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【モンスター企業】キーエンスと創業者・滝崎武光氏のまとめ
はる坊です。
前回に引き続き、キーエンス創業者 名誉会長の滝崎武光氏の足跡を追ってみたいと思います。
ちょうど、東京オリンピックが開かれた1964年、尼崎工業高等学校を卒業した滝崎氏が就職先に選んだのは外資系計装企業であるロックウェル・リパブリック社でした。
この当時、学校を出てすぐに新卒で外資系企業に勤めるという方は少なかったのですが、滝崎氏はこの会社を選んだ理由について、
“「最初から独立を念頭に置いていたので、この会社では技術を覚えるのが目的でした」”
と語っています。
滝崎氏は、オートメーション化された機械をコントロールするプロセス制御の仕組みを作るシステムエンジニアとして働きます。
そしてこの頃までに、“「フォードやIBM
の経営手法
を含めて、本をたくさん読みましたね」”とインタビューで語っています。
そして、6年後の1970年(昭和45年)に若干24歳にして独立。
まず、共同経営の会社を設立します。
この当時に手掛けた仕事に、毎日放送制作の人気番組だった『アップダウンクイズ』のゴンドラの電気制御装置の製作(YouTubeに動画がありましたので載せます)があります。
[embed]https://www.youtube.com/watch?v=AiWFgkOsh7k[/embed]
(小池清やロイ・ジェームスが懐かしいですね)
これ以外にも、独立してまもない時期に手掛けた事業には、日清食品の日清カップヌードルの工場ラインの電気系統設計がありますが、請負の受注仕事は順調に行かず、共同会社の会社を含めて2つの会社は短期間のうちに畳むことになります。
実際、上からの受注に頼るだけの請負仕事では、ずっと下請けに甘んじることになります。
おそらく、一旦、そこに嵌まり込むとなかなか抜け出せなくなることに、滝崎氏は気付いたのではないでしょうか。
電子制御機器の将来性に注目していた滝崎氏は、1972年(昭和47年)3月に兵庫県伊丹市内においてリード電機を創業します。
このリード電機が現在のキーエンスになるのですが、スタート時は法人ではなく、たったひとりの個人事業でした。
滝崎氏は高付加価値の生産財を作り、人々の生活の役に立つことを目標に、滝崎氏は磁気応用センサの研究・開発に没頭します。
現在でも、磁気応用センサを活用した製品はこのように数多く、私たちの生活に関わっています。
この頃に滝崎氏は忘れられない経験をしています。
それはオイルショックでのことです。
滝崎氏が衝撃を受けたのは、オイルショックを受けて全国に伝播したトイレットペーパーの買い占め騒動ではなく、土日のマイカー規制でした。
マイカー使用の自粛要請においては、ガソリンスタンドも休んでしまう始末。
他にも深夜テレビ放送やプロ野球のナイター短縮、街のネオンまで規制や自粛する騒ぎになりました。
しかし、大手鉄鋼メーカーの工場は稼働していたのです。
滝崎氏は、鉄を生産している鉄工所のほうが重要で、自由に自分のクルマにも乗れないとは何事かと思い、工業製品を作る資源が無間ではなく有限であることから、これからこの状態が長引けば統制経済になるのではないかと考え、首筋が寒くなる経験をしたと語っています。
しかし、1年が経つとこのような騒ぎも潮を引いたように収まっていきました。その様子を見て滝崎氏は、
“「資源は有限ではない、だが市場原理は有効なんだ」”
という結論に達し、研究開発を進めます。
この頃プライベートでは、3歳年下の奥様・美彌子さんとのあいだに、長男の武史さんが誕生しています。
ご家族は奥様と息子さんだけのようですが、奥様は、滝崎氏が独立して悪戦苦闘していた時期から滝崎氏を支えてきた糟糠の妻といえるでしょう。
長男の滝崎武史氏については、資産管理会社の株式会社ティ・ティを通じた1500億円の贈与が申告漏れであると国税局に否認され、300億円の追徴課税を受けて、名前が挙がりました。
現在、武史氏は、定款にホテル・旅館の経営も目的としている別の資産管理会社の役員を務めていますが、滝崎武光氏自らが先頭に立って、コネ採用・縁故採用を排除しているキーエンスの役員や社員ではありません。
ホテル経営については、2003年にキーエンスが大阪にあるホテルを買収すると報じられましたが、滝崎氏自らがインタビューの中で、キーエンスの事業として行うつもりは一切ない、あくまで個人としての事業のテーマとして関心があるという姿勢に留めています。
さて、1973年(昭和48年)4月、滝崎氏は、完成させた磁気応用センサ「金属板二枚送り検出器」をトヨタ自動車に売り込み成功します。
これは自動車工場で使用される高価なプレス金型の損傷を予防する為の安全装置でした。
早速、元町工場で採用されることになります。翌年には、このセンサがトヨタ自動車の全工場に導入されることになりました。
滝崎氏は拠点を兵庫県尼崎市に移して、リード電機を法人化します。
1974年(昭和49年)5月 リード電機 株式会社 代表取締役社長 滝崎 武光 の誕生です。
1974年5月27日に兵庫県尼崎市で設立されたキーエンスの前身、リード電機 株式会社ですが、滝崎氏自らが開発して売り込んだ『金属板二枚送り検出器』という磁気応用のセンサーがトヨタ自動車の全工場を始め、日産自動車の工場でも採用されたことで、会社設立2年(1976年3月期決算)で黒字となりました。
この年から、毎月の基本給や年2回の賞与とは別枠で、営業利益の一部を従業員に還元していくのですが、一般的な企業がするように剰余金が出たり、目標を達成したもしくは超えたから、決算ボーナスを出すような形ではありません。
営業利益の一部から半分を毎月の給与に加算して、残りの半分をボーナスに加算する方式を採りました。
これは現在まで引き継がれている従業員への利益還元方法です。
キーエンスは営業利益率が高く、またその額が年々大きなものになってきたことで、毎月加算されるインセンティブもボーナスに加算される分も多くなってきたわけです。
現在に至って、キーエンスの従業員が平均年収2000万円を超えるようになった仕組みを会社が黒字化して1年目から、すでに考案して、実行していたのは凄いと同時に素晴らしいことです。
滝崎氏はリード電機設立までに、事業を2度、短期間で畳んだ経験を持つ人物だということは、①でも書きましたが、この失敗から、
“「会社を続けるためには、会社にかかわりのある人にメリットがなけりゃダメなんですよ。取引先や社員を含めてね」”
という教訓を得ていますが、従業員がキーエンスで働く上でのメリットも、理詰めで考え抜かれたのだと思います。
とはいえ、キーエンスは創業当初から急成長をした訳ではありません。
他社との差別化を図るために特殊な用途や高い精度を必要とする磁器センサーのオリジナル製品を開発して、自動車業界や弱電業界に売り込み、三菱自動車、本田技研工業、富士重工、そしてオートバイメーカーに顧客を拡げていきますが、年間売上高1億円に達成したのは1979年(昭和54年)3月期決算でのこと。
5年間かかっています。
この時代のことを滝崎氏はのちのインタビューで、
“「私もね、創業時の苦労はしましたから、今だから言えるとか言って、自慢話の一つもしたいですよ。
そういうことのお好きな社長さんもいらっしゃいますよね。
でも、そういうのって泥臭いでしょ。
ワンマン企業みたいで。若い社員もそんなこと言われたらかなわんでしょう。
会社のイメージにもマイナス。だから言わないんです」”
滝崎武光氏は当時46歳。このインタビューの答え方から、滝崎氏のお人柄や理詰めの思考回路が垣間見える気がします。
翌1980年3月期決算では売上高は3億円と、一気に3倍増に増えます。
1980年代に入るまで、リード電機は東京都目黒区に営業所を持つものの、尼崎市に本社を置く資本金1800万円の零細企業にしか映りませんでした。
しかし、1980年代に突入すると、この会社は驚異的な成長を見せます。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
滝崎武光氏は、事業の柱をセンサ事業に集約させ、現在のキーエンスに繋がる体制づくりをはかっていきます。その③に続きます。
⇒資産約2兆円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス③
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人物伝
はる坊です。 その昔、ジャレコというゲームソフトメーカーがありました。 『燃えろ!!プロ野球』というゲームソフトを出して大ヒットさせるのですが、これはスゴイゲームでした。今回は、そんなジャレコと創業者の金沢義秋さんに迫り…
1970年代の話
はる坊です。
私が大学受験を経験したのも遙か昔のことになってしまいました。
ふと、「大昔の大学受験はどうだったのだろう?」という疑問が湧いてきて、調べてみました。
手に入ったのは、1972年(昭和47年)の大学入試難易度(偏差値)表です。
