長者番付を振り返ってみましょうか(1996年分~2000年分 俳優・タレント・歌手&文化人部門)
はる坊です。
1996年分~2000年分の高額納税者公示(長者番付)において、『俳優・タレント部門』『歌手部門』『その他・文化人部門』上位20位までにランクインした面々を紹介させていただきます。
1996年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額
俳優・タレント部門
3位 石橋貴明 1億6980万円(とんねるず)
4位 ビートたけし1億1113万円
5位 永六輔 1億0721万円
7位 三田佳子 9279万円
8位 タモリ 8245万円
9位 みのもんた 6532万円
10位 梅宮辰夫 6395万円
11位 飯島直子 6201万円
12位 関口宏 6170万円
13位 所ジョージ 5400万円
14位 峰竜太 5339万円
15位 明石家さんま 4943万円
16位 吉永小百合 4831万円
17位 中村吉右衛門 4701万円
18位 間寛平 4539万円
19位 地井武男 4479万円
20位 中村玉緒 4414万円
歌手部門
1位 藤井フミヤ 1億7532万円
2位 中村正人 1億4420万円(DREAMS COME TRUE)
3位 竹内まりや 1億3370万円
4位 吉田美和 1億2875万円(DREAMS COME TRUE)
5位 布袋寅泰 1億2266万円
6位 桜井和寿 1億2052万円(Mr.Children)
7位 森進一 1億1232万円
8位 美川憲一 9989万円
9位 長渕剛 9878万円
10位 大黒摩季 9852万円
11位 桑田佳祐 9503万円
12位 松任谷由実 9316万円
13位 山下達郎 8801万円
14位 中島みゆき 8733万円
17位 矢沢永吉 7721万円
19位 飛鳥涼 6582万円(CHAGE&ASKA)
20位 松田聖子 6528万円
その他・文化人部門
1位 小室哲哉 10億0051万円(音楽プロデューサー)
2位 秋元康 4億2930万円(作詞家)
3位 小堀宗慶 3億7808万円(茶道家元)
4位 青山剛昌 3億0731万円(漫画家)
5位 薗部博之 2億8429万円(ゲームデザイナー)
6位 千宗室 2億5695万円(茶道家元)
7位 小林武史 2億0237万円(音楽プロデューサー)
8位 さとうふみや2億0029万円(漫画家)
9位 平山郁夫 1億8958万円(日本画家)
10位 千宗左 1億3775万円(茶道家元)
11位 井上雄彦 1億2575万円(漫画家)
12位 神尾葉子 1億1541万円(漫画家)
14位 秋本治 1億0227万円(漫画家)
15位 芦田淳 9227万円(ファッションデザイナー)
16位 水島新司 9179万円(漫画家)
17位 羽生善治 9122万円(棋士)
19位 コシノジュンコ 8300万円(ファッションデザイナー)
※4位の青山剛昌は、週刊少年サンデーに94年から連載を開始した
『名探偵コナン』が本格的に人気沸騰してのランクイン。
※5位の薗部博之はゲーム『ダービースタリオン』で有名なゲームクリエイター。
また、〝スタープログラマー〟〝バランスオブゲーム〟〝
アブソリュート〟〝インディーズゲーム〟などのサラブレッドを保有する馬主としても有名。
8位のさとうふみやは週刊少年マガジン連載の『金田一少年の事件簿』の作画担当。
11位の井上雄彦は96年夏に週刊少年ジャンプ連載の『スラムダンク』が終了するもランクイン。
12位の神尾葉子はマーガレットに連載した『花より男子』が大ヒット。現在までに6100万部を発行し、少女漫画史上最大の大ヒット作となった。
茶道・華道の家元関係は以下のとおり。
※3位の小堀宗慶・・・遠州流十二世。
※6位の千宗室・・・茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。現在の千玄室
※10位の千宗左・・・茶道表千家13代家元
※20位の池坊専永・・・華道池坊華道家元四十五世。
1997年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額
俳優・タレント部門
1位 石橋貴明 3億1050万円(とんねるず)
2位 松本人志 1億8888万円(ダウンタウン)
4位 三田佳子 1億3043万円
5位 松たか子 1億1515万円
6位 木梨憲武 1億0508万円(とんねるず)
7位 ビートたけし 9987万円
8位 峰竜太 9441万円
9位 タモリ 9149万円
10位 永六輔 9066万円
11位 堺正章 7542万円
12位 飯島直子 7088万円
13位 黒柳徹子 6999万円
14位 中村玉緒 6890万円
15位 鈴木京香 6729万円
16位 菅野美穂 6583万円
17位 みのもんた 6484万円
18位 松本幸四郎 6421万円(二代目松本白鸚)
19位 関口宏 5945万円
20位 所ジョージ 5752万円
歌手部門
1位 藤井フミヤ 2億6995万円
2位 桑田佳祐 1億3777万円
3位 槇原敬之 1億3612万円
4位 桜井和寿 1億2421万円(Mr.Children)
5位 森進一 1億1826万円
7位 松田聖子 1億1626万円
9位 草野マサムネ 1億0140万円(スピッツ)
10位 稲葉浩志 9982万円(B’z)
11位 松任谷由実 9612万円
12位 木村拓哉 8835万円(SMAP)
13位 五木ひろし 8586万円
14位 長渕剛 8395万円
16位 井上陽水 8185万円
18位 吉井和哉 7815万円(THE YELLOW MONKEY)
19位 中島みゆき 7497万円
その他・文化人部門
1位 小室哲哉 11億7342万円(音楽プロデューサー)
2位 秋元康 3億7789万円(作詞家)
3位 青山剛昌 3億0615万円(漫画家)
4位 平山郁夫 2億7040万円(日本画家)
5位 千宗室 2億7025万円(茶道家元)
6位 薗部博之 2億3801万円(ゲームデザイナー)
7位 織田哲郎 2億1906万円(音楽プロデューサー)
8位 東山魁夷 1億4549万円(日本画家)
9位 芦田淳 1億3824万円(ファッションデザイナー)
10位 千宗左 1億3060万円(茶道家元)
11位 神尾葉子 1億2096万円(漫画家)
12位 妹尾河童 1億1501万円(舞台芸術家)
13位 小林武史 1億0708万円(音楽プロデューサー)
14位 さとうふみや 1億0471万円(漫画家)
15位 久米宏 1億0002万円(ニュースキャスター)
16位 堀井雄二 8772万円(ゲームデザイナー)
17位 秋本治 8648万円(漫画家)
18位 池坊専永 8634万円(華道家元)
19位 浅利慶太 7992万円(舞台演出家)
20位 永楽即全 7612万円(陶芸家)
1998年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額
俳優・タレント部門
1位 石橋貴明 2億8809万円(とんねるず)
2位 浜田雅功 1億8230万円(ダウンタウン)
3位 松本人志 1億6352万円(ダウンタウン)
4位 松たか子 1億5433万円
5位 飯島直子 1億2680万円
6位 中村玉緒 1億1489万円
7位 木梨憲武 1億1217万円(とんねるず)
8位 ビートたけし 1億0917万円
9位 タモリ 9918万円
10位 堺正章 9906万円
