直木賞作家の生涯収入9億6400万円 !『復讐するは我にあり』佐木隆三が公表した30年間の収支一覧表

直木賞作家の生涯収入9億6,400万円!

はる坊です。

人間は他人のことが気になる生き物です。
例えば、収入。

あの人は幾らくらいひと月に稼いでいるんだろう?

あの職業に就いている人はどれくらいの年収があるんだろう?
例えば、作家・小説家。

2015年11月、作家の森博嗣さんが『作家の収支』という新書で、“「19年間で、総発行部数1400万部。累計で15億円の収入を得た」”と公表されました。

森さんは、事あるごとに、ご自身を〝マイナ〟であると定義されていますが、

著書はコンスタントに出されており、同時にコンスタントに売れ続けている作家です。

2018年には著書の累計売上数が1600万部を突破していますので、

〝出版巨大不況〟のご時世で、稼ぎは〝超メジャ〟であると思います。

しかし、コンスタントに売れる本を出し続けていると言い難い作家の収入はどうなんだろう?
という疑問が出てきます。

そんななか、2007年(平成17年)に過去30年間の収支を公表した方がいます。
直木賞作家の佐木隆三さんです。

佐木さんが公表された数字ですごい点は、毎年の収入だけではなく、
・経費
・課税対象額
・所得税額
・源泉徴収税額
・差引納付額
と、支出や納税額についても、細かく公にされたことでしょう。

佐木さんの代表作と言えば、直木賞受賞作であり、今村昌平監督・緒形拳主演で映画化された『復讐するは我にあり』ですが、


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タイトルのせいか、意外にこの作品は西村寿行作品だと思っている方も一定数おられるようです。

ちなみに『復讐するは我にあり』は、新約聖書の(ローマ人への手紙 第12章 第19節)に出てくる『愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して「主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん」とあり』という言葉の一部であり、これは、《悪人に復讐を与えるのは神である》という意味といわれています。

佐木さんは『新約聖書』の言葉をタイトルに引用した形です。

しかし、最も一般的な佐木隆三さんのイメージは、何か物騒な事件が起きると、

ワイドショーやニュース番組で「作家のサキリューゾーさんは」とコメントをしていたおじさんではないでしょうか。

それでは、佐木隆三さんの30年間の収支一覧表です。

その下に、佐木隆三さんの詳しいプロフィールを紹介していますので、興味のある方はご覧ください。

1976年(昭和51年)~2005年(平成17年)分 佐木隆三 連年収支一覧表

1976年(昭和51年)

収入額:5,288万6,000円
経費額:1,449万9,000円
課税対象額:3,798万7,000円
所得税額:772万4,000円
源泉徴収税額:773万4,000円
差引納付額:-1万円
※備考 『復讐するは我にあり』の直木賞受賞で、前年度より急激に収入が増えたため、課税は平均課税方式がとられている。

出版された著作
1975年11月『復讐するは我にあり(上下)』(講談社)
1976年2月『沖縄住民虐殺-日兵虐殺と米国犯罪』(新人物往来社)
1976年2月『大将とわたし』(講談社)
1976年5月『狼からの贈物』(河出書房新社)
1976年6月『大罷業』(田畑書店)
1976年6月『ジャンケンポン協定』(講談社文庫)
1976年9月『偉大なる祖国アメリカ』(勁文社)

※『復讐するは我にあり』は1975年11月の刊行ですが、直木賞受賞で43万部を超えるベストセラーとなり、1976年分の収入に大きく寄与しているため、この年に出版された著作に含めました。

1976年に刊行された本の多くは、過去に一度刊行されて絶版状態にあったものや単行本化されていなかった原稿をまとめたものが目立ちます。
佐木さんは、直木賞受賞まで11冊の本を出されていますが、それらが版元を変えたり文庫化されて再度刊行されている形です。

『新宿鮫』シリーズが累計600万部以上の大ベストセラーになるまでに出した28冊ことごとくが売れず(28冊目は『氷の森』で大沢在昌作品の文庫では一番売れているのにわからないものです)、29冊目の『新宿鮫』が大ヒットして、それまでに書いて絶版になっていた本が次々に復刊されて、それらを〝ゾンビ本〟と呼んだ大沢在昌さんみたいな感じでしょうか。

1977年(昭和52年)

収入額:2,590万円
経費額:864万9,000円
課税対象額:1,685万1,000円
所得税額:482万4,000円
源泉徴収税額:269万8,000円
差引所得税納付額:212万5,000円

