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【連載】魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行

【連載】魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第4回

【連載】魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第4回

伝奇アクション・ファンタジー・SF小説家・菊地秀行について

はる坊です。

第1回・第2回・第3回に引き続き、『魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第4回』を掲載します。

お気に召していただければ、本当にありがたいです。

第3回よりかなり時間が空いてしまった事を、心よりお詫び申し上げます。

怒濤の時代

1986年に入ると、菊地秀行が活躍する舞台は更に増えていく。

朝日ソノラマで『吸血鬼ハンターD』『エイリアン』シリーズを書いていた菊地が、祥伝社ノンノベルから『魔界行』が上梓されたのが、1985年3月のことだが、それからの9ヶ月間で、祥伝社・光文社・講談社・徳間書店・角川書店からノベルス・文庫オリジナル作品を上梓していった。
この作品群は当然、書き下ろしであり、菊地の執筆量は激増していく。

1986年に入ると、菊地の執筆量は更に増える。
これまでの書き下ろしに加えて、雑誌連載を抱えるようになった為だ。

その雑誌連載も、〝短期集中連載〟がほとんどであり、菊地は月産900~1000枚という多産を強いられることになる。

最高時は一日で94枚『魔界都市〈新宿〉魔宮バビロン』執筆時。
ひと月では1050枚。
1ヶ月で350枚のノベルスを3冊書き下ろさなければならなかったとき。

上北沢のマンションで、都内のホテルでカンヅメになりながら、菊地は万年筆で原稿用紙を埋めていった。

自宅には担当編集者が待機して、24時間体制で菊地の原稿を待った。
編集者のなかには、読みにくい菊地の原稿を待機時間中に持ち込んだワープロで打ち直す者もいた。

この忙しい最中、夫人は編集者に夜食を振るまい、また菊地自身も気分転換も兼ねてインスタントラーメンなどを編集者に供した。

この時期、菊地のストレス解消法は、机に座ってエアガンで紙コップに向けて弾を撃つことくらいしかなかった。高級ホテルに入るのも気分転換にはなるが、そこで待っているのは仕事だ。

そして、食事にもこだわりがない。
「そこそこのものなら何でも美味いと感じる」とこの頃のインタビューで語り、ホテルのレストランや寿司店・和食の店に行くのも、“「ああいう店は接待で行くんだから。仕事関係とか友達とかおねえちゃんとか、おまえ(実弟・菊地成孔のこと)とか。そういうとき、相手にはビフテキでも何でも「はいどうぞ」だけど、俺はべつに何でもいいのよ」”(TBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」出演時)
休みはひと月に1日あるかないか。

取材を兼ねたアメリカ・カナダ旅行の際にも、菊地は原稿を書き続け、ファックスで日本に送り続けた。
超の付くほどの過密スケジュール。
しかし、これをこなさないと原稿が間に合わなかった。

ここまでくると、表現したい世界があり書くことが好きではないと、根を上げてしまう。

結果として、1986年に上梓された菊地秀行作品は17冊に及んだ。
加えて週刊少年チャンピオンでは、原作:菊地秀行 作画:細馬信一の『魔界都市ハンター』(全17巻)の連載も開始され、86年中に4巻まで刊行されている。

この時代、日本のエンターテインメント小説は、ノベルスで出版されることが多かった。
70年代後半から始まったノベルスブームが、エンターテインメント小説の軸であり、ハードカバーで出版される小説は現在よりも少なかった。

菊地の主戦場はこのノベルスだったが、ノベルス中心の小説家は、ハードカバーを出す小説家より、ひとつ低く見られていたのも事実としてあった。

菊地がこの時代、一流の売れっ子作家だったことは間違いのない事実だが、ノベルスデビューから日の浅い作家でもあった。
出版社側の要望で、当初の打ち合わせで決まっていた内容が変わることも珍しくなかった。

あるとき、菊地はついに悲鳴を上げる。

菊地ファンならおなじみであり、またお楽しみである「あとがき」に「もうこれ以上、書き下ろしは不可能です」と宣言したのだ。

菊地の要望を真っ先に取り入れてくれたのは徳間書店だったが、「だったら雑誌連載ならいいでしょう」と雑誌連載の数が増えていくことにもなった。

書き下ろし型の菊地だが、週刊誌・月刊小説誌を合わせて最高7本の連載を持つことになる。
売れている作家を、そう簡単に出版社・編集者は手放さない。

特に『妖魔』シリーズがヒットしていた光文社では、
『週刊宝石』『小説宝石』『宝石(月刊)』に菊地の作品が連載される有様だった。

この地獄のような状況でも、菊地は編集者から口々に発せられる「菊地先生、菊地先生」の大合唱と、振り込まれる多額の印税、そして、ファンからの手紙に支えられて次々に作品を放っていった。

