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【モンスター企業】キーエンスと創業者・滝崎武光氏のまとめ

社員の平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス①

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はる坊です。

今回は、フォーブス誌の2021年日本人長者番付で、2020年に引き続き第3位にランクインしているキーエンス創業者で同社名誉会長・滝崎武光氏に迫っていきたいと思います。

キーエンス創業者で同社名誉会長・滝崎武光氏の総資産3兆1,700億円!

米フォーブス誌によると、滝崎氏の資産は滝崎武光氏個人、そして、妻の滝崎美弥子氏が代表取締役を務める滝崎氏の資産管理会社・株式会社ティ・ティが保有するキーエンス株の合計で、3兆1,700億円に上ります。

2017年では1兆3880億円でしたから、6年間で約2.3倍も資産を増やしたことになります。

ちなみに、日本人長者番付のトップ3は、

ユニクロを率いるファーストリテイリングの柳井正 代表取締役会長兼社長

本記事でご紹介するキーエンスの滝崎武光 取締役名誉会長

ソフトバンクグループの孫正義 代表取締役会長兼社長。

の順です。

上位には滝崎氏とともに、サントリーホールディングスの佐治信忠会長やユニチャームの高原豪久会長など、日本人の日常生活に欠かせないモノを手掛ける企業のトップが名を連ねています。

米フォーブス誌日本版で発表された2015年からの滝崎氏の資産推移を見てみましょう

2015年 第5位 資産額:1兆0472億円

2016年 第4位 資産額:  9379億円

2017年 第4位 資産額:1兆3880億円

2018年 第4位 資産額:1兆8430億円

2019年 第3位 資産額:2兆0670億円

2020年 第3位 資産額:2兆1190億円

2021年 第3位 資産額:2兆8420億円

2022年 第2位 資産額:2兆9,700億円

2023年 第2位 資産額:3兆1,700億円

すっかり、ファーストリテイリングの柳井正氏、ソフトバンクグループの孫正義氏、サントリーホールディングスの佐治信忠氏と並んで、日本人トップの資産を保有する人物として定着している感があります。

滝崎氏が、ここに挙げた3名の方と違うのは、滝崎武光氏は資産家・実業家の子息として生を受けたわけではなく、サラリーマン家庭に生まれ育ち、学歴も高卒であること。

約6年間のサラリーマン生活を経て共同経営の会社を設立するも、短期間で倒産させ、再度のチャレンジでも上手くいかず、20代後半までに結局2度の会社倒産を経験している人物であること。

3度目に正直となったキーエンスも、最初はリード電機という滝崎氏ただひとりの個人事業に過ぎない時点からスタートしているところでしょう。

まさに立志伝中の人物といえます。

この記事を読み進めていただくとお分かりいただけると思うのですが、滝崎氏ご本人は、この2兆円を超える資産のことは、必要以上に誇っているようには思えません。

もし、滝崎氏に現在の資産額について尋ねたら、

「資産といっても、私個人や家族、資産管理会社で保有している株式が大半です。

株価は必ずしも、会社の業績に比例して上下するものではなく不確かなもの。

ですから、あてにはなりません。

私は株や不動産売買で利益を出そうとする〝財テク〟はしてはいけないという考えです。

それよりも高付加価値の仕事をすること、会社の営業利益のほうが大切ですよ。

私は売上高には目を向けません。

いくら売上があっても低い利益率では、従業員を含めて企業に関わる人々がメリットを享受できませんから、意味がありません。

現在、キーエンスの営業利益率は売上高の54%強です。

この数字は社員ひとりひとりが、付加価値の高い良い仕事をしてくれていることの証だと思います。

私はそちらを誇りたいです」

きっと、そんな答えが返ってくるような気がします。

それでは、キーエンスと滝崎武光氏の足跡を追っていきましょう。

株式会社 キーエンスとは?

〝人件費は経費にあらず〟従業員の最高平均年収は何と2,279万3,975円。ボーナスは年4回

キーエンスは、創業者・滝崎武光氏が1972年3月に兵庫県伊丹市において、個人事業・リード電機として創業。

1974年5月に兵庫県尼崎市に移転するとともに法人化され、リード電機株式会社となります。

その後、FA(ファクトリーオートメーション)用センサーや計測器の開発・販売を手掛けて業績を伸ばし、1986年10月に商品ブランド名のキーエンス(KEYENCE)と商号の統一を図るために株式会社キーエンスに社名を変更。

ちなみにキーエンス(KEYENCE)とは、Key of Science-キー・オブ・サイエンス(科学の鍵)の略語です。

翌1987年10月には大阪証券取引所第2部に株式を上場。
株式上場準備に3年も4年もかかり、上場審査基準も厳しかった当時としては、かなりのスピードといえる会社設立から僅か13年で上場企業の仲間入りを果たします。

2年後の1989年12月には東京証券取引所2部にも重複上場。
1991年9月には、ついに東京証券取引所1部上場を果たします。

上場時から高収益企業・高株価企業として有名でしたが、

まれに見る高収益体質を維持したまま、現在まで成長を続け、

2023年3月期の連結決算では、

売上高:9,224億2,200万円 売上総利益:7,547億3,200万円 営業利益4,989億1,400万円を記録

粗利率は驚異の81.9% 営業利益率は何と54.1%です。

2024年3月期の連結決算数字がどうなるか、これから注視していきたいと思います。

キーエンスは、従業員の年収が高い企業としても有名ですが、〝人件費は経費にあらず〟というキーエンス独自の思考から、2023年6月に提出された有価証券報告書では従業員:2,788名(平均年齢35.8歳)の平均年収は2,279万3,975円となっています。

前述したように、ボーナスは(3月・6月・9月・12月)の年4回です。

2022年6月に提出された有価証券報告書では、従業員:2,599名(平均年齢36.1歳)の平均年収は2,182万7,204円となっていましたので、業績好調を受けて、従業員の平均年収もアップしています。

また、従業員の人数も単純計算で189名増加しています。
退職者もいるので、仔細は不明ですが、新卒・中途採用とも継続してかなりの人数を採っていることがわかります。

キーエンスの本社は東京ではなく大阪。JR新大阪駅の近く

キーエンスは、国内・海外(北米・欧州・南アフリカ・中国・アジア・中東・オセアニア)に営業拠点を張り巡らせていますが、本社・研究所は、大阪府大阪市東中島(JR新大阪駅の近くです)に構えています。

この社屋が建てられたのは1994年とかなり年月が経ってしまっているのですが、高さ111メートル・21階建てのビルは非常にスタイリッシュで、数々の賞にも輝き、現在でも古くささを感じさせません。

創業者の滝崎氏は2000年12月に、当時43歳だった生え抜きの佐々木道夫氏(明治大学政治経済学部卒業)に社長職を譲り、55歳で代表取締役会長に就任。
自身が会長に退いた理由を、

「創業当時から自分がいなくても、会社が回るようにずっと考えてきました。会長に退いたのも、私が半年1年いなくてもこの会社は回るなと思ったからです」”と語っています。
(引用元:2003年10月27日号 日経ビジネス 特集 利益率40% 驚異の経営 キーエンスの秘密 編集長インタビュー 滝崎武光氏[キーエンス会長] 会社に思い出は不要)より。

2012年12月からは、佐々木道夫氏は取締役特別顧問となり、当時45歳だった山本晃則氏(立命館大学理工学部卒業)が代表取締役社長が就任。

滝崎氏は引き続き会長職に就かれていましたが、2017年12月からは取締役名誉会長を務めておられます。

2019年12月には、山本晃則氏は取締役特別顧問となり、1974年生まれの中田有氏(関西学院大学法学部卒業)が代表取締役社長に就任しています。

そして、

キーエンス社長の年収・役員報酬は意外に低い

モンスター企業のキーエンスですが、意外に経営トップの年収はそこまで高くありません。

従業員の最高平均年収は約2,279万円ですが、

創業者の滝崎氏から数えて、4代目代表取締役社長を務められている中田有氏の年間役員報酬は2023年3月期の有価証券報告書によると、1億8,800万円

前社長で、現在は取締役 特別顧問を務められている山本晃則氏の年間役員報酬も1億1,300万円です。

社外取締役をのぞく、他の常勤取締役に1億円プレーヤーはいません。

これには理由があり、創業者の滝崎武光氏が社長在任時代に、自身の報酬を低めに設定していた伝統が残っているからです。

滝崎氏自身“「サラリーマン社長と同等にしている」”とインタビューで発言しており、役員だからといって、億単位の役員報酬をもらっていなかったのです。

現在、SHIFTの取締役副社長を務められている、キーエンス2代目社長・佐々木道夫氏の後継者として、

3代目社長を務められた山本晃則社長も、

年間役員報酬は、2018年3月期の有価証券報告書で1億3800万円。2019年3月期が1億5600万円でした。

そして、2019年に社長職を中田有氏にバトンタッチされ、取締役特別顧問となられた2020年3月期の有価証券報告書では1億5000万円。

2018年6月には、給付型奨学金を提供するキーエンス財団を設立

また、滝崎氏は2018年6月に、まだまだ日本では浸透していない大学進学者向けの給付型奨学金を提供する一般財団法人キーエンス財団を設立され、代表理事も務められています。

2019年4月大学新入学生を対象とするものですが、募集人数は125名程度で月額8万円を在学中の4年間支給する
(4年間の合計支給金額は384万円になります)

という返済の必要がない奨学金ではかなり規模の大きなものです。

現在の日本では経済的な理由で奨学金を利用して大学や専門学校に進学される方が多くなっていることは事実です。
ただ、その奨学金の大半は貸与型であり、卒業後に社会に出てから返済の必要があります。

若くして高収入が得られる職に就き、奨学金の返済を滞ることなく支払える方もおられるでしょうが、不安定な立場や低収入から返済をすることができず延滞金が上乗せされ、最悪の場合、自己破産に追い込まれ、人生に大きな狂いが生じている方も多く存在していることも事実です。

そんななかで、前途のある学生に返済不要の給付金を提供する財団を立ち上げられたのは素晴らしいことだと思います。

実は、滝崎氏が奨学金に目を向けたのは今回が初めてではありません。
1990年にアジアから学びに来る理工系の留学生の為に、私財3億円で奨学基金を設立していました。

さて、キーエンス財団の事務局も大阪府大阪市東中島キーエンス本社ビル内にあります。

これは公私の区別を厳しくしている滝崎氏らしいと思うのですが、普通、成功を収めた事業家などが奨学財団や文化・スポーツ振興財団を設立した際には、自分の苗字を財団名の頭に付けていたり、理事や評議員に親族が名を連ねているケースがほとんどです。

また、自らの人脈をアピールする目的もあるのか、財界や学界、専門分野のなかでも著名な人物や肩書きが立派な人物の名前が並んでいることもあるのですが、キーエンス財団の場合はそういったものがないように感じられます。