出版された著作
1977年2月『ドキュメント狭山事件』(文藝春秋)
1977年2月『日本漂民物語』(講談社)
1977年4月『越山田中角栄』(朝日新聞社)
1977年5月『殺人百科 』(徳間書店)
1977年10月『人生漂泊』(時事通信社)

1978年(昭和53年)

収入額:2,626万1,000円
経費額:939万円
課税対象額:1,649万1,000円
所得税額:465万2,000円
源泉徴収税額:268万円
差引所得税納付額:197万1,000円

出版された著作

1978年1月『偉大なる祖国アメリカ』(角川文庫)
1978年1月『実験的生活』(講談社)
1978年2月『閃光に向かって走れ』(文藝春秋)
1978年3月『男たちの祭り』(角川文庫)
1978年4月『詐欺師』(潮出版社)
1978年6月『愛の潮路』(光文社)
1978年9月『続人生漂泊』(時事通信社)
1978年10月『娼婦たちの天皇陛下』
1978年11月『大罷業』(角川文庫)
1978年12月『誓いて我に告げよ』(角川書店)
1978年12月『復讐するは我にあり(上)』(講談社)
1978年12月『復讐するは我にあり(下)』(講談社)

1979年(昭和54年)

収入額:4,963万8,000円
経費額:1,389万2,000円
課税対象額:3,536万7,000円
所得税額:11,787,000円
源泉徴収税額:682万7,000円
差引所得税納付額:495万9,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。

出版された著作
1979年4月『曠野へ 死刑囚の手記から』(講談社)
1979年5月『事件百景-陰の隣人としての犯罪者たち』(徳間書店)
1979年5月『ドキュメント狭山事件』(文春文庫)
1979年6月『男と女のいる風景』(文藝春秋)
1979年9月『無宿の思想』(時事通信社)
1979年12月『錆びた機械』(潮出版社)

※1977年分(昭和52年分)・1978年分(昭和53年分)から収入が大幅に増加しているのは、1979年(昭和54年)4月21日に、今村昌平監督・緒形拳主演で公開された『復讐するは我にあり』の映画化により、講談社から出版された文庫本が版を重ねたのが理由と考えられる。

1980年(昭和55年)

収入額:3,283万8,000円
経費額:1,136万9,000円
課税対象額:2,105万9,000円
所得税額:684万7,000円
源泉徴収税額:352万2,000円
差引所得税納付額:332万4,000円

出版された著作
1980年2月『海燕ジョーの奇跡』(新潮社)
1980年2月『殺人百科 PARTⅡ』(徳間書店)
1980年5月『旅人たちの南十字星』(文藝春秋)
1980年11月『波に夕陽の影もなく 海軍少佐竹内十次郎の生涯』(中央公論社)
1980年11月『風恋花』(潮出版社)

1981年(昭和56年)

収入額:3,570万2,000円
経費額:1,117万9,000円
課税対象額:2,412万6,000円
所得税額:850万5,000円
源泉徴収税額:409万8,000円
差引所得税納付額:440万4,000円

出版された著作
1981年2月『越山田中角栄』(徳間文庫)
1981年4月『殺人百科』(文春文庫)
1981年4月『冷えた鋼塊(上巻)』(集英社)
1981年4月『冷えた鋼魂(下巻)』(集英社)
1981年5月『幸せの陽だまり』(潮出版社)
1981年6月『欲望の塀』(文藝春秋)
1981年10月『日本漂民物語』(徳間文庫)
1981年12月『右の腕』(学習研究社)

1982年(昭和57年)

収入額:4,219万5,000円
経費額:1,506万1,000円
課税対象額:2,873万4,000円
所得税額:1,022万2,000円
源泉徴収税額:468万5,000円
差引所得税納付額:553万7,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。

出版された著作
1982年1月『大将とわたし』(講談社文庫)
1982年2月『詐欺師』(文春文庫)
1982年3月『殺人百科 PARTⅢ』(徳間書店)
1982年4月『沖縄住民虐殺-日兵虐殺と米国犯罪』(徳間文庫)
1982年5月『政商 小佐野賢治』(講談社)
1982年5月『我が沖縄ノート』(潮出版社)
1982年6月『土曜日の騎士』(河出書房新社)
1982年7月『新撰組』(文藝春秋)
1982年8月『きのこ雲』(中央公論社)
1982年8月『ジミーとジョージ』(集英社)
1982年9月『娼婦たちの天皇陛下』(徳間文庫)
1982年10月『噂になった女たち』(文藝春秋)
1982年12月『閃光に向かって走れ』(文春文庫)

1983年(昭和58年)