1987年には、書き下ろしと雑誌連載をまとめたもので、年間21冊の菊地秀行作品が刊行されている。
※原作コミックは別。

ちなみに、1987年5月に公示された高額納税者(長者番付)・作家部門で、菊地は初のベストテン入りを果たす。

納税額は1億458万円で作家部門8位。
前年度の納税額3981万円より大幅に増えている。
菊地は1996年5月に公示された1995年分まで、以後10年間この長者番付・作家部門で5位~9位のあいだを維持し続ける。

『魔界都市ブルース』秘話

『魔界都市ブルース』といえば菊地の代表作のひとつであり、現在までに累計で700万部を突破している大ベストセラーシリーズである。

秋せつらやメフィストを始めとするキャラクターは大きな人気を得て、メフィストは『魔界医師メフィスト』として、1988年から角川書店・カドカワノベルスでシリーズ化され、その後、講談社ノベルス、祥伝社ノン・ノベルと出版社を変えながら現在も続くシリーズとなっている。

さて、この『魔界都市ブルース』シリーズだが、ずっと祥伝社ノンノベルで刊行が続いている。
祥伝社の小説誌『小説NON』(現在は休載中か?)に連載・掲載されたものか書き下ろしである。

しかし、第1作の「人形使い」だけは、徳間書店が刊行していた『SFアドベンチャー』1985年2月号に掲載されている。
そして、第2作は掲載されることはなかった。

菊地自身は「打ち切られた」と思っており、当時『SFアドベンチャー』編集長からは「菊地さん、朝日ソノラマでやってるようなのを書いてくれないか」という話があったと後年述懐している。

これは推測だが、1985年に徳間書店は文庫レーベルとして「徳間アニメージュ文庫」を創刊している。

このレーベルから出版されヒットしたオリジナル作品には、首藤剛志『永遠のフィレーナ』シリーズや、現在に至るまで、『女神転生』から『真・女神転生』『女神異聞録ペルソナ』『デビルサマナー ソウルハッカーズ』『ペルソナ』シリーズなどに派生して、累計720万本を超える人気ゲームシリーズとなっている西谷史『女神転生 デジタル・デビル・ストーリー』シリーズがある。

菊地の作風から、編集長は菊地作品をこのアニメージュ文庫のラインナップに加えたかったのかもしれない。

結局、菊地はその後、祥伝社からの執筆依頼の折、『魔界都市ブルース』の話を持込み、第2作「さらば歌姫」が『マガジン・ノン』1985年10月号に掲載される。

この作品に対する評価は『マガジン・ノン』編集部では絶賛に近いものだった。

翌月号から「仮面の女」「L伯爵の舞踏会」「影盗人」と短編掲載が続き、1986年4月に『魔界都市ブルース1(妖花の章)』として上梓され、当初は〝伝奇バイオレンス〟小説が主体の菊地作品のなかでは、地味な部類として見られて反響は少なかったが、次作となる『魔王伝』3部作(1986年7月・1986年10月・1987年3月)の刊行で、同人誌界で高河ゆんがパロディ本を出し人気を得たことから、同人誌業界に『魔王伝』ブームが起こり、本家である『魔界都市ブルース』の人気も確立されていく。

現在まで、『魔界都市ブルース』は映像化もコミック化もされていない。
アニメ化・コミック化を望むファンもいれば、原作小説だけで充分だというファンもいるだろう。

いかにクオリティの高いアニメ・コミックでも、すべての原作ファンを納得させることはできない。
ファンひとりひとりの心のなかに、それぞれの秋せつらがおりメフィストがいるのだから、原作が人気を得ているものを派生させ、高い評価を得るのは非常に難しいものだと感じる。

しかし、『魔界都市ブルース』については、過去に高河ゆんによるコミック化の話は存在した。
残念なことに、当時、菊地作品のコミック化は秋田書店に限定されており、この話は立ち消えになったという。

そのかわり、秋田書店では、『魔界都市ハンター』(全17巻)に続き『魔界学園』(全21巻・作画:細馬信一)が週刊少年チャンピオンで長期連載され、あしべゆうほが『Candle』で1987年~1988年に掛けて『ダークサイドブルース』のコミックを連載している。

