【私大バブル期】1985年~1991年度入試で私大の偏差値はここまで上昇した!
1985年度~1991年度の早慶・上智・青学・立教・日東駒専・大東帝国・関関同立・産近甲龍の偏差値ランキングの推移一覧表をお届けします。
はる坊です。
今から30年ほど前、〝私大バブル〟期と呼ばれた時代がありました。
以前に下記の記事を書いたところ、想像以上の反響がありました。
ご興味を持たれた方は、リンクよりぜひご覧ください。
◎【私大バブル最盛期】1990年度 全国私立大学偏差値ランキング一覧表はこちらから(新しいタブが開きます)
〝私大バブル〟期はどんな時代だったのか?
ひとことで言えば、偏差値50では、どこの大学に入るのも厳しい、
という時代でした。
主に。1989年度入試から1992年度入試あたりがピークでした。
現在、〝Fランク大学〟などといわれている大学も、それなりの難易度があり、倍率も10倍を超えていました。
しかも、〝私大バブル〟というだけあって、日東駒専クラスの併願校が横浜国立大学・千葉大学・埼玉大学で、
国立と日東駒専クラスに合格した場合、私立を選ぶケースも珍しくありませんでした。
(現在では日本の経済情勢もあって、考えられませんが…)
そんな訳で、中堅以下の成績ながらどうしても大学に進学したい受験生は、
経済的に可能であれば、北は北海道から、南は沖縄まで、
特に新設大学はまだ入りやすいということもあり、国内線や新幹線を利用して、大学入試期間内は、
多額の交通費をかけて入試会場を飛び回っていました。
私が、この時代を知る元高校教師に聞いたところによれば、
「31校受験した生徒がいたのを憶えている」
とのことで、
それでようやく、日東駒専クラスに滑り込んだとのことでした。
それでは、早速当時の偏差値をご覧いただきたいと思います。
1989年度入試から、グッと難易度が上昇しています。
1985年度~1991年度の早慶・上智・青学・立教・日東駒専・大東帝国・関関同立・産近甲龍の偏差値ランキングの推移
※経済学部経済学科の偏差値です。
早稲田大学は政治経済学部経済学科
国士舘大学は政経学部経済学科
近畿大学は商経学部経済学科の数値になります。
※偏差値は旺文社のものです。
早稲田大学政治経済学部経済学科
1985年:72.5
1986年:73.5
1987年:69.7
1988年:74.0
1989年:74.9
1990年:74.0
1991年:74.9
慶應義塾大学経済学部
1985年:70.2
1986年:71.0
1987年:69.4
1988年:68.8
1989年:73.2
1990年:74.2
1991年:72.1(A方式)
上智大学経済学部
1985年:68.2
1986年:68.4
1987年:64.6
1988年:67.5
1989年:68.2
1990年:70.3
1991年:69.8
青山学院大学経済学部経済学科
1985年:61.3
1986年:62.4
1987年:59.9
1988年:60.9
1989年:65.6
1990年:66.1
1991年:66.7
立教大学経済学部経済学科
1985年:61.5
1986年:60.1
1987年:60.8
1988年:61.7
1989年:66.2
1990年:66.5
1991年:67.5
日本大学経済学部経済学科
1985年:53.8
1986年:55.4
1987年:53.7
1988年:55.6
1989年:61.0
1990年:61.8
1991年:61.5
東洋大学経済学部経済学科
1985年:52.4
1986年:51.5
1987年:51.9
1988年:53.0
1989年:57.1
1990年:57.8
1991年:60.0
専修大学経済学部経済学科
1985年:54.9
1986年:54.7
1987年:53.9
1988年:54.6
1989年:59.2
1990年:60.2
1991年:60.9
駒澤大学経済学部経済学科
1985年:52.5
