

はる坊です。
2001年分~2004年分の高額納税者公示(長者番付)において、『俳優・タレント部門』『歌手部門』『その他・文化人部門』上位20位までにランクインした面々を紹介させていただきます。はる坊です。
2001年分~2004年分の高額納税者公示(長者番付)において、『俳優・タレント部門』『歌手部門』『その他・文化人部門』上位20位までにランクインした面々を紹介させていただきます。
ちなみに吉本興業とエージェント契約を交わした加藤浩次は、2001年3月6日に有限会社加藤タクシーを資本金300万円で、東京都世田谷区内に設立している。これは収入が増加し、節税のために個人事務所設立をおこなったものと推測される。
また、2002年分以降は、個人としては高額収入を得ている漫画家の納税額やプロダクションの申告所得も参考データとして用意しました。
1位 石橋貴明 1億9416万円(とんねるず)
2位 みのもんた 1億5283万円
3位 中居正広 1億4378万円(SMAP)
4位 木梨憲武 1億3684万円(とんねるず)
5位 浜田雅功 1億1766万円(ダウンタウン)
6位 松本人志 1億0871万円(ダウンタウン)
7位 ビートたけし 1億0179万円
8位 飯島直子 9224万円
9位 木村拓哉 9016万円(SMAP)
10位 明石家さんま 8637万円
11位 松たか子 8035万円
12位 KONISHIKI 8013万円
13位 峰竜太 7887万円
14位 松嶋菜々子 7812万円
15位 田村正和 7799万円
16位 堺正章 7753万円
17位 中村玉緒 7738万円
18位 タモリ 7338万円
19位 香取慎吾 6907万円(SMAP)
20位 草彅剛 6839万円(SMAP)
1位 浜崎あゆみ 4億2611万円
2位 稲葉浩志 3億5746万円(B’z)
3位 宇多田ヒカル 3億1889万円
4位 松本孝弘 2億7771万円(B’z)
5位 桑田佳祐 2億1605万円(サザンオールスターズ)
6位 倉木麻衣 1億5587万円
7位 矢沢永吉 1億3124万円
8位 椎名林檎 1億1196万円
9位 MISIA 1億0374万円
10位 井上陽水 9797万円
11位 福山雅治 9328万円
12位 布袋寅泰 9323万円
13位 桜井和寿 9230万円(Mr.Children)
14位 藤井フミヤ 9115万円
15位 北川悠仁 8903万円(ゆず)
16位 TAKURO 8057万円(GLAY)
17位 竹内まりや 7944万円
18位 岩沢厚治 7031万円(ゆず)
19位 北島三郎 6211万円
20位 YUKI 6159万円(JUDY AND MARY)
1位 高橋留美子 2億2536万円(漫画家)
2位 千宗室 2億1371万円(茶道家元)
3位 秋元康 2億0218万円(作詞家)
4位 小室哲哉 1億8393万円(音楽プロデューサー)
5位 つんく 1億6541万円(音楽プロデューサー)
6位 青山剛昌 1億6234万円(漫画家)
7位 平山郁夫 1億3129万円(日本画家)
8位 浅利慶太 1億2288万円(舞台演出家)
9位 中島千波 1億0977万円(日本画家)
10位 堀井雄二 1億0106万円(ゲームデザイナー)
11位 久米宏 9870万円(ニュースキャスター)
12位 永六輔 9636万円(文筆家)
13位 伊秩弘将 8455万円(音楽プロデューサー)
14位 車田正美 8412万円(漫画家)
15位 大前研一 8062万円(経済評論家)
16位 石井和義 5518万円(K-1プロデューサー)
17位 小倉智昭 4854万円(司会者)
18位 赤塚不二夫 4767万円(漫画家)
19位 遠藤実 4478万円(作曲家)
20位 篠山紀信 4456万円(写真家)
1位 中居正広 1億6808万円(SMAP)
2位 みのもんた 1億6644万円
3位 石橋貴明 1億6126万円(とんねるず)
4位 浜田雅功 1億1992万円(ダウンタウン)
5位 木梨憲武 1億1862万円(とんねるず)
6位 松本人志 1億0453万円(ダウンタウン)
7位 松たか子 1億0158万円
8位 飯島直子 9094万円
9位 明石家さんま 9000万円
10位 木村拓哉 8422万円(SMAP)
11位 中村玉緒 8044万円
12位 峰竜太 7507万円
13位 堺正章 7368万円
14位 田村正和 7283万円
