部/経営システム工学科57
法政大学[東京/私立]
情報科学部/コンピュータ科学科57
法政大学[東京/私立]
情報科学部/ディジタルメディア学科57
武蔵大学[東京/私立]
経済学部/経済学科57
武蔵大学[東京/私立]
経済学部/経営学科57
武蔵大学[東京/私立]
経済学部/金融学科57
明治大学[東京/私立]
総合数理学部/現象数理学科57
明治大学[東京/私立]
総合数理学部/ネットワークデザイン57
明治学院大学[東京/私立]
法学部/法律学科57
中京大学[愛知/私立]
経済学部/経済学科57
中京大学[愛知/私立]
経営学部/経営学科57
中京大学[愛知/私立]
法学部/法律学科57
南山大学[愛知/私立]
総合政策学部/総合政策学科57
京都産業大学[京都/私立]
理学部/宇宙物理・気象学科57
同志社大学[京都/私立]
スポーツ健康科学部/スポーツ健康科57
同志社大学[京都/私立]
神学部/神学科57
同志社女子大学[京都/私立]
看護学部/看護学科57
立命館大学[京都/私立]
薬学部/創薬科学科(4年制)57
大阪医科大学[大阪/私立]
看護学部/看護学科57
関西大学[大阪/私立]
政策創造学部/国際アジア法政策学科57
関西大学[大阪/私立]
総合情報学部/総合情報学科57
関西大学[大阪/私立]
人間健康学部/人間健康学科57
関西大学[大阪/私立]
社会安全学部/安全マネジメント学科57
関西学院大学[兵庫/私立]
教育学部/教育学科/幼児教育コース57
関西学院大学[兵庫/私立]
総合政策学部/総合政策学科57
関西学院大学[兵庫/私立]
総合政策学部/メディア情報学科57
関西学院大学[兵庫/私立]
総合政策学部/都市政策学科57
関西学院大学[兵庫/私立]
総合政策学部/国際政策学科57
福岡大学[福岡/私立]
薬学部/薬学科57
天使大学[北海道/私立]
看護栄養学部/看護学科56
女子栄養大学[埼玉/私立]
栄養学部/実践栄養学科56
文教大学[埼玉/私立]
教育学部/学校教育課程56
学習院大学[東京/私立]
理学部/物理学科56
学習院大学[東京/私立]
理学部/数学科56
北里大学[東京/私立]
理学部/生物科学科56
北里大学[東京/私立]
看護学部/看護学科56
國學院大学[東京/私立]
人間開発学部/健康体育学科56
國學院大学[東京/私立]
経済学部/経済学科56
國學院大学[東京/私立]
経済学部/経営学科56
順天堂大学[東京/私立]
医療看護学部/看護学科56
昭和薬科大学[東京/私立]
薬学部/薬学科56
成城大学[東京/私立]
文芸学部/国文学科56
成城大学[東京/私立]
文芸学部/芸術学科56
成城大学[東京/私立]
文芸学部/文化史学科56
成城大学[東京/私立]
文芸学部/ヨーロッパ文化学科56
創価大学[東京/私立]
国際教養学部/国際教養学科56
玉川大学[東京/私立]
教育学部/教育学科56
東京医科大学[東京/私立]
医学部/看護学科56
東京理科大学[東京/私立]
理工学部/数学科56
東京理科大学[東京/私立]
理工学部/経営工学科56
東洋大学[東京/私立]
国際学部/
グローバル・イノベーション学科56
東洋大学[東京/私立]
国際学部/国際地域学科56
東洋大学[東京/私立]
国際観光学部/国際観光学科56
東洋大学[東京/私立]
社会学部/社会学科56
東洋大学[東京/私立]
社会学部/社会文化システム学科56
東洋大学[東京/私立]
社会学部/メディアコミュニケーショ56
二松学舎大学[東京/私立]
文学部/国文学科56
日本大学[東京/私立]
文理学部/哲学科56
日本大学[東京/私立]
文理学部/国文学科56
日本大学[東京/私立]
文理学部/社会学科56
日本大学[東京/私立]
経済学部/経済学科56
日本大学[東京/私立]
経済学部/産業経営学科56
日本歯科大学[東京/私立]
生命歯学部/生命歯学科56
日本女子大学[東京/私立]
家政学部/児童学科56
日本赤十字看護大学[東京/私立]
看護学部/看護学科56
明治学院大学[東京/私立]
心理学部/教育発達学科56
明治学院大学[東京/私立]
文学部/フランス文学科56
明治学院大学[東京/私立]
法学部/消費情報環境法学科56
愛知大学[愛知/私立]
国際コミュニケー学部/英語学科56
愛知大学[愛知/私立]
国際コミュニケー学部/国際教養学科56
中京大学[愛知/私立]
スポーツ科学部/スポーツ健康科学科56
名古屋外国語大学[愛知/私立]
現代国際学部/現代英語学科56
名古屋外国語大学[愛知/私立]
現代国際学部/グローバルビジネ学科56
名古屋外国語大学[愛知/私立]
外国語学部/英米語学科56
名古屋外国語大学[愛知/私立]
外国語学部/フランス語学科56
名古屋学芸大学[愛知/私立]
管理栄養学部/管理栄養学科56
名城大学[愛知/私立]
薬学部/薬学科56
京都産業大学[京都/私立]
外国語学部/英語学科56
京都産業大学[京都/私立]
外国語学部/アジア言語学科56
京都産業大学[京都/私立]
情報理工学部/情報理工学科56
京都薬科大学[京都/私立]
薬学部/薬学科56
立命館大学[京都/私立]
理工学部/機械工学科56
立命館大学[京都/私立]
映像学部/映像学科56
立命館大学[京都/私立]
スポーツ健康科学部/スポーツ健康科56
立命館大学[京都/私立]
情報理工学部/情報理工学科56
大阪歯科大学[大阪/私立]
歯学部/歯学科56
関西外国語大学[大阪/私立]
外国語学部/英米語学科56
近畿大学[大阪/私立]
経済学部/経済学科56
近畿大学[大阪/私立]
総合社会学部/総合社会学科/心理系専56
近畿大学[大阪/私立]
文芸学部/文化・歴史学科56
近畿大学[大阪/私立]
経営学部/経営学科56
近畿大学[大阪/私立]
経営学部/商学科56
近畿大学[大阪/私立]
法学部/法律学科56
立命館アジア太平洋大学[大分/私立]
アジア太平洋学部/アジア太平洋学科56
自治医科大学[栃木/私立]
看護学部/看護学科55
獨協大学[埼玉/私立]
国際教養学部/言語文化学科55
学習院大学[東京/私立]
理学部/化学科55
北里大学[東京/私立]
理学部/化学科55
北里大学[東京/私立]
医療衛生学部/医療検査学科55
北里大学[東京/私立]
医療衛生学部/医療工学科/
診療放射線技術科学専攻55
北里大学[東京/私立]
医療衛生学部/リハビリ
テーション学科/理学療法学専攻55
工学院大学[東京/私立]
建築学部/まちづくり学科55
工学院大学[東京/私立]
建築学部/建築学科55
工学院大学[東京/私立]
建築学部/建築デザイン学科55
工学院大学[東京/私立]
先進工学部/応用化学科55
國學院大学[東京/私立]
文学部/中国文学科55
國學院大学[東京/私立]
経済学部/経済ネットワーキング学科55
駒澤大学[東京/私立]
文学部/英米文学科55
駒澤大学[東京/私立]
文学部/社会学科55
実践女子大学[東京/私立]
人間社会学部/人間社会学科55
実践女子大学[東京/私立]
人間社会学部/現代社会学科55
芝浦工業大学[東京/私立]
工学部/応用化学科55
順天堂大学[東京/私立]
スポーツ健康科学部/スポーツ科学科55
昭和大学[東京/私立]
薬学部/薬学科55
昭和女子大学[東京/私立]
生活科学部/管理栄養学科55
東海大学[東京/私立]
医学部/看護学科55
東京家政大学[東京/私立]
人文学部/心理カウンセリング学科55
東京女子大学[東京/私立]
現代教養学部/人文学科55
東京女子大学[東京/私立]
現代教養学部/心理・コミュニケ学科55
東京都市大学[東京/私立]
工学部/建築学科55
東京薬科大学[東京/私立]
薬学部/男/医療薬学科55
東京薬科大学[東京/私立]
薬学部/男/医療薬物薬学科55
東京薬科大学[東京/私立]
薬学部/男/医療衛生薬学科55
東京理科大学[東京/私立]
理工学部/物理学科55
東京理科大学[東京/私立]
理工学部/先端化学科55
東京理科大学[東京/私立]
理工学部/土木工学科55
東洋大学[東京/私立]
文学部/日本文学文化学科55
東洋大学[東京/私立]
文学部/英米文学科55
東洋大学[東京/私立]
文学部/史学科55
東洋大学[東京/私立]
文学部/教育学科55
東洋大学[東京/私立]
経済学部/経済学科55
日本大学[東京/私立]
文理学部/社会福祉学科55
日本大学[東京/私立]
文理学部/地理学科55
日本大学[東京/私立]
法学部/法律学科55
日本大学[東京/私立]
法学部/政治経済学科55
日本大学[東京/私立]
法学部/新聞学科55
日本大学[東京/私立]
法学部/経営法学科55
日本大学[東京/私立]
芸術学部/映画学科55
日本大学[東京/私立]
危機管理学部/危機管理学科55
日本女子大学[東京/私立]
家政学部/被服学科55
日本女子大学[東京/私立]
家政学部/家政経済学科55
法政大学[東京/私立]
生命科学部/環境応用化学科55
法政大学[東京/私立]
理工学部/電気電子工学科55
法政大学[東京/私立]
理工学部/応用情報工学科55
法政大学[東京/私立]
理工学部/創生科学科55
星薬科大学[東京/私立]
薬学部/創薬科学科(4年制)55
武蔵野大学[東京/私立]
看護学部/看護学科55
中京大学[愛知/私立]
スポーツ科学部/スポーツ教育学科55
中京大学[愛知/私立]
国際教養学部/国際教養学科55
中京大学[愛知/私立]
国際英語学部/国際英語学科55
中京大学[愛知/私立]
総合政策学部/総合政策学科55
名古屋外国語大学[愛知/私立]
世界共生学部/世界共生学科55
南山大学[愛知/私立]
外国語学部/フランス学科55
南山大学[愛知/私立]
外国語学部/ドイツ学科55
南山大学[愛知/私立]
外国語学部/アジア学科55
名城大学[愛知/私立]
農学部/応用生物化学科55
名城大学[愛知/私立]
理工学部/情報工学科55
名城大学[愛知/私立]
理工学部/機械工学科55
皇學館大学[三重/私立]
教育学部/教育学科55
同志社女子大学[京都/私立]
生活科学部/人間生活学科55
同志社女子大学[京都/私立]
生活科学部/食物栄養科学科55
立命館大学[京都/私立]
生命科学部/生命情報学科55
立命館大学[京都/私立]
生命科学部/生命医科学科55
立命館大学[京都/私立]
食マネジメント学部/食マネジメント55
大阪薬科大学[大阪/私立]
薬学部/薬学科55
関西大学[大阪/私立]
化学生命工学部/生命・生物工学科55
近畿大学[大阪/私立]
薬学部/創薬科学科(4年制)55
近畿大学[大阪/私立]
農学部/農業生産科学科55
近畿大学[大阪/私立]
農学部/水産学科55
近畿大学[大阪/私立]
建築学部/建築学科55
関西学院大学[兵庫/私立]
教育学部/教育学科/初等教育コース55
関西学院大学[兵庫/私立]
神学部/学科なし55
甲南大学[兵庫/私立]
文学部/社会学科55
<54~54>
北星学園大学[北海道/私立]
文学部/英文学科54
文教大学[埼玉/私立]
教育学部/心理教育課程54
文教大学[埼玉/私立]
文学部/日本語日本文学科54
文教大学[埼玉/私立]
文学部/外国語学科54
杏林大学[東京/私立]
保健学部/看護学科54
駒澤大学[東京/私立]
グローバル・メディア・スタディー
ズ学部/グローバル・メディア学科54
駒澤大学[東京/私立]
法学部/法律学科54
駒澤大学[東京/私立]
法学部/政治学科54
駒澤大学[東京/私立]
経営学部/経営学科54
駒澤大学[東京/私立]
経営学部/市場戦略学科54
芝浦工業大学[東京/私立]
デザイン工学部/デザイン工学科54
昭和女子大学[東京/私立]
人間社会学部/心理学科54
昭和女子大学[東京/私立]
グローバルビジネス学部/
ビジネスデザイン学科54
昭和女子大学[東京/私立]
グローバルビジネス学部/
会計ファイナンス学科54
専修大学[東京/私立]
人間科学部/社会学科54
専修大学[東京/私立]
文学部/日本文学文化学科54
専修大学[東京/私立]
文学部/英語英米文学科54
玉川大学[東京/私立]
教育学部/乳幼児発達学科54
帝京平成大学[東京/私立]
ヒューマンケア学部/看護学科54
東海大学[東京/私立]
体育学部/体育学科54
東京家政大学[東京/私立]
家政学部/栄養学科/栄養学専攻54
東京慈恵会医科大学[東京/私立]
医学部/看護学科54
東京農業大学[東京/私立]
応用生物科学部/農芸化学科54
東京農業大学[東京/私立]
応用生物科学部/醸造科学科54
東京農業大学[東京/私立]
生命科学部/バイオサイエンス学科54
東京農業大学[東京/私立]
農学部/農学科54
東邦大学[東京/私立]
薬学部/薬学科54
東洋大学[東京/私立]
経営学部/経営学科54
東洋大学[東京/私立]
経営学部/マーケティング学科54
東洋大学[東京/私立]
法学部/法律学科54
東洋大学[東京/私立]
法学部/企業法学科54
日本大学[東京/私立]
生物資源科学部/海洋生物資源科学科54
日本大学[東京/私立]
文理学部/中国語中国文化学科54
日本大学[東京/私立]
文理学部/ドイツ文学科54
日本大学[東京/私立]
理工学部/航空宇宙工学科54
日本大学[東京/私立]
経済学部/金融公共経済学科54
日本大学[東京/私立]
商学部/経営学科54
日本大学[東京/私立]
芸術学部/文芸学科54
日本大学[東京/私立]
芸術学部/放送学科54
日本女子大学[東京/私立]
文学部/日本文学科54
日本女子大学[東京/私立]
文学部/英文学科54
日本女子大学[東京/私立]
文学部/史学科54
日本女子大学[東京/私立]
人間社会学部/心理学科54
武蔵野大学[東京/私立]
教育学部/こども発達学科54
武蔵野大学[東京/私立]
教育学部/児童教育学科54
明治学院大学[東京/私立]
法学部/グローバル法学科54
明治学院大学[東京/私立]
法学部/政治学科54
明星大学[東京/私立]
教育学部/教育学科54
愛知大学[愛知/私立]
法学部/法学科54
愛知大学[愛知/私立]
経営学部/経営学科54
愛知大学[愛知/私立]
経営学部/会計ファイナンス学科54
愛知医科大学[愛知/私立]
看護学部/看護学科54
愛知淑徳大学[愛知/私立]
グローバル・コミュニケーション
学部/グローバル・コミュニケ学科54
金城学院大学[愛知/私立]
生活環境学部/食環境栄養学科54
椙山女学園大学[愛知/私立]
生活科学部/管理栄養学科54
中京大学[愛知/私立]
スポーツ科学部/競技スポーツ科学科54
中京大学[愛知/私立]
文学部/歴史文化学科54
中京大学[愛知/私立]
文学部/日本文学科54
中京大学[愛知/私立]
文学部/言語表現学科54
中京大学[愛知/私立]
現代社会学部/現代社会学科54
名古屋学芸大学[愛知/私立]
メディア造形学部/映像メディア学科54
名古屋学芸大学[愛知/私立]
メディア造形学部/デザイン学科54
南山大学[愛知/私立]
人文学部/キリスト教学科54
名城大学[愛知/私立]
外国語学部/国際英語学科54
名城大学[愛知/私立]
経営学部/経営学科54
京都産業大学[京都/私立]
現代社会学部/現代社会学科54
京都産業大学[京都/私立]
現代社会学部/健康スポーツ社会学科54
京都女子大学[京都/私立]
文学部/国文学科54
京都女子大学[京都/私立]
文学部/英文学科54
京都女子大学[京都/私立]
文学部/史学科54
京都女子大学[京都/私立]
現代社会学部/現代社会学科54
京都橘大学[京都/私立]
看護学部/看護学科54
京都橘大学[京都/私立]