11位 木村拓哉 7258万円(SMAP)
12位 樹木希林 7123万円
13位 内村光良 6833万円(ウッチャンナンチャン
はる坊です。 1位 三船敏郎 5億5949万円 2位 黒柳徹子 1億5207万円 3位 林成年 1億4599万円 4位 長谷川稀世 9993万円 5位 加山雄三 8702万円 6位 明石家さんま 8643万円 7位 三田佳子 6627万円 8位 和泉雅子 5557万円 9位 関口宏 5552万円 10位 加藤茶 5539万円 11位 根津甚八 5335万円 12位 森光子 5240万円 13位 山城新伍 4452万円 14位 松本幸四郎 4378万円(二代目 松本白鸚) 15位 田中邦衛 4295万円 16位 市川猿之助 4212万円(二代目 市川猿翁) 17位 二谷英明 4158万円 18位 風間杜夫 4073万円 19位 石原裕次郎 3985万円 ※1位にランクインした三船敏郎は、土地売却により所得が急増したことによりランクイン。 ※2位の林成年と3位の長谷川稀世は、国民栄誉賞を受賞した名俳優・長谷川一夫の実子で、共に俳優・女優であり、主に助演で存在を示した。 林成年は、大林宣彦監督の『廃市』の弁慶役か、伊丹十三監督の映画『タンポポ』で、高級中華料理でもてなしながら東北大学教授を騙る老詐欺師に投資話を持ちかけるあやしい男役が一番有名か。 ※8位にランクインした和泉雅子は、1960年代に吉永小百合、松原智恵子とともに『日活三人娘』と呼ばれた女優。1985年に北極点踏破を目指して、1億円以上の費用を遣い挑戦したものの失敗に終わるが、逆にこの挑戦が話題となり、テレビ出演や講演依頼が殺到してランクインしたと思われる。 1位 桑田佳祐 8540万円(KUWATA BAND) 2位 森進一 8454万円 3位 美空ひばり 8105万円 4位 五木ひろし 5630万円 5位 北島三郎 4059万円 6位 小柳ルミ子 3890万円 7位 中森明菜 3869万円 10位 石川さゆり 3376万円 11位 吉田拓郎 3375万円 12位 谷村新司 3265万円 13位 矢沢永吉 2644万円 14位 研ナオコ 2632万円 15位 牧村三枝子 2527万円 16位 井上陽水 2481万円 17位 中島みゆき 2424万円 18位 小泉今日子 2205万円 19位 田原俊彦 2167万円 20位 新沼謙治 2164万円 1位 千宗室 3億2109万円(茶道家元) 2位 小原豊雲 1億6872万円(華道家元) 3位 千宗左 1億6431万円(茶道家元) 4位 加山又造 1億5455万円(日本画家) 5位 高橋留美子 1億4754万円(漫画家) 6位 斎藤都世子 1億4754万円(ニットデザイナー) 7位 北村西望 1億3319万円(彫刻家) 8位 藤本弘 1億3274万円(漫画家 藤子・F・不二雄) 9位 安孫子素雄 1億3211万円(漫画家 藤子不二雄A) 10位 高橋陽一 1億2519万円(漫画家) 11位 南大路一 1億2003万円(洋画家) 12位 林良至 1億1803万円(ファッションデザイナー) 13位 嶋田隆司 1億1615万円(漫画家 ゆでたまご) 14位 東山魁夷 1億1584万円(日本画家) 15位 秋本治 1億1117万円(漫画家) 16位 芦田淳 1億0698万円(ファッションデザイナー) 17位 舟越保武 1億0261万円(彫刻家) 18位 中井義則 1億0033万円(漫画家 ゆでたまご) 19位 平山郁夫 9743万円(日本画家) 20位 渡辺貞夫 8958万円(サックスプレイヤー) ※千宗室・・・茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。現在の千玄室 ※小原豊雲・・・いけばな小原流三世家元 ※千宗左・・・茶道表千家13代家元 ※12位にランクインした林良至は、ファッションブランド・伊太利屋会長。 1位 黒柳徹子 1億5747万円 2位 京マチコ 1億2870万円 3位 志村けん 9055万円 4位 三田佳子 8338万円 5位 加山雄三 7818万円 6位 滝沢修 7609万円 7位 加藤茶 7553万円 8位 喜多道枝 7395万円 9位 山城新伍 5966万円 10位 大楠道代 5831万円 11位 和泉雅子 5738万円 12位 吉永小百合 5703万円 13位 渥美清 5597万円 14位 森光子 5588万円 15位 薬師丸ひろ子 5425万円 16位 関口宏 5299万円 17位 風間杜夫 5297万円 18位 三浦友和 4878万円 19位 川口浩 4639万円 20位 柴田恭兵 4507万円 ※2位の京マチコ、6位の滝沢修、8位の喜多三枝は不動産売却によるランクイン。 歌手部門 2位 石井好子 2億5838万円 3位 松田トシ 9825万円(松田敏江の名でも活動) 4位 小柳ルミ子 6943万円 5位 森進一 6385万円 6位 桑田佳祐 5651万円(サザンオールスターズ) 7位 五木ひろし 5510万円 8位 高見沢俊彦 5360万円(THE ALFEE) 9位 中森明菜 4765万円 10位 北島三郎 4248万円 11位 井上陽水 3926万円 12位 浜田省吾 3543万円 13位 谷村新司 3192万円 14位 中島みゆき 3179万円 15位 矢沢永吉 3120万円 16位 吉幾三 2969万円 17位 長渕剛 2883万円 18位 川中美幸 2767万円 19位 三浦洸一 2549万円 ※1位の園まり、2位の石井好子、3位の松田トシは揃って、不動産の売却益によるランクイン。 園まりは、1960年代に中尾ミエ、伊東ゆかりと〝スパーク3人娘〟と呼ばれて活躍したが、70年代以降は芸能界の第一線から退いている状態だったが、弟とともに赤坂に所有していた土地を売却したことで突然のランクイン。 2位の石井好子はシャンソン歌手。 3位の松田トシは歌手として活動後は、後進育成に力を入れ、NHKラジオで〝うたのおばさん〟と親しまれる一方、『スター誕生!』の審査員を務めた際には、出場者に対して厳しいコメントをすることで有名になった。 ※19位の三浦洸一は1950~1960年代に活躍した歌手だが、80年代に入ってから、CM出演や『笑っていいとも』にレギュラー出演するなど露出が増えた。 1位 千宗室 2億4973万円(茶道家元) 2位 藤本弘 1億7946万円(漫画家 藤子・F・不二雄) 3位 小原豊雲 1億7542万円(華道家元) 4位 高橋留美子 1億7015万円(漫画家) 5位 千宗左 1億6071万円(茶道家元) 6位 平山郁夫 1億4767万円(日本画家) 7位 車田正美 1億3751万円(漫画家) 8位 斎藤都世子 1億2679万円(ニットデザイナー) 9位 安孫子素雄 1億2675万円(漫画家 藤子不二雄A) 10位 加山又造 1億2325万円(日本画家) 11位 中川一政 1億2520万円(洋画家) 12位 吉田聡 1億0576万円(漫画家) 13位 原田観峰 1億0388万円(書道家) 14位 亀倉雄策 1億0178万円(商業デザイナー) 15位 芦田淳 1億0120万円(ファッションデザイナー) 16位 秋元康 1億0061万円(作詞家) 17位 まつもと泉 9939万円(漫画家) 18位 秋本治 9596万円(漫画家) 19位 玉置宏 9557万円(司会者) 20位 東山魁夷 8859万円(日本画家) ※12位の吉田聡は少年KING連載の『湘南暴走族』、週刊少年サンデー連載の『ちょっとヨロシク!』