15位 タモリ 7013万円
16位 織田裕二 6967万円
17位 太田光 6910万円(爆笑問題)
18位 草彅剛 6885万円(SMAP)
19位 ビートたけし 6817万円
20位 志村けん 6671万円
1位 浜崎あゆみ 3億7761万円
2位 宇多田ヒカル 3億4358万円
3位 松本孝弘 3億1149万円(B’z)
4位 稲葉浩志 1億9751万円(B’z)
5位 MISIA 1億4729万円
6位 矢沢永吉 1億3428万円
7位 桑田佳祐 1億1838万円(サザンオールスターズ)
8位 桜井和寿 1億0815万円(Mr.Children)
9位 小田和正 1億0788万円
10位 中村正人 9164万円(DREAMS COME TRUE)
11位 降谷建志 9062万円(Dragon Ash)
12位 TAKURO 8111万円(GLAY)
13位 藤井フミヤ 7745万円
14位 吉田美和 7705万円(DREAMS COME TRUE)
15位 倉木麻衣 7658万円
16位 北島三郎 7221万円
17位 長渕剛 6987万円
18位 竹内まりや 6928万円
19位 山下達郎 6787万円
20位 布袋寅泰 6776万円
1位 竹村健一 2億7661万円(評論家)
2位 大川隆法 2億7168万円(幸福の科学 総裁)
3位 小室哲哉 2億4020万円(音楽プロデューサー)
4位 平山郁夫 1億9898万円(日本画家)
5位 千玄室 1億8372万円(前 茶道家元)
6位 浅利慶太 1億8350万円(舞台演出家)
7位 つんく 1億7235万円(音楽プロデューサー)
8位 高橋留美子 1億7214万円(漫画家)
9位 秋元康 1億6265万円(作詞家)
10位 許斐剛 1億5917万円(漫画家)
11位 青山剛昌 1億3512万円(漫画家)
12位 稲葉 賀惠 1億2809万円(ファッションデザイナー)
13位 大前研一 1億0306万円(経済評論家)
14位 小林祥晃 1億0046万円(Dr.コパ 風水師)
15位 石井和義 9299万円(K-1プロデューサー)
16位 久米宏 9016万円(ニュースキャスター)
17位 芦田淳 7424万円(ファッションデザイナー)
18位 浦沢直樹 6177万円(漫画家)
19位 阿久悠 5237万円(作詞家)
20位 松浦勝人 5221万円(音楽プロデューサー)
※1位の竹村健一はアメリカでの不動産投資に成功してのランクイン。
※10位の許斐剛は『テニスの王子様』人気で初登場。
また、売れっ子漫画家はプロダクションを作っていることが多く、その大半が法人化されている。
漫画家本人は社長や役員に就任しており、プロダクションから給与をもらう形で報酬を得ている。
これは、節税を兼ねており、1960年代よりこのシステムは導入されている。
2002年分の漫画家プロダクションの申告所得一覧は以下のとおり
尾田栄一郎 約7億0800万円 ビリーウッド
鳥山明 約6億1700万円 バードスタジオ
井上雄彦 約6億0700万円 アイティプランニング
高橋和希 約4億1200万円 スタジオダイス
藤子・F・不二雄 約3億7300万円 藤子エフ不二雄プロ
岸本斉史 約2億7100万円 スコット
北条司 約2億0600万円 アトリエねこまんま
武井宏之 約1億8300万円 武井プロダクション
秋本治 約1億8200万円 アトリエびーだま
やなせたかし 約1億5700万円 やなせスタジオ
矢沢あい 約1億5700万円 矢沢漫画製作所
河合りつ子 約1億5100万円 とっとこ堂
許斐剛 約1億3400万円 ティケィワークス
森川ジョージ 約1億2600万円 スタジオジェイ
小畑健 約9900万円 ノエル
水島新司 約7200万円 水島プロダクション
永井豪 約5800万円 ダイナミックプロダクション
弘兼憲史 約4900万円 ヒロカネプロダクション
1位 みのもんた 1億8647万円
2位 石橋貴明 1億5251万円(とんねるず)
3位 浜田雅功 1億2414万円(ダウンタウン)
4位 松本人志 1億2014万円(ダウンタウン)
5位 木梨憲武 1億1824万円(とんねるず)
6位 草彅剛 1億0907万円(SMAP)
7位 中村玉緒 9716万円
8位 飯島直子 9261万円
9位 木村拓哉 9186万円(SMAP)
10位 峰竜太 8376万円
11位 太田光 8149万円(爆笑問題)
