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人物伝

【ドラクエ王】スクウェア・エニックスの創業者 福嶋康博の人生がスゴすぎる③

はる坊です。
引き続き、スクウェア・エニックス創業者の福嶋康博さんの足跡を追っていきます。

持ち帰り寿司事業⇒東芝オフィスコンピュータ代理店 エムシービー⇒エニックス創業

福嶋さんが考えたのは、素人でも扱える機械を導入して、寿司づくりの自動化を図ることでした。

そして、自動寿司握りロボットを導入します。

ただ、機械自体が高額な為に、最初のお店は素人でもできる型押しロボットを導入しました。

目標は、5年間で全国490店舗を展開して、当時急成長で注目を浴びていた小僧寿しを抜いて、テイクアウト寿司市場でNo.1を獲ることです。

1979年(昭和54年)持ち帰り寿司全国No.1を目指して、寿司をロボットが握る持ち帰り寿司店を狛江市の狛江団地近くにオープンします。

当時の小僧寿しは、店が路面に向いており、衛生面に疑問を持った福嶋さんは、マクドナルド型に、店舗に入ってすぐ持ち帰りカウンターのある店舗を造り、衛生面にも気を配った店舗を完成させました。

店舗の向かい側はスーパーマーケット。
ターゲットとする客層に、アピールできる最高の立地でした。

開店当初の店舗は大盛況。大行列。

福嶋さんは、「これは大成功だ!」と胸を躍らせます。

次々に、持ち帰り寿司店舗を展開していけば、小僧寿しを超えられる!

しかし、やがて客足は遠のき始めます。

「なぜだろう?」

と思った福嶋さんは、自転車のカゴに寿司を入れて走ってみました。

しばらく走って、狛江団地のベンチに座り寿司折りを開けてみると、客足が遠のいた理由がハッキリと分かりました。

寿司のネタとシャリの握りが甘く、ネタがシャリからすべて落ちていたのです。

まだ、導入したロボットの技術が拙く、しっかりと握るところまでできていなかったのです。
早急にパート従業員を採用して、ロボットが握った寿司を、人の手でもう一度握り直すことで、客足は戻ってきましたが、福嶋さんはこの事業から撤退することを決断します。

この事業の目的は、寿司屋として成功することではなく、小僧寿しよりローコストの持ち帰り寿司チェーンを高利益体質で急速展開することにありました。ローコスト実現のために導入したロボットが型押しした寿司をパート従業員が握り直していたのでは、設備投資をした分、福嶋さんの持ち帰り寿司店は小僧寿しよりコストがかかってしまいます。

結局、持ち帰り寿司事業は頓挫します。
店自体に利益は出ていましたが、寿司握りロボットの導入と清潔さを求めた店舗の内装費を投資をしたため、3ヶ月で3000万円の赤字を出しました。

しかし、福嶋さんに後悔はありませんでした。

最初から損切りの金額を決めていたからです。

営団社募集サービスセンター自体に年間で7,000万円の利益が出ていたため、「3,000万円までの赤字なら、本業に差し支えない」そういう計算が出来ており、落ち込むこともありませんでした。

次に進出したのが、コンピューター事業でした。
といっても、ハドソンのようにソフトウエアを開発して通信販売したのではありません。

1980年のこと、福嶋さんは再度渡米して、ロサンゼルスで新規事業を検討します。
結果、パーソナルコンピュータのソフトビジネスに将来性があると判断して、確信を持って帰国します。

ただ、可能性があるからといって、いきなり事業を興すことはしませんでした。
そこで、実験的に福嶋さんがパソコンと顧客管理ソフトを持って市場調査の為に、会社を飛び込み訪問して様子をみました。すると関心を持っている人が意外に多いことに気付きます。なかには、その場でシステムを売ってくれという人までいました。

コンピュータはビジネスになる

福嶋さんの確信は深まりました。
そして、株式会社 エム・シー・ビー(MCB)を設立して、東芝のオフィス・コンピュータ(オフコン)の販売代理店になったのです。
営業マンは営団社募集サービスセンターから数名の社員を出向する形で事業を開始しました。

このとき、福嶋さんはセールスマンに命じた言葉があります。
『コンピュータがあれば何でもできますと絶対に言うな』というものでした。

なぜかというと、当時は、企業にコンピュータが入り始めた頃です。
しかし、セールスマンに「コンピュータがあれば何でもできます」と言われて、機能をどんどん追加した挙げ句、見積書が非常に高額となってしまい、客側がコンピュータ導入に躊躇する状態でもありました。

事実、大手メーカーがオフコンを売りだして、多くの販売代理店が生まれましたが、利益を得ていたのはごく少数でした。

福嶋さんの戦略は、客の要望を聞いてそれに合わせた商品を売るというものでした。

また、アフターサービスもおこない、顧客の信頼を勝ち得ていきます。

このとき設立した株式会社 エム・シー・ビー(MCB)には、のちにドラゴンクエストの初代プロデューサーとなる千田幸信さんが入社してきました。
千田さんはエム・シー・ビー(MCB)で働いた後、一旦退職。
フリーのプログラマー・システムエンジニアとして仕事をしたあと、仕事をもらいに福嶋さんの元に訪れた際に、エニックス設立への参加を要請されています。

エム・シー・ビーは東京で1位の東芝代理店になります。

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エニックス事業開始。ゲームコンテストを開催してゲームソフト事業で成功。JASDAQ上場まで

賞金総額300万円「エニックス 第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」

福嶋さんが次に目を付けたのはパソコンゲーム事業でした。

1982年8月、経営していた株式会社営団社募集サービスセンターの子会社・株式会社営団社システムの商号を株式会社エニックスに変更します。

代表取締役社長には福嶋康博さん。
取締役には千田幸信さん。
そして、営団社募集サービスセンター設立まもなくから福嶋さんと働いていた高野豊さんという3人で事業を開始します。

現在も、東京都新宿区西新宿7丁目1-8にある1972年築のヒノデビル。
1Fにモスバーガーの入った何の変哲もない雑居ビルですが、すべては、この場所からはじまりました。

エニックスを設立した福嶋さんは、すぐに、賞金総額300万円の「エニックス 第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」を企画・実施します。

最優秀プログラム賞受賞者には賞金100万円。
優秀プログラム賞受賞者(2名)には賞金50万円。
入選プログラム賞受賞者(10名)には10万円。
参加者全員に記念品を用意。

当時、多くのゲームコンテストが実施されていましたが、賞金額は異例の金額でした。

しかし、ゲームがなかなか集まりません。その理由は以下の3つです。

・他にもゲームコンテストは開催されていたが、最優秀賞が出ないコンテストが多かった
・うさんくさい会社がゲームコンテストを実施して悪い噂が流れていた

そして、これがいちばん大きな理由でした。

エニックスが、まったくの無名会社だったから。

さすがに、社長の福嶋さんも、この事態には喫茶店で頭を抱えたと振り返っています
(福嶋康博 著『マイナスに賭ける!―「人並み志向」で勝機はつかめない』より)

それでも、福嶋さん・千田さん・高野さんの3人は諦めませんでした。

千田さんは秋葉原へ行き、頭を下げて、マイコンショップにコンテストのポスターを店内に貼らせてもらいます。
そして、全国の有力なマイコンクラブや他のコンテストの入賞者に「必ず、最優秀賞は出しますから」と応募を要請しました。
最後に、千田さんは週刊少年ジャンプ編集部を訪れます。
少年ジャンプにコンテストの記事を載せて欲しいと頼む為でした。

このときに、千田さんの応対をしたのが、鳥嶋和彦さんです。
ジャンプで最初のパソコンゲーム特集を担当することになっていた鳥嶋さんには、千田さんの訪問は渡りに船でした。

依頼を承諾して、フリーライターで集英社のseventeen(セブンティーン)でも記事を書いていた堀井雄二さんに、取材をしてくれるよう依頼しました。
鳥嶋さんと堀井さんはすでにゲーム仲間でした。
鳥嶋さんは、この取材は堀井さんが適任だと感じたのでしょう、堀井さんはすでにパソコン(マイコン)にハマっており、取材を承諾した上に、自分でも『ラブマッチテニス』というアクション性の高いテニスゲームをコンテストに応募しました。