でヒットを飛ばしていた。 『湘南暴走族』が江口洋介主演で実写映画化、並行して制作されたOVAもシリーズ化され、作品人気が高まったことが、ランクインの要因。 ※16位の秋元康はフジテレビ系バラエティ番組『夕焼けニャンニャン』の企画・構成を担当し『おニャン子クラブ』メンバーの作詞を手掛けたことで、一躍、時代の寵児に躍り出た。 またこの頃秋元は、1956年生まれと2歳逆にサバを読んでおり(実際は1958年生まれ)、20代後半でランクインをしたことになる。 ※17位のまつもと泉は『きまぐれオレンジロード』のヒット。 ※18位の秋本治は『こちら亀有公園前派出所(こち亀)』が安定した売上を見せランクイン。 1位 三田佳子 1億3928万円 2位 黒柳徹子 1億2294万円 3位 松本幸四郎 1億2279万円(二代目松本白鸚) 4位 中村吉右衛門 1億1421万円 5位 富士真奈美 1億0569万円 6位 志村けん 9267万円 7位 吉永小百合 8713万円 8位 竜雷太 7134万円 9位 加山雄三 6686万円 10位 ビートたけし 6627万円 11位 山城新伍 6272万円 12位 山田邦子 6239万円 13位 関口宏 5931万円 14位 ケーシー高峰 5808万円 15位 加藤茶 5249万円 16位 大楠道代 4864万円 17位 森光子 4350万円 18位 桂三枝 4300万円 19位 森繁久彌 4175万円 20位 風間杜夫 4170万円 ※3位の松本幸四郎(現在の二代目松本白鸚)、4位の中村吉右衛門、5位の富士真奈美は、本業に加えて、いずれも不動産売却益によって所得が増加したことがランクアップ・ランクインの影響。 1位 北島三郎 9573万円 2位 森進一 8834万円 3位 五木ひろし 5295万円 4位 長渕剛 5204万円 5位 桑田佳祐 4460万円(サザンオールスターズ) 6位 中森明菜 4401万円 7位 谷村新司 3946万円 8位 高見沢俊彦 3853万円(THE ALFEE) 9位 松田トシ 3693万円 10位 浜田省吾 3563万円 11位 土橋安騎夫 3513万円(レベッカ) 12位 吉幾三 3449万円 13位 石川さゆり 3417万円 14位 笈田敏夫 3413万円 15位 川中美幸 3406万円 16位 MIE 3373万円(未唯mie) 17位 NOKKO 3359万円(レベッカ) 18位 飛鳥涼 3188万円(CHAGE&ASKA) 19位 井上陽水 2964万円 20位 中山美穂 2963万円 ※14位に登場した笈田敏夫(おいだ・としお)はジャズシンガー。 ※16位に登場したMIEはピンク・レディーのミー。 1位 車田正美 3億1397万円(漫画家) 2位 平山郁夫 2億7840万円(日本画家) 3位 加山又造 2億6182万円(日本画家) 4位 千宗室 2億5345万円(茶道家元) 5位 中川一政 1億7993万円(洋画家) 6位 秋本治 1億7057万円(漫画家) 7位 千宗左 1億3361万円(茶道家元) 8位 斎藤都世子 1億3281万円(ニットデザイナー) 9位 東山魁夷 1億2990万円(日本画家) 10位 小原豊雲 1億2813万円(華道家元) 11位 原田観峰 1億1484万円(書道家) 12位 北村治禧 9103万円(彫刻家) 13位 圓鍔勝三 8355万円(彫刻家) 14位 森英恵 8332万円(ファッションデザイナー) 15位 安孫子素雄 8246万円(漫画家 藤子不二雄A) 16位 秋元康 7886万円(作詞家) 17位 藤本弘 7562万円(漫画家 藤子・F・不二雄) 18位 高橋留美子 7427万円(漫画家) 19位 鈴木健二 7080万円(文筆業) 20位 須田剋太 7067万円(洋画家) ※1位には『聖闘士星矢』が人気絶頂を迎えた車田正美が、前年の7位からランクアップ。 ※6位の秋本治も前年の18位、前々年の15位から大幅に所得を伸ばしてランクアップ。 ※14位の森英恵は女性ファッションブランド〝ハナエモリ〟の創始者・ファッションデザイナー。 1950年代には小津安二郎監督作品『秋刀魚の味』『秋日和』のほか、 日本人デザイナーの先駆けとなり、ニューヨーク・コレクションやパリ・コレクションに進出。 また国内でも、1983年に創業者・青木定雄の要請に応じて、エムケイタクシー乗務員の制服をデザイン、1988年に美空ひばりの復活コンサートにおいて不死鳥をイメージしたステージ衣装を製作。 1993年には、皇太子徳仁親王と雅子妃の結婚の儀において、雅子妃が着用したデコルテをデザインしている。 ※19位の鈴木健二はNHKを退職して、文筆や講演活動を中心に活躍した。 1位 中村歌右衛門 1億8150万円 2位 三田佳子 1億2889万円 3位 内藤武敏 1億1773万円 4位 西村晃 1億0473万円 5位 志村けん 1億0123万円 6位 島田陽子 8489万円 7位 黒柳徹子 8443万円 8位 神太郎 6692万円 9位 渥美清 6679万円 10位 加藤茶 6609万円 11位 山城新伍 6469万円 12位 吉永小百合 6455万円 13位 大橋巨泉 6216万円 14位 ビートたけし 5684万円 15位 大楠道代 5554万円 16位 桂三枝 5529万円 17位 加山雄三 5342万円 18位 関口宏 5264万円 19位 薬師丸ひろ子 5207万円 20位 坂東玉三郎 4840万円 ※1位に登場した、歌舞伎女形の中村歌右衛門は世田谷区の宅地売却益によるランクイン。 ※3位の内藤武敏、4位の西村晃、6位の島田陽子、8位の神太郎は本業に加えて不動産売却益があったため上位にランクイン。 内藤武敏は1950年代から『ビルマの竪琴』『人間の條件』などの映画やテレビドラマで幅広く出演。 西村晃は『水戸黄門』で二代目水戸光圀(徳川光圀)を演じる一方、味のある悪役を多く演じた。 1928年に東洋初の人間型ロボット『學天則』を製作した北海道帝国大学教授・理学博士の西村真琴の次男としても知られる。 意外にも、『川口浩探検隊』以前に1977年7月から1978年1月までに計3回『水曜スペシャル探検シリーズ』という番組があり、その内1回で探検隊長を務め、実際に毒蛇を求めてタイ現地を訪れている。 同じ特攻隊にいた千玄室と親友同士であったが、この部隊で生き残ったのは、西村晃と千玄室のふたりだけだった。 ※8位の神太郎は、ナレーター、ラジオDJ、司会者として活躍したのち、グルメリポーターの第一人者となった。 