理事や評議員のなかに、滝崎氏の親族は誰ひとり名前がありません。

奨学金を給付する有能な学生を選考する為には、どのような人物を置けば一番効果的で合理的かという滝崎氏の哲学が、この財団にも表れているような気がしてなりません。

ミステリアスな滝崎武光氏の詳細なプロフィールをご紹介

さて、日本人長者番付2位の大資産家である滝崎武光氏ですが、その人物像はほとんど知られていません。
第一に滝崎氏自身がメディアに露出しないからです。

よって、ウェブ上では〝前半生が謎〟であるとか、〝来歴や家族関係は一切不詳〟と書かれているページすら見受けられます。
また、〝韓国〟というキーワードが検索されていますが、韓国に縁のある人物であるとは確認できません。

さて、滝崎氏自身、社長職を退いて、会長となって以降はたった一度しかマスコミのインタビューに応じていません。

名誉会長に就任して、後進に会社を託すような形となった現在では、メディア露出の可能性は更に低くなったと思います。

東証1部上場企業の創業者ですが、財界活動にも全く興味を示さない人物ですので、世界に通じる日本有数の大富豪として一部の人だけに名前を知られた状態で、このままミステリアスなイメージを保っていくのではないでしょうか。

それでも、まだ1980年代、1990年代には、多少ではありますがマスコミの取材やインタビューに応じていました。そこで語られたエピソードを中心に、滝崎武光氏に迫ってみたいと思います。

滝崎武光氏は1945年兵庫県出身の78歳です

滝崎武光氏は1945年(昭和20年)6月10日兵庫県芦屋市で出生しています。

現在は大阪府豊中市に在住です。

芦屋市といえば、関西で一番富裕層が集い邸宅を構えているようなセレブなイメージがありますが、滝崎氏の父親はお金持ちでも経営者でもなく一介のサラリーマンでした。
しかし、真面目で働くことを美徳とする人物だったようで、モノ作り一筋の滝崎氏の人生にも大きな影響を与えている気がします。

その父親がメーカー勤務だったのかはあきらかにされていませんが、幼い頃、父親とともに住友金属工業(現在の新日鐵住金)和歌山製鉄所へ行ったときの思い出が滝崎氏には強く残っているようです。

当時、この製鉄所の中には、そこで働く人々を運ぶバスが運行されていました。

滝崎氏はこのときを振り返って、

“「理屈っぽい性格なので、これほど巨大な工場が何のためにあるのかを考え、自分の生活にも寄与しているんだと気が付いた」”

と語っています。

また、父親は機械の見本市にも武光少年を連れていったりもしています。

武光少年は小学校の卒業アルバムに『今度会うときにはテープレコーダーを作っているだろう』と寄せ書きしていたそうで、中学校時代には、友達から10円を集めて薬局でマグネシウムなどを購入して、実験をしていました。

モノづくりや電気いじり、科学実験好きの少年時代を過ごしたようです。

尼崎工業高校電子科時代、一流の事業家を志す

滝崎氏が中学校卒業後に進学したのは、兵庫県立尼崎工業高等学校電気通信科(在学中に電子科に名称変更)でした。

(尼崎工業高校の後輩にはダウンタウンの松本人志氏(機械科卒業)がおられますが、島田紳助氏と共演していたトーク番組『松本紳助』内で「賢いクラスがありましたねえ。電子科は賢かった」と発言していましたので、いくつかに分かれている科のなかでも、滝崎氏はレベルの高いクラスに在籍していたと思われます)

高校在学中、滝崎氏は自治会や生徒会の役員になります。

このとき、滝崎氏は先頭に立って市内5校で連合会を作っています。

ご本人は

“「(自身が通っていたのが女子生徒のいない工業高校だったので)女学生のいる学校に遊びに行きたかっただけかもしれません」”

と多少冗談めかしてはいますが、高校生にしてリーダーシップを取ることのできる人物だったことがわかります。

また、この経験からでしょうか

「人を組織することに興味を覚えた」

とのちに語っています。

時代はちょうど大学紛争の頃、自治会の役員をしていた滝崎氏は京都大学などで学生運動をしている人々と出会うことになります。

滝崎氏が、学生運動をしている年上の人々と知り合ったなかで、気が付いたのは、

思想というものは文学や芸術と同じで好き嫌いの世界

で、そういった客観的に測れないものは自分自身の性格上、相容れないものだということ。

そして、

経済というのは数字の世界だから客観性があり、企業の善し悪しも数字で対比すれば分かるもの

だということでした。

そして、滝崎氏は志を立てます。

自分は主観だけで判断するものには向いていない。

それなら、一流の事業家になろう。

それも、デザインや個人の趣味、趣向に左右される消費財ではなく、ユーザーの生産性を上げることに狙いを絞り込み、機能や性能に対して価格が安いか高いかで評価される生産財がいい

1964年(昭和39年)3月滝崎氏は、兵庫県立尼崎工業高校電子科を卒業すると、実社会に足を踏み入れます。

実社会に足を踏み入れた滝崎氏は、エンジニアとなり24歳で独立を果たしますが・・・

最後まで読んでくださってありがとうございました。
よろしければ、その②もお読みいただけるとありがたいです。

その②に続きます⇒社員の平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス②(新しいタブが開きます)

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元キーエンス従業員の方が書かれた本で、最もオススメしたいのがこちらです。


次にオススメしたい、充分に一読の価値があるのがこちらです。


【2018年11月に出版】キーエンスでの経験を生かしたサイト運営について普遍的で重要な事柄が凝縮された一冊

キーエンスの社内ベンチャー・イプロスでウェブサイト作成・運営に携われた方の本です。

「心に触れるホームページをつくる」


筆者の秋山典丈さんは、キーエンスの社内ベンチャー・イプロスで『製造業向けマッチングサイト』を企画された方です。

東京工業大学大学院理工学研究科情報工学専攻修士課程修了後、1995年にキーエンスに入社。

2000年にキーエンスの社内ベンチャーとしてスタートしたイプロス(株式会社 イプロスとして法人設立は2001年)の立ち上げに参画され、「徹底的に受け手の身になってサイトを作る」ことに向き合われた経験を生かして書かれた本です。

秋山さんは2003年に独立され、現在はシステム開発とサイトコンサルティング・商品企画コンサルティングに携わる株式会社 レクタスの代表取締役を務められています。

この本では、個人でも法人でも、また初心者から上級者までサイト作成・運営にとって重要なことが満載されています。

私も折に触れて読み返しています。

サイト作成に関する本は多く出版されていますが、ここまで普遍的で重要な事柄が凝縮されている本はめったにありません。

キーエンスに興味のない方でも、ご自分のブログやサイト、そしてSNSで見る人の心をガッチリ掴みたいと少しでも思われている方なら、ぜひお読みになってください。

一橋大学イノベーション研究センターとキーエンスに長年在籍した方による共著です。
キーエンスの内部を知るには最もわかりやすいと思います。


ただ、『キーエンス~驚異的な業績を生み続ける経営哲学』というタイトルですが、『経営哲学』はどこにも書かれていません。

『経営哲学』を『経営目標』『経営手法』と読み替えるのが正しいと思います。

Kindle版しかありませんが、こちらもオススメできます。

また、もう一冊だけ、現在紙の書籍で入手することは困難ですが、機会があればぜひ読んでいただきたい本があります。

キーエンスに1986年に新卒で入社され、アンリツを経て、現在は立石シゲオ中小企業診断士事務所代表として活躍されている、経営コンサルタント・立石茂生氏が2014年に書かれた書籍です。


キーエンスで得られたノウハウを含めて、高収益企業を実現する経営指南書で示唆に富んだ良書中の良書なのですが、残念ながら古書でも手に入れるのは難しい状態です。


立石氏のホームページによると、2016年9月の時点では30,000円で古書がネット上で販売されていたようです。
これには、著者の立石氏も戸惑われたようですが、この本にそれだけの価値があると認められていることも、また事実でないかと私は思っております。

そのような状況が長く続きましたが、2020年8月にアマゾンKindleにて第2刷として出版されました。

Kindle Unlimited 会員の方は、このタイトルを追加料金なし(¥0円)でお読みになれます。

ご一読をおすすめいたします。

他にも元キーエンスの方が書かれた本があります。
参考にはなりますが、あえてこの場でおすすめするのは、控えさせていただきます。

長者番付

長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1996年分~2004年分)

はる坊です。

個人情報保護の為、2005年(平成17年)以降は、発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年(平成16)分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1996年(平成8年)から2004年(平成16年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。
毎年のベスト20までを列挙しています。
ソースは、当時の新聞報道・各年の『全国高額納税者名簿』(東京商工リサーチ刊)によるものです。

1996年分~1998年分の所得税率について

課税所得330万円以下・・・10%

課税所得330万円超~900万円以下・・・20%

課税所得900万円超~1800万円以下・・・30%

課税所得1800万円超~3000万円・・・40%

課税所得3000万円超・・・50%

参考までに、1996年分~1998年分の住民税の税率です。

課税所得200万円以下・・・5%

課税所得200万円超~700万円以下・・・10%

課税所得700万円超・・・15%

それでは、長者番付・作家部門(1996年分~2004年分)です

1996年(平成8年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  内田康夫 1億4657万円

2位  西村京太郎 1億3351万円

3位  森村誠一 8222万円

4位  神坂一 8010万円

5位  津本陽 7450万円

6位  渡辺淳一 7327万円

7位  田中芳樹 6568万円

8位  椎名誠 6199万円

9位  石原慎太郎 6096万円

10位  斎藤栄 5933万円

11位  宮部みゆき 5291万円

12位  菊地秀行 5017万円

13位  五木寛之 4960万円

14位  群ようこ 4112万円

15位  童門冬二 3976万円

16位  宮本輝 3973万円

17位  荒巻義雄 3860万円

18位  赤川次郎 3805万円

19位  平岩弓枝 3795万円

20位  宮城谷昌光 3696万円

※赤川次郎首位陥落の理由
13年連続で長者番付・作家部門の1位を守り続けた赤川次郎氏が一気に18位まで順位を下げたのは、バブル期に購入した自宅兼仕事場の売却損で、作家活動による印税・原稿料・著作権収入と売却損が相殺された為。
収入は例年と同様の額があったとのこと。

※司馬遼太郎の遺産評価額
1997年2月、1996年2月に逝去した司馬遼太郎氏の遺産評価額が管内税務署にて公示されました。
遺産額は約26億4000万円。
約20億1000万円が銀行等金融機関への預貯金。
約3億9000万円が著作権。
約2億4000万円が自宅の土地建物でした。

