【2023年度】大学入試 関西私立大学最新予測難易度・偏差値 文系
【2023年度】大学入試 全国難関国立大学最新予測難易度・偏差値 文系 ※本ページはアフィリエイト広告を利用しています はる坊です。 今回は、【2023年度】大学入試 関西私立大学最新予測難易度・偏差値 文系をお届けしま…
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早稲田大学政治経済学部
早稲田大学法学部
早稲田大学商学部
早稲田大学第一文学部
慶應義塾大学経済学部
慶應義塾大学文学部国文学専攻
上智大学法学部
上智大学外国語学部英米語学科
中央大学法学部法律学科
上智大学経済学部経営学科
上智大学文学部英文学科
上智大学外国語学部ドイツ語学科
上智大学文学部仏文科
国際基督教大学(ICU)教養学部言語学科
早稲田大学教育学部英語英文学科
早稲田大学教育学部教育心理学科
同志社大学文学部心理学専攻
早稲田大学教育学部国語国文学科
上智大学文学部史学科
上智大学文学部国文学科
上智大学外国語学部比較文化学科
上智大学経済学部経済学科
青山学院大学文学部史学科
青山学院大学文学部英米文学科
中央大学法学部政治学科
学習院大学法学部法律学科
立教大学法学部法律学科
国際基督教大学(ICU)教養学部人文科学科
同志社大学文学部史学科
同志社大学文学部英文学科
同志社大学文学部国文学科
同志社大学法学部法律学科
立命館大学文学部日本史学科
立命館大学文学部英米文学科
関西学院大学経済学部
慶應義塾大学商学部
慶應義塾大学法学部法律学科
学習院大学経済学部経済学科
学習院大学文学部仏文学科
学習院大学文学部国文学科
学習院大学文学部心理学科
立教大学経済学部経済学科
立教大学社会学部産業関係学科
立教大学文学部英米文学科
立教大学文学部日本文学科
立教大学文学部心理学科
青山学院大学経済学部
青山学院大学法学部
青山学院大学文学部日本文学科
明治大学政治経済学部経済学科
明治大学法学部政治学科
明治大学文学部東洋史学科
上智大学文学部哲学科
中央大学文学部心理学科
東京女子大学文理学部文系
成城大学文芸学部国文学科
國學院大學文学部史学科
南山大学外国語学部英米語学科
南山大学文学部国語国文学科
同志社大学経済学部
同志社大学法学部政治学科
同志社大学文学部新聞学専攻
関西大学経済学部
関西大学法学部法律学科
関西大学文学部史学科
関西学院大学商学部
関西学院大学法学部
関西学院大学文学部
立命館大学文学部日本文学科
中央大学経済学部経済学科
中央大学商学部会計学科
中央大学文学部英文学科
学習院大学文学部独文科
明治大学商学部
明治大学文学部仏文科
明治大学文学部西洋史学科
成城大学法学部
成城大学文芸学部
法政大学法学部
法政大学文学部英文学科
法政大学文学部史学科
明治学院大学文学部英文学科
立教大学文学部教育学科
國學院大學文学部日本文学科
日本女子大学文学部国文学科
南山大学文学部仏文学科
南山大学法学部
立命館大学経済学部経済学科
立命館大学文学部中国文学科
関西大学商学部
関西大学法学部政治学科
関西大学文学部英文学科
関西大学文学部国文学科
関西学院大学社会学部
同志社大学文学部哲学・倫理専攻
京都女子大学文学部英文学科
中央大学経済学部国際経済学科
中央大学商学部経営学科
中央大学文学部仏文科
早稲田大学教育学部体育学科
早稲田大学社会科学部
法政大学経営学部
法政大学文学部日本文学科
成城大学経済学部経済学科
成蹊大学経済学部経済学科
成蹊大学法学部法律学科
成蹊大学文学部日本文学科
成蹊大学文学部英米文学科
明治学院大学法学部
明治学院大学文学部仏文科
明治大学文学部演劇学科
駒沢大学文学部史学科
専修大学経済学部
専修大学文学部人文学科
愛知大学法経学部法学科
愛知大学文学部英文学科
南山大学文学部哲学科
甲南大学経済学部
甲南大学法学部
京都産業大学経済学部
京都産業大学外国語学部
同志社大学商学部
関西大学文学部仏文科
関西大学文学部哲学科
西南学院大学経済学部
早稲田大学第二文学部
中央大学法学部第二部
明治大学政治経済学部第二部
日本大学法学部法律学科
