USEN-NEXT GROUP創業者・初代社長 宇野元忠氏の生涯
※本ページはアフィリエイト広告を利用しています USEN-NEXT GROUP創業者・初代社長 宇野元忠の生涯 はる坊です。 今回は、大阪有線放送社の創業者・宇野元忠(于元忠)さんの生涯を追っていきます。 元忠さんの次男…
人物伝
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人物伝
はる坊です。
引き続き、スクウェア・エニックス創業者の福嶋康博さんの足跡を追っていきます。
福嶋さんが考えたのは、素人でも扱える機械を導入して、寿司づくりの自動化を図ることでした。
そして、自動寿司握りロボットを導入します。
ただ、機械自体が高額な為に、最初のお店は素人でもできる型押しロボットを導入しました。
目標は、5年間で全国490店舗を展開して、当時急成長で注目を浴びていた小僧寿しを抜いて、テイクアウト寿司市場でNo.1を獲ることです。
1979年(昭和54年)持ち帰り寿司全国No.1を目指して、寿司をロボットが握る持ち帰り寿司店を狛江市の狛江団地近くにオープンします。
当時の小僧寿しは、店が路面に向いており、衛生面に疑問を持った福嶋さんは、マクドナルド型に、店舗に入ってすぐ持ち帰りカウンターのある店舗を造り、衛生面にも気を配った店舗を完成させました。
店舗の向かい側はスーパーマーケット。
ターゲットとする客層に、アピールできる最高の立地でした。
開店当初の店舗は大盛況。大行列。
福嶋さんは、「これは大成功だ!」と胸を躍らせます。
次々に、持ち帰り寿司店舗を展開していけば、小僧寿しを超えられる!
しかし、やがて客足は遠のき始めます。
「なぜだろう?」
と思った福嶋さんは、自転車のカゴに寿司を入れて走ってみました。
しばらく走って、狛江団地のベンチに座り寿司折りを開けてみると、客足が遠のいた理由がハッキリと分かりました。
寿司のネタとシャリの握りが甘く、ネタがシャリからすべて落ちていたのです。
まだ、導入したロボットの技術が拙く、しっかりと握るところまでできていなかったのです。
早急にパート従業員を採用して、ロボットが握った寿司を、人の手でもう一度握り直すことで、客足は戻ってきましたが、福嶋さんはこの事業から撤退することを決断します。
この事業の目的は、寿司屋として成功することではなく、小僧寿しよりローコストの持ち帰り寿司チェーンを高利益体質で急速展開することにありました。ローコスト実現のために導入したロボットが型押しした寿司をパート従業員が握り直していたのでは、設備投資をした分、福嶋さんの持ち帰り寿司店は小僧寿しよりコストがかかってしまいます。
結局、持ち帰り寿司事業は頓挫します。
店自体に利益は出ていましたが、寿司握りロボットの導入と清潔さを求めた店舗の内装費を投資をしたため、3ヶ月で3000万円の赤字を出しました。
しかし、福嶋さんに後悔はありませんでした。
最初から損切りの金額を決めていたからです。
営団社募集サービスセンター自体に年間で7,000万円の利益が出ていたため、「3,000万円までの赤字なら、本業に差し支えない」そういう計算が出来ており、落ち込むこともありませんでした。
次に進出したのが、コンピューター事業でした。
といっても、ハドソンのようにソフトウエアを開発して通信販売したのではありません。
1980年のこと、福嶋さんは再度渡米して、ロサンゼルスで新規事業を検討します。
結果、パーソナルコンピュータのソフトビジネスに将来性があると判断して、確信を持って帰国します。
ただ、可能性があるからといって、いきなり事業を興すことはしませんでした。
そこで、実験的に福嶋さんがパソコンと顧客管理ソフトを持って市場調査の為に、会社を飛び込み訪問して様子をみました。すると関心を持っている人が意外に多いことに気付きます。なかには、その場でシステムを売ってくれという人までいました。
コンピュータはビジネスになる
福嶋さんの確信は深まりました。
そして、株式会社 エム・シー・ビー(MCB)を設立して、東芝のオフィス・コンピュータ(オフコン)の販売代理店になったのです。
営業マンは営団社募集サービスセンターから数名の社員を出向する形で事業を開始しました。
このとき、福嶋さんはセールスマンに命じた言葉があります。
『コンピュータがあれば何でもできますと絶対に言うな』というものでした。
なぜかというと、当時は、企業にコンピュータが入り始めた頃です。
しかし、セールスマンに「コンピュータがあれば何でもできます」と言われて、機能をどんどん追加した挙げ句、見積書が非常に高額となってしまい、客側がコンピュータ導入に躊躇する状態でもありました。
事実、大手メーカーがオフコンを売りだして、多くの販売代理店が生まれましたが、利益を得ていたのはごく少数でした。
福嶋さんの戦略は、客の要望を聞いてそれに合わせた商品を売るというものでした。
また、アフターサービスもおこない、顧客の信頼を勝ち得ていきます。
このとき設立した株式会社 エム・シー・ビー(MCB)には、のちにドラゴンクエストの初代プロデューサーとなる千田幸信さんが入社してきました。
千田さんはエム・シー・ビー(MCB)で働いた後、一旦退職。
フリーのプログラマー・システムエンジニアとして仕事をしたあと、仕事をもらいに福嶋さんの元に訪れた際に、エニックス設立への参加を要請されています。
エム・シー・ビーは東京で1位の東芝代理店になります。
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福嶋さんが次に目を付けたのはパソコンゲーム事業でした。
1982年8月、経営していた株式会社営団社募集サービスセンターの子会社・株式会社営団社システムの商号を株式会社エニックスに変更します。
代表取締役社長には福嶋康博さん。
取締役には千田幸信さん。
そして、営団社募集サービスセンター設立まもなくから福嶋さんと働いていた高野豊さんという3人で事業を開始します。
現在も、東京都新宿区西新宿7丁目1-8にある1972年築のヒノデビル。
1Fにモスバーガーの入った何の変哲もない雑居ビルですが、すべては、この場所からはじまりました。
エニックスを設立した福嶋さんは、すぐに、賞金総額300万円の「エニックス 第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」を企画・実施します。
最優秀プログラム賞受賞者には賞金100万円。
優秀プログラム賞受賞者(2名)には賞金50万円。
入選プログラム賞受賞者(10名)には10万円。
参加者全員に記念品を用意。
当時、多くのゲームコンテストが実施されていましたが、賞金額は異例の金額でした。
しかし、ゲームがなかなか集まりません。その理由は以下の3つです。
・他にもゲームコンテストは開催されていたが、最優秀賞が出ないコンテストが多かった
・うさんくさい会社がゲームコンテストを実施して悪い噂が流れていた
そして、これがいちばん大きな理由でした。
エニックスが、まったくの無名会社だったから。
さすがに、社長の福嶋さんも、この事態には喫茶店で頭を抱えたと振り返っています
(福嶋康博 著『マイナスに賭ける!―「人並み志向」で勝機はつかめない』より)
それでも、福嶋さん・千田さん・高野さんの3人は諦めませんでした。
千田さんは秋葉原へ行き、頭を下げて、マイコンショップにコンテストのポスターを店内に貼らせてもらいます。
そして、全国の有力なマイコンクラブや他のコンテストの入賞者に「必ず、最優秀賞は出しますから」と応募を要請しました。
最後に、千田さんは週刊少年ジャンプ編集部を訪れます。
少年ジャンプにコンテストの記事を載せて欲しいと頼む為でした。
このときに、千田さんの応対をしたのが、鳥嶋和彦さんです。
ジャンプで最初のパソコンゲーム特集を担当することになっていた鳥嶋さんには、千田さんの訪問は渡りに船でした。
依頼を承諾して、フリーライターで集英社のseventeen(セブンティーン)でも記事を書いていた堀井雄二さんに、取材をしてくれるよう依頼しました。
鳥嶋さんと堀井さんはすでにゲーム仲間でした。