12位 田中裕二 8071万円(爆笑問題)
13位 タモリ 7679万円
14位 織田裕二 7331万円
15位 ビートたけし 7200万円
16位 明石家さんま 6934万円
17位 上沼恵美子 6591万円
18位 志村けん 6210万円
19位 堂本光一 6132万円(KinKi Kids)
20位 大楠道代 6074万円
1位 稲葉浩志 3億0926万円(B’z)
2位 浜崎あゆみ 2億8237万円
3位 松本孝弘 2億7391万円(B’z)
4位 宇多田ヒカル 1億6873万円
5位 矢沢永吉 1億6508万円
6位 桑田佳祐 1億4955万円(サザンオールスターズ)
7位 MISIA 1億1937万円
8位 桜井和寿 1億1407万円(Mr.Children)
9位 井上陽水 1億1074万円
10位 藤井フミヤ 8789万円
11位 TAKURO 8064万円(GLAY)
12位 北島三郎 7829万円
13位 松田聖子 7773万円
14位 吉田美和 6809万円(DREAMS COME TRUE)
15位 椎名林檎 6585万円
16位 中島みゆき 6561万円
17位 河村隆一 6328万円(LUNA SEA)
18位 中村正人 6283万円(DREAMS COME TRUE)
19位 長渕剛 6097万円
20位 倉木麻衣 5678万円
1位 千宗室 1億9377万円(茶道家元)
2位 河合リツ子 1億7863万円(漫画家・とっとこハム太郎作者)
3位 浅利慶太 1億7765万円(舞台演出家)
4位 高橋留美子 1億7064万円(漫画家)
5位 千玄室 1億6544万円(前 茶道家元)
6位 青山剛昌 1億5943万円(漫画家)
7位 つんく 1億5160万円(音楽プロデューサー)
8位 大川隆法 1億4997万円(幸福の科学 総裁)
9位 綾小路きみまろ 1億3691万円(漫談家)
10位 秋元康 1億2787万円(作詞家)
11位 許斐剛 1億2267万円(漫画家)
12位 久石譲 1億2040万円(作曲家)
13位 石原まき子 9944万円(石原プロモーション会長)
14位 久米宏 9455万円(ニュースキャスター)
15位 平山郁夫 9327万円(日本画家)
16位 熊川哲也 9250万円(バレエダンサー)
17位 山本耀司 7983万円(ファッションデザイナー)
18位 小林祥晃 7617万円(Dr.コパ 風水師)
19位 小室哲哉 7575万円(音楽プロデューサー)
20位 芦田淳 7572万円(ファッションデザイナー)
21位 堀井雄二 7226万円(ゲームデザイナー)
※1位の千宗室は、茶道裏千家家元16代玄黙宗室。2003年に15代汎叟宗室から家元を継いだ。
※12位の久石譲はジブリ作品で有名な作曲家。
納税額1,000万円以上で公示された2003年分の漫画家の納税額一覧は以下のとおり
横山光輝 6231万円
赤塚不二夫 5793万円
車田正美 5754万円
佐藤秀峰 5257万円
浦沢直樹 4423万円
やなせたかし 4386万円
水島新司 3941万円
松本大洋 3752万円
浜岡賢次 3296万円
宮崎駿 2248万円
弘兼憲史 2148万円
宮下あきら 2116万円
あだち充 1713万円
中原アヤ 1623万円
山咲トオル 1586万円
かわぐちかいじ 1460万円
川原正敏 1447万円
江川達也 1327万円
やくみつる 1210万円
また、売れっ子漫画家はプロダクションを作っていることが多く、その大半が法人化されている。
漫画家本人は社長や役員に就任しており、プロダクションから給与をもらう形で報酬を得ている。
これは、節税を兼ねており、1960年代よりこのシステムは導入されている。
2003年分の漫画家プロダクションの申告所得一覧は以下のとおり
鳥山明 16億0500万円 バードスタジオ
尾田栄一郎 5億2400万円 ビリーウッド
藤子F不二雄 3億4400万円 藤子エフ不二雄プロ
許斐剛 3億0600万円 テイケイワークス
高橋和希 2億8200万円 スタジオダイス
やなせたかし 2億7400万円 やなせスタジオ
井上雄彦 2億6200万円 アイティプランニング
長谷川町子 2億4800万円 (財)長谷川町子美術館
佐藤秀峰 2億0800万円 佐藤漫画製作所
楳図かずお 1億4700万円 楳図プロダクション
森川ジョージ 1億3700万円 スタジオジェイ
矢沢あい 1億3600万円 矢沢漫画製作所