日本大学文理学部心理学科
青山学院大学第二経済学部
専修大学商学部商学科
専修大学法学部
専修大学文学部英米文学科
明治学院大学経済学部経済学科
明治学院大学社会学部社会学科
國學院大學経済学部
國學院大學文学部哲学科
駒沢大学経済学部経済学科
武蔵大学経済学部経済学科
武蔵大学人文学部社会学科
創価大学法学部
東洋大学文学部国文学科
神奈川大学経済学部経済学科
愛知大学法経学部経済学科
南山大学経営学部
龍谷大学経済学部
甲南大学文学部
同志社大学経済学部第2部
西南学院大学商学部商学科
京都産業大学法学部
関西学院大学神学部
はる坊です。
映画やTVドラマで食をテーマにしたモノには人気があります。
その原作となっているのは、漫画や小説であることが多いです。
コミック作品がアニメ化されるのは珍しいことではありませんが、映画化やTVドラマ化されるのは、一般的にグルメものは視聴者にウケがいいと制作サイドが考えているからではないでしょうか。
漫画なら
『孤独のグルメ』(原作:久住昌之 作画:谷口ジロー)
『ワカコ酒』(新久千映)
『忘却のサチコ』(阿部潤)
『サチのお寺ごはん』(かねもりあやみ 原案協力:久住昌之 監修:青江覚峰)
『ラーメン大好き小泉さん』(鳴見なる)
などなど。
小説においても、
村上春樹や池波正太郎の料理や食事シーンの描写は特に巧みです。
村上作品の料理については『村上レシピ』として出版されていますし、池波正太郎はグルメについてのエッセイや生前愛した店をまとめた本も出版されています。
また、
『強運の持ち主』(瀬尾まいこ)
『食堂かたつむり』『喋々喃々』(小川糸)
の食に関するシーンは魅力的ですし、
『みをつくし料理帳』(高田郁)に至っては、この作品内に登場する料理のレシピ集『澪の料理帖』が出版されるまでになりました。
基本的に、作中の料理や食事シーンは、著者が、
「このキャラクターならこんなメニューが好きだろう。似合うだろうな」
とか、
「このキャラクターにはこういう料理を作らせたい」
という願望や読者サービスで描いているケースが多いのではないかと思います。
無論、作者の趣味・趣向が反映されていることはいうまでもありませんが。
そんななか、日本におけるハードボイルド小説の先駆者である大藪春彦は、作中のキャラクターと作者自身を同化させている人物であったと思います。
『野獣死すべし』『蘇える金狼』『汚れた英雄』が代表作になると思いますが、早稲田大学教育学部英文学科在学中に『野獣死すべし』を発表して、一躍〝売れっ子作家〟となった大藪は、これまでの貧弱な食生活に復讐するかのように、好き放題に食材を買い込み、外食に出掛けます。
実際のところ、大藪自身は『野獣死すべし』がベストセラーとなり映画化された(大藪が映画化の際に受けとった原作料は大卒初任給1万3000円の時代に50万円でした)といっても、専業作家・筆一本の生活に不安を覚えて、教員免許取得を目指して都内の私立女子高で教育実習をおこなっています。
ただ、その実習で黒板に銃の絵を描いて女子高生相手に銃の構造を説明したところ、現場の教師に怒られたエピソードもあるようですが。
また、卒業論文も執筆しましたが、作家稼業が多忙になり、結局のところ教員免許取得はできないまま早大を中退しています。
さて、大藪作品の特徴は、銃やクルマなどのメカニックについての描写が延々と続くイメージがありますが、実際のところは、作中全体にあらゆるもののディテールが盛り込まれています。
例えば、1960年代に書かれた大藪作品を読むと、時代背景や舞台となった場所の様子が克明に書かれています。
1970年代に描かれた作品も同じです。
大藪春彦は作品執筆中に少しでも気になることがあると、徹底的に調べ、時には自ら赴いて場所を正確に確認することを怠りませんでした。
そして、これは食事に関してもです。
大藪春彦は早大在学中の1958年(昭和33年)に『野獣死すべし』でデビューを果たし、一躍ベストセラー作家となると、23歳の若き青年作家は、小説執筆のエネルギー源として、買い物かごいっぱいに食材を買い込みます。
“「毎日、モツの焼き肉2キロ。カニだとでっかい毛ガニ三匹。マグロだとネギマ用の骨つき大なべにいっぱい」”