四国・香川県の県立丸亀高校には、すでに全国のマイコン少年からその存在を認められている少年がいました。中村光一さんです。
中村さんは、新聞配達のバイトで貯めたお金でPC-8801を購入して、ゲーム製作&プログラミングに没頭します。

マイコン雑誌『I/O』に投稿して認められ、開発したツールの原稿料や投稿したゲームが販売されて発生した印税を得るとPC-8801を購入。
エニックスのコンテストに『ドアドア』を応募します。

また、NHKが取材に入るという機会が訪れ、ゲームコンテストは一気に加速がつきました。

最終的には、コンテストに100本以上のゲームが集まりました。ゲームの審査では、面白く遊べるゲームとそうではないゲームがハッキリ分かれていたので、苦労はなかったと福嶋さんが語っています。

大きな才能が集まることとなるコンテストとなった

審査の結果は、のちに『森田将棋』で名を馳せる森田和郎さん(東京工業大学中退後、当時は埼玉医科大学医学部在学中)の『森田のバトルフィールド』が最優秀賞を受賞。

中村光一さんの『ドアドア』は惜しくも優秀プログラム賞でした。

堀井雄二さんの『ラブマッチテニス』は入選プログラム賞を受賞。

このコンテストで、堀井雄二さんと中村光一さんを発掘することができたのは、エニックスにとって大収穫でした。

ゲームコンテストで入賞したゲームを製品化して売り出すと、『ドアドア』の8万本を始め、パソコンゲームの売上上位にエニックスのソフトが名を連ねます。

エニックスは設立初年度で、3億5,000万円の利益をはじき出しました。

1983年10月には、取引銀行の支店長の仲立ちで、コニカ(当時は、小西六写真工業)と合弁で小西六エニックス(コニカエニックス)を設立します。

資本金は6,000万円。
当初エニックスの出資比率が50.6%でした。

コニカエニックス社長にも就任した福嶋さんは、ゲームソフト流通業に力を入れます。

この会社は設立してから数年で、年間売上高30億円の企業に成長しました。

福嶋さんにとって一番大きな収穫は、コニカエニックスに出向してきたコニカの優秀な人材を、エニックスに入社させられたことでしょう。
彼らは、エニックスの役員や幹部となり、1980年代後半から1990年代半ばのエニックスを支える存在になります。

この頃、少しずつ注目経営者となっていった福嶋さんは雑誌のインタビューに登場しています。

年収はこの頃で1700万円。月のお小遣いは30万円。
しかし、営団社募集サービスセンター・エニックス・コニカエニックスと3社の代表取締役社長を務めていた福嶋さんは忙しく、
昼食は、立ち食いそばで済ませて、朝から夜遅くまで働いていたようです。

次に福嶋さんは、任天堂が発売したファミコンに『ドアドア』を移植して発売。
20万本のヒットとなります。

そして続いて、堀井雄二さんシナリオ・ゲームデザインの『ポートピア連続殺人事件』を発売60万本のヒットとなります。

これが、『ドラゴンクエスト』開発への足がかりとなります。

千田幸信さんがプロデューサーとなり、シナリオ・ゲームデザインに堀井雄二さん、キャラクターデザインに鳥山明さん、音楽にすぎやまこういちさん、そして、メインプログラムにチュンソフトを設立して代表取締役社長兼メインプログラマーとなっていた中村光一さんという主要スタッフの元で開発された『ドラゴンクエスト』はⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳと発売される毎に、人気とその発売本数を増やしていきます。

そして、発売日当日には大行列ができるのが風物詩になります、

3DS・DSがあればシリーズ全作が遊べる『ドラゴンクエスト』シリーズについてまとめた記事はこちらです。(新しいページが開きます)⇒3DSとDSがあれば、ドラクエシリーズが全作品が遊べるんです!!

1991年2月1日。当時としては異例のスピードの会社設立から実質9年での株式店頭公開(ジャスダック上場)達成

福嶋さんは500億円の株式資産を得て、辣腕経営者として注目される

ゲーム業界で任天堂のようにゲーム用ハードウェアを製造しない、ソフトウェアメーカーで最初に株式を上場したのはコナミ(現:コナミホールディングス)でした。

1984年10月に大阪証券取引場第2部に設けられたベンチャー企業向けの新2部に上場を果たしたのです。(コナミはその後1988年2月に東証2部への上場を果たすと、8ヶ月後の10月に東証1部に上場しています。)

コナミが株式上場企業となったことや〝ファミコンブーム〟の到来で、証券会社もゲーム関係企業に注目を向けて、ゲーム業界では店頭公開(ジャスダック上場)や東証・大証上場を果たす企業が増えていました。

1986年4月 セガ・エンタープライゼス(現:セガゲームス)が店頭公開⇒1988年4月に東証2部上場⇒1990年10月に東証1部上場

1988年1月 ナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)が東証2部上場⇒1991年9月に東証1部上場

1988年9月 ジャレコが店頭公開(現:ジャスダック上場)

1990年1月 カプコンが店頭公開(現:ジャスダック上場)⇒1993年10月大証2部上場⇒1999年9月大証1部に指定替え⇒2000年10月東証1部上場

ドラゴンクエスト』の大ヒットと共に発売元のエニックスも注目を受けることになり、証券会社から株式上場の誘いが頻繁に来るようになります。

株式上場について、福嶋さんは当初慎重で断り続けました。

一番、株式を上場しやすい店頭公開(ジャスダック上場)でも、準備に2~3年かかるのが当たり前で、そこまで労力を払って株式公開や上場をするのは割に合わないのではないかという考えがあった為です。

また、株式を上場させると、経営の自由度が下がるのではないかという不安もあったようです。

しかし、福嶋さんが欲しいのは優秀な人材でした。
エニックスが上場すれば、社会的信用も増して、優れた人材が集まって来やすいのは確かでした。
当時の取締役社長室長 前川敏雄さんと総務部長が店頭公開時に主幹事証券会社となった山一証券と中心となって進めていきました。

1990年2月11日に発売された『ドラゴンクエストⅣ』のメガヒットで、1990年3月期のエニックスの業績は、

売上高:162億6,600万円
営業利益:38億8,600万円
経常利益:39億5,700万円

と順調な伸びを見せます。

そして1991年2月1日、エニックスは店頭公開(JASDAQ上場)を果たします。
株式の初値は12,000円。

会社設立から9年の株式上場は、当時としてはかなりのスピードであり、福嶋さんは辣腕経営者と認められます。
また、この株式上場によって福嶋さんは500億円の株式資産を保有することになります。

上場後初となる、1991年3月決算でも、昨年度に引き続き『ドラゴンクエストⅣ』効果が持続して、
売上高:150億6,200万円
営業利益:32億8,400万円
経常利益:35億2,000万円
を記録します。

1992年5月に公示された、1991年分の高額納税者の公示では、福嶋さんは株式売却益を得て3億2,950万円を納税しています。
(ちなみに、同公示では、エニックス創業メンバーで専務取締役の千田幸信さんが7,107万円、『ドラゴンクエスト』の作者である堀井雄二さんが2,245万円を納税しています。)

福嶋さんは、上場で得た利益で、川崎市多摩区から、杉並区浜田山の豪邸に移り住みます。
敷地450坪。地下1階地上2階の建物には、福嶋さんの好きな麻雀が思う存分楽しめる麻雀ルームと健康のためスポーツジムが設えられました。
また、広い庭の草むしりは、福嶋さん休日の日課になりました。

ここで非常にたいせつなことは、福嶋さんが必要以上に所有している株式を売却しなかったことです。

店頭公開後も福嶋さんは、福嶋康博個人と資産管理会社の福嶋企画、そして、奥様の福嶋美知子で70%の株式を保有していました。広大な邸宅の建築が目標だったわけではないでしょうが、10数年後に建てることになる渋谷区初台の大豪邸に向けて、重要な資産となっていきます。

杉並区浜田山に移る前に福嶋さん一家が暮らしていた、敷地面積:約80坪の川崎市多摩区の旧福嶋邸は、エニックスと深い関わりがあった開発会社・クインテットの橋本昌哉さんが買取り、その後、クインテットが保有しています。

福嶋さんが川崎市多摩区に自宅を構えていたのも理由があると考えています。
かわさきマイコンシティ(川崎市マイコンシティ)に近かったことです。
エニックスは川崎市多摩区にエニックス研究所を設置して、センサーの開発販売を目的に、ピーエムエフという会社に出資していました。