健康科学部/臨床検査学科54
同志社女子大学[京都/私立]
学芸学部/メディア創造学科54
同志社女子大学[京都/私立]
学芸学部/国際教養学科54
佛教大学[京都/私立]
保健医療技術学部/理学療法学科54
佛教大学[京都/私立]
保健医療技術学部/看護学科54
佛教大学[京都/私立]
歴史学部/歴史学科54
立命館大学[京都/私立]
生命科学部/応用化学科54
立命館大学[京都/私立]
生命科学部/生物工学科54
立命館大学[京都/私立]
理工学部/数理科学科54
立命館大学[京都/私立]
理工学部/電気電子工学科54
立命館大学[京都/私立]
理工学部/電子情報工学科54
立命館大学[京都/私立]
理工学部/ロボティクス学科54
立命館大学[京都/私立]
理工学部/環境都市工学科54
龍谷大学[京都/私立]
文学部/日本語日本文学科54
関西大学[大阪/私立]
環境都市工学部/都市システム工学科54
関西大学[大阪/私立]
システム理工学部/数学科54
関西大学[大阪/私立]
システム理工学部/物理・応用物理学54
関西大学[大阪/私立]
システム理工学部/機械工学科54
関西大学[大阪/私立]
システム理工学部/電気電子情報工学54
関西外国語大学[大阪/私立]
英語キャリア学部/英語キャリア学科
小学校教員コース54
関西外国語大学[大阪/私立]
外国語学部/スペイン語学科54
近畿大学[大阪/私立]
経済学部/国際経済学科54
近畿大学[大阪/私立]
経済学部/総合経済政策学科54
近畿大学[大阪/私立]
総合社会学部/総合社会学科/
社会・マスメディア系専攻54
近畿大学[大阪/私立]
総合社会学部/総合社会学科/
環境・まちづくり系専攻54
近畿大学[大阪/私立]
文芸学部/文学科54
近畿大学[大阪/私立]
文芸学部/文化デザイン学科54
近畿大学[大阪/私立]
経営学部/会計学科54
近畿大学[大阪/私立]
経営学部/キャリア・マネジメント学54
関西学院大学[兵庫/私立]
理工学部/環境・応用化学科54
関西学院大学[兵庫/私立]
理工学部/情報科学科54
関西学院大学[兵庫/私立]
理工学部/人間システム工学科54
神戸女子大学[兵庫/私立]
看護学部/看護学科54
神戸薬科大学[兵庫/私立]
薬学部/薬学科54
兵庫医療大学[兵庫/私立]
看護学部/看護学科54
武庫川女子大学[兵庫/私立]
生活環境学部/生活環境学科54
武庫川女子大学[兵庫/私立]
生活環境学部/食物栄養学科54
川崎医療福祉大学[岡山/私立]
医療技術学部/臨床検査学科54
西南学院大学[福岡/私立]
文学部/外国語学科/フランス語専攻54
西南学院大学[福岡/私立]
文学部/英文学科54
西南学院大学[福岡/私立]
国際文化学部/国際文化学科54
西南学院大学[福岡/私立]
法学部/法律学科54
西南学院大学[福岡/私立]
法学部/国際関係法学科54
西南学院大学[福岡/私立]
経済学部/経済学科54
西南学院大学[福岡/私立]
経済学部/国際経済学科54
西南学院大学[福岡/私立]
商学部/商学科54
西南学院大学[福岡/私立]
商学部/経営学科54
福岡大学[福岡/私立]
人文学部/歴史学科54
福岡大学[福岡/私立]
人文学部/日本語日本文学科54
立命館アジア太平洋大学[大分/私立]
国際経営学部/国際経営学科54
北海道医療大学[北海道/私立]
看護福祉学部/看護学科53
女子栄養大学[埼玉/私立]
栄養学部/保健栄養学科/保健養護専攻53
獨協大学[埼玉/私立]
外国語学部/ドイツ語学科53
獨協大学[埼玉/私立]
外国語学部/フランス語学科53
獨協大学[埼玉/私立]
経済学部/経済学科53
獨協大学[埼玉/私立]
経済学部/経営学科53
学習院女子大学[東京/私立]
国際文化交流学部/日本文化学科53
学習院女子大学[東京/私立]
国際文化交流学部/
国際コミュニケーション学科53
学習院女子大学[東京/私立]
国際文化交流学部/
英語コミュニケーション学科53
杏林大学[東京/私立]
保健学部/理学療法学科53
工学院大学[東京/私立]
先進工学部/生命化学科53
國學院大学[東京/私立]
人間開発学部/子ども支援学科53
国士舘大学[東京/私立]
政経学部/政治行政学科53
国士舘大学[東京/私立]
政経学部/経済学科53
<53~52>
駒澤大学[東京/私立]
経済学部/経済学科53
駒澤大学[東京/私立]
経済学部/商学科53
実践女子大学[東京/私立]
生活科学部/
食生活科学科/管理栄養士専攻53
芝浦工業大学[東京/私立]
工学部/機械機能工学科53
芝浦工業大学[東京/私立]
工学部/材料工学科53
芝浦工業大学[東京/私立]
工学部/電子工学科53
芝浦工業大学[東京/私立]
工学部/情報通信工学科53
昭和女子大学[東京/私立]
生活科学部/環境デザイン学科53
専修大学[東京/私立]
文学部/日本語学科53
専修大学[東京/私立]
文学部/歴史学科53
専修大学[東京/私立]
法学部/法律学科53
専修大学[東京/私立]
法学部/政治学科53
専修大学[東京/私立]
経営学部/経営学科53
玉川大学[東京/私立]
文学部/国語教育学科53
津田塾大学[東京/私立]
学芸学部/情報科学科53
帝京大学[東京/私立]
医療技術学部/診療放射線学科53
帝京大学[東京/私立]
医療技術学部/臨床検査学科53
東海大学[東京/私立]
海洋学部/海洋生物学科53
東京女子大学[東京/私立]
現代教養学部/国際英語学科53
東京女子大学[東京/私立]
現代教養学部/国際社会学科53
東京農業大学[東京/私立]
農学部/生物資源開発学科53
東邦大学[東京/私立]
理学部/生物学科53
東洋大学[東京/私立]
経済学部/国際経済学科53
日本大学[東京/私立]
理工学部/応用情報工学科53
日本大学[東京/私立]
理工学部/数学科53
日本大学[東京/私立]
薬学部/薬学科53
日本大学[東京/私立]
歯学部/歯学科53
日本大学[東京/私立]
スポーツ科学部/競技スポーツ学科53
明治学院大学[東京/私立]
社会学部/社会福祉学科53
明治薬科大学[東京/私立]
薬学部/生命創薬科学科(4年制)53
立正大学[東京/私立]
経営学部/経営学科53
神奈川大学[神奈川/私立]
外国語学部/国際文化交流学科53
愛知大学[愛知/私立]
経済学部/経済学科53
愛知淑徳大学[愛知/私立]
福祉貢献学部/福祉貢献学科53
中京大学[愛知/私立]
工学部/機械システム工学科53
中部大学[愛知/私立]
生命健康科学部/保健看護学科53
中部大学[愛知/私立]
生命健康科学部/理学療法学科53
名古屋学芸大学[愛知/私立]
ヒューマンケア学部/子どもケア学科53
京都産業大学[京都/私立]
文化学部/京都文化学科53
京都産業大学[京都/私立]
文化学部/国際文化学科53
京都女子大学[京都/私立]
発達教育学部/教育学科53
京都女子大学[京都/私立]
発達教育学部/児童学科53
京都女子大学[京都/私立]
法学部/法学科53
大阪工業大学[大阪/私立]
工学部/建築学科53
関西大学[大阪/私立]
化学生命工学部/化学・物質工学科53
近畿大学[大阪/私立]
国際学部/国際学科53
甲南大学[兵庫/私立]
文学部/日本語日本文学科53
甲南大学[兵庫/私立]
文学部/歴史文化学科53
甲南大学[兵庫/私立]
経営学部/経営学科53
甲南大学[兵庫/私立]
法学部/法学科53
園田学園女子大学[兵庫/私立]
人間健康学部/人間看護学科53
武庫川女子大学[兵庫/私立]
文学部/日本語日本文学科53
武庫川女子大学[兵庫/私立]
文学部/心理・社会福祉学科53
西南学院大学[福岡/私立]
人間科学部/児童教育学科53
西南学院大学[福岡/私立]
人間科学部/社会福祉学科53
西南学院大学[福岡/私立]
人間科学部/心理学科53
福岡大学[福岡/私立]
医学部/看護学科53
国際医療福祉大学[栃木/私立]
小田原保健医療学部/看護学科52
国際医療福祉大学[栃木/私立]
成田看護学部/看護学科52
獨協大学[埼玉/私立]
法学部/法律学科52
文教大学[埼玉/私立]
文学部/英米語英米文学科52
神田外語大学[千葉/私立]
外国語学部/英米語学科52
神田外語大学[千葉/私立]
外国語学部/国際コミュニケーシ学科52
大妻女子大学[東京/私立]
人間関係学部/人間関係学科/社会学専52
北里大学[東京/私立]
理学部/物理学科52
北里大学[東京/私立]
医療衛生学部/医療工学科/臨床工学専52
北里大学[東京/私立]
海洋生命科学部/海洋生命科学科52
共立女子大学[東京/私立]
家政学部/建築・デザイン学科52
<52~52>
國學院大学[東京/私立]
神道文化学部/神道文化学科52
国士舘大学[東京/私立]
文学部/教育学科52
国士舘大学[東京/私立]
文学部/文学科52
国士舘大学[東京/私立]
体育学部/体育学科52
駒澤大学[東京/私立]
医療健康科学部/診療放射線技術科学52
駒沢女子大学[東京/私立]
人間健康学部/健康栄養学科52
駒沢女子大学[東京/私立]
看護学部/看護学科52
実践女子大学[東京/私立]
生活科学部/生活文化学科/幼児保育専52
芝浦工業大学[東京/私立]
システム理工学部/電子情報システム52
芝浦工業大学[東京/私立]
システム理工学部/機械制御システム52
芝浦工業大学[東京/私立]
システム理工学部/環境システム学科52
芝浦工業大学[東京/私立]
システム理工学部/生命科学科52
芝浦工業大学[東京/私立]
システム理工学部/数理科学科52
順天堂大学[東京/私立]
国際教養学部/国際教養学科52
順天堂大学[東京/私立]
保健看護学部/看護学科52
昭和女子大学[東京/私立]
生活科学部/健康デザイン学科52
成蹊大学[東京/私立]
理工学部/物質生命理工学科52
成蹊大学[東京/私立]
理工学部/情報科学科52
成蹊大学[東京/私立]
理工学部/システムデザイン学科52
専修大学[東京/私立]
商学部/マーケティング学科52
専修大学[東京/私立]
経済学部/経済学科52
専修大学[東京/私立]
経済学部/国際経済学科52
拓殖大学[東京/私立]
商学部/経営学科52
玉川大学[東京/私立]
観光学部/観光学科52
津田塾大学[東京/私立]
学芸学部/数学科52
東京経済大学[東京/私立]
経営学部/経営学科52
東京経済大学[東京/私立]
経営学部/流通マーケティング学科52
東京経済大学[東京/私立]
現代法学部/現代法学科52
東京経済大学[東京/私立]
コミュニケーション学部/
コミュニケーション学科52
東京都市大学[東京/私立]
知識工学部/情報科学科52
東京都市大学[東京/私立]
知識工学部/情報通信工学科52
東京農業大学[東京/私立]
生命科学部/分子生命化学科52
東京農業大学[東京/私立]
生命科学部/分子微生物学科52
東京農業大学[東京/私立]
農学部/動物科学科52
東京農業大学[東京/私立]
地域環境科学部/森林総合科学科52
東京農業大学[東京/私立]
地域環境科学部/地域創成科学科52
東邦大学[東京/私立]
看護学部/看護学科52
東洋大学[東京/私立]
文学部/哲学科52
東洋大学[東京/私立]
文学部/東洋思想文化学科52
東洋大学[東京/私立]
経営学部/会計ファイナンス学科52
二松学舎大学[東京/私立]
文学部/中国文学科52
二松学舎大学[東京/私立]
文学部/都市文化デザイン学科52
日本大学[東京/私立]
文理学部/地球科学科52
日本大学[東京/私立]
文理学部/生命科学科52
日本大学[東京/私立]
理工学部/海洋建築工学科52
日本大学[東京/私立]
理工学部/まちづくり工学科52
日本大学[東京/私立]
理工学部/機械工学科52
日本大学[東京/私立]
理工学部/物質応用化学科52
日本大学[東京/私立]
商学部/商業学科52
日本大学[東京/私立]
商学部/会計学科52
日本大学[東京/私立]
芸術学部/演劇学科52
日本大学[東京/私立]
芸術学部/デザイン学科52
日本女子大学[東京/私立]
理学部/数物科学科52
武蔵野大学[東京/私立]
グローバル学部/
グローバルコミュニケーション学科52
武蔵野大学[東京/私立]
文学部/日本文学文化学科52
明星大学[東京/私立]
心理学部/心理学科52
立正大学[東京/私立]
心理学部/臨床心理学科52
立正大学[東京/私立]
心理学部/対人・社会心理学科52
立正大学[東京/私立]
文学部/史学科52
立正大学[東京/私立]
法学部/法学科52
神奈川大学[神奈川/私立]
法学部/法律学科52
鎌倉女子大学[神奈川/私立]
家政学部/管理栄養学科52
愛知大学[愛知/私立]
文学部/人文社会学科52
愛知大学[愛知/私立]
文学部/心理学科52
愛知学院大学[愛知/私立]
文学部/歴史学科52
愛知淑徳大学[愛知/私立]
文学部/教育学科52
愛知淑徳大学[愛知/私立]
健康医療科学部/健康栄養学科52
椙山女学園大学[愛知/私立]
生活科学部/生活環境デザイン学科52
<52~51>
名古屋外国語大学[愛知/私立]
外国語学部/中国語学科52
名古屋学院大学[愛知/私立]
リハビリテーション学部/理学療法学52
日本赤十字豊田看護大学[愛知/私立]
看護学部/看護学科52
日本福祉大学[愛知/私立]
看護学部/看護学科52
藤田医科大学[愛知/私立]
医療科学部/放射線学科52
名城大学[愛知/私立]
農学部/生物資源学科52
名城大学[愛知/私立]
農学部/生物環境科学科52
名城大学[愛知/私立]
理工学部/数学科52
名城大学[愛知/私立]
理工学部/電気電子工学科52
名城大学[愛知/私立]
理工学部/応用化学科52
名城大学[愛知/私立]
理工学部/メカトロニクス工学科52
名城大学[愛知/私立]
理工学部/建築学科52
名城大学[愛知/私立]
人間学部/人間学科52
名城大学[愛知/私立]
都市情報学部/都市情報学科52
鈴鹿医療科学大学[三重/私立]
看護学部/看護学科52
京都外国語大学[京都/私立]
外国語学部/英米語学科52
京都外国語大学[京都/私立]
外国語学部/フランス語学科52
京都外国語大学[京都/私立]
外国語学部/ドイツ語学科52
京都外国語大学[京都/私立]
外国語学部/中国語学科52
京都産業大学[京都/私立]
外国語学部/ヨーロッパ言語学科52
京都橘大学[京都/私立]
健康科学部/理学療法学科52
同志社女子大学[京都/私立]
現代社会学部/社会システム学科52
同志社女子大学[京都/私立]
現代社会学部/現代こども学科52
同志社女子大学[京都/私立]
表象文化学部/英語英文学科52
同志社女子大学[京都/私立]
表象文化学部/日本語日本文学科52
佛教大学[京都/私立]
教育学部/臨床心理学科52
立命館大学[京都/私立]
理工学部/物理科学科52
龍谷大学[京都/私立]
文学部/臨床心理学科52
龍谷大学[京都/私立]
文学部/歴史学科52
龍谷大学[京都/私立]
法学部/法律学科52
龍谷大学[京都/私立]
経済学部/現代経済学科52
龍谷大学[京都/私立]
経済学部/国際経済学科52
龍谷大学[京都/私立]
農学部/食品栄養学科52
関西大学[大阪/私立]
環境都市工学部/エネルギー・環境工52
関西医科大学[大阪/私立]
看護学部/看護学科52
関西外国語大学[大阪/私立]
英語国際学部/英語国際学科52
近畿大学[大阪/私立]
農学部/応用生命化学科52
近畿大学[大阪/私立]
農学部/食品栄養学科52
近畿大学[大阪/私立]
農学部/環境管理学科52
近畿大学[大阪/私立]
農学部/生物機能