(引用:大藪春彦『荒野からの銃火』1979年 角川文庫より)
1961年(昭和36年)に、大藪は静龍子さんと結婚します。
龍子さんは日本大学文学部卒業後に、森脇文庫の『週刊スリラー』の編集者となり、大藪の担当編集者になったのが縁でした。
1996年(平成8年)2月26日に大藪春彦は61歳で亡くなります。
大藪と縁の深かった徳間書店では、その年の7月に『問題小説 増刊号 大藪春彦の世界』を出版しています。
この雑誌で、森村誠一と船戸与一が対談をしています。
そのなかで、大藪の早世を悼みながら、
“船戸:「前に大藪さんと対談したときに、新婚当初に夫婦ですき焼きとなるとだいたい一キロ肉を買ってきたというんですね。いくら何でも奥さんは、二百グラムも食えばいいと思うんですよ。そうしたらやっぱり大藪さんが八百グラム食っている(笑)」
森村:「めちゃくちゃなパワーですよね」”
という箇所がありますが、実際に大藪春彦と船戸与一が対談をした『諸士乱想―トーク・セッション18』(1994年 ベストセラーズ)を読むと、
大藪は、“「(龍子夫人と)ふたりですき焼きをするときには、肉を三キロ入れて食った」”
と語っています。
大藪春彦も船戸与一も故人となったいまでは、確認の仕様もありませんが、当時は、今よりも高級品だったすき焼き用の牛肉を大量に食べていたことだけは間違いないでしょう。
⇒WEBで和歌山県の熊野牛を変えるのはここだけ!【Meat Factory】
作家デビューを果たし、一躍流行作家となった大藪春彦は膨大な原稿を書きながら、狩猟にも精を出します。
あるとき、友人が和歌山県有田市にイノシシ猟に行き、大成果を挙げた報告を受けた大藪は居ても立ってもいられず、仕事を無理矢理に片付けて、勇躍、有田に向かいます。
大藪もイノシシ猟で大きな成果を挙げて、夜には地元の人と酒を飲みながらイノシシ肉を平らげます。
これが3日続いたあと、すっかりイノシシ肉を気に入った大藪は、お土産に大量のシシ肉を持ち帰り、東京でもイノシシ肉のすき焼きを楽しみます。
しかし、このときの大藪は鯨飲馬食で血圧が上昇していました。紀州でイノシシを追い続けていた3日間は汗まみれになって活動しているからいいのですが、東京で手先しか動かさない日々に戻ると、慢性的な睡眠不足と精神的な疲労もあり、大量の鼻血を鼻から吹き出す仕儀となります。
(イノシシ肉を大量に食べ続けると赤血球を破壊する作用があるようですね)
それでも、編集者は横で原稿を急ぐようにせっつきますが、ついに意識が朦朧としてきた大藪は病院に担ぎこまれて、1ヶ月ものあいだ、輸血を受ける羽目になります。
そのあいだも、大藪は口述筆記で仕事を続けなければなりませんでした。
1963年(昭和38年)頃には、チーズに凝ります。
世界中のチーズを収集して、グリュイエールをパンと同じ厚さに切ってロシアピクルスと一緒にサンドイッチにしてパクつきます。
しかし、ブルーチーズは分厚く切るのではなく、薄く切って2,3切れつまむほうが風味を味わえるとの結論に達します。
ちなみにチーズについては、一体どれだけの量を集めたのか、最後には冷蔵庫から耐えがたい肥だめのようなニオイを発し出したというオチがつきました。
この頃には、酒も自家製カクテルに凝り出します。
ウォッカ・マルティーニ(ウォッカ・マティーニ)をストリーチナヤ(ストリチナヤ)のウォッカを2本分痛飲します。
また、自家製カクテルでは、ジンフィズに凝った時期もあり、各社の担当編集者は、バーテンダー・大藪春彦に付き合わされることになりました。
ワイン初心者からソムリエ資格取得まで【アカデミー・デュ・ヴァン】
また、ソーセージにも凝りました。
大藪はハムが好きではなく、ソーセージが大好物でした。
ソーセージのなかでも、ボロニアソーセージやレバーソーセージがお気に入りで、1万円分ほどを買い込んでは、3日と保たず食べ尽くしました。
ちなみにこの話は1966年(昭和41年)に発表されたものです。
当時の大卒初任給は24,900円。
そんな時代に、1万円分のソーセージを3日足らずで食べ尽くしてしまうエネルギーには驚かされます。