1997年(平成9年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 2億7760万円

2位  渡辺淳一 2億2675万円

3位  西村京太郎 2億1257万円

4位  内田康夫 2億0827万円

5位  村上春樹 9244万円

6位  浅田次郎 9187万円

7位  森村誠一 8611万円

8位  林真理子 6980万円

9位  宮部みゆき 6942万円

10位  津本陽 6752万円

11位  神坂一 6336万円

12位  菊地秀行 5817万円

13位  群ようこ 5298万円

14位  斎藤栄 5147万円

15位  星野富弘 5103万円

16位  田中芳樹 4981万円

17位  平岩弓枝 4632万円

18位  髙村薫 4439万円

19位  椎名誠 4293万円

20位  大沢在昌 4247万円

落合信彦 3311万円

1998年(平成10年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 2億5196万円

2位  赤川次郎 1億9087万円

3位  鈴木光司 1億4207万円

4位  宮部みゆき 1億1679万円

5位  内田康夫 1億0594万円

6位  浅田次郎 1億0474万円

7位  五木寛之 7780万円

8位  森村誠一 7128万円

9位  宮城谷昌光 6738万円

10位  神坂一 5612万円

11位  菊地秀行 5495万円

12位  群ようこ 5357万円

13位  渡辺淳一 4998万円

14位  星野富弘 4962万円

15位  椎名誠 4927万円

16位  落合信彦 4687万円

17位  馳星周 4412万円

18位  斎藤栄 4399万円

19位  田中芳樹 4385万円

20位  筒井康隆 4220万円

北方謙三 3905万円

河合隼雄 3563万円

林真理子 3211万円

平岩弓枝 1974万円

1999年分以降は、所得税率が過去最低にダウン

1998年(平成10年)分までは、最高税率が所得税50%+住民税15%でしたが、
所得税率は最高で37%までダウンしました。

そのせいか、下記に挙げる作家の納税額も前年までに比べて減少していますが、2000年に入ると出版不況が深刻化して、作家の収入自体が減少していく様子が分かります。

1990年代初頭では、年収1億円あったとしてもランキングのベスト20に入れるかどうかでしたが、2000年分以降では、ベストテンに入れる年収になっています。

それほど、本が売れずに印税収入が細ってきている模様もうかがえます。

2006年分まで使用された所得税率表は下記のとおりです。
課税所得330万円以下・・・・・・・・・・・10%
課税所得330万円超~900万円・・・・20%
課税所得900万円超~1800万円・・・30%
課税所得1800万円超・・・・・・・・・・・・・37%

参考までに、2006年分まで使用された住民税税率表は下記のとおりです。
課税所得200万円以下・・・5%
課税所得200万円超~700万円以下・・・10%
課税所得700万円超・・・13%

1998年分までに比べると最高税率が大幅に下がりました。

1998年分まで、所得税50%+住民税15%=最高税率65%
1999年分から、所得税37%+住民税10%=最高税率47%

1999年(平成11年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 1億6519万円

2位  内田康夫 1億3929万円

3位  宮部みゆき 1億1492万円

4位  鈴木光司  7656万円

5位  浅田次郎  7315万円

6位  五木寛之  6320万円

7位  森村誠一  6199万円

8位  桐生操(堤幸子) 5640万円

9位  桐生操(上田加代子) 5610万円

10位  星野富弘 5246万円

11位  村上春樹 4664万円

12位  津本陽 4329万円

13位  赤瀬川源平 4015万円

14位  山崎豊子 3940万円

15位  東野圭吾 3803万円

16位  菊地秀行 3777万円

17位  天童荒太 3718万円

18位  桐野夏生 3355万円

19位  京極夏彦 3300万円

20位  神坂一 3282万円

21位以下で公示された作家

林真理子 2719万円

平岩弓枝 2174万円

馳星周 1412万円

2000年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 1億5603万円

2位  赤川次郎 1億1108万円

3位  宮部みゆき 7873万円

4位  山崎豊子 7559万円

5位  内田康夫 7265万円

6位  浅田次郎 6758万円

7位  五木寛之 6468万円

8位  天童荒太 6465万円

9位  真保裕一 4153万円

10位  北方謙三 3956万円

11位  菊地秀行 3886万円

12位  夢枕獏 3591万円

13位  江國香織 3412万円

14位  阿川佐和子 3227万円

15位  落合信彦 3188万円

16位  津本陽 3176万円

17位  星野富弘 3108万円

18位  森村誠一 2887万円

19位  東野圭吾 2878万円

20位  林真理子 2746万円

21位以下で公示された作家

山口洋子 2624万円

森博嗣 2392万円

大沢在昌 2223万円

渡辺淳一 1932万円

柳美里 1891万円

宮尾登美子 1724万円

曽野綾子 1714万円

花村萬月 1332万円

平岩弓枝 1116万円

2001年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 1億5946万円

2位  宮部みゆき 1億4566万円

3位  赤川次郎  8648万円

4位  内田康夫  7743万円

5位  浅田次郎  6633万円

6位  夢枕獏   5960万円

7位  江國香織   4331万円

8位  

長者番付

長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1989年分~1995年分)

はる坊です。

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1989年(平成元年)から1995年(平成7年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。
毎年のベスト20までを列挙しています。

この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。

1989年(平成元年)分所得税納税額

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1989年(平成元年)から1995年(平成7年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。
毎年のベスト20までを列挙しています。

この時代、新刊の小説本が売れた最後の時期にあたっており、作家には印税収入を主として、まだ大きな収入がありました。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。

長者番付・作家部門(1989年分~1995年分)です

1989年(平成元年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 4億6173万円

2位  西村京太郎 2億6262万円

3位  吉本ばなな 2億3699万円

4位  村上春樹 1億5111万円

5位  司馬遼太郎 1億4012万円

6位  池波正太郎 1億0920万円

7位  西村寿行 9508万円

8位  菊地秀行 8208万円

9位  渡辺淳一 7829万円

10位  藤島泰輔 7197万円

11位  藤川桂介 7190万円

12位  笹沢左保 6656万円

13位  遠藤周作 6637万円

14位  山村美紗 6485万円

15位  斎藤栄 6011万円

16位  内田康夫 5759万円

17位  森村誠一 5718万円

18位  椎名誠 5671万円

19位  胡桃沢耕史 5526万円

20位  田中芳樹 5103万円

※10位にランクインしている藤島泰輔は、作家・評論家として活動。学習院時代の学友だった明仁天皇(上皇明仁)をモデルにした『孤獨の人』で衝撃的なデビューを果たす。
〝在日フランス人〟ポール・ポネ名義での著作もある。
また、ジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川の妹、藤島メリー泰子とのあいだに藤島ジュリー景子を儲けている。
馬主としても有名でランニングフリーなど名馬を所有していた。
収入には、本業の作家活動の他、ジャニーズ事務所からの役員報酬。馬主としての収入が大きかったといわれている。

1990年(平成2年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億7980万円

2位  西村京太郎 2億4497万円

3位  司馬遼太郎 1億1140万円

4位  松本清張 8736万円

5位  菊地秀行 8622万円

6位  西村寿行 8185万円

7位  田中芳樹 7944万円

8位  内田康夫 7927万円

9位  渡辺淳一 7572万円

10位  斎藤栄 7266万円

11位  門田泰明 6705万円

12位  笹沢左保 6618万円

13位  山村美紗 6578万円

14位  遠藤周作 6239万円

15位  椎名誠 6127万円

16位  落合信彦 5929万円

17位  森村誠一 5801万円

18位  藤島泰輔 5760万円

19位  村上春樹 5890万円

20位  田辺聖子 5404万円

※20位圏外で登場した作家

北方謙三 3716万円

森瑤子  3095万円

大藪春彦 2890万円

柳田邦男 2081万円 

草柳大蔵 1709万円

1991年(平成3年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億5512万円

2位  西村京太郎 2億5489万円

3位  内田康夫 1億7140万円

4位  司馬遼太郎 9101万円

5位  椎名誠 8577万円

6位  山村美紗 8404万円

7位  菊地秀行 8325万円

8位  遠藤周作 8171万円

9位  落合信彦 7378万円

10位  笹沢左保 7290万円

11位  渡辺淳一 6643万円

12位  田中芳樹 6508万円

13位  森村誠一 6414万円

14位  斎藤栄 6003万円

15位  山崎豊子 5315万円

16位  橋本治 5294万円

17位  門田泰明 5062万円

18位  陳舜臣 4933万円

19位  豊田行二 4794万円

20位  松本清張 4393万円

※20位圏外で登場した作家

西村寿行 3873万円

森瑤子  3737万円

大藪春彦 3692万円

北方謙三 3584万円

夢枕獏  2875万円

草柳大蔵 2078万円

柳田邦男 1602万円

1992年(平成4年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億5093万円

2位  西村京太郎 2億3698万円

3位  内田康夫 1億8649万円

4位  司馬遼太郎 1億1944万円

5位  菊地秀行 7890万円

6位  田中芳樹 7650万円

7位  渡辺淳一 7318万円

8位  山村美紗 7261万円

9位  豊田行二 7187万円

10位  辺見じゅん 7155万円

11位  森村誠一 6530万円

12位  斎藤栄 5902万円

13位  椎名誠 5728万円

14位 荒巻義雄 5486万円

15位  落合信彦 5244万円

16位  津本陽 5233万円

17位  門田泰明 4846万円

18位  笹沢左保 4822万円

19位  平岩弓枝 4720万円

20位  宮本輝 4673万円

※20位圏外では、

西村寿行が納税額4098万円

夢枕獏が納税額2000万円

佐木隆三が納税額1127万円で登場している。

『生涯収入9億6400万円 !『身分帳』が原作となる映画『すばらしき世界』が2月11日に西川美和監督・役所広司主演で公開。代表作『復讐するは我にあり』の直木賞作家・佐木隆三が公表した30年間の収支一覧表』はこちらから。(新しいタブが開きます)

1993年(平成5年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億2209万円

2位  西村京太郎 2億2168万円

3位  内田康夫 1億7412万円

4位  司馬遼太郎 9969万円

5位  山村美紗 8624万円

6位  津本陽 7765万円

7位  森村誠一 7689万円

8位  荒巻義雄 7680万円

9位  菊地秀行 6970万円

10位  斎藤栄 6650万円

11位  宮尾登美子 6384万円

12位  藤沢周平 6351万円

13位  椎名誠 6050万円

14位  童門冬二 5686万円

15位  渡辺淳一 5365万円

16位  志茂田景樹 5272万円

17位  豊田行二 5224万円

18位  遠藤周作 5029万円

19位  平岩弓枝 4979万円

20位  門田泰明 4777万円

1994年(平成6年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億2209万円

2位  西村京太郎 2億2500万円

3位  内田康夫 1億7700万円

4位  司馬遼太郎 1億0287万円

5位  森村誠一 8864万円

6位  斎藤栄 7957万円

7位  菊地秀行 7586万円

8位  荒巻義雄 6786万円

9位  椎名誠 6694万円

10位  津本陽 6449万円

11位  山村美紗 5991万円

12位  藤沢周平 5986万円

13位 

長者番付

長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1984年分~1988年分)

はる坊です。

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1984年(昭和59年)から1988年(昭和63)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。各年のベスト20までを列挙しています。