「この場所に住んでいれば、ビジネスにも有利だ」

まだ、30代半ばの若き経営者だった福嶋さんが、そう考えたのではないかと思います。

エニックスを支えた開発会社・クインテット。エニックス側の担当プロデューサーは人気漫画家・赤坂アカさんの父親

クインテットは、日本ファルコムで『イース』シリーズなどを手掛けていた、橋本昌哉さん・宮崎友好さんが中心となって1989年4月に設立され、
エニックス向けに『アクトレイザー』『ソウルブレイダー』『ガイア幻想紀』『天地創造』などを開発。

トライエースが設立され、『スターオーシャン』『ヴァルキリープロファイル』シリーズをリリースするまで、『ドラクエ』頼みだったエニックスを支えました。
エニックスの社員がまだ10人に満たない頃に入社され、エニックスのソフトウェア企画部 課長・ゲームプロデューサーとしてパソコン用ゲームソフトを経て、クインテット開発のゲームに深く関わられたのが、

かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』『【推しの子】』(原作担当)の人気漫画家・赤坂アカさんの父親・曽根康征さんです。

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上場企業となったエニックスの発展

さて、ジャスダック上場からまもない1990年代前半に、証券会社からは東証2部への上場準備を持ち掛けられますが、福嶋さんは断ります。

当時は、上場審査が厳しく、上場を希望する企業には、○○という部署がないとダメだという内規が定められていました。
福嶋さんは、無理をして東証2部に替えることはないと、自分の考えを貫きました。

株式を公開して上場企業の仲間入りを果たしたことにより、新卒採用で現在に至るまでスクウェア・エニックスを支える人材が集まるなど、福嶋さんが望んだことが現実となる一方で、古参の役員や従業員がエニックスを去るということも起こりました。
(※これは、いわゆる〝エニックスお家騒動〟のことではありません)

エニックス株を保有していた彼らのなかには、株式上場によって、億単位の資産を得ている者もいました。
そのような立場になれば、新たにチャレンジしたいことや起業、またはアーリーリタイアメントも可能となります。

例えば、エニックスの創業メンバーのひとりで、ゲームプロデューサーを経て、エニックス 取締役 営業部長となった高野豊さんや

クインテット開発の『ソウルブレイダー』『ガイア幻想紀』やランダムハウス開発の隠れた名作『ジャストブリード』で、

エニックス 取締役 ソフトウェア企画部長としてプロデューサー等を務めた川口貴雄さんも1990年代半ばにエニックスを離れています。

それでも、無借金で自社ビル(通称〝ドラクエビル〟)を持つことができたり、経営者として、会社をより客観的に見るよう心を配るようになったのも、店頭公開の収穫でした。

1992年時点でのエニックス 会社情報は以下のとおりです

上場市場:店頭登録(現:JASDAQ上場)
資本金:37億9700万円
売上高:85億4400万円(1992年3月期決算)
営業利益12億0200万円(1992年3月期決算)
経常利益18億5200万円(1992年3月期決算)
従業員:142名(平均年齢29.3歳)
平均給与:270,061円
初任給:180,960円
30歳モデル賃金:280,240円

役員構成:

代表取締役社長:福嶋康博
生年月日:1947年8月18日
出身地:北海道旭川市
最終学歴:1970年 日本大学理工学部建築学科卒業

専務取締役:千田幸信
ソフトウェア企画部担当・出版企画部担当・玩具企画部担当・出版営業部担当
生年月日:1950年9月29日
出身地:岩手県
最終学歴:1972年 東海大学工学部中退

常務取締役:前川敏雄
総務部長・経理部担当
生年月日:1944年4月3日
出身地:千葉県
最終学歴:1967年 慶應義塾大学商学部卒業
※日本道路より1989年エニックスに転職

取締役:川口貴雄
ソフトウェア企画部長
生年月日:1948年1月31日
出身地:北海道
最終学歴:1970年 東海大学工学部卒業
※営団社募集サービスセンターに1978年入社

取締役:才藤智宏
営業部担当・業務部長・エニックス研究所長 
生年月日:1941年5月1日
出身地:東京都
最終学歴:1965年 中央大学法学部卒業
※エニックスとコニカの合弁会社・コニカエニックスの取締役に1983年就任。

取締役:蟹江元
社長室長
生年月日:1948年8月29日
出身地:兵庫県
最終学歴:1971年 日本大学法学部卒業
※コニカより1989年エニックスに転職

取締役:上條弘
事業開発室長
生年月日:1952年1月30日
出身地:神奈川県
最終学歴:1974年 神奈川大学経済学部卒業
※三和銀行より1990年エニックスに転職

取締役:高野豊
株式会社 エニックスアカデミー代表取締役社長
生年月日:1947年11月21日
出身地:埼玉県
最終学歴:1970年 日本大学理工学部卒業
※営団社募集サービスセンターに1976年入社
(学科が建築学科だったかどうかは不明ですが、社長の福嶋さんと同い年で同じ年に日大を卒業されています。
ひょっとしたら、大学時代からの友人・知人関係だったのかもしれません。また、ワインソムリエの方は同姓同名の方です。)

常勤監査役:舟田正男
生年月日:1926年6月16日
出身地:石川県
最終学歴:京都大学工学部卒業

監査役:河野先
生年月日:1932年1月28日
出身地:東京都
最終学歴:慶應義塾大学経済学部中退

株主構成:

福嶋康博 46.6%
有限会社 福嶋 16.7%(現在の株式会社 福嶋企画)
福嶋美知子 5.9%
千田幸信  2.2%
三和銀行  1.9%
高野豊   1.8%
川口貴雄  1.8%
東洋信託銀行 1.6%
三菱銀行   1.3%
才藤智宏   0.9%

⇒エニックスも含めた、当時株式上場していたゲームソフトメーカーの会社情報はこちらです【1993年1月】上場していたゲーム会社各社の会社情報・役員・株主構成はこうだった

1999年8月エニックスは最高のタイミングで東証1部上場

1999年8月 エニックスは東京証券取引所第1部に上場を果たします。
東証2部を通さずに、ジャスダック上場から東証1部に直接上場できるように証券取引所のルールが変わっていたこと、エニックスの社内体制が整っていたこともありますが、この上場は、最高のタイミングでした。

時はあたかもネットバブル全盛期、ネット関連企業だけでなく、ゲーム業界の株価も上がっていたのです。

ジャスダック上場企業と東証1部上場企業では、創業者など大株主が所有してよい株数(パーセンテージ)に違いがあります。

福嶋さんは1部上場の折に福嶋さん個人と福嶋企画名義で保有していた持株を売却して、莫大なキャッシュを得ることになります。

そして、2001年5月に公示された長者番付では、納税額3億5,890万円で全国第56位登場。
エニックス会長 福嶋康博の名を知らしめることになりました。

福嶋康博さんが名を連ねた2001年分の長者番付全国トップ100名のリストです。他のゲーム会社の会長・社長や芸能人では、浜崎あゆみ・宇多田ヒカル・稲葉浩志・松本孝弘(B’z)が名を連ねています(新しいページが開きます)⇒【懐かしの平成】2001年分(平成13年分)全国長者番付(高額納税者公示制度)トップ100にはこの人が登場していた。

すこし前後しますが、2000年10月にエニックスの経営体制は大きく変わります。
取締役 商品企画開発本部 ソフトウェア企画部長の本多圭司さんに代表取締役社長のバトンが渡されました。
当時本多さんは42歳の若さでした。
福嶋氏によると、社長就任を要請したのは、この半年前の2000年4月頃、関西出張の折だったとのことです。

本多圭司さんは1957年福岡県に生まれ。
大阪市立大学工学部建築学科を卒業後、早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程に進学。
修士課程を修了後は乃村工藝社に入社。
30歳を前に退職して、福嶋さん同様、海外放浪を経て、1987年に求人雑誌を見てエニックスに入社。
アメリカのエニックス・コーポレーションの責任者を経て、1997年に取締役に就任していました。

そして、福嶋さんは代表取締役会長になると、従来の事業は本多社長以下新体制に任せて、新規事業の開発に専念します。

2003年4月エニックスはスクウェアを吸収する形で合併、スクウェア・エニックスとなります。
裏話として、2000年頃に、スクウェアオーナーの宮本雅史さんより福嶋さんに合併話が持ち込まれましたが、福嶋さんが当時のスクウェアの経営状況を見て、あまりに開発部門がイケイケ過ぎるのを不安視していたので、断った経緯があります。