収入額:2,533万4,000円
経費額:1,005万9,000円
課税対象額:1,527万5,000円
所得税額:391万5,000円
源泉徴収税額:312万円
差引所得税納付額:79万4,000円

出版された著作
1983年3月『曠野へ』(講談社文庫)
1983年4月『英雄』(集英社)
1983年6月『深川通り魔殺人事件』(文藝春秋)
1983年9月『海燕ジョーの奇跡』(新潮文庫)
1983年10月『田中角栄の風景―戦後初期・炭管疑獄』(徳間書店)
1983年10月『波に夕陽の影もなく』(中公文庫)
1983年10月『冷えた鋼塊(上)』集英社文庫
1983年10月『冷えた鋼塊(下)』集英社文庫

1984年(昭和59年)

収入額:3,961万3,000円
経費額:1,493万円
課税対象額:2,468万3,000円
所得税額:783万2,000円
源泉徴収税額:415万6,000円
差引所得税納付額:367万5,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。

出版された著作

1984年2月『誓いて我に告げよ』(角川文庫)
1984年6月『殺人百科 一』(徳間文庫)
1984年6月『殺人百科 二』(徳間文庫)
1984年9月『男の自画像』(佼正出版社)
1984年9月『千葉大女医殺人事件』(徳間書店)
1984年9月『殺人百科 三』(徳間文庫)
1984年10月『人生漂泊』(潮文庫)


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1985年(昭和60年)

収入額:2,615万4,000円
経費額:931万1,000円
課税対象額:1,684万3,000円
所得税額:424万5,000円
源泉徴収税額:297万9,000円
差引所得税納付額:126万5,000円

出版された著作
1985年4月『ありふれた奇蹟』(講談社)
1985年4月『翔んでる十兵衛(上)』(潮出版社)
1985年4月『翔んでる十兵衛(下)』(潮出版社)
1985年7月『一・二審死刑、残る疑問―別府三億円保険金殺人事件』(徳間書店)
1985年9月『勝ちを制するに至れり〈上〉』(毎日新聞社)
1985年9月『勝ちを制するに至れり〈下〉』(毎日新聞社)
1985年10月『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』(文春文庫)
1985年12月『犯罪するは我にあり―佐木隆三文学ノート』(作品社)

1986年(昭和61年)

収入額:3,126万9,000円
経費額:1,077万5,000円
課税対象額:2,049万4,000円
所得税額:638万6,000円
源泉徴収税額:338万4,000円
差引所得税納付額:300万3,000円

出版された著作
1986年1月『ジミーとジョージ』(潮文庫)
1986年2月『政商 小佐野賢治』(徳間文庫)
1986年5月『殺人百科〈Part4〉―陰の隣人としての犯罪者たち』(徳間書店)
1986年7月『旅人たちの南十字星』(文春文庫)
1986年7月『南へ走れ、海の道を!』(徳間書店)
1986年12月『恋文三十年 沖縄・仲間翻訳事務所の歳月』(学習研究社)

1987年(昭和62年)

収入額:3,315万5,000円
経費額:1,053万9,000円
課税対象額:2,261万6,000円
所得税額:600万1,000円
源泉徴収税額:356万7,000円
差引所得税納付額:243万4,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。

出版された著作
1987年4月『華やかな転落』(潮出版社)
1987年5月『男の責任―女高生・OL連続誘拐殺人事件』(徳間書店)
1987年7月『わが沖縄ノート』(徳間文庫)
1987年7月『殺人百科―陰の隣人としての犯罪者たち〈2〉』(文春文庫)
1987年7月『殺人百科―陰の隣人としての犯罪者たち〈3〉 』(文春文庫)
1987年10月『深川通り魔殺人事件』(文春文庫)

1988年(昭和63年)

収入額:2,279万9,000円
経費額:778万8,000円
課税対象額:1,501万9,000円
所得税額:337万3,000円
源泉徴収税額:246万円
差引所得税納付額:91万3,000円

出版された著作
1988年12月『勝ちを制するに至れり〈上〉』(文春文庫)
1988年12月『勝ちを制するに至れり〈下〉』(文春文庫)

1989年(昭和64年・平成元年)

収入額:2,883万1,000円
経費額:845万4,000円
課税対象額:2,037万7,000円
所得税額:537万9,000円
源泉徴収税額:297万4,000円
差引所得税納付額:240万5,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。

出版された著作
1989年9月『千葉大女医殺人事件』(徳間文庫)
1989年11月『リクルート帝王の白日夢』(双葉社)

1990年(平成2年)