鳥嶋さんは、この取材は堀井さんが適任だと感じたのでしょう、堀井さんはすでにパソコン(マイコン)にハマっており、取材を承諾した上に、自分でも『ラブマッチテニス』というアクション性の高いテニスゲームをコンテストに応募しました。
四国・香川県の県立丸亀高校には、すでに全国のマイコン少年からその存在を認められている少年がいました。中村光一さんです。
中村さんは、新聞配達のバイトで貯めたお金でPC-8801を購入して、ゲーム製作&プログラミングに没頭します。
マイコン雑誌『I/O』に投稿して認められ、開発したツールの原稿料や投稿したゲームが販売されて発生した印税を得るとPC-8801を購入。
エニックスのコンテストに『ドアドア』を応募します。
また、NHKが取材に入るという機会が訪れ、ゲームコンテストは一気に加速がつきました。
最終的には、コンテストに100本以上のゲームが集まりました。ゲームの審査では、面白く遊べるゲームとそうではないゲームがハッキリ分かれていたので、苦労はなかったと福嶋さんが語っています。
審査の結果は、のちに『森田将棋』で名を馳せる森田和郎さん(東京工業大学中退後、当時は埼玉医科大学医学部在学中)の『森田のバトルフィールド』が最優秀賞を受賞。
中村光一さんの『ドアドア』は惜しくも優秀プログラム賞でした。
堀井雄二さんの『ラブマッチテニス』は入選プログラム賞を受賞。
このコンテストで、堀井雄二さんと中村光一さんを発掘することができたのは、エニックスにとって大収穫でした。
ゲームコンテストで入賞したゲームを製品化して売り出すと、『ドアドア』の8万本を始め、パソコンゲームの売上上位にエニックスのソフトが名を連ねます。
エニックスは設立初年度で、3億5,000万円の利益をはじき出しました。
1983年10月には、取引銀行の支店長の仲立ちで、コニカ(当時は、小西六写真工業)と合弁で小西六エニックス(コニカエニックス)を設立します。
資本金は6,000万円。
当初エニックスの出資比率が50.6%でした。
コニカエニックス社長にも就任した福嶋さんは、ゲームソフト流通業に力を入れます。
この会社は設立してから数年で、年間売上高30億円の企業に成長しました。
福嶋さんにとって一番大きな収穫は、コニカエニックスに出向してきたコニカの優秀な人材を、エニックスに入社させられたことでしょう。
彼らは、エニックスの役員や幹部となり、1980年代後半から1990年代半ばのエニックスを支える存在になります。
この頃、少しずつ注目経営者となっていった福嶋さんは雑誌のインタビューに登場しています。
年収はこの頃で1700万円。月のお小遣いは30万円。
しかし、営団社募集サービスセンター・エニックス・コニカエニックスと3社の代表取締役社長を務めていた福嶋さんは忙しく、
昼食は、立ち食いそばで済ませて、朝から夜遅くまで働いていたようです。
次に福嶋さんは、任天堂が発売したファミコンに『ドアドア』を移植して発売。
20万本のヒットとなります。
そして続いて、堀井雄二さんシナリオ・ゲームデザインの『ポートピア連続殺人事件』を発売60万本のヒットとなります。
これが、『ドラゴンクエスト』開発への足がかりとなります。
千田幸信さんがプロデューサーとなり、シナリオ・ゲームデザインに堀井雄二さん、キャラクターデザインに鳥山明
さん、音楽にすぎやまこういち
さん、そして、メインプログラムにチュンソフトを設立して代表取締役社長兼メインプログラマーとなっていた中村光一さんという主要スタッフの元で開発された『ドラゴンクエスト』はⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳと発売される毎に、人気とその発売本数を増やしていきます。
そして、発売日当日には大行列ができるのが風物詩になります、
3DS・DSがあればシリーズ全作が遊べる『ドラゴンクエスト』シリーズについてまとめた記事はこちらです。(新しいページが開きます)⇒3DSとDSがあれば、ドラクエシリーズが全作品が遊べるんです!!
ゲーム業界で任天堂のようにゲーム用ハードウェアを製造しない、ソフトウェアメーカーで最初に株式を上場したのはコナミ(現:コナミホールディングス)でした。
1984年10月に大阪証券取引場第2部に設けられたベンチャー企業向けの新2部に上場を果たしたのです。(コナミはその後1988年2月に東証2部への上場を果たすと、8ヶ月後の10月に東証1部に上場しています。)
コナミが株式上場企業となったことや〝ファミコンブーム〟の到来で、証券会社もゲーム関係企業に注目を向けて、ゲーム業界では店頭公開(ジャスダック上場)や東証・大証上場を果たす企業が増えていました。
1986年4月 セガ・エンタープライゼス(現:セガゲームス)が店頭公開⇒1988年4月に東証2部上場⇒1990年10月に東証1部上場
1988年1月 ナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)が東証2部上場⇒1991年9月に東証1部上場
1988年9月 ジャレコが店頭公開(現:ジャスダック上場)
1990年1月 カプコンが店頭公開(現:ジャスダック上場)⇒1993年10月大証2部上場⇒1999年9月大証1部に指定替え⇒2000年10月東証1部上場
『ドラゴンクエスト』の大ヒットと共に発売元のエニックスも注目を受けることになり、証券会社から株式上場の誘いが頻繁に来るようになります。
株式上場について、福嶋さんは当初慎重で断り続けました。
一番、株式を上場しやすい店頭公開(ジャスダック上場)でも、準備に2~3年かかるのが当たり前で、そこまで労力を払って株式公開や上場をするのは割に合わないのではないかという考えがあった為です。
また、株式を上場させると、経営の自由度が下がるのではないかという不安もあったようです。
しかし、福嶋さんが欲しいのは優秀な人材でした。
エニックスが上場すれば、社会的信用も増して、優れた人材が集まって来やすいのは確かでした。
当時の取締役社長室長 前川敏雄さんと総務部長が店頭公開時に主幹事証券会社となった山一証券と中心となって進めていきました。
1990年2月11日に発売された『ドラゴンクエストⅣ』のメガヒットで、1990年3月期のエニックスの業績は、
売上高:162億6,600万円
営業利益:38億8,600万円
経常利益:39億5,700万円
と順調な伸びを見せます。
そして1991年2月1日、エニックスは店頭公開(JASDAQ上場)を果たします。
株式の初値は12,000円。
会社設立から9年の株式上場は、当時としてはかなりのスピードであり、福嶋さんは辣腕経営者と認められます。
また、この株式上場によって福嶋さんは500億円の株式資産を保有することになります。
上場後初となる、1991年3月決算でも、昨年度に引き続き『ドラゴンクエストⅣ』効果が持続して、
売上高:150億6,200万円
営業利益:32億8,400万円
経常利益:35億2,000万円
を記録します。
1992年5月に公示された、1991年分の高額納税者の公示では、福嶋さんは株式売却益を得て3億2,950万円を納税しています。
(ちなみに、同公示では、エニックス創業メンバーで専務取締役の千田幸信さんが7,107万円、『ドラゴンクエスト』の作者である堀井雄二さんが2,245万円を納税しています。)
福嶋さんは、上場で得た利益で、川崎市多摩区から、杉並区浜田山の豪邸に移り住みます。
敷地450坪。地下1階地上2階の建物には、福嶋さんの好きな麻雀が思う存分楽しめる麻雀ルームと健康のためスポーツジムが設えられました。
また、広い庭の草むしりは、福嶋さん休日の日課になりました。
ここで非常にたいせつなことは、福嶋さんが必要以上に所有している株式を売却しなかったことです。
店頭公開後も福嶋さんは、福嶋康博個人と資産管理会社の福嶋企画、そして、奥様の福嶋美知子で70%の株式を保有していました。広大な邸宅の建築が目標だったわけではないでしょうが、10数年後に建てることになる渋谷区初台の大豪邸に向けて、重要な資産となっていきます。
杉並区浜田山に移る前に福嶋さん一家が暮らしていた、敷地面積:約80坪の川崎市多摩区の旧福嶋邸は、エニックスと深い関わりがあった開発会社・クインテットの橋本昌哉さんが買取り、その後、クインテットが保有しています。