弘兼憲史 1億2800万円 ヒロカネプロダクション
けらえいこ 1億2800万円 ママレードカンパニー
高橋陽一 1億1900万円 ヨウヨウスタジオ
天王寺大 1億1600万円 天王寺大事務所
小畑健 1億1200万円 ノエル
岸本斉史 1億1100万円 スコット
水島新司 1億0500万円 水島プロダクション
武論尊 1億0000万円 プロダクション一家
秋本治 8600万円 アトリエびーだま
ハロルド作石 6400万円 作石プロ
石森章太郎 6400万円 石森章太郎プロ
臼井儀人 6300万円 らくだ社
北条司 5800万円 アトリエねこまんま
神尾葉子 5700万円 リーフプロダクション
武内直子 5000万円 プリンセス・ナオコ・プランニング
安彦良和 4800万円 九月社
ちばてつや 4300万円 ちばてつやプロダクション
手塚治虫 4200万円 手塚プロダクション
石森章太郎 4200万円 石森プロ
※石森章太郎プロとは別法人
高橋留美子 4000万円 るーみっくプロダクション
1位 みのもんた 2億0101万円
2位 中居正広 1億8745万円(SMAP)
3位 石橋貴明 1億5291万円(とんねるず)
4位 木梨憲武 1億3505万円(とんねるず)
5位 浜田雅功 1億2528万円(ダウンタウン)
6位 中村玉緒 1億0794万円
7位 松本人志 1億0738万円(ダウンタウン)
8位 太田光 1億0639万円(爆笑問題)
9位 田中裕二 1億0176万円(爆笑問題)
10位 木村拓哉 9803万円(SMAP)
11位 草彅剛 9796万円(SMAP)
12位 松たか子 8379万円
13位 島田紳助 8131万円
14位 峰竜太 7828万円
15位 タモリ 7690万円
16位 明石家さんま 7602万円
17位 田村正和 7332万円
18位 堺正章 7055万円
19位 ビートたけし 6932万円
20位 関口宏 6855万円
2位 稲葉浩志 1億7577万円(B’z)
3位 矢沢永吉 1億7042万円
4位 浜崎あゆみ 1億3785万円
5位 松本孝弘 1億2913万円(B’z)
6位 桑田佳祐 1億1906万円
7位 桜井和寿 1億1417万円(Mr.Children)
8位 長渕剛 1億0584万円
9位 藤井フミヤ 1億0093万円
10位 北島三郎 9445万円
11位 吉田美和 8994万円(DREAMS COME TRUE)
12位 槇原敬之 8254万円
13位 TAKURO 8081万円(GLAY)
14位 綾戸智恵 7456万円
15位 中村正人 7287万円(DREAMS COME TRUE)
16位 松田聖子 7211万円
17位 MISIA 7068万円
18位 中島みゆき 7037万円
19位 倉木麻衣 6396万円
20位 福山雅治 5860万円
1位 平山郁夫 1億6883万円(日本画家)
2位 高橋留美子 1億4271万円(漫画家)
3位 大川隆法 1億4160万円(幸福の科学 総裁)
4位 千玄室 1億4087万円(前 茶道家元)
5位 青山剛昌 1億3831万円(漫画家)
7位 秋元康 1億3407万円(作詞家)
8位 千宗室 1億2466万円(茶道家元)
9位 岸本斉史 1億1269万円(漫画家)
10位 つんく 1億1268万円(音楽プロデューサー)
11位 NIGO 1億0874万円(ファッションデザイナー)
12位 浅利慶太 9463万円(舞台演出家)
13位 石井和義 9292万円(K-1プロデューサー)
14位 河合りつ子 9238万円(漫画家・とっとこハム太郎作者)
16位 山本耀司 7951万円(ファッションデザイナー
)
17位 芦田淳 7362万円(ファッションデザイナー)
※6位に華道家の假屋崎省吾が登場。
※9位に登場した岸本斉史は『NARUTO』の作者。
※11位に登場したNIGOは裏原宿系ブランド〝A BATHING APE®〟の創業者。現在は同ブランドから離れて、〝HUMAN MADE〟のデザイナーや音楽プロデューサーとして活動。妻は女優の牧瀬里穂。
納税額1,000万円以上で公示された2004年分の漫画家の納税額一覧は以下のとおり
浦沢直樹 6266万円
井上雄彦 5726万円
赤塚不二夫 5679万円
やなせたかし 5654万円
車田正美 4174万円
水島新司 3276万円
宮下あきら 3039万円
福本伸行 2718万円
森川ジョージ 2554万円