その後、スクウェアが映画事業失敗により、武市智行会長・坂口博信副社長の退任があり、和田洋一社長体制になったことから、福嶋さんの見る目が変わり、約3年後に再度持ち込まれた合併提案に賛成したという形です。
福嶋さんは同社のスクウェア・エニックス代表取締役会長を務めますが、2004年に相談役名誉会長に、2005年には名誉会長に退きます。

突然、代表権も取締役の職からも退いたことに、ゲーム業界は驚きました。
「取締役からも外れるなんて」という声が聞かれました。

まだ、福嶋さんは56歳という若さでした。

これに対する福嶋さんのコメントは、“「30年間、仕事のことだけを考えてきた。これからは人生について考えたい」”というものでした。

福嶋さんが事業家として20代から邁進してきた理由。

それは漠然とした不安でした。

いまのままいることに、常に不安を感じてしまう性格の持ち主だったのです。

その上、大変に慎重。

常に最悪を想定して事業に取り組むため、事業企画に自信があっても、常に不安がつきまとう。

成功の確率を上げるために必死に努力をして、事業の成功に確信を持っても、不安は消えない。

事業が大成功を収めても、大喜びすることはなく、

「そうか、うまくいったか」

と思うだけ。

だからこそ、事業家として成功され、大資産家にもなられたのだと思いますが、

ご自身で、“「昔からの友人に会ったとき、相手が会社員や公務員で、「仕事は楽しい?」と訊ねて、「そこそこ楽しいよ」という答えが返ってくると、相手がうらやましくて仕方ない」”と、気持ちを吐露されています。

中野ブロードウェイのフリーペーパー構想と持ち帰り寿司チェーン展開構想は失敗に終わりましたが、福嶋康博さんは事業家として、“当てる確率の高い方です”。
実際に、“「企画には自信があります」”と自負されていますし、エニックス自体をゲーム会社ではなく、“「現在、たまたまゲームソフト事業を中心にしているだけで、うちは企画会社」”と捉えられていました。

公団住宅の募集冊子から事業を始めて、東芝のオフィス向けコンピュータ代理店、ゲームソフト事業、すべてを当てています。
また、中国で醤油事業を展開して、何と中国で第2位にした実績もあります。(これは1位のメーカーがほぼ独占的なシェアを持っていたという事情もありますが)

実際、『ドラゴンクエスト』を中心にゲームソフト事業が大成して、上場企業となってからも、オフィス向けの机や椅子を安く輸入して中古販売を手掛けたり、2002年には早稲田大学とスポーツビービーという合弁会社を設立して、自ら先頭に立ってブロードバンド配信事業に取り組んだりしています。

しかし、どこまで事業で成功しても、スクウェアを吸収合併して、『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』という強力IP・キラーコンテンツを保有するスクウェア・エニックスの会長になっても、福嶋さん自身、事業を通じて、自分自身の抱える不安を消すことはできなかった。

これが第一線から退かれた原因のようです。

2005年杉並区浜田山から渋谷区初台の大豪邸に

実のところ福嶋さんは50歳のときに、経営から退く決意をされていました。
3年掛けて社内から後継者を選び、53歳のとき、3~4人いた後継者候補のなかから本多圭司さんを後継者に決めてからは、2年間、会長として見守った後、55歳で経営から完全に身を引くと決めていました。

おそらく、他の候補者は、
・取締役副会長 千田幸信さん
1950年9月29日岩手県生まれ。東海大学工学部中退。
CIS・ソフトウエア興業でプログラマー・システムエンジニアとして勤務後、エニックスの設立に参画した最古参メンバー。
(エニックス設立メンバーで、『ドラゴンクエスト』初代プロデューサー。取締役⇒常務⇒専務⇒副会長を歴任)。

・取締役 出版事業部長 田口浩司さん
1961年11月3日福岡県生まれ。ラサール中学校・高等学校卒業。早稲田大学教育学部卒業。
早大在学中から編集プロダクション運営に携わり、卒業と同時に編集プロダクションを経営。27歳でエニックスに入社。
(営業担当としても実績を持ち、ゲーム事業・出版事業に事業部長として関わり、“エニックスお家騒動”でも、マッグガーデンと和解に持ち込むなど、数年前はTwitterで暴れておられましたが、旧エニックス時代は、部長や取締役に就任するスピードは早く、旧エニックスの社風が合っていたのであたりだったのではないかと思います。)

だったのではないかと思います。

また、2001年に起こった、いわゆる“エニックスお家騒動”がなければ、福嶋さんの第一線からの完全引退はもっと遅かったかも知れません。
おそらく、大きなショックだったでしょうから。
ゼロからエニックスの出版事業を収益の柱にしたのですから、福嶋さんもその力を認めていたでしょう。

・取締役 商品企画本部 出版企画部長 保坂 嘉弘さん。
1955年3月8日生まれ。亜細亜大学経済学部卒業。
漫画原作者を経て、1984年エニックス入社。1992年出版企画部長。1996年取締役。
現在、IGポート取締役。マッグガーデン代表取締役会長。

スクウェアとエニックスが合併して、存続会社となるスクウェア・エニックスの会長になったことから、予定より1年間期間が延びて56歳でのリタイアになったというのが、実際のところのようです。

現在は、スクウェア・エニックスホールディングス名誉会長 福嶋 康博

本来は、55歳での勇退を考えられていましたが、

スクウェアとエニックスが合併して、存続会社となるスクウェア・エニックスの会長になったことから、予定より1年間期間が延びて56歳でのリタイアになったというのが、実際のところのようです。

実業の第一線から退いた福嶋さんは、若い頃、かつて放浪した東南アジアを巡る旅に出ます。

東南アジア4カ国を歴訪した福嶋さんは、そのひとつであったカンボジアでのボランティア活動に取り組み始めます。

カンボジア現地のNGO団体・CEDACと協力して困窮している家庭を自立させるための農業講習をおこないます。

モノを与えるのではなく、自立して生活するための知識や知恵を現地の人々に与えるのが福嶋流のようです。

そして、2003年8月に渋谷区初台に約1050坪の土地を購入します。
2005年11月、この地に福嶋康博邸は完成します。

地上2階・地下1階に加えて、バーベキューハウスも別にある大豪邸です。
この邸宅の延べ床面積は約430坪に及びます。

その後、福嶋さんは南米のゲーム事業に携わったり、東南アジアでボランティア活動をして過ごしているようです。
2012年まではスクウェア・エニックスホールディングスとスクウェア・エニックスの事業には関わらず、ボランティアに専念されていたようです。

また、2009年秋には、CESAでの活動が認められ、藍綬褒章を受章しました。

自由な大資産家。
20代で起業家の道を歩み始めた男は、70代にして人生を満喫しているように思えます。

https://www.youtube.com/watch?v=CSSmLYOSskc

福嶋康博さんが成人を迎えた息子さんにプレゼントした本とは?

福嶋康博さんは奥さまとの間に一男一女を儲けました。

息子さんは、福嶋さんが卒業した大学の附属高校を卒業後、スポーツ科学が学べる大学へ進学しました。
そして、息子さんが20歳を迎えた日に、福嶋さんは一冊の本をプレゼントしました。

福嶋さん自身「本は読まない」と公言しており、それは事実のようですが、そんな福嶋さんが、大切に読み返してきた本がありました。
それは、D・カーネギーの『人を動かす』でした。

-自分の幸、不幸は自分の行動、考え方で定まる。

この言葉は、福嶋さんがまだ故郷・北海道旭川市にいたころ、友人のお父さんが常日頃言っていた言葉を自分でアレンジした上で、自分の心に刻み、息子さんにもことあるごとに伝えられていたようです。

世間的に大成功を収めた福嶋康博のこの言葉は、深く響きます。

参考文献:
福嶋康博『マイナスに賭ける!―「人並み志向」で勝機はつかめない』

大下英治『エニックスの飛翔―実録・ゲーム業界戦国史』

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
心よりお礼を申し上げます。

何かございましたら、こちらまでお願いいたします。

はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます)

長者番付

長者番付を振り返ってみましょうか(1991年分~1995年分 俳優・タレント・歌手&文化人部門)