福嶋さんが川崎市多摩区に自宅を構えていたのも理由があると考えています。
かわさきマイコンシティ(川崎市マイコンシティ)に近かったことです。
エニックスは川崎市多摩区にエニックス研究所を設置して、センサーの開発販売を目的に、ピーエムエフという会社に出資していました。
「この場所に住んでいれば、ビジネスにも有利だ」
まだ、30代半ばの若き経営者だった福嶋さんが、そう考えたのではないかと思います。
クインテットは、日本ファルコムで『イース』シリーズなどを手掛けていた、橋本昌哉さん・宮崎友好さんが中心となって1989年4月に設立され、
エニックス向けに『アクトレイザー』『ソウルブレイダー』『ガイア幻想紀』『天地創造』などを開発。
トライエースが設立され、『スターオーシャン』『ヴァルキリープロファイル』シリーズをリリースするまで、『ドラクエ』頼みだったエニックスを支えました。
エニックスの社員がまだ10人に満たない頃に入社され、エニックスのソフトウェア企画部 課長・ゲームプロデューサーとしてパソコン用ゲームソフトを経て、クインテット開発のゲームに深く関わられたのが、
『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』『【推しの子】』(原作担当)の人気漫画家・赤坂アカさんの父親・曽根康征さんです。
さて、ジャスダック上場からまもない1990年代前半に、証券会社からは東証2部への上場準備を持ち掛けられますが、福嶋さんは断ります。
当時は、上場審査が厳しく、上場を希望する企業には、○○という部署がないとダメだという内規が定められていました。
福嶋さんは、無理をして東証2部に替えることはないと、自分の考えを貫きました。
株式を公開して上場企業の仲間入りを果たしたことにより、新卒採用で現在に至るまでスクウェア・エニックスを支える人材が集まるなど、福嶋さんが望んだことが現実となる一方で、古参の役員や従業員がエニックスを去るということも起こりました。
(※これは、いわゆる〝エニックスお家騒動〟のことではありません)
エニックス株を保有していた彼らのなかには、株式上場によって、億単位の資産を得ている者もいました。
そのような立場になれば、新たにチャレンジしたいことや起業、またはアーリーリタイアメントも可能となります。
例えば、エニックスの創業メンバーのひとりで、ゲームプロデューサーを経て、エニックス 取締役 営業部長となった高野豊さんや
クインテット開発の『ソウルブレイダー』『ガイア幻想紀』やランダムハウス開発の隠れた名作『ジャストブリード』で、
エニックス 取締役 ソフトウェア企画部長としてプロデューサー等を務めた川口貴雄さんも1990年代半ばにエニックスを離れています。
それでも、無借金で自社ビル(通称〝ドラクエビル〟)を持つことができたり、経営者として、会社をより客観的に見るよう心を配るようになったのも、店頭公開の収穫でした。
上場市場:店頭登録(現:JASDAQ上場)
資本金:37億9700万円
売上高:85億4400万円(1992年3月期決算)
営業利益12億0200万円(1992年3月期決算)
経常利益18億5200万円(1992年3月期決算)
従業員:142名(平均年齢29.3歳)
平均給与:270,061円
初任給:180,960円
30歳モデル賃金:280,240円
代表取締役社長:福嶋康博
生年月日:1947年8月18日
出身地:北海道旭川市
最終学歴:1970年 日本大学理工学部建築学科卒業
専務取締役:千田幸信
ソフトウェア企画部担当・出版企画部担当・玩具企画部担当・出版営業部担当
生年月日:1950年9月29日
出身地:岩手県
最終学歴:1972年 東海大学工学部中退
常務取締役:前川敏雄
総務部長・経理部担当
生年月日:1944年4月3日
出身地:千葉県
最終学歴:1967年 慶應義塾大学商学部卒業
※日本道路より1989年エニックスに転職
取締役:川口貴雄
ソフトウェア企画部長
生年月日:1948年1月31日
出身地:北海道
最終学歴:1970年 東海大学工学部卒業
※営団社募集サービスセンターに1978年入社
取締役:才藤智宏
営業部担当・業務部長・エニックス研究所長
生年月日:1941年5月1日
出身地:東京都
最終学歴:1965年 中央大学法学部卒業
※エニックスとコニカの合弁会社・コニカエニックスの取締役に1983年就任。
取締役:蟹江元
社長室長
生年月日:1948年8月29日
出身地:兵庫県
最終学歴:1971年 日本大学法学部卒業
※コニカより1989年エニックスに転職
取締役:上條弘
事業開発室長
生年月日:1952年1月30日
出身地:神奈川県
最終学歴:1974年 神奈川大学経済学部卒業
※三和銀行より1990年エニックスに転職
取締役:高野豊
株式会社 エニックスアカデミー代表取締役社長
生年月日:1947年11月21日
出身地:埼玉県
最終学歴:1970年 日本大学理工学部卒業
※営団社募集サービスセンターに1976年入社
(学科が建築学科だったかどうかは不明ですが、社長の福嶋さんと同い年で同じ年に日大を卒業されています。
ひょっとしたら、大学時代からの友人・知人関係だったのかもしれません。また、ワインソムリエの方は同姓同名の方です。)
常勤監査役:舟田正男
生年月日:1926年6月16日
出身地:石川県
最終学歴:京都大学工学部卒業
監査役:河野先
生年月日:1932年1月28日
出身地:東京都
最終学歴:慶應義塾大学経済学部中退
福嶋康博 46.6%
有限会社 福嶋 16.7%(現在の株式会社 福嶋企画)
福嶋美知子 5.9%
千田幸信 2.2%
三和銀行 1.9%
高野豊 1.8%
川口貴雄 1.8%
東洋信託銀行 1.6%
三菱銀行 1.3%
才藤智宏 0.9%
⇒エニックスも含めた、当時株式上場していたゲームソフトメーカーの会社情報はこちらです【1993年1月】上場していたゲーム会社各社の会社情報・役員・株主構成はこうだった
1999年8月 エニックスは東京証券取引所第1部に上場を果たします。
東証2部を通さずに、ジャスダック上場から東証1部に直接上場できるように証券取引所のルールが変わっていたこと、エニックスの社内体制が整っていたこともありますが、この上場は、最高のタイミングでした。
時はあたかもネットバブル全盛期、ネット関連企業だけでなく、ゲーム業界の株価も上がっていたのです。
ジャスダック上場企業と東証1部上場企業では、創業者など大株主が所有してよい株数(パーセンテージ)に違いがあります。
福嶋さんは1部上場の折に福嶋さん個人と福嶋企画名義で保有していた持株を売却して、莫大なキャッシュを得ることになります。
そして、2001年5月に公示された長者番付では、納税額3億5,890万円で全国第56位登場。
エニックス会長 福嶋康博の名を知らしめることになりました。
福嶋康博さんが名を連ねた2001年分の長者番付全国トップ100名のリストです。他のゲーム会社の会長・社長や芸能人では、浜崎あゆみ・宇多田ヒカル・稲葉浩志・松本孝弘(B’z)が名を連ねています(新しいページが開きます)⇒【懐かしの平成】2001年分(平成13年分)全国長者番付(高額納税者公示制度)トップ100にはこの人が登場していた。
すこし前後しますが、2000年10月にエニックスの経営体制は大きく変わります。
取締役 商品企画開発本部 ソフトウェア企画部長の本多圭司さんに代表取締役社長のバトンが渡されました。
当時本多さんは42歳の若さでした。
福嶋氏によると、社長就任を要請したのは、この半年前の2000年4月頃、関西出張の折だったとのことです。
本多圭司さんは1957年福岡県に生まれ。
大阪市立大学工学部建築学科を卒業後、早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程に進学。
修士課程を修了後は乃村工藝社に入社。
30歳を前に退職して、福嶋さん同様、海外放浪を経て、1987年に求人雑誌を見てエニックスに入社。
アメリカのエニックス・コーポレーションの責任者を経て、1997年に取締役に就任していました。