1位 森進一 8569万円 2位 北島三郎 8288万円 3位 長渕剛 6811万円 4位 松任谷由実 6807万円 5位 井上陽水 6134万円 6位 桑田佳祐 6036万円(サザンオールスターズ) 7位 石川さゆり 5863万円 8位 飛鳥涼 5542万円(CHAGE&ASKA) 9位 中森明菜 5498万円 10位 川中美幸 4788万円 11位 松田トシ 4407万円 12位 五木ひろし 4160万円 13位 細川たかし 4129万円 14位 田原俊彦 4039万円 15位 加藤登紀子 4030万円 16位 吉幾三 3894万円 17位 矢沢永吉 3786万円 18位 中島みゆき 3582万円 19位 小柳ルミ子 3565万円 20位 浜田省吾 3552万円 1位 千宗室 3億6753万円(茶道家元) 2位 加山又造 2億7882万円(日本画家) 3位 平山郁夫 2億0470万円(日本画家) 4位 中川一政 1億3359万円(洋画家) 5位 脇田和 1億2879万円(洋画家) 6位 千宗左 1億2758万円(茶道家元) 7位 高橋留美子 1億2727万円(漫画家) 8位 秋本治 1億1585万円(漫画家) 9位 藤本能道 1億1535万円(陶芸家) 10位 原田観峰 1億1338万円(書道家) 11位 片岡球子 1億1160万円(日本画家) 12位 春日野清隆 1億0677万円(日本相撲協会前理事長・元横綱栃錦) 13位 斎藤都世子 1億0641万円(ニットデザイナー) 14位 横山光輝 1億0359万円(漫画家) 15位 車田正美 9049万円(漫画家) 16位 芦田淳 8528万円(ファッションデザイナー) 17位 森英恵 8486万円(ファッションデザイナー) 18位 穐月明 8220万円(日本画家) 19位 藤田喬平 8108万円(ガラス工芸家) 20位 藤本弘 8063万円(漫画家 藤子・F・不二雄) 1位 市村羽左衛門 3億1967万円 2位 三田佳子 1億2885万円 3位 吉永小百合 1億0275万円 4位 沢村貞子 1億0164万円 5位 ビートたけし 9082万円 6位 志村けん 9023万円 7位 中村又五郎 8387万円(二代目) 8位 愛川欽也 7517万円 9位 山城新伍 6698万円 10位 加藤茶 6620万円 11位 三船敏郎 6192万円 12位 黒柳徹子 6011万円 13位 中村吉右衛門 5902万円 14位 関口宏 5667万円 15位 加山雄三 5228万円 16位 浅野ゆう子 5071万円 17位 桂三枝 5040万円 18位 森光子 5020万円 19位 風間杜夫 4930万円 20位 大楠道代 4867万円 ※1位に登場した歌舞伎役者・市川羽左衛門は港区南青山の土地を売却したことにより大きな収入を得たのがランクインの理由。 ※4位に登場した女優・沢村貞子も不動産売却所得によるランクイン ※2022年1月22日加筆修正をおこないました。 はる坊です。 1990年代以降の西村寿行と、その晩年について綴っていきます。 世間はバブル景気崩壊により長い不況のトンネルに入っていた1993年。 62歳となっていた西村寿行は執筆意欲も薄くなり、代々木の仕事場で過ごす時間は多かったものの、この年には、『幻獣の森』『魔性の岩鷹』の2冊のみが発行されています。 そして、5月31日。 西村寿行は重大な宣告を受けることになります。 西村が体調の異変に気付いたのは、その1、2ヶ月前のことです。 喉にチクッチクッと痛みを感じるようになったのです。最初は、魚の小骨が喉に刺さったと思ったようです。 体調の異変を感じ始めた西村は、いつからか、かかりつけとなった、西新宿の会員制クリニックに赴いて、内視鏡検査を受けます。 そして、1週間後、仕事場にほど近い大学附属病院で、飲み友達になっていた医師から電話が掛かってきました。 しかし、病院で待っていたのは、残酷な宣告でした。 医師は西村の身体が癌に蝕まれていることを告げられます。 「ほっておいたら、どうなります?」と訊ねた西村に医師は、 と医師に告げます。 西村は混乱しながらも入院を決意します。 病院は自宅からも比較的近い場所にありましたが、西村はただ独りの時間を過ごします。 見舞い・面会は不要。 家族も一人娘が手続きに来たときに、立ち寄っただけでした。 家族仲が悪かったわけではありません。 そして、家族も西村の気性を理解していました。 出版関係では、ただひとり、徳間書店の編集者に電話連絡をするのみでした。 大学付属病院の院長が主治医となり、ガン治療を33回の放射線照射でおこなうことに決定します。 毎朝、早くにおこなわれる数分の放射線治療が終わると、西村は病院を抜け出します。 (病院では死にたくない)と決意した彼は身体を鍛える為に、山歩きに没頭します。 しかし、最初に向かったのは庶民の山岳信仰で知られる大山でした。 やはり、ガン=死という幻影が、西村を大山へ駆り立てたのではないかと思います。 毎日のように丹沢山系を歩いたおかげで、西村の足腰はすっかり丈夫になります。 元々、作家になる前は、狩猟に生きていた時期もあり、山歩きをしていた西村ですが、このときの山歩きは、また別の思いを持ちながら歩を進めて行ったと思います。 下咽頭癌治療は手術こそしないものの辛いものとなり、放射線照射で放射線による火傷が頸部全体に広がり、内部までもが爛れました。 西村はネルシャツにジーンズ、そして首回りにスカーフを巻くというファッションを好みました。 喉麻酔をしなくては、食事が採れない状態になりましたが、33回の照射治療でがん細胞は西村寿行の身体から消えました。 しかし、退院した西村寿行を待っていたのは、痛恨の出来事でした。 入院して2週間は誰にも会いませんでしたが、考えをあらためて信頼していた徳間書店と光文社の担当編集者と丹沢の温泉旅館で食事をします。 温泉旅館での席で、西村は旧知の週刊誌記者が胃癌で入院したことを知らされます。 その記者は、西村が孤北丸という名のサロン・クルーザーを所有していたとき、キャプテンを務めた人物でした。 西村寿行が所有していたサロンクルーザー・孤北丸については、徳間文庫版『雲の城』の巻末に『サロン・クルーザー』というエッセイが掲載されています。amazon kindleやDMM電子版でも読めます。 自らのガン治療を終えて退院した西村は、早速タクシーを飛ばして彼の元へ向かいました。 記者の死の3週間前に、彼の妻が西村担当の編集者とともに、西村の元へ訪れます。 そして、 「しっかりとした病院へ移りたい」 と本人が言っていると聞かされます。 最初に行った病院では胃潰瘍と診断されたこと、現在入院している病院では、医師は何もしてくれないという、訴えも聞かされることになります。 しかし、すべては遅すぎました。 「俺が入院するとき、誰にも会わないと言わなければ・・・」 災難は更に降りかかります。 ガン治療と右手首の粉砕骨折での入院。 これらのことが、西村寿行を執筆から更に遠ざけた気がしてなりません。 かつての勢いをなくし、酒に耽溺する時間の増えた西村から離れる編集者もいました。 それでも、かつての西村を知る編集者は、雑誌連載や短編掲載で、西村を盛りたてようとします。 1994年『深い眸(中編集)』(光文社)(小説宝石掲載) 1995年『幻覚の鯱―神軍の章』(講談社) 1995年『世にも不幸な男の物語(短編集)』(徳間書店)(問題小説掲載) 1995年『デビルズ・アイランド』(角川書店) 1996年『大厄病神』 1997年『鷲』(徳間書店) 1998年『牡牛の渓(短編集)』(光文社)(小説宝石掲載) 1998年『幻覚の鯱―天翔の章』(講談社)(小説現代増刊 メフィスト連載) 2000年『月を撃つ男』(光文社)(小説宝石 1999年4月号~9月号連載) 2001年『碇の男(短編集)』(徳間書店)(問題小説掲載) まだ、小説現代の臨時増刊号という位置づけで、誌面の性格が決まっていなかったことも影響していたでしょうが、『幻覚の鯱―神軍の章』が、『メフィスト』に連載されていたのは少し意外な気がします。 このほかに、短編集や中編集を違うタイトルで二次出版化されたものもありますが、それらは省きました。 1994年~2001年までに刊行された本は、ピーク時なら1年で刊行していた冊数です。 そして、2000年10月に同誌に掲載された短編『刑事』(『碇の男』に収録)を最後に西村寿行の新作小説が発表されることはありませんでした。 西村は晩年、家族を自宅とは別にマンションに住まわせ、西村とボスと名付けた一頭の紀州犬と邸宅に籠もり、週末だけ家族と食事を共にする生活となりました。 