嵐のような季節のなかで そして夢枕獏とのスタンスの違い

1980年代後半は、〝伝奇バイオレンス小説〟の時代だった。
そして『菊地秀行の時代だった』と言っても過言ではないと思う。

「夢枕獏の時代じゃないの?」

との声もあるかもしれないので、ここで菊地秀行と夢枕獏のスタンスの違いについて、すこし私なりの意見を含めて説明をしておきたい。

伝奇バイオレンス小説家としてデビューが早かったのは夢枕獏だった。
続いて、登場したのが菊地秀行だ。
これは〝夢枕獏が火を付けて、その火に菊地秀行が流れをつけた〟という当時の一文がすべてを語っていると思う。

夢枕獏は1984年に『魔獣狩り』(祥伝社 ノン・ノベル)『闇狩り師』(徳間書店 トクマ・ノベルス)で一気に人気を得た。
この作品はシリーズ化されベストセラーとなった。

このあと、夢枕は『獅子の門』(光文社)『大帝の剣』(角川書店)『餓狼伝』(双葉社)と伝奇バイオレンス小説を残しつつも、格闘小説の分野にも進出していく。

これには、夢枕獏がインタビューで語った次の言葉が、真だと感じる。

“「伝奇バイオレンスのブームが終わったら、いらない作家になるんじゃないかと思ったんです。そこで格闘小説を書きたいと編集者に言ったんです」”

また、1986年には「オール讀物」誌に『陰陽師』を書き始めている。
実際、この作品が注目されベストセラーとなるのは10年後のことだ。
それでも、夢枕獏は書き続けた。

“「ぼくの本は売れるものと売れないものの差が激しいんです」”

と別のインタビューで語り、

“「一番多い本で14万部。少ない本で2万部」”

と、新刊書に挟まれる夢枕獏事務所作成の小冊子「仰天・夢枕獏1号」に綴っている。
万部は初版部数を意味していると思う。

-ひとつのジャンルで飽きられる前に、自分の持ち味が出せる別のジャンルにも種を蒔き続ける。

これが、夢枕獏の基本的なスタンスではないかと思う。

1980年代、菊地秀行の月産原稿枚数が900~1000枚に及ぶ時期があったと前述した。
夢枕獏も毎月500枚~800枚の原稿を書いていた。
これだけの原稿を書けば、刊行される本も多い。
だが、伝奇バイオレンス小説がコンスタントに売れる菊地秀行と売れない本も出していた夢枕獏では収入も違っていた。

毎年、作家部門ベストテンに名を連ねた菊地と違い、夢枕は1985年分・1986年分でそれぞれ14位にランクインしてからは、姿を消している。
「税金を取られるくらいなら、ふんだんに経費を使ったほうがいい」と考えて、納税対象額を圧縮していたことも考えられるが、1989年には有限会社 夢枕獏事務所を設立しているのは、マネージメント体制を整える意味と節税のふたつの意味があったと推察する。

夢枕獏は、1990年代を迎える頃に、一度、月産200~300枚程度にペースを落としている。
これは、次の種を蒔くための準備期間が必要だったからだと思う。

そして、もうひとつは賞に関するスタンスだ。

菊地秀行は、現在に至るまで賞には縁がなく無冠を貫いている。

1986年に第17回星雲賞で『切り裂き街のジャック』(早川書房)が候補に挙がり、吉川英治文庫賞が創設されてからは、第2回から最新の第4回まで『吸血鬼ハンターD』(朝日新聞出版)が候補に挙がっているが、受賞には至っていない。
1990年代になり、ハードカバーで時代小説を刊行しているが、おそらく菊地自身は賞に対するこだわりや思いは、ないのではないかと推測する。

対して夢枕獏は、注目される作家となってまもない1984年に上梓した『悪夢喰らい』(角川書店)が、1985年3月に受賞作が発表された第6回吉川英治文学新人賞の候補に挙がっている。
この時の受賞作は船戸与一の『山猫の夏』(講談社)だった。
このときの選評を見てみると、圧倒的な強さで船戸の受賞が決まっている。

このあと、1990年に『上弦の月を喰べる獅子』(早川書房)で第10回日本SF大賞を受賞するが、1988年と1989年にそれぞれ『歓喜月の孔雀舞』(新潮社)『鮎師』(文藝春秋)で泉鏡花文学賞の候補になっている。
『鮎師』は夢枕が4、5年の歳月を掛けて書かれたもので、バイオレンス描写はなく小田原での釣りと自然の描写に腐心して書かれた作品だ。
文藝春秋から刊行された本であることも加味すれば、当時直木賞候補になってもおかしくはない作品とも思える。