この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。

記事の一番下に、当時の所得税率・住民税率を記載しておりますので、ご興味のある方はご覧ください。

それでは長者番付・作家部門(1984年分~1988年分)です

1984年(昭和59年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 6億3836万円

2位  西村京太郎 1億8276万円

3位  司馬遼太郎 1億7432万円

4位  松本清張 1億7240万円

5位  西村寿行 1億5615万円

6位  渡辺淳一 1億0481万円

7位  笹沢左保 9941万円

8位  森村誠一 8300万円

9位  平岩弓枝 8157万円

10位  片岡義男 8064万円

11位  池波正太郎 7429万円

12位  栗本薫中島梓)7357万円

13位  田辺聖子 7104万円

14位  筒井康隆 6714万円

15位  斎藤栄 6251万円

16位  夏樹静子 5884万円

17位  遠藤周作 4774万円

18位  柳田邦男 4521万円

19位  大藪春彦 4316万円

20位  和久俊三 4251万円

1985年(昭和60年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 7億5709万円

2位  西村京太郎 2億4789万円

3位  池波正太郎 1億9872万円

4位  松本清張 1億4105万円

5位  西村寿行 1億3745万円

6位  司馬遼太郎 1億2567万円

7位  栗本薫中島梓) 9717万円

8位  渡辺淳一 9333万円

9位  森村誠一 8665万円

10位  笹沢左保 8061万円

11位  平岩弓枝 6712万円

12位  斎藤栄 6459万円

13位  田辺聖子 6059万円

14位  夢枕獏 5971万円

15位  遠藤周作 5560万円

16位  大藪春彦 5131万円

17位  和久俊三 5073万円

18位  高城肇 5007万円

19位  平井和正 4355万円

20位  胡桃沢耕史 4300万円

21位以下

菊地秀行 3981万円

1986年(昭和61年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 8億6100万円

2位  西村京太郎 2億9662万円

3位  司馬遼太郎 1億4368万円

4位  渡辺淳一 1億4036万円

5位  西村寿行 1億1809万円

6位  松本清張 1億0914万円

7位  遠藤周作 1億0621万円

8位  菊地秀行 1億0458万円

⇒菊地秀行の生誕から爆発的な人気を得る1980年代後半に至る軌跡をまとめた記事はこちらです。魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第1回~第4回』(新しいタブが開きます)

9位  栗本薫中島梓)1億0430万円

10位  池波正太郎 9919万円

11位  畑正憲 8904万円

12位  田辺聖子 7290万円

13位  笹沢左保 6774万円

14位  夢枕獏 6769万円

15位  胡桃沢耕史 6664万円

16位  斎藤栄 6452万円

17位  平岩弓枝 6064万円

18位  井上ひさし 6006万円

19位  山村美紗 5781万円

20位  森村誠一 5370万円

1987年(昭和62年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 6億4860万円

2位  西村京太郎 2億8468万円

3位  司馬遼太郎 1億4980万円

4位  西村寿行 1億3190万円

5位  池波正太郎 1億0257万円

6位  菊地秀行 9533万円

7位  田辺聖子 9531万円

8位  渡辺淳一 9331万円

9位  松本清張 8866万円

10位  栗本薫中島梓) 8437万円

11位  山村美紗 7536万円

12位  遠藤周作 7080万円

13位  胡桃沢耕史 6404万円

14位  椎名誠 6390万円

15位  安部譲二 6255万円

16位  笹沢左保 6157万円

17位  斎藤栄 6111万円

18位  森村誠一 6060万円

19位  新井素子 5576万円

20位  平岩弓枝 5482万円

1988年(昭和63年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 5億8233万円

2位  西村京太郎 2億8833万円

3位  村上春樹 2億5369万円

4位  池波正太郎 1億3898万円

5位  西村寿行 1億0072万円

6位  司馬遼太郎 9920万円

7位  菊地秀行 8673万円

8位  松本清張 7903万円

9位  山村美紗 7376万円

10位  斎藤栄 7018万円

11位  平岩弓枝 6957万円

12位  遠藤周作 6931万円

13位  田辺聖子 6711万円

14位  笹沢左保 6237万円

15位  藤川桂介 6235万円

16位  渡辺淳一 6079万円

17位  藤島泰輔 5918万円

18位  椎名誠 5913万円

19位  門田泰明 5871万円

20位  森村誠一 5598万円

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

何かございましたら、こちらまでお願いいたします。

はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます)

1989年から1995年分はこちらです。

1996年から2004年分はこちらです

1984年分~1986年分の所得税率について

なんと15分類に分かれていました

課税所得50万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5%

課税所得50万円超~120万円以下・・・・・・12%

課税所得120万円超~200万円以下・・・・・14%

課税所得200万円超~300万円以下・・・・・17%

課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21%

課税所得400万円超~600万円以下・・・・・25%

課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30%

課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35%

課税所得1000万円超~1200万円以下・・・40%

課税所得1200万円超~1500万円以下・・・45%

課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50%

課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55%

課税所得3000万円超~5000万円以下・・・60%

課税所得5000万円超~8000万円以下・・・65%

課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・70%

1987年分の所得税率について

まだ、12分類に分かれていました。

課税所得150万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5%

課税所得150万円超~200万円以下・・・・・12%

課税所得200万円超~300万円以下・・・・・16%

課税所得300万円超~500万円以下・・・・・20%

課税所得500万円超~600万円以下・・・・・25%

課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30%

課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35%

課税所得600万円超~1000万円以下・・・・40%

課税所得1000万円超~2000万円以下・・・45%

課税所得600万円超~1000万円以下・・・・50%

課税所得1000万円超~2000万円以下・・・55%

課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60%

1988年分の所得税率について

やっと6分類まで減りました。

課税所得300万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・10%

課税所得300万円超~600万円以下・・・・・20%

課税所得600万円超~1000万円以下・・・・30%

課税所得1000万円超~2000万円以下・・・40%

課税所得2000万円超~5000万円以下・・・50%

課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60%

参考までに、1984年分の住民税の税率です。

1980年分から使用されていました。
こちらもなんと、14分類に分かれていました。

課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・4%

課税所得30万円超~45万円以下・・・・・・・5%

課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・6%

課税所得70万円超~100万円以下・・・・・・7%

課税所得100万円超~130万円以下・・・・・8%

課税所得130万円超~150万円以下・・・・・9%

課税所得150万円超~230万円以下・・・・・11%

課税所得230万円超~370万円以下・・・・・12%

課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%

課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%

課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%

課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%

課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%

課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・18%

よって、1984年分の所得税と住民税の最高税率は驚異の88%でした。

1985年分~1987年分の住民税の税率です。

同じく14分類に分かれていました

課税所得20万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4.5%

課税所得20万円超~45万円以下・・・・・・・・5%

課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・・6%

課税所得70万円超~95万円以下・・・・・・・・7%

課税所得95万円超~120万円以下・・・・・・・8%

課税所得120万円超~150万円以下・・・・・・9%

課税所得150万円超~220万円以下・・・・・11%

課税所得220万円超~370万円以下・・・・・12%

課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%

課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%

課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%

課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%

課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%

課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%

1987年分の所得税と住民税の最高税率は、所得税の最高税率が10%下がったため78%でした。

1988年分の住民税の税率です。

所得税と同じく7分類に簡略化されました

課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5%

課税所得60万円超~130万円以下・・・・・・・7%

課税所得130万円超~260万円以下・・・・・10%

課税所得260万円超~460万円以下・・・・・12%

課税所得460万円超~950万円以下・・・・・14%

課税所得950万円超~1900万円以・・・・・・15%

課税所得1900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・16%

1988年分の所得税と住民税の最高税率は、住民税の最高税率が2%下がったため76%でした。

本当の最後まで読んでくださって、心より御礼申し上げます。



復刊ドットコム
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本好きの皆さんから寄せられた復刊リクエストを元に、2000年のサイトオープン以来、独自の復刊活動を20年にわたり続けて来られました。

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1970年代の話

長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1974年分~1983年分)

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1974年(昭和49年)から1983年(昭和58)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。

ちなみに、1982年分(昭和57年)までは納税額ではなく申告所得額が発表されていました。

1981年分(昭和56年)までは、ベスト10。1982年分(昭和57年)以降はベスト20までを列挙しています。

1983年度(昭和58年)からは、発表されるのが申告所得額から所得税納税額に変更されています。
この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。

ソースは、当時の新聞報道によるものです。

申告所得額とは?
簡単に説明をしますと、実収入ー経費=申告所得になります。
小説家の経費は実収入の30%が認められていたようです。
例)実収入・・・1億円
経費・・・3000万円
申告所得・・・7000万円

この申告所得に下の所得税率が掛かるのです。

当時の所得税率は恐ろしいものでした!

1974年分~1983年分の所得税率は、過去・現在に至るまで日本の所得税率の推移を見た上で、最も税率が厳しかった時代です。下の税率表をご覧になっていただくと、国税ではなく“酷税”と呼ばれていたことがご理解いただけるかと思います。

1974年分~1979年分は所得税+住民税=最高93%時代!

1974年分~1983年分の所得税率について

なんと19分類に分かれていました。

課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10%
課税所得60万円超~120万円以下・・・・・・12%
課税所得120万円超~180万円以下・・・・・14%
課税所得180万円超~240万円以下・・・・・16%
課税所得240万円超~300万円以下・・・・・18%
課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21%
課税所得400万円超~500万円以下・・・・・24%
課税所得500万円超~600万円以下・・・・・27%
課税所得600万円超~700万円以下・・・・・30%
課税所得700万円超~800万円以下・・・・・34%
課税所得800万円超~1000万円以下・・・・38%
課税所得1000万円超~1200万円以下・・・42%
課税所得1200万円超~1500万円以下・・・46%
課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50%
課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55%
課税所得3000万円超~4000万円以下・・・60%
課税所得4000万円超~6000万円以下・・・65%
課税所得6000万円超~8000万円以下・・・70%
課税所得8000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・75%

参考までに、1974年分~1979年分の住民税の税率です。

1973年分から使用されていましたが、細かく13分類に分かれていました。

課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%
課税所得30万円超~50万円以下・・・・・・・5%
課税所得50万円超~80万円以下・・・・・・・6%
課税所得80万円超~110万円以下・・・・・・7%
課税所得110万円超~150万円以下・・・・・8%
課税所得150万円超~250万円以下・・・・・9%
課税所得250万円超~400万円以下・・・・・11%
課税所得400万円超~600万円以下・・・・・12%
課税所得600万円超~1000万円以下・・・・13%
課税所得1000万円超~2000万円以下・・・14%
課税所得2000万円超~3000万円以下・・・15%
課税所得3000万円超~5000万円以下・・・16%
課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%

よって、1974年分~1983年分の所得税と住民税の最高税率は驚愕の93%でした。

参考までに、1980年分~1983年分の住民税の税率です。

1984年分まで使用されていました。さらに細かく14分類に分かれていました。
課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%
課税所得30万円超~45万円以下・・・・・・・5%
課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・6%
課税所得70万円超~100万円以下・・・・・・7%
課税所得100万円超~130万円以下・・・・・8%
課税所得130万円超~150万円以下・・・・・9%
課税所得150万円超~230万円以下・・・・・11%
課税所得230万円超~370万円以下・・・・・12%
課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%
課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%
課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%
課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%
課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%
課税所得4900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%