当時の受験生は、現役生で1953年(昭和28年)~1954年(昭和29年)生まれの方になります。現在は64~65歳、仕事の第一線からリタイアされた方、企業の役員を務められている方、専門職でバリバリ働きながら後進に指導をおこなっておられる方、いろいろな方がおられると思います。
ちなみに大学卒業時には、オイルショックに見舞われて、例年より就職に苦労した経験を持たれている世代でもあります。
民間企業への就職が狭き門となった為に、国家公務員中級職(国家公務員Ⅱ種を経て、現在の国家公務員一般職)や地方公務員に本格的に目を向けて、入庁、入職した最初の世代でもあります。(地方の役場では、それまで大卒が仕事をしていることは珍しかったところもあります)
私が大学受験に臨む頃や社会へ出てから、何かの拍子で「××大なんて、名前を書けば誰でも入れた」とか「○○大は難しかった」という話を、ホンネか冗談か真に受けることもなく聞いたことがありますが、今回のデータで「なるほどなあ」と思うものもありました。
世間の評価は時代によって移り変わっていくものですね。
もっとも、東大・京大と国公立医学部が最難関であることは変わりませんが。
【モンスター企業】キーエンスと創業者・滝崎武光氏のまとめ
※本ページはアフィリエイト広告を利用しています
はる坊です。
今回は、フォーブス誌の2021年日本人長者番付で、2020年に引き続き第3位にランクインしているキーエンス創業者で同社名誉会長・滝崎武光氏に迫っていきたいと思います。
米フォーブス誌によると、滝崎氏の資産は滝崎武光氏個人、そして、妻の滝崎美弥子氏が代表取締役を務める滝崎氏の資産管理会社・株式会社ティ・ティが保有するキーエンス株の合計で、3兆1,700億円に上ります。
2017年では1兆3880億円でしたから、6年間で約2.3倍も資産を増やしたことになります。
ちなみに、日本人長者番付のトップ3は、
ユニクロを率いるファーストリテイリングの柳井正 代表取締役会長兼社長
本記事でご紹介するキーエンスの滝崎武光 取締役名誉会長
ソフトバンクグループの孫正義 代表取締役会長兼社長。
の順です。
上位には滝崎氏とともに、サントリーホールディングスの佐治信忠会長やユニチャームの高原豪久会長など、日本人の日常生活に欠かせないモノを手掛ける企業のトップが名を連ねています。
2015年 第5位 資産額:1兆0472億円
2016年 第4位 資産額: 9379億円
2017年 第4位 資産額:1兆3880億円
2018年 第4位 資産額:1兆8430億円
2019年 第3位 資産額:2兆0670億円
2020年 第3位 資産額:2兆1190億円
2021年 第3位 資産額:2兆8420億円
2022年 第2位 資産額:2兆9,700億円
2023年 第2位 資産額:3兆1,700億円
すっかり、ファーストリテイリングの柳井正氏、ソフトバンクグループの孫正義
氏、サントリーホールディングスの佐治信忠
氏と並んで、日本人トップの資産を保有する人物として定着している感があります。
滝崎氏が、ここに挙げた3名の方と違うのは、滝崎武光氏は資産家・実業家の子息として生を受けたわけではなく、サラリーマン家庭に生まれ育ち、学歴も高卒であること。
約6年間のサラリーマン生活を経て共同経営の会社を設立するも、短期間で倒産させ、再度のチャレンジでも上手くいかず、20代後半までに結局2度の会社倒産を経験している人物であること。
3度目に正直となったキーエンスも、最初はリード電機という滝崎氏ただひとりの個人事業に過ぎない時点からスタートしているところでしょう。
まさに立志伝中の人物といえます。
この記事を読み進めていただくとお分かりいただけると思うのですが、滝崎氏ご本人は、この2兆円を超える資産のことは、必要以上に誇っているようには思えません。
もし、滝崎氏に現在の資産額について尋ねたら、
「資産といっても、私個人や家族、資産管理会社で保有している株式が大半です。
株価は必ずしも、会社の業績に比例して上下するものではなく不確かなもの。
ですから、あてにはなりません。
私は株や不動産売買で利益を出そうとする〝財テク〟はしてはいけないという考えです。
それよりも高付加価値の仕事をすること、会社の営業利益のほうが大切ですよ。
私は売上高には目を向けません。
いくら売上があっても低い利益率では、従業員を含めて企業に関わる人々がメリットを享受できませんから、意味がありません。
現在、キーエンスの営業利益率は売上高の54%強です。
この数字は社員ひとりひとりが、付加価値の高い良い仕事をしてくれていることの証だと思います。
私はそちらを誇りたいです」
きっと、そんな答えが返ってくるような気がします。
それでは、キーエンスと滝崎武光氏の足跡を追っていきましょう。
キーエンスは、創業者・滝崎武光氏が1972年3月に兵庫県伊丹市において、個人事業・リード電機として創業。
1974年5月に兵庫県尼崎市に移転するとともに法人化され、リード電機株式会社となります。
その後、FA(ファクトリーオートメーション)用センサーや計測器の開発・販売を手掛けて業績を伸ばし、1986年10月に商品ブランド名のキーエンス(KEYENCE)と商号の統一を図るために株式会社キーエンスに社名を変更。
ちなみにキーエンス(KEYENCE)とは、Key of Science-キー・オブ・サイエンス(科学の鍵)の略語です。
翌1987年10月には大阪証券取引所第2部に株式を上場。
株式上場準備に3年も4年もかかり、上場審査基準も厳しかった当時としては、かなりのスピードといえる会社設立から僅か13年で上場企業の仲間入りを果たします。
2年後の1989年12月には東京証券取引所2部にも重複上場。
1991年9月には、ついに東京証券取引所1部上場を果たします。
上場時から高収益企業・高株価企業として有名でしたが、
まれに見る高収益体質を維持したまま、現在まで成長を続け、
2023年3月期の連結決算では、
売上高:9,224億2,200万円 売上総利益:7,547億3,200万円 営業利益4,989億1,400万円を記録
粗利率は驚異の81.9% 営業利益率は何と54.1%です。
2024年3月期の連結決算数字がどうなるか、これから注視していきたいと思います。
キーエンスは、従業員の年収が高い企業としても有名ですが、〝人件費は経費にあらず〟というキーエンス独自の思考から、2023年6月に提出された有価証券報告書では従業員:2,788名(平均年齢35.8歳)の平均年収は2,279万3,975円となっています。
前述したように、ボーナスは(3月・6月・9月・12月)の年4回です。
2022年6月に提出された有価証券報告書では、従業員:2,599名(平均年齢36.1歳)の平均年収は2,182万7,204円となっていましたので、業績好調を受けて、従業員の平均年収もアップしています。
また、従業員の人数も単純計算で189名増加しています。
退職者もいるので、仔細は不明ですが、新卒・中途採用とも継続してかなりの人数を採っていることがわかります。
キーエンスは、国内・海外(北米・欧州・南アフリカ・中国・アジア・中東・オセアニア)に営業拠点を張り巡らせていますが、本社・研究所は、大阪府大阪市東中島(JR新大阪駅の近くです)に構えています。
この社屋が建てられたのは1994年とかなり年月が経ってしまっているのですが、高さ111メートル・21階建てのビルは非常にスタイリッシュで、数々の賞にも輝き、現在でも古くささを感じさせません。
創業者の滝崎氏は2000年12月に、当時43歳だった生え抜きの佐々木道夫氏(明治大学政治経済学部卒業)に社長職を譲り、55歳で代表取締役会長に就任。
自身が会長に退いた理由を、
“「創業当時から自分がいなくても、会社が回るようにずっと考えてきました。会長に退いたのも、私が半年1年いなくてもこの会社は回るなと思ったからです」”と語っています。
(引用元:2003年10月27日号 日経ビジネス 特集 利益率40% 驚異の経営 キーエンスの秘密 編集長インタビュー 滝崎武光氏[キーエンス会長] 会社に思い出は不要)より。
2012年12月からは、佐々木道夫氏は取締役特別顧問となり、当時45歳だった山本晃則氏(立命館大学理工学部卒業)が代表取締役社長が就任。
滝崎氏は引き続き会長職に就かれていましたが、2017年12月からは取締役名誉会長を務めておられます。
2019年12月には、山本晃則氏は取締役特別顧問となり、1974年生まれの中田有氏(関西学院大学法学部卒業)が代表取締役社長に就任しています。
そして、
モンスター企業のキーエンスですが、意外に経営トップの年収はそこまで高くありません。
従業員の最高平均年収は約2,279万円ですが、
創業者の滝崎氏から数えて、4代目代表取締役社長を務められている中田有氏の年間役員報酬は2023年3月期の有価証券報告書によると、1億8,800万円
前社長で、現在は取締役 特別顧問を務められている山本晃則氏の年間役員報酬も1億1,300万円です。
社外取締役をのぞく、他の常勤取締役に1億円プレーヤーはいません。
