大田区

長者番付

【懐かしの平成】2001年分(平成13年分)全国長者番付(高額納税者公示制度)トップ100にはこの人が登場していた。

2001年分(平成13年分)全国長者番付(高額納税者公示制度)トップ100

順位・氏名・職業・住所・所得税納税額の順です。

1 高橋 洋二 ユニマットグループ代表 沖縄県八重山郡 68億4115万円
2 大川 功  元CSK名誉会長 東京都港区 39億5368万円
3 藤田 元  藤田商店社長 東京都世田谷区 33億7806万円
4 藤田 完  藤田商店副社長 東京都世田谷区 32億7696万円
5 藤田 田  日本マクドナルド会長 東京都世田谷区 21億6327万円
6 齋藤 一人 健康食品販売業 東京都江戸川区 12億4146万円
7 高橋 章恵 ユニマットグループ役員 神奈川県小田原市 11億7785万円
8 宇野 康秀 有線ブロードネットワークス社長 沖縄県那覇市 11億5434万円
9 田中 剛  不動産投資コンサルティング会社社長 東京都世田谷区 10億1822万円
10 井上 美悠紀 学生援護会会長 東京 東京都新宿区 8億7771万円
11 吉田 嘉明 ディーエイチシー社長 千葉県浦安市 8億2219万円
12 樋口 百合子 女性用下着販売会社社長 北海道札幌市 7億8729万円
13 吉田 照哉 社台ファーム経営 東京都港区 7億6042万円
14 岡田 和生 アルゼ社長 東京都品川区 7億1123万円
15 吉田 勝己 ノーザンファーム経営 東京都港区 6億7186万円
16 古川 享  米マイクロソフト社副社長 東京都渋谷区 6億3757万円
17 山内 溥  任天堂社長 京都府京都市 6億3131万円
18 柳井 正  ファーストリテイリング社長 山口県宇部市 6億1092万円
19 松本 孝利 投資コンサルティング会社社長 東京都町田市 6億0086万円
20 鈴木 まゆみ ソノコ名誉会長 オーストリア 5億8659万円
21 田中 清司 女性用下着販売会社役員 北海道札幌市 5億7608万円
22 萩原 一成 無職 東京都世田谷区 5億5034万円
23 齋藤 慎一 元牧場経営 千葉県柏市 5億3954万円
24 谷尾 凱夫 元食肉小売会社社長 福岡県福岡市 5億3559万円
25 福田 吉孝 アイフル社長 京都府京都市 5億2418万円
26 須田 洋  タクシー会社社長 埼玉県朝霞市 5億2381万円
27 石井 美恵子 大塚美容形成外科経営 東京都板橋区 5億1536万円
28 平 哲夫  フリーゲートプロモーション取締役 東京都港区 5億1307万円
29 中谷 廣耀  元会社役員 大阪府堺市 5億1102万円
30 神内 良一 プロミス名誉会長 東京都港区 5億0531万円
31 大竹 美喜 アフラック日本支社会長 東京都板橋区 5億0020万円
32 岡田 知裕 アルゼ役員 千葉県浦安市 4億7281万円
33 土屋 嘉雄 スーパー経営会社社長 群馬県伊勢崎市 4億6892万円
34 武井 健晃 武富士常務取締役 東京都杉並区 4億6581万円
35 服部 欹  セイコーエプソン取締役相談役 東京都港区 4億5936万円
36 服部 孝子 元セイコーエプソン取締役 東京都港区 4億4934万円
37 高梨 芳郎 高梨乳業名誉会長 神奈川県横浜市 4億4298万円
38 佐藤 茂  賃貸住宅ニュース社長 兵庫県宝塚市 4億3505万円
39 濱崎 歩  歌手 東京都港区 4億2611万円
40 金沢 要求 パチンコ機器製造会社社長 愛知県名古屋市 4億2158万円
41 上月 景正 コナミ社長 東京都港区 4億1734万円
42 孫 正義  ソフトバンク社長 東京都港区 4億1396万円
43 関口 眞  不動産管理会社社長 米国 N.Y 4億0689万円
44 多田 勝美 大東建託社長 東京都大田区 3億9617万円
45 小野寺 眞悟 給食サービス会社会長 北海道札幌市 3億8343万円
46 梅田 晩太 元鉄鋼商社役員 兵庫県神戸市 3億7736万円
47 降籏 由美子 無職 東京都港区 3億7620万円