人物伝

日本マクドナルド社長・日色保氏とは? 2019年も9月4日(水)から月見バーガー・黄金の月見バーガー・月見パイが味わえる季節がやってきましたよ。

日本マクドナルド新社長 日色保氏とは?

はる坊です。
日本マクドナルドホールディングスが、事業会社の日本マクドナルド社長に、同社の上席執行役員である日色保(ひいろ たもつ)氏をあてることを発表しました。社長就任は、2019年3月27日開催予定の株主総会後の取締役会で正式に決定される予定です。

これまで同社社長を務めてきたサラ・エル・カサノバ氏は、同社の代表取締役会長に就任予定です。

日本マクドナルド新社長 日色保氏のプロフィール

日色 保(ひいろ たもつ)氏は、1965年生まれで現在54歳です。

1988年に静岡大学人文学部法学科を卒業後、1988年静岡大学卒業後、ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)に入社されています。
医療機器の営業やマーケティング、トレーニングを担当されたのち、外科用器材部門と糖尿病関連事業部門の事業部長を経験。
2005年には、J&Jのグループ会社であるオーソ・クリニカル・ダイアグノスティックス株式会社の代表取締役社長に就任されています。
グループ会社とはいえ、40歳で社長就任はすごいですね。
2008年には、同社のアジアパシフィックの事業も統括。
2010年にジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社 メディカル カンパニー 成長戦略担当副社長 シニアバイスプレジデントに就任。
2018年9月に日本マクドナルドの上席執行役員 CSO(チーフ・サポート・オフィサー)に就任されて、それから半年で社長就任となる訳です。

新社長の手腕に期待したいところです。

日色保 新社長就任後の日本マクドナルドの役員体制

日本マクドナルドホールディングス株式会社
取締役会長:ロバート D.ラーソン
代表取締役社長兼 CEO:サラ L.カサノバ(日本マクドナルド 代表取締役会長兼CEO
代表取締役副社長兼 COO:下平 篤雄(日本マクドナルド 代表取締役副社長兼COO)
代表取締役 上席執行役員:佐藤 仁志
取締役 執行役員:宮下 建治
取締役:アンドリュー V.ヒプスレイ
取締役:アローシャ・ウィジェムニ
取締役:日色 保(日本マクドナルド 代表取締役社長兼COO)
社外取締役:川村 明
社外取締役:上田 昌孝
※社外取締役の川村 明 氏は弁護士で、アンダーソン・毛利・友常法律事務所の顧問。
※社外取締役の上田 昌孝 氏は実業家で、アメリカンホーム保険会社の代表取締役会長やセシール代表取締役会長、そして、フジ・ダイレクト・マーケティング代表取締役社長、ディノス・セシール代表取締役会長を歴任されてきた人物です。
また、子供向けの職業体験施設であるキッザニアのエグゼクティブ・アドバイザーを務められています。

日本マクドナルド株式会社
代表取締役会長兼CEO:サラ・エル・カサノバ
代表取締役社長兼COO:日色 保
代表取締役副社長兼COO:下平 篤雄
取締役 上席執行役員:アンドリュー R.ブラフ
社外取締役:高橋 鉄

取締役 石渡 勲 氏は退任されるようですね。

日本マクドナルド代表取締役副社長COO下平 篤雄 氏って?

さて、ここで気になるのは、
日本マクドナルドホールディングスと日本マクドナルドで代表取締役副社長COOを務められている下平 篤雄 氏の存在です。
下村篤雄 氏のプロフィールを紹介しますと、
1953年東京都生まれ。1976年國学院大学法学部卒業。1978年日本マクドナルド入社。中央地区本部長・コーポレートリレーション本部長・営業推進本部長などを経て、2005年に日本マクドナルド代表取締役。
2009年大手フランチャイズ・チェーンのクオリティーフーズ(新潟市)に出向・入社。
2015年本社に戻り、上席執行役員フィールドオペレーション本部長を経て、2015年3月から現職。
という経歴です。
創業者・藤田田時代からの生え抜きですね。
社長を務められるには、年齢が66歳とちょっと長期政権のトップでは難しかったのかもしれません。

ちなみに、一時期、出向・入社されていたクォリティフーズ株式会社は、1990年2月5日に設立され、現在118店舗のマクドナルドを運営している企業です。

人物伝

【ドラクエ王】スクウェア・エニックスの創業者 福嶋康博の人生がスゴすぎる③

はる坊です。
引き続き、スクウェア・エニックス創業者の福嶋康博さんの足跡を追っていきます。

持ち帰り寿司事業⇒東芝オフィスコンピュータ代理店 エムシービー⇒エニックス創業

福嶋さんが考えたのは、素人でも扱える機械を導入して、寿司づくりの自動化を図ることでした。

そして、自動寿司握りロボットを導入します。

ただ、機械自体が高額な為に、最初のお店は素人でもできる型押しロボットを導入しました。

目標は、5年間で全国490店舗を展開して、当時急成長で注目を浴びていた小僧寿しを抜いて、テイクアウト寿司市場でNo.1を獲ることです。

1979年(昭和54年)持ち帰り寿司全国No.1を目指して、寿司をロボットが握る持ち帰り寿司店を狛江市の狛江団地近くにオープンします。

当時の小僧寿しは、店が路面に向いており、衛生面に疑問を持った福嶋さんは、マクドナルド型に、店舗に入ってすぐ持ち帰りカウンターのある店舗を造り、衛生面にも気を配った店舗を完成させました。

店舗の向かい側はスーパーマーケット。
ターゲットとする客層に、アピールできる最高の立地でした。

開店当初の店舗は大盛況。大行列。

福嶋さんは、「これは大成功だ!」と胸を躍らせます。

次々に、持ち帰り寿司店舗を展開していけば、小僧寿しを超えられる!

しかし、やがて客足は遠のき始めます。

「なぜだろう?」

と思った福嶋さんは、自転車のカゴに寿司を入れて走ってみました。

しばらく走って、狛江団地のベンチに座り寿司折りを開けてみると、客足が遠のいた理由がハッキリと分かりました。

寿司のネタとシャリの握りが甘く、ネタがシャリからすべて落ちていたのです。

まだ、導入したロボットの技術が拙く、しっかりと握るところまでできていなかったのです。
早急にパート従業員を採用して、ロボットが握った寿司を、人の手でもう一度握り直すことで、客足は戻ってきましたが、福嶋さんはこの事業から撤退することを決断します。

この事業の目的は、寿司屋として成功することではなく、小僧寿しよりローコストの持ち帰り寿司チェーンを高利益体質で急速展開することにありました。ローコスト実現のために導入したロボットが型押しした寿司をパート従業員が握り直していたのでは、設備投資をした分、福嶋さんの持ち帰り寿司店は小僧寿しよりコストがかかってしまいます。

結局、持ち帰り寿司事業は頓挫します。
店自体に利益は出ていましたが、寿司握りロボットの導入と清潔さを求めた店舗の内装費を投資をしたため、3ヶ月で3000万円の赤字を出しました。

しかし、福嶋さんに後悔はありませんでした。

最初から損切りの金額を決めていたからです。

営団社募集サービスセンター自体に年間で7,000万円の利益が出ていたため、「3,000万円までの赤字なら、本業に差し支えない」そういう計算が出来ており、落ち込むこともありませんでした。

次に進出したのが、コンピューター事業でした。
といっても、ハドソンのようにソフトウエアを開発して通信販売したのではありません。

1980年のこと、福嶋さんは再度渡米して、ロサンゼルスで新規事業を検討します。
結果、パーソナルコンピュータのソフトビジネスに将来性があると判断して、確信を持って帰国します。

ただ、可能性があるからといって、いきなり事業を興すことはしませんでした。
そこで、実験的に福嶋さんがパソコンと顧客管理ソフトを持って市場調査の為に、会社を飛び込み訪問して様子をみました。すると関心を持っている人が意外に多いことに気付きます。なかには、その場でシステムを売ってくれという人までいました。

コンピュータはビジネスになる

福嶋さんの確信は深まりました。
そして、株式会社 エム・シー・ビー(MCB)を設立して、東芝のオフィス・コンピュータ(オフコン)の販売代理店になったのです。
営業マンは営団社募集サービスセンターから数名の社員を出向する形で事業を開始しました。

このとき、福嶋さんはセールスマンに命じた言葉があります。
『コンピュータがあれば何でもできますと絶対に言うな』というものでした。

なぜかというと、当時は、企業にコンピュータが入り始めた頃です。
しかし、セールスマンに「コンピュータがあれば何でもできます」と言われて、機能をどんどん追加した挙げ句、見積書が非常に高額となってしまい、客側がコンピュータ導入に躊躇する状態でもありました。

事実、大手メーカーがオフコンを売りだして、多くの販売代理店が生まれましたが、利益を得ていたのはごく少数でした。

福嶋さんの戦略は、客の要望を聞いてそれに合わせた商品を売るというものでした。

また、アフターサービスもおこない、顧客の信頼を勝ち得ていきます。

このとき設立した株式会社 エム・シー・ビー(MCB)には、のちにドラゴンクエストの初代プロデューサーとなる千田幸信さんが入社してきました。
千田さんはエム・シー・ビー(MCB)で働いた後、一旦退職。
フリーのプログラマー・システムエンジニアとして仕事をしたあと、仕事をもらいに福嶋さんの元に訪れた際に、エニックス設立への参加を要請されています。

エム・シー・ビーは東京で1位の東芝代理店になります。

中古パソコンはBe-Stockで!最短即日配送!安心半年無償保証!法人掛売対応



エニックス事業開始。ゲームコンテストを開催してゲームソフト事業で成功。JASDAQ上場まで

賞金総額300万円「エニックス 第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」

福嶋さんが次に目を付けたのはパソコンゲーム事業でした。

1982年8月、経営していた株式会社営団社募集サービスセンターの子会社・株式会社営団社システムの商号を株式会社エニックスに変更します。

代表取締役社長には福嶋康博さん。
取締役には千田幸信さん。
そして、営団社募集サービスセンター設立まもなくから福嶋さんと働いていた高野豊さんという3人で事業を開始します。

現在も、東京都新宿区西新宿7丁目1-8にある1972年築のヒノデビル。
1Fにモスバーガーの入った何の変哲もない雑居ビルですが、すべては、この場所からはじまりました。

エニックスを設立した福嶋さんは、すぐに、賞金総額300万円の「エニックス 第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」を企画・実施します。

最優秀プログラム賞受賞者には賞金100万円。
優秀プログラム賞受賞者(2名)には賞金50万円。
入選プログラム賞受賞者(10名)には10万円。
参加者全員に記念品を用意。

当時、多くのゲームコンテストが実施されていましたが、賞金額は異例の金額でした。

しかし、ゲームがなかなか集まりません。その理由は以下の3つです。

・他にもゲームコンテストは開催されていたが、最優秀賞が出ないコンテストが多かった
・うさんくさい会社がゲームコンテストを実施して悪い噂が流れていた

そして、これがいちばん大きな理由でした。

エニックスが、まったくの無名会社だったから。

さすがに、社長の福嶋さんも、この事態には喫茶店で頭を抱えたと振り返っています
(福嶋康博 著『マイナスに賭ける!―「人並み志向」で勝機はつかめない』より)

それでも、福嶋さん・千田さん・高野さんの3人は諦めませんでした。

千田さんは秋葉原へ行き、頭を下げて、マイコンショップにコンテストのポスターを店内に貼らせてもらいます。
そして、全国の有力なマイコンクラブや他のコンテストの入賞者に「必ず、最優秀賞は出しますから」と応募を要請しました。
最後に、千田さんは週刊少年ジャンプ編集部を訪れます。
少年ジャンプにコンテストの記事を載せて欲しいと頼む為でした。

このときに、千田さんの応対をしたのが、鳥嶋和彦さんです。
ジャンプで最初のパソコンゲーム特集を担当することになっていた鳥嶋さんには、千田さんの訪問は渡りに船でした。

依頼を承諾して、フリーライターで集英社のseventeen(セブンティーン)でも記事を書いていた堀井雄二さんに、取材をしてくれるよう依頼しました。
鳥嶋さんと堀井さんはすでにゲーム仲間でした。
鳥嶋さんは、この取材は堀井さんが適任だと感じたのでしょう、堀井さんはすでにパソコン(マイコン)にハマっており、取材を承諾した上に、自分でも『ラブマッチテニス』というアクション性の高いテニスゲームをコンテストに応募しました。

四国・香川県の県立丸亀高校には、すでに全国のマイコン少年からその存在を認められている少年がいました。中村光一さんです。
中村さんは、新聞配達のバイトで貯めたお金でPC-8801を購入して、ゲーム製作&プログラミングに没頭します。

マイコン雑誌『I/O』に投稿して認められ、開発したツールの原稿料や投稿したゲームが販売されて発生した印税を得るとPC-8801を購入。
エニックスのコンテストに『ドアドア』を応募します。

また、NHKが取材に入るという機会が訪れ、ゲームコンテストは一気に加速がつきました。

最終的には、コンテストに100本以上のゲームが集まりました。ゲームの審査では、面白く遊べるゲームとそうではないゲームがハッキリ分かれていたので、苦労はなかったと福嶋さんが語っています。

大きな才能が集まることとなるコンテストとなった

審査の結果は、のちに『森田将棋』で名を馳せる森田和郎さん(東京工業大学中退後、当時は埼玉医科大学医学部在学中)の『森田のバトルフィールド』が最優秀賞を受賞。

中村光一さんの『ドアドア』は惜しくも優秀プログラム賞でした。

堀井雄二さんの『ラブマッチテニス』は入選プログラム賞を受賞。

このコンテストで、堀井雄二さんと中村光一さんを発掘することができたのは、エニックスにとって大収穫でした。

ゲームコンテストで入賞したゲームを製品化して売り出すと、『ドアドア』の8万本を始め、パソコンゲームの売上上位にエニックスのソフトが名を連ねます。

エニックスは設立初年度で、3億5,000万円の利益をはじき出しました。

1983年10月には、取引銀行の支店長の仲立ちで、コニカ(当時は、小西六写真工業)と合弁で小西六エニックス(コニカエニックス)を設立します。

資本金は6,000万円。
当初エニックスの出資比率が50.6%でした。

コニカエニックス社長にも就任した福嶋さんは、ゲームソフト流通業に力を入れます。

この会社は設立してから数年で、年間売上高30億円の企業に成長しました。

福嶋さんにとって一番大きな収穫は、コニカエニックスに出向してきたコニカの優秀な人材を、エニックスに入社させられたことでしょう。
彼らは、エニックスの役員や幹部となり、1980年代後半から1990年代半ばのエニックスを支える存在になります。

この頃、少しずつ注目経営者となっていった福嶋さんは雑誌のインタビューに登場しています。

年収はこの頃で1700万円。月のお小遣いは30万円。
しかし、営団社募集サービスセンター・エニックス・コニカエニックスと3社の代表取締役社長を務めていた福嶋さんは忙しく、
昼食は、立ち食いそばで済ませて、朝から夜遅くまで働いていたようです。

次に福嶋さんは、任天堂が発売したファミコンに『ドアドア』を移植して発売。
20万本のヒットとなります。

そして続いて、堀井雄二さんシナリオ・ゲームデザインの『ポートピア連続殺人事件』を発売60万本のヒットとなります。

これが、『ドラゴンクエスト』開発への足がかりとなります。

千田幸信さんがプロデューサーとなり、シナリオ・ゲームデザインに堀井雄二さん、キャラクターデザインに鳥山明さん、音楽にすぎやまこういちさん、そして、メインプログラムにチュンソフトを設立して代表取締役社長兼メインプログラマーとなっていた中村光一さんという主要スタッフの元で開発された『ドラゴンクエスト』はⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳと発売される毎に、人気とその発売本数を増やしていきます。

そして、発売日当日には大行列ができるのが風物詩になります、

3DS・DSがあればシリーズ全作が遊べる『ドラゴンクエスト』シリーズについてまとめた記事はこちらです。(新しいページが開きます)⇒3DSとDSがあれば、ドラクエシリーズが全作品が遊べるんです!!