これには理由があり、創業者の滝崎武光氏が社長在任時代に、自身の報酬を低めに設定していた伝統が残っているからです。
滝崎氏自身“「サラリーマン社長と同等にしている」”とインタビューで発言しており、役員だからといって、億単位の役員報酬をもらっていなかったのです。
現在、SHIFTの取締役副社長を務められている、キーエンス2代目社長・佐々木道夫氏の後継者として、
3代目社長を務められた山本晃則社長も、
年間役員報酬は、2018年3月期の有価証券報告書で1億3800万円。2019年3月期が1億5600万円でした。
そして、2019年に社長職を中田有氏にバトンタッチされ、取締役特別顧問となられた2020年3月期の有価証券報告書では1億5000万円。
また、滝崎氏は2018年6月に、まだまだ日本では浸透していない大学進学者向けの給付型奨学金を提供する一般財団法人キーエンス財団を設立され、代表理事も務められています。
2019年4月大学新入学生を対象とするものですが、募集人数は125名程度で月額8万円を在学中の4年間支給する
(4年間の合計支給金額は384万円になります)
という返済の必要がない奨学金ではかなり規模の大きなものです。
現在の日本では経済的な理由で奨学金を利用して大学や専門学校に進学される方が多くなっていることは事実です。
ただ、その奨学金の大半は貸与型であり、卒業後に社会に出てから返済の必要があります。
若くして高収入が得られる職に就き、奨学金の返済を滞ることなく支払える方もおられるでしょうが、不安定な立場や低収入から返済をすることができず延滞金が上乗せされ、最悪の場合、自己破産に追い込まれ、人生に大きな狂いが生じている方も多く存在していることも事実です。
そんななかで、前途のある学生に返済不要の給付金を提供する財団を立ち上げられたのは素晴らしいことだと思います。
実は、滝崎氏が奨学金に目を向けたのは今回が初めてではありません。
1990年にアジアから学びに来る理工系の留学生の為に、私財3億円で奨学基金を設立していました。
さて、キーエンス財団の事務局も大阪府大阪市東中島キーエンス本社ビル内にあります。
これは公私の区別を厳しくしている滝崎氏らしいと思うのですが、普通、成功を収めた事業家などが奨学財団や文化・スポーツ振興財団を設立した際には、自分の苗字を財団名の頭に付けていたり、理事や評議員に親族が名を連ねているケースがほとんどです。
また、自らの人脈をアピールする目的もあるのか、財界や学界、専門分野のなかでも著名な人物や肩書きが立派な人物の名前が並んでいることもあるのですが、キーエンス財団の場合はそういったものがないように感じられます。
理事や評議員のなかに、滝崎氏の親族は誰ひとり名前がありません。
奨学金を給付する有能な学生を選考する為には、どのような人物を置けば一番効果的で合理的かという滝崎氏の哲学が、この財団にも表れているような気がしてなりません。
さて、日本人長者番付2位の大資産家である滝崎武光氏ですが、その人物像はほとんど知られていません。
第一に滝崎氏自身がメディアに露出しないからです。
よって、ウェブ上では〝前半生が謎〟であるとか、〝来歴や家族関係は一切不詳〟と書かれているページすら見受けられます。
また、〝韓国〟というキーワードが検索されていますが、韓国に縁のある人物であるとは確認できません。
さて、滝崎氏自身、社長職を退いて、会長となって以降はたった一度しかマスコミのインタビューに応じていません。
名誉会長に就任して、後進に会社を託すような形となった現在では、メディア露出の可能性は更に低くなったと思います。
東証1部上場企業の創業者ですが、財界活動にも全く興味を示さない人物ですので、世界に通じる日本有数の大富豪として一部の人だけに名前を知られた状態で、このままミステリアスなイメージを保っていくのではないでしょうか。
それでも、まだ1980年代、1990年代には、多少ではありますがマスコミの取材やインタビューに応じていました。そこで語られたエピソードを中心に、滝崎武光氏に迫ってみたいと思います。
滝崎武光氏は1945年(昭和20年)6月10日兵庫県芦屋市で出生しています。
現在は大阪府豊中市に在住です。
芦屋市といえば、関西で一番富裕層が集い邸宅を構えているようなセレブなイメージがありますが、滝崎氏の父親はお金持ちでも経営者でもなく一介のサラリーマンでした。
しかし、真面目で働くことを美徳とする人物だったようで、モノ作り一筋の滝崎氏の人生にも大きな影響を与えている気がします。
その父親がメーカー勤務だったのかはあきらかにされていませんが、幼い頃、父親とともに住友金属工業(現在の新日鐵住金)和歌山製鉄所へ行ったときの思い出が滝崎氏には強く残っているようです。
当時、この製鉄所の中には、そこで働く人々を運ぶバスが運行されていました。
滝崎氏はこのときを振り返って、
“「理屈っぽい性格なので、これほど巨大な工場が何のためにあるのかを考え、自分の生活にも寄与しているんだと気が付いた」”
と語っています。
また、父親は機械の見本市にも武光少年を連れていったりもしています。
武光少年は小学校の卒業アルバムに『今度会うときにはテープレコーダーを作っているだろう』と寄せ書きしていたそうで、中学校時代には、友達から10円を集めて薬局でマグネシウムなどを購入して、実験をしていました。
モノづくりや電気いじり、科学実験
好きの少年時代を過ごしたようです。
滝崎氏が中学校卒業後に進学したのは、兵庫県立尼崎工業高等学校電気通信科(在学中に電子科に名称変更)でした。
(尼崎工業高校の後輩にはダウンタウンの松本人志氏(機械科卒業)がおられますが、島田紳助
氏と共演していたトーク番組『松本紳助』内で「賢いクラスがありましたねえ。電子科は賢かった」と発言していましたので、いくつかに分かれている科のなかでも、滝崎氏はレベルの高いクラスに在籍していたと思われます)
高校在学中、滝崎氏は自治会や生徒会の役員になります。
このとき、滝崎氏は先頭に立って市内5校で連合会を作っています。
ご本人は
“「(自身が通っていたのが女子生徒のいない工業高校だったので)女学生のいる学校に遊びに行きたかっただけかもしれません」”
と多少冗談めかしてはいますが、高校生にしてリーダーシップを取ることのできる人物だったことがわかります。
また、この経験からでしょうか
“「人を組織することに興味を覚えた」”
とのちに語っています。
時代はちょうど大学紛争の頃、自治会の役員をしていた滝崎氏は京都大学などで学生運動をしている人々と出会うことになります。
滝崎氏が、学生運動をしている年上の人々と知り合ったなかで、気が付いたのは、
思想というものは文学や芸術と同じで好き嫌いの世界
で、そういった客観的に測れないものは自分自身の性格上、相容れないものだということ。
そして、
経済というのは数字の世界だから客観性があり、企業の善し悪しも数字で対比すれば分かるもの
だということでした。
そして、滝崎氏は志を立てます。
自分は主観だけで判断するものには向いていない。
それなら、一流の事業家になろう。
それも、デザインや個人の趣味、趣向に左右される消費財ではなく、ユーザーの生産性を上げることに狙いを絞り込み、機能や性能に対して価格が安いか高いかで評価される生産財がいい。
1964年(昭和39年)3月滝崎氏は、兵庫県立尼崎工業高校電子科を卒業すると、実社会に足を踏み入れます。
実社会に足を踏み入れた滝崎氏は、エンジニアとなり24歳で独立を果たしますが・・・
最後まで読んでくださってありがとうございました。
よろしければ、その②もお読みいただけるとありがたいです。
その②に続きます⇒社員の平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス②(新しいタブが開きます)
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元キーエンス従業員の方が書かれた本で、最もオススメしたいのがこちらです。
次にオススメしたい、充分に一読の価値があるのがこちらです。
【2018年11月に出版】キーエンスでの経験を生かしたサイト運営について普遍的で重要な事柄が凝縮された一冊
キーエンスの社内ベンチャー・イプロスでウェブサイト作成・運営に携われた方の本です。
「心に触れるホームページをつくる」
筆者の秋山典丈さんは、キーエンスの社内ベンチャー・イプロスで『製造業向けマッチングサイト』を企画された方です。
東京工業大学大学院理工学研究科情報工学専攻修士課程修了後、1995年にキーエンスに入社。
2000年にキーエンスの社内ベンチャーとしてスタートしたイプロス(株式会社 イプロスとして法人設立は2001年)の立ち上げに参画され、「徹底的に受け手の身になってサイトを作る」ことに向き合われた経験を生かして書かれた本です。
秋山さんは2003年に独立され、現在はシステム開発とサイトコンサルティング・商品企画コンサルティングに携わる株式会社 レクタスの代表取締役を務められています。