川原正敏 2446万円
しげの秀一 2213万円
弘兼憲史 2131万円
あだち充 1940万円
佐藤秀峰 1433万円
かわぐちかいじ1344万円
江川達也 1236万円
2004年分の漫画家プロダクションの申告所得一覧は以下のとおり
鳥山明 14億8300万円 バードスタジオ
高橋和希 5億1000万円 スタジオダイス
藤子F不二雄 4億5600万円 藤子エフ不二雄プロ
長谷川町子 4億4700万円 (財)長谷川町子美術館
岸本斉史 3億7400万円 スコット
許斐剛 3億4700万円 テイケイワークス
尾田栄一郎 3億3300万円 ビリーウッド
やなせたかし2億7000万円 やなせスタジオ
井上雄彦 2億2000万円 アイティプランニング
北条司 2億0700万円 アトリエねこまんま
矢沢あい 2億0300万円 矢沢漫画製作所
佐藤秀峰 1億2200万円 佐藤漫画製作所
秋本治 1億2100万円 アトリエびーだま
弘兼憲史 1億0700万円 ヒロカネプロダクション
武井宏之 8400万円 武井プロダクション
天王寺大 8200万円 天王寺大事務所
けらえいこ 7900万円 ママレードカンパニー
高橋陽一 6900万円 ヨウヨウスタジオ
臼井儀人 6700万円 らくだ社
ハロルド作石 5400万円 作石プロ
石森章太郎 4700万円 石森章太郎プロ
永井豪 4000万円 ダイナミックプロダクション
※『ジョジョの奇妙な冒険』で有名な荒木飛呂彦
は、個人事務所
兼プロダクションの有限会社ラッキーランドコミュニケーションズで納税しているが、今回対象とした期間では、申告所得4,000万円未満で公示対象外だった。
しかし、公示されている年では、年間4~5,000万円の申告所得があったことが確認できる。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
※2022年1月22日加筆修正をおこないました。
はる坊です。
1990年代以降の西村寿行と、その晩年について綴っていきます。
世間はバブル景気崩壊により長い不況のトンネルに入っていた1993年。
62歳となっていた西村寿行は執筆意欲も薄くなり、代々木の仕事場で過ごす時間は多かったものの、この年には、『幻獣の森』『魔性の岩鷹
』の2冊のみが発行されています。
そして、5月31日。
西村寿行は重大な宣告を受けることになります。
ガンを患っていることを報されたのです。
西村が体調の異変に気付いたのは、その1、2ヶ月前のことです。
喉にチクッチクッと痛みを感じるようになったのです。最初は、魚の小骨が喉に刺さったと思ったようです。
痛みは酒を飲んでいるうちに消え去りますが、断続的に、チクリと喉の痛みが西村を襲います。
体調の異変を感じ始めた西村は、いつからか、かかりつけとなった、西新宿の会員制クリニックに赴いて、内視鏡検査を受けます。
医師は「喉に炎症ができている」と話し、組織片を採取されます。
そして、1週間後、仕事場にほど近い大学附属病院で、飲み友達になっていた医師から電話が掛かってきました。
西村は、酒の誘いだと軽く考えて、病院に向かいました。
しかし、病院で待っていたのは、残酷な宣告でした。
医師は西村の身体が癌に蝕まれていることを告げられます。
西村は、自分が酒飲みであることもあり、食道癌だと思ったようですが、医師の診断は下咽頭癌(扁平上皮癌)でした。
「ほっておいたら、どうなります?」と訊ねた西村に医師は、
「ほっておいたら、半年保たない」
と医師に告げます。
西村は混乱しながらも入院を決意します。
最初の幾日かは、宣告を受けた東京の大学付属病院で過ごしますが、治療のため、神奈川県内にある同じ大学の付属病院本院に入院した彼は、当初、誰もそして何も寄せつけませんでした。
病院は自宅からも比較的近い場所にありましたが、西村はただ独りの時間を過ごします。
見舞い・面会は不要。
花も不要。
家族も一人娘が手続きに来たときに、立ち寄っただけでした。
家族仲が悪かったわけではありません。
西村自身が「来るな」と厳命したからです。
そして、家族も西村の気性を理解していました。
出版関係では、ただひとり、徳間書店の編集者に電話連絡をするのみでした。
大学付属病院の院長が主治医となり、ガン治療を33回の放射線照射でおこなうことに決定します。
毎朝、早くにおこなわれる数分の放射線治療が終わると、西村は病院を抜け出します。