1991年2月1日。当時としては異例のスピードの会社設立から実質9年での株式店頭公開(ジャスダック上場)達成

福嶋さんは500億円の株式資産を得て、辣腕経営者として注目される

ゲーム業界で任天堂のようにゲーム用ハードウェアを製造しない、ソフトウェアメーカーで最初に株式を上場したのはコナミ(現:コナミホールディングス)でした。

1984年10月に大阪証券取引場第2部に設けられたベンチャー企業向けの新2部に上場を果たしたのです。(コナミはその後1988年2月に東証2部への上場を果たすと、8ヶ月後の10月に東証1部に上場しています。)

コナミが株式上場企業となったことや〝ファミコンブーム〟の到来で、証券会社もゲーム関係企業に注目を向けて、ゲーム業界では店頭公開(ジャスダック上場)や東証・大証上場を果たす企業が増えていました。

1986年4月 セガ・エンタープライゼス(現:セガゲームス)が店頭公開⇒1988年4月に東証2部上場⇒1990年10月に東証1部上場

1988年1月 ナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)が東証2部上場⇒1991年9月に東証1部上場

1988年9月 ジャレコが店頭公開(現:ジャスダック上場)

1990年1月 カプコンが店頭公開(現:ジャスダック上場)⇒1993年10月大証2部上場⇒1999年9月大証1部に指定替え⇒2000年10月東証1部上場

ドラゴンクエスト』の大ヒットと共に発売元のエニックスも注目を受けることになり、証券会社から株式上場の誘いが頻繁に来るようになります。

株式上場について、福嶋さんは当初慎重で断り続けました。

一番、株式を上場しやすい店頭公開(ジャスダック上場)でも、準備に2~3年かかるのが当たり前で、そこまで労力を払って株式公開や上場をするのは割に合わないのではないかという考えがあった為です。

また、株式を上場させると、経営の自由度が下がるのではないかという不安もあったようです。

しかし、福嶋さんが欲しいのは優秀な人材でした。
エニックスが上場すれば、社会的信用も増して、優れた人材が集まって来やすいのは確かでした。
当時の取締役社長室長 前川敏雄さんと総務部長が店頭公開時に主幹事証券会社となった山一証券と中心となって進めていきました。

1990年2月11日に発売された『ドラゴンクエストⅣ』のメガヒットで、1990年3月期のエニックスの業績は、

売上高:162億6,600万円
営業利益:38億8,600万円
経常利益:39億5,700万円

と順調な伸びを見せます。

そして1991年2月1日、エニックスは店頭公開(JASDAQ上場)を果たします。
株式の初値は12,000円。

会社設立から9年の株式上場は、当時としてはかなりのスピードであり、福嶋さんは辣腕経営者と認められます。
また、この株式上場によって福嶋さんは500億円の株式資産を保有することになります。

上場後初となる、1991年3月決算でも、昨年度に引き続き『ドラゴンクエストⅣ』効果が持続して、
売上高:150億6,200万円
営業利益:32億8,400万円
経常利益:35億2,000万円
を記録します。

1992年5月に公示された、1991年分の高額納税者の公示では、福嶋さんは株式売却益を得て3億2,950万円を納税しています。
(ちなみに、同公示では、エニックス創業メンバーで専務取締役の千田幸信さんが7,107万円、『ドラゴンクエスト』の作者である堀井雄二さんが2,245万円を納税しています。)

福嶋さんは、上場で得た利益で、川崎市多摩区から、杉並区浜田山の豪邸に移り住みます。
敷地450坪。地下1階地上2階の建物には、福嶋さんの好きな麻雀が思う存分楽しめる麻雀ルームと健康のためスポーツジムが設えられました。
また、広い庭の草むしりは、福嶋さん休日の日課になりました。

ここで非常にたいせつなことは、福嶋さんが必要以上に所有している株式を売却しなかったことです。

店頭公開後も福嶋さんは、福嶋康博個人と資産管理会社の福嶋企画、そして、奥様の福嶋美知子で70%の株式を保有していました。広大な邸宅の建築が目標だったわけではないでしょうが、10数年後に建てることになる渋谷区初台の大豪邸に向けて、重要な資産となっていきます。

杉並区浜田山に移る前に福嶋さん一家が暮らしていた、敷地面積:約80坪の川崎市多摩区の旧福嶋邸は、エニックスと深い関わりがあった開発会社・クインテットの橋本昌哉さんが買取り、その後、クインテットが保有しています。

福嶋さんが川崎市多摩区に自宅を構えていたのも理由があると考えています。
かわさきマイコンシティ(川崎市マイコンシティ)に近かったことです。
エニックスは川崎市多摩区にエニックス研究所を設置して、センサーの開発販売を目的に、ピーエムエフという会社に出資していました。

「この場所に住んでいれば、ビジネスにも有利だ」

まだ、30代半ばの若き経営者だった福嶋さんが、そう考えたのではないかと思います。

エニックスを支えた開発会社・クインテット。エニックス側の担当プロデューサーは人気漫画家・赤坂アカさんの父親

クインテットは、日本ファルコムで『イース』シリーズなどを手掛けていた、橋本昌哉さん・宮崎友好さんが中心となって1989年4月に設立され、
エニックス向けに『アクトレイザー』『ソウルブレイダー』『ガイア幻想紀』『天地創造』などを開発。

トライエースが設立され、『スターオーシャン』『ヴァルキリープロファイル』シリーズをリリースするまで、『ドラクエ』頼みだったエニックスを支えました。
エニックスの社員がまだ10人に満たない頃に入社され、エニックスのソフトウェア企画部 課長・ゲームプロデューサーとしてパソコン用ゲームソフトを経て、クインテット開発のゲームに深く関わられたのが、

かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』『【推しの子】』(原作担当)の人気漫画家・赤坂アカさんの父親・曽根康征さんです。

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上場企業となったエニックスの発展

さて、ジャスダック上場からまもない1990年代前半に、証券会社からは東証2部への上場準備を持ち掛けられますが、福嶋さんは断ります。

当時は、上場審査が厳しく、上場を希望する企業には、○○という部署がないとダメだという内規が定められていました。
福嶋さんは、無理をして東証2部に替えることはないと、自分の考えを貫きました。

株式を公開して上場企業の仲間入りを果たしたことにより、新卒採用で現在に至るまでスクウェア・エニックスを支える人材が集まるなど、福嶋さんが望んだことが現実となる一方で、古参の役員や従業員がエニックスを去るということも起こりました。
(※これは、いわゆる〝エニックスお家騒動〟のことではありません)

エニックス株を保有していた彼らのなかには、株式上場によって、億単位の資産を得ている者もいました。
そのような立場になれば、新たにチャレンジしたいことや起業、またはアーリーリタイアメントも可能となります。

例えば、エニックスの創業メンバーのひとりで、ゲームプロデューサーを経て、エニックス 取締役 営業部長となった高野豊さんや

クインテット開発の『ソウルブレイダー』『ガイア幻想紀』やランダムハウス開発の隠れた名作『ジャストブリード』で、

エニックス 取締役 ソフトウェア企画部長としてプロデューサー等を務めた川口貴雄さんも1990年代半ばにエニックスを離れています。

それでも、無借金で自社ビル(通称〝ドラクエビル〟)を持つことができたり、経営者として、会社をより客観的に見るよう心を配るようになったのも、店頭公開の収穫でした。

1992年時点でのエニックス 会社情報は以下のとおりです

上場市場:店頭登録(現:JASDAQ上場)
資本金:37億9700万円
売上高:85億4400万円(1992年3月期決算)
営業利益12億0200万円(1992年3月期決算)
経常利益18億5200万円(1992年3月期決算)
従業員:142名(平均年齢29.3歳)
平均給与:270,061円
初任給:180,960円
30歳モデル賃金:280,240円

役員構成:

代表取締役社長:福嶋康博
生年月日:1947年8月18日
出身地:北海道旭川市
最終学歴:1970年 日本大学理工学部建築学科卒業

専務取締役:千田幸信
ソフトウェア企画部担当・出版企画部担当・玩具企画部担当・出版営業部担当
生年月日:1950年9月29日
出身地:岩手県
最終学歴:1972年 東海大学工学部中退

常務取締役:前川敏雄
総務部長・経理部担当
生年月日:1944年4月3日
出身地:千葉県
最終学歴:1967年 慶應義塾大学商学部卒業
※日本道路より1989年エニックスに転職

取締役:川口貴雄
ソフトウェア企画部長
生年月日:1948年1月31日
出身地:北海道
最終学歴:1970年 東海大学工学部卒業
※営団社募集サービスセンターに1978年入社

取締役:才藤智宏
営業部担当・業務部長・エニックス研究所長 
生年月日:1941年5月1日
出身地:東京都
最終学歴:1965年 中央大学法学部卒業
※エニックスとコニカの合弁会社・コニカエニックスの取締役に1983年就任。

取締役:蟹江元
社長室長
生年月日:1948年8月29日
出身地:兵庫県
最終学歴:1971年 日本大学法学部卒業
※コニカより1989年エニックスに転職

取締役:上條弘
事業開発室長
生年月日:1952年1月30日
出身地:神奈川県
最終学歴:1974年 神奈川大学経済学部卒業
※三和銀行より1990年エニックスに転職

取締役:高野豊
株式会社 エニックスアカデミー代表取締役社長
生年月日:1947年11月21日
出身地:埼玉県
最終学歴:1970年 日本大学理工学部卒業
※営団社募集サービスセンターに1976年入社
(学科が建築学科だったかどうかは不明ですが、社長の福嶋さんと同い年で同じ年に日大を卒業されています。
ひょっとしたら、大学時代からの友人・知人関係だったのかもしれません。また、ワインソムリエの方は同姓同名の方です。)

常勤監査役:舟田正男
生年月日:1926年6月16日
出身地:石川県
最終学歴:京都大学工学部卒業

監査役:河野先
生年月日:1932年1月28日
出身地:東京都
最終学歴:慶應義塾大学経済学部中退

株主構成:

福嶋康博 46.6%
有限会社 福嶋 16.7%(現在の株式会社 福嶋企画)
福嶋美知子 5.9%
千田幸信  2.2%
三和銀行  1.9%
高野豊   1.8%
川口貴雄  1.8%
東洋信託銀行 1.6%
三菱銀行   1.3%
才藤智宏   0.9%

⇒エニックスも含めた、当時株式上場していたゲームソフトメーカーの会社情報はこちらです【1993年1月】上場していたゲーム会社各社の会社情報・役員・株主構成はこうだった

1999年8月エニックスは最高のタイミングで東証1部上場

1999年8月 エニックスは東京証券取引所第1部に上場を果たします。
東証2部を通さずに、ジャスダック上場から東証1部に直接上場できるように証券取引所のルールが変わっていたこと、エニックスの社内体制が整っていたこともありますが、この上場は、最高のタイミングでした。

時はあたかもネットバブル全盛期、ネット関連企業だけでなく、ゲーム業界の株価も上がっていたのです。

ジャスダック上場企業と東証1部上場企業では、創業者など大株主が所有してよい株数(パーセンテージ)に違いがあります。

福嶋さんは1部上場の折に福嶋さん個人と福嶋企画名義で保有していた持株を売却して、莫大なキャッシュを得ることになります。

そして、2001年5月に公示された長者番付では、納税額3億5,890万円で全国第56位登場。
エニックス会長 福嶋康博の名を知らしめることになりました。

福嶋康博さんが名を連ねた2001年分の長者番付全国トップ100名のリストです。他のゲーム会社の会長・社長や芸能人では、浜崎あゆみ・宇多田ヒカル・稲葉浩志・松本孝弘(B’z)が名を連ねています(新しいページが開きます)⇒【懐かしの平成】2001年分(平成13年分)全国長者番付(高額納税者公示制度)トップ100にはこの人が登場していた。

すこし前後しますが、2000年10月にエニックスの経営体制は大きく変わります。
取締役 商品企画開発本部 ソフトウェア企画部長の本多圭司さんに代表取締役社長のバトンが渡されました。
当時本多さんは42歳の若さでした。
福嶋氏によると、社長就任を要請したのは、この半年前の2000年4月頃、関西出張の折だったとのことです。

本多圭司さんは1957年福岡県に生まれ。
大阪市立大学工学部建築学科を卒業後、早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程に進学。
修士課程を修了後は乃村工藝社に入社。
30歳を前に退職して、福嶋さん同様、海外放浪を経て、1987年に求人雑誌を見てエニックスに入社。
アメリカのエニックス・コーポレーションの責任者を経て、1997年に取締役に就任していました。

そして、福嶋さんは代表取締役会長になると、従来の事業は本多社長以下新体制に任せて、新規事業の開発に専念します。

2003年4月エニックスはスクウェアを吸収する形で合併、スクウェア・エニックスとなります。
裏話として、2000年頃に、スクウェアオーナーの宮本雅史さんより福嶋さんに合併話が持ち込まれましたが、福嶋さんが当時のスクウェアの経営状況を見て、あまりに開発部門がイケイケ過ぎるのを不安視していたので、断った経緯があります。

その後、スクウェアが映画事業失敗により、武市智行会長・坂口博信副社長の退任があり、和田洋一社長体制になったことから、福嶋さんの見る目が変わり、約3年後に再度持ち込まれた合併提案に賛成したという形です。
福嶋さんは同社のスクウェア・エニックス代表取締役会長を務めますが、2004年に相談役名誉会長に、2005年には名誉会長に退きます。

突然、代表権も取締役の職からも退いたことに、ゲーム業界は驚きました。
「取締役からも外れるなんて」という声が聞かれました。

まだ、福嶋さんは56歳という若さでした。

これに対する福嶋さんのコメントは、“「30年間、仕事のことだけを考えてきた。これからは人生について考えたい」”というものでした。

福嶋さんが事業家として20代から邁進してきた理由。

それは漠然とした不安でした。

いまのままいることに、常に不安を感じてしまう性格の持ち主だったのです。

その上、大変に慎重。

常に最悪を想定して事業に取り組むため、事業企画に自信があっても、常に不安がつきまとう。

成功の確率を上げるために必死に努力をして、事業の成功に確信を持っても、不安は消えない。

事業が大成功を収めても、大喜びすることはなく、

「そうか、うまくいったか」

と思うだけ。

だからこそ、事業家として成功され、大資産家にもなられたのだと思いますが、

ご自身で、“「昔からの友人に会ったとき、相手が会社員や公務員で、「仕事は楽しい?」と訊ねて、「そこそこ楽しいよ」という答えが返ってくると、相手がうらやましくて仕方ない」”と、気持ちを吐露されています。

中野ブロードウェイのフリーペーパー構想と持ち帰り寿司チェーン展開構想は失敗に終わりましたが、福嶋康博さんは事業家として、“当てる確率の高い方です”。
実際に、“「企画には自信があります」”と自負されていますし、エニックス自体をゲーム会社ではなく、“「現在、たまたまゲームソフト事業を中心にしているだけで、うちは企画会社」”と捉えられていました。

公団住宅の募集冊子から事業を始めて、東芝のオフィス向けコンピュータ代理店、ゲームソフト事業、すべてを当てています。
また、中国で醤油事業を展開して、何と中国で第2位にした実績もあります。(これは1位のメーカーがほぼ独占的なシェアを持っていたという事情もありますが)

実際、『ドラゴンクエスト』を中心にゲームソフト事業が大成して、上場企業となってからも、オフィス向けの机や椅子を安く輸入して中古販売を手掛けたり、2002年には早稲田大学とスポーツビービーという合弁会社を設立して、自ら先頭に立ってブロードバンド配信事業に取り組んだりしています。

しかし、どこまで事業で成功しても、スクウェアを吸収合併して、『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』という強力IP・キラーコンテンツを保有するスクウェア・エニックスの会長になっても、福嶋さん自身、事業を通じて、自分自身の抱える不安を消すことはできなかった。

これが第一線から退かれた原因のようです。

2005年杉並区浜田山から渋谷区初台の大豪邸に

実のところ福嶋さんは50歳のときに、経営から退く決意をされていました。
3年掛けて社内から後継者を選び、53歳のとき、3~4人いた後継者候補のなかから本多圭司さんを後継者に決めてからは、2年間、会長として見守った後、55歳で経営から完全に身を引くと決めていました。

おそらく、他の候補者は、
・取締役副会長 千田幸信さん
1950年9月29日岩手県生まれ。東海大学工学部中退。
CIS・ソフトウエア興業でプログラマー・システムエンジニアとして勤務後、エニックスの設立に参画した最古参メンバー。
(エニックス設立メンバーで、『ドラゴンクエスト』初代プロデューサー。取締役⇒常務⇒専務⇒副会長を歴任)。

・取締役 出版事業部長 田口浩司さん
1961年11月3日福岡県生まれ。ラサール中学校・高等学校卒業。早稲田大学教育学部卒業。
早大在学中から編集プロダクション運営に携わり、卒業と同時に編集プロダクションを経営。27歳でエニックスに入社。
(営業担当としても実績を持ち、ゲーム事業・出版事業に事業部長として関わり、“エニックスお家騒動”でも、マッグガーデンと和解に持ち込むなど、数年前はTwitterで暴れておられましたが、旧エニックス時代は、部長や取締役に就任するスピードは早く、旧エニックスの社風が合っていたのであたりだったのではないかと思います。)

だったのではないかと思います。

また、2001年に起こった、いわゆる“エニックスお家騒動”がなければ、福嶋さんの第一線からの完全引退はもっと遅かったかも知れません。
おそらく、大きなショックだったでしょうから。
ゼロからエニックスの出版事業を収益の柱にしたのですから、福嶋さんもその力を認めていたでしょう。

・取締役 商品企画本部 出版企画部長 保坂 嘉弘さん。
1955年3月8日生まれ。亜細亜大学経済学部卒業。
漫画原作者を経て、1984年エニックス入社。1992年出版企画部長。1996年取締役。
現在、IGポート取締役。マッグガーデン代表取締役会長。

スクウェアとエニックスが合併して、存続会社となるスクウェア・エニックスの会長になったことから、予定より1年間期間が延びて56歳でのリタイアになったというのが、実際のところのようです。

現在は、スクウェア・エニックスホールディングス名誉会長 福嶋 康博

本来は、55歳での勇退を考えられていましたが、

スクウェアとエニックスが合併して、存続会社となるスクウェア・エニックスの会長になったことから、予定より1年間期間が延びて56歳でのリタイアになったというのが、実際のところのようです。

実業の第一線から退いた福嶋さんは、若い頃、かつて放浪した東南アジアを巡る旅に出ます。

東南アジア4カ国を歴訪した福嶋さんは、そのひとつであったカンボジアでのボランティア活動に取り組み始めます。

カンボジア現地のNGO団体・CEDACと協力して困窮している家庭を自立させるための農業講習をおこないます。

モノを与えるのではなく、自立して生活するための知識や知恵を現地の人々に与えるのが福嶋流のようです。

そして、2003年8月に渋谷区初台に約1050坪の土地を購入します。
2005年11月、この地に福嶋康博邸は完成します。

地上2階・地下1階に加えて、バーベキューハウスも別にある大豪邸です。
この邸宅の延べ床面積は約430坪に及びます。

その後、福嶋さんは南米のゲーム事業に携わったり、東南アジアでボランティア活動をして過ごしているようです。
2012年まではスクウェア・エニックスホールディングスとスクウェア・エニックスの事業には関わらず、ボランティアに専念されていたようです。

また、2009年秋には、CESAでの活動が認められ、藍綬褒章を受章しました。

自由な大資産家。
20代で起業家の道を歩み始めた男は、70代にして人生を満喫しているように思えます。

https://www.youtube.com/watch?v=CSSmLYOSskc

福嶋康博さんが成人を迎えた息子さんにプレゼントした本とは?