収入額:3,734万6,000円
経費額:1,220万3,000円
課税対象額:2,514万3,000円
所得税額:647万7,000円
源泉徴収税額:410万5,000円
差引所得税納付額:237万1,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
※収入(売上)3,000万円以上の為、消費税課税事業者。

出版された著作
1990年2月『バカなふりして生きてみな』(青春出版社)
1990年3月『裁判長大岡淳三』(講談社)
1990年6月『身分帳』(講談社)※第2回伊藤整文学賞受賞
1990年7月『新撰組事件帳』(文春文庫)
1990年9月『別府三億円保険金殺人事件』(徳間文庫)

1991年(平成3年)

収入額:2,961万8,000円
経費額:1,259万1,000円
課税対象額:1,702万7,000円
所得税額:393万6,000円
源泉徴収税額:303万8,000円
差引所得税納付額:89万8,000円

出版された著作
1991年8月『宮崎勤裁判〈上〉 』(朝日新聞社)
1991年9月『女高生・OL連続誘拐殺人事件』(徳間書店)
1991年9月『親が知らなかった子の愛し方』(青春出版社)
1991年12月『いま、裁判が面白い』(蒼樹社)

1992年(平成4年)

収入額:5,574万7,000円
経費額:1,883万4,000円
課税対象額:3,619万2,000円
所得税額:1,127万7,000円
源泉徴収税額:576万2,000円
差引所得税納付額:551万4,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
※収入(売上)3,000万円以上の為、消費税課税事業者。

出版された著作
1992年2月『恩讐海峡』(双葉社)
1992年4月『法廷の賓客たち』(河出書房新社)
1992年7月『正義の剣』(講談社)
1992年7月『捜査検事片桐葉子』(双葉社)
1992年10月『しぶとさの自分学』(青春出版社)
1992年11月『越山田中角栄』(現代教養文庫)
1992年11月『伊藤博文と安重根』(文藝春秋)

1993年(平成5年)

収入額:2,909万円
経費額:1,075万5,000円
課税対象額:1,835万5,000円
所得税額:444万2,000円
源泉徴収税額:332万6,000円
差引所得税納付額:111万5,000円

出版された著作
1993年1月『殺人百科 四』(徳間文庫)
1993年2月『矯正労働者の明日』(河出書房新社)
1993年3月『裁判長大岡淳三』(講談社文庫)
1993年6月『生きている裁判官』(中央公論社)
1993年6月『身分帳』(講談社文庫)
1993年9月『闇の中の光』(徳間書店)
1993年9月『錬金術師の白日夢』(双葉文庫)

1994年(平成6年)

収入額:2,821万5,000円
経費額:874万5,000円
課税対象額:1,922万円
所得税額:362万1,000円
源泉徴収税額:329万6,000円
差引所得税納付額:32万5,000円

出版された著作

1994年1月『絆 春日部新平の簡裁事件簿』(双葉社)
1994年4月『恩讐海峡』(双葉文庫)
1994年6月『バカなふりして生きてみな』(青春文庫)
1994年7月『死刑囚 永山則夫』(講談社)
1994年10月『捜査検事片桐葉子』(双葉社)

1995年(平成7年)

収入額:3,049万4,000円
経費額:1,125万円
課税対象額:1,880万4,000円
所得税額:365万7,000円
源泉徴収税額:325万9,000円
差引所得税納付額:39万7,000円

出版された著作

1995年4月『司法卿 江藤新平』(文藝春秋)
1995年6月『白鳥正宗刑事の事件帳』(中央公論社)
1995年6月『宮崎勤裁判〈上〉』(朝日文芸文庫)
1995年8月『正義の剣』(講談社文庫)

1996年(平成8年)

収入額:3,521万2,000円
経費額:1,183万4,000円
課税対象額:2,321万8,000円
所得税額:490万6,000円
源泉徴収税額:355万7,000円
差引所得税納付額:134万8,000円
※備考:平均課税方式がとられている。

出版された著作
1996年1月『絆 春日部新平の簡裁事件簿』(双葉文庫)
1996年3月『伊藤博文と安重根』(文春文庫)
1996年10月『「オウム法廷」連続傍聴記①』(小学館)
1996年10月『「オウム法廷」連続傍聴記 (2) 麻原出廷②』(小学館)
1996年10月『オウム裁判を読む』(岩波書店)
1996年10月『ハダカの自分を生きてみな』(青春文庫)

1997年(平成9年)