48 卓 玉仙  健康器具販売会社社長 東京都渋谷区 3億7360万円
49 田中 温  セントマザー産婦人科医院院長 福岡県北九州市 3億7018万円
50 服部 靖夫 セイコーエプソン副会長 東京都港区 3億6855万円
51 北城 恪太郎 日本IBM会長 神奈川県横浜市 3億6254万円
52 川路 耕一 商品先物取引会社社長 東京都港区 3億6184万円
53 金沢 全求 パチンコ機器製造会社役員 愛知県名古屋市 3億6011万円
54 井上 雅實 福岡県議、タクシー会社会長 福岡県福岡市 3億6005万円
55 藤 隆次郎 衣料品卸小売会社社長 福岡県福岡市 3億5981万円
56 福嶋 康博 エニックス会長 東京都杉並区 3億5890万円
57 田中 邁  ベンチャー投資会社社長 東京都世田谷区 3億5752万円
58 稲葉 浩志  歌手 東京都渋谷区 3億5746万円
59 大竹 勇子 元産業廃棄物処理会社役員 千葉県成田市 3億5397万円60 河田 朝子 不動産賃貸会社社長 東京都武蔵野市 3億5294万円
61 金沢 信求 パチンコ機器製造会社役員 大阪府吹田市 3億5189万円
62 勅使河原 宏 元草月流家元 東京都新宿区 3億5178万円
63 深江 今朝夫 呉服服地販売会社社長 大阪府堺市 3億4850万円
64 大田 勝  ヴァーナル社長 福岡県福岡市 3億4773万円
65 豊田 信一 会社社長 千葉県千葉市 3億4388万円
66 升永 英俊 弁護士 東京都港区 3億4374万円
67 糸山 英太郎 新日本観光会長兼社長 東京都港区 3億4334万円
68 二重作 弘正 アエル会長 東京都足立区 3億3980万円
69 高洲 鉄郎 無職 米国 N.Y 3億3710万円
70 大久保 泉 人材サービス会社社長 東京都港区 3億3638万円
71 服部 多恵子 元会社役員 東京都港区 3億2679万円
72 服部 禮次郎 セイコー名誉会長 東京都港区 3億2593万円
73 小松 神一郎 病院経営 東京都渋谷区 3億2509万円
74 鈴木 正治 無職 神奈川県横浜市 3億2154万円
75 上原 昭二 大正製薬会長 東京都新宿区 3億1902万円
76 宇多田 光 歌手 東京都杉並区 3億1889万円
77 原田 吉蔵 会社社長 東京都港区 3億1798万円
78 松原 信男 パチンコ機器製造会社社長 愛知県名古屋市 3億1629万円
79 金海 龍海 パチンコ店経営 福岡県久留米市 3億1007万円
80 吹野 博志 デルコンピュータ会長 東京都港区 3億1000万円
81 毒島 秀行 SANKYO社長 東京都渋谷区 3億0918万円
82 平野 岳史 人材サービス会社社長 東京都世田谷区 3億0872万円
83 渡辺 寿恵子 不動産賃貸管理会社社長 東京都港区 3億0866万円
84 武井 保雄 武富士会長兼社長 東京都杉並区 3億0639万円
85 富澤 香代子 会社役員 東京都港区 3億0581万円
86 光山 照男 パチンコ機器製造会社役員 愛知県名古屋市 3億0418万円
87 服部 純一 セイコーインスツルメンツ会長 東京都渋谷区 3億0196万円
88 植木 章夫 元桐灰化学社長 大阪府豊中市 3億0108万円
89 加藤 佐平 無職 東京都西東京市 2億9721万円
90 村松 忠義 元貴金属販売会社社長 東京都世田谷区 2億9709万円
91 全本 親民 パチンコ店経営会社社長 岡山県津山市 2億9436万円
92 奥村 昌美 自動車輸入販売会社会長 東京都千代田区 2億9081万円
93 神内 由美子 無職 東京都港区 2億8412万円
94 慶松 駿輔 医薬品市場調査会社会長 東京都杉並区 2億8123万円
95 松本 孝弘 ギタリスト 東京都港区 2億7771万円
96 高桑 テイ 元会社役員 山梨県南都留郡 2億7489万円
97 青木 シヅ 無職 神奈川県藤沢市 2億6826万円
98 岡村 鉉  パチンコ機器販売会社役員 愛知県名古屋市 2億6721万円
99 大川 隆法 幸福の科学総裁 東京都杉並区 2億6631万円
100 堤 正明  通信販売会社社長 東京都渋谷区 2億6530万円