大藪春彦は自分で料理をすることもありました。
自信のメニューはカツオのたたき、ビーフステーキ、ローストビーフ。
ときには、家族で、そして自宅に集った仲間に振る舞い。好評を博したようです。
自身の作品世界に登場する主人公・伊達邦彦 朝倉哲也 北野晶夫 西城秀夫 石川克也 杉田淳たちが好むメニューを大藪自身も好みました。
元々、大藪は中華料理好きでしたが、香港に取材旅行に赴いた際に現地で味わった美味が忘れられず、帰国後は、“「同じような味にめぐり会いたい」”と横浜中華街を一軒一軒試し歩きます。
大金をはたいて、巡礼者のごとく中華街をうろつきますが、満足できる店が見つからず、ついにあるお店で〝アワビのハラワタのからあげ〟を見つけたときは、感動をしたようです。
(これは馳星周の『マンゴープリン』のエピソードと少し似ていますね。)
馳星周公式サイト「Sleepless City」内 Hase’s Note「マンゴープリン」(新しいタブが開きます)
また、大藪春彦=肉類・ステーキというイメージがありますが、海産物も大好きで、新潟に猟へ出掛けた際には、寒ブリと子持ちスケソウダラ、そして越後米の味に感激しています。
ウニ・アワビ・エビなどは、わざわざ新鮮なものを求めて、海岸にある店に食べに出掛け、晩酌の肴に刺身を食べるときは、最低3人前を食べないと気が済みませんでした。
大藪春彦は1964年(昭和39年)の終わりに、東南アジアとヨーロッパを訪れます。
そして、〝アブランド・ゲーム〟と呼ばれる、ヤマドリ・キジ・コジュウケイなどを標的とする猟にのめり込みます。
そして、1970年代に入ると、本格的に海外にハンティングに出掛けるようになります。
1972年 アラスカ
1973年 ニュージーランド・オーストラリア
1975年 アフリカ・ザンビア
1977年 モンゴル・ハエ・アルタイ山脈、カナダロッキー、モンタナロッキー
1980年 アフリカのサファリ
1981年 アメリカでシューティングツアーに参加
1982年に急性膵炎に倒れるまで、世界中で〝ザ・ビッグ・ゲーム〟を続けました。
そのなかで、野性の味に舌鼓を打ちます。
大藪曰く、
・ムース(大ヘラジカ)は、ステーキやカツレツにすると美味い。
・赤シカはステーキやシチューにするといい。ただしメス。
・ナイル川を泳ぐナイルワニの尻尾は、エビの味に似ている。
・象の鼻はゼラチン質。
・オーストラリアのオオトカゲのしっぽの蒸し焼きは、イカの生干しそっくりの味。
前述しましたように、1982年に大藪は膵炎に倒れます。そして、亡くなるまでに3度の入院を経験して、最後までこの病に悩まされることとなります。
晩年の大藪春彦は、酒もほとんど飲まず、タバコも1日5本までに制限されます。
それでも、退院後は、ラーメンを食し、やがて大盛りを頼むようになります。
最晩年は、自宅近くのそば屋の天盛りを好みました。(もちろん、大盛りです)
1996年2月26日 夕方近く 大藪春彦はこの世から旅立ちました。
享年61。
最後に食したのは、龍子夫人とともにした昼食で出された甘塩鮭でした。
自分のぶんを平らげると、龍子夫人の分まで手を付けます。
大藪春彦は、最後までグルマン・食いしん坊を貫き通しました。
大藪春彦は鳥猟の相棒として、チリーと名付けたセッターを千葉県のハンターから譲り受けました。
大藪の相棒として、そして猟犬としては優れていましたが、大藪が仲間と狩りに出掛けて、仲間が撃った鳥は口にくわえて戻ってこずに、土の中に埋めてしまうという癖もありました。
ある日、大藪が家族とともに自宅に戻ると、異臭が漂っていました。
チリーが大藪の酒の肴であるスルメを大量に食べて、水を飲み、胃の中で膨らんだスルメを吐き出していたからです。
ビックリする大藪家の面々をよそに、チリーは洋室でグーグーと大いびきをかきながらお休み中でした。
チリーは、大藪の晩酌風景を見ていて、スルメに興味を持ったのでしょう。
家庭に飼われる犬としては、少し間抜けな面があったようですが、チリーは大藪家にとってかけがえのない家族だった、と思います。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