収入額:4,676万7,000円
経費額:1,563万2,000円
課税対象額:3,024万2,000円
所得税額:716万9,000円
源泉徴収税額:536万8,000円
差引所得税納付額:180万1,000円
※備考:平均課税方式がとられている。

出版された著作
1997年2月『法廷のなかの人生』(岩波新書)
1997年8月『死刑囚 永山則夫』(講談社文庫)
1997年10月『宮崎勤裁判〈中〉』(朝日新聞社)
1997年10月『宮崎勤裁判〈下〉』(朝日新聞社)
1997年11月『冷えた鋼塊 上』(読売新聞社)
1997年11月『冷えた鋼塊 上』(読売新聞社)

1998年(平成10年)

収入額:3,854万5,000円
経費額:1,328万9,000円
課税対象額:2,487万9,000円
所得税額:587万1,000円
源泉徴収税額:384万9,000円
差引所得税納付額:202万2,000円

出版された著作
1998年3月『人が人を裁くということ』(青春出版社)
1998年4月『司法卿 江藤新平』(文春文庫)
1998年9月『裁判』(作品社)

1999年(平成11年)

収入額:2,987万7,000円
経費額:1,324万6,000円
課税対象額:1,741万円
所得税額:346万円
源泉徴収税額:307万5,000円
差引所得税納付額:385,000円
※備考:消費税課税事業者

出版された著作
1999年5月『もう一つの青春』(岩波書店)
1999年8月『悪女の涙―福田和子の逃亡十五年』(新潮社)
1999年9月『少年犯罪の風景-「親子の法廷」で考えたこと』(東京書籍)
1999年11月『死刑執行―隣りの殺人者〈1〉』(小学館文庫) ※『曠野へ 死刑囚の手記から』改題

この年、東京暮らしに別れを告げ、福岡県北九州市門司区に移住されています。

2000年(平成12年)

収入額:2,935万2,000円
経費額:1,317万5,000円
課税対象額:1,617万7,000円
所得税額:313万4,000円
源泉徴収税額:317万7,000円
差引所得税納付額:-4万3,000円(還付)
※備考:消費税課税事業者

出版された著作
2000年1月『白昼凶刃―隣りの殺人者〈2〉』(小学館文庫) ※『深川通り魔殺人事件』改題
2000年3月『法廷のなかの隣人たち』(潮出版社)
2000年4月『逃亡射殺  隣りの殺人者3』(小学館文庫) ※『旅人たちの南十字星』改題
2000年5月『成就者たち』(講談社)
2000年6月『女医絞殺 隣りの殺人4』(小学館文庫) ※『千葉大女医殺人事件』改題
2000年8月『組長狙撃 海燕ジョーの奇跡 隣りの殺人者5』(小学館文庫)
2000年9月『宮崎勤裁判〈中〉』(朝日学芸文庫)
2000年12月『宮崎勤裁判』(朝日学芸文庫)

2001年(平成13年)

収入額:2,478万円
経費額:1,567万円
課税対象額:1,395万円
所得税額:245万5,000円
源泉徴収税額:249万9,000円
差引所得税納付額:-4万4,000円(還付)

出版された著作
2001年1月『小説 大逆事件』(文藝春秋)
2001年4月『供述調書―佐木隆三作品集』(文藝春秋)
2001年7月『裁かれる家族―断たれた絆を法廷でみつめて』(東京書籍)
2001年11月『法廷の内と外で考える―犯罪者たちとの十年』(文芸社)

2002年(平成14年)

収入額:2,296万8,000円
経費額:1,048万7,000円
課税対象額:1,248万1,000円
所得税額:229万7,000円
源泉徴収税額:238万8,000円
差引所得税納付額:-34万1,000円(還付)

出版された著作
2002年4月『三つの墓標―小説・坂本弁護士一家殺害事件 』(小学館)
2002年11月『大義なきテロリスト―オウム法廷の16被告』(日本放送出版協会)

2003年(平成15年)

収入額:1,685万4,000円
経費額:936万4,000円
課税対象額:658万2,000円
所得税額:78万9,000円
源泉徴収税額:171万4,000円
差引所得税納付額:-92万4,000円(還付)

出版された著作
2003年5月『成就者たち』(講談社文庫)
2003年10月『少女監禁―「支配と服従」の密室で、いったい何が起きたのか』(青春出版社)

2004年(平成16年)

収入額:1,946万1,000円
経費額:1,053万8,000円
課税対象額:768万4,000円
所得税額:96万5,000円
源泉徴収税額:202万4,000円
差引所得税納付額:-105万9,000円(還付)