『犬族からの通信』という近況報告を兼ねたエッセイが、2001年から徳間書店の小説誌『問題小説』に連載されていた時期もありますが、いつのまにかそれもなくなり、死の数年前に執筆していたという、自らの半生記もついに公に発表されることはありませんでした。 体調を損ねながらもアルコールの量は減ることなく、一人娘が注意しても聞き入れませんでした。 西村曰く、 〝俺はアルコールと妄想と幻覚で生きていたんだ〟。 そして、2007年8月23日朝。 死因は肝不全。 徳間書店発行の『問題小説』では、【追悼・西村寿行】と題して、出世作となった『君よ憤怒の河を渉れ』が全編再掲載されました。 通夜と告別式は近親者のみでひっそりとおこなわれました。 西村は自他共に認める〝晴れ男〟でした。 この会が執り行われてから、『遺言状』の全文が光文社発行の『小説宝石』に掲載されました。 〝愉しかった人生に御礼申し上げます〟から始まるこの遺言状は、独特の死生観を綴った後に、こう締めくくられていました。 〝ぼくの死は誰にもいうな。死を発表するほどおろかしいことはない。 70代を迎えて、小説を書くことからは遠ざかっていましたが、西村寿行らしい文章は最後まで健在でした。 お別れ会の祭壇には、毛蟹を調理する73歳の西村の写真が飾られ、最も愛した酒であるアーリー・タイムズが供えられました。 西村の逝去後も、代表作品の文庫は新装版として刊行され続けています。 そして、逝去から10年が経った2017年には、1976年に公開された『君よ憤怒の河を渉れ』のリメイク作『マンハント』が、ジョン・ウー監督 チャン・ハンユー 福山雅治主演で公開されました。 西村寿行作品に影響を受けた人々は数多くいます。 漫画家では、藤田和日郎。 そして、荒木飛呂彦。 2015年暮れには、半生を共にされた奥様・西村八千子さんも亡くなられ、西村寿行の時代はさらに遠くなった気もしますが、多摩市連光寺に建てられた邸宅は、まだその存在感を放っています。 つたない文章を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。 ファンのひとりとして、このまま忘れ去られてしまうのは、あまりに惜しい作家だと思いますので、手持ちの資料を読みながら思いを込めて綴りました。 2018年6月に西村寿行ファンとして、大変嬉しいことがありました。 本の雑誌社が発行している『本の雑誌420号2018年7月号』で、 『巨魁・西村寿行伝説』と題した特集記事が組まれたのです。 担当編集者だった講談社の鈴木宣幸氏、徳間書店の平野健一氏、光文社の丸山弘順氏、そして、愛娘の西村亜子氏が登場して、主に1980年代の西村寿行について語っています。 ちょうど『地獄』に登場していた担当編集者が寿行先生のお相手に疲れて、若手が投入されはじめた頃からのお話がメインになります。 以下は、1990年代半ばにおこなわれた北海道取材旅行で、実際にあったエピソードです。 ・根室の旅館に宿泊して、宴会をおこなう際に、花咲ガニはあったものの大好物の毛ガニがなく、 「みんな、飲めーッ!、喰えーッ!」 というどんちゃん騒ぎがしたかった寿行先生はご立腹。 寿行先生は同行の編集者たちに、「好きなだけ飲み食いをさせられず、申し訳ない」と詫びたあと、その席の幹事だった角川書店の宍戸健司氏に集中攻撃をします。 このときに、ブチ切れた寿行先生が、宍戸健司氏に向かって発言した 「おまえは根室市長に連絡したか!」 は重要な寿行ワードです。 あまりにネチネチと、寿行先生から怒りをぶつけられ続けた宍戸氏は我慢をしていましたが、ついに耐えきれなくなり、 「じゃあ、いいっすよ。俺、帰りますよ」 とキレ始める始末。 次の日は知床泊で、前日のことがあったので、編集者が気を利かせて旅館側に、 「いくらかかってもいいからカニづくしにしてくれ」 と頼んだところ、宴席にやってきた寿行先生は、 「こんなにカニばっかりあって気持ちが悪い」 と言いだしてご機嫌を損ねます。 更に、「カニが俺を見ている」と名言を吐きます。 それから、不機嫌になって酒を飲みながら海を眺めていた寿行先生でしたが、何を見間違えたのか、 「ロシアのスパイ船がいる」 と言い始めて、海上保安庁に「今、スパイ船が入ってきた」と電話連絡をするも、酔っ払いの戯言だと相手にされず、「クジラか何かじゃないでしょうか?」と返されると、「何言ってんだ!」と怒って、電話を叩きつけて壊しました。 それからも、 ・港に停泊中のロシア船に勝手に乗り込んでいった。 ・釧路動物園で、「あいつを殴ってやる」 と言ってヒグマのいる柵を上り始めた。その横に写生をしにきていた地元の小学生がいたが、みんなびっくりしていた。 また、日常生活においても面白エピソードが満載です。 でも、担当編集者は右往左往させられながらも、寿行先生のことが大好きで、この特集のなかで、 “「本当、寂しがりやだった。でも才能はすごい。鬼気迫るというか」” “「寿行さんは担当できてよかったなっていう一番の作家ですね」” と思い出を愉しそうに語られています。 これを期に、亜子氏が『父・西村寿行』とサブタイトルがつくような本を書いてくださると有難いのですが。 最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。 何かございましたら、こちらまでお願いいたします。 はる坊 拝 はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます) メール:http://info*harubou-room.com (*を@にご変更いただきますようお願いいたします) はる坊です。 1983年度分 1億2,588万円 4位 1980年度分から1990年度分までに公示された申告所得額・納税額をみると、 西村寿行は、なぜ、ここまで売れたのか? ・1975年の『君よ憤怒の河を渉れ』以降、特に77年からは、毎月のように新刊を出し続け、その全作が水準以上の出来栄えで、西村寿行作品は面白いという評価を読者から受けていたこと。 1975年に角川書店が角川文庫を発刊して、西村寿行作品に廉価で身近に触れられたこと。角川文庫の売り上げ部数は、横溝正史・赤川次郎・森村誠一に次いで歴代第4位です。 ・寿行作品の多くを出版した徳間書店が、80年に徳間文庫を発刊して、ここでも寿行作品が文庫化されたこと。 さらに、徳間書店では『西村寿行選集(NISHIMURA HARD-ROMAN SERIES)』をノベルスで別に刊行し続けたこと。 新刊のハードカバー・ノベルスは15万部程度売れ、文庫の初版は20万部。 徳間書店の創業者・徳間康快(とくま やすよし《名前はこうかいとも呼ばれました》)は反権力の立場にいる作家を愛しました。 エンタメ系のプロ作家が対象の大藪春彦賞も制定しています。 賞金300万円は、デビュー後の作家がもらえる賞の賞金としては、柴田錬三郎賞と並んで最高額タイです。 実業家としては、本業の徳間書店のほかにも、スタジオジブリの初代社長も務めています。 〝徳間文庫、いや、徳間書店を支えている一因は西村寿行〟と囁かれるほどの人気ぶりでした。 しかし、一番の理由は、 “俺は芸術家じゃなくて、職人だから、面白おかしく書いて、たくさんの人に読んでもらえればいいんだ。” と語っていた読者を大切に考える西村寿行自身の姿勢にあったと思います。 『霖雨の時計台』『宴は終わりぬ』(唯一のエッセイ集)『石塊の衢』『鬼(中編集)』『狼のユーコン河』『濫觴の宴』『花に三春の約あり』『魔境へ、無頼船』『幻戯』『頻闇にいのち惑ひぬ』『襤褸の詩』 この年の作品では、田中邦衛主演でドラマ化された『霖雨の時計台』が白眉です。 