人物伝

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その2

西村寿行 小説家デビュー

1973年(昭和48年)2月、西村寿行のデビュー作瀬戸内殺人海流が、サンケイ出版より出版されました。

42歳での小説家デビューです。

9月には第2作安楽死が出版され、翌年には第27回日本推理作家協会賞の候補に挙げられます。

※『安楽死』は2018年8月に角川文庫から復刊されています。

西村寿行の小説を読んだことのある方なら、〝男根さま〟〝後背位〟〝尻〟〝人妻〟〝ジーパン人妻〟がやたら出てくる、「ああいう小説か」と思われるかも知れませんが、作家生活前半の西村作品には、そんな言葉はほとんど出てきません。

受賞したのは、1973年内に上巻204万部・下巻185万部を売り、当時大ベストセラーとなった小松左京の『日本沈没(上下)』でしたが、

選考委員の評を読む限りでは、次点といったところで、一定以上の評価を受けています。

本格的に作家デビューとなったこの年の年収は250万円。
ちなみに、この年の大卒初任給は62,300円です。

翌1974年(昭和49年)には、第3作屍海峡が刊行され、出版業界では、〝新進の推理小説家〟と呼ばれ始めます。
この年の収入は1,200万円となり、デビューした1年前より大幅にアップします。

しかし、西村寿行のなかでは違和感と悩みが生まれていました。

『推理小説家になりたかったわけではない』
『推理小説家と呼ばれたところでしっくりこない』

そして、『トリックというものが性に合わない』

そんな折りに、西村は直木賞作家・生島治郎からアドバイスを受けます。

「冒険小説を書いてはどうか」

生島治郎は、早大英文科を卒業後、早川書房にて編集者を務め、『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』編集長を経て、退社。
『傷痕の街』で作家デビュー後、『追いつめる』で直木賞を受賞。
『黄土の奔流』などで、ハードボイルド小説の書き手として活躍。
『兇悪』シリーズが、天知茂主演のテレビドラマ『非情のライセンス』の原作になるなど、人気作家として名を轟かせる一方、大沢在昌を見出すなど、才能を見出す力にも秀でていました。
また、韓国籍のソープランド嬢との結婚を題材にした『片翼だけの天使』の作者としても有名です。

出世作『君よ憤怒の河を渉れ』誕生

西村寿行は生島のアドバイスに従い、手にした印税で山中に建つ一軒家の一角を借りて、大量の資料を持ち込んで、一心に冒険小説を書きます。
そして、彼の運命を変える『君よ憤怒の河を渉れ』は完成しました。

西村は書き上げた原稿を手に、講談社を訪れます。
早速、作品を読んだ編集者からは、〝作品が荒削りであり、荒唐無稽な箇所もあるので、もう一捻りして欲しい〟と指摘を受けます。

しかし、自分の作品に絶対の自信があったのか、西村は原稿を直すことなく、今度は徳間書店を訪れます。

作品を読んだ『問題小説』編集長は、荒削りな作品であることを承知で、そのまま『問題小説』に掲載します。

掲載されると、作品は大いに反響を呼び、刊行されたノベルス(新書版)『君よ憤怒の河を渉れ』はベストセラーとなります。
ノベルスと文庫を合わせて、最終的には発行部数70万部を記録しました。

ただ、デビューから数年がたっただけの西村の作品を、西村寿行選集(NISHIMURA HARD-ROMAN SERIES)と銘打って大々的に売り出したのも、当時大きな効果があったのでしょう。

ちなみにこの選集は、他社から刊行された本も、徳間書店が二次的にノベルスで発売を続け、1999年に発行された『鷲』『涯の鷲』まで全112冊に及びました。

また、続けて徳間書店から『蒼き海の伝説』も刊行。

いままでの書き下ろし一辺倒から、短編小説の雑誌掲載依頼も出版社から来るようになり、1975年分の年収は一気に4,400万円にアップ。

中野区上高田のマンションに仕事場を構えます。
順調な作家生活が始まりました。

西村寿行の活躍が始まる

1976年に入ると、角川書店から前年の終わりに野性時代誌上に一挙掲載された化石の荒野が刊行されます。(のちに渡瀬恒彦主演で映画化されます)
ストーリーはまったく違いますが、『化石の荒野』は『君よ憤怒の河を渉れ』を大幅にブラッシュアップした印象を受けます。

そして、この後の作品群で見受けられる設定や構成が決定的なものになるのも、この作品からです。
西村寿行自身もこの作品を気に入っていたのでしょう。
あとがきでは「ぼくのデビュー作」とまで言い切っています。

これもベストセラーとなり、西村寿行は、〝推理小説家〟ではなく〝新進気鋭のハードボイルド作家〟と見なされるようになります。
(〝ハードロマン〟という呼び方はまだ浸透していませんでした)

1976年(昭和51年)に刊行された本

この年には、前述した化石の荒野の他に、『娘よ、涯なき地に我を誘え』(78年に『犬笛』に改題)『幻の白い犬を見た(短編集)』『滅びの笛』『牙城を撃て(上)』『牙城を撃て (下)』『原色の蛾(短編集)』を刊行。