多少は文学賞を意識した作品だったとも読める。

夢枕獏は菊地秀行より作家デビューは早い。
1977年26歳の時のことだ。
そして、1981年に専業作家となったが収入は少なく、食事は夫人がアルバイトに出ていたパン屋の残り物で凌いでいたという。
夢枕のエッセイによると、“「売れない時期には、原稿料がもらえなかったこともある」”という。
1984年に一躍ベストセラー作家となっても、これまでの悔しかった経験は夢枕のなかに生き続けていたと私は思う。
そして、ノベルス作家が一段下の作家として見られることも感じていただろう。

夢枕の眼に文学賞はその悔しさを晴らす、手段に映っても不思議はない。
結局、夢枕は山本周五郎賞・直木三十五賞の候補に挙げられることはなかった。
だが、1998年に『神々の山嶺』(集英社)で第10回柴田錬三郎賞を受賞する。
このとき、夢枕獏47歳。
デビューが早かったとはいえ、40代後半での柴田賞受賞は早いほうになる。

その後2011年・2012年には『大江戸釣客伝』で第39回泉鏡花文学賞・第5回舟橋聖一文学賞・第46回吉川英治文学賞をトリプル受賞し、2017年には第65回菊池寛賞。2018年には紫綬褒章を受章している。
2010年代に入ってからは、一気に賞(章)に恵まれている。

伝奇バイオレンスの先駆者

ひとつのジャンルが盛り上がりを見せると、その場所に、別ジャンルを書いていた作家が参入することがある。

〝夢枕獏が火を付けて、その火に菊地秀行が流れをつけた〟このジャンルも例外ではなかった。

だが、このふたりの他に、現在まで伝奇バイオレンス小説を書き続けている作家がいるだろうか。
もしくは、伝奇バイオレンス作家として認知されている作家がいるだろうか。
鑑みたとき、この先達の偉大さに畏敬の念を感じずにはいられない。

1990年代に入ると、ノベルスは1980年代後半にデビューした綾辻行人・法月綸太郎・有栖川有栖らを嚆矢として〝新本格ムーブメント〟が起こり、京極夏彦・森博嗣が第二波として続いた。

もちろん、別のムーブメントが起こったからといって、1990年代に入り菊地秀行の人気がすぐ衰えたわけではない。
『魔界都市ブルース』シリーズの最高傑作『夜叉姫伝』(祥伝社 ノン・ノベル 全8巻)は、1989年から1992年に小説NONで連載後に刊行され、8巻にも及ぶ長いストーリーとなったが、「7巻よりラストの8巻のほうが、売れ行きがよかった」と菊地が述懐するほど、本人が誇れる作品であると同時に、読者にも大きな支持を受けた。

1993年に第1作が刊行された『ブルー・マン』シリーズ(講談社ノベルス)も人気を得た。

だが、菊地秀行作品の濃度と熱さは1980年代が頂点だった、と感じる。

注目を浴びる者の宿命ではあるが、当時、菊地秀行も夢枕獏もその作品が大勢の読者に受け入れられる一方で、的外れの非難を浴びることがあった。

「こういう小説が流行る風潮はよくない」

「新新興宗教にも影響を与えているのではないか」

これらの非難記事をよく読めば、菊地作品も夢枕作品にも目を通していないことがよくわかる。

菊地秀行と夢枕獏が与えた影響は、その後の小説・漫画・アニメ・ゲームだ。
もちろん、それらを創り出すクリエーターにも。
この影響は多大だ。

1980年代後半の嵐のような季節のなかで、菊地秀行はハイスピードで高クオリティの作品を発表し続けた。
クイズ番組に出演したり、三田佳子や黒木香と対談したりと、小説を執筆する以外の場に引っ張り出されもした。

菊地は1988年、以前に購入しておいた都下の土地に自宅を新築した。
白い外壁が印象的な邸宅だ。
人呼んで“「魔界御殿」”。

『バンパイアハンターD』をコミック化した鷹木骰子が菊地邸を訪れた際に、“「Dに出てきそうなおうち」”と巻末のコミックエッセイで表現しているが、まさにそのような印象を受ける。
インタビュー記事などで、自宅内の様子がわかるが、菊地テイストのグッズに囲まれている。

ちなみに、夢枕獏が小田原に建てた邸宅は、『魔獣狩り 淫楽編』の印税で購入したことから、“「淫楽御殿」”と呼ばれることになる。

久々の記事になったのにもかかわらず、最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

第5回がいつになるかわかりませんが、また書きます。
そのときは、どうかよろしくお願い申し上げます。

自作小説(ショートショート)