そして、福嶋さんは代表取締役会長になると、従来の事業は本多社長以下新体制に任せて、新規事業の開発に専念します。
2003年4月エニックスはスクウェアを吸収する形で合併、スクウェア・エニックスとなります。
裏話として、2000年頃に、スクウェアオーナーの宮本雅史さんより福嶋さんに合併話が持ち込まれましたが、福嶋さんが当時のスクウェアの経営状況を見て、あまりに開発部門がイケイケ過ぎるのを不安視していたので、断った経緯があります。
その後、スクウェアが映画事業失敗により、武市智行会長・坂口博信副社長の退任があり、和田洋一社長体制になったことから、福嶋さんの見る目が変わり、約3年後に再度持ち込まれた合併提案に賛成したという形です。
福嶋さんは同社のスクウェア・エニックス代表取締役会長を務めますが、2004年に相談役名誉会長に、2005年には名誉会長に退きます。
突然、代表権も取締役の職からも退いたことに、ゲーム業界は驚きました。
「取締役からも外れるなんて」という声が聞かれました。
まだ、福嶋さんは56歳という若さでした。
これに対する福嶋さんのコメントは、“「30年間、仕事のことだけを考えてきた。これからは人生について考えたい」”というものでした。
福嶋さんが事業家として20代から邁進してきた理由。
それは漠然とした不安でした。
いまのままいることに、常に不安を感じてしまう性格の持ち主だったのです。
その上、大変に慎重。
常に最悪を想定して事業に取り組むため、事業企画に自信があっても、常に不安がつきまとう。
成功の確率を上げるために必死に努力をして、事業の成功に確信を持っても、不安は消えない。
事業が大成功を収めても、大喜びすることはなく、
「そうか、うまくいったか」
と思うだけ。
だからこそ、事業家として成功され、大資産家にもなられたのだと思いますが、
ご自身で、“「昔からの友人に会ったとき、相手が会社員や公務員で、「仕事は楽しい?」と訊ねて、「そこそこ楽しいよ」という答えが返ってくると、相手がうらやましくて仕方ない」”と、気持ちを吐露されています。
中野ブロードウェイのフリーペーパー構想と持ち帰り寿司チェーン展開構想は失敗に終わりましたが、福嶋康博さんは事業家として、“当てる確率の高い方です”。
実際に、“「企画には自信があります」”と自負されていますし、エニックス自体をゲーム会社ではなく、“「現在、たまたまゲームソフト事業を中心にしているだけで、うちは企画会社」”と捉えられていました。
公団住宅の募集冊子から事業を始めて、東芝のオフィス向けコンピュータ代理店、ゲームソフト事業、すべてを当てています。
また、中国で醤油事業を展開して、何と中国で第2位にした実績もあります。(これは1位のメーカーがほぼ独占的なシェアを持っていたという事情もありますが)
実際、『ドラゴンクエスト』を中心にゲームソフト事業が大成して、上場企業となってからも、オフィス向けの机や椅子を安く輸入して中古販売を手掛けたり、2002年には早稲田大学とスポーツビービーという合弁会社を設立して、自ら先頭に立ってブロードバンド配信事業に取り組んだりしています。
しかし、どこまで事業で成功しても、スクウェアを吸収合併して、『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』という強力IP・キラーコンテンツを保有するスクウェア・エニックスの会長になっても、福嶋さん自身、事業を通じて、自分自身の抱える不安を消すことはできなかった。
これが第一線から退かれた原因のようです。
実のところ福嶋さんは50歳のときに、経営から退く決意をされていました。
3年掛けて社内から後継者を選び、53歳のとき、3~4人いた後継者候補のなかから本多圭司さんを後継者に決めてからは、2年間、会長として見守った後、55歳で経営から完全に身を引くと決めていました。
おそらく、他の候補者は、
・取締役副会長 千田幸信さん
1950年9月29日岩手県生まれ。東海大学工学部中退。
CIS・ソフトウエア興業でプログラマー・システムエンジニアとして勤務後、エニックスの設立に参画した最古参メンバー。
(エニックス設立メンバーで、『ドラゴンクエスト』初代プロデューサー。取締役⇒常務⇒専務⇒副会長を歴任)。
・取締役 出版事業部長 田口浩司さん
1961年11月3日福岡県生まれ。ラサール中学校・高等学校卒業。早稲田大学教育学部卒業。
早大在学中から編集プロダクション運営に携わり、卒業と同時に編集プロダクションを経営。27歳でエニックスに入社。
(営業担当としても実績を持ち、ゲーム事業・出版事業に事業部長として関わり、“エニックスお家騒動”でも、マッグガーデンと和解に持ち込むなど、数年前はTwitterで暴れておられましたが、旧エニックス時代は、部長や取締役に就任するスピードは早く、旧エニックスの社風が合っていたのであたりだったのではないかと思います。)
だったのではないかと思います。
また、2001年に起こった、いわゆる“エニックスお家騒動”がなければ、福嶋さんの第一線からの完全引退はもっと遅かったかも知れません。
おそらく、大きなショックだったでしょうから。
ゼロからエニックスの出版事業を収益の柱にしたのですから、福嶋さんもその力を認めていたでしょう。
・取締役 商品企画本部 出版企画部長 保坂 嘉弘さん。
1955年3月8日生まれ。亜細亜大学経済学部卒業。
漫画原作者を経て、1984年エニックス入社。1992年出版企画部長。1996年取締役。
現在、IGポート取締役。マッグガーデン代表取締役会長。
スクウェアとエニックスが合併して、存続会社となるスクウェア・エニックスの会長になったことから、予定より1年間期間が延びて56歳でのリタイアになったというのが、実際のところのようです。
本来は、55歳での勇退を考えられていましたが、
スクウェアとエニックスが合併して、存続会社となるスクウェア・エニックスの会長になったことから、予定より1年間期間が延びて56歳でのリタイアになったというのが、実際のところのようです。
実業の第一線から退いた福嶋さんは、若い頃、かつて放浪した東南アジアを巡る旅に出ます。
東南アジア4カ国を歴訪した福嶋さんは、そのひとつであったカンボジアでのボランティア活動に取り組み始めます。
カンボジア現地のNGO団体・CEDACと協力して困窮している家庭を自立させるための農業講習をおこないます。
モノを与えるのではなく、自立して生活するための知識や知恵を現地の人々に与えるのが福嶋流のようです。
そして、2003年8月に渋谷区初台に約1050坪の土地を購入します。
2005年11月、この地に福嶋康博邸は完成します。
地上2階・地下1階に加えて、バーベキューハウスも別にある大豪邸です。
この邸宅の延べ床面積は約430坪に及びます。
その後、福嶋さんは南米のゲーム事業に携わったり、東南アジアでボランティア活動をして過ごしているようです。
2012年まではスクウェア・エニックスホールディングスとスクウェア・エニックスの事業には関わらず、ボランティアに専念されていたようです。
また、2009年秋には、CESAでの活動が認められ、藍綬褒章を受章しました。
自由な大資産家。
20代で起業家の道を歩み始めた男は、70代にして人生を満喫しているように思えます。
https://www.youtube.com/watch?v=CSSmLYOSskc
福嶋康博さんは奥さまとの間に一男一女を儲けました。
息子さんは、福嶋さんが卒業した大学の附属高校を卒業後、スポーツ科学が学べる大学へ進学しました。
そして、息子さんが20歳を迎えた日に、福嶋さんは一冊の本をプレゼントしました。
福嶋さん自身「本は読まない」と公言しており、それは事実のようですが、そんな福嶋さんが、大切に読み返してきた本がありました。
それは、D・カーネギーの『人を動かす』でした。
-自分の幸、不幸は自分の行動、考え方で定まる。
この言葉は、福嶋さんがまだ故郷・北海道旭川市にいたころ、友人のお父さんが常日頃言っていた言葉を自分でアレンジした上で、自分の心に刻み、息子さんにもことあるごとに伝えられていたようです。
世間的に大成功を収めた福嶋康博のこの言葉は、深く響きます。
参考文献:
福嶋康博『マイナスに賭ける!―「人並み志向」で勝機はつかめない』