よって、1980年分~1983年分の所得税と住民税の最高税率は、驚異の88%でした。

長者番付・作家部門(1974年分~1983年分)です

1974年(昭和49年)分申告所得額

1位 松本清張   3億0959万円

2位 司馬遼太郎 2億1463万円

3位 五木寛之   2億1226万円

4位 遠藤周作   1億8637万円

5位 石川達三   1億0710万円

6位 山岡荘八   1億0283万円

7位 宇能鴻一郎    9712万円

8位 北杜夫      8803万円

9位 川上宗薫     8488万円

10位 花登筺      8023万円

1975年(昭和50年)分申告所得額

1位 松本清張 3億0027万円

2位 司馬遼太郎 2億3512万円

3位 五木寛之 2億2587万円

4位 石川達三 1億3422万円

5位 遠藤周作 1億3403万円

6位 横溝正史 1億1547万円

7位 有吉佐和子 1億1474万円

8位 山岡荘八 1億1259万円

9位 宇能鴻一郎 1億0656万円

10位 井上ひさし 9484万円

1976年(昭和51年)分申告所得額分

1位 松本清張   3億3461万円

2位 司馬遼太郎  3億3032万円

3位 横溝正史   3億3825万円

4位 五木寛之   1億4125万円

5位 森村誠一   1億1042万円

6位 城山三郎   1億0654万円

7位 宇能鴻一郎  1億0477万円

8位 石川達三   1億0237万円

9位 遠藤周作    9947万円

10位 高木彬光    8799万円

1977年(昭和52年)分申告所得額分

1位 森村誠一   6億2264万円

2位 横溝正史   4億0416万円

3位 松本清張   3億0545万円

4位 司馬遼太郎  2億1785万円

5位 新田次郎   1億7766万円

6位 五木寛之   1億5034万円

7位 城山三郎   1億2768万円

8位 梶原一騎   1億1504万円

9位 高木彬光   1億0564万円

10位 池波正太郎  1億0470万円

1978年(昭和53年)分申告所得額分

1位 森村誠一   4億3139万円

2位 松本清張   3億1856万円

3位 西村寿行   2億3487万円

4位 司馬遼太郎  1億8863万円

5位 五木寛之   1億7058万円

6位 横溝正史   1億6815万円

7位 新田次郎   1億5140万円

8位 有吉佐和子  1億4812万円

9位 池波正太郎  1億3878万円

10位 梶原一騎   1億3240万円

1979年(昭和54年)分申告所得額分

1位 西村寿行   2億6932万円

2位 大藪春彦   2億3452万円

3位 五木寛之   2億2013万円

4位 高木彬光   1億9313万円

5位 松本清張   1億7942万円

6位 司馬遼太郎  1億7085万円

7位 池波正太郎  1億5487万円

8位 横溝正史   1億5360万円

9位 花登筺   1億5085万円

10位 半村良   1億4451万円

1980年(昭和55年)分申告所得額

1位 司馬遼太郎  3億0102万円

2位 五木寛之   2億7570万円

3位 西村寿行   2億5017万円

4位 松本清張   2億4733万円

5位 大藪春彦   2億0029万円

6位 井上靖    1億6792万円

7位 森村誠一   1億4427万円

8位 遠藤周作   1億2251万円

9位 池波正太郎  1億1704万円

10位 小松左京   1億1435万円

1981年(昭和56年)分申告所得額

1位 司馬遼太郎  2億9193万円

2位 石坂洋次郎  2億1670万円

3位 西村寿行   1億8746万円

4位 松本清張   1億7853万円

5位 横溝正史   1億4582万円(発表時故人)

6位 五木寛之   1億4264万円

7位 森村誠一   1億4254万円

8位 勝目梓    1億4065万円

9位 笹沢左保   1億3832万円

10位 遠藤周作   1億2961万円

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1982年(昭和57年)分申告所得額

1位  松本清張   3億1489万円

2位  赤川次郎   2億7041万円

3位  西村寿行   2億5946万円

4位  司馬遼太郎  2億5731万円

5位  森村誠一   2億4362万円

6位  笹沢左保   1億7016万円

7位  渡辺淳一   1億4707万円

8位  大藪春彦   1億3650万円

9位  池波正太郎  1億1935万円

10位 井上ひさし  1億1861万円

11位 平岩弓枝   1億1492万円

12位 田辺聖子   1億0886万円

13位 西村京太郎  1億0720万円

14位 黒岩重吾   1億0158万円

15位 遠藤周作   1億0131万円

16位 筒井康隆    9823万円

17位 五木寛之    9800万円

18位 梅原猛     9545万円

19位 井上靖      9295万円

20位 平井和正     9003万円

1983年(昭和58年)分所得税納税額
1位  赤川次郎   4億0838万円

2位  松本清張   1億9201万円

3位  司馬遼太郎  1億5360万円

4位  西村寿行   1億2588万円

5位  西村京太郎  1億0969万円

6位  笹沢左保   1億0733万円

7位  渡辺淳一   1億0117万円

8位  平岩弓枝     9085万円

9位  池波正太郎    8353万円

10位  筒井康隆     8005万円

11位  森村誠一      7933万円

12位  田辺聖子     6815万円

13位  勝目梓      6167万円

14位  大藪春彦     6043万円

15位  平井和正     5800万円

16位  中島梓(栗本薫) 5155万円

17位  和久俊三     5149万円

18位  斎藤栄      5100万円

19位  三浦綾子     5085万円

20位  遠藤周作     5026万円

1984年から1988年分はこちらです。

1989年から1995年分はこちらです。

1970年代の話

長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1959年分~1973年分)

はる坊です。

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1959年(昭和34年)から1973年(昭和48)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。

ちなみに、1982年分(昭和57年)までは納税額ではなく申告所得額が発表されていました。

この時代、売れている小説家は凄まじい年収があり、名声と地位に包まれ、俳優やタレント、そして歌手よりも稼いでいる存在でした。

ソースは当時の新聞発表によるものです。

申告所得額とは何か?

簡単に説明をしますと、実収入ー経費=申告所得になります。

それでは、長者番付・作家部門(1959年分~1973年分)をごらんください。

1959年(昭和34年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 吉川英治   3948万円

2位 源氏鶏太   2951万円

3位 松本清張   2728万円

4位 川口松太郎  2694万円

5位 井上靖    2206万円

6位 舟橋聖一  2176万円

7位 柴田錬三郎  1692万円

8位 谷崎潤一郎  1662万円

9位 菊田一夫   1619万円

10位 山手樹一郎 1613万円

1960年(昭和35年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張   3842万円

2位 源氏鶏太   3738万円

3位 川口松太郎  2823万円

4位 吉川英治   2735万円

5位  舟橋聖一   2521万円

6位 菊田一夫   2455万円

7位 井上靖   2397万円

8位 富田常雄   1979万円

9位 柴田錬三郎  1967万円

10位 山手樹一郎  1926万円

1961年(昭和36年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位  松本清張   6150万円

2位  源氏鶏太   4150万円

3位 川口松太郎  2980万円

4位 丹羽文雄   2650万円

5位 吉川英治   2560万円

6位 山手樹一郎  2480万円

7位 井上靖   2360万円

8位 柴田錬三郎  2200万円

9位 舟橋聖一   2140万円

10位 菊田一夫   2050万円

1962年(昭和37年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張 6013万円

2位 山岡荘八 5837万円

3位 源氏鶏太 4620万円

4位 川口松太郎 2983万円

5位 柴田錬三郎 2913万円

6位 山手樹一郎 2882万円

7位 丹羽文雄 2866万円

8位 石原慎太郎 2432万円

9位 今東光 2232万円

10位 水上勉 2191万円

1963年(昭和38年)分 長者番付・作家部門 申告所得額は発表資料なし

1964年(昭和39年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 山岡荘八 7046万円

2位  松本清張 6654万円

3位 源氏鶏太 5552万円

4位 石坂洋次郎 4708万円

5位 山田風太郎 4453万円

6位 柴田錬三郎 4427万円

7位 川口松太郎 4338万円

※この年の公表はなぜか7位まででした。

1965年(昭和35年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 山岡荘八 9699万円

2位 源氏鶏太 5645万円

3位  松本清張 5298万円

4位 谷崎潤一郎 4551万円

5位 川口松太郎 4532万円

6位 柴田錬三郎 4238万円

7位 司馬遼太郎 4034万円

本当の年収はいくらだったのか? 柴田錬三郎の場合

申告所得が、実収入から経費を差し引いたものであると説明しました。
では、実収入はどれくらいだったのか?
1965年に柴田錬三郎がかなりあけすけに語っていますので、ご紹介します。

実収入  6000万円
経費   1800万円弱
申告所得 4238万円

申告所得から、どれだけ税金をとられるか・・・
所得税  2500万円
住民税  800万円
合計   3300万円

ダウンタウンの松本人志がTwitterで“高額納税者は高額所得者と知れ”とツイートして、様々な意見が出たことがありますが、高額所得者に課せられる税金は、この頃も酷なものだったようです。

1966年(昭和41年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張 7527万円

2位 源氏鶏太 5371万円

3位 石坂洋次郎 4920万円

4位 山岡荘八 4807万円

5位 柴田錬三郎 4760万円

6位 井上靖 4164万円

7位 黒岩重吾 3679万円

8位 石原慎太郎 3534万円

1967年(昭和42年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張 7353万円

2位 司馬遼太郎 5954万円

3位 源氏鶏太 5335万円

4位  石坂洋次郎 4822万円

5位 梶山季之 4081万円

6位 谷崎松子 4019万円谷崎潤一郎(夫人)

7位 柴田錬三郎 3964万円

8位 井上靖 3844万円

9位 黒岩重吾 3565万円

10位 山岡荘八 3408万円

11位 大久保康雄 3201万円

12位 北杜夫 3143万円

1968年(昭和43年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 司馬遼太郎 7593万円

2位 松本清張 6370万円

3位 佐賀潜 6043万円

4位 梶山季之 5182万円

5位 源氏鶏太 4545万円

6位 柴田錬三郎 4492万円

7位 石坂洋次郎 4461万円

8位 北杜夫 4093万円

9位 黒岩重吾 4092万円

10位 山岡荘八 3706万円

11位 川端康成 3189万円

1969年(昭和44年)分 長者番付・作家部門 申告所得

1位 梶山季之 7786万円

2位 松本清張 6514万円

3位 佐賀潜 6046万円

4位 司馬遼太郎 5538万円

5位 吉田健一 4630万円

6位 海音寺潮五郎 4305万円

7位 山岡荘八 4256万円

8位 川端康成  4136万円

9位 柴田錬三郎 4056万円

10位 源氏鶏太 4050万円

※漫画原作者・梶原一騎の申告所得額は2099万円

1970年(昭和45年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張  7825万円

2位 司馬遼太郎 7565万円

3位 山岡荘八 6949万円

4位 梶山季之 6897万円

5位 五木寛之 4979万円

6位 石原慎太郎 4958万円

7位 黒岩重吾 4662万円

8位 井上靖 4502万円

9位 曽野綾子 4491万円

※この年の発表は、なぜか上位9名まででした。

漫画原作者・梶原一騎の申告所得額は3761万円でした。

※『銭ゲバ』『アシュラ』などの衝撃作で、一躍スターダムにのしあがった漫画家・ジョージ秋山の年収が5000万円でした。

ちばてつやは、すでにちばプロダクションを設立していましたので、個人の所得は把握できませんが、1967年頃に、まだ『男一匹ガキ大将』を週刊少年ジャンプに連載する前、デビューまもない本宮ひろ志がちばてつやの家を訪れた際には、練馬区に仕事場を兼ねた豪邸を構え、当時庶民には到底手の届かなかった高級車・メルセデスベンツを所有していました。