インタビュー嫌いの西村寿行にしては珍しく、この『霖雨の時計台』に関しては、この小説に対しての強い思い入れを取材に応じて、機嫌よく語っているのです。 同時に、幻想小説として傑作であり、夢枕獏が雑誌掲載時に驚愕したという『鬼(中編集)』はおすすめです。 また、『花に三春の約あり』は『峠に棲む鬼』のヒロイン・逢魔麻紀子の娘、逢魔紀魅が登場します。 生涯で唯一刊行されたエッセイ集『宴は終わりぬ』は人間・西村寿行が余すところなく感じられて面白いです。 また、表紙の絵を愛娘の西村亜子さんが描いています。そして題字は西村寿行本人によるものです。 『空蝉の街』『監置零号』『鉛の法廷』『風紋の街』『妖しの花乱れにぞ』『垰 大魔縁』『垰よ永遠に』『夢想幻戯』『沈黙の渚』『緋の鯱』『黒猫の眸のほめき』『憑神(中編集)』 『雲の城(中編集)』『牙(短編集)』『異常者』『鬼の跫』『人類法廷』『ガラスの壁』『無頼船、極北光に消ゆ』『鷲の巣』 これは読み手によって様々な意見があると思うのですが、個人的にはこの1985年に発表された作品あたりから、徐々に全体のバランスが崩れた作品が出始めたように感じます。 前年の84年に、西村寿行の影響を公言している夢枕獏の伝奇バイオレンス小説『魔獣狩り 淫楽編』『魔獣狩り 暗黒編』『闇狩り師』が単巻で10万部以上のヒット作になります。 『闇狩り師』を刊行した徳間書店の編集者は“「ウチはもう完全なバックアップ態勢です。第二の西村寿行になりうると確信しています」”と発言しています。(出典:週刊文春1984年9月27日号「バイオレンスのニューパワー夢枕獏の正体」より) 当時、夢枕獏自身がインタビューで“「昨年(前年の1983年分)の年収は780万円だったのに、今年は6800万円でした。あるときに、通帳記帳に行ったら、機械がダダダッて印字がとまらなくて、『来たな』と思いました」”と話しているように、翌1985年分、1986年分では長者番付の作家部門14位に登場します。 そして、この時期から伝奇小説だけではなく格闘小説『餓狼伝』や『陰陽師』の執筆も開始して、月産500~800枚という多産に耐えながら、作家としてのフィールドを拡げていきます。 98年に『神々の山頂』で柴田錬三郎賞を受賞したのを皮切りに、一般文芸を対象とした文学賞にも縁ができはじめ、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞も受賞し、2018年春には紫綬褒章を受章しています。 また、朝日ソノラマで、『魔界都市〈新宿〉』でデビューを果たし、『トレジャーハンター(エイリアン)』やシリーズ『吸血鬼ハンターD』シリーズジョブナイル小説(現在のライトノベル)を書いていた菊地秀行がこの年にノベルス界に進出すると矢継ぎ早に『魔界行Ⅰ(復讐編)』『魔界行Ⅱ(殺戮編)』『魔界行Ⅲ(淫獄編)』『妖魔戦線』『妖魔陣』『妖魔軍団』『妖人狩り』『妖獣都市』など伝奇小説を量産して、そのほとんどが10万部を軽く超えるベストセラーとなりました。 1987年には、21冊もの伝奇バイオレンス小説を主にノベルスで発表して、ベストセラー作家の座を確固たるものにします。 年間10冊以上の新刊を長期間にわたって発表し続け、2017年2月には『魔界都市ブルース 霧幻の章』で著作400冊を達成しています。また、1986年分から1995年分までの10年間、長者番付・作家部門ではベストテンにランクインし続けました。 このような新しい動きがあったことは、西村寿行に追随したバイオレンス小説の大家・勝目梓もその半自伝的著書『小説家』のなかで触れています。 勝目が年間15冊平均でノベルスを出していた時期で、一番多忙であった頃ですが、半自叙伝的な著書に夢枕獏と菊地秀行の台頭を記しているところをみると、当時としては、かなり脅威に映ったのではないかと思います。 『珍らしや蟾蜍、吐息す』『死神 ザ・デス』『山姥が哭く(短編集)』『曠野の狼』『無頼船 ブーメランの日』『遺恨の鯱』『時の旅』『癌病船応答セズ』『まぼろしの獣』 『凩の蝶』『魔の山(短編集)』『人間の十字路(短編集)』『陽炎の街』『風の渚』『幽鬼の鯱』『母なる鷲』『コロポックルの河』『旅券のない犬』 『残像(短編集)』『執鬼(短編集)』『賞金犬(ウォンテッド)(短編集)』『道』『無法者の独立峠』『無頼船、緑地獄からのSOS』『幻想都市』『聖者の島』『悪霊刑事』『衄られた寒月(中編集)』 『学歴のない犬(上・下)』『頽れた神々(上・下)』『神聖の鯱』『風と雲の街』 息を吹き返したかのように面白い長編が発表されました。 1990年(平成2年) 1991年(平成3年) 1992年(平成4年) 1990年代に上梓された本を92年分までひとまとめにしてしまいましたが、これには理由があります。 着想は、さすが西村寿行だなと思わせるのですが、内容にまとまりがなく支離滅裂と感じられるものになってきます。 1989年12月、徳間書店では文芸書籍編集部の求人の応募して、中途入社した芝田暁氏が西村寿行の担当編集者になっています。 第一に、徳間書店が文芸書籍編集部の求人を出した理由は、西村寿行の担当編集者が、あまりの大変さに逃げ出してしまい、先輩編集者たちも敬遠しており、やむを得ず、新たに中途採用で担当編集者を補おうとしたからでした。 その大変さはハンパなものではありませんが、初めて、西村寿行に受け入れられたときの喜びも書かれています。 それが、第一線から退いた1990年代にも小説連載の仕事が続いた理由ではないでしょうか。 しかし、この頃、作品の雑誌連載・掲載時の煽り文句も〝不条理〟〝奇想〟〝奇作〟と付けられており、どうにも編集者が扱いに困りだしているのが目に浮かんでしまうのです。 また、1990年度分を最後に長者番付作家部門からも姿を消します。 ですが、この時期になっても、西村寿行の新作は単行本(ハードカバー)で初版5万部。 当時税務署で公示されていた高額納税者と納税額を集計した資料をみると、1991年以降も数年間、年間1,000万円以上を納税していたことがわかります。 さて、ここからは余談になりますが、ネットで〝西村寿行〟と検索すると、〝西村寿行 指〟や〝西村寿行 ポキポキ〟という検索がされているのに気がつきます。 これに関しては、私は強く否定します。 西村寿行の小説やエッセイを読み、その考え方や人となりを知ると、とてもではないですが、そういう人物だったとは思えないのです。 〝ホステスに対して言った〟〝風俗関係の女性に対して言った〟という文章もネットに上がっていますが、確かな情報ソースがあるわけではなく、大変に無責任で西村寿行の名誉を毀損する書き込みだと思います。 銀座など女性のいるクラブやラウンジを西村は嫌いました。 また、女性関係でも、長年秘書としてもそれ以上の関係としても作家生活を支えた女性がいること。 こういう人物にそのような噂自体そぐわないと思います。 喜怒哀楽が激しい寂しがり屋で、お山の大将気質。 小説家として一番忙しく、そして輝きを放っていた時期には、渋谷区代々木のマンション最上階に構えた仕事場での執筆が終わる18時頃から、各社の担当編集者が西村の元にアーリータイムズ持参で集まり、毎夜、打ち合わせを兼ねた飲み会を開き、週末になると、編集者たちと『雑木の会』という宴会を開いてもいました。 晩年になって、小説の執筆を完全にストップさせてからも、多摩市連光寺の自邸で宴を催した折りには、長年の戦友とも呼べる旧知の編集者だけではなく出入りの庭師なども呼び、かつて〝海賊料理〟と称した活魚料理店の経営者兼板前だった経験を生かして、自ら客に料理を振る舞いました。 【送料無料】身入り9割以上 最上級堅蟹 超特大サイズ 毛がに 1尾 私は、西村寿行という人物についてこう思います。 ⇒⇒現在、アマゾンのKindleでは電子書籍のキャンペーン実施中で、西村寿行作品が270円から読めます。 話が横道に逸れました。 ⇒そして、1993年(平成5年)を迎えます。その6に続きます。長者番付を振り返ってみましょうか(1986年分~1990年分 俳優・タレント・歌手&文化人部門)