この本では、個人でも法人でも、また初心者から上級者までサイト作成・運営にとって重要なことが満載されています。
私も折に触れて読み返しています。
サイト作成に関する本は多く出版されていますが、ここまで普遍的で重要な事柄が凝縮されている本はめったにありません。
キーエンスに興味のない方でも、ご自分のブログやサイト、そしてSNSで見る人の心をガッチリ掴みたいと少しでも思われている方なら、ぜひお読みになってください。
一橋大学イノベーション研究センターとキーエンスに長年在籍した方による共著です。
キーエンスの内部を知るには最もわかりやすいと思います。
ただ、『キーエンス~驚異的な業績を生み続ける経営哲学』というタイトルですが、『経営哲学』はどこにも書かれていません。
『経営哲学』を『経営目標』『経営手法』と読み替えるのが正しいと思います。
Kindle版しかありませんが、こちらもオススメできます。
また、もう一冊だけ、現在紙の書籍で入手することは困難ですが、機会があればぜひ読んでいただきたい本があります。
キーエンスに1986年に新卒で入社され、アンリツを経て、現在は立石シゲオ中小企業診断士事務所代表として活躍されている、経営コンサルタント・立石茂生氏が2014年に書かれた書籍です。
キーエンスで得られたノウハウを含めて、高収益企業を実現する経営指南書で示唆に富んだ良書中の良書なのですが、残念ながら古書でも手に入れるのは難しい状態です。
立石氏のホームページによると、2016年9月の時点では30,000円で古書がネット上で販売されていたようです。
これには、著者の立石氏も戸惑われたようですが、この本にそれだけの価値があると認められていることも、また事実でないかと私は思っております。
そのような状況が長く続きましたが、2020年8月にアマゾンKindleにて第2刷として出版されました。
Kindle Unlimited 会員の方は、このタイトルを追加料金なし(¥0円)でお読みになれます。
ご一読をおすすめいたします。
他にも元キーエンスの方が書かれた本があります。
参考にはなりますが、あえてこの場でおすすめするのは、控えさせていただきます。
1970年代の話
はる坊です。
1975年分~1979年分の高額所得者公示(長者番付)において、『俳優・タレント部門』『歌手部門』『その他・文化人部門』のベストテンにランクインした面々を紹介させていただきます。
1982年分までは、納税額ではなく、“申告所得”額が公示されていました。
申告所得額とは、実収入から必要経費を差し引いた額です。
実際の年収-必要経費=申告所得
となります。
ちなみにこの必要経費ですが、芸能人の場合、対象となるのは、
この時代、交通費・衣装代・楽器大。交際費などで、最大限で収入の約40%までが認められており、男性芸能人より女性芸能人のほうが、化粧品代や衣装代がかさむという理由で、やや多めに認められていたようです。
また、この時代は所得税率と住民税率が高額(最高で年収の93%!)だった為、芸能人は、所属している事務所・プロダクションとは別に、個人事務所として株式会社・有限会社を設立して、自らは給与・役員報酬を受け取る形にして、節税に励むのが当然の防衛策でした。
それでは、1975年分から1979年分までの芸能界長者番付データをご覧いただきますが、1979年分に関しては資料が揃っている為、10位以下の俳優・タレント・歌手・その他文化人のデータが充実したものとなっております。
1位 藤山寛美 1億2502万円
2位 大川橋蔵 8052万円
3位 高田浩吉 7706万円
4位 石原裕次郎 6443万円
5位 三波伸介 6398万円
6位 坂上二郎 5862万円
7位 尾上松緑 5377万円(二代目)
8位 森光子 5307万円
9位 丹波哲郎 5019万円
10位 長谷川一夫 4872万円
1位 井上陽水 1億1226万円
2位 五木ひろし 8995万円
3位 美空ひばり 8066万円
4位 吉田拓郎 7822万円
5位 南こうせつ 7371万円
6位 森進一 7290万円
7位 伊勢正三 5785万円
8位 水前寺清子 5702万円
9位 布施明 5408万円
10位 前川清 4835万円
1位 勅使河原蒼風 3億1352万円(華道家元)
2位 小原豊雲 2億3192万円(華道家元)
3位 池坊専永 1億6041万円(華道家元)
4位 勅使河原霞 1億3948万円(華道家元)
5位 千宗室 1億3063万円(茶道家元)
6位 古賀政男 1億0998万円(作曲家)
7位 千宗左 9631万円(茶道家元)
8位 水島新司 9330万円(漫画家)
9位 千家和也 8825万円(作詞家)
※勅使河原蒼風・・・いけばな草月流創始者
※小原豊雲・・・いけばな小原流三世家元
※池坊専永・・・華道池坊華道家元四十五世
※勅使河原霞・・・いけばな草月流二代目家元
※千宗室・・・茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。現在の千玄室
※千宗左・・・茶道表千家13代家元
1位 藤山寛美 1億4568万円
2位 大川橋蔵 8390万円
3位 石原裕次郎 8043万円
4位 坂上二郎 6719万円
5位 小林桂樹 5632万円
6位 三波伸介 5595万円
7位 山村聡 4737万円
8位 森光子 4549万円
9位 愛川欽也 4285万円
10位 浜木綿子 4230万円
1位 井上陽水 1億3298万円
2位 南こうせつ 9617万円
3位 美空ひばり 7995万円
4位 五木ひろし 7316万円
5位 前川清 7236万円
6位 布施明 6126万円
7位 森進一 5795万円
8位 橋幸夫 4920万円
9位 矢沢永吉 4775万円
10位 佐良直美 4661万円
1位 勅使河原蒼風 2億4308万円(華道家元)
2位 小原豊雲 1億8652万円(華道家元)
3位 池田理代子 1億6285万円(漫画家)
4位 千宗室 1億6219万円(茶道家元)
5位 水島新司 1億2015万円(漫画家)
6位 千宗左 1億1749万円(茶道家元)
7位 木下恵介 9695万円(映画監督)
8位 吉田拓郎 9470万円(作曲家)
9位 田中仙翁 8430万円(茶道家元)
10位 平山郁夫 8120万円(日本画家)
※3位の池田理代子は『ベルサイユのばら(ベルバラ)』の連載は終了していたものの、同作を宝塚歌劇団が演劇化したことにより大ヒットしたことによるもの。
※8位の吉田拓郎は、提供曲の大ヒットにより、作詞・作曲家扱いとなり、その他・文化人部門にランクイン。
※9位の田中仙翁は、大日本茶道学会第四代会長
1位 藤山寛美 1億6415万円
2位 石原裕次郎 9399万円
3位 大川橋蔵 9176万円
4位 中村伸郎 6688万円
5位 坂上二郎 6373万円
6位 山城新伍 6363万円
7位 草刈正雄 6270万円
8位 渥美清 6221万円
9位 加山雄三 5697万円
10位 黒柳徹子 5585万円
1位 井上陽水 9621万円
2位 矢沢永吉 8282万円
3位 布施明 6616万円
4位 松任谷由実 6524万円
5位 南こうせつ 6325万円
6位 五木ひろし 6015万円
7位 前川清 5805万円
8位 美空ひばり 5729万円
9位 森進一 5205万円
10位 越路吹雪 4533万円
1位 水島新司 2億9167万円(漫画家)
2位 古賀政男 2億4448万円(作曲家)
3位 千宗室 2億3771万円(茶道家元)
4位 勅使河原蒼風 2億2034万円(華道家元)
5位 小原豊雲 1億8453万円(華道家元)
6位 池沢さとし 1億4527万円(漫画家)『サーキットの狼』
7位 森英恵 9770万円(服飾デザイナー)
8位 阿久悠 9121万円(作詞家)
9位 田中仙翁 8634万円(茶道家元)
10位 中村乃武夫 8461万円(服飾デザイナー)
1位 草刈正雄 1億3405万円
2位 大川橋蔵 9708万円
3位 石原裕次郎 9345万円
4位 黒柳徹子 8285万円
5位 坂上二郎 7512万円
6位 森繁久弥 6971万円
7位 小林桂樹 6673万円
8位 森光子 6373万円
9位 山田五十鈴 6330万円
10位 三田佳子 6017万円
1位 矢沢永吉 1億7123万円
2位 南こうせつ 7833万円
3位 五木ひろし 6645万円
4位 谷村新司 6383万円
5位 北島三郎 5959万円
6位 越路吹雪 5655万円
7位 森進一 5508万円
8位 イルカ 5374万円
9位 沢田研二 4075万円
10位 山口百恵 4015万円
1位 勅使河原蒼風 2億8742万円(華道家元)
2位 千宗室 2億6318万円(茶道家元)
3位 水島新司 2億1605万円(漫画家)
4位 小原豊雲 1億9465万円(華道家元)
5位 荒川豊蔵 1億5632万円(陶芸家)
6位 阿久悠 1億3953万円(作詞家)
7位 清水六兵衛 1億2748万円(陶芸家)
8位 加山又造 1億2432万円(日本画家)
9位 遠藤実 1億2082万円(作曲家)
10位 梅原龍三郎 1億1776万円(洋画家)