出版された著作
2004年2月『小説 大逆事件』
2004年2月『慟哭 小説・林郁夫裁判』(講談社)
2004年6月『証言台の母―小説医療過誤裁判』(弦書房)
2004年9月『深川通り魔殺人事件』(新風舎文庫)
2004年10月『宿老・田中熊吉伝』(文藝春秋)

2005年(平成17年)

収入額:1,763万9,000円
経費額:1,101万5,000円
課税対象額:662万3,000円
所得税額:66万8,000円
源泉徴収税額:177万8,000円
差引所得税納付額:-111万円(還付)

出版された著作
2005年6月『なぜ家族は殺し合ったのか』(青春出版社)
2005年11月『人はいつから「殺人者」になるのか』(青春出版社)

2006年(平成18年)以降の佐木隆三さんは

30年間に渡る佐木隆三さんの収支はいかがだったでしょうか?

私自身の感想は「意外にコンスタントに、結構な額を稼いでおられたんだな」というものです。

また、著書が多く刊行された年も、そうでない年も収入に大差がないことが特徴的です。

これは佐木さんが、事件の裁判傍聴記を週刊誌に寄稿するなど、週刊雑誌分野での活動が多く、それなりの原稿料を受け取られていたからだと思います。

あと、経費が収入が下がっても、毎年ある程度必要だったのは、取材活動に必要だったこともあるでしょうが、秘書を雇っておられたことも大きな要因だと思います。

2006年以降の佐木隆三さんの著作をご紹介します。

2006年 刊行書籍なし

2007年4月『復讐するは我にあり(改訂新版)』(弦書房)
2007年12月『高炉の神様 宿老・田中熊吉伝』(文春文庫)

2008年8月『慟哭 小説・林郁夫裁判』(講談社文庫)

2009年2月『法廷に吹く風』(弦書房)

2009年11月『復讐するは我にあり 改訂新版』(文春文庫)

2011年9月『越山田中角栄 (ノンフィクション・シリーズ“人間”)』(七つの森書館)

2012年2月『わたしが出会った殺人者たち』(新潮社)

2013年 刊行書籍なし

2014年8月『わたしが出会った殺人者たち』(新潮文庫)

2015年10月31日逝去。

2018年1月『死刑囚 永山則夫 (P+D BOOKS)』(小学館)

2019年5月『沖縄と私と娼婦』(ちくま文庫)

最後に、佐木隆三さんのプロフィール・生涯をご紹介します。

佐木隆三(さきりゅうぞう)さんプロフィール

1937年4月15日 朝鮮半島・朝鮮咸鏡北道穏城郡生まれ。

1941年 父親の召集により母親・兄姉とともに、両親の本籍地である広島県に引き上げる(父親は1945年7月1日にフィリピン・ミンダナオ島 サンボアンガにおいて戦死)。

1950年 母と兄姉とともに、福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)に移り住む。

1953年3月 八幡市立花尾中学校卒業(8歳年下で同じ花尾中学校OGに芥川賞作家の村田喜代子さんがいます)

1956年3月 福岡県立八幡中央高等学校卒業(ずっと後輩にパチンコを題材にしたマンガで有名な谷村ひとしさんがいます)

1956年4月 八幡製鉄株式会社(現・日本製鉄)入社

1963年5月 『ジャンケンポン協定』で、第3回新日本文学賞短編部門受賞

1964年7月 八幡製鉄株式会社(現・日本製鉄)退社

八幡製鉄を退職したあとは、NHK福岡放送局の〝放送台本のライター〟を中心に活動します。

そして1967年、ちょうど30歳で上京を果たします。

これは、学研(当時の社名は学習研究社)の嘱託として月額7万円がもらえることが決まったからです。

当時の大卒初任給は、まだ3万円に届かず、勤続年数25年~30年の地方公務員の平均給与が7万円弱でした。
嘱託とはいえかなりの好待遇です。

本当は、学研が週刊誌の取材記者、つまりはライターを募集しており、その求人に応募したのですが、佐木さんは、面接試験後になぜか社長に呼ばれて、「雇わないことにしたから。取材記者は止めなさい」と告げられます。

佐木さんが理由を尋ねると「せっかく小説を書いて、短編集まで出している。嘱託として雇うから」といわれます。

学研の創業社長・古岡秀人は、幼くして父親を亡くした苦労人で九州・小倉の師範学校(現在の福岡教育大学)を出ていた、いわば佐木さんの故郷の先輩でした。
また、古川社長は五木寛之さんのお父さんとも親しい間柄で、こう見ていくと北九州だけでいろいろな有名人・著名人やその親族が繋がっていく気がします。