ちなみに、管理人自身が一番好きな大藪作品は、
『戦士の挽歌(バラード)』
『ヘッド・ハンター』です。
ひとつには絞りきれません。
この記事をここまで読んでくださった方なら、大藪ワールドを楽しんでいただけると思います。
おすすめです。
はる坊です。
これまで、大昔の大学入試偏差値について、1972年(昭和47年)と1976年(昭和51年)の大学偏差値一覧表を掲載しました。
(各年のリンクを一番下に設けております)
今回ご紹介するのは、1968年(昭和43年)入試の大学難易度です。
残念ながら、偏差値ではなく18分類で難易度が示されています。
難易度は、1上位~6下位まで18段階です。
ニュースソースは、新宿高等予備校・駿台高等予備校・一橋学院・武蔵高等予備校・代々木ゼミナール・早稲田ゼミナール・早稲田予備校・大阪アベノYMCA学院大学予備校・近畿予備校などのデータから抽出されたものです。
当時の受験生は、現役生で1949年(昭和24年)~1950年(昭和25年)生まれの方になります。
現在は69~70歳。
ギリギリで『団塊の世代』に掛かっています。
この年の18歳人口は236万人(出典:18歳人口と高等教育機関への進学率等の推移 – 文部科学省)
このうち大学進学率は19.2%。
現役生・浪人生を併せて、大学受験に臨んだのは83万人といわれています。
お金のほうに目を移しますと、国立大学の年間授業料は12,000円
対する私立大学の年間授業料は、平均ですが文系で74,100円、理系で99,800円
随分と差があります。(出典:年次統計)
国公立大学の難易度が私立大学に比べて格段に高い理由は頷けます。
国公立大学が絶対的に優位な時代だったことが読み取れます。
私立大学の動きとしては、早稲田大学・慶應義塾大学に次いで上智大学が人気を集め、学生運動が華やかな頃であった為、学生運動にあまり関わりの少なかった成蹊大学や武蔵大学といったごぢんまりとした大学が見直された時期でもあるようです。
また、関西では学費の安さを武器に立命館大学の人気が上がってきた頃でもあります。
1968年の社会で身近な出来事としては、
・日清食品が『出前一丁』を、大塚食品が『ボンカレー』を、明治製菓『カール』をサンヨー食品が『サッポロ一番 みそラーメン』をそれぞれ発売開始。
・『ビッグコミック』『週刊少年ジャンプ』創刊。
・トヨタ自動車がコロナマークIIを発売開始。
・いすゞ自動車が117クーペを発売開始。
・川端康成がノーベル文学賞を受賞。
・東京都府中市で、迷宮入りとなった三億円強奪事件が発生。
・和田アキ子デビュー。
という年でした。
それでは、1968年の大学難易度ランキング表をご覧ください。
東京大学文科一類
東京大学文科二類
東京大学文科三類
一橋大学商学部
一橋大学大学経済学部
一橋大学法学部
お茶の水女子大学文教育学部
京都大学法学部
京都大学経済学部
東京外国語大学外国語学部
大阪大学法学部
大阪大学経済学部
東北大学法学部
東北大学経済学部
一橋大学社会学部
お茶の水女子大学家政学部
京都大学文学部
九州大学法学部
九州大学経済学部
北海道大学文類
東京教育大学教育学部
横浜国立大学経済学部
横浜国立大学経営学部
名古屋大学経済学部
大阪外国語大学外国語学部
神戸大学経済学部
千葉大学文理学部
東京教育大学文学部
東京都立大学人文学部一部
東京都立大学法学部一部
東京都立大学経済学部一部
横浜市立大学商学部
横浜市立大学文理学部
神戸大学経営学部
小樽商科大学商学部
埼玉大学経済学部
神戸大学法学部
滋賀大学経済学部
神戸商科大学商経学部
大阪市立大学経済学部一部
大阪市立大学法学部一部
東京大学理科一類
東京大学理科二類
東京大学理科三類
京都大学医学部
京都大学工学部
東北大学医学部医学科
東京医科歯科大学医学部
東京工業大学工学部
東京工業大学理学部
京都大学理学部
大阪大学医学部
北海道大学医学部進学課程
東北大学工学部
千葉大学医学部
千葉大学工学部
お茶の水女子大学理学部
大阪大学理学部
九州大学医学部
北海道大学理類
東京教育大学理学部
横浜市立大学医学部
新潟大学医学部進学課程
京都大学農学部
岡山大学医学部進学課程