1位 石原裕次郎 1億1008万円
2位 森光子 1億0991万円
3位 市川染五郎 1億0235万円(初代松本白鸚)
4位 大川橋蔵 9811万円
5位 山城新伍 9616万円
6位 坂上二郎 9482万円
7位 黒柳徹子 8997万円
8位 三波伸介 8979万円
9位 草刈正雄 7757万円
10位 西川きよし 7752万円
11位以下
小林桂樹 7497万円
いかりや長介 7494万円
若山富三郎 7188万円
田中邦衛 6549万円
井上順 6488万円
高田浩吉 6432万円
桃井かおり 6370万円
森繁久彌 6359万円
大橋巨泉 6312万円
桂三枝 5964万円
尾上辰之助 5951万円
尾上松緑 5923万円
高島忠夫 5796万円
高橋英樹 5747万円
山口百恵 5520万円
西田敏行 5506万円
水沢アキ 4976万円
寺島純子 4957万円
尾上菊五郎 4949万円
山田五十鈴 4935万円
萩本欽一 4750万円
若尾文子 4676万円
渡哲也 4585万円
京塚昌子 4533万円
竹下景子 4471万円
山村聰 4454万円
浜木綿子 4315万円
大原麗子 4290万円
石坂浩二 4234万円
鶴田浩二 4206万円
加山雄三 4200万円
三船敏郎 4192万円
藤山寛美 4167万円
二谷英明 4120万円
水谷豊 3989万円
佐久間良子 3929万円
大竹しのぶ 3820万円
佐分利信 3741万円
川谷拓三 3707万円
渡辺文雄 3695万円
池内淳子 3681万円
川崎敬三 3670万円
フランキー堺 3669万円
萩原健一 3619万円
岩下志麻 3509万円
1位 美空ひばり 2億8363万円
2位 矢沢永吉 1億7763万円
3位 谷村新司 1億3613万円
4位 南こうせつ 1億1054万円
5位 五木ひろし 7364万円
6位 田端義夫 6342万円
7位 北島三郎 5880万円
9位 山口百恵 5520万円
10位 さだまさし 5307万円
11位以下
森進一 5109万円
越路吹雪 4963万円
吉田拓郎 4892万円
村田英雄 4540万円
松山千春 4461万円
堀内孝雄 4458万円(当時、アリス)
三波春夫 4232万円
青江三奈 4152万円
三橋美智也 4084万円
橋幸夫 4076万円
布施明 4044万円
イルカ 3877万円
西城秀樹 3827万円
フランク永井 3769万円
沢田研二 3754万円
野口五郎 3374万円
前川清 3334万円
井上陽水 3280万円
水前寺清子 3242万円
小柳ルミ子 3166万円
渡辺真知子 3164万円
五輪真弓 3099万円
春日八郎 2980万円
松任谷由実 2862万円
※1978年から1979年に掛けて、
「ガンダーラ」「Monkey Magic」「ビューティフル・ネーム」「銀河鉄道999」が大ヒットして、
人気のピークを迎えたゴダイゴは、
株式会社ゴダイゴからメンバーが給与を受け取る仕組みだった為、
プロデューサー・作詞担当の奈良橋陽子が申告所得1965万円。
ボーカル・作曲担当のタケカワユキヒデが申告所得2203万円。
編曲担当のミッキー吉野が申告所得1011万円。
※また、すでに人気のピークは過ぎていたピンクレディーのふたりは、
ミー(未唯mie)とケイ(増田恵子)ともに、申告所得は1149万円。
人気とは裏腹に月給制でしかも薄給だったという話を裏付けるデータになる。
1位 千宗室 2億7537万円(茶道家元)
2位 小原豊雲 2億5230万円(華道家元)
3位 遠藤実 2億1781万円(作曲家)
4位 勅使河原蒼風 1億9784万円(華道家元)
5位 東山魁夷 1億8102万円(日本画家)
6位 西崎義展 1億7049万円(『宇宙戦艦ヤマト
』プロデューサー)
7位 梅原龍三郎 1億7020万円(洋画家)
8位 加山又造 1億6272万円(日本画家)
9位 阿久悠 1億4374万円(作詞家)
10位 森英恵 1億2872万円(服飾デザイナー)
11位以下
清水六兵衛 1億2091万円(陶芸家・公示時、故人)
水島新司 1億1747万円(漫画家)
小磯良平 1億1681万円(画家)
吉村華泉 1億1259万円(華道家元)
平山郁夫 1億1251万円(画家)
中村乃武夫 1億0864万円(服飾デザイナー)
小田恒雄 1億0654万円(画家)
肥原康甫 9898万円(華道家元)
千芩一郎 8741万円(茶道家元)
木下恵介 8182万円(映画監督)
吉田正 6428万円(作曲家)
松本零士 5994万円(漫画家)
藤本弘 5596万円(漫画家 藤子・F・不二雄)
安孫子素雄 5556万円(漫画家 藤子不二雄A)
秋山庄太郎 5376万円(写真家)
鶴岡一人 5067万円(野球評論家)
はらたいら 4895万円(漫画家)
東海林さだお 4870万円(漫画家)
浪越徳治郎 4504万円(指圧師)
手塚治虫 4135万円(漫画家)
花柳寿輔 4010万円(舞踊家元)
ちばてつや 3975万円(漫画家)
筒美京平 3900万円(作曲家)
黒川紀章 3834万円(建築家)
西川鯉三郎 3771万円(舞踊家元)
岩谷時子 3751万円(作詞家)
園山俊二 3750万円(漫画家)
里中満智子 3720万円(漫画家)
山川啓介 3613万円(作詞家)
團伊玖磨 3467万円(作曲家)
池田大作 3450万円(宗教家)
星野哲郎 3409万円(作詞家)
小林亜星 3372万円(作曲家)
宮川泰 3324万円(作曲家)
山藤章二 3295万円(イラストレーター)
和田誠 3229万円(イラストレーター)
太田博之 3213万円(元俳優・小銭すし創業者・社長)
田村魚菜 3161万円(料理研究家)
別所毅彦 3065万円(野球評論家)
都倉俊一 3036万円(作曲家)
阿木燿子 2904万円(作詞家)
宇崎竜童 2843万円(作曲家)
楳図かずお 2821万円(漫画家)
芥川也寸志 2778万円(作曲家)
入江徳郎 2675万円(ジャーナリスト・「ニュースコープ」キャスター)
金田正一 2580万円(野球評論家)
竜真知子 2523万円(作詞家)
⇒現在でも活躍中の人物がランクインしている1980年分~1985年分はこちらです
平成のアスリート界を彩ったスポーツ選手・プロアスリートの長者番付はこちらです。
1970年代の話
はる坊です。
エントリーする記事に併せて、1974年分~2006年分までの所得税率と住民税率の推移を載せていきます。
1974年分~1983年分の所得税率は、細かく19分類に分かれていました
課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10%
課税所得60万円超~120万円以下・・・・・・12%
課税所得120万円超~180万円以下・・・・・14%
課税所得180万円超~240万円以下・・・・・16%
課税所得240万円超~300万円以下・・・・・18%
課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21%
課税所得400万円超~500万円以下・・・・・24%
課税所得500万円超~600万円以下・・・・・27%
課税所得600万円超~700万円以下・・・・・30%
課税所得700万円超~800万円以下・・・・・34%
課税所得800万円超~1000万円以下・・・・38%
課税所得1000万円超~1200万円以下・・・42%
課税所得1200万円超~1500万円以下・・・46%
課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50%
課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55%
課税所得3000万円超~4000万円以下・・・60%
課税所得4000万円超~6000万円以下・・・65%
課税所得6000万円超~8000万円以下・・・70%
課税所得8000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・75%
1974年分~1979年分の住民税の税率です。
1973年分から使用されていました。細かく13分類に分かれていました。
課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%
課税所得30万円超~50万円以下・・・・・・・5%
課税所得50万円超~80万円以下・・・・・・・6%
課税所得80万円超~110万円以下・・・・・・7%
課税所得110万円超~150万円以下・・・・・8%
課税所得150万円超~250万円以下・・・・・9%
課税所得250万円超~400万円以下・・・・・11%
課税所得400万円超~600万円以下・・・・・12%
課税所得600万円超~1000万円以下・・・・13%
課税所得1000万円超~2000万円以下・・・14%
課税所得2000万円超~3000万円以下・・・15%