福嶋康博さんは奥さまとの間に一男一女を儲けました。

息子さんは、福嶋さんが卒業した大学の附属高校を卒業後、スポーツ科学が学べる大学へ進学しました。
そして、息子さんが20歳を迎えた日に、福嶋さんは一冊の本をプレゼントしました。

福嶋さん自身「本は読まない」と公言しており、それは事実のようですが、そんな福嶋さんが、大切に読み返してきた本がありました。
それは、D・カーネギーの『人を動かす』でした。

-自分の幸、不幸は自分の行動、考え方で定まる。

この言葉は、福嶋さんがまだ故郷・北海道旭川市にいたころ、友人のお父さんが常日頃言っていた言葉を自分でアレンジした上で、自分の心に刻み、息子さんにもことあるごとに伝えられていたようです。

世間的に大成功を収めた福嶋康博のこの言葉は、深く響きます。

参考文献:
福嶋康博『マイナスに賭ける!―「人並み志向」で勝機はつかめない』

大下英治『エニックスの飛翔―実録・ゲーム業界戦国史』

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
心よりお礼を申し上げます。

何かございましたら、こちらまでお願いいたします。

はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます)

1970年代の話

1972年【昭和47年】の大学入試偏差値・難易度を調べてみました。

40年前や50年前の大学受験って、難易度とか偏差値ってどうだったんだろう?

1970年や1975年頃の大学って、今よりも難しかったのか?

はる坊です。
私が大学受験を経験したのも遙か昔のことになってしまいました。
ふと、「大昔の大学受験はどうだったのだろう?」という疑問が湧いてきて、調べてみました。

手に入ったのは、1972年(昭和47年)の大学入試難易度(偏差値)表です。

当時の受験生は、現役生で1953年(昭和28年)~1954年(昭和29年)生まれの方になります。現在は64~65歳、仕事の第一線からリタイアされた方、企業の役員を務められている方、専門職でバリバリ働きながら後進に指導をおこなっておられる方、いろいろな方がおられると思います。

ちなみに大学卒業時には、オイルショックに見舞われて、例年より就職に苦労した経験を持たれている世代でもあります。

民間企業への就職が狭き門となった為に、国家公務員中級職(国家公務員Ⅱ種を経て、現在の国家公務員一般職)や地方公務員に本格的に目を向けて、入庁、入職した最初の世代でもあります。(地方の役場では、それまで大卒が仕事をしていることは珍しかったところもあります)

私が大学受験に臨む頃や社会へ出てから、何かの拍子で「××大なんて、名前を書けば誰でも入れた」とか「○○大は難しかった」という話を、ホンネか冗談か真に受けることもなく聞いたことがありますが、今回のデータで「なるほどなあ」と思うものもありました。
世間の評価は時代によって移り変わっていくものですね。
もっとも、東大・京大と国公立医学部が最難関であることは変わりませんが。

【モンスター企業】キーエンスと創業者・滝崎武光氏のまとめ

社員の平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス①

※本ページはアフィリエイト広告を利用しています

はる坊です。

今回は、フォーブス誌の2021年日本人長者番付で、2020年に引き続き第3位にランクインしているキーエンス創業者で同社名誉会長・滝崎武光氏に迫っていきたいと思います。

キーエンス創業者で同社名誉会長・滝崎武光氏の総資産3兆1,700億円!

米フォーブス誌によると、滝崎氏の資産は滝崎武光氏個人、そして、妻の滝崎美弥子氏が代表取締役を務める滝崎氏の資産管理会社・株式会社ティ・ティが保有するキーエンス株の合計で、3兆1,700億円に上ります。

2017年では1兆3880億円でしたから、6年間で約2.3倍も資産を増やしたことになります。

ちなみに、日本人長者番付のトップ3は、

ユニクロを率いるファーストリテイリングの柳井正 代表取締役会長兼社長

本記事でご紹介するキーエンスの滝崎武光 取締役名誉会長

ソフトバンクグループの孫正義 代表取締役会長兼社長。

の順です。

上位には滝崎氏とともに、サントリーホールディングスの佐治信忠会長やユニチャームの高原豪久会長など、日本人の日常生活に欠かせないモノを手掛ける企業のトップが名を連ねています。

米フォーブス誌日本版で発表された2015年からの滝崎氏の資産推移を見てみましょう

2015年 第5位 資産額:1兆0472億円

2016年 第4位 資産額:  9379億円

2017年 第4位 資産額:1兆3880億円

2018年 第4位 資産額:1兆8430億円

2019年 第3位 資産額:2兆0670億円

2020年 第3位 資産額:2兆1190億円

2021年 第3位 資産額:2兆8420億円

2022年 第2位 資産額:2兆9,700億円

2023年 第2位 資産額:3兆1,700億円

すっかり、ファーストリテイリングの柳井正氏、ソフトバンクグループの孫正義氏、サントリーホールディングスの佐治信忠氏と並んで、日本人トップの資産を保有する人物として定着している感があります。

滝崎氏が、ここに挙げた3名の方と違うのは、滝崎武光氏は資産家・実業家の子息として生を受けたわけではなく、サラリーマン家庭に生まれ育ち、学歴も高卒であること。

約6年間のサラリーマン生活を経て共同経営の会社を設立するも、短期間で倒産させ、再度のチャレンジでも上手くいかず、20代後半までに結局2度の会社倒産を経験している人物であること。

3度目に正直となったキーエンスも、最初はリード電機という滝崎氏ただひとりの個人事業に過ぎない時点からスタートしているところでしょう。

まさに立志伝中の人物といえます。

この記事を読み進めていただくとお分かりいただけると思うのですが、滝崎氏ご本人は、この2兆円を超える資産のことは、必要以上に誇っているようには思えません。

もし、滝崎氏に現在の資産額について尋ねたら、

「資産といっても、私個人や家族、資産管理会社で保有している株式が大半です。

株価は必ずしも、会社の業績に比例して上下するものではなく不確かなもの。

ですから、あてにはなりません。

私は株や不動産売買で利益を出そうとする〝財テク〟はしてはいけないという考えです。

それよりも高付加価値の仕事をすること、会社の営業利益のほうが大切ですよ。

私は売上高には目を向けません。

いくら売上があっても低い利益率では、従業員を含めて企業に関わる人々がメリットを享受できませんから、意味がありません。

現在、キーエンスの営業利益率は売上高の54%強です。

この数字は社員ひとりひとりが、付加価値の高い良い仕事をしてくれていることの証だと思います。

私はそちらを誇りたいです」

きっと、そんな答えが返ってくるような気がします。

それでは、キーエンスと滝崎武光氏の足跡を追っていきましょう。

株式会社 キーエンスとは?

〝人件費は経費にあらず〟従業員の最高平均年収は何と2,279万3,975円。ボーナスは年4回

キーエンスは、創業者・滝崎武光氏が1972年3月に兵庫県伊丹市において、個人事業・リード電機として創業。

1974年5月に兵庫県尼崎市に移転するとともに法人化され、リード電機株式会社となります。

その後、FA(ファクトリーオートメーション)用センサーや計測器の開発・販売を手掛けて業績を伸ばし、1986年10月に商品ブランド名のキーエンス(KEYENCE)と商号の統一を図るために株式会社キーエンスに社名を変更。

ちなみにキーエンス(KEYENCE)とは、Key of Science-キー・オブ・サイエンス(科学の鍵)の略語です。

翌1987年10月には大阪証券取引所第2部に株式を上場。
株式上場準備に3年も4年もかかり、上場審査基準も厳しかった当時としては、かなりのスピードといえる会社設立から僅か13年で上場企業の仲間入りを果たします。

2年後の1989年12月には東京証券取引所2部にも重複上場。
1991年9月には、ついに東京証券取引所1部上場を果たします。

上場時から高収益企業・高株価企業として有名でしたが、

まれに見る高収益体質を維持したまま、現在まで成長を続け、

2023年3月期の連結決算では、

売上高:9,224億2,200万円 売上総利益:7,547億3,200万円 営業利益4,989億1,400万円を記録

粗利率は驚異の81.9% 営業利益率は何と54.1%です。

2024年3月期の連結決算数字がどうなるか、これから注視していきたいと思います。

キーエンスは、従業員の年収が高い企業としても有名ですが、〝人件費は経費にあらず〟というキーエンス独自の思考から、2023年6月に提出された有価証券報告書では従業員:2,788名(平均年齢35.8歳)の平均年収は2,279万3,975円となっています。

前述したように、ボーナスは(3月・6月・9月・12月)の年4回です。

2022年6月に提出された有価証券報告書では、従業員:2,599名(平均年齢36.1歳)の平均年収は2,182万7,204円となっていましたので、業績好調を受けて、従業員の平均年収もアップしています。

また、従業員の人数も単純計算で189名増加しています。
退職者もいるので、仔細は不明ですが、新卒・中途採用とも継続してかなりの人数を採っていることがわかります。

キーエンスの本社は東京ではなく大阪。JR新大阪駅の近く

キーエンスは、国内・海外(北米・欧州・南アフリカ・中国・アジア・中東・オセアニア)に営業拠点を張り巡らせていますが、本社・研究所は、大阪府大阪市東中島(JR新大阪駅の近くです)に構えています。

この社屋が建てられたのは1994年とかなり年月が経ってしまっているのですが、高さ111メートル・21階建てのビルは非常にスタイリッシュで、数々の賞にも輝き、現在でも古くささを感じさせません。

創業者の滝崎氏は2000年12月に、当時43歳だった生え抜きの佐々木道夫氏(明治大学政治経済学部卒業)に社長職を譲り、55歳で代表取締役会長に就任。
自身が会長に退いた理由を、

「創業当時から自分がいなくても、会社が回るようにずっと考えてきました。会長に退いたのも、私が半年1年いなくてもこの会社は回るなと思ったからです」”と語っています。
(引用元:2003年10月27日号 日経ビジネス 特集 利益率40% 驚異の経営 キーエンスの秘密 編集長インタビュー 滝崎武光氏[キーエンス会長] 会社に思い出は不要)より。

2012年12月からは、佐々木道夫氏は取締役特別顧問となり、当時45歳だった山本晃則氏(立命館大学理工学部卒業)が代表取締役社長が就任。

滝崎氏は引き続き会長職に就かれていましたが、2017年12月からは取締役名誉会長を務めておられます。

2019年12月には、山本晃則氏は取締役特別顧問となり、1974年生まれの中田有氏(関西学院大学法学部卒業)が代表取締役社長に就任しています。

そして、

キーエンス社長の年収・役員報酬は意外に低い

モンスター企業のキーエンスですが、意外に経営トップの年収はそこまで高くありません。

従業員の最高平均年収は約2,279万円ですが、

創業者の滝崎氏から数えて、4代目代表取締役社長を務められている中田有氏の年間役員報酬は2023年3月期の有価証券報告書によると、1億8,800万円

前社長で、現在は取締役 特別顧問を務められている山本晃則氏の年間役員報酬も1億1,300万円です。

社外取締役をのぞく、他の常勤取締役に1億円プレーヤーはいません。

これには理由があり、創業者の滝崎武光氏が社長在任時代に、自身の報酬を低めに設定していた伝統が残っているからです。

滝崎氏自身“「サラリーマン社長と同等にしている」”とインタビューで発言しており、役員だからといって、億単位の役員報酬をもらっていなかったのです。

現在、SHIFTの取締役副社長を務められている、キーエンス2代目社長・佐々木道夫氏の後継者として、

3代目社長を務められた山本晃則社長も、

年間役員報酬は、2018年3月期の有価証券報告書で1億3800万円。2019年3月期が1億5600万円でした。

そして、2019年に社長職を中田有氏にバトンタッチされ、取締役特別顧問となられた2020年3月期の有価証券報告書では1億5000万円。

2018年6月には、給付型奨学金を提供するキーエンス財団を設立

また、滝崎氏は2018年6月に、まだまだ日本では浸透していない大学進学者向けの給付型奨学金を提供する一般財団法人キーエンス財団を設立され、代表理事も務められています。

2019年4月大学新入学生を対象とするものですが、募集人数は125名程度で月額8万円を在学中の4年間支給する
(4年間の合計支給金額は384万円になります)

という返済の必要がない奨学金ではかなり規模の大きなものです。

現在の日本では経済的な理由で奨学金を利用して大学や専門学校に進学される方が多くなっていることは事実です。
ただ、その奨学金の大半は貸与型であり、卒業後に社会に出てから返済の必要があります。

若くして高収入が得られる職に就き、奨学金の返済を滞ることなく支払える方もおられるでしょうが、不安定な立場や低収入から返済をすることができず延滞金が上乗せされ、最悪の場合、自己破産に追い込まれ、人生に大きな狂いが生じている方も多く存在していることも事実です。

そんななかで、前途のある学生に返済不要の給付金を提供する財団を立ち上げられたのは素晴らしいことだと思います。

実は、滝崎氏が奨学金に目を向けたのは今回が初めてではありません。
1990年にアジアから学びに来る理工系の留学生の為に、私財3億円で奨学基金を設立していました。

さて、キーエンス財団の事務局も大阪府大阪市東中島キーエンス本社ビル内にあります。

これは公私の区別を厳しくしている滝崎氏らしいと思うのですが、普通、成功を収めた事業家などが奨学財団や文化・スポーツ振興財団を設立した際には、自分の苗字を財団名の頭に付けていたり、理事や評議員に親族が名を連ねているケースがほとんどです。

また、自らの人脈をアピールする目的もあるのか、財界や学界、専門分野のなかでも著名な人物や肩書きが立派な人物の名前が並んでいることもあるのですが、キーエンス財団の場合はそういったものがないように感じられます。

理事や評議員のなかに、滝崎氏の親族は誰ひとり名前がありません。

奨学金を給付する有能な学生を選考する為には、どのような人物を置けば一番効果的で合理的かという滝崎氏の哲学が、この財団にも表れているような気がしてなりません。

ミステリアスな滝崎武光氏の詳細なプロフィールをご紹介

さて、日本人長者番付2位の大資産家である滝崎武光氏ですが、その人物像はほとんど知られていません。
第一に滝崎氏自身がメディアに露出しないからです。

よって、ウェブ上では〝前半生が謎〟であるとか、〝来歴や家族関係は一切不詳〟と書かれているページすら見受けられます。
また、〝韓国〟というキーワードが検索されていますが、韓国に縁のある人物であるとは確認できません。