はる坊です。
1991年分~1995年分の高額納税者公示(長者番付)において、『俳優・タレント部門』『歌手部門』『その他・文化人部門』上位20位までにランクインした面々を紹介させていただきます。

1991年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額

俳優・タレント部門

1位  三田佳子 1億2854万円

2位  吉永小百合 1億0792万円

3位  ビートたけし 9789万円

4位  植木等 8394万円

5位  秋吉久美子 8173万円

6位  坂東玉三郎 7483万円

7位  山城新伍 7333万円

8位  大楠道代 7326万円

9位  桂三枝  6981万円

10位  鈴木保奈美  6811万円

11位  志村けん  5898万円

12位  関口宏   5855万円

13位  中村吉右衛門   5802万円

14位  黒柳徹子   5019万円

15位  愛川欽也   4963万円

16位  加山雄三   4940万円

17位  白川由美   4917万円

18位  石橋貴明   4853万円(とんねるず

19位  加藤茶   4798万円

20位  中村敦夫   4776万円

歌手部門

1位 長渕剛 1億6534万円

2位 桑田佳祐 1億4370万円(サザンオールスターズ

3位 森進一 1億2555万円

4位 松任谷由実 1億0554万円

5位 井上陽水 1億0367万円

6位 浜田省吾 9415万円

7位 山下達郎   7874万円

8位 北島三郎   7709万円

9位  石井好子   7699万円

10位 五木ひろし   6168万円

11位 矢沢永吉   6157万円

12位 中島みゆき   6019万円

13位 松田トシ   5811万円

14位 吉幾三    5684万円

15位 竹内まりや    5160万円

16位 千昌夫    4773万円

17位 石川さゆり    4612万円

18位 吉田美和    4477万円(DREAMS COME TRUE

19位 田原俊彦    4449万円

20位 岡村孝子    4411万円

その他・文化人部門

1位  平山郁夫   5億4531万円(日本画家)

2位  加山又造   2億9297万円(日本画家

3位  大川隆法   2億4372万円(幸福の科学 総裁)

4位  千宗室    2億4156万円(茶道家元)

5位  片岡球子   1億9065万円(日本画家)

6位  東山魁夷   1億7435万円(日本画家)

7位  清水卯一   1億5574万円(陶芸家)

8位  横山光輝   1億4372万円(漫画家)

9位  高橋留美子  1億3473万円(漫画家)

10位 秋本治    1億3422万円(漫画家)

11位 千宗左    1億3292万円(茶道家元)

12位 斎藤都世子  1億2055万円(ニットデザイナー)

13位 藤田喬平   1億1567万円(ガラス工芸家

14位 松尾敏夫   1億1452万円(日本画家)

15位 富永直樹   1億1203万円(彫刻家

16位 芦田淳    1億1143万円(ファッションデザイナー)

17位 井上雄彦   1億0991万円(漫画家)

18位 高山辰雄   1億0609万円(日本画家)

19位 杉山寧    1億0584万円(日本画家)

20位 穐月明      9344万円(日本画家)

※17位に『スラムダンク』の井上雄彦が初登場。

※千宗室・・・茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。現在の千玄室

※千宗左・・・茶道表千家13代家元

1992年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額

俳優・タレント部門

1位  三田佳子   1億4998万円

2位  志村けん   1億1061万円

3位  吉永小百合 1億0644万円

4位  ビートたけし   7924万円

5位  桂三枝      7865万円

6位  山城新伍     7805万円

7位  永六輔      7137万円

8位  植木等      6998万円

9位  鷲尾いさ子    6623万円

10位 中村吉右衛門   6096万円

11位 石橋貴明     6088万円(とんねるず)

12位 浜田雅功     6062万円(ダウンタウン)

13位 松本人志     6051万円(ダウンタウン

14位 武田鉄矢     5890万円

15位 関口宏      5881万円

16位 大楠道代     5667万円

17位 加山雄三     5417万円

18位 坂東玉三郎    5237万円

19位 逸見政孝     4986万円

20位 加藤茶      4904万円

歌手部門

1位  井上陽水   1億7843万円

2位  長渕剛   1億5626万円

3位  浜田省吾  1億4245万円

4位  小田和正   1億4045万円

5位  森進一    1億3685万円

6位  桑田佳祐   1億3122万円

7位  松任谷由実  1億0642万円

8位  北島三郎     7501万円

9位  吉田美和     7164万円

10位  吉幾三      6885万円

11位  五木ひろし    6440万円

12位  山下達郎     6412万円

13位  槇原敬之     6179万円

14位  松田トシ     5682万円

15位  中島みゆき    5279万円

16位  小泉今日子    4963万円

17位  岡村孝子     4926万円

18位  徳永英明     4856万円

19位  谷村新司     4847万円

20位  飛鳥涼      4816万円(CHAGE&ASKA)

その他・文化人部門

1位  平山郁夫   3億8294万円(日本画家)

2位  千宗室    2億5160万円(茶道家元)

3位  大川隆法   2億2436万円(幸福の科学 総裁)

4位  井上雄彦   1億9450万円(漫画家)

5位  加山又造   1億6862万円(日本画家)

6位  杉山寧    1億4103万円(日本画家)

7位  東山魁夷   1億3861万円(日本画家)

8位  横山光輝   1億3851万円(漫画家)

9位  千宗左    1億2837万円(茶道家元)

10位  片岡球子   1億2673万円(日本画家)

11位  高橋留美子  1億2371万円(漫画家)

12位  冨樫義博   1億1813万円(漫画家)

13位  秋元康    1億1258万円(作詞家)

14位  稲田浩司  1億0971万円(漫画家)

15位  上村淳之   1億0788万円(日本画家)

16位  森英恵    1億0670万円(ファッションデザイナー)

17位  芦田淳      9216万円(ファッションデザイナー)

18位  清水卯一     9201万円(陶芸家)

19位  斎藤都世子    8890万円(ニットデザイナー)

20位  富永直樹     8815万円(彫刻家)

※12位に『幽遊白書』の冨樫義博が初登場。

※14位に『ドラゴンクエスト-ダイの大冒険』の作画担当の稲田浩司が登場。

※水木しげるは、株式会社水木プロダクションに印税・原稿料などの収入がはいるようにしており、1992年度の水木プロダクションの年商は約1億3000万円だった。

兄・宗平(大阪工業専門学校(現・大阪府立大学)卒業。初代水木プロダクション 代表取締役社長⇒のちに顧問)や弟・幸夫(松山高等商業学校(松山商科大学を経て現・松山大学)卒業。水木プロダクション ゼネラルマネージャー)も社員であった為、水木しげるの年収は月給90万円×12ヶ月で1080万円に設定されていた。

ゲゲゲの女房』で有名になった妻・武良布枝は長年、「どうして、水木が一族を養わなければならないのか」長年疑問だったという。
現在は、明星大学人文学部心理学科卒業後、小学校教師の道を選んでいた原口尚子氏が代表取締役を務めている。

1993年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額

俳優・タレント部門

1位  三田佳子   1億5682万円

2位  松本人志     9918万円(ダウンタウン)

3位  ビートたけし   8116万円

4位  浜田雅功     7998万円(ダウンタウン)

5位  石橋貴明     7084万円(とんねるず)

6位  坂東玉三郎    6909万円

7位  吉永小百合   6857万円

8位  菊池桃子     6530万円

9位  桂三枝      6398万円

10位  関口宏      6321万円

11位  山城新伍     6178万円

12位  武田鉄矢     5870万円

13位  高倉健      5611万円

14位  加山雄三     5247万円

15位  みのもんた    5244万円

16位  木梨憲武     5134万円(とんねるず)

17位  中村吉右衛門   5100万円

18位  大楠道代     5057万円

19位  逸見政孝     5047万円

20位  タモリ      4908万円

歌手部門

1位  桑田佳祐   1億7440万円

2位  吉田美和   1億3563万円(DREAMS COME TRUE

3位  竹内まりや  1億2892万円

4位  井上陽水   1億2260万円

5位  森進一    1億0602万円

6位  長渕剛     9997万円

7位  松任谷由実    9256万円

8位  槇原敬之     8747万円

9位  谷村新司     8650万円

10位  五木ひろし    8629万円

11位  中村正人     8459万円(DREAMS COME TRUE)

12位  中島みゆき    8248万円

13位  松本孝弘     7766万円(B’z)