佐木さんは、社長の言葉に甘える形で上京を果たします。

ちなみに、当時のライターは技能職で、佐木さんより早くライターとなり、40歳を過ぎてから作家に転身して、『飢えて狼』でデビューを飾り、『背いて故郷』『裂けて海峡』などの傑作冒険小説を書いた作家の志水辰夫さんによると、“当時のライターは、「ひと月のうち一週間働けば食えた」”・“「週2日働けばよかった」”と、現在とはまったく認識の違う、技能が必要と認知されている職業でした。
(志水辰夫さんが1990年に発表して、日本冒険小説協会大賞を受賞、当時の『このミステリーがすごい』では、宮部みゆきさんの『龍は眠る』・大沢在昌さんの『毒猿-新宿鮫Ⅱ』を押さえて1位になった『行きずりの街』は、文庫が2006年から売れ始め、2010年には映画化もされました。

現在までに文庫は70万部を超すロングセラーになっています)

さて、この故郷が同じ学研の社長のおかげで、上京を果たした佐木さんは、嘱託の仕事が毎日出社しなくてもいい性格のものであったことから、小説執筆の時間を得ることになり、翌年『奇蹟の市』(文藝・河出書房新社)で第58回芥川賞候補になります。

残念ながら落選となり、選考委員では三島由紀夫や舟橋聖一、石川淳、そして、井上靖からは完全に黙殺されていますが、大岡昇平と瀧井孝作からは高評価を得ています。

そして、半年後には、『大将とわたし』が第59回の今度は直木賞候補に挙がります。
この回も落選でしたが、選考委員で露骨に黙殺されているのは2名だけで、褒めないまでも選評で触れられており、そのなかでも、大佛次郎と水上勉からは強く推されています。

そして佐木さんは1970年代初頭には、まだ本土復帰前の沖縄ゴザ市に移住して、今度はルポライターとして活躍します。
当時の佐木さんにとって収入源は『朝日ジャーナル』と『週刊アサヒ芸能』の原稿料でした。

この2つの雑誌はまったく性格が異なっており、佐木さんは『朝日ジャーナル』には、沖縄米軍基地で働く人々のストライキ運動など労働運動を中心に書き、『アサヒ芸能』には、娼婦を生業にしている女性のことや沖縄住民の生活ぶりを書きます。

実は、このように器用な書き分けができるライターは他におらず、佐木さん自身も当時の沖縄の現実を伝えたい思いが強く、このときは「小説家ではなく、ルポライターになってしまってもいい」と考えたようです。

しかし、運命の皮肉か、佐木さんは沖縄・ゴザでいきなり逮捕されます。
しかも、沖縄返還をめぐるデモの首謀者と疑われての逮捕でした。
結局、12日間の拘留の末、誤認逮捕で無実とわかって釈放されますが、そのとき逮捕された理由のひとつが〝作家だから〟というもの。

いい加減さに憤った佐木さんですが、本格的に〝犯罪〟へ目を向けるきっかけにもなりました。

そして、1978年11月後半、丹念に取材を重ねた『復讐するは我にあり (文春文庫)』が講談社から出版されると、すぐに第74回直木賞候補となり、ぶっちぎりの強さで受賞します。

受賞作もベストセラーとなり、執筆依頼が相次ぎ月産300枚の状態が続きます。

そんな佐木さんですが、誤認逮捕ではなく、不祥事を起こして逮捕された経験があります。

1978年6月末に銀座で飲んだ帰り、佐木さんはタクシーに乗ろうとします。

同行していた友人にタクシーを止めてもらい、友人がタクシー運転手に「乗せてほしい」と交渉しますが、運転手からは「いや、タクシー乗り場でお願いします」と断られます。

これは、乗車拒否ではなくタクシー運転手の言い分が正しいのです。
銀座では、午後10時(22時)から午前1時間までは、タクシー乗り場でしか客を乗せないというルールがありました(いまでもあります)。



ところが、この友人が交渉をしているうちに、運転手側が(これ以上は関わり合いになりたくない)と思ったのか、まだ、窓ガラスに佐木さんの友人の手が入っている間にクルマを動かしました。

その光景を見た佐木さんは、何とタクシーのボンネットに飛び乗って暴れてしまいます。

結局、タクシー運転手も怒り出して、警察に言って白黒つけようと話し合いをとなるのですが、佐木さんはタクシーの窓ガラスを傷つけたとして、運転手から器物損壊罪で告訴され、現行犯逮捕されます。