(病院では死にたくない)と決意した彼は身体を鍛える為に、山歩きに没頭します。
西村は動物好きであった為、人間と共に働いた牛馬に思いを寄せ、それらを祀った道祖神に興味を持ち、自宅の庭に地蔵を2体祀っていましたが、特別な信仰を持ってはいませんでした。
しかし、最初に向かったのは庶民の山岳信仰で知られる大山でした。
やはり、ガン=死という幻影が、西村を大山へ駆り立てたのではないかと思います。
毎日のように丹沢山系を歩いたおかげで、西村の足腰はすっかり丈夫になります。
元々、作家になる前は、狩猟に生きていた時期もあり、山歩きをしていた西村ですが、このときの山歩きは、また別の思いを持ちながら歩を進めて行ったと思います。
下咽頭癌治療は手術こそしないものの辛いものとなり、放射線照射で放射線による火傷が頸部全体に広がり、内部までもが爛れました。
西村はネルシャツにジーンズ、そして首回りにスカーフを巻くというファッションを好みました。
しかし、今やそのスカーフは、おしゃれではなく、喉の火傷を覆い隠すものに変わっていました。
喉麻酔をしなくては、食事が採れない状態になりましたが、33回の照射治療でがん細胞は西村寿行の身体から消えました。
そして、6月27日に退院します。
しかし、退院した西村寿行を待っていたのは、痛恨の出来事でした。
入院して2週間は誰にも会いませんでしたが、考えをあらためて信頼していた徳間書店と光文社の担当編集者と丹沢の温泉旅館で食事をします。
「西村寿行、癌で入院」の報せは、各社の〝西村番〟編集者に届きました。
西村は「騒ぐな。大きな話にするな!」と厳命しました。
長年の担当編集者である徳間書店のひとりだけに入院したことだけを報せて、自身の体調について詳しい状況を話していないことに、西村自身の気がとがめたようです。
温泉旅館での席で、西村は旧知の週刊誌記者が胃癌で入院したことを知らされます。
その記者は、西村が孤北丸という名のサロン・クルーザーを所有していたとき、キャプテンを務めた人物でした。
それだけ、西村と強い信頼関係で結ばれていた人物だといえるでしょう。
彼の容体を訊ねた西村に返ってきた答えは、
「3ヶ月の命だそうです・・・」
という残酷な言葉でした。
西村は絶句するしかありませんでした。
西村寿行が所有していたサロンクルーザー・孤北丸については、徳間文庫版『雲の城』の巻末に『サロン・クルーザー』というエッセイが掲載されています。amazon kindle
やDMM電子版でも読めます。
自らのガン治療を終えて退院した西村は、早速タクシーを飛ばして彼の元へ向かいました。
しかし医師の宣告どおり、旧知の週刊誌記者は3ヶ月後に亡くなります。
西村は彼の葬儀には参列しませんでした。ひとり娘を名代として赴かせたその日、西村はただひとりで涙を流していました。
記者の死の3週間前に、彼の妻が西村担当の編集者とともに、西村の元へ訪れます。
そして、
「しっかりとした病院へ移りたい」
と本人が言っていると聞かされます。
最初に行った病院では胃潰瘍と診断されたこと、現在入院している病院では、医師は何もしてくれないという、訴えも聞かされることになります。
しかし、すべては遅すぎました。
西村は自分自身を責めました。
「俺が入院するとき、誰にも会わないと言わなければ・・・」
「寿行さんなら、しかるべき病院と医師を、紹介してくれるのではないか、と本人が思っていたのなら・・・」
災難は更に降りかかります。
同年12月に転倒した折に、右手首を粉砕骨折してしまいます。
そして、翌1994年の3月まで再度の入院を余儀なくされます。
雑誌に連載中の小説はこの間、休載。
ガン治療と右手首の粉砕骨折での入院。
旧知の人物のガン死。
そして、自らのガンに対する放射線治療の代償として得た、頭重と嘔吐感、持病の蕁麻疹。
これらのことが、西村寿行を執筆から更に遠ざけた気がしてなりません。
かつての勢いをなくし、酒に耽溺する時間の増えた西村から離れる編集者もいました。
それでも、かつての西村を知る編集者は、雑誌連載や短編掲載で、西村を盛りたてようとします。
退院してから、執筆・刊行された本を以下のとおりです。
1994年『深い眸(中編集)』(光文社)(小説宝石掲載)
1995年『幻覚の鯱―神軍の章』(講談社)
(メフィスト 1994年8月号~1995年4月号連載)
1995年『世にも不幸な男の物語(短編集)』(徳間書店)(問題小説掲載)
1995年『デビルズ・アイランド』(角川書店)