課税所得3000万円超~5000万円以下・・・16%
課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%
1984年分~1986年分の所得税率について
なんと15分類に分かれていました
課税所得50万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5%
課税所得50万円超~120万円以下・・・・・・12%
課税所得120万円超~200万円以下・・・・・14%
課税所得200万円超~300万円以下・・・・・17%
課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21%
課税所得400万円超~600万円以下・・・・・25%
課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30%
課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35%
課税所得1000万円超~1200万円以下・・・40%
課税所得1200万円超~1500万円以下・・・45%
課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50%
課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55%
課税所得3000万円超~5000万円以下・・・60%
課税所得5000万円超~8000万円以下・・・65%
課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・70%
1980年分~1984年分の住民税の税率です。
さらに細かく14分類に分かれていました。
課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%
課税所得30万円超~45万円以下・・・・・・・5%
課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・6%
課税所得70万円超~100万円以下・・・・・・7%
課税所得100万円超~130万円以下・・・・・8%
課税所得130万円超~150万円以下・・・・・9%
課税所得150万円超~230万円以下・・・・・11%
課税所得230万円超~370万円以下・・・・・12%
課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%
課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%
課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%
課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%
課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%
課税所得4900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%
1985年分~1987年分の住民税の税率です。
同じく14分類に分かれていました
課税所得20万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4.5%
課税所得20万円超~45万円以下・・・・・・・・5%
課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・・6%
課税所得70万円超~95万円以下・・・・・・・・7%
課税所得95万円超~120万円以下・・・・・・・8%
課税所得120万円超~150万円以下・・・・・・9%
課税所得150万円超~220万円以下・・・・・11%
課税所得220万円超~370万円以下・・・・・12%
課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%
課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%
課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%
課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%
課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%
課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%
まだ、12分類に分かれていました。
課税所得150万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5%
課税所得150万円超~200万円以下・・・・・12%
課税所得200万円超~300万円以下・・・・・16%
課税所得300万円超~500万円以下・・・・・20%
課税所得500万円超~600万円以下・・・・・25%
課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30%
課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35%
課税所得600万円超~1000万円以下・・・・40%
課税所得1000万円超~2000万円以下・・・45%
課税所得600万円超~1000万円以下・・・・50%
課税所得1000万円超~2000万円以下・・・55%
課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60%
やっと6分類まで減りました。
課税所得300万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・10%
課税所得300万円超~600万円以下・・・・・20%
課税所得600万円超~1000万円以下・・・・30%
課税所得1000万円超~2000万円以下・・・40%
課税所得2000万円超~5000万円以下・・・50%
課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60%
1988年分の住民税の税率です。
所得税と同じく7分類に簡略化されました
課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5%
課税所得60万円超~130万円以下・・・・・・・7%
課税所得130万円超~260万円以下・・・・・10%
課税所得260万円超~460万円以下・・・・・12%
課税所得460万円超~950万円以下・・・・・14%
課税所得950万円超~1900万円以・・・・・・15%
課税所得1900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・16%
1988年分の所得税と住民税の最高税率は、住民税の最高税率が2%下がったため76%でした。
課税所得300万円以下・・・10%
課税所得300万円超~600万円以下・・・20%
課税所得600万円超~1000万円以下・・・30%
課税所得1000万円超~2000万円・・・40%
課税所得2000万円超・・・50%
1989年分~1990年分の住民税の税率です。
課税所得120万円以下・・・5%
課税所得120万円超~500万円以下・・・10%
課税所得500万円超・・・15%
所得税と住民税の最高税率は65%でした。
○1991年分~1994年分
課税所得160万円以下・・・5%
課税所得160万円超~550万円以下・・・10%
課税所得550万円超・・・15%
○1995年分~1998年分
課税所得200万円以下・・・5%
課税所得200万円超~700万円以下・・・10%
課税所得700万円超~・・・15%
現在より個人所得への所得税がキツかったのがおわかりいただけると思います。
1998年(平成10年)分までは、最高税率が所得税50%+住民税15%でしたが、
所得税率は最高で37%までダウンしました。
住民税率も最高で13%でした。
1999年分~2006年分まで使用された所得税率表は下記のとおりです。
年収330万円以下・・・・・・・・・・・10%
年収330万円を超える部分・・・20%
年収900万円を超える部分・・・30%
年収1800万円を超える部分・・37%
1999年分~2006年分の住民税の税率です。
課税所得200万円以下・・・5%
課税所得200万円超~700万円以下・・・10%
課税所得700万円超・・・13%
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
はる坊の雑記
はる坊です。
今回は、知る人ぞ知る、時代を、あるいは先を走りすぎた企業をご紹介します。