大下英治『エニックスの飛翔―実録・ゲーム業界戦国史』
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
心よりお礼を申し上げます。
何かございましたら、こちらまでお願いいたします。
【モンスター企業】キーエンスと創業者・滝崎武光氏のまとめ
※本ページはアフィリエイト広告を利用しています
はる坊です。
今回は、フォーブス誌の2021年日本人長者番付で、2020年に引き続き第3位にランクインしているキーエンス創業者で同社名誉会長・滝崎武光氏に迫っていきたいと思います。
米フォーブス誌によると、滝崎氏の資産は滝崎武光氏個人、そして、妻の滝崎美弥子氏が代表取締役を務める滝崎氏の資産管理会社・株式会社ティ・ティが保有するキーエンス株の合計で、3兆1,700億円に上ります。
2017年では1兆3880億円でしたから、6年間で約2.3倍も資産を増やしたことになります。
ちなみに、日本人長者番付のトップ3は、
ユニクロを率いるファーストリテイリングの柳井正 代表取締役会長兼社長
本記事でご紹介するキーエンスの滝崎武光 取締役名誉会長
ソフトバンクグループの孫正義 代表取締役会長兼社長。
の順です。
上位には滝崎氏とともに、サントリーホールディングスの佐治信忠会長やユニチャームの高原豪久会長など、日本人の日常生活に欠かせないモノを手掛ける企業のトップが名を連ねています。
2015年 第5位 資産額:1兆0472億円
2016年 第4位 資産額: 9379億円
2017年 第4位 資産額:1兆3880億円
2018年 第4位 資産額:1兆8430億円
2019年 第3位 資産額:2兆0670億円
2020年 第3位 資産額:2兆1190億円
2021年 第3位 資産額:2兆8420億円
2022年 第2位 資産額:2兆9,700億円
2023年 第2位 資産額:3兆1,700億円
すっかり、ファーストリテイリングの柳井正氏、ソフトバンクグループの孫正義
氏、サントリーホールディングスの佐治信忠
氏と並んで、日本人トップの資産を保有する人物として定着している感があります。
滝崎氏が、ここに挙げた3名の方と違うのは、滝崎武光氏は資産家・実業家の子息として生を受けたわけではなく、サラリーマン家庭に生まれ育ち、学歴も高卒であること。
約6年間のサラリーマン生活を経て共同経営の会社を設立するも、短期間で倒産させ、再度のチャレンジでも上手くいかず、20代後半までに結局2度の会社倒産を経験している人物であること。
3度目に正直となったキーエンスも、最初はリード電機という滝崎氏ただひとりの個人事業に過ぎない時点からスタートしているところでしょう。
まさに立志伝中の人物といえます。
この記事を読み進めていただくとお分かりいただけると思うのですが、滝崎氏ご本人は、この2兆円を超える資産のことは、必要以上に誇っているようには思えません。
もし、滝崎氏に現在の資産額について尋ねたら、
「資産といっても、私個人や家族、資産管理会社で保有している株式が大半です。
株価は必ずしも、会社の業績に比例して上下するものではなく不確かなもの。
ですから、あてにはなりません。
私は株や不動産売買で利益を出そうとする〝財テク〟はしてはいけないという考えです。
それよりも高付加価値の仕事をすること、会社の営業利益のほうが大切ですよ。
私は売上高には目を向けません。
いくら売上があっても低い利益率では、従業員を含めて企業に関わる人々がメリットを享受できませんから、意味がありません。
現在、キーエンスの営業利益率は売上高の54%強です。
この数字は社員ひとりひとりが、付加価値の高い良い仕事をしてくれていることの証だと思います。
私はそちらを誇りたいです」
きっと、そんな答えが返ってくるような気がします。
それでは、キーエンスと滝崎武光氏の足跡を追っていきましょう。
キーエンスは、創業者・滝崎武光氏が1972年3月に兵庫県伊丹市において、個人事業・リード電機として創業。
1974年5月に兵庫県尼崎市に移転するとともに法人化され、リード電機株式会社となります。
その後、FA(ファクトリーオートメーション)用センサーや計測器の開発・販売を手掛けて業績を伸ばし、1986年10月に商品ブランド名のキーエンス(KEYENCE)と商号の統一を図るために株式会社キーエンスに社名を変更。
ちなみにキーエンス(KEYENCE)とは、Key of Science-キー・オブ・サイエンス(科学の鍵)の略語です。
翌1987年10月には大阪証券取引所第2部に株式を上場。
株式上場準備に3年も4年もかかり、上場審査基準も厳しかった当時としては、かなりのスピードといえる会社設立から僅か13年で上場企業の仲間入りを果たします。
2年後の1989年12月には東京証券取引所2部にも重複上場。
1991年9月には、ついに東京証券取引所1部上場を果たします。
上場時から高収益企業・高株価企業として有名でしたが、
まれに見る高収益体質を維持したまま、現在まで成長を続け、
2023年3月期の連結決算では、
売上高:9,224億2,200万円 売上総利益:7,547億3,200万円 営業利益4,989億1,400万円を記録
粗利率は驚異の81.9% 営業利益率は何と54.1%です。
2024年3月期の連結決算数字がどうなるか、これから注視していきたいと思います。
キーエンスは、従業員の年収が高い企業としても有名ですが、〝人件費は経費にあらず〟というキーエンス独自の思考から、2023年6月に提出された有価証券報告書では従業員:2,788名(平均年齢35.8歳)の平均年収は2,279万3,975円となっています。
前述したように、ボーナスは(3月・6月・9月・12月)の年4回です。
2022年6月に提出された有価証券報告書では、従業員:2,599名(平均年齢36.1歳)の平均年収は2,182万7,204円となっていましたので、業績好調を受けて、従業員の平均年収もアップしています。
また、従業員の人数も単純計算で189名増加しています。
退職者もいるので、仔細は不明ですが、新卒・中途採用とも継続してかなりの人数を採っていることがわかります。
キーエンスは、国内・海外(北米・欧州・南アフリカ・中国・アジア・中東・オセアニア)に営業拠点を張り巡らせていますが、本社・研究所は、大阪府大阪市東中島(JR新大阪駅の近くです)に構えています。
この社屋が建てられたのは1994年とかなり年月が経ってしまっているのですが、高さ111メートル・21階建てのビルは非常にスタイリッシュで、数々の賞にも輝き、現在でも古くささを感じさせません。
創業者の滝崎氏は2000年12月に、当時43歳だった生え抜きの佐々木道夫氏(明治大学政治経済学部卒業)に社長職を譲り、55歳で代表取締役会長に就任。
自身が会長に退いた理由を、
“「創業当時から自分がいなくても、会社が回るようにずっと考えてきました。会長に退いたのも、私が半年1年いなくてもこの会社は回るなと思ったからです」”と語っています。
(引用元:2003年10月27日号 日経ビジネス 特集 利益率40% 驚異の経営 キーエンスの秘密 編集長インタビュー 滝崎武光氏[キーエンス会長] 会社に思い出は不要)より。
2012年12月からは、佐々木道夫氏は取締役特別顧問となり、当時45歳だった山本晃則氏(立命館大学理工学部卒業)が代表取締役社長が就任。
滝崎氏は引き続き会長職に就かれていましたが、2017年12月からは取締役名誉会長を務めておられます。
2019年12月には、山本晃則氏は取締役特別顧問となり、1974年生まれの中田有氏(関西学院大学法学部卒業)が代表取締役社長に就任しています。
そして、
モンスター企業のキーエンスですが、意外に経営トップの年収はそこまで高くありません。
従業員の最高平均年収は約2,279万円ですが、
創業者の滝崎氏から数えて、4代目代表取締役社長を務められている中田有氏の年間役員報酬は2023年3月期の有価証券報告書によると、1億8,800万円
前社長で、現在は取締役 特別顧問を務められている山本晃則氏の年間役員報酬も1億1,300万円です。
社外取締役をのぞく、他の常勤取締役に1億円プレーヤーはいません。