また、石ノ森章太郎(石森章太郎)も同じ練馬区に、プール付きの豪邸を1960年代後半に新築しています。

1971年(昭和46年)分 長者番付・作家部門 申告所得額

1位 松本清張 1億4538万円

2位 司馬遼太郎 1億1862万円

3位 山岡荘八 8782万円

4位 五木寛之 6761万円

5位 川上宗薫 5920万円

6位 梶山季之 5864万円

7位 井上靖 5835万円

8位 柴田錬三郎</p

人物伝

現在はギャンブルをやめて、妻と仲良く認知症の星に!異色タレント・蛭子能収さん、実はクズではない?超有能伝説。

はる坊です。

そういえば、いつのまにか姿を見かけなくなったタレントが何かを機に復活することがあります。
2021年10月21日に74回目の誕生日を迎えられた蛭子能収さんもそのおひとりです。

2020年に放送されたテレビ番組で、専門のクリニックで診断した結果、レビー小体型認知症とアルツハイマー型認知症の合併症を発症していることが判明して、テレビ出演の機会は少なくなりましたが、インタビュー取材などマイペースで活動を続けられています。

また、2021年6月には、ご自身の現在の姿を飾ることなく語った『認知症になった蛭子さん~介護する家族の心が「楽」になる本』を出版されています。


そんな蛭子さんは、1980年代後半に、異色タレントとして登場。
1990年代に入ると、バラエティ番組を中心に活躍しCMにも登場。人気タレントとしてテレビで観る機会が多くなります。

しかし、1998年12月に賭けマージャンで逮捕され、数ヶ月間の謹慎を余儀なくされたことも機になったのか、その後、次第にテレビ観る機会が少なくなります。

しかし、2007年に太川陽介さんとのコンビでスタートした『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』を契機に、その自由すぎる言動が再注目され、人気が復活します。


今回は、そんな蛭子さんを違った角度から捉えてみたいと思います。

はたして蛭子能収はクズなのか? 有能エピソードをまとめてみました。

蛭子能収=クズ。
これはまとめサイトにも載っていますし、『水曜日のダウンタウン』で勝俣州和さんが「蛭子能収を超えるクズそうそういない説」を披露して、スタジオを納得させたこともあります。

(私としては、蛭子さんをダシにしている勝俣州和さんのほうがクズに思えますが)

蛭子さんは自分をネタにする人物がいると、真っ正直といいますか、平然と「ああ、私をネタにして食べている人ですね」と言ってしまう方なので、要注意人物ではあります。

NAVERまとめでは、蛭子さんがいかにクズかというエピソードを連ねているページが数十万以上のアクセスを集めていました。

しかし、蛭子さんはクズなのか?

今回は、蛭子さんを違う角度から検証してみます。

蛭子能収は勤勉な働き者。テレビに出る前でも年収は1000万円以上の漫画家だった。

蛭子さんの芸能界デビューのきっかけは、劇団東京乾電池のポスターを依頼されたことに始まります。

何度かポスターを手掛けるうちに、座長の柄本明さんから舞台に出てはどうか、と進められて舞台に立つことになりました。

そんな蛭子さんがテレビに出て、タレントとして人気を得るきっかけになったのは『笑っていいとも』出演でした。
素人枠で「怒って怒って大作戦・あなたも私もプンプンプン」というコーナーですが、これに約2ヶ月のうちに11回登場して、1回につき4万円のギャラを手にします。合計で44万円。

『笑っていいとも』出演には、東京乾電池の座員でもあった高田純次さんがレギュラー出演をされていた時期(1982年10月~1984年9月)があり、東京乾電池が芸能事務所を立ち上げていたことも関係していると考えられます。

ちなみに、本人が真面目に答えているところで、蛭子さんの1986年分の年収は1400万円です。

この収入の内訳はマンガとイラスト、それにエッセイで、テレビ出演分はほとんどありません。

1984年分、1985年分でも年収1000万円、同1200万円と語っています。

この2年間の収入は、テレビ出演はなく、純粋にマンガ・イラスト・エッセイの仕事で得たものです。

コアなファンが存在しているとはいえ、ヘタウマと呼ばれたジャンルのマンガやイラストがもて囃された時代だったとはいえ、メジャー誌では活躍していない(載せられない漫画を描いていた)マンガ家としては、この年収には驚かされます。

そして、「仕事は来た順に受けて、断らない」という蛭子さんの仕事に対する姿勢も、すでに語られています。

蛭子さんが再注目されて、新書や人生相談の刊行が一気に増えました。

このなかでは、一番ギャラが良い時代にCM1本で数千万もらっていたことも語っていますが、これは、タレントになってからも、ギャラで仕事を選ばず、オファーがあった順番に受けて、時たま、高額なギャラを受け取ることができるCMにありつけることがあったという話のなかでです。


蛭子さんは芸能界という特殊な世界でも、人気を得たからといって、仕事を選り好みしたり急に威張り出したりせず、ずっと地道に仕事をしてきた人物だとわたしは思います。

蛭子さんは元ダスキンのセールスマン。33歳で漫画家として独立してからの仕事に対する考え方がスゴイ!!

蛭子さんは33歳でセールスマンをしていたダスキン練馬を退職してから、マンガ家専業となりますが、

サラリーマン時代の収入を計算して、「一日2万円分の仕事をする」と決めて、日々、それに従った

と語っています。

2万円分とは、蛭子さんが勝手に決めた「このマンガやイラストならこれくらいの価値がある」ではなく、蛭子さんが受け取る現実的なギャラを差します。そして、「2万円に足りないときは、翌日までに埋め合わせた」と。

さらに、

仕事が順調に回り出すと、「一日5万円分の仕事をする」とハードルを上げた

というのです。
仕事を依頼されたら断らず、こなしていた結果、年収1000万円をクリアしています。
この姿勢を勤勉な働き者といわずしてなんというのでしょうか。

さらに1986年には、当時在住していた所沢市に3LDKのマンションを購入しています。
時代はバブルに差し掛かったところ。わずか1年半で2.5倍に値上がりしたことが、一番嬉しいことだと告白しています。

自宅は、このマンションを経て、同じく所沢市内の中古の一戸建てに変わり、テレビに出始めてから10年ちょっとで、現金1億円一括払いで、住み慣れた所沢に新築の一戸建てを建てています。

もっとも、この家を建ててからしばらく経った1998年12月に、蛭子さんは賭博容疑で逮捕され、このときには「人生、終わった」と観念したと語っています。
また、2001年には24歳のときに結婚して、若い頃から蛭子さんを支え続けた前妻・貴美子さんを51歳で亡くしています。

“新築の家を建てると、5年以内に良くないことが起こる”という根拠のない話があり、私は、美輪明宏氏がテレビでこの発言をしていたことで、この言葉を知ったのですが、残念ながら、蛭子さんの場合は、偶然かどうか、見事に当たってしまいました。

2007年、悠加さんとの再婚を機に、蛭子さんは都内へ移り、現在は都内世田谷区のタワーマンションに在住です。
再婚と同時に奥さんの連れ子である希和さんが新たに娘となります。

蛭子希和さんは、1989年東京都生まれ。小学校4年生の時に大阪へ引っ越しますが、ご両親の離婚を機に上京され、東海大学文学部広報学科へ進学・卒業。
在学中に蛭子さんが監督を務めた映画では女優として出演されました。
現在は、ご結婚なさってお子さん(蛭子さんにとってはお孫さん)にも恵まれています

高学歴より高収入。蛭子さんの学歴コンプレックス解消法

蛭子さんの最終学歴は長崎県立長崎商業高等学校商業科卒業です。

1947年10月21日生まれの蛭子さんが高校に進学したのは1963年4月。
この年、全国でみた高校進学率は64%。

おそらく、都市部はこの数字より高く、地方では中学を卒業したら働くのがあたりまえという考え方も根強く、そのなかで商業高校へ進学して卒業した蛭子さんは、当時としては恵まれた立場といえるかもしれません。

また、大阪で開かれていた万国博覧会を口実に、上京を果たすと看板屋で働きながら青山のシナリオセンターに通い、卒業証書(修了証書)を受け取っています。

グラフィックデザイナーを目指していた蛭子さんは、上京後、出版社や映画会社の入社試験を受けようとしますが、どこも大卒優遇で、高卒の蛭子さんにはそのチャンスさえありませんでした。

また、漫画家として活動をするようになり編集者との付き合いが始まると、編集者が軒並み大卒で高学歴なのが、蛭子さんを鬱屈させました。

初対面で「高卒ですか?」または「大卒ですか?」と訊ねる

のは、その証拠でしょう。

ちなみに、漫画家になることを諦めかけていた蛭子さんにチャンスをもたらした自動販売機で販売する漫画雑誌『Jam』の高杉弾さんや山崎春美さんは日本大学芸術学部文芸学科出身。漫画作品には東大卒の編集者をヒドい目に遭わせるものもあります。

まだ、サラリーマンで漫画家としても芽が出ていない頃は、“「家でも機嫌が悪くて」”と前妻の貴美子さんも共にテレビ出演を果たした際に語っています。

そんな蛭子さんですが、漫画家として独立して年収は1000万円台となり、その後、タレント活動で人気者になると年収は跳ね上がり1億円を稼ぐようになります。
学歴コンプレックスの根本は完全になくなったようではなさそうですが、以前よりは気にならなくなったと自著で語っています。

子どもには、個性に合った教育をキチンと与える父親でもあった

しかし、蛭子さんは息子の一郎さん。娘の史英さんには、しっかりと学歴や技術をつけさせています。

息子の蛭子一郎さんは中学時代に手に入れたパソコンで、独学でプログラミングを習得。現在は、株式会社ノイジークロークでサウンドデザイナーとして活躍中です。ご結婚もされており、お子さん、蛭子能収さんにとって孫にも恵まれています。

ちなみに、一郎さんは私立埼玉栄高校を卒業後、駿台電子情報専門学校(現・駿台電子情報&ビジネス専門学校)に進学しています。
大学には通われていません。

娘の蛭子史英さんは武蔵野美術大学卒業です。

最高年収1億円以上を稼いだ、息の長い異色タレント・蛭子能収

さて、蛭子さんの職業はなんでしょうか?
マンガ家・イラストレーターだと思いますが、その収入は月に数十万円です。
蛭子さんの収入の大半は、テレビ・ネット番組・イベントへの出演料が大半を占めるのではないでしょうか。

テレビ出演を機に、その特異なキャラクターが注目を受け、出演オファーが順調に増えたことで、次第に年収は高額となり、ビートたけし氏から「どーもどーもで1億円」と揶揄されるまでになりました。