スポーツ新聞連載、小説雑誌連載・掲載が相次ぎ、執筆量が大幅に増加します。
この当時、西村寿行の月産枚数は原稿用紙900枚と報じられました。

1976年度分の年収は8,800万円。

まさに、倍々ゲーム。
仕事場も、新宿区と渋谷区の境に建ったばかりのマンション最上階に移します。

7月には、ニホンオオカミを題材に取った短編『咆哮は消えた』で第75回直木賞候補に挙げられます。
落選こそしましたが、当時の選評を読む限りでは、源氏鶏太・水上勉・柴田錬三郎からは好感を得ています。
※参照 オール讀物 1976年9月号

1977年(昭和52年)に刊行された本

咆哮は消えた(短編集)』『妄執果つるとき』『帰らざる復讐者 』『汝!怒りもて報いよ(上)』『汝!怒りもて報いよ (下)』『魔の牙』『魔笛が聴こえる』『荒涼山河風ありて』『悪霊の棲む日々』『白骨樹林』『双頭の蛇(短編集)』『往きてまた還らず(上)』『往きてまた還らず(下)を刊行。

1977年には更なる活躍を見せ、毎月の執筆枚数は400字詰め原稿用紙で800~1000枚。
急激に読者の人気を得ていきます。
西村寿行の専売特許ともいえる〝ハードロマン〟という言葉も浸透し始めました。

1月に『滅びの笛』で第76回直木賞、7月には、『魔笛が聴こえる』で第77回直木賞候補に挙げられます。

新聞や雑誌に連載され本にまとまったとき、連載時と文章を比較すると、しっかりと著者校正作業をおこなっていたのが分かります。

しかし、執筆量が大幅に増えて、ひとつひとつの作品の細部にまで、目が届かなくなっていったこともあったでしょう。
急激な西村寿行作品の人気上昇を面白く思わない選考委員も存在したと思います。

選考委員の意見は、「着想は面白いが雑」「荒唐無稽」「劇画的」と否定的になり、いずれも落選の憂き目に遭います。
※参照 オール讀物 1977年4月号・1977年10月号

西村は3度目の直木賞落選のあと、文藝春秋に「もう候補にしてくれるな」と断り状を出しています。

この断り状のタイミングが不明なのですが、77年の年末に、78年1月に選考が行われる第78回直木賞候補に自作が挙げられるのを知って、断り状を出したのであれば、どの作品が候補に挙がることになったのかは、気になるところです。

1980年に受けたインタビューで、“「どこの賞も候補になるのは断っている。」”と発言しています。
参照:「データバンクにっぽん人 西村寿行」週刊現代1980年5月22日号

日本推理作家協会賞や、雑誌の企画で誌上にて手紙のやり取りをした五木寛之が仕掛け人となった泉鏡花文学賞。
それに、この年に始まった日本SF大賞の候補打診があったのかもしれません。

しかし、このインタビューでは、こんな思いも漏らしています。

“「でも、同業者が選ぶ賞は欲しくないが、前に小説現代がやっていたような読者賞ならいい。」”

西村が触れているのは『小説現代ゴールデン読者賞』のことです。

この賞は、読者の投票によって決まる賞で、1970年~1975年まで続きました。
受賞者は以下の通りです。

第1回 笹沢佐保『見返り峠の落日』
(推理小説から時代小説に初めて挑戦し、『木枯し紋次郎』の原型となった作品です)

第2回 梶山季之『ケロイド心中』
(被爆と性をテーマにした短編です。発表当時には各所から猛抗議を受けたようですが、彼自身、広島に深い縁があり、原爆被災資料の刊行に資金援助をした人物でもありました)

第3回 松本清張『留守宅の事件』
(短編集『証明』に収められている一編です。ここではネタバレはしません)

第4回 野坂昭如『砂絵呪縛後日怪談』
(本人のイメージと異なる江戸を舞台にした時代小説です。執筆にあたって柴田錬三郎から「江戸の夜は暗かった。女のほうが強かった」という短いアドバイスをもらって書き上げたというエピソードがあります)

第5回 池波正太郎『殺しの四人』
(『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶ人気シリーズ『仕掛人 藤枝梅安』の一編で、「おんなごろし」に次ぐ梅安シリーズの2作目です)

第6回 井上ひさしいとしのブリジット・ボルドー
(東北の旧家で発見された1800年代中盤のボルドーワインを巡る騒動を描いています。笑い・ユーモアはすごいと思います)

こうやってリストアップしてみると、小説の読者は、いい小説を選んでいるなとつくづく思います。

1977年度の年収は1億5,000万円。
前年度から更に倍増します。

⇒アマゾンのKindleでは、電子書籍のキャンペーン実施中で、西村寿行作品が270円から読めます。

⇒西村寿行の勢いは留まることを知りません。更に読者の人気を得ていきます、そしてついに・・・
その3に続きます。

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その3