1986年:53.5
1987年:52.5
1988年:52.5
1989年:58.8
1990年:60.8
1991年:62.0
大東文化大学経済学部経済学科
1985年:48.9
1986年:47.4
1987年:48.5
1988年:50.7
1989年:55.2
1990年:57.4
1991年:58.3
亜細亜大学経済学部経済学科
1985年:48.4
1986年:48.7
1987年:47.4
1988年:50.0
1989年:55.8
1990年:58.4
1991年:59.9
帝京大学経済学部経済学科
1985年:45.4
1986年:43.8
1987年:43.9
1988年:45.3
1989年:49.3
1990年:50.5
1991年:54.2
国士舘大学政経学部経済学科
1985年:39.1
1986年:41.2
1987年:42.4
1988年:44.6
1989年:49.3
1990年:52.2
1991年:53.8
同志社大学経済学部経済学科
1985年:65.9
1986年:63.9
1987年:62.3
1988年:63.2
1989年:67.9
1990年:69.5
1991年:70.7
関西学院大学経済学部経済学科
1985年:64.7
1986年:61.4
1987年:61.8
1988年:62.2
1989年:67.8
1990年:68.4
1991年:69.1
立命館大学経済学部経済学科
1985年:58.6
1986年:58.1
1987年:56.8
1988年:58.9
1989年:63.5(A方式)
1990年:65.8(A方式)
1991年:65.7(A方式)
関西大学経済学部経済学科
1985年:59.7
1986年:57.6
1987年:58.4
1988年:59.2
1989年:63.0
1990年:65.0
1991年:64.8
甲南大学経済学部経済学科
1985年:56.9
1986年:54.3
1987年:55.0
1988年:56.9
1989年:61.4
1990年:60.7
1991年:61.6
京都産業大学経済学部経済学科
1985年:54.2
1986年:54.9
1987年:54.0
1988年:55.5
1989年:59.3
1990年:61.9
1991年:61.3
龍谷大学経済学部経済学科
1985年:55.9
1986年:52.6
1987年:53.1
1988年:55.2
1989年:59.5
1990年:61.9
1991年:60.9
近畿大学商経学部経済学科
1985年:51.6
1986年:51.5
1987年:51.6
1988年:52.8
1989年:56.1
1990年:58.8
1991年:58.5
大阪産業大学経済学部経済学科
1985年:–(データなし)
1986年:43.9
1987年:46.2
1988年:47.1
1989年:51.7
1990年:55.2
1991年:53.7
桃山学院大学経済学部経済学科
1985年:45.6
1986年:47.2
1987年:47.5
1988年:48.3
1989年:53.6
1990年:55.6
1991年:56.8
阪南大学経済学部経済学科
1985年:40.9
1986年:44.1
1987年:44.0
1988年:47.6
1989年:50.7
1990年:54.5
1991年:54.1
大阪学院大学経済学部経済学科
1985年:47.2
1986年:49.0
1987年:43.7
1988年:46.2
1989年:51.6
1990年:54.6
1991年:51.4
追手門学院大学経済学部経済学科
1985年:46.9
1986年:47.3
1987年:46.6
1988年:50.0
1989年:53.2
1990年:56.4
1991年:54.6
1985年度~1991年度入試では、特に日東駒専・産近甲龍以下の偏差値が急上昇した
なぜ、ここまで偏差値が急上昇したのか? その理由は?