翌日、ちょうど7月1日。
酔いが醒めた佐木さんは、とんでもないことをやらかしたことに気付いて、タクシー運転手に謝罪と破損させた窓ガラス代金を支払うことで、示談が成立。釈放されます。

このときはいまのネット社会の書き込みと同様に、多くの脅迫めいたハガキ・電話・手紙が自宅に送りつけられ、佐木さんの仕事の場であるマスコミでも、かなり叩かれます。

しかし、佐木さんは謝罪するところには謝罪して、反省すべきところは反省をして、したたかにこの状況を切り抜けると、しばらく禁酒をして〝月産400枚〟の新記録を打ち立てます。
その後、騒ぎも沈静化。

佐木さんは仕事から干されることはなく、この事件も忘れ去られ、何か物騒な事件が起これば「作家のサキリューゾーさんは」(場合によっては、小林久三さんだったりしましたが)と、独自の路を切り開いて、20世紀末まで駆け抜けます。

1999年に東京を離れ、福岡県北九州市門司区に新たに建ったマンションに移住します。

新築マンションで「さあ、落ちついて仕事をしよう」としようと思うまもなく、あの『下関通り魔殺人事件』が起こり、前後して『佐賀・長崎連続保険金殺人事件』の犯人逮捕と、佐木さんは故郷に戻っても事件と縁が続きました。

そして、

2002年には『北九州監禁殺人事件』が発生。

※この事件を起こした加害者の長男の手記です。
大反響を呼んだ、ザ・ノンフィクション『人殺しの息子と呼ばれて(前・後編)』で登場した加害者長男の人生を、番組チーフ・プロデューサー張江泰之氏が、彼自身と真正面から向き合ってまとめ上げたノンフィクションです。

人殺しの息子と呼ばれて

※また、この事件をモデルに書かれたフィクションは数多いです。

誉田哲也ケモノの城 (双葉文庫)

櫛木理宇侵蝕 壊される家族の記録 (角川ホラー文庫)

新堂冬樹殺し合う家族 (徳間文庫)

真梨幸子インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実 (徳間文庫)

2005年には『広島小1女児殺人事件』発生。

たいへん不謹慎なのは承知の上なのですが、

〝佐木さんの行くところに事件が起こるのか〟

〝事件が起こるところに佐木さんがいるのか〟

正直、わからなくなってきます。

この2つの事件のあいだには、

『奈良小1女児殺害事件』が起こり、佐木さんは裁判の傍聴席に座り、故郷で落ちつくことのないまま〝裁判傍聴業〟を続けます。

並行して、佐木さんは故郷の為に尽くします。

2006年4月に北九州市立文学館館長に就任(2012年3月末の任期満期解嘱後は名誉館長に就任)

2009年4月からは北九州市立大学 特任教授を務め、九州国際大学 客員教授にも就任します。

プライベートでは、佐木さん自身が〝老老離婚〟と表現したように、2011年に二度目の離婚を経験。

住まいも、門司の高層マンションから風師山中腹にある元割烹料理店の和風家屋に移し、どの部屋に居ても海が眺められるように改装した〝風林山房〟(名付けは直木賞作家・古川薫氏)に移します。

ときおりは、NHK『サラメシ』でも放映された地元の老舗イタリアンのお店「ラ・パペリーナ-LaPaperina-」で、関門海峡でとれるワタリガニのトマトソースパスタに舌鼓を打ちながらこれまでの人生に思いを馳せたのでしょうか?

関門海峡がどの部屋からも見渡せる山荘で〝ふうちゃん〟と名付けた猫を友にして、10年弱の時間を過ごした佐木隆三さんは、2015年10月31日に下咽頭癌のため、北九州市内の病院で亡くなります。78歳でした。

遺骨は遺言どおり、関門海峡に散骨されました。

『復讐するは我にあり』で直木賞を受賞してから40年が経っていました。

松本清張ほどではありませんが、佐木さんの人生は、『復讐するは我にあり』で二分されるような感を覚えます。

純文学に始まり、沖縄でルポライターとして活躍、そして辿り着いたノンフィクション・ノベルの世界。

その世界を人生の半分を費やして、見つめ続け書き続けた人生だったと感じます。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

※以下の文献・資料を参考並びに引用させていただきました。
ありがとうございました。

『敍説. 3 : 文学批評』 (花書院)

佐木隆三『もう一つの青春―日曜作家のころ』(岩波書店)

佐木隆三『人生漂泊』(時事通信社)

佐木隆三『続人生漂泊』(時事通信社)

佐木隆三『無宿の思想』(時事通信社)

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