【2020年3月15日期限】確定申告について、税務署に相談したいときに知っておきたいこと
確定申告について電話で相談するときは「押す番号」に注意しよう 確定申告を行う際、申告書の書き方など分からない点を相談したい場面もあると思います。 今回の記事では、確定申告について税務署に相談に行ったり、電話したりする際の…
確定申告について電話で相談するときは「押す番号」に注意しよう 確定申告を行う際、申告書の書き方など分からない点を相談したい場面もあると思います。 今回の記事では、確定申告について税務署に相談に行ったり、電話したりする際の…
『ANGEL』『桜通信』で有名な漫画家・遊人がTwitterを始められました。
現在は港区六本木と湘南を行き来して生活をされているようです。
かつて1990年代半ばに、遊人さんは湘南に〝推定4億円〟といわれる豪邸を新築。
新築にあたっては、ハウスメーカーがアメリカ現地の邸宅を調査して建てられた経緯があります。
この豪邸は『ダ・ヴインチ』とか『COMIC GON!』サブカル系の雑誌で特集されていて、『桜通信』の作中にもよく登場していました。
『トゥナイト』にも取り上げられた記憶があります・・・。
本名は確か國光さん。
TwitterのID、@kunimituyuji はご本名ですね。
大盛況だった、秋葉原に引き続き、大阪・なんばのとらのあなでも
「平成お世話になった漫画家遊人の生イラスト生原稿オークション」のイベントが行われました。
「平成お世話になった漫画家遊人の生イラスト生原稿オークション」
土日祝 12:00~20:00
平日 17:00~20:00
入場:無料
場所:とらのあななんば店A
〒556-0005 大阪府大阪市浪速区日本橋3丁目8−16
東京・秋葉原に続いて、こちらも大盛況のうちに終わったようですね。
遊人さんはかなりの苦労人なんですよね。
1959年6月15日に山口県宇部市生まれ。
高校卒業後に上京して漫画家を目指して、1979年に『同姓契約』でデビューしたものの、その後は10年近く鳴かず飛ばず。
ちなみに國光という苗字(姓)は宇部市に多いです。
初期の大友克洋の影響を受けた、劇画調の作品も個人的には好きなのですが、ウケなかったんですねえ・・・
(あのままの画風だとかわぐちかいじっぽい絵になっていたのかも)と思うことがあります。
漫画家として売れなかった時代は、印刷屋さんやクリーニング店、漫画家アシスタントとして働きながら漫画を描き続けられていました。
20代半ばには、もう結婚されて娘さんもいらっしゃったはず。
その娘さんは、現在デザイナーとして活躍されておられるようです。
この頃は、相当、漫画家としての位置づけに悩まれただろうなと思います。
事実、遊人さんの絵は、「同一の漫画家か?」というくらいに変化しています。
デビュー当初は、大友克洋さんの影響を受けた劇画調の絵。
それから、江口寿史さんや江川達也さんの影響を受けた絵に変わり、ブレイクすることになる美少女の絵柄に変わります。
これは想像ですが、遊人さんは江口寿史さんの位置を一時期、狙っていたのではないかと思うことがあります。
週刊少年ジャンプに連載した『すすめ!!パイレーツ』と『ストップ!!ひばりくん!』の2作品によって、人気漫画家の地位を不動のものにして、さらに30代になるかならないかのうちに、原稿を落とすことがもはやステータスになっていた〝ビッグE〟江口寿史さんの絵は、今でも十二分に魅力的ですが、1980年代、大変魅力的でした。
江口さんの本業は漫画家ですが、ギャラのいいイラスト仕事が優先になり、江口さんは連載漫画の原稿を落とすことが、恒常的になります。
そこで、遊人さんが「江口寿史の絵は受ける。これだったら、江口寿史風の絵で漫画連載をすれば受けるんじゃないか?」と思われても、決して不思議ではない。
実際、週刊モーニングに連載した末松正博さんの『右曲がりのダンディー』は、江口寿史のパクリそのものでしたが、全9巻で600万部以上を売り上げました。
まあ、江口寿史さん本人から、末松さんは「〝リスペクトじゃなくて、ただのパクリ〟」と名指し批判をされたので、遊人さんは、江口寿史路線で売れなくてよかったと、一ファンとしては思っています。
個人的な想像に過ぎないのですが、ひょっとしたら江口寿史さんは、イラストレーターとしての実績で、紫綬褒章・旭日小授章の受章・叙勲があるのではと思っています。
紫綬褒章は60歳代まで、旭日小授章は70歳以降の受章・叙勲になりますね。
そして、遊人さんは1988年に週刊ヤングサンデーに連載を開始した『ANGEL』でブレイク。
同時期には。リイド社の『リイドコミック』で『校内写生』の連載を開始。
単巻で100万部を超えるヒット作となります。
『ANGEL』第1巻が100万部を突破して、一躍人気漫画家の仲間入りを果たしますが、1990年代初頭に起こった有害図書(コミック)問題の槍玉に挙がり、路線の変更を余儀なくされます。
一旦、休載となり、その後、連載再開されましたが、騒動を恐れてか、コミックスが発行されない状態が続き、最終的にリイド社の子会社だったシュベール出版より、成人向けコミックとしてコミックスが発売されました。