九州大学工学部
群馬大学医学部進学課程
東京都立大学理学部一部
東京都立大学工学部一部
横浜国立大学工学部
金沢大学医学部進学課程
名古屋大学工学部
大阪大学基礎工学部
大阪大学工学部
広島大学医学部進学課程
埼玉大学理工学部
電気通信大学電気通信学部
東京農工大学工学部
京都工芸繊維大学工芸学部
東京医科歯科大学歯学部
新潟大学工学部
金沢大学工学部
奈良女子大学理学部
広島大学工学部
茨城大学工学部
群馬大学工学部
東京農工大学農学部
※3上位ランクからスタートです。
慶應義塾大学経済学部
早稲田大学政治経済学部
上智大学外国語学部
国際基督教大学(ICU)教養学部
津田塾大学学芸学部
慶應義塾大学法学部
早稲田大学法学部
早稲田大学商学部
慶應義塾大学文学部
慶應義塾大学商学部
上智大学外国語学部
早稲田大学第一文学部
東京女子大学文理学部
同志社大学法学部
同志社大学経済学部
関西学院大学経済学部
上智大学経済学部
中央大学法学部
早稲田大学教育学部
同志社大学文学部
同志社大学商学部
関西学院大学法学部
上智大学法学部
明治大学商学部
立教大学経済学部
立命館大学法学部
関西学院大学文学部
関西学院大学社会学部
関西学院大学経済学部
青山学院大学文学部
青山学院大学経済学部
青山学院大学法学部
学習院大学経済学部
中央大学商学部
法政大学経済学部
明治大学政治経済学部
青山学院大学経営学部
学習院大学法学部
学習院大学文学部
中央大学経済学部
明治大学法学部
立教大学文学部
武蔵大学経済学部
日本女子大学文学部
日本女子大学家政学部
成蹊大学政治経済学部
立教大学社会学部
立教大学法学部
※2上位ランクからのスタートです。
慶應義塾大学医学部
早稲田大学理工学部
該当大学なし
慶應義塾大学工学部
東京医科大学医学部進学課程
日本医科大学医学部
同志社大学工学部
関西学院大学理学部
上智大学理工学部
東京女子医科大学医学部進学課程
東京歯科大学歯学部進学課程
立命館大学理工学部
該当大学なし
成蹊大学工学部
中央大学理工学部
日本大学理工学部
青山学院大学理工学部
明治大学工学部
はる坊です。
以前に1972年度の大学偏差値をご紹介しました。
今回はその4年後、1976年度の私立大学入試の偏差値をご紹介します。
データは1975年11月に行われた代々木ゼミナールの公開模試に基づいたものです。
今回ご紹介する偏差値表では、
○○大学○○学部・・・偏差値○○
という形ではなく、合格可能圏偏差値として、○○~○○という数値が並びます。
これには理由があります。
1975年以前では、私立大学は合格発表後から一週間前後には入学手続きをとり、入学金・授業料・施設料などをまとめて徴収して、その後、別の私立大学や国公立大学の入試に合格しても、一度支払われた入学費用は、一切返還されないという形がとられていました。
国公立大学を狙う受験生の場合、浪人覚悟の場合や「国公立1本で大丈夫。必ず合格する」という自信満々の受験生はともかく、大半の受験生は、私大を滑り止めとして受けて、うち一校に、入学金・授業料・施設料などの入学時納入金額を収めた上で、第一志望を受験していました。
そして第一志望の国公立に合格しても、前もって滑り止めに支払った入学時納入金は一切返還されないのが決まりでした。
私立大学専願の受験生でも、第一志望の受験日が遅い時期であれば、早い時期に合格した滑り止めに入学金等を支払わなければなりませんでした。
その額、私立文系で20万円~35万円。
年次統計によると大卒初任給89,300円だった時代です。
これは受験生を抱える家庭にとっては、大きな負担だと考えられていました。
この状況に対して、受験生やその父兄からは、「私立大のタダ取り」ではないかという指摘が数多くあり、この年からは大半の私立大学において、入学申込金(入学金)や〝登録料〟と呼ばれる費用を合格後に納めれば、一定期間(国公立大学の入試合否判明まで等)、費用の延納を認めたり、一旦、入学時納入金は納めるものの、あとで手続きをすれば、入学金以外は受験生側に返金するというシステムがつくられました。
その為、この年からは私立大学の併願数が増加するのでは?