これには理由があり、創業者の滝崎武光氏が社長在任時代に、自身の報酬を低めに設定していた伝統が残っているからです。
滝崎氏自身“「サラリーマン社長と同等にしている」”とインタビューで発言しており、役員だからといって、億単位の役員報酬をもらっていなかったのです。
現在、SHIFTの取締役副社長を務められている、キーエンス2代目社長・佐々木道夫氏の後継者として、
3代目社長を務められた山本晃則社長も、
年間役員報酬は、2018年3月期の有価証券報告書で1億3800万円。2019年3月期が1億5600万円でした。
そして、2019年に社長職を中田有氏にバトンタッチされ、取締役特別顧問となられた2020年3月期の有価証券報告書では1億5000万円。
また、滝崎氏は2018年6月に、まだまだ日本では浸透していない大学進学者向けの給付型奨学金を提供する一般財団法人キーエンス財団を設立され、代表理事も務められています。
2019年4月大学新入学生を対象とするものですが、募集人数は125名程度で月額8万円を在学中の4年間支給する
(4年間の合計支給金額は384万円になります)
という返済の必要がない奨学金ではかなり規模の大きなものです。
現在の日本では経済的な理由で奨学金を利用して大学や専門学校に進学される方が多くなっていることは事実です。
ただ、その奨学金の大半は貸与型であり、卒業後に社会に出てから返済の必要があります。
若くして高収入が得られる職に就き、奨学金の返済を滞ることなく支払える方もおられるでしょうが、不安定な立場や低収入から返済をすることができず延滞金が上乗せされ、最悪の場合、自己破産に追い込まれ、人生に大きな狂いが生じている方も多く存在していることも事実です。
そんななかで、前途のある学生に返済不要の給付金を提供する財団を立ち上げられたのは素晴らしいことだと思います。
実は、滝崎氏が奨学金に目を向けたのは今回が初めてではありません。
1990年にアジアから学びに来る理工系の留学生の為に、私財3億円で奨学基金を設立していました。
さて、キーエンス財団の事務局も大阪府大阪市東中島キーエンス本社ビル内にあります。
これは公私の区別を厳しくしている滝崎氏らしいと思うのですが、普通、成功を収めた事業家などが奨学財団や文化・スポーツ振興財団を設立した際には、自分の苗字を財団名の頭に付けていたり、理事や評議員に親族が名を連ねているケースがほとんどです。
また、自らの人脈をアピールする目的もあるのか、財界や学界、専門分野のなかでも著名な人物や肩書きが立派な人物の名前が並んでいることもあるのですが、キーエンス財団の場合はそういったものがないように感じられます。
理事や評議員のなかに、滝崎氏の親族は誰ひとり名前がありません。
奨学金を給付する有能な学生を選考する為には、どのような人物を置けば一番効果的で合理的かという滝崎氏の哲学が、この財団にも表れているような気がしてなりません。
さて、日本人長者番付2位の大資産家である滝崎武光氏ですが、その人物像はほとんど知られていません。
第一に滝崎氏自身がメディアに露出しないからです。
よって、ウェブ上では〝前半生が謎〟であるとか、〝来歴や家族関係は一切不詳〟と書かれているページすら見受けられます。
また、〝韓国〟というキーワードが検索されていますが、韓国に縁のある人物であるとは確認できません。
さて、滝崎氏自身、社長職を退いて、会長となって以降はたった一度しかマスコミのインタビューに応じていません。
名誉会長に就任して、後進に会社を託すような形となった現在では、メディア露出の可能性は更に低くなったと思います。
東証1部上場企業の創業者ですが、財界活動にも全く興味を示さない人物ですので、世界に通じる日本有数の大富豪として一部の人だけに名前を知られた状態で、このままミステリアスなイメージを保っていくのではないでしょうか。
それでも、まだ1980年代、1990年代には、多少ではありますがマスコミの取材やインタビューに応じていました。そこで語られたエピソードを中心に、滝崎武光氏に迫ってみたいと思います。
滝崎武光氏は1945年(昭和20年)6月10日兵庫県芦屋市で出生しています。
現在は大阪府豊中市に在住です。
芦屋市といえば、関西で一番富裕層が集い邸宅を構えているようなセレブなイメージがありますが、滝崎氏の父親はお金持ちでも経営者でもなく一介のサラリーマンでした。
しかし、真面目で働くことを美徳とする人物だったようで、モノ作り一筋の滝崎氏の人生にも大きな影響を与えている気がします。
その父親がメーカー勤務だったのかはあきらかにされていませんが、幼い頃、父親とともに住友金属工業(現在の新日鐵住金)和歌山製鉄所へ行ったときの思い出が滝崎氏には強く残っているようです。
当時、この製鉄所の中には、そこで働く人々を運ぶバスが運行されていました。
滝崎氏はこのときを振り返って、
“「理屈っぽい性格なので、これほど巨大な工場が何のためにあるのかを考え、自分の生活にも寄与しているんだと気が付いた」”
と語っています。
また、父親は機械の見本市にも武光少年を連れていったりもしています。
武光少年は小学校の卒業アルバムに『今度会うときにはテープレコーダーを作っているだろう』と寄せ書きしていたそうで、中学校時代には、友達から10円を集めて薬局でマグネシウムなどを購入して、実験をしていました。
モノづくりや電気いじり、科学実験
好きの少年時代を過ごしたようです。
滝崎氏が中学校卒業後に進学したのは、兵庫県立尼崎工業高等学校電気通信科(在学中に電子科に名称変更)でした。
(尼崎工業高校の後輩にはダウンタウンの松本人志氏(機械科卒業)がおられますが、島田紳助
氏と共演していたトーク番組『松本紳助』内で「賢いクラスがありましたねえ。電子科は賢かった」と発言していましたので、いくつかに分かれている科のなかでも、滝崎氏はレベルの高いクラスに在籍していたと思われます)
高校在学中、滝崎氏は自治会や生徒会の役員になります。
このとき、滝崎氏は先頭に立って市内5校で連合会を作っています。
ご本人は
“「(自身が通っていたのが女子生徒のいない工業高校だったので)女学生のいる学校に遊びに行きたかっただけかもしれません」”
と多少冗談めかしてはいますが、高校生にしてリーダーシップを取ることのできる人物だったことがわかります。
また、この経験からでしょうか
“「人を組織することに興味を覚えた」”
とのちに語っています。
時代はちょうど大学紛争の頃、自治会の役員をしていた滝崎氏は京都大学などで学生運動をしている人々と出会うことになります。
滝崎氏が、学生運動をしている年上の人々と知り合ったなかで、気が付いたのは、
思想というものは文学や芸術と同じで好き嫌いの世界
で、そういった客観的に測れないものは自分自身の性格上、相容れないものだということ。
そして、
経済というのは数字の世界だから客観性があり、企業の善し悪しも数字で対比すれば分かるもの
だということでした。
そして、滝崎氏は志を立てます。
自分は主観だけで判断するものには向いていない。
それなら、一流の事業家になろう。
それも、デザインや個人の趣味、趣向に左右される消費財ではなく、ユーザーの生産性を上げることに狙いを絞り込み、機能や性能に対して価格が安いか高いかで評価される生産財がいい。
1964年(昭和39年)3月滝崎氏は、兵庫県立尼崎工業高校電子科を卒業すると、実社会に足を踏み入れます。
実社会に足を踏み入れた滝崎氏は、エンジニアとなり24歳で独立を果たしますが・・・
最後まで読んでくださってありがとうございました。
よろしければ、その②もお読みいただけるとありがたいです。
その②に続きます⇒社員の平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス②(新しいタブが開きます)
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何かございましたら、こちらまでお願いいたします。
はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます)
メール:http://info*harubou-room.com (*を@にご変更いただきますようお願いいたします)