14位  稲葉浩志     7019万円(B’z)

15位  浜田省吾     6962万円

16位  飛鳥涼      6722万円(CHAGE&ASKA)

17位  藤井フミヤ    6462万円

18位  平松愛理     6435万円

19位  織田哲郎     5741万円

20位  北島三郎     5349万円

その他・文化人部門

1位  平山郁夫   5億4931万円(日本画家)

2位  冨樫義博   3億7922万円(漫画家)

3位  千宗室    2億9142万円(茶道家元)

4位  大川隆法   2億3200万円(幸福の科学 総裁)

5位  秋元康    1億9197万円(作詞家)

6位  井上雄彦   1億7784万円(漫画家)

7位  高橋留美子  1億7496万円(漫画家)

8位  根本陸夫   1億5445万円(ダイエーホークス監督兼球団専務)

9位  圓鍔勝三   1億4517万円(彫刻家)

10位  杉山寧    1億3006万円(日本画家)

11位  秋本治    1億2348万円(漫画家)

12位  千宗左    1億1902万円(茶道家元)

13位  田渕俊夫   1億1880万円(日本画家)

14位  上村淳之   1億0809万円(日本画家)

15位  東山魁夷   1億0449万円(日本画家)

16位  森英恵      9978万円(ファッションデザイナー)

17位  大前研一     9659万円(経済評論家)

18位  芦田淳      9284万円(ファッションデザイナー)

19位  横山光輝     9200万円(漫画家)

20位  高山辰雄     9109万円(日本画家)

1994年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額

俳優・タレント部門

1位  三田佳子   1億7343万円

2位  松本人志  1億6349万円(ダウンタウン)

3位  永六輔    1億2290万円

4位  浜田雅功   1億0834万円(ダウンタウン)

5位  牧瀬里穂     8020万円

6位  石橋貴明     7849万円(とんねるず)

7位  高倉健      7533万円

8位  みのもんた    6535万円

9位  堺正章      6529万円

10位  渥美清      6327万円

11位  吉永小百合   6268万円

12位  木梨憲武     6165万円

13位  関口宏      6072万円

14位  タモリ     5776万円

15位  大楠道代     5584万円

16位  織田裕二     5077万円

17位  加山雄三     4937万円

18位  野村宏伸     4852万円

19位  市川猿之助    4773万円(二代目市川猿翁)

20位  所ジョージ    4597万円

歌手部門

1位  長渕剛   1億4713万円

2位  井上陽水   1億3206万円

3位  森進一    1億2812万円

4位  桑田佳祐   1億2514万円

5位  槇原敬之   1億2198万円

6位  松任谷由実  1億1461万円

7位  吉田美和   1億0901万円(DREAMS COME TRUE)

8位  美川憲一   1億0785万円

9位  織田哲郎   1億0265万円

10位  千昌夫      9468万円

11位  中島みゆき    8329万円

12位  浜田省吾     8286万円

13位  五木ひろし    8251万円

14位  中村正人     7111万円(DREAMS COME TRUE)

15位  飛鳥涼      6463万円(CHAGE&ASKA)

16位  松本孝弘     6411万円(B’z)

17位  徳永英明     5559万円

18位  稲葉浩志     5543万円(B’z)

19位  北島三郎     5342万円

20位  藤井フミヤ    5183万円

その他・文化人部門

1位  平山郁夫   6億4277万円(日本画家)

2位  冨樫義博   3億5662万円(漫画家)

3位  大川隆法   3億5297万円(幸福の科学 総裁)

4位  秋元康    2億3649万円(作詞家)

5位  千宗室    2億1842万円(茶道家元)

6位  井上雄彦   1億8803万円(漫画家)

7位  遠藤実    1億4028万円(作曲家)

8位  東山魁夷   1億2994万円(日本画家)

9位  千宗左    1億1850万円(茶道家元)

10位  浜田幸一   1億0916万円(政治評論家・元衆院議員)

11位  森英恵      9576万円(ファッションデザイナー)

12位  芦田淳      9352万円(ファッションデザイナー)

13位  中島千波     9339万円(日本画家)

14位  池坊専永     8763万円(華道家元)

15位  横山光輝     8575万円(漫画家)

16位  高橋留美子    8499万円(漫画家)

17位  藤田和日郎    8323万円(漫画家)

18位  秋本治      8070万円(漫画家)

19位  久米宏      7598万円(ニュースキャスター)

20位  浅利慶太     7508万円(舞台演出家)

1995年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額

俳優・タレント部門

1位  松本人志  2億6340万円(ダウンタウン)

2位  浜田雅功   2億3641万円(ダウンタウン)

3位  三田佳子   1億4931万円

4位  永六輔    1億1511万円

5位  石橋貴明     9144万円(とんねるず)

6位  梅宮辰夫     8228万円

7位  木梨憲武     7988万円(とんねるず)

8位  タモリ     7140万円

9位  吉永小百合   7005万円

10位  みのもんた    6840万円

11位  大楠道代    6372万円

12位  板東英二    6223万円

13位  関口宏     6159万円

14位  渥美清     5800万円

15位  野村宏伸     5069万円

16位  峰竜太      5025万円

17位  所ジョージ   4921万円

18位  愛川欽也</p

長者番付

長者番付を振り返ってみましょうか(1986年分~1990年分 俳優・タレント・歌手&文化人部門)

はる坊です。
1986年分~1990年分の高額納税者公示(長者番付)において、『俳優・タレント部門』『歌手部門』『その他・文化人部門』上位20位までにランクインした面々を紹介させていただきます。

1986年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額

俳優・タレント部門

1位  三船敏郎  5億5949万円

2位  黒柳徹子  1億5207万円

3位  林成年   1億4599万円

4位  長谷川稀世   9993万円

5位  加山雄三    8702万円

6位  明石家さんま  8643万円

7位  三田佳子    6627万円

8位  和泉雅子    5557万円

9位  関口宏     5552万円

10位  加藤茶     5539万円

11位  根津甚八    5335万円

12位  森光子     5240万円

13位  山城新伍    4452万円

14位  松本幸四郎   4378万円(二代目 松本白鸚)

15位  田中邦衛    4295万円

16位  市川猿之助   4212万円(二代目 市川猿翁)

17位  二谷英明    4158万円

18位  風間杜夫    4073万円

19位  石原裕次郎   3985万円

20位  石橋貴明    3875万円(とんねるず

※1位にランクインした三船敏郎は、土地売却により所得が急増したことによりランクイン。

※2位の林成年と3位の長谷川稀世は、国民栄誉賞を受賞した名俳優・長谷川一夫の実子で、共に俳優・女優であり、主に助演で存在を示した。

林成年は、大林宣彦監督の『廃市』の弁慶役か、伊丹十三監督の映画『タンポポ』で、高級中華料理でもてなしながら東北大学教授を騙る老詐欺師に投資話を持ちかけるあやしい男役が一番有名か。
この2人のランクインは長谷川一夫逝去に不動産を処分した際の売却益によるもの。

※8位にランクインした和泉雅子は、1960年代に吉永小百合松原智恵子とともに『日活三人娘』と呼ばれた女優。1985年に北極点踏破を目指して、1億円以上の費用を遣い挑戦したものの失敗に終わるが、逆にこの挑戦が話題となり、テレビ出演や講演依頼が殺到してランクインしたと思われる。
なお、1989年に再挑戦して、日本人女性初の北極点踏破者となった。

歌手部門

1位  桑田佳祐    8540万円(KUWATA BAND

2位  森進一     8454万円

3位  美空ひばり   8105万円

4位  五木ひろし   5630万円

5位  北島三郎    4059万円

6位  小柳ルミ子   3890万円

7位  中森明菜    3869万円

8位  玉置浩二    3540万円(安全地帯

9位  高見沢俊彦   3389万円(THE ALFEE

10位  石川さゆり   3376万円

11位  吉田拓郎    3375万円

12位  谷村新司    3265万円

13位  矢沢永吉    2644万円

14位  研ナオコ    2632万円

15位  牧村三枝子   2527万円

16位 井上陽水     2481万円

17位  中島みゆき   2424万円

18位  小泉今日子   2205万円

19位  田原俊彦    2167万円

20位  新沼謙治    2164万円

その他・文化人部門

1位  千宗室   3億2109万円(茶道家元)