という予測がされたのですが、実際に、併願数が増加するかはこの時点ではわからず、
偏差値○○~○○が、○○大学○○学部の合格可能圏偏差値
と発表されたのでした。
それでは、発表された大学の難易度を見ていきましょう。
岩手医科大学
医学部・・・・・55~57
歯学部・・・・・51~57
早稲田大学
政治経済学部・・・・・・58~63
法学部・・・・・・・・・58~60
商学部・・・・・・・・・58~60
第一文学部・・・・・・・58~60
教育学部・・・・・・・・55~60
理工学部(建築)・・・・58~63
理工学部(その他)・・・58~60
慶應義塾大学
法学部・・・・・・・・・55~60
経済学部・・・・・・・・55~60
文学部・・・・・・・・・58~60
商学部・・・・・・・・・55~60
工学部・・・・・・・・・58~60
医学部・・・・・・・・・64~67
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明治大学
法学部・・・・・・・・・55~57
商学部・・・・・・・・・55~57
政治経済学部(政治)・・51~57
政治経済学部(経済)・・51~57
経営学部・・・・・・・・51~57
工学部(建築)・・・・・55~60
工学部(その他)・・・・55~57
文学部・・・・・・・・・55~57
農学部・・・・・・・・・40~50
立教大学
経済学部・・・・・・・・55~60
法学部・・・・・・・・・55~60
文学部Ⅰ・・・・・・・・58~60
文学部Ⅱ・・・・・・・・55~60
理学部・・・・・・・・・51~60
社会学部・・・・・・・・51~57
※文学部Ⅰ・Ⅱは専攻によって分けられていたものと思われる。
法政大学
工学部・・・・・・・・・48~54
法学部・・・・・・・・・51~54
経済学部・・・・・・・・51~57
経営学部・・・・・・・・48~54
社会学部・・・・・・・・51~54
文学部・・・・・・・・・51~54
中央大学
法学部(法律)・・・・・58~60
法学部(政治)・・・・・55~60
経済学部・・・・・・・・51~57
商学部・・・・・・・・・51~57
理工学部・・・・・・・・55~60
文学部・・・・・・・・・51~57
上智大学
外国語学部・・・・・・・58~63
文学部Ⅰ(文学)・・・・58~60
文学部Ⅱ(その他)・・・58~60
理工学部Ⅰ・・・・・・・55~60
理工学部Ⅱ・・・・・・・58~60
経済学部・・・・・・・・55~60
法学部・・・・・・・・・55~60
※理工学部Ⅰ・Ⅱは専攻によって分けられていたものと思われる。
津田塾大学
学芸学部(国際)・・・・・58~60
学芸学部(英文)・・・・・58~60
学芸学部(数学)・・・・・58~60
青山学院大学
文学部(英文)・・・・・・58~60
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1972年(昭和47年)の大学入試偏差値(難易度)を調べてみました。
はる坊です。
私が大学受験を経験したのも遙か昔のことになってしまいました。
ふと、「大昔の大学受験はどうだったのだろう?」という疑問が湧いてきて、調べてみました。
手に入ったのは、1972年(昭和47年)の大学入試難易度(偏差値)表です。
当時の受験生は、現役生で1953年(昭和28年)~1954年(昭和29年)生まれの方になります。現在は64~65歳、仕事の第一線からリタイアされた方、企業の役員を務められている方、専門職でバリバリ働きながら後進に指導をおこなっておられる方、いろいろな方がおられると思います。
ちなみに大学卒業時には、オイルショックに見舞われて、例年より就職に苦労した経験を持たれている世代でもあります。
民間企業への就職が狭き門となった為に、国家公務員中級職(国家公務員Ⅱ種を経て、現在の国家公務員一般職)や地方公務員に本格的に目を向けて、入庁、入職した最初の世代でもあります。(地方の役場では、それまで大卒が仕事をしていることは珍しかったところもあります)
私が大学受験に臨む頃や社会へ出てから、何かの拍子で「××大なんて、名前を書けば誰でも入れた」とか「○○大は難しかった」という話を、ホンネか冗談か真に受けることもなく聞いたことがありますが、今回のデータで「なるほどなあ」と思うものもありました。
世間の評価は時代によって移り変わっていくものですね。
もっとも、東大・京大と国公立医学部が最難関であることは変わりませんが。
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