あとになってみれば、「あれを言うのは早すぎた」とか「あれをするには早すぎた」ということがあります。
すべてはあとの祭りなのですが、企業のなかでもそのような会社が存在します。
昌和製作所と日本計算器(ビジコン)もそのなかのひとつです。
この2社は小島和三郎・小島義雄親子を中心に運営されていきましたが、昌和製作所では1950年代後半に昌和ライトクルーザー・昌和クルーザーという名オートバイを開発販売して大ヒットさせたかと思うと、1960年に軽乗用車『昌和ミニカ』を開発。
東京モーターショーに出展。
しかし、技術開発に傾きすぎたため資金ショートを起こしてヤマハに買収されるという運命を辿っています。
また、日本計算器も並行して営んでいた企業ですが、機械式計算機(手回し計算器)の国内シェアを40%獲得するまでになり、タイガー計算器と双璧を成し、米インテル社との共同開発で世界初のマイクロプロセッサ「Intel4004」を開発するも、他製品を含めて販売を対米輸出に大きく頼っていたため、1973年の石油ショック時に起こった円安によって大幅な為替差損が発生する形になり、製品を増産するほど赤字が増すという状況に陥り、1974年に和議を申請して、第一線から姿を消します。
あとから振り返ると、やり方によっては大企業に発展したかもしれないと思う一方、このときはこの判断しかなかったのだなと思うこともあり、30年、50年、100年と長きにわたり続いている企業は本当にすごいとあらためて感じる次第です。
結局のところ昌和製作所と日本計算器のすごさを知っていただくには、時系列が一番良いと考え、整理しました。
どうぞ、ご覧下さい。
1918年
4月22日 『堀井謄写堂』(ガリ版を発明した会社)に勤務していた小島和三郎(?~1954)が、『堀井謄写堂』の2代目堀井耕造(1875~1962)の妻の妹を娶ったことにより独立。中国・満州国奉天にて、昌和洋行(昌和商店とは別法人)を設立し、『堀井謄写堂』の謄写版事業を皮切りに、手動タイプライター・自動タイプライター・手回し計算器の販売をおこなう。
1939年
(株)目黒製作所が製造したメグロ号が好評。警視庁の白バイにも選ばれる。
当時、大阪にいた小島和三郎より、「中国大陸にバイクを輸出して売り込みたいが、御社で造れないだろうか?」と依頼があり、目黒製作所が二気筒100 CCの二輪車を製造することが決定。
3月、静岡県沼津市に昌和洋行と目黒製作所の合弁会社として昌和製作所が設立される。
(登記上は、1944年11月16日が昌和製作所の設立日になっている)
社長には小島和三郎が就任。他役員には、目黒製作所の社長 村田延治・同社専務 鈴木高治が就任。
沼津工場長には鈴木の甥が就く。沼津工場では自動二輪車の製造が始まったが、まもなく横須賀海軍工廠の指定工場とされ、航空機の製造に変更となる。
1940年
平田勝治郎が計算器に関する特許を取得。翌年にも4件を取得。
1941年
小島和三郎が平田勝治郎の特許を買い取るとともに、計算器開発の資金を援助。
1942年
小島和三郎が出資をおこない、平田勝治郎・吉田喜一(平田の実兄)・錦織米一が中心となり、大阪市西淀川区にて富士星計算器製作所 (株)を設立。
1943年
富士星計算器製作所が機械式手動計算器の開発に成功する。
1944年
戦況の悪化により、富士星計算器が峰山(現・京丹後市)へ疎開移転。
同年に、疎開先である峰山の鉄工所が戦時企業合同して、(有)峰山鉄工所が設立される。
1945年
4月に富士星計算器製作所と峰山鉄工所が合併。社名は富士精工(株)と変更され社長には小島和三郎が就任。計算器事業と鉄鋼事業の二本柱で事業を行う。
1946年
静岡県沼津市は、海軍工廠の指定工場があったものの空襲被害が少なかった。物資不足ではあったが、早期に工業製品製造に着手できる環境が整った。
5月 昌和製作所の沼津工場にてエンジン単体の開発販売を再開。
1948年
経営難により富士精工(株)は富士精工・日進製作所・峰山鉄工の三社に分離。
この折に、創業メンバーのうち、吉田喜一が富士精工に残留し、錦織米一が日進製作所社長・平田勝治郎が峰山鉄工社長となり独立。
沼津市の昌和製作所がオートバイ昌和号を製造販売するに至る。
1949年
富士星計算器(株)から日本計算器(株)に商号変更。
1950年
小島和三郎の息子・小島義雄(1924年~2013年)が京都大学を卒業。日本計算器株式会社に入社。日本計算器の沼津出張所は昌和製作所と同じ場所にあった。
1953年
この当時、昌和製作所の事業所は以下の通り。
本社:静岡県沼津市松長178
東京:東京都千代田区神田多町1―9
(現在の東京都千代田区内神田町23番付近)
大阪:大阪府大阪市西区江戸堀北通3-20
(現在の大阪市西区土佐堀2丁目3番付近)
1954年
昌和クルーザー250 CCを発売。大ヒットとなる。
昌和製作所・日本計算器の創業者・小島和三郎逝去。
昌和製作所の社長に小島義雄が就任。
日本計算器の社長には、黄地金右衛門(滋賀県出身)が就任。
他役員には、黄地幸造・高田文雄が就任。
1955年
日本計算器の大阪進出を決定。
1956年
日本計算器の大阪進出決定により、大阪府茨木市三島町に土地を取得。
1957年
小島一族が経営する(株)昌和商店から計算器の販売部門を独立させ、日本計算器販売(株)を設立する。こちらの沼津事業所も昌和製作所と同じ敷地内にあった。
昌和ライトクルーザー 125 CC発売
昌和クルーザーSC57型 250 CC発売。
1959年
昌和製作所が、バイクメーカー・日本高速機関(株)(ブランド名はホスク〔HOSK〕を買収。同社の技術を利用して軽乗用車『昌和ミニカ』を開発。東京モーターショーに出展。
この日本高速機関のスタッフは、のちにトヨタ 2000GTの開発に携わる。
1960年
昌和製作所は若い従業員が多く、技術開発を最重要視していたが、販売面が振るわず、開発費用が重くのしかかり資金繰りが悪化。負債を肩代わりする形で、1955年よりバイクの製造販売を手掛けていたヤマハ発動機の傘下に入る。小島義雄は社長を退任。小島一族が経営から退く。
昌和製作所は法人として継続となり、同社沼津工場はヤマハ発動機 沼津工場として引き継がれる。その後、昌和製作所はヤマハ製の発電機やゴルフカートを製造する。
1961年
日本計算器販売(株)の社長に小島義雄が就任。
茨木市の土地(1.3ヘクタール)に「茨木寮」が完成。同時に研究所を併設。
1964年
日本計算器(株)の社長に小島義雄が就任。
本社(大阪)・峰山工場(旧製造部)・茨木研究所(旧・技術部)・大阪事務所・東京事務所に組織変更。
日本計算器の国内シェアが40%に達し、タイガー計算器と双璧となる。
1965年
茨木工場が完成。同社初となる卓上式電子計算機「UNICOM160」を製造。
茨木研究所を「茨木工場」と「研究部」に改組。名称を、日本計算器(株)茨木製作所に変更。
1966年
茨木製作所にて開発・生産をおこなった「ビジコン161」を発売。大ヒット製品となる。
この年、茨木工場において12日間の部分ストライキが断行されている。
1967年
4月 のちに世界初のマイクロプロセッサ「Intel4004」を開発する嶋正利が東北大学理学部を卒業して入社。
(71年に米インテル社との共同開発で4004を開発後、インテル社に入社)
「ビジコン161」増産により、茨木製作所に第2茨木工場が増築される。
1968年
NCR社(米国)と契約が成立。同社のブランドにより「ビジコン」シリーズが発売される。
米国現地法人ビジコンUSA設立(同社の出資比率は日本計算器販売(株)70%・日商岩井(株)30%)
フロイド・ランソン・ヒジョス社(メキシコ)と現地法人を設立。
日本計算器(株)・日本計算器販売(株)・三菱電機(株)の共同出資により電子技研工業(株)を設立。
1969年
この年、日本計算器の機械式計算器の生産台数が頂点を迎える。
1968年~69年には、大きな役員変更があった。1968年に黄地幸造が逝去。69年には高田文雄取締役が辞任。
堀場雅夫(堀場製作所創業者・当時社長)・市原孝一(1947年早稲田大理工学部卒。のちにビジコン常務)が取締役に就任。
1970年
日本計算器販売(株)をビジコン(株)に商号変更。
1971年
日本計算器(株)が世界最小電卓「ビジコンハンディ 120A」を発売。同製品には米モステック社と共同開発した1チップLSIを搭載。茨木製作所で開発・生産がおこなわれる。
ビジコン(株)がプリンター機能を搭載した「ビジコン141-PF」を発表。同製品には、米インテル社と共同開発した世界初のマイクロプロセッサ「4004」が搭載されていた。
1972年
カシオ計算機(株)が破格の小型電卓
を発表し、電卓業界は泥沼のダンピング競争に突入。
1973年
第4次中東戦争による第1次オイルショックが起きる。
1974年
2月28日 ビジコン(株)(本社:東京都 資本金1億5000万円 社長:小島義雄)、日本計算器(株)(本社:大阪府茨木市三島2-18 資本金:4940万円 社長:小島義雄)が大阪地裁に会社更生法を申請し倒産。