2位  小原豊雲  1億6872万円(華道家元)

3位  千宗左   1億6431万円(茶道家元)

4位  加山又造  1億5455万円(日本画家)

5位  高橋留美子 1億4754万円(漫画家)

6位  斎藤都世子 1億4754万円(ニットデザイナー)

7位  北村西望  1億3319万円(彫刻家)

8位  藤本弘   1億3274万円(漫画家 藤子・F・不二雄

9位  安孫子素雄 1億3211万円(漫画家 藤子不二雄A)

10位  高橋陽一  1億2519万円(漫画家)

11位  南大路一  1億2003万円(洋画家)

12位  林良至   1億1803万円(ファッションデザイナー)

13位  嶋田隆司  1億1615万円(漫画家 ゆでたまご)

14位  東山魁夷  1億1584万円(日本画家)

15位  秋本治   1億1117万円(漫画家)

16位  芦田淳   1億0698万円(ファッションデザイナー)

17位  舟越保武  1億0261万円(彫刻家)

18位  中井義則  1億0033万円(漫画家 ゆでたまご)

19位  平山郁夫    9743万円(日本画家)

20位  渡辺貞夫    8958万円(サックスプレイヤー)

マンツーマンのサックスレッスン

※千宗室・・・茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。現在の千玄室

※小原豊雲・・・いけばな小原流三世家元

※千宗左・・・茶道表千家13代家元

※12位にランクインした林良至は、ファッションブランド・伊太利屋会長。
フェラーリのコレクターとしても有名で、ガレーヂ伊太利屋の代表も務めた。

1987年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額

俳優・タレント部門

1位  黒柳徹子   1億5747万円

2位  京マチコ   1億2870万円

3位  志村けん     9055万円

4位  三田佳子     8338万円

5位  加山雄三     7818万円

6位  滝沢修      7609万円

7位  加藤茶      7553万円

8位  喜多道枝     7395万円

9位  山城新伍     5966万円

10位  大楠道代     5831万円

11位  和泉雅子     5738万円

12位  吉永小百合    5703万円

13位  渥美清      5597万円

14位  森光子      5588万円

15位  薬師丸ひろ子   5425万円

16位  関口宏      5299万円

17位  風間杜夫     5297万円

18位  三浦友和     4878万円

19位  川口浩      4639万円

20位  柴田恭兵     4507万円

※2位の京マチコ、6位の滝沢修、8位の喜多三枝は不動産売却によるランクイン。
時代はバブル経済に入っていた。

歌手部門
1位  園まり    2億5865万円

2位  石井好子   2億5838万円

3位  松田トシ     9825万円(松田敏江の名でも活動)

4位  小柳ルミ子    6943万円

5位  森進一      6385万円

6位  桑田佳祐     5651万円(サザンオールスターズ

7位  五木ひろし    5510万円

8位  高見沢俊彦    5360万円(THE ALFEE

9位  中森明菜     4765万円

10位  北島三郎     4248万円

11位  井上陽水     3926万円

12位  浜田省吾     3543万円

13位  谷村新司     3192万円

14位  中島みゆき    3179万円

15位  矢沢永吉     3120万円

16位  吉幾三      2969万円

17位  長渕剛      2883万円

18位  川中美幸     2767万円

19位  三浦洸一     2549万円

20位  玉置浩二     2504万円(安全地帯

※1位の園まり、2位の石井好子、3位の松田トシは揃って、不動産の売却益によるランクイン。

園まりは、1960年代に中尾ミエ、伊東ゆかりと〝スパーク3人娘〟と呼ばれて活躍したが、70年代以降は芸能界の第一線から退いている状態だったが、弟とともに赤坂に所有していた土地を売却したことで突然のランクイン。

2位の石井好子はシャンソン歌手。

3位の松田トシは歌手として活動後は、後進育成に力を入れ、NHKラジオで〝うたのおばさん〟と親しまれる一方、『スター誕生!』の審査員を務めた際には、出場者に対して厳しいコメントをすることで有名になった。
なお、岩崎宏美岩崎良美姉妹、新沼謙治、神野美伽は松田主宰の音楽教室出身。

※19位の三浦洸一は1950~1960年代に活躍した歌手だが、80年代に入ってから、CM出演や『笑っていいとも』にレギュラー出演するなど露出が増えた。

その他・文化人部門

1位  千宗室    2億4973万円(茶道家元)

2位  藤本弘    1億7946万円(漫画家 藤子・F・不二雄

3位  小原豊雲   1億7542万円(華道家元)

4位  高橋留美子  1億7015万円(漫画家)

5位  千宗左    1億6071万円(茶道家元)

6位  平山郁夫   1億4767万円(日本画家)

7位  車田正美   1億3751万円(漫画家)

8位  斎藤都世子  1億2679万円(ニットデザイナー)

9位  安孫子素雄  1億2675万円(漫画家 藤子不二雄A)

10位  加山又造   1億2325万円(日本画家)

11位  中川一政   1億2520万円(洋画家)

12位  吉田聡    1億0576万円(漫画家)

13位  原田観峰   1億0388万円(書道家)

14位  亀倉雄策   1億0178万円(商業デザイナー)

15位  芦田淳    1億0120万円(ファッションデザイナー)

16位  秋元康    1億0061万円(作詞家)

17位  まつもと泉    9939万円(漫画家)

18位  秋本治      9596万円(漫画家)

19位  玉置宏      9557万円(司会者)

20位  東山魁夷     8859万円(日本画家)

※7位に『聖闘士星矢』の車田正美がランクイン。

※12位の吉田聡は少年KING連載の『湘南暴走族』、週刊少年サンデー連載の『ちょっとヨロシク!』でヒットを飛ばしていた。

『湘南暴走族』が江口洋介主演で実写映画化、並行して制作されたOVAもシリーズ化され、作品人気が高まったことが、ランクインの要因。

※16位の秋元康はフジテレビ系バラエティ番組『夕焼けニャンニャン』の企画・構成を担当し『おニャン子クラブ』メンバーの作詞を手掛けたことで、一躍、時代の寵児に躍り出た。

またこの頃秋元は、1956年生まれと2歳逆にサバを読んでおり(実際は1958年生まれ)、20代後半でランクインをしたことになる。

※17位のまつもと泉は『きまぐれオレンジロード』のヒット。

※18位の秋本治は『こちら亀有公園前派出所(こち亀)』が安定した売上を見せランクイン。
7位の車田正美とともに週刊少年ジャンプ連載陣の強さを見せつけた。

1988年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額

俳優・タレント部門

1位  三田佳子   1億3928万円

2位  黒柳徹子   1億2294万円

3位  松本幸四郎  1億2279万円(二代目松本白鸚)

4位  中村吉右衛門 1億1421万円

5位  富士真奈美  1億0569万円

6位  志村けん     9267万円

7位  吉永小百合    8713万円

8位  竜雷太      7134万円

9位  加山雄三     6686万円

10位  ビートたけし   6627万円

11位  山城新伍     6272万円

12位  山田邦子     6239万円

13位  関口宏      5931万円

14位  ケーシー高峰   5808万円

15位  加藤茶      5249万円

16位  大楠道代     4864万円

17位  森光子      4350万円

18位  桂三枝      4300万円

19位  森繁久彌     4175万円

20位  風間杜夫     4170万円

※3位の松本幸四郎(現在の二代目松本白鸚)、4位の中村吉右衛門、5位の富士真奈美は、本業に加えて、いずれも不動産売却益によって所得が増加したことがランクアップ・ランクインの影響。

歌手部門

1位  北島三郎     9573万円

2位  森進一      8834万円

3位  五木ひろし    5295万円

4位  長渕剛      5204万円

5位  桑田佳祐     4460万円(サザンオールスターズ

6位  中森明菜     4401万円

7位  谷村新司     3946万円

8位  高見沢俊彦    3853万円(THE ALFEE

9位  松田トシ     3693万円

10位  浜田省吾     3563万円

11位  土橋安騎夫    3513万円(レベッカ)

12位  吉幾三      3449万円

13位  石川さゆり    3417万円

14位  笈田敏夫     3413万円

15位  川中美幸     3406万円

16位  MIE      3373万円(未唯mie)

17位  NOKKO    3359万円(レベッカ)

18位  飛鳥涼      3188万円(CHAGE&ASKA)