(小説王 1994年9月号~1995年1月号 及び 野性時代 1995年4月号~7月号連載 )
1996年『大厄病神』
1997年『鷲』(徳間書店)
1998年『牡牛の渓(短編集)』(光文社)(小説宝石掲載)
1998年『幻覚の鯱―天翔の章』(講談社)(小説現代増刊 メフィスト連載)
2000年『月を撃つ男』(光文社)(小説宝石 1999年4月号~9月号連載)
2001年『碇の男(短編集)』(徳間書店)(問題小説掲載)
まだ、小説現代の臨時増刊号という位置づけで、誌面の性格が決まっていなかったことも影響していたでしょうが、『幻覚の鯱―神軍の章』が、『メフィスト』に連載されていたのは少し意外な気がします。
このほかに、短編集や中編集を違うタイトルで二次出版化されたものもありますが、それらは省きました。
内容は、かつて西村作品を愛読していた読者が物足りなさを感じるものになっていました。
1994年~2001年までに刊行された本は、ピーク時なら1年で刊行していた冊数です。
1999年に光文社『小説宝石』で最後の長編となる『月を撃つ男』を6回に分けて連載。
そして、2000年10月に同誌に掲載された短編『刑事』(『碇の男』に収録)を最後に西村寿行の新作小説が発表されることはありませんでした。
それでも、最後の長編『月を撃つ男』は文庫化されると増刷を重ね、第8刷まで重版されています。
西村は晩年、家族を自宅とは別にマンションに住まわせ、西村とボスと名付けた一頭の紀州犬と邸宅に籠もり、週末だけ家族と食事を共にする生活となりました。
パイプを口にくわえて、好々爺となった晩年の姿を捉えた顔写真は珍しいと思います。
『犬族からの通信』という近況報告を兼ねたエッセイが、2001年から徳間書店の小説誌『問題小説』に連載されていた時期もありますが、いつのまにかそれもなくなり、死の数年前に執筆していたという、自らの半生記もついに公に発表されることはありませんでした。
体調を損ねながらもアルコールの量は減ることなく、一人娘が注意しても聞き入れませんでした。
西村曰く、
〝俺はアルコールと妄想と幻覚で生きていたんだ〟。
そして、2007年8月23日朝。
様子を見に来ていた家族が、ベッドで亡くなっている西村寿行を発見します。
その死を看取り、傍にいたのは3代目の紀州犬・ボスだけでした。
死因は肝不全。
享年78(満76歳)。
徳間書店発行の『問題小説』では、【追悼・西村寿行】と題して、出世作となった『君よ憤怒の河を渉れ』が全編再掲載されました。
通夜と告別式は近親者のみでひっそりとおこなわれました。
その後、旧知の人々が集ったお別れ会の席上、生前、弁護士に宛てて書かれながら、書斎の机の中に置かれたままで、投函されることのなかった西村寿行の『遺言状』が読まれました。
西村は自他共に認める〝晴れ男〟でした。
しかし、お別れ会当日は冷たい雨が東京に降り注いでいました。
まるで、寂しがり屋の西村が、〝自分抜きで別れの会なぞを執り行うな〟と言っているかのように。
この会が執り行われてから、『遺言状』の全文が光文社発行の『小説宝石』に掲載されました。
〝愉しかった人生に御礼申し上げます〟から始まるこの遺言状は、独特の死生観を綴った後に、こう締めくくられていました。
〝ぼくの死は誰にもいうな。死を発表するほどおろかしいことはない。
魚もだが、牛や馬は親仔、兄弟の死をあの大きな澄んだ瞳に浮かべることはない。
己の死を特別なことと捉えるのはひと類のおごりだろう。
ひっそり--それがぼくには似合っている。
海から這い上がって、いつの間にか消えていた--というような生と死--。〟
70代を迎えて、小説を書くことからは遠ざかっていましたが、西村寿行らしい文章は最後まで健在でした。
お別れ会の祭壇には、毛蟹を調理する73歳の西村の写真が飾られ、最も愛した酒であるアーリー・タイムズが供えられました。
西村の逝去後も、代表作品の文庫は新装版として刊行され続けています。
そして、逝去から10年が経った2017年には、1976年に公開された『君よ憤怒の河を渉れ』のリメイク作『マンハント
』が、ジョン・ウー
監督 チャン・ハンユー
福山雅治
主演で公開されました。
西村寿行作品に影響を受けた人々は数多くいます。
なかには、現在人気作家・漫画家として活躍中の方も。
漫画家では、藤田和日郎。
そして、荒木飛呂彦。
2015年暮れには、半生を共にされた奥様・西村八千子さんも亡くなられ、西村寿行の時代はさらに遠くなった気もしますが、多摩市連光寺に建てられた邸宅は、まだその存在感を放っています。