その後は、週刊ヤングサンデー連載の『Juliet』を経て『桜通信』の連載を開始。
『桜通信』も途中の10巻時点で200万部を突破。
『桜通信』連載後半頃までに、出版された遊人作品のコミックスの部数は累計で1500万部を突破します。
美少女コミックを描いて得た収入は、全盛期の9年間で10億円だったと、遊人さん本人がインタビューで語っています。
これは、遊人作品の魅力もさることながら、週刊ヤングサンデー(連載作品:『ANGEL』『Juliet』『桜通信』『Peach!』)や週刊ヤングジャンプ(連載作品:『学園天国』『幼な妻マープルの事件簿』)という一般・青年誌に連載を持ち、ただのエロマンガ・エロ漫画家とは一線を画する位置にいたからだろうと思います。
漫画家が本当に儲かったのは、1980年代~1990年代まででしょう。
何といっても、コミックの売上が現在とは比べものになりませんので。
1990年代半ばには、ブックオフが出て来始めましたし、福満しげゆきさんが、作中で「(漫画)バブルの頃だったら、もっと売れていた」とぼやいていますが、実際、漫画家は一部を除いて、そんなに稼げる仕事ではなくなりましたもんね。
遊人さんが吉祥寺から移り住んだ湘南・藤沢。
この土地に買い求めていた100坪あまりの土地に、新築の白亜の邸宅を構えたのは1995年。
アトランタに現存している邸宅をモデルにして、荘厳なドアがカナダ製なのを始め、ほとんどが輸入資材によってまかなわれました。
湘南の豪邸の他にも、ハワイにコンドミニアムを持っていたり、港区六本木にオフィスを構えていたりと確かに傍目にはバブリーでした。
あとクルーザー(700万円)も。
2年ほど前でしょうか、5chまとめサイトで当時の記事が話題になり、
「こんな豪邸を建てても、維持できないだろ」
とか
「固定資産税ヤバイだろ」
という声がありましたが、この邸宅はいまでもしっかりと維持されておられます。
クルマも高級外車を複数所有。
イエローのポルシェ911(1000万円)と赤のフェラーリF355(1500万円)を所有して、のちにはランボルギーニ・ディアブロも所有されていたと記憶しています。
その後、世田谷区に転居されて、吉祥寺に移られ、六本木と湘南・藤沢にを行き来する生活になったわけです。
さて、遊人さんはお金に淡泊な方です。
お金がドサッと入ったときに、アルマーニのスーツとか欲しいものを買ってみたけど、
感想は〝「こんなものか」〟で。
豪邸がクローズアップされたときには、
〝「ジーンズメイトとかで安くていいのを買っている」〟状態。
〝「たまに、タクシーに乗って帰宅すると、運転手さんに「お父さん、お金持ちなんだねえ」と言われる」〟と。
さてさて、美少女が登場する漫画で注目されてしまったので、作者はキモオタ・デブオタではないかと思われがちですが、遊人さんはなかなかのイケメンですよ。
遊人さん本人のお写真を拝見すると、漫画家というより、デザイナーや音楽関係者という印象を持ちました。
実際、ミュージシャン志望で、我流でありながらピアノ演奏はかなりの腕前で、自作の曲も弾かれるとインタビュー記事で読んだことがあります。
また、年齢よりかなりお若く見えますので、美少女を描く漫画家とご本人が、イコールにならないです。
それに、アウトドア派で原稿が上がると、家にいないという方のようで、30代半ばでメディアに露出されていた頃は、しっかり身体も鍛えておられるなという感じでした。
もっとも、
“「睡眠時間は3~4時間。眠くなったら寝るので、不規則です」”
という多忙な日々を乗り越える為にも、身体のコンディションを整えておられたのでしょう。
元々、「お金がないことが不幸ではない」という考え方の方ですから、
遊人さん本人曰く
〝「遊びで建てた」〟
この豪邸のインパクトはスゴイですが、その他は意外に質素に暮らしておられるような気がします。
Twitterに上がっている画像で普段の生活振りが垣間見えますが、〝安くていいものが一番いいもの〟という価値観をお持ちではないかなと感じます。
遊人さんは、2019年1月まで、東京都港区六本木3丁目のタワーマンション・THE ROPPONGI TOKYOの一室を購入して、仕事場として使われていたようですが、昨年末に売却されたときも、Twitter上で〝「今年1月に売却。6年前に購入した金額の40パーセントUPで売れました。一等地は凄いなーと思いました。」〟と淡々としたコメント。
ここで週刊漫画ゴラクに連載された『ANGEL~恋愛奉仕人・熱海康介~ 』『ANGEL ~恋愛奉仕人・熱海康介~ SEASON 2』を描かれていたようですね。
遊人作品は、その多くが電子書籍化されていますが、その売り上げが良好な漫画家さんです。
電子書籍・電子コミックを多く取り扱うアマゾンのKindleでも、遊人作品が販売中です。
いままで、遊人作品を読んだことのない方も、今回、このサイトで「遊人! 懐かしいなあ」と思われた方も、ちょっとのぞかれてみてはいかがでしょうか?