掌の小説ー「冷たいものを」

はる坊です。
ごくたまに、ショートショートのような小説(もどき?)を書くことがあります。
400字詰め原稿用紙4~5枚の長さです。
よろしかったら、ご一読ください。

ショートショート『冷たいものを』

「課長、よくもまあ、この寒いのに、そんな冷たいものが飲めますねえ」
私が冷えたペットボトルに入っている清涼飲料を口に運んでいると、声を掛けてきたのは、私の左斜め前の席に座っている係長だった。私の七期先輩なのに、自分が課長になれないことを根に持っているのだろう。先輩を立てるつもりで、仕事のミス以外では強く注意しないのをいいことに、何だかんだと私に突っかかってくる。この季節に冷たいものを口にすることにツッコミを入れてくるのは、もう何度目だろう。私は苦笑いをして適当に応じた。
「いえいえ、寒いときほど水分補給は大事ですよ」
と、右斜めの前に座している女性主任が応援してくれた。彼女は我が経理課においてもっとも有能な存在だ。
「でも、わざわざ冷たいものを選ぶことはないじゃないか。昼飯も温めていないコンビニ弁当だった」
「それはレジが混むからって仰っていたでしょう?。何を召し上がろうと課長のご自由じゃないですか」
ふたりの相性はいいとはいえない。係長が彼女の能力を妬んでいるところも拍車をかけていると私は見ている。
「まあまあ、ふたりとも」
私はふたりを軽くいなした。これ以上険悪な雰囲気になってしまったら、他の課員まで嫌な空気が漂うなかで仕事をしなくてはいけない。課を預かる者としてそれだけは避けなくてはならない。
「いいですよ。課長はお若いってことで。どうせ私は定年間近ですから、課長のようにはどうもね。腹を下されても。お風邪を召されても、私は知りませんけどね」
係長がニヤニヤしながら席を立って部屋を出て行った。彼の言葉を受け流すのにはすでに慣れている。きっと、トイレとタバコ休憩だろう。一度席を立つと十五分は帰ってこない。

私は女性主任の名前を呼んだ。
こちらに振り向いた彼女に小声で礼を言った。唇の動きでわかったのか、さっきから仏頂面をしていた彼女の表情がほぐれた。
たしかに私は冷たいものや冷えたものを好む。
暑い夏場は当然のこととして、寒い季節でも同じだ。気のせいかも知れないが頭が冴える気がするのだ。
机の上に置いていたスマホが震えた。手に取ってみると妻からのメールだった。
――――ちょっと調子が悪いみたい。薬を飲んで寝るから、夕食は外か家なら適当に作って食べて。ごめんね。
思い返してみれば、今朝、家を出るとき、妻の顔にいつもより赤みが掛かっていた気がする。そのときにはもう体調を崩していたのかも知れない。もう少し注意深く見ておくべきだった。
ふたりの子は社会人と大学生になり、家を出ている。これからは夫婦ふたりで支え合っていかなければならないのに。
妻は専業主婦だが、休みの日に家事を手伝うと意外に重労働であることがわかる。妻にも休養は必要だ。
――――わかった。大事にしてくれ。夜はインスタントラーメンでも作って食べるから心配しないでいい。
終業時間になった。
真っ先に退社するのは係長だ。忙しい時期ではないので、他の課員も挨拶をして部屋を出て行く。私は書類のチェックを済ませると、彼らより一時間少し遅れて退社をした。
会社の外に出ると、他のビルから出てきた人々と同様に駅まで向かった。
コートを着ているのに身体に冷気が忍び込んでくる。吐く息も白い。電車に乗り、最寄駅に着くと近くのドラッグストアで妻用に栄養ドリンクを買った。
自宅に着くと、着替えて寝室へ向かった。
「ただいま。大丈夫かい?」
「おかえり。ごめんなさいね」
妻の顔は朝よりも赤みを帯びていた。
「ゆっくり休んでよ。よかったら、これ」
「あら、ありがとう」
妻は渡した栄養ドリンクを両手で包んだ。
私はインスタントラーメンを作ることにした。鍋に湯を沸かして麺を入れ、頃合いを見計らって丼に移して、その上に、冷蔵庫にあった葱とメンマとチャーシューを乗せた。
テーブルへ運び、湯気がもうもうと立ち上るどんぶりを前に、私はラーメンが冷めるのをじーっと待った。私が冷たいものを好むのには、もうひとつ理由がある。それは、熱いものが食べられない猫舌だからだ。このことは妻しか知らない。(了)

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
まだまだ、楽しんでいただける記事があるかと思いますので、どうぞお楽しみくださいませ。




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