1986年分~1990年分の高額納税者公示(長者番付)において、『俳優・タレント部門』『歌手部門』『その他・文化人部門』上位20位までにランクインした面々を紹介させていただきます。1986年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額
俳優・タレント部門
この2人のランクインは長谷川一夫逝去に不動産を処分した際の売却益によるもの。
なお、1989年に再挑戦して、日本人女性初の北極点踏破者となった。歌手部門
その他・文化人部門
フェラーリのコレクターとしても有名で、ガレーヂ伊太利屋の代表も務めた。1987年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額
俳優・タレント部門
時代はバブル経済に入っていた。
1位 園まり 2億5865万円
なお、岩崎宏美・岩崎良美姉妹、新沼謙治、神野美伽は松田主宰の音楽教室出身。その他・文化人部門
7位の車田正美とともに週刊少年ジャンプ連載陣の強さを見せつけた。1988年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額
俳優・タレント部門
歌手部門
1981年のピンク・レディー解散後は、ミー⇒MIE⇒未唯⇒未唯mieと芸名を変更している。その他・文化人部門
『太陽の季節』でデビューした石原裕次郎主演作『狂った果実』など多くの映画の衣装を担当。
大好評をもって迎えられ、顧客にはモナコ王妃のグレース・ケリーやソフィア・ローレンが名を連ねた。
現在では、孫の森泉や森星の祖母というイメージも強い。1989年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額
俳優・タレント部門
また、武田泰淳原作の『ひかりごけ』に強い執着を持ち、1992年に熊井啓監督・三國連太郎主演での映画化に尽力する。
同作はベルリン国際映画祭に正式出品され、高い評価を受けた。
1988年に公開された荒俣宏原作の映画『帝都物語』では、父・西村真琴役を演じている。
また、戦時中は特攻隊員であり、出撃後に特攻機不良で基地に引き返し、そのまま終戦を迎えて一命を取り留めている。歌手部門
その他・文化人部門
1990年分芸能人・文化人長者番付所得税納税額
俳優・タレント部門
1990年は、結果的にバブル最晩年となったが、全国の長者番付上位100名のうち、95名が不動産売却による、いわゆる〝土地長者だった〟。昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その6
1990年代の西村寿行 病魔との闘い
ガンを患っていることを報されたのです。
痛みは酒を飲んでいるうちに消え去りますが、断続的に、チクリと喉の痛みが西村を襲います。
医師は「喉に炎症ができている」と話し、組織片を採取されます。
西村は、酒の誘いだと軽く考えて、病院に向かいました。
西村は、自分が酒飲みであることもあり、食道癌だと思ったようですが、医師の診断は下咽頭癌(扁平上皮癌)でした。
「ほっておいたら、半年保たない」
最初の幾日かは、宣告を受けた東京の大学付属病院で過ごしますが、治療のため、神奈川県内にある同じ大学の付属病院本院に入院した彼は、当初、誰もそして何も寄せつけませんでした。
花も不要。
西村自身が「来るな」と厳命したからです。
西村は動物好きであった為、人間と共に働いた牛馬に思いを寄せ、それらを祀った道祖神に興味を持ち、自宅の庭に地蔵を2体祀っていましたが、特別な信仰を持ってはいませんでした。
しかし、今やそのスカーフは、おしゃれではなく、喉の火傷を覆い隠すものに変わっていました。
そして、6月27日に退院します。
「西村寿行、癌で入院」の報せは、各社の〝西村番〟編集者に届きました。
西村は「騒ぐな。大きな話にするな!」と厳命しました。
長年の担当編集者である徳間書店のひとりだけに入院したことだけを報せて、自身の体調について詳しい状況を話していないことに、西村自身の気がとがめたようです。
それだけ、西村と強い信頼関係で結ばれていた人物だといえるでしょう。
彼の容体を訊ねた西村に返ってきた答えは、
「3ヶ月の命だそうです・・・」
という残酷な言葉でした。
西村は絶句するしかありませんでした。
しかし医師の宣告どおり、旧知の週刊誌記者は3ヶ月後に亡くなります。
西村は彼の葬儀には参列しませんでした。ひとり娘を名代として赴かせたその日、西村はただひとりで涙を流していました。
西村は自分自身を責めました。
「寿行さんなら、しかるべき病院と医師を、紹介してくれるのではないか、と本人が思っていたのなら・・・」西村寿行、下咽頭癌治療を終えるも、今度は右手首を粉砕骨折
同年12月に転倒した折に、右手首を粉砕骨折してしまいます。
そして、翌1994年の3月まで再度の入院を余儀なくされます。
雑誌に連載中の小説はこの間、休載。
旧知の人物のガン死。
そして、自らのガンに対する放射線治療の代償として得た、頭重と嘔吐感、持病の蕁麻疹。西村寿行、執筆生活の終焉
退院してから、執筆・刊行された本を以下のとおりです。
(メフィスト 1994年8月号~1995年4月号連載)
(小説王 1994年9月号~1995年1月号 及び 野性時代 1995年4月号~7月号連載 )
内容は、かつて西村作品を愛読していた読者が物足りなさを感じるものになっていました。
1999年に光文社『小説宝石』で最後の長編となる『月を撃つ男』を6回に分けて連載。
それでも、最後の長編『月を撃つ男』は文庫化されると増刷を重ね、第8刷まで重版されています。一頭の紀州犬とともに独り孤城で過ごした西村寿行の最後の時間
パイプを口にくわえて、好々爺となった晩年の姿を捉えた顔写真は珍しいと思います。
様子を見に来ていた家族が、ベッドで亡くなっている西村寿行を発見します。
その死を看取り、傍にいたのは3代目の紀州犬・ボスだけでした。
享年78(満76歳)。最後に残した西村寿行『遺言状』
その後、旧知の人々が集ったお別れ会の席上、生前、弁護士に宛てて書かれながら、書斎の机の中に置かれたままで、投函されることのなかった西村寿行の『遺言状』が読まれました。
しかし、お別れ会当日は冷たい雨が東京に降り注いでいました。
まるで、寂しがり屋の西村が、〝自分抜きで別れの会なぞを執り行うな〟と言っているかのように。
魚もだが、牛や馬は親仔、兄弟の死をあの大きな澄んだ瞳に浮かべることはない。
己の死を特別なことと捉えるのはひと類のおごりだろう。
ひっそり--それがぼくには似合っている。
海から這い上がって、いつの間にか消えていた--というような生と死--。〟
そして、現在・・・
なかには、現在人気作家・漫画家として活躍中の方も。2018年6月 本の雑誌2018年7月号で、『巨魁・西村寿行伝説』と特集記事が組まれた!