元キーエンス従業員の方が書かれた本で、最もオススメしたいのがこちらです。
次にオススメしたい、充分に一読の価値があるのがこちらです。
【2018年11月に出版】キーエンスでの経験を生かしたサイト運営について普遍的で重要な事柄が凝縮された一冊
キーエンスの社内ベンチャー・イプロスでウェブサイト作成・運営に携われた方の本です。
「心に触れるホームページをつくる」
筆者の秋山典丈さんは、キーエンスの社内ベンチャー・イプロスで『製造業向けマッチングサイト』を企画された方です。
東京工業大学大学院理工学研究科情報工学専攻修士課程修了後、1995年にキーエンスに入社。
2000年にキーエンスの社内ベンチャーとしてスタートしたイプロス(株式会社 イプロスとして法人設立は2001年)の立ち上げに参画され、「徹底的に受け手の身になってサイトを作る」ことに向き合われた経験を生かして書かれた本です。
秋山さんは2003年に独立され、現在はシステム開発とサイトコンサルティング・商品企画コンサルティングに携わる株式会社 レクタスの代表取締役を務められています。
この本では、個人でも法人でも、また初心者から上級者までサイト作成・運営にとって重要なことが満載されています。
私も折に触れて読み返しています。
サイト作成に関する本は多く出版されていますが、ここまで普遍的で重要な事柄が凝縮されている本はめったにありません。
キーエンスに興味のない方でも、ご自分のブログやサイト、そしてSNSで見る人の心をガッチリ掴みたいと少しでも思われている方なら、ぜひお読みになってください。
一橋大学イノベーション研究センターとキーエンスに長年在籍した方による共著です。
キーエンスの内部を知るには最もわかりやすいと思います。
ただ、『キーエンス~驚異的な業績を生み続ける経営哲学』というタイトルですが、『経営哲学』はどこにも書かれていません。
『経営哲学』を『経営目標』『経営手法』と読み替えるのが正しいと思います。
Kindle版しかありませんが、こちらもオススメできます。
また、もう一冊だけ、現在紙の書籍で入手することは困難ですが、機会があればぜひ読んでいただきたい本があります。
キーエンスに1986年に新卒で入社され、アンリツを経て、現在は立石シゲオ中小企業診断士事務所代表として活躍されている、経営コンサルタント・立石茂生氏が2014年に書かれた書籍です。
キーエンスで得られたノウハウを含めて、高収益企業を実現する経営指南書で示唆に富んだ良書中の良書なのですが、残念ながら古書でも手に入れるのは難しい状態です。
立石氏のホームページによると、2016年9月の時点では30,000円で古書がネット上で販売されていたようです。
これには、著者の立石氏も戸惑われたようですが、この本にそれだけの価値があると認められていることも、また事実でないかと私は思っております。
そのような状況が長く続きましたが、2020年8月にアマゾンKindleにて第2刷として出版されました。
Kindle Unlimited 会員の方は、このタイトルを追加料金なし(¥0円)でお読みになれます。
ご一読をおすすめいたします。
他にも元キーエンスの方が書かれた本があります。
参考にはなりますが、あえてこの場でおすすめするのは、控えさせていただきます。
長者番付
はる坊です。
1991年分~1995年分の高額納税者公示(長者番付)において、『俳優・タレント部門』『歌手部門』『その他・文化人部門』上位20位までにランクインした面々を紹介させていただきます。
1位 三田佳子 1億2854万円
2位 吉永小百合 1億0792万円
3位 ビートたけし 9789万円
4位 植木等 8394万円
5位 秋吉久美子 8173万円
6位 坂東玉三郎 7483万円
7位 山城新伍 7333万円
8位 大楠道代 7326万円
9位 桂三枝 6981万円
10位 鈴木保奈美 6811万円
11位 志村けん 5898万円
12位 関口宏 5855万円
13位 中村吉右衛門 5802万円
14位 黒柳徹子 5019万円
15位 愛川欽也 4963万円
16位 加山雄三 4940万円
17位 白川由美 4917万円
19位 加藤茶 4798万円
20位 中村敦夫 4776万円
1位 長渕剛 1億6534万円
2位 桑田佳祐 1億4370万円(サザンオールスターズ
)
3位 森進一 1億2555万円
4位 松任谷由実 1億0554万円
5位 井上陽水 1億0367万円
6位 浜田省吾 9415万円
7位 山下達郎 7874万円
8位 北島三郎 7709万円
9位 石井好子 7699万円
10位 五木ひろし 6168万円
11位 矢沢永吉 6157万円
12位 中島みゆき 6019万円
13位 松田トシ 5811万円
14位 吉幾三 5684万円
15位 竹内まりや 5160万円
16位 千昌夫 4773万円
17位 石川さゆり 4612万円
18位 吉田美和 4477万円(DREAMS COME TRUE
)
19位 田原俊彦 4449万円
20位 岡村孝子 4411万円
1位 平山郁夫 5億4531万円(日本画家)
2位 加山又造 2億9297万円(日本画家)
3位 大川隆法 2億4372万円(幸福の科学 総裁)
4位 千宗室 2億4156万円(茶道家元)
5位 片岡球子 1億9065万円(日本画家)
6位 東山魁夷 1億7435万円(日本画家)
7位 清水卯一 1億5574万円(陶芸家)
8位 横山光輝 1億4372万円(漫画家)
9位 高橋留美子 1億3473万円(漫画家)
10位 秋本治 1億3422万円(漫画家)
11位 千宗左 1億3292万円(茶道家元)
12位 斎藤都世子 1億2055万円(ニットデザイナー)
13位 藤田喬平 1億1567万円(ガラス工芸家)
14位 松尾敏夫 1億1452万円(日本画家)
15位 富永直樹 1億1203万円(彫刻家)
16位 芦田淳 1億1143万円(ファッションデザイナー)
17位 井上雄彦 1億0991万円(漫画家)
18位 高山辰雄 1億0609万円(日本画家)
19位 杉山寧 1億0584万円(日本画家)
20位 穐月明 9344万円(日本画家)
※千宗室・・・茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。現在の千玄室
※千宗左・・・茶道表千家13代家元
1位 三田佳子 1億4998万円
2位 志村けん 1億1061万円
3位 吉永小百合 1億0644万円
4位 ビートたけし 7924万円
5位 桂三枝 7865万円
6位 山城新伍 7805万円
7位 永六輔 7137万円
8位 植木等 6998万円
9位 鷲尾いさ子 6623万円
10位 中村吉右衛門 6096万円
11位 石橋貴明 6088万円(とんねるず)
12位 浜田雅功 6062万円(ダウンタウン)
14位 武田鉄矢 5890万円
15位 関口宏 5881万円
16位 大楠道代 5667万円
17位 加山雄三 5417万円
18位 坂東玉三郎 5237万円
19位 逸見政孝 4986万円
20位 加藤茶 4904万円
歌手部門
1位 井上陽水 1億7843万円
2位 長渕剛 1億5626万円
3位 浜田省吾 1億4245万円
4位 小田和正 1億4045万円
5位 森進一 1億3685万円
6位 桑田佳祐 1億3122万円
7位 松任谷由実 1億0642万円
8位 北島三郎 7501万円
9位 吉田美和 7164万円
10位 吉幾三 6885万円
11位 五木ひろし 6440万円
12位 山下達郎 6412万円
13位 槇原敬之 6179万円
14位 松田トシ 5682万円
15位 中島みゆき 5279万円
16位 小泉今日子 4963万円
17位 岡村孝子 4926万円
18位 徳永英明 4856万円
19位 谷村新司 4847万円
20位 飛鳥涼 4816万円(CHAGE&ASKA)
1位 平山郁夫 3億8294万円(日本画家)
2位 千宗室 2億5160万円(茶道家元)
3位 大川隆法 2億2436万円(幸福の科学 総裁)
4位 井上雄彦 1億9450万円(漫画家)
5位 加山又造 1億6862万円(日本画家)
6位 杉山寧 1億4103万円(日本画家)