さて、滝崎氏自身、社長職を退いて、会長となって以降はたった一度しかマスコミのインタビューに応じていません。

名誉会長に就任して、後進に会社を託すような形となった現在では、メディア露出の可能性は更に低くなったと思います。

東証1部上場企業の創業者ですが、財界活動にも全く興味を示さない人物ですので、世界に通じる日本有数の大富豪として一部の人だけに名前を知られた状態で、このままミステリアスなイメージを保っていくのではないでしょうか。

それでも、まだ1980年代、1990年代には、多少ではありますがマスコミの取材やインタビューに応じていました。そこで語られたエピソードを中心に、滝崎武光氏に迫ってみたいと思います。

滝崎武光氏は1945年兵庫県出身の78歳です

滝崎武光氏は1945年(昭和20年)6月10日兵庫県芦屋市で出生しています。

現在は大阪府豊中市に在住です。

芦屋市といえば、関西で一番富裕層が集い邸宅を構えているようなセレブなイメージがありますが、滝崎氏の父親はお金持ちでも経営者でもなく一介のサラリーマンでした。
しかし、真面目で働くことを美徳とする人物だったようで、モノ作り一筋の滝崎氏の人生にも大きな影響を与えている気がします。

その父親がメーカー勤務だったのかはあきらかにされていませんが、幼い頃、父親とともに住友金属工業(現在の新日鐵住金)和歌山製鉄所へ行ったときの思い出が滝崎氏には強く残っているようです。

当時、この製鉄所の中には、そこで働く人々を運ぶバスが運行されていました。

滝崎氏はこのときを振り返って、

“「理屈っぽい性格なので、これほど巨大な工場が何のためにあるのかを考え、自分の生活にも寄与しているんだと気が付いた」”

と語っています。

また、父親は機械の見本市にも武光少年を連れていったりもしています。

武光少年は小学校の卒業アルバムに『今度会うときにはテープレコーダーを作っているだろう』と寄せ書きしていたそうで、中学校時代には、友達から10円を集めて薬局でマグネシウムなどを購入して、実験をしていました。

モノづくりや電気いじり、科学実験好きの少年時代を過ごしたようです。

尼崎工業高校電子科時代、一流の事業家を志す

滝崎氏が中学校卒業後に進学したのは、兵庫県立尼崎工業高等学校電気通信科(在学中に電子科に名称変更)でした。

(尼崎工業高校の後輩にはダウンタウンの松本人志氏(機械科卒業)がおられますが、島田紳助氏と共演していたトーク番組『松本紳助』内で「賢いクラスがありましたねえ。電子科は賢かった」と発言していましたので、いくつかに分かれている科のなかでも、滝崎氏はレベルの高いクラスに在籍していたと思われます)

高校在学中、滝崎氏は自治会や生徒会の役員になります。

このとき、滝崎氏は先頭に立って市内5校で連合会を作っています。

ご本人は

“「(自身が通っていたのが女子生徒のいない工業高校だったので)女学生のいる学校に遊びに行きたかっただけかもしれません」”

と多少冗談めかしてはいますが、高校生にしてリーダーシップを取ることのできる人物だったことがわかります。

また、この経験からでしょうか

「人を組織することに興味を覚えた」

とのちに語っています。

時代はちょうど大学紛争の頃、自治会の役員をしていた滝崎氏は京都大学などで学生運動をしている人々と出会うことになります。

滝崎氏が、学生運動をしている年上の人々と知り合ったなかで、気が付いたのは、

思想というものは文学や芸術と同じで好き嫌いの世界

で、そういった客観的に測れないものは自分自身の性格上、相容れないものだということ。

そして、

経済というのは数字の世界だから客観性があり、企業の善し悪しも数字で対比すれば分かるもの

だということでした。

そして、滝崎氏は志を立てます。

自分は主観だけで判断するものには向いていない。

それなら、一流の事業家になろう。

それも、デザインや個人の趣味、趣向に左右される消費財ではなく、ユーザーの生産性を上げることに狙いを絞り込み、機能や性能に対して価格が安いか高いかで評価される生産財がいい

1964年(昭和39年)3月滝崎氏は、兵庫県立尼崎工業高校電子科を卒業すると、実社会に足を踏み入れます。

実社会に足を踏み入れた滝崎氏は、エンジニアとなり24歳で独立を果たしますが・・・

最後まで読んでくださってありがとうございました。
よろしければ、その②もお読みいただけるとありがたいです。

その②に続きます⇒社員の平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス②(新しいタブが開きます)

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元キーエンス従業員の方が書かれた本で、最もオススメしたいのがこちらです。


次にオススメしたい、充分に一読の価値があるのがこちらです。


【2018年11月に出版】キーエンスでの経験を生かしたサイト運営について普遍的で重要な事柄が凝縮された一冊

キーエンスの社内ベンチャー・イプロスでウェブサイト作成・運営に携われた方の本です。

「心に触れるホームページをつくる」


筆者の秋山典丈さんは、キーエンスの社内ベンチャー・イプロスで『製造業向けマッチングサイト』を企画された方です。

東京工業大学大学院理工学研究科情報工学専攻修士課程修了後、1995年にキーエンスに入社。

2000年にキーエンスの社内ベンチャーとしてスタートしたイプロス(株式会社 イプロスとして法人設立は2001年)の立ち上げに参画され、「徹底的に受け手の身になってサイトを作る」ことに向き合われた経験を生かして書かれた本です。

秋山さんは2003年に独立され、現在はシステム開発とサイトコンサルティング・商品企画コンサルティングに携わる株式会社 レクタスの代表取締役を務められています。

この本では、個人でも法人でも、また初心者から上級者までサイト作成・運営にとって重要なことが満載されています。

私も折に触れて読み返しています。

サイト作成に関する本は多く出版されていますが、ここまで普遍的で重要な事柄が凝縮されている本はめったにありません。

キーエンスに興味のない方でも、ご自分のブログやサイト、そしてSNSで見る人の心をガッチリ掴みたいと少しでも思われている方なら、ぜひお読みになってください。

一橋大学イノベーション研究センターとキーエンスに長年在籍した方による共著です。
キーエンスの内部を知るには最もわかりやすいと思います。


ただ、『キーエンス~驚異的な業績を生み続ける経営哲学』というタイトルですが、『経営哲学』はどこにも書かれていません。

『経営哲学』を『経営目標』『経営手法』と読み替えるのが正しいと思います。

Kindle版しかありませんが、こちらもオススメできます。

また、もう一冊だけ、現在紙の書籍で入手することは困難ですが、機会があればぜひ読んでいただきたい本があります。

キーエンスに1986年に新卒で入社され、アンリツを経て、現在は立石シゲオ中小企業診断士事務所代表として活躍されている、経営コンサルタント・立石茂生氏が2014年に書かれた書籍です。


キーエンスで得られたノウハウを含めて、高収益企業を実現する経営指南書で示唆に富んだ良書中の良書なのですが、残念ながら古書でも手に入れるのは難しい状態です。


立石氏のホームページによると、2016年9月の時点では30,000円で古書がネット上で販売されていたようです。
これには、著者の立石氏も戸惑われたようですが、この本にそれだけの価値があると認められていることも、また事実でないかと私は思っております。

そのような状況が長く続きましたが、2020年8月にアマゾンKindleにて第2刷として出版されました。

Kindle Unlimited 会員の方は、このタイトルを追加料金なし(¥0円)でお読みになれます。

ご一読をおすすめいたします。

他にも元キーエンスの方が書かれた本があります。
参考にはなりますが、あえてこの場でおすすめするのは、控えさせていただきます。

はる坊の雑記

何だか色々早すぎた企業・昌和製作所と日本計算器(ビジコン)

早すぎた企業というものが存在する

はる坊です。

今回は、知る人ぞ知る、時代を、あるいは先を走りすぎた企業をご紹介します。

昌和製作所と日本計算器(ビジコン)

あとになってみれば、「あれを言うのは早すぎた」とか「あれをするには早すぎた」ということがあります。

すべてはあとの祭りなのですが、企業のなかでもそのような会社が存在します。

昌和製作所と日本計算器(ビジコン)もそのなかのひとつです。

この2社は小島和三郎・小島義雄親子を中心に運営されていきましたが、昌和製作所では1950年代後半に昌和ライトクルーザー・昌和クルーザーという名オートバイを開発販売して大ヒットさせたかと思うと、1960年に軽乗用車『昌和ミニカ』を開発。
東京モーターショーに出展。

しかし、技術開発に傾きすぎたため資金ショートを起こしてヤマハに買収されるという運命を辿っています。

また、日本計算器も並行して営んでいた企業ですが、機械式計算機(手回し計算器)の国内シェアを40%獲得するまでになり、タイガー計算器と双璧を成し、米インテル社との共同開発で世界初のマイクロプロセッサ「Intel4004」を開発するも、他製品を含めて販売を対米輸出に大きく頼っていたため、1973年の石油ショック時に起こった円安によって大幅な為替差損が発生する形になり、製品を増産するほど赤字が増すという状況に陥り、1974年に和議を申請して、第一線から姿を消します。

あとから振り返ると、やり方によっては大企業に発展したかもしれないと思う一方、このときはこの判断しかなかったのだなと思うこともあり、30年、50年、100年と長きにわたり続いている企業は本当にすごいとあらためて感じる次第です。

昌和製作所と日本計算器(ビジコン)の成立から倒産(和議)までをまとめてみました

結局のところ昌和製作所と日本計算器のすごさを知っていただくには、時系列が一番良いと考え、整理しました。
どうぞ、ご覧下さい。

1918年
4月22日 『堀井謄写堂』(ガリ版を発明した会社)に勤務していた小島和三郎(?~1954)が、『堀井謄写堂』の2代目堀井耕造(1875~1962)の妻の妹を娶ったことにより独立。中国・満州国奉天にて、昌和洋行(昌和商店とは別法人)を設立し、『堀井謄写堂』の謄写版事業を皮切りに、手動タイプライター・自動タイプライター・手回し計算器の販売をおこなう。

1939年
(株)目黒製作所が製造したメグロ号が好評。警視庁の白バイにも選ばれる。
当時、大阪にいた小島和三郎より、「中国大陸にバイクを輸出して売り込みたいが、御社で造れないだろうか?」と依頼があり、目黒製作所が二気筒100 CCの二輪車を製造することが決定。

3月、静岡県沼津市に昌和洋行と目黒製作所の合弁会社として昌和製作所が設立される。
(登記上は、1944年11月16日が昌和製作所の設立日になっている)
社長には小島和三郎が就任。他役員には、目黒製作所の社長 村田延治・同社専務 鈴木高治が就任。
沼津工場長には鈴木の甥が就く。沼津工場では自動二輪車の製造が始まったが、まもなく横須賀海軍工廠の指定工場とされ、航空機の製造に変更となる。

1940年
平田勝治郎が計算器に関する特許を取得。翌年にも4件を取得。

1941年
小島和三郎が平田勝治郎の特許を買い取るとともに、計算器開発の資金を援助。

1942年
小島和三郎が出資をおこない、平田勝治郎・吉田喜一(平田の実兄)・錦織米一が中心となり、大阪市西淀川区にて富士星計算器製作所 (株)を設立。

1943年
富士星計算器製作所が機械式手動計算器の開発に成功する。

1944年
戦況の悪化により、富士星計算器が峰山(現・京丹後市)へ疎開移転。
同年に、疎開先である峰山の鉄工所が戦時企業合同して、(有)峰山鉄工所が設立される。

1945年
4月に富士星計算器製作所と峰山鉄工所が合併。社名は富士精工(株)と変更され社長には小島和三郎が就任。計算器事業と鉄鋼事業の二本柱で事業を行う。

1946年
静岡県沼津市は、海軍工廠の指定工場があったものの空襲被害が少なかった。物資不足ではあったが、早期に工業製品製造に着手できる環境が整った。
5月 昌和製作所の沼津工場にてエンジン単体の開発販売を再開。

1948年
経営難により富士精工(株)は富士精工・日進製作所・峰山鉄工の三社に分離。
この折に、創業メンバーのうち、吉田喜一が富士精工に残留し、錦織米一が日進製作所社長・平田勝治郎が峰山鉄工社長となり独立。
沼津市の昌和製作所がオートバイ昌和号を製造販売するに至る。

1949年
富士星計算器(株)から日本計算器(株)に商号変更。

1950年
小島和三郎の息子・小島義雄(1924年~2013年)が京都大学を卒業。日本計算器株式会社に入社。日本計算器の沼津出張所は昌和製作所と同じ場所にあった。

1953年
この当時、昌和製作所の事業所は以下の通り。
本社:静岡県沼津市松長178
東京:東京都千代田区神田多町1―9
(現在の東京都千代田区内神田町23番付近)
大阪:大阪府大阪市西区江戸堀北通3-20
(現在の大阪市西区土佐堀2丁目3番付近)

1954年
昌和クルーザー250 CCを発売。大ヒットとなる。
昌和製作所・日本計算器の創業者・小島和三郎逝去。
昌和製作所の社長に小島義雄が就任。
日本計算器の社長には、黄地金右衛門(滋賀県出身)が就任。
他役員には、黄地幸造・高田文雄が就任。

1955年
日本計算器の大阪進出を決定。

1956年
日本計算器の大阪進出決定により、大阪府茨木市三島町に土地を取得。

1957年
小島一族が経営する(株)昌和商店から計算器の販売部門を独立させ、日本計算器販売(株)を設立する。こちらの沼津事業所も昌和製作所と同じ敷地内にあった。
昌和ライトクルーザー 125 CC発売
昌和クルーザーSC57型 250 CC発売。

1959年
昌和製作所が、バイクメーカー・日本高速機関(株)(ブランド名はホスク〔HOSK〕を買収。同社の技術を利用して軽乗用車『昌和ミニカ』を開発。東京モーターショーに出展。
この日本高速機関のスタッフは、のちにトヨタ 2000GTの開発に携わる。

1960年
昌和製作所は若い従業員が多く、技術開発を最重要視していたが、販売面が振るわず、開発費用が重くのしかかり資金繰りが悪化。負債を肩代わりする形で、1955年よりバイクの製造販売を手掛けていたヤマハ発動機の傘下に入る。小島義雄は社長を退任。小島一族が経営から退く。

昌和製作所は法人として継続となり、同社沼津工場はヤマハ発動機 沼津工場として引き継がれる。その後、昌和製作所はヤマハ製の発電機やゴルフカートを製造する。

1961年
日本計算器販売(株)の社長に小島義雄が就任。
茨木市の土地(1.3ヘクタール)に「茨木寮」が完成。同時に研究所を併設。

1964年
日本計算器(株)の社長に小島義雄が就任。
本社(大阪)・峰山工場(旧製造部)・茨木研究所(旧・技術部)・大阪事務所・東京事務所に組織変更。
日本計算器の国内シェアが40%に達し、タイガー計算器と双璧となる。

1965年
茨木工場が完成。同社初となる卓上式電子計算機「UNICOM160」を製造。
茨木研究所を「茨木工場」と「研究部」に改組。名称を、日本計算器(株)茨木製作所に変更。

1966年
茨木製作所にて開発・生産をおこなった「ビジコン161」を発売。大ヒット製品となる。
この年、茨木工場において12日間の部分ストライキが断行されている。

1967年
4月 のちに世界初のマイクロプロセッサ「Intel4004」を開発する嶋正利が東北大学理学部を卒業して入社。
(71年に米インテル社との共同開発で4004を開発後、インテル社に入社)
「ビジコン161」増産により、茨木製作所に第2茨木工場が増築される。

1968年
NCR社(米国)と契約が成立。同社のブランドにより「ビジコン」シリーズが発売される。
米国現地法人ビジコンUSA設立(同社の出資比率は日本計算器販売(株)70%・日商岩井(株)30%)
フロイド・ランソン・ヒジョス社(メキシコ)と現地法人を設立。
日本計算器(株)・日本計算器販売(株)・三菱電機(株)の共同出資により電子技研工業(株)を設立。

1969年
この年、日本計算器の機械式計算器の生産台数が頂点を迎える。
1968年~69年には、大きな役員変更があった。1968年に黄地幸造が逝去。69年には高田文雄取締役が辞任。
堀場雅夫(堀場製作所創業者・当時社長)・市原孝一(1947年早稲田大理工学部卒。のちにビジコン常務)が取締役に就任。