※倒産時、ビジコン(株)は、従業員100名 売上高70億円。日本計算器(株)は従業員300名 売上高32億円。
その後、ビジコン(株)は、本社を東京都台東区浅草橋に移して、コンピュータ関連部品の製造販売を手掛ける。
1988年
昌和製作所を存続会社として、(株)榛葉シボリ製作所と合併。新社名は創輝(株)となる。
1991年
NHKが制作したドキュメンタリー『電子立国 日本の自叙伝 第5回 8ミリ角のコンピュータ』にビジコン社長の小島義雄がコメント出演。
2006年
創輝(株)がヤマハモーターパワープロダクツ(株)に社名を変更。現在に至るまで、ヤマハブランドの発電機、ゴルフカー、汎用エンジン等の生産を続けている。
2013年
11月10日 ビジコン社長 小島義雄逝去(享年89)
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
はる坊の雑記
クスッと笑えるお話を少々。 笑えなくても、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。 それでは、始めましょう。 仁義なき戦い 学生時代にK君という友人がいました。 ・僕の下宿の2倍以上の家賃が掛かるおしゃれなマンションに住む…
長者番付
はる坊です。
個人情報保護の為、2005年(平成17年)以降は、発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年(平成16)分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。
ここでは1996年(平成8年)から2004年(平成16年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。
毎年のベスト20までを列挙しています。
ソースは、当時の新聞報道・各年の『全国高額納税者名簿』(東京商工リサーチ刊)によるものです。
課税所得330万円以下・・・10%
課税所得330万円超~900万円以下・・・20%
課税所得900万円超~1800万円以下・・・30%
課税所得1800万円超~3000万円・・・40%
課税所得3000万円超・・・50%
課税所得200万円以下・・・5%
課税所得200万円超~700万円以下・・・10%
課税所得700万円超・・・15%
1位 内田康夫 1億4657万円
2位 西村京太郎 1億3351万円
3位 森村誠一 8222万円
4位 神坂一 8010万円
5位 津本陽 7450万円
6位 渡辺淳一 7327万円
7位 田中芳樹 6568万円
8位 椎名誠 6199万円
9位 石原慎太郎 6096万円
10位 斎藤栄 5933万円
11位 宮部みゆき 5291万円
12位 菊地秀行 5017万円
13位 五木寛之 4960万円
14位 群ようこ 4112万円
15位 童門冬二 3976万円
16位 宮本輝 3973万円
17位 荒巻義雄 3860万円
18位 赤川次郎 3805万円
19位 平岩弓枝 3795万円
20位 宮城谷昌光 3696万円
※赤川次郎首位陥落の理由
13年連続で長者番付・作家部門の1位を守り続けた赤川次郎氏が一気に18位まで順位を下げたのは、バブル期に購入した自宅兼仕事場の売却損で、作家活動による印税・原稿料・著作権収入と売却損が相殺された為。
収入は例年と同様の額があったとのこと。
※司馬遼太郎の遺産評価額
1997年2月、1996年2月に逝去した司馬遼太郎氏の遺産評価額が管内税務署にて公示されました。
遺産額は約26億4000万円。
約20億1000万円が銀行等金融機関への預貯金。
約3億9000万円が著作権。
約2億4000万円が自宅の土地建物でした。
1位 赤川次郎 2億7760万円
2位 渡辺淳一 2億2675万円
3位 西村京太郎 2億1257万円
4位 内田康夫 2億0827万円
5位 村上春樹 9244万円
6位 浅田次郎 9187万円
7位 森村誠一 8611万円
8位 林真理子 6980万円
9位 宮部みゆき 6942万円
10位 津本陽 6752万円
11位 神坂一 6336万円
12位 菊地秀行 5817万円
13位 群ようこ 5298万円
14位 斎藤栄 5147万円
15位 星野富弘 5103万円
16位 田中芳樹 4981万円
17位 平岩弓枝 4632万円
18位 髙村薫 4439万円
19位 椎名誠 4293万円
20位 大沢在昌 4247万円
落合信彦 3311万円
1位 西村京太郎 2億5196万円
2位 赤川次郎 1億9087万円
3位 鈴木光司 1億4207万円
4位 宮部みゆき 1億1679万円
5位 内田康夫 1億0594万円
6位 浅田次郎 1億0474万円
7位 五木寛之 7780万円
8位 森村誠一 7128万円
9位 宮城谷昌光 6738万円
10位 神坂一 5612万円
11位 菊地秀行 5495万円
12位 群ようこ 5357万円
13位 渡辺淳一 4998万円
14位 星野富弘 4962万円
15位 椎名誠 4927万円
16位 落合信彦 4687万円
17位 馳星周 4412万円
18位 斎藤栄 4399万円
19位 田中芳樹 4385万円
20位 筒井康隆 4220万円
北方謙三 3905万円
河合隼雄 3563万円
林真理子 3211万円
平岩弓枝 1974万円
1999年分以降は、所得税率が過去最低にダウン
1998年(平成10年)分までは、最高税率が所得税50%+住民税15%でしたが、
所得税率は最高で37%までダウンしました。
そのせいか、下記に挙げる作家の納税額も前年までに比べて減少していますが、2000年に入ると出版不況が深刻化して、作家の収入自体が減少していく様子が分かります。
1990年代初頭では、年収1億円あったとしてもランキングのベスト20に入れるかどうかでしたが、2000年分以降では、ベストテンに入れる年収になっています。
それほど、本が売れずに印税収入が細ってきている模様もうかがえます。
2006年分まで使用された所得税率表は下記のとおりです。
課税所得330万円以下・・・・・・・・・・・10%
課税所得330万円超~900万円・・・・20%
課税所得900万円超~1800万円・・・30%
課税所得1800万円超・・・・・・・・・・・・・37%
参考までに、2006年分まで使用された住民税税率表は下記のとおりです。
課税所得200万円以下・・・5%
課税所得200万円超~700万円以下・・・10%
課税所得700万円超・・・13%
1998年分までに比べると最高税率が大幅に下がりました。
1998年分まで、所得税50%+住民税15%=最高税率65%
1999年分から、所得税37%+住民税10%=最高税率47%
1位 西村京太郎 1億6519万円
2位 内田康夫 1億3929万円
3位 宮部みゆき 1億1492万円
4位 鈴木光司 7656万円
5位 浅田次郎 7315万円
6位 五木寛之 6320万円
7位 森村誠一 6199万円
8位 桐生操(堤幸子) 5640万円
9位 桐生操(上田加代子) 5610万円
10位 星野富弘 5246万円
11位 村上春樹 4664万円
12位 津本陽 4329万円
13位 赤瀬川源平 4015万円
14位 山崎豊子 3940万円
15位 東野圭吾 3803万円
16位 菊地秀行 3777万円
17位 天童荒太 3718万円
18位 桐野夏生 3355万円
19位 京極夏彦 3300万円
20位 神坂一 3282万円
21位以下で公示された作家
林真理子 2719万円
平岩弓枝 2174万円
馳星周 1412万円
1位 西村京太郎 1億5603万円
2位 赤川次郎 1億1108万円
3位 宮部みゆき 7873万円
4位 山崎豊子 7559万円
5位 内田康夫 7265万円
6位 浅田次郎 6758万円
7位 五木寛之 6468万円
8位 天童荒太 6465万円
9位 真保裕一 4153万円
10位 北方謙三 3956万円
11位 菊地秀行 3886万円
12位 夢枕獏 3591万円
13位 江國香織 3412万円
14位 阿川佐和子 3227万円
15位 落合信彦 3188万円
16位 津本陽 3176万円
17位 星野富弘 3108万円
18位 森村誠一 2887万円
19位 東野圭吾 2878万円
20位 林真理子 2746万円
21位以下で公示された作家
山口洋子 2624万円
森博嗣 2392万円
大沢在昌 2223万円
渡辺淳一 1932万円
柳美里 1891万円
宮尾登美子 1724万円
曽野綾子 1714万円
花村萬月 1332万円
平岩弓枝 1116万円
1位 西村京太郎 1億5946万円
2位 宮部みゆき 1億4566万円
3位 赤川次郎 8648万円
4位 内田康夫 7743万円
5位 浅田次郎 6633万円
6位 夢枕獏 5960万円
7位 江國香織 4331万円
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