7位 東山魁夷 1億3861万円(日本画家)
8位 横山光輝 1億3851万円(漫画家)
9位 千宗左 1億2837万円(茶道家元)
10位 片岡球子 1億2673万円(日本画家)
11位 高橋留美子 1億2371万円(漫画家)
12位 冨樫義博 1億1813万円(漫画家)
13位 秋元康 1億1258万円(作詞家)
14位 稲田浩司 1億0971万円(漫画家)
15位 上村淳之 1億0788万円(日本画家)
16位 森英恵 1億0670万円(ファッションデザイナー)
17位 芦田淳 9216万円(ファッションデザイナー)
18位 清水卯一 9201万円(陶芸家)
19位 斎藤都世子 8890万円(ニットデザイナー)
20位 富永直樹 8815万円(彫刻家)
※12位に『幽遊白書』の冨樫義博が初登場。
※14位に『ドラゴンクエスト-ダイの大冒険』の作画担当の稲田浩司が登場。
※水木しげるは、株式会社水木プロダクションに印税・原稿料などの収入がはいるようにしており、1992年度の水木プロダクションの年商は約1億3000万円だった。
兄・宗平(大阪工業専門学校(現・大阪府立大学)卒業。初代水木プロダクション 代表取締役社長⇒のちに顧問)や弟・幸夫(松山高等商業学校(松山商科大学を経て現・松山大学)卒業。水木プロダクション ゼネラルマネージャー)も社員であった為、水木しげるの年収は月給90万円×12ヶ月で1080万円に設定されていた。
『ゲゲゲの女房』で有名になった妻・武良布枝
は長年、「どうして、水木が一族を養わなければならないのか」長年疑問だったという。
現在は、明星大学人文学部心理学科卒業後、小学校教師の道を選んでいた原口尚子氏が代表取締役を務めている。
1位 三田佳子 1億5682万円
2位 松本人志 9918万円(ダウンタウン)
3位 ビートたけし 8116万円
4位 浜田雅功 7998万円(ダウンタウン)
5位 石橋貴明 7084万円(とんねるず)
6位 坂東玉三郎 6909万円
7位 吉永小百合 6857万円
8位 菊池桃子 6530万円
9位 桂三枝 6398万円
10位 関口宏 6321万円
11位 山城新伍 6178万円
12位 武田鉄矢 5870万円
13位 高倉健 5611万円
14位 加山雄三 5247万円
15位 みのもんた 5244万円
16位 木梨憲武 5134万円(とんねるず)
17位 中村吉右衛門 5100万円
18位 大楠道代 5057万円
19位 逸見政孝 5047万円
20位 タモリ 4908万円
1位 桑田佳祐 1億7440万円
2位 吉田美和 1億3563万円(DREAMS COME TRUE)
3位 竹内まりや 1億2892万円
4位 井上陽水 1億2260万円
5位 森進一 1億0602万円
6位 長渕剛 9997万円
7位 松任谷由実 9256万円
8位 槇原敬之 8747万円
9位 谷村新司 8650万円
10位 五木ひろし 8629万円
11位 中村正人 8459万円(DREAMS COME TRUE)
12位 中島みゆき 8248万円
13位 松本孝弘 7766万円(B’z)
14位 稲葉浩志 7019万円(B’z)
15位 浜田省吾 6962万円
16位 飛鳥涼 6722万円(CHAGE&ASKA)
17位 藤井フミヤ 6462万円
18位 平松愛理 6435万円
19位 織田哲郎 5741万円
20位 北島三郎 5349万円
1位 平山郁夫 5億4931万円(日本画家)
2位 冨樫義博 3億7922万円(漫画家)
3位 千宗室 2億9142万円(茶道家元)
4位 大川隆法 2億3200万円(幸福の科学 総裁)
5位 秋元康 1億9197万円(作詞家)
6位 井上雄彦 1億7784万円(漫画家)
7位 高橋留美子 1億7496万円(漫画家)
8位 根本陸夫 1億5445万円(ダイエーホークス監督兼球団専務)
9位 圓鍔勝三 1億4517万円(彫刻家)
10位 杉山寧 1億3006万円(日本画家)
11位 秋本治 1億2348万円(漫画家)
12位 千宗左 1億1902万円(茶道家元)
13位 田渕俊夫 1億1880万円(日本画家)
14位 上村淳之 1億0809万円(日本画家)
15位 東山魁夷 1億0449万円(日本画家)
16位 森英恵 9978万円(ファッションデザイナー)
17位 大前研一 9659万円(経済評論家)
18位 芦田淳 9284万円(ファッションデザイナー)
19位 横山光輝 9200万円(漫画家)
20位 高山辰雄 9109万円(日本画家)
1位 三田佳子 1億7343万円
2位 松本人志 1億6349万円(ダウンタウン)
3位 永六輔 1億2290万円
4位 浜田雅功 1億0834万円(ダウンタウン)
5位 牧瀬里穂 8020万円
6位 石橋貴明 7849万円(とんねるず)
7位 高倉健 7533万円
8位 みのもんた 6535万円
9位 堺正章 6529万円
10位 渥美清 6327万円
11位 吉永小百合 6268万円
12位 木梨憲武 6165万円
13位 関口宏 6072万円
14位 タモリ 5776万円
15位 大楠道代 5584万円
16位 織田裕二 5077万円
17位 加山雄三 4937万円
18位 野村宏伸 4852万円
19位 市川猿之助 4773万円(二代目市川猿翁)
20位 所ジョージ 4597万円
歌手部門
1位 長渕剛 1億4713万円
2位 井上陽水 1億3206万円
3位 森進一 1億2812万円
4位 桑田佳祐 1億2514万円
5位 槇原敬之 1億2198万円
6位 松任谷由実 1億1461万円
7位 吉田美和 1億0901万円(DREAMS COME TRUE)
8位 美川憲一 1億0785万円
9位 織田哲郎 1億0265万円
10位 千昌夫 9468万円
11位 中島みゆき 8329万円
12位 浜田省吾 8286万円
13位 五木ひろし 8251万円
14位 中村正人 7111万円(DREAMS COME TRUE)
15位 飛鳥涼 6463万円(CHAGE&ASKA)
16位 松本孝弘 6411万円(B’z)
17位 徳永英明 5559万円
18位 稲葉浩志 5543万円(B’z)
19位 北島三郎 5342万円
20位 藤井フミヤ 5183万円
1位 平山郁夫 6億4277万円(日本画家)
2位 冨樫義博 3億5662万円(漫画家)
3位 大川隆法 3億5297万円(幸福の科学 総裁)
4位 秋元康 2億3649万円(作詞家)
5位 千宗室 2億1842万円(茶道家元)
6位 井上雄彦 1億8803万円(漫画家)
7位 遠藤実 1億4028万円(作曲家)
8位 東山魁夷 1億2994万円(日本画家)
9位 千宗左 1億1850万円(茶道家元)
10位 浜田幸一 1億0916万円(政治評論家・元衆院議員)
11位 森英恵 9576万円(ファッションデザイナー)
12位 芦田淳 9352万円(ファッションデザイナー)
13位 中島千波 9339万円(日本画家)
14位 池坊専永 8763万円(華道家元)
15位 横山光輝 8575万円(漫画家)
16位 高橋留美子 8499万円(漫画家)
17位 藤田和日郎 8323万円(漫画家)
18位 秋本治 8070万円(漫画家)
19位 久米宏 7598万円(ニュースキャスター)
20位 浅利慶太 7508万円(舞台演出家)
1位 松本人志 2億6340万円(ダウンタウン)
2位 浜田雅功 2億3641万円(ダウンタウン)
3位 三田佳子 1億4931万円
4位 永六輔 1億1511万円
5位 石橋貴明 9144万円(とんねるず)
6位 梅宮辰夫 8228万円
7位 木梨憲武 7988万円(とんねるず)
8位 タモリ 7140万円
9位 吉永小百合 7005万円
10位 みのもんた 6840万円
11位 大楠道代 6372万円
12位 板東英二 6223万円
13位 関口宏 6159万円
14位 渥美清 5800万円
15位 野村宏伸 5069万円
16位 峰竜太 5025万円
17位 所ジョージ 4921万円
18位 愛川欽也
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