1993年には所属事務所とは別に、個人で有限会社を設立していますが、これは節税対策の一環でしょう。

蛭子さんは、

“「金持ちに見られるのが嫌で貧乏人のフリをしている」”

と正直に発言しています。

2004年分までは長者番付(高額納税者)というものが発表されており、毎年、5月になるとワイドショー以外でも新聞にも掲載され、その後、週刊誌では、全国上位にランクインした人物を追う記事が載せられていました。ワイドショーや新聞で取り上げられるのは、芸能界ではベスト20まででしたが、スポーツ新聞は、全国の税務署を回って、氏名と納税額を拾い集めて、1000万円以上を納税した著名人を一覧にして発表していました。

実際、年収1億円以上を稼いだことは事実であると本人が認めています。

しかも、何年にも渡って稼ぎ続けた。
そうでなくては、現金一括払いで1億円の自宅は購入できません。

5ch(当時は2ch)の過去ログや当時のまとめを見ると、その残滓がありますが、蛭子さんは、個人事務所を設立して、所得を分散して、長者番付に載らない額を給与として月々受け取っていたと思います。

当時は、現在のように個人情報の保護についてやかましく言われておらず、この番付でも、税務署では氏名、納税額のほかに住所まで公表されていました。

蛭子さんはテレビに登場するようになってから、親しくもなかった昔の知人からも借金の依頼をされて、断り切れず貸してしまったところ踏み倒されたり、悪質なセールスに騙されてしまった過去があります。

当時、長者番付に乗った人間が一番嫌っていたこと、それは、あの手この手のしつこいセールスです。氏名も住所も公表されているのですから、格好の標的になってしまうのです。

マンション投資はどうですか。

有事に備えて金を買いませんか。

秘書はいかがですか。

その他もろもろのセールスレターだけで、毎日20㎝にもなると嘆いていた人物もいましたので、それを避けるためにも、蛭子さんは身を守る意味でも、こうしてきたと思えるのです。

また、住所が番地まで公示されているのですから、空き巣や強盗に狙われる確率も上がります。

「あの家は金を持っている」

そんな情報が、世間一般に知れ渡ることはマイナス面が大きいです。

蛭子さんは2000年に「バブルは終わった」というエッセイを発表しています。1998年12月に麻雀賭博で逮捕されてから、スケジュールに穴が空くようになり、同時に収入が減ったことを嘆きつつ、これまではバブルだったんだと語っているのです。

かつて、『ろみひー』というヒロミ氏の帯番組がありました。

ゲストの履歴書をもとに、その人生を振り返る番組で、生前の飯島愛氏がご意見番役で出演していた番組でもありました。1998年から2003年まで続いたので、人気番組であったと思います。

蛭子さんがこの番組に出演したとき、当時はかなり調子に乗っていたキャラクターだったヒロミ氏に、タクシーの運転手さんから「最近、テレビで見なくなったね」と言われて落ち込んだエピソードを暴露されています。

たしかに、テレビで蛭子さんを観る機会が減った時期もありました。
しかし、タレントには地方営業という強力な武器もあります。蛭子さんは芸能界から消えることはなく、2007年の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』を契機に復活します。

蛭子さんが、もっともテレビでもて囃されるようになったのは、この6、7年ほどです。
アップダウンはあっても、1980年代後半からの30年間、移り変わりの激しい芸能界で消えることなく、70代を迎える頃に、再び注目を浴びるタレントはなかなかいないでしょう。

ついにギャンブルをやめた蛭子さん。競艇での損は通算1億円以上! それでも競艇を愛した理由、通い続けた理由

蛭子能収さんのギャンブル好きは有名です。特に競艇への情熱は並々ならないものがあります。
しかし、現在はギャンブルをやめられて、ご家族との時間を大切にされているようです。

担当している人生相談でも、競艇の話が入り込んできたり、競艇に比べればたいしたことではないという蛭子さんらしい回答になっているときもあります。その昔はイメージキャラクターとしてCMに登場していました。

かつて、競艇必勝法を編みだしたりしたようですが、結果、大損。お金を都合してくれた前妻・貴美子さんに、自宅から叩き出される目にも遭いながらも、競艇は、蛭子さんの人生に寄り添い続けてきました。
蛭子さんは競艇を始めたのは20歳を過ぎた頃です。それから、半世紀も続けてこられました。

蛭子さんの論理は独特です。

パチンコ依存症の人に対して、「パチンコでお金を稼ごうとしているのだから立派だ」と言い、蛭子さん自身も、競艇へ行くことを「仕事がオフの日でも、競艇場へ金を稼ぎに行っている」と表現しています。

実際は、通算で競艇だけで1億円以上の損をしており、他のギャンブルを加えると1億4000万円以上の損をしているわけですが・・・

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

ドケチ術

ドン引き!?尊敬!?節約術を見習う!?働きながら資産1億円以上貯めたドケチ警官

ラジオ大阪で「これがケチだ」という番組があった。面白ドケチエピソードの数々

かつて、大阪のラジオ局で「これがケチだ」という身も蓋もないプログラムがありました。
実行中のケチなり、アイデアを募集して、秀作と認められれば3000円、佳作を半ケチと称してハンケチ(ハンカチ)が送られるというもので、大阪という土地柄からか応募者が多く、週に200以上の応募がありました。

放送されたドケチエピソードはこんな感じです。

◎絶対に二度寝をしないドケチな方法

『わたしは牛乳配達をしてもらう契約をする際に、牛乳を置いてもらう時間に、必ず玄関のインターホンを押してもらう約束をさせました。それで、目覚まし時計を買うお金を貯金しました』
二度寝はしなかった模様です・・・

◎絶対に早起きできるドケチな方法

『寝る前に、多量のお茶を飲めば膀胱タイマーが起こしてくれます。早起きしなければならないときに実行しています』
膀胱に良くないと思いますが・・・

◎ドケチ座布団

『牛乳瓶のフタにかぶせてあるポリエチレンの覆いを数百枚ためて、座布団に入れました』
座り心地はどんなものでしょうか・・・

◎健康とお金を手に入れて、道に落ちているお金も拾って一石三鳥なドケチの朝

『朝、運動のつもりで新聞配達をしています。二百部配達して月の小遣いにしています。配達帰りに1部もらって読むので新聞代が浮きます。読んだ新聞を貯めて古紙回収業者に売ります。新聞の配達地域は、キタのバーやクラブの多い北新地付近なので、百円玉や千円札がよく落ちています』
新聞配達は健康的ですね。

◎ドケチな親の教育方法

『普通科に進みたいという娘を説き伏せて、看護科に入れました。5年制で就職は100%保証されますから安心です。卒業後はなるべくへんぴな田舎へ行かせるつもりです。遊びに行くところもないから無駄遣いしない。寄宿舎で生活費は安くておしゃれをする気にもならないだろうから、結婚費用もすぐに貯まります。白衣姿は美人に見えますから、玉の輿に乗るかもしれません。離婚したり未亡人になっても看護師資格があるので安泰です』
娘さんご自身の意思は、完全に無視されていますが大丈夫なんでしょうか・・・

◎無料で身体を温めるドケチな方法

『寒いときは、身体の温まるアルバイトをするに限ります。満員電車の乗客を車内に押すバイトです。身体が温まり、バイト代ももらえて一石二鳥です』
押されるほうはキツイんですけどね・・・

この番組は人気となり、3年半続きましたが、スポンサーがケチだったため、終了となってしまいました。

警官として勤務しながら1億円以上貯めたドケチ警官がスゴい!

大阪府警のある地域課に勤める巡査はドケチで有名でした。
“「あの男の生活を見とると、根っからのケチやと思いますね。われわれがケチしよう思たらそれなりに努力します。努力いうんは、イコール苦労と違いますか? 楽しいということは全然ない。ところが彼は違うんです。『メシに塩かけて食べて生きていけるオレは、生まれつきツイてるんや』とケロッとしているんです」”(同僚の話)

“「彼が趣味やゆうとるデパート巡りは、ほかの目的がおまんのや。閉店まぢかになると安く売るんで、そいつを買うて帰ろうという魂胆ですわ。昼間にうろついてたら、それは試食巡り。昼飯分タダや」”(別の同僚の話)

“「何しろ無口ですよ。舌を動かすのも惜しいのとちゃうかな? しゃべれば腹減るわな。奥さんと家で食事しとるときも、奥さんがごはんのおかわり3杯目になると、やっこさん、キッと奥さんにらむそうです。奥さんは居候やないのにね」”(別の同僚の話)

記者が本人に会うと、たしかに言葉は少ないが、人の噂には泰然としていてへっちゃらだったようです。
本人の話。“「噂には本当のこともウソもあります。たしかに僕の生活は質素です。というより、他の人が派手すぎるんですよ。僕に酒なんかたかろう思っても、僕が応じないからケチをつけるんです。そやけど、直接耳に入ってこなければ平気や。

愚かな連中は金を持たない。金も持たん人が、愚かなことを言ったり、愚かなことをするんです」”

彼はどうして資産を形成したのか?
巡査を拝命してから2年間で貯めたお金を株式に投資しました。相変わらず食生活は塩と漬物を貫いて、貯めた金で増資、株式の新株購入をしているうちに株価は上昇、5年後に5倍になったところで売却。日曜日に大阪市内をパトロールして、土地を購入。
その後、大阪市内の土地の値上がりを見て、大阪には見切りをつけて、滋賀県の土地を購入。
不動産投資で1億円以上、他にも当座預金と株式が1万6000株。

住まいはずっと古ぼけた府営住宅に住み、奥さんは銀行勤めなので2馬力で収入はそこそこあるのですが、本人曰く“「自分の家も、車も、必要と認めんですよ。警官仲間の2割くらいが手弁当ですが、僕はいまでも塩とタクアンで平気やけど、女房がみっともないと言うて、人並みにおかずがついています。もったいないな。映画でっか? 3年に1度観るくらいや。タクシーなんか乗らへん。タバコは1日1本や」”

資産をもっと増やしたいかと記者に聞かれると・・・

“「わたしは一応、目標を立ててますんやけど、貯める努力が楽しいんですよね。ああするとええかな、こうするかなと考えていると楽しいです。同僚からケチと言われても何とも思いません。あんなに貯め込んで、少しぐらい奢ったらええやんか、と言うとるかもしれんけど、意地でも奢りません」”

そして、資産作りのコツを聞かれると・・・
“「運・勘・根や」”と答えています。
最初に運があって、勘を磨いて、資産を形成するぞという強い思いが大切だと言っています。

参考・引用:週刊読売「塩とタクアンで一億円貯めたドケチ警官ーウン・カン・コンの資産作り16年」より

最後まで、読んでくださり本当にありがとうございました。
他にもお役に立てる記事があるかと思いますので、どうぞお楽しみくださいませ。

人物伝

天性の起業家 【ドラクエ王】スクウェア・エニックスの創業者 福嶋康博の人生がスゴすぎる①

はる坊です。

渋谷区初台に大豪邸を構えるスクウェア・エニックス創業者・福嶋康博さんとは?