1970年
日本計算器販売(株)をビジコン(株)に商号変更。

1971年
日本計算器(株)が世界最小電卓「ビジコンハンディ 120A」を発売。同製品には米モステック社と共同開発した1チップLSIを搭載。茨木製作所で開発・生産がおこなわれる。
ビジコン(株)がプリンター機能を搭載した「ビジコン141-PF」を発表。同製品には、
米インテル社と共同開発した世界初のマイクロプロセッサ「4004」が搭載されていた。

1972年
カシオ計算機(株)が破格の小型電卓を発表し、電卓業界は泥沼のダンピング競争に突入。

1973年
第4次中東戦争による第1次オイルショックが起きる。

1974年
2月28日 ビジコン(株)(本社:東京都 資本金1億5000万円 社長:小島義雄)、日本計算器(株)(本社:大阪府茨木市三島2-18 資本金:4940万円 社長:小島義雄)が大阪地裁に会社更生法を申請し倒産。
※倒産時、ビジコン(株)は、従業員100名 売上高70億円。日本計算器(株)は従業員300名 売上高32億円。
その後、ビジコン(株)は、本社を東京都台東区浅草橋に移して、コンピュータ関連部品の製造販売を手掛ける。

1988年
昌和製作所を存続会社として、(株)榛葉シボリ製作所と合併。新社名は創輝(株)となる。

1991年
NHKが制作したドキュメンタリー『電子立国 日本の自叙伝 第5回 8ミリ角のコンピュータ』にビジコン社長の小島義雄がコメント出演。

2006年
創輝(株)がヤマハモーターパワープロダクツ(株)に社名を変更。現在に至るまで、ヤマハブランドの発電機、ゴルフカー、汎用エンジン等の生産を続けている。

2013年
11月10日 ビジコン社長 小島義雄逝去(享年89)

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

ビジカジサブスク

人物伝

現在は、スクエニHD顧問 ドラゴンクエスト・初代プロデューサー千田幸信さんはもっと評価されるべき

はる坊です。

この2021年2月10日で、任天堂ファミリーコンピュータ版『ドラゴンクエストⅢ』の発売から33周年を迎えました。

ドラゴンクエストシリーズといえば、ゲームデザイン・シナリオを手掛ける堀井雄二さんや『ドラゴンボール』の作者でキャラクターデザイン担当の鳥山明さん、そして音楽を作り続けているすぎやまこういちさんに目が行きますが、忘れてはならない人がいます。

それは、ドラクエⅠからⅦまでプロデューサーを務めた千田幸信さんです。

その後も、エグゼクティブプロデューサーとしてスタッフロールに名を連ねています。

お三方に比べるとメディアに露出する機会も極端に少なく知名度も低い気がしますが、彼がいなくてはドラゴンクエストは生まれることはなかったことは確かです。

[embed]https://www.youtube.com/watch?v=k4BEEzogc0U&t=743s[/embed]
『ドラゴンクエスト30周年お誕生日カウントダウンスペシャル』でメッセージを寄せられていましたが、篤実で温厚な方だなという印象を受けました。

また、堀井雄二さんは千田さんについての思い出として、

「ドラクエが(発売)延期になったときに、小学生から「ドラクエは次、いつ出るんですか」と質問されたときに、千田さんが「はい、我が社といたしましては・・・」が答えて、「えーっ、と思った」と語られています。

たしかに、真面目でビジネスマンというよりもクリエーター・職人気質の方だと思います。

すぎやまこういちさんとの対談でも、

“「プロデューサー”という響きが、カタカナでなんとなくかっこよさそうな仕事に見えますから、表に出たがる人も多いんじゃないかと思うんですよ。
僕自身はプロデューサーという言葉よりも単なる“担当者”というのが最適じゃないかと思ってますけどね。」”

と語られており、表舞台には立たずに裏方に徹することで、『ドラゴンクエスト』を支えてこられました。

2021年6月 千田幸信さんはスクウェア・エニックス・ホールディングス取締役を退任

千田幸信さんは、エニックス創業から、同社の取締役、常務、専務、副会長を務められ、スクウェア・エニックスとなってからも取締役を続投されました。
(こちらは2018年3月31日をもって、本多圭司取締役業務執行役員とともに退任)
2008年10月からは持株会社のスクウェア・エニックス・ホールディングスの取締役を務めてこられましたが、2021年6月をもって勇退をされました。

こちらで本多圭司さんについてまとめました。エニックス2代目社長・スクウェア・エニックスホールディングス副社長・取締役を歴任した本多圭司

替わりに取締役に就任されたのは、北瀬佳範・齊藤陽介・佐々木通博 ・西角浩一・橋本真司・三宅有・吉田直樹・渡邉一治の各氏です。
千田さんに替わって『ドラゴンクエストⅧ』でチーフプロデューサーを務められた三宅有さんもいらっしゃいます。

千田幸信さんのプロフィール。漫画家・吉田戦車と親類!?

千田幸信さんのプロフィールを簡単にご紹介します。

1950年9月29日岩手県生まれ。血液型はO型。
1972年に東海大学工学部を中退。

奥様はソプラノ歌手の千田知都子さん。
何枚かCDをリリースされており、なかでも2002年にリリースされた『こころのうた』では、『ドラゴンクエスト』関連の曲も歌われています。


ドラゴンクエストⅡの『この道 わが旅』とドラゴンクエストⅦの『哀しみの日々』なのですが、ヴォカリーズ(いわゆるハミングですね。歌詞はなく、さだまさし『北の国から』や由紀さおりの『夜明けのスキャット』を思い出していただけるとイメージがしやすいかと思います)で歌い上げられています。

また、親類に国際ジャーナリスト・政治学者の千田善さん、漫画家の吉田戦車さんがいます。

役員四季報に役員の趣味まで記載されていた頃、趣味は〝確率統計論の実践〟と書かれていました。
後述しますが、馬主であることから、競馬の予想を思いっきりカッコよく言った感じにも聞こえます。

大学中退後は、1974年3月にCISに入社。
1976年9月に丸山三郎氏が創業したソフトウエア興業に転職。

その後、1979年にエニックス創業者の福嶋康博氏が設立した東芝のコンピュータ販売代理店エム・シー・ビーに入社しますが、しばらくして退社。

フリーのシステムエンジニア・プログラマーとして活動した後、1982年8月にエニックスの創業に参画して取締役に就任。

このときエニックスのメンバーは、社長の福嶋氏と千田氏、そして、福嶋氏が1974年8月に個人創業され、
翌1975年9月に設立された公団住宅情報誌発行会社である、株式会社営団社募集サービスセンターに1976年から勤められていた古参社員の高野豊氏の3名だけでした。

ちなみに、社名のエニックス(英表記:ENIX)の意味は、世界最初の汎用電子式コンピュータ〝ENIAC〟と不死鳥を表す英単語〝PHOENIX〟を合わせた造語です。

エニックス創生期のゲームコンテストで見出した堀井雄二さんと中村光一さんとともに『ドラゴンクエスト』を開発

エニックスは設立後すぐに、賞金総額300万円の「エニックス 第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」を企画・実施します。

最優秀賞者には賞金100万円。優秀賞者には賞金50万円。

当時、多くのゲームコンテストが実施されていましたが、賞金額は異例の金額でした。
しかし、ゲームがなかなか集まりません。その理由は以下の3つです。

・他にもゲームコンテストは開催されていたが、最優秀賞が出ないコンテストが多かった

・うさんくさい会社がゲームコンテストを実施して悪い噂が流れていた

そして、これがいちばん大きな理由でした。

・エニックスが無名会社だったから

社長の福嶋さんも、この事態には喫茶店で頭を抱えたと振り返っています(福嶋康博 著『マイナスに賭ける!―「人並み志向」で勝機はつかめない』より)

それでも、福嶋さん・千田さん・高野さんの3人は諦めませんでした。

千田さんは秋葉原へ行き、頭を下げて、マイコンショップにコンテストのポスターを店内に貼らせてもらいます。そして、全国の有力なマイコンクラブや他のコンテストの入賞者に「必ず、最優秀賞は出しますから」と応募を要請しました。

最後に、千田さんは週刊少年ジャンプ編集部を訪れます。少年ジャンプにコンテストの記事を載せて欲しいと頼む為でした。
このときに、千田さんの応対をしたのが、鳥嶋和彦さんです。

ジャンプで最初のパソコンゲーム特集を担当することになっていた鳥嶋さんには、千田さんの訪問は渡りに船でした。

依頼を承諾して、フリーライターで集英社のseventeen(セブンティーン)でも記事を書いていた堀井雄二さんに、取材をしてくれるよう依頼しました。

鳥嶋さんと堀井さんはすでにゲーム仲間でした。鳥嶋さんは、この取材は堀井さんが適任だと感じたのでしょう、堀井さんはすでにパソコン(マイコン)にハマっており、取材を承諾した上に、自分でも『ラブマッチテニス』というアクション性の高いテニスゲームをコンテストに応募しました。

『ドラゴンクエスト』誕生にも関わった、鳥山明を見いだした名編集者・マシリトこと鳥嶋和彦は現在、白泉社代表取締役会長 兼 生涯ー編集者

そして四国・香川県の県立丸亀高校には、すでに全国のマイコン少年からその存在を認められている少年がいました。中村光一さんです。

中村さんは、新聞配達のバイトで貯めたお金でPC-8001を購入して、ゲーム製作&プログラミングに没頭します。
マイコン雑誌『I/O』に投稿して認められ、開発したツールの原稿料や投稿したゲームが販売されて発生した印税を得るとPC-8801を購入。

エニックスのコンテストに『ドアドア』を応募します。

最終的には、コンテストに316本のゲームが集まりました。
ゲームの審査では、面白く遊べるゲームとそうではないゲームがハッキリ分かれていたので、苦労はなかったと福嶋さんが語っています。

審査の結果は、のちに『森田将棋』で名を馳せる森田和郎さんの『森田のバトルフィールド』が最優秀賞を受賞。

中村光一さんの『ドアドア』は惜しくも優秀賞でした。

そして、堀井雄二さんの『ラブマッチテニス』も入賞して、自ら表彰されながら取材もおこなうという、何だかよくわからない形になりました。

このコンテストで入賞を果たした13本のソフトが販売され、エニックスは事業開始初年度で3億5000万円の利益をはじき出します。

また、エニックスはゲームの作者に対して、ゲームを買切りではなく印税契約を結び、販売本数に応じて印税を支払う仕組みを取っていましたので、8万本が売れた『ドアドア』の中村光一さんは、大学生にして月額100万円の印税収入を得ることになります。

中村さんは、上京したての大学生でありながらトヨタ・ソアラを手に入れ、飲食費や遊興代で月に30万円ほどは使っていたようですが、半分はちゃんと貯金をして、1984年4月、19歳にして調布市布田に資本金500万円で株式会社チュンソフトを設立。
代表取締役社長に就任して、本格的にゲームクリエーターの道を歩み始めます。

中村さんが製作した『ドアドア』は、その後、エニックスの任天堂ファミリーコンピュータ(ファミコン)参入第一弾ソフトとして移植、こちらは20万本を売上げ、次いで発売された堀井雄二さんとチュンソフトを設立した中村さんが組んだ最初のゲーム『ポートピア連続殺人事件』は60万本を売り上げました。

千田さん「世界一のゲームを作ります」と宣言して生まれた『ドラゴンクエスト』

堀井雄二さんと中村光一さんはRPGに興味を持っていました。当時、アメリカ市場では『ウルティマ』と『ウィザードリィ』が作られていましたが、ファミコン用ソフトとして製作するのは容量の関係で無理だと思われていました。

しかし、アドベンチャーゲーム(AVG)『ポートピア連続殺人事件』を製作した経験から、国産RPGの製作は可能だという考えを持っていました。
こうして始まったのが、『ドラゴンクエストⅠ』の製作プロジェクトです。
プロジェクト開始にあたって、千田さんは「世界一のゲームを作ります」と宣言しました。

シナリオ・ゲームデザイン 堀井雄二
ディレクター・プログラム 中村光一
プロデューサー      千田幸信

ここまでは決まっていました。
キャラクターデザインを鳥山明さんが担当することになったのは、少年ジャンプの編集者・鳥嶋和彦さんの後押しによるもので、音楽をすぎやまこういちさんが担当することになったのは、何と、本人直々に、エニックスのゲームのアンケートハガキを投函して、エニックス社員がそれに気付き、千田さんがすぎやまさんと会ったことから始まります。

音楽をすぎやまこういちさんが担当することに、当初中村光一さんは反対でしたが、実際にふたりは会ってみるとすぎやまさんが大のゲーム好きであることが分かり意気投合します。

キャラクターデザイン 鳥山明
音楽         すぎやまこういち

このふたりが加わり、ゲーム開発は、タイトなスケジュールであった為に苦労の連続でしたが、『ドラゴンクエスト』は完成。1986年5月27日に発売されます。

出足こそ鈍かったものの、じわじわと売上を伸ばし、1986年末には出荷本数100万本を突破し、最終的に150万本を売り上げることになりました。

『ドラゴンクエストⅡ』以降の千田幸信さんについて

堀井さん、中村さん率いるチュンソフトは『ドラゴンクエストⅠ』の完成間もなく、『ドラゴンクエストⅡ』の製作に入ります。

Ⅰでは果たせなかったパーティプレイを導入しますが、容量が増えたにもかかわらず実質半年間というタイトなスケジュールで、中村さんは疲労困憊しながらもゲームを完成させます。
スケジュールを巡って千田さんは、社長の福嶋康博さんとかなりやりあっていたようですね。

ドラクエⅡの発売日は1987年1月26日。

中村さんは完成後も、特にロンダルキアのダンジョンなどゲームバランスには不満があったようです。
しかし、売上は前作をはるかに超える240万本を記録。『ドラゴンクエスト』はキラーソフトとして確立されていきます。

そして、休むことなくスタッフは『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ・・・』の開発に着手します。
シナリオ・ゲームデザイン 堀井雄二
キャラクターデザイン   鳥山明
音楽           すぎやまこういち
ディレクター・プログラム 中村光一
プロデューサー      千田幸信
というスタッフ陣は、不動のものになり、同時にドラゴンクエストもⅢをもって人気を不動のものとします。

1988年2月10日に『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ・・・』発売されると、瞬く間に300万本以上を売り上げて、最終的に380万本の売上記録を作ります。

マスコミも〝ドラクエ現象〟を報道して、販売店に行列を作るユーザーを取り上げました。

千田さんは1990年の『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』、

1992年の『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』、

1995年の『ドラゴンクエストVI 幻の大地』、

そして1998年の『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』まで、プロデューサーを務め続けます。

それからもエグゼクティブプロデューサーとして『ドラゴンクエスト』を見守り続けます。

この間、千田さんは1989年4月にエニックスの常務取締役 商品企画部長に昇任します。

1992年7月には専務取締役に就任されますが、何と翌年の3月まで、

ソフトウェア企画部担当 兼 出版企画部担当 兼 玩具企画部担当 兼 出版営業部担当

とエニックスの事業の大半において、現場の最高責任者となり、相当にお忙しかったのではないかと思います。

もっとも、ゲームソフト事業においては、『ジャストブリード』のプロデューサーを務めた川口貴雄さんが取締役 ソフトウェア企画部長を務め、出版事業に関しては、同時に保坂嘉弘さんが出版企画部長となっていたので、その後見役という立場だったのかもしれませんが。

1993年4月からは、専務取締役 商品企画本部長となり、ゲーム事業を中心に見ていくことになります。

1995年2月にはトイホビー事業部長も兼ねて主にドラクエグッズの展開にも力を注ぎます。

2000年10月に社長が福嶋康博氏から本多圭司氏にバトンタッチをされるのを機に、取締役副会長に就任。

2002年10月に取締役、旧スクウェアと合併して、スクウェア・エニックスが発足した2003年4月からは引き続き取締役を務め、
前述しましたように、2019年6月までスクウェア・エニックス・ホールディングスの取締役を務められました

馬主としての千田幸信さんの実績もなかなかすごい!