そのエピソードがすべて面白すぎるので、気になる方は、ぜひチェックをしてみてください。西村寿行 北海道取材旅行での超絶エピソード集
ちなみに、寿行先生は浜茹でされた毛ガニが大好物でした。
(宍戸氏は、専修大学卒業後に角川書店に入社。10年来、担当編集者として西村を支える一方、角川ホラー文庫を立ち上げ、日本ホラー大賞、山田風太郎賞創設も手掛けた敏腕編集者にして、馳星周氏を『不夜城』で華々しくデビューさせた方です)
(実際に、不審船が領海内に侵入していれば、海上保安庁は早々にレーダーで発見していたでしょう)
等々。
叶わない願いかもしれません。
もう一度、心より御礼申し上げます。昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その5
1980年代の西村寿行
まず、1980年代になっても、西村寿行がどれだけ売れていたのかを示すデータから。
俗にいう長者番付。高額納税者番付作家部門です。
1983年度分からは、従来の申告所得額ではなく、納税額が公示されるようになりました。
1984年度分 1億5,615万円 5位
1985年度分 1億3,745万円 5位
1986年度分 1億1,809万円 5位
1987年度分 1億3,190万円 4位
1988年度分 1億0,072万円 5位
1989年度分 9,508万円 7位
1990年度分 8,185万円 6位
この時代に売れて税金を多く納めた作家は次の順になります。
1位 赤川次郎 6位 池波正太郎
2位 西村京太郎 7位 森村誠一
3位 司馬遼太郎 8位 笹沢左保
4位 西村寿行 9位 渡辺淳一
5位 松本清張 10位 遠藤周作
・小説本がもっとも売れた昭和50~60年代に活躍したこと。
もちろん、増刷が繰り返されます。
なかでも大藪春彦とは親友同士で、大藪の葬儀で弔辞を読んだのも徳間康快でした。
また、映画会社の大映や徳間ジャパンの経営もおこないました。
では、年ごとに出版された作品をみていきたいと思います。1983年(昭和58年)に刊行された本
エッセイを含んで11冊を上梓しています。
そして、『襤褸の詩』では『蘭菊の狐』のヒロイン・出雲阿紫が再登場しますが、扱いが他の寿行作品で描かれるヒロインと同じ道を辿ったのが、個人的には残念でした。
1984年(昭和59年)に刊行された本
12冊を上梓しています。
垰シリーズが、『垰よ永遠に』をもって終わりました。
『鉛の法廷』は司法で裁くことができない犯罪者を、私設裁判所にて裁くという重くも救いのある作品です。
『黒猫の眸のほめき』は、西村寿行が主役です(物語の序盤に西村寿行は、実際の愛車で、本当に1リットルで2キロしか走らなかったという、恐ろしく燃費の悪いチューンアップ済みのメルセデスベンツ500SLC AMG仕様に乗って登場しますが、その後は・・・)。『地獄』の世界観を楽しめるのなら、この作品も面白いはずです。1985年(昭和60年)に刊行された本
上梓した冊数は8冊に減りました。
ポリティカルフィクションというジャンルにあてはまる『人類法廷』『ガラスの壁』が刊行されます。
寿行作品中期以降のなかでも異質な存在感を放つ、『異常者』もこの年に発表されています。夢枕獏・菊地秀行が伝奇バイオレンス・伝奇アクション小説を書き出した時期
1986年(昭和61年)に刊行された本
長編を中心に9冊を上梓しています。
癌病船シリーズが『癌病船応答セズ』をもって終結しました。1987年(昭和62年)に刊行された本
昨年同様、9冊を上梓していますが、個人的に消化不良に思える作品が増えてきます。
特に鯱シリーズではそれが顕著に感じられました。
『風の渚』は渚シリーズ最後の作品になりました。1988年(昭和63年)に刊行された本
刊行数は久々に二桁、10冊になりました。
この年の作品を読むと、前半は面白いけれど、後半になってからが・・・という感じでしょうか。
『賞金犬(ウォンテッド)』が、1995年オリジナルビデオで映像化されています。北野武監督映画『ソナチネ』の出演がきっかけとなり、演技派俳優として認知をされていく大杉漣も、この作品に出演しています。
(残念ながら、大杉漣さんは2018年2月21日に急性心不全で急逝されました。ご冥福をお祈りいたします)
また、『無頼船、緑地獄からのSOS』は無頼船シリーズ、『幻想都市』は幻戯シリーズ(宮田雷四郎シリーズ)最後の作品となりました。1989年(平成元年)に刊行された本
特に『学歴のない犬(上・下)』は作家生活後半で、もっとも優れた長編になると思います。1990年(平成2年)~1992年(平成4年)に刊行された本
『呪医 ウィッチ・ドクター』『魔物』『涯の鷲』『矛盾の壁を超えた男』『蟹の目(短編集)』
『凩の犬』『呪いの鯱』
『消えた島』『魔獣(短編集)』『鬼の都』『ここ過ぎて滅びぬ』
90年代に入ると、思わず首を捻ってしまう作品が増えます。
鯱シリーズの『呪いの鯱』は週刊現代に連載されていますし、その他の作品も雑誌連載・掲載作がほとんどですが、雑誌を読むと他の小説家と比べて浮いている印象を受けざるを得ないのです。
芝田氏の著書『共犯者 -編集者のたくらみ- 』には、西村寿行番編集者の大変さが綴られています。
最初、付き合うのには我慢と時間がかかりますが、一度信頼関係を築けると「ホントに仕方のない人だな」と思いながらも惹きつけられてしまう。
そんな人間的魅力が西村寿行にはありました。
ノベルスもで初版で5万部が刷られていました。〝西村寿行 指〟や〝西村寿行 ポキポキ〟に対する反論
どうやら、『「金を払うから女性に指を折らせてくれ」と西村寿行が言った』というもののようです。
なかには、〝西○○行〟と卑怯な書き方をしているところもあります。
大流行作家となっても、足を向けることはありませんでした。
これらは西村寿行のエッセイや、その執筆活動をささえた編集者たちの思い出話の中に出て来ます。
一時期は女優と交際したこと。
どこのソープランドへ編集者と連れだって行くことなど、神秘的なイメージを持ちたい作家なら絶対に公言しないことも、「別に隠すことでもなんでもないじゃねえか」というふうに、堂々とあっけらかんとインタビューで答えています。
酔いに任せた部分もあったのでしょうが、夜に宴会をしているときには、北海道から九州まで方々へ電話を掛けまくり1日の電話代が2万円に及ぶこともありました。
自身が飲むのは、売れっ子作家となって、年収が毎年3億円になっても、ビールとバーボンウイスキー・アーリータイムズ。
酒が大好きで、気心の知れた仲間と宴会をするのが大好き。
宴の主役はいつも大好物の蟹でした。慣れた手つきで蟹を調理しては、客に蟹の身肉を存分に味わってもらい、蟹雑炊で締めるという何とも贅沢な時間を西村寿行自らが提供していたのです。
自分からは進んで徒党を組もうとはしない孤高の人。
でも、縁あって知り合い、気心の知れた人を大切にしたのが、西村寿行という人間だったと思います。
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