東京の高級住宅街といえばどこが思い浮かびますか?
大昔は、田園調布。一昔前は成城。

しかし、現在の富裕層は都心に住まうようになりました。
特に渋谷区や港区。

渋谷区なら高級住宅地として、まず、松濤や広尾が有名ですが、初台(はつだい)にも大豪邸があります。
ロッテの重光武雄氏や戸田建設の故・戸田順之助氏。

そして、スクウェア・エニックスの創業者で名誉会長の福嶋康博さんの邸宅です。
初台の福嶋邸は敷地面積は約1050坪。

地上2階・地下1階。
加えて、別にバーベキューハウスもある大豪邸です。
この邸宅の延べ床面積は約430坪に及びます。

緑に囲まれて、道路から邸宅の様子はうかがい知ることができませんが、建物の外壁は総タイル張りの非常に立派なものです。

法人所有ではなく、福嶋康博さんご夫妻が個人名義で所有されている自宅ですが、土地や建物を合わせると、一体何十億円の価値があるでしょう。

それでは、福嶋さんが一代で、どうやってこの御殿を築き上げるまでになったのかをみていきましょう。

スクウェア・エニックス創業者・名誉会長 福嶋康博さんの足跡

1947年北海道旭川市に生まれる。

福嶋康博さんは1947年8月18日に北海道旭川市に生まれました。星座は獅子座・血液型はA型。
当時、父親は旭川市内で映画館と質屋を経営していました。

ところが、この映画館が火事になり全焼。焼け残った自宅を改装して父母は食堂を始めます。
このときに福嶋さんは初めて〝商売〟を経験します。全焼した映画館に落ちていた紙芝居の道具を拾って、紙芝居師のまねをして近所の子どもたちに物語を聞かせたのです。子どもひとりにつき5円のお金を得ました。

また、近所で火事があったときは、焼け跡に落ちていた金属を拾い集めて、業者に売りました。これは子どもにしてはいいお金になったと福嶋さん自身が述懐しています。

しかし、プライベートでは両親が離婚して、父親は札幌に出て行き、母親が食堂を切り盛りします。

福嶋さんが“「母親が寝ているところを見たことがない」”くらい、母親は働き者だったようです。

中学校は、地元の旭川市立常盤中学校に進みますが、勉強はあまり得意ではなかったようです。しかし、高校受験に際して、このままでは希望校の合格が危ういことを担任の教師から教えられると、自分で勉強のスケジュール表を作り勉強に励みます。

元々、数学だけは得意だったこともあり、無事に北海道立旭川工業高等学校建築科へ進学します。

旭川工業高校入学後は、まずはラグビー部に入部しますが、3ヶ月で退部。
入部した理由が、〝試合の日には学校を休めるから〟であったので、ラグビー自体にはあまり興味がなかったのかもしれません。
しかし、恋愛も経験するなど、充実した高校時代を送ったようです。

高校2年の夏ごろ、離れて暮らす札幌の父親から連絡がありました。「おまえ、大学へ行け」というものでした。福嶋さんは大学進学について、あまり考えていませんでしたが、反射的に「うん」と答えてしまいます。

しかしここで2つの壁にぶち当たります。まず、工業高校では大学受験に必要な科目の授業ではやっていませんでした。

そこで福嶋さんは堂々と授業中に大学受験の勉強を始めます。当然、教師からは睨まれて職員室に呼び出されます。

しかし、福嶋さんはひるみませんでした。“「ぼくの人生にとってここで、学校の勉強するのが大事か、受験勉強の方が大事か。大学受験です」”と教師に言い放って授業中に受験勉強を続けます。

もうひとつは、先に大学に進学していた兄の一博さんから「親父はたいして仕送りをしてくれないぞ」と聞かされたことです。福嶋さんは受験勉強の傍らで、下級生の家庭教師をしてお金を貯めながら、残りの高校生活を過ごします。

18歳で上京、日本大学理工学部建築学科へ進学

仕送りが足りない分は、アルバイトではなく自分の得意な事で稼ぐ

1966年(昭和41年)4月、福嶋さんは晴れて日本大学理工学部建築学科に合格して上京します。なぜ、建築学科だったかといえば、工業高校の建築科だったからで、あまり深く考えた結果ではありませんでした。

事実、福嶋さんの仕送りは、他の学生の3分の1ほどしかありませんでした。アパートの家賃が6000円なのに仕送りは5000円程度。

しかし、福嶋さんは足りない分を普通のアルバイトで稼ごうとは考えませんでした。

自分の得意な事で稼ごうとしたのです。

建築学科には図学という講義がありました。
福嶋さんは友達の分も作品を作っては、それを売って稼ぎました。

そして、麻雀です。福嶋さんは中学時代から麻雀に親しんでいましたが、メキメキと腕を上げて、大学生にしてかなりの強者でした。
友達と麻雀をするといつも福嶋さんの大勝。

そうすると、友達が一緒に麻雀をやってくれないので、福嶋さんの勝ち点を半分にする特別ルールを条件に、友人たちと麻雀卓を囲み、また、雀荘に行っては、社会人や他の学生相手に稼ぎます。

麻雀で稼いだお金で問屋へ行き、コンドームを仕入れて団地へ販売に行ったり、ストッキングを仕入れて美容院に売り込みに行ったりもしました。
当時から行動力には目を見張るものがあったようです。

1970年前後は学生運動真っ盛り。

特に1968年(昭和43年)~1969年(昭和44年)にかけては、日大紛争と呼ばれる大規模な学生運動があり、日本大学は講義どころではなくなりました。卒業式も行われないほどの激しさでした。

大学も3年生になると、周囲は就職準備に入ります。しかし、福嶋さんには疑問がありました。

それは「建築学科を出たからといって、建築会社に入るしか道はないのか?」というものでした。

建築学科の友達に聞いて回ると、建築学科=建築会社・設計会社へ就職というのが当然じゃないかという答えでしたが、福嶋さんはその答えはすんなりと馴染めないものでした。
実のところ、福嶋さんは構造計算が得意でしたが、少しも好きではなかったのです。

(構造計算を一生続けていって何になる。そのまま人生が終わるのは嫌だ。自分がやりたいことと何かが違う)

おぼろげに(事業をやってみたい)と考えてはいましたが、アテがあるわけでもありませんでした。

結局、福嶋さんは就職をすることなく1970年(昭和45年)3月日本大学理工学部建築学科を卒業しました。

就職をしたことがない!いきなり起業

中野ブロードウェイPRフリーペーパー構想

日本大学を卒業した福嶋さんは、当時付き合っていた女性の元に身を寄せます。

そこで、福嶋さんはある事業を思いつきます。

当時、よく行っていた中野ブロードウェイは、建物の造りが入り組んで複雑な上に小さな店がほとんどでわかりにくかったのです。

当時の中野ブロードウェイは地下1階から地上4階まで、日用雑貨・ファッション・レストラン等が雑然と並んでいる場所でした。

エスカレーターの作りも特殊で、2階を素通りして3階へ行くというもので、慣れないと方向感覚が狂って目的とはまったく違う場所に出てしまうことがしばしばでした。

初めて行ったときには、どこにどんな店があるか分からず、それからも買物へ行く度に、目的の店とは違うところへ出てしまったり。

福嶋さんは、いつも「何とかならないものかなあ」と考えていました。

オーディオ/AV機器の新品・中古販売【フジヤエービック】



あるとき、ぼんやりと、わかりやすい案内図があればいいんだよ、という考えが頭をよぎったとき、福嶋さんは「これは事業になる」と直感しました。

わかりやすい案内図を載せた中野ブロードウェイのPR雑誌を作ればいいじゃないか。

中野ブロードウェイを中心とした住宅地に5万部程度のPR誌を無料で毎月配布するという事業アイデアでした。

各店をPRする雑誌を発行すれば、儲かるんじゃないか!

現在でいうところのフリーペーパー事業です。

早速、福嶋さんは、一緒に暮らしていた彼女にブロードウェイのイラストマップを描いてもらい、
〝株式会社 ジャポン・アノンス 福嶋康博〟という名刺を作って、各階の商店会会長と交渉を開始します。

彼女に描いてもらったイラストマップと簡単な見本を持ってプレゼンテーションをしてみると、好意的な反応を示してきました。

福嶋さんが目を付けた通り、建物が入り組んでいること、小さな店が多くて、それぞれの店がわかりにくいことは、中野ブロードウェイの商店主たちも気にしていたことでした。

ただ、ネックがありました。

福嶋さんは、普通の会社が5万部程度のPR誌を出すとすれば、当時で月に350万円ぐらいかかると概算で考えていました。商店会会長たちのあいだでは、この金額が高いのではないかと二の足を踏むことになったのです。

しかし、福嶋さんはこの金額を譲るつもりはありませんでした。金額を巡って押し問答を繰り返していると、耳寄りな情報が入りました。

中野ブロードウェイを建てた不動産会社の社長が社会福祉活動に熱心だという話でした。

「(社会福祉とはちょっと違うかもしれないが、PR誌の発行は地域社会の為になる仕事だ)」と思った福嶋さんは、早速、その社長に事業プランをプレゼンしました。すると、この社長は毎月50万円出すことを約束してくれたのです。

※これは私の推測ですが、この不動産会社社長は、東京コープ(東京コープ販売)社長の宮田慶三郎ではないかと思います。1906年1月7日生まれ。
旧制中学校から1931年に大阪歯科医学専門学校(現・大阪歯科大学)を卒業。その後、歯科冶金の研究をきっかけに、合金の魅力に取り憑かれて、「ミヤタ・ロイ」と呼ばれる超高質合金を開発。

その後、病気療養中に大脳生理学の研究により1960年に医学博士号を取得。学会発表の際にワシントンを訪れ、アメリカに比べて日本の建築物が貧弱であることを知って、不動産事業を始めた経験を持つ異色の経営者です。

中野ブロードウェイ開発を最後に不動産事業からは身を引き、教育者として朝日大学と明海大学を創立しました。明海大学に不動産学部があるのは、宮田慶三郎の意思でしょう。
1997年7月に亡くなっています。

宮田慶三郎が、福嶋さんと同じ北海道出身だったことや福嶋さんが日大理工学部建築学科出身だったことも、若き福嶋さんの提案を受け入れ援助する約束をする一因になったのではないかと思います。

月々50万円の協賛金を得られることになり、金銭的なネックも消え、PR誌作りについて商店会会長たちの納得を得た福嶋さんは、いよいよ発刊準備作業に入ります。
編集作業を進めながら、福嶋さんはここが成功したら、今度は中央線の違う主要駅で挑戦しようと、夢を広げていきました。
しかし、事業を開始する段になって、福嶋さんは商店街の組合長から呼び出されます。

「おまえの会社は、登記されていないじゃないか!どういうことだ?社長は誰だ?」
「えっ、登記ってなんですか? 会社は僕ひとりでやってますが・・・」

福嶋さんは会社を登記することを知りませんでした。
名刺に社名と名前を刷ればそれでいいと思っていたのです。

結局、会社を登記していなかったことは、中野ブロードウェイ側からの信用の失墜を招き、この事業は開始直前になって頓挫してしまいました。

スクウェア・エニックスの創業者 福嶋康博の人生がスゴすぎる②

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