19位  井上陽水     2964万円

20位  中山美穂     2963万円

※14位に登場した笈田敏夫(おいだ・としお)はジャズシンガー。

※16位に登場したMIEはピンク・レディーのミー。
1981年のピンク・レディー解散後は、ミー⇒MIE⇒未唯⇒未唯mieと芸名を変更している。

その他・文化人部門

1位  車田正美   3億1397万円(漫画家)

2位  平山郁夫   2億7840万円(日本画家)

3位  加山又造   2億6182万円(日本画家)

4位  千宗室    2億5345万円(茶道家元)

5位  中川一政   1億7993万円(洋画家)

6位  秋本治    1億7057万円(漫画家)

7位  千宗左    1億3361万円(茶道家元)

8位  斎藤都世子  1億3281万円(ニットデザイナー)

9位  東山魁夷   1億2990万円(日本画家)

10位  小原豊雲   1億2813万円(華道家元)

11位  原田観峰   1億1484万円(書道家)

12位  北村治禧     9103万円(彫刻家)

13位  圓鍔勝三     8355万円(彫刻家)

14位  森英恵      8332万円(ファッションデザイナー)

15位  安孫子素雄    8246万円(漫画家 藤子不二雄A)

16位  秋元康      7886万円(作詞家)

17位  藤本弘      7562万円(漫画家 藤子・F・不二雄)

18位  高橋留美子    7427万円(漫画家)

19位  鈴木健二     7080万円(文筆業)

20位  須田剋太     7067万円(洋画家)

※1位には『聖闘士星矢』が人気絶頂を迎えた車田正美が、前年の7位からランクアップ。

※6位の秋本治も前年の18位、前々年の15位から大幅に所得を伸ばしてランクアップ。

※14位の森英恵は女性ファッションブランド〝ハナエモリ〟の創始者・ファッションデザイナー。

1950年代には小津安二郎監督作品『秋刀魚の味』『秋日和』のほか、
『太陽の季節』でデビューした石原裕次郎主演作『狂った果実』など多くの映画の衣装を担当。

日本人デザイナーの先駆けとなり、ニューヨーク・コレクションやパリ・コレクションに進出。
大好評をもって迎えられ、顧客にはモナコ王妃のグレース・ケリーソフィア・ローレンが名を連ねた。

また国内でも、1983年に創業者・青木定雄の要請に応じて、エムケイタクシー乗務員の制服をデザイン、1988年に美空ひばりの復活コンサートにおいて不死鳥をイメージしたステージ衣装を製作。

1993年には、皇太子徳仁親王と雅子妃の結婚の儀において、雅子妃が着用したデコルテをデザインしている。
現在では、孫の森泉や森星の祖母というイメージも強い。

※19位の鈴木健二はNHKを退職して、文筆や講演活動を中心に活躍した。

1989年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額

俳優・タレント部門

1位  中村歌右衛門   1億8150万円

2位  三田佳子     1億2889万円

3位  内藤武敏     1億1773万円

4位  西村晃      1億0473万円

5位  志村けん     1億0123万円

6位  島田陽子       8489万円

7位  黒柳徹子       8443万円

8位  神太郎        6692万円

9位  渥美清        6679万円

10位  加藤茶        6609万円

11位  山城新伍       6469万円

12位  吉永小百合      6455万円

13位  大橋巨泉       6216万円

14位  ビートたけし     5684万円

15位  大楠道代       5554万円

16位  桂三枝        5529万円

17位  加山雄三       5342万円

18位  関口宏        5264万円

19位  薬師丸ひろ子     5207万円

20位  坂東玉三郎      4840万円

※1位に登場した、歌舞伎女形の中村歌右衛門は世田谷区の宅地売却益によるランクイン。

※3位の内藤武敏、4位の西村晃、6位の島田陽子、8位の神太郎は本業に加えて不動産売却益があったため上位にランクイン。

内藤武敏は1950年代から『ビルマの竪琴』『人間の條件』などの映画やテレビドラマで幅広く出演。
また、武田泰淳原作の『ひかりごけ』に強い執着を持ち、1992年に熊井啓監督・三國連太郎主演での映画化に尽力する。
同作はベルリン国際映画祭に正式出品され、高い評価を受けた。

西村晃は『水戸黄門』で二代目水戸光圀(徳川光圀)を演じる一方、味のある悪役を多く演じた。

1928年に東洋初の人間型ロボット『學天則』を製作した北海道帝国大学教授・理学博士の西村真琴の次男としても知られる。
1988年に公開された荒俣宏原作の映画『帝都物語』では、父・西村真琴役を演じている。

意外にも、『川口浩探検隊』以前に1977年7月から1978年1月までに計3回『水曜スペシャル探検シリーズ』という番組があり、その内1回で探検隊長を務め、実際に毒蛇を求めてタイ現地を訪れている。
また、戦時中は特攻隊員であり、出撃後に特攻機不良で基地に引き返し、そのまま終戦を迎えて一命を取り留めている。

同じ特攻隊にいた千玄室と親友同士であったが、この部隊で生き残ったのは、西村晃と千玄室のふたりだけだった。

※8位の神太郎は、ナレーター、ラジオDJ、司会者として活躍したのち、グルメリポーターの第一人者となった。

歌手部門

1位  森進一        8569万円

2位  北島三郎       8288万円

3位  長渕剛        6811万円

4位  松任谷由実      6807万円

5位  井上陽水       6134万円

6位  桑田佳祐       6036万円(サザンオールスターズ

7位  石川さゆり      5863万円

8位  飛鳥涼        5542万円(CHAGE&ASKA)

9位  中森明菜       5498万円

10位  川中美幸       4788万円

11位  松田トシ       4407万円

12位  五木ひろし      4160万円

13位  細川たかし      4129万円

14位  田原俊彦       4039万円

15位  加藤登紀子      4030万円

16位  吉幾三        3894万円

17位  矢沢永吉       3786万円

18位  中島みゆき      3582万円

19位  小柳ルミ子      3565万円

20位  浜田省吾       3552万円

その他・文化人部門

1位  千宗室      3億6753万円(茶道家元)

2位  加山又造     2億7882万円(日本画家)

3位  平山郁夫     2億0470万円(日本画家)

4位  中川一政     1億3359万円(洋画家)

5位  脇田和      1億2879万円(洋画家)

6位  千宗左      1億2758万円(茶道家元)

7位  高橋留美子    1億2727万円(漫画家)

8位  秋本治      1億1585万円(漫画家)

9位  藤本能道     1億1535万円(陶芸家)

10位  原田観峰     1億1338万円(書道家)

11位  片岡球子     1億1160万円(日本画家)

12位  春日野清隆    1億0677万円(日本相撲協会前理事長・元横綱栃錦)

13位  斎藤都世子    1億0641万円(ニットデザイナー)

14位  横山光輝     1億0359万円(漫画家)

15位  車田正美       9049万円(漫画家)

16位  芦田淳        8528万円(ファッションデザイナー)

17位  森英恵        8486万円(ファッションデザイナー)

18位  穐月明        8220万円(日本画家)

19位  藤田喬平       8108万円(ガラス工芸家)

20位  藤本弘        8063万円(漫画家 藤子・F・不二雄)

1990年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額

俳優・タレント部門

1位  市村羽左衛門   3億1967万円

2位  三田佳子     1億2885万円

3位  吉永小百合    1億0275万円

4位  沢村貞子     1億0164万円

5位  ビートたけし     9082万円

6位  志村けん       9023万円

7位  中村又五郎      8387万円(二代目)

8位  愛川欽也       7517万円

9位  山城新伍       6698万円

10位  加藤茶        6620万円

11位  三船敏郎       6192万円

12位  黒柳徹子       6011万円

13位  中村吉右衛門     5902万円

14位  関口宏        5667万円

15位  加山雄三       5228万円

16位  浅野ゆう子      5071万円

17位  桂三枝        5040万円

18位  森光子        5020万円

19位  風間杜夫       4930万円

20位  大楠道代       4867万円

※1位に登場した歌舞伎役者・市川羽左衛門は港区南青山の土地を売却したことにより大きな収入を得たのがランクインの理由。
1990年は、結果的にバブル最晩年となったが、全国の長者番付上位100名のうち、95名が不動産売却による、いわゆる〝土地長者だった〟。

※4位に登場した女優・沢村貞子も不動産売却所得によるランクイン