1991年2月にエニックスは株式の店頭公開(現在のJASDAQ上場)を果たします。

1982年8月の会社設立から僅か9年での株式上場は、当時としては異例の早さであり大いに注目を浴び、公募価格8,270円に対して上場時の初値は12,000円を付けました。

株式上場による創業者利益で福嶋康博さんは、杉並区浜田山に麻雀ルームとスポーツジムを備えた豪邸を建設し、川崎市多摩区の公団分譲の一戸建てから移り住みます。(現在は、渋谷区初台にこの豪邸を上回る邸宅を建ててお住まいです)

また千田幸信さんも、福嶋康博氏、福嶋氏の資産管理会社・福嶋企画・福嶋社長の奥様・福嶋美知子さんに次いで、エニックス株の2.5%ほどを保有していた為、億単位の資産を得ることになり、自宅として世田谷区の億ションを購入(現在は、都心にある別のタワーマンションにお住まいです)。

エニックス上場による株式の売却益で、千田さんは1991年分の高額納税者(長者番付)では、納税額は7,107万円となっています。

(ちなみに、同年の納税額は、福嶋康博さんが3億2,950万円、堀井雄二さんが2,245万円です)

そして、中央競馬会の馬主登録資格をクリアします。

馬主となった千田さんは所有馬に「~カラノテガミ」「セタガヤ~」という特徴的な名を付けます。

活躍した馬には

「ジョンカラノテガミ」獲得賞金1億6541万円

「セタガヤフラッグ」 獲得賞金1億2215万円

「バロンカラノテガミ」獲得賞金8936万円

「パブロカラノテガミ」獲得賞金5213万円

「ベルベットスマイル」獲得賞金4994万円

「ベガスカラノテガミ」獲得賞金4877万円

がいます。

中央競馬で千田さんがこれまでに獲得した賞金は総額で6億4300万円に上ります。

ゲーム業界関係者の馬主として『ダービースタリオン』の作者でゲームクリエーターの薗部博之さんの

「バランスオブゲーム」

「アブソリュート」

「スタープログラマー」とともに、名を馳せました。



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スクウェア・エニックスホールディングス取締役を務めていた千田幸信さんの役員報酬は年間2900万円

2018年度にスクウェア・エニックス・ホールディングスが取締役である千田幸信さんに支払った役員報酬は2,900万円です。
すでに、事業会社のスクウェア・エニックスの取締役は退任されておられますので、スクウェア・エニックスの役員として受けとられる収入は年収2,900万円です。

2017年で常勤取締役のフィリップ ティモ ロジャースさんと本多圭司さんがホールディングスの役員を外れて、常勤の取締役は、社長の松田洋祐さんと千田さんの2名だけになりましたので、2017年度より報酬がアップしています。

ユニクロの持株会社であるファーストリテイリングは、長らく代表取締役会長兼社長の柳井正さん以外は、取締役を社外取締役で固めていましたが、持株会社の常勤取締役が2人体制というのには、若干の不安があります。

2018年6月に事業会社の専務取締役に橋本真司さん(1958年5月24日生まれ。駒沢大学経済学部卒業。バンダイ入社後は〝橋本名人〟として、ハドソンの高橋名人とともにファミコンブーム時に名を馳せ、その後、独立してソリッド(コブラチーム)を設立。ソリッドがスクウェアグループになると、スクウェア取締役、執行役員に就任。スクウェア・エニックスとなってからも執行役員・取締役を歴任が、千田さんの後継としてスクウェア・エニックス・ホールディングスの役員になられるかと思いましたが、
すでに退任をされています。

ちなみに、2017年度にスクウェア・エニックスホールディングスが千田幸信さんに支払った役員報酬は金銭で1400万円。ストックオプションで500万円の合計1900万円です。

これは、提出された有価証券報告書から計算が可能です。
他にスクウェア・エニックスホールディングスの常勤役員をこの年度に務められていた方の役員報酬は、

・代表取締役社長:松田洋祐さん 
金銭報酬分:2億3000万円 ストックオプション分:2500万円 合計年間役員報酬は2億5500万円

・取締役:フィリップ ティモ ロジャースさん
金銭報酬分:(スクエニHD分)4100万円(SQUARE ENIX LTD分)5900万円 ストックオプション分:1500万円 合計年間役員報酬は1億1500万円

・取締役:本多圭司さん
金銭報酬分:8900万円 ストックオプション分:1500万円 合計役員報酬は1億400万円

この3名に比べると、千田さんの報酬が著しく低い気がしますが、現在は、相談役・アドバイザー的な立場でおられる為、この年収に設定されているのかもしれません。

また、和田洋一社長時代もそうでしたが、社長だけは報酬を2億円程度受け取る形が続いているのですね。

そういえば、松田洋祐社長は町田市玉川学園の一戸建てにお住まいでしたが、社長就任後は港区のマンションに居を移されています。
賃貸か所有かは不明ですが、やはり本社に近い都心部に住まわれている方ほうが、代表取締役社長として、何かと便利です。

スクウェア・エニックスに務める役員や従業員の年収はいくらなのか?

現在、スクウェア・エニックスの役員・従業員の年収はいくらなのかしらべようとしても、スクウェア・エニックスホールディングスの従業員の年収しか公表されていないので不明です。

持株会社の従業員は毎年1300~1400万円の収入を得ているようですが、いかんせんその人数が15~20名程度であるため、数千人規模の従業員が勤務する事業会社であるスクウェア・エニックスの従業員の平均年収がこの金額と近いことはないでしょう。

ちなみに、持株会社化されるまえの2008年の段階で、従業員は1932名(平均年齢32.6歳)平均年収615万円でした。

旧エニックスは安月給だった? ケチックスと呼ばれたのはなぜか?

旧エニックス時代、本社ビルの受付には受付嬢もおらず、また、交際費や経費全般が非常に厳しかったため、エニックスは別名〝ケチックス〟と呼ばれていました。

また、エニックスは開発部隊を持たず、居るのはプロデューサーだけで、デベロッパーにゲームの製作を任せていたのですが、その報酬体系がドラゴンクエストシリーズを基準としていたので、金払いが悪いイメージがありました。

たしかに、出せば300万本以上売れるドラクエ以外のゲームでは、売上的にいえば『スターオーシャン セカンドストーリー』の72万本が最高ですので、そういうイメージを持たれてしまったのだと思います。

もちろん、それだけお金の出入りに厳しい会社だったために、創業以来、スクウェアと合併するまでまったくの無借金経営を貫き通して、無借金で自社ビルを構えて、財務健全性では株式を上場している全業界とあわせて見ても、トップクラスを維持できた訳で、一概に悪いとはいえません。ゲーム業界では一番堅実な企業というのが私のイメージでした。

さて、旧エニックスは給料が安かったという話があります。
2004年4月にエニックスはスクウェアを吸収する形で合併しますが、その寸前の2社の従業員の年収がこちらです。

・エニックス
従業員:138名(平均年齢:33.3歳) 平均年収:576万6676円

・スクウェア
従業員:888名(平均年齢:31.5歳) 平均年収:650万7776円

確かに、スクウェアに比べるとエニックスの方が低いですね。

非常に古いデータですが、1993年のエニックスは初任給18万960円 30歳時点での平均給与が28万240円でした。

役員もそんなにもらっていなかったのではないかというのが私の想像です。
2000年頃、まだ高額納税者公示制度があった頃、ネットで誰でも無料で誰が1000万円以上所得税を納めているかを、1999年~2001年分くらいまで見られるサイトがありました。

そのサイトで調べてみると、ドリームキャスト発売時に〝日本一有名な専務〟になった当時のセガエンタープライゼスの湯川英一専務が、年収4500万円程度。

また、カプコン常務や専務を務めていた『モンスターストライク』の生みの親である岡本吉起さんが年収8000万円強。

ゲーム業界で偉い人は、結構もらっているんだなと思った者ですが、(クルマも湯川専務はマセラティ3200GT。岡本さんはポルシェ911やその他のクルマも保有されていました)、エニックス関係者は、千田さんを含めて、株式配当が多い社長の福嶋康博さんを除いて公示対象外でした。

もっとも千田さんの場合は、エニックスが1991年に上場を果たしたときに数十億円の株式資産を得ていますので、その後の収入に関しては、淡泊なのかもしれません。

〝くさったしたい〟と〝ゆきのふ〟のモデルは千田幸信さん!?

千田幸信さんがドラゴンクエストシリーズに登場するモンスター〝くさったしたい〟のモデルという噂があります。

この話の発信源は、劇作家・演出家の鴻上尚史さんが自身がパーソナリティを務める「オールナイトニッポン」で発言したことが始まりという噂があります。

果たして千田さんは〝くさったしたい〟のモデルなのかを検証してみましょう。
当時の千田さんの顔写真をご用意しました(モノクロですみません)ので〝くさったしたい〟と並べてみましょう。
(※現在、当時の千田さんの顔写真が見られなくなっております。本当に申し訳ありません。)

どうでしょうか?
顔の輪郭や髪型が似ているような気がしますが・・・

ただ、ドラクエを開発していたチュンソフトで、疲れ果てて床で眠り込んでいる千田さんが何度もスタッフに目撃されています。

エニックスは自社に開発部を持たずに開発はすべて外部委託でしたので、プロデューサーの千田さんは、チュンソフトに顔を出すことは多かったはずです。

エニックス社内では、開発陣とエニックスサイドのあいだに立って、社長の福嶋康博さんとやり合っていたでしょうし、また、シナリオの上がりが遅い堀井雄二さんの自宅前で、ライターの仕事を併行させていた堀井さんの帰りを待っては、シナリオの催促をしていたことも伝えられています。

タイトな開発スケジュールとプロデューサーとしての責任。現場の最高責任者としてのストレスと疲労は精神的にも肉体的にもすごかったことは想像に難くありません。

そんな状況の千田さんを、堀井さんがいたずら心を起こして、鳥山さんに千田さんをモデルにするよう依頼した・・・というのはあり得ると思います。

これからの千田幸信さん

千田さんも70歳。旧エニックス創業から走り続けて38年以上が経ちました。
現役から勇退された今、ユーザーのひとりとして『ドラゴンクエスト』を見守り続けられるのではないでしょうか。

以上、『ドラゴンクエスト』初代プロデューサーの千田幸信さんの功績をまとめさせていただきました。

千田さんをスカウトしてエニックスを立ち上げ、現在、スクウェア・エニックスホールディングス名誉会長の福嶋康博さんの足跡をまとめたページはこちらからどうぞ。
本嫌いの福嶋さんが息子さんの20歳の誕生日に送ったとっておきの名著とは?

⇒(新しいページが開きます)

福嶋康博さんの後継者としてエニックス2代目社長・スクウェア・エニックス副社長を務められた本多圭司さんの足跡をまとめたページはこちらです。
⇒エニックス2代目社長・スクウェア・エニックスホールディングス副社長・取締役を歴任した本多圭司さんの足跡をまとめました

『ドラゴンクエスト』『サウンドノベル』『不思議のダンジョン』シリーズを手掛けたチュンソフトの創生期をまとめたページはこちらです。

『ドラゴンクエスト』『サウンドノベル』『不思議のダンジョン』シリーズを手掛けたチュンソフトの創生期はこんな感じだった!のページはこちらです(新しいタブが開きます)

最後まで、読んでくださり本当にありがとうございました。

心より御礼申し上げます。

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人物伝

見城徹という怪物について その1

幻冬舎 代表取締役社長・見城徹とは
はる坊です。
私はあることに興味を持つと、徹底して調べるという癖(ヘキ)を持っています。
仕事に関することでも、全然関係のないことでも同じです。

最近は、幻冬舎社長の見城徹氏の本を集中的に読みました。
その感想です。
見城徹といえば、幻冬舎社長にして、元角川書店取締役編集局長。
そして何より、敏腕編集者として知られています。

まず、見城徹氏が幻冬舎を設立したのは、自分を角川書店の正社員として採用してくれた角川春樹氏が、薬物事件で逮捕されたのが要因になっているとか。取締役会で、春樹氏の社長解任をおこなうなら、春樹氏に採用され従ってきた自分も辞めようと思ったとのこと。

なかなかできることではありませんが、筋は通っていますね。

見城氏の経歴を追ってみると、
1950年12月29日静岡県清水市(当時)生まれ。
地元の静岡県立静岡南高校を卒業後、慶応義塾大学法学部に入学・卒業。
廣済堂出版を経て、角川書店にアルバイト入社。
そして、芥川賞作家・高橋三千綱氏の後押しもあって、正社員に、とあります。

まず、ここまでで思うことがいくつか出てきます。
見城氏は、編集者でありながら、見城氏単独やサイバーエージェント社長・藤田晋氏などと著作を出しています。

それも一冊や二冊ではない。
発行されている書籍すべてに目を通してみると、重複するエピソードや、ちょっと違う書き方になっているなと思うところがありますが、自己顕示欲が強い方だという印象を受けます。

テレビにも出演していますし、YouTubeでは『徹の部屋』という番組のホストもしています。

本人曰く、少年期から青年期にかけて、コンプレックスの塊だったと述べられています。
いまでは強面の結構イイ顔(褒め言葉です)で正直、カッコいい。

セクシーさも感じる顔をしておられると思いますが、容姿に対するコンプレックスがかなりあったようです。
でも、その割に高校時代から、本人曰く、素晴らしい彼女がいたりして、(容姿にコンプレックスがあったって本当かい)と思わせてくれるような、アンバランスな印象を受けます。

また、読書家なのは少年の頃からのようで、それが、現在の見城氏を作り上げる土壌になっていることは確かでしょう。

まず、私が思ったのは、なぜ文学部へ行かなかっただろう?という点です。
「受けたけど、落ちたんだよ」
と言われたらお仕舞いですが、時代背景もあったのではないかと思うのです。
当時は、学生運動が吹き荒れていました。
法とは何か? 
政治とは何か? 
という疑問と興味が見城氏にあったと推察されます。

また、石原慎太郎の大ファンだったこともあり、(石原氏は、一橋大学法学部卒業)法学部を選んだのかなあと、個人的には思うところです。
そして、卒業後は、廣済堂出版へ入社しています。
入社後に『公文式算数の秘密』という書籍を企画して、38万部のベストセラーに仕上げます。

また、『十万円独立商法』という書籍を企画して、これに興味を持った、当時東スポの記者で後に芥川賞を受賞する高橋三千綱氏との縁もできて、角川書店に入社することになります。

そういえば、少し前に『1万円起業』という書籍が売れましたが、
(『<マンガでわかる1万円起業』という形で漫画化もされています。) これは、見城氏の企画に触発されたものだと私は思っています。
直木賞製造マシーンとして名を馳せる
さて、有明夏夫『大浪花諸人往来』という小説をご存じでしょうか?
また読まれた方はいらっしゃるでしょうか?
わたしは、著者名だけは聞いたことがありますが、読んだことはありません。

見城氏自身も、浅草キッドとの対談で“「この人とこの小説のことは誰も知らないんだけどね」”と言っています。
直木賞を受賞したけれど、売れっ子作家にはなれなかったというところだと思います。

ですが、この小説は、編集者・見城徹を語るには、とても重要な作品であると思っています。

実は、この小説、宮尾登美子の『一絃の琴』とともに、第80回直木賞を受賞しているんです。

決定したのは、1979年1月19日。
発行されたのは前年の1978年10月。
角川書店刊。

野性時代78年2月から断続的に掲載された連作短編集です。
この本の担当編集者が見城徹氏でした。

そして、この本が角川書店初の直木賞受賞作です。
(77年に、野性時代に掲載された池田満寿夫の『エーゲ海に捧ぐ』で、芥川賞は獲得しています)

のちに見城氏は、角川書店時代に『直木賞製造マシーン』という異名を得ることになります。

見城氏が直接担当して、直木賞を受賞したのは以下の4作品です。
82年1月 第86回直木賞受賞 つかこうへい『蒲田行進曲』
82年7月 第87回直木賞受賞 村松友視『時代屋の女房』
87年7月 第97回直木賞受賞 山田詠美『ソウルミュージック・ラバーズ・オンリー』
88年7月 第99回直木賞受賞 景山民夫『遠い海から来たCOO』

ですが、直木賞候補に並んだ小説だと、
つかこうへい 第82回候補『ロマンス』『かけおち』『ヒモのはなし』
村松友視 第85回候補『セミ・ファイナル』 第86回候補『泪橋』

結果的に、文藝春秋のオール讀物に発表した『京都まで』『最終便にまにあえば』で第94回直木賞を受賞した林真理子も第91回候補作『星影のステラ』 第92回候補作『葡萄が目にしみる』は、見城氏が担当しています。

そして、これは未確認で、想像の域を出ませんが、第90回候補の北方謙三『友よ、静かに瞑れ』も野性時代連載がまとまって、角川書店から本になったものですから、見城氏が関わっていたのではないかと思うことがあります。
見城氏が野性時代副編集長を経て、月刊カドカワの編集長になったのが、86年か87年。

だとすると、83年6月に発刊された『友よ、静かに瞑れ』には、見城氏が間接的にでも関わっていたと考えるのが順当でしょう。
北方謙三はその後、「いろいろ理由があって」直木賞を受賞しないまま、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞、更には紫綬褒章を受章して、現在は、直木賞選考委員になっています。

今回はこのくらいで。

その2に続きます

最後まで、読んでくださり本当にありがとうございました。
他にもお役に立てる記事があるかと思いますので、どうぞお楽しみくださいませ。