ご紹介した大学偏差値の推移をご覧いただけるとわかると思いますが、
早慶上智の偏差値はさほど変わらず、
MARCH・関関同立クラスが偏差値5アップ。
日東駒専(日本大学・東洋大学・駒沢大学・専修大学)と
産近甲龍(京都産業大学・近畿大学・甲南大学・龍谷大学で、偏差値6~8アップ。
大東亜帝国(大東文化大学・東海大学・亜細亜大学・帝京大学・国士舘大学)クラスでは、偏差値9~14アップ。
と、上位校よりも「何とかこのランクの大学までには滑り込みたい」という大学群のレベルが上がっているのが特徴的です。
また、この頃には大学群の呼び方として、
・JARWK(上智大学・青山学院大学・立教大学・早稲田大学・慶應義塾大学)や
関西の中堅以下では、
・産院南大門(大阪産業大学・桃山学院大学・阪南大学・大阪学院大学・追手門学院大学)
という括りが存在したようです。
短期間のうちに、私立大学の偏差値が中堅以下を中心に急上昇した理由。
1.18歳人口の増加
2020年に18歳を迎えた人口(18歳人口)は、全国で116万7348人でした(リクルート進学総研調べ)。
2021年に18歳を迎える人口(18歳人口)は、全国で113万6822人とリクルート進学総研で予測されています。
しかしこの時代、18歳人口は現在と比べものにならない多さでした。
1985年~1991年の18歳人口を見てみましょう
1985年には 155万6578人(丙午 ひのえうま)。
1986年には 185万0694人
1987年には 188万2768人
1988年には 188万2034人
1989年には 193万3616人
1990年には 200万5425人
1991年には 204万4923人
が、それぞれ18歳を迎えていました
当時は、〝女子は短期大学進学の方が、就職面で有利〟というのが実情であり
男女を合わせれば、現在よりも大学進学率は低かったものの、大学進学希望者数は確実に増加していました。
2020年度入試になりますが、日本の大学数は国立・公立・私立合わせて781校です。
しかし、この時代の大学数は、
1985年で国立大学:95校 公立大学:34校 私立大学:331校 合計:460校
1990年で国立大学:96校 公立大学:39校 私立大学:372校 合計:507校
となっていました。
本格的に大学数が増加(主に私立大学)したのは2000年以降になります。
2000年 国立大学:99校 公立大学:72校 私立大学:478校 合計649校
2005年 国立大学:87校 公立大学:86校 私立大学:553校 合計726校
2010年 国立大学:86校 公立大学:95校 私立大学:597校 合計778校
・現在より18歳人口(母数)が大きい
・大学数が現在より少ない
・男子を中心に四年制大学進学率が上昇期にあった。
2.大学側の入試制度改革
大学側が入試改革をおこない、3教科入試から2教科入試とするなど、入試の軽量化に取り組みました。
受験生の側からすると、「2教科に減ったのなら受かるかも」と受験者数が増加した。
3.高偏差値の生徒が滑り止めに中堅校を受験していた
いくら塾や予備校の模試で良い成績を収めて、〝A判定〟や〝合格率80%以上〟となっていても、
実際の入試で、合格が保証されている訳ではありません。
受験生の心理は大変センシティブなものです。
周囲から「私大は偏差値が上昇している。滑り止めに、ワンランク下の○○大や○○大を受けてみてはどうか」
と勧められれば、
「そうか。科目数が少ない大学なら負担も軽い。受験してみようか」と考えて、
実際に受験するケースがそれなりにあったようです。
そうすると、合格する生徒の偏差値が上がります。
翌年の入試になると、この上昇した偏差値に応じて、また高偏差値の生徒も含めて受験生が集まり、
さらに、大学偏差値を上げていくというスパイラルがありました。
いかがだったでしょうか?
特に1970年(昭和45年)~1973年(昭和48年)に生まれた方は、
急変する大学の難易度に驚きながら、受験に臨まれていたのではないでしょうか?
この時代の中堅大学受験生をテーマにした原秀則の『冬物語』は人気作
この時代の中堅大学受験生をテーマにした漫画に原秀則の『冬物語』があります。
ネタバレになってしまいますが、主人公の森川光は日東駒専に全敗して、
当時としては最下位ランクの八千代商科大学にも不合格となり、浪人生活に突入します。
一浪後、八千代商科大学に合格して入学しますが、
日東駒専を諦めきれずに、八千代大を休学して、結局、二浪の末に専修大学に補欠合格して入学します。
今から見れば、ものすごく地味な話なのですが、
当時の受験生にとってはリアリティがあったのか、
人気漫画となり、1989年には映画化もされています。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
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