つたない文章を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
ファンのひとりとして、このまま忘れ去られてしまうのは、あまりに惜しい作家だと思いますので、手持ちの資料を読みながら思いを込めて綴りました。
2018年6月に西村寿行ファンとして、大変嬉しいことがありました。
本の雑誌社が発行している『本の雑誌420号2018年7月号』で、
『巨魁・西村寿行伝説』と題した特集記事が組まれたのです。
担当編集者だった講談社の鈴木宣幸氏、徳間書店の平野健一氏、光文社の丸山弘順氏、そして、愛娘の西村亜子氏が登場して、主に1980年代の西村寿行について語っています。
ちょうど『地獄』に登場していた担当編集者が寿行先生のお相手に疲れて、若手が投入されはじめた頃からのお話がメインになります。
そのエピソードがすべて面白すぎるので、気になる方は、ぜひチェックをしてみてください。
以下は、1990年代半ばにおこなわれた北海道取材旅行で、実際にあったエピソードです。
・根室の旅館に宿泊して、宴会をおこなう際に、花咲ガニはあったものの大好物の毛ガニがなく、
「みんな、飲めーッ!、喰えーッ!」
というどんちゃん騒ぎがしたかった寿行先生はご立腹。
ちなみに、寿行先生は浜茹でされた毛ガニが大好物でした。
寿行先生は同行の編集者たちに、「好きなだけ飲み食いをさせられず、申し訳ない」と詫びたあと、その席の幹事だった角川書店の宍戸健司氏に集中攻撃をします。
(宍戸氏は、専修大学卒業後に角川書店に入社。10年来、担当編集者として西村を支える一方、角川ホラー文庫を立ち上げ、日本ホラー大賞、山田風太郎賞創設も手掛けた敏腕編集者にして、馳星周氏を『不夜城』で華々しくデビューさせた方です)
このときに、ブチ切れた寿行先生が、宍戸健司氏に向かって発言した
「おまえは根室市長に連絡したか!」
は重要な寿行ワードです。
あまりにネチネチと、寿行先生から怒りをぶつけられ続けた宍戸氏は我慢をしていましたが、ついに耐えきれなくなり、
「じゃあ、いいっすよ。俺、帰りますよ」
とキレ始める始末。
次の日は知床泊で、前日のことがあったので、編集者が気を利かせて旅館側に、
「いくらかかってもいいからカニづくしにしてくれ」
と頼んだところ、宴席にやってきた寿行先生は、
「こんなにカニばっかりあって気持ちが悪い」
と言いだしてご機嫌を損ねます。
更に、「カニが俺を見ている」と名言を吐きます。
それから、不機嫌になって酒を飲みながら海を眺めていた寿行先生でしたが、何を見間違えたのか、
「ロシアのスパイ船がいる」
と言い始めて、海上保安庁に「今、スパイ船が入ってきた」と電話連絡をするも、酔っ払いの戯言だと相手にされず、「クジラか何かじゃないでしょうか?」と返されると、「何言ってんだ!」と怒って、電話を叩きつけて壊しました。
(実際に、不審船が領海内に侵入していれば、海上保安庁は早々にレーダーで発見していたでしょう)
それからも、
・港に停泊中のロシア船に勝手に乗り込んでいった。
・釧路動物園で、「あいつを殴ってやる」
と言ってヒグマのいる柵を上り始めた。その横に写生をしにきていた地元の小学生がいたが、みんなびっくりしていた。
等々。
また、日常生活においても面白エピソードが満載です。
でも、担当編集者は右往左往させられながらも、寿行先生のことが大好きで、この特集のなかで、
“「本当、寂しがりやだった。でも才能はすごい。鬼気迫るというか」”
“「寿行さんは担当できてよかったなっていう一番の作家ですね」”
と思い出を愉しそうに語られています。
これを期に、亜子氏が『父・西村寿行』とサブタイトルがつくような本を書いてくださると有難いのですが。
叶わない願いかもしれません。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
もう一度、心より御礼申し上げます。
何かございましたら、こちらまでお願いいたします。
はる坊 拝
はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます)
メール:http://info*harubou-room.com (*を@にご変更いただきますようお願いいたします)
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