Kindleで遊人作品を読むのに一番簡単な方法をご紹介します。
1.スマホの無料アプリでKindleをダウンロードします。
↓
2.あなたのAmazonアカウントを入力します。
(メールアドレスとパスワードです)
↓
3.あとは、遊人作品を購入または1ヶ月980円の定額読み放題システムKindle Unlimitedに登録すれば、遊人作品はあなたのものです、
『ANGEL』
※『ANGEL』には〝改訂版〟と〝完全版〟の2種類があります。
表示されるカバー画像だけでは違いがわかりにくいので、簡単に違いをご説明します。
改訂版は初期の出版された作品を修正したもので、3巻までです。
完全版は、のちにシュベール出版から刊行された作品を電子化しているので、修正箇所が多めに見受けられます。
しかし、こちらは週刊ヤングサンデーに連載再開後、コミックス化されなかった4、5巻もあります。
まずは、〝改訂版〟を読まれて、気に入られたら、『ANGEL完全版 4』『元祖!! ANGEL完全版 5』を続けて読まれるのが一番いいと思います。
そして、『ANGEL』に引き続いてヤングサンデーに連載された『Juliet』
そして、1995年から同じくヤングサンデーに連載開始された『桜通信』。
『桜通信』は全20巻は遊人作品として最長です。
ヒロインの春日麗、慶應義塾大学文学部に通う令嬢・四葉美咲子、麗の友人・夏樹香美、そして秋本美寿紀と登場する女性は、全員が人間的に魅力的です。
また、主人公・因幡冬馬と秋本浩司の友情も泣けます。
紙の本やコミックはどうしてもかさばりますが、電子書籍なら、Kindleだけで持ち運びも簡単ですし、電子書籍のほうが、紙の本・コミックより安く手に入ったり、期間限定で人気作品が無料で読めたりします。(人気作品の1巻なら、期間限定ではなく丸々無料でダウンロードできる作品もあります)
本やコミックに接する方なら、Kindleを持たれるメリットは大きいです。
また、遊人作品のように、「紙のコミックではちょっと・・・」という方でも、ご自身のKindleがあれば、自分だけで好きな作品を楽しむことができますから、Kindleはうってつけです。
エントリーモデルともいえる本体8,980円のモデルでも容量は4GBありますので、初めてKindleを手にされる方であれば充分だと思いますが、私個人のオススメもあわせていえば、本体13,980円のほうが8GBと容量も倍で、数千円差で32GBモデルもありますので、お得ではないかと思います。
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また、Kindleは丈夫です。
私が使用しているKindleは2013年12月に購入したので、もう5年半使い続けていることになります。
もちろん、自宅外へ持っていくことも多いですが、故障は一度も経験していません。
1990年代後半、遊人さんは『遊人楽園』のいう公式サイトをお持ちでした。
クオリティの高いサイトであったと記憶しています。
それから、直接、情報を発信されることはなかったのですが、Twitterに続いて公式サイトが開設されました。
毎週金曜日更新で、過去の漫画や新作ネームが見られるようです。
また、ブログあり
(いきなり水木しげる大先生登場です)。
グッズ販売あり。
(サイトオープン2日目を待たずして、いきなり1点を残して売り切れてしまいました。1話○○万円の生原稿まで!)
どんなサイトに育っていくか、これから楽しみにしています。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
他にも楽しんでいただける記事があるかと思いますので、どうぞゆっくりご覧ください。
※本ページはアフィリエイト広告を利用しています 宇野元忠さんの経営戦略はズバリ〝先手必勝〟 はる坊です。 USENグループ創業者・宇野元忠の生涯 の続きです。 さて、宇野元忠さんが有線放送事業に着手した頃は、有線放送の草…
はる坊です。
引き続き、キーエンスと創業者・滝崎武光さんの足跡を追っていきます。
リード電機が急成長を遂げたのは、1980年(昭和55年)4月から光電センサの分野に進出してからです。
いままでの自動車業界や弱電業界だけではなく、一般の工場でも導入できる製品の開発販売を手掛け始めました。
1981年(昭和56年)には本社を大阪府吹田市に移転。
1982年(昭和57年)に自動線材切断機事業を売却しています。
この事業は年間売上高の10%を占め、経常利益率も20%ありました。
普通なら、この利益率に満足するところですが、滝崎氏は利益率が低いと感じ、将来性も薄いと判断してこの事業を売却します。そして得た売却益を、電子部品業界向けのセンサ事業につぎ込みます。
センサ事業を軸としたリード電機は、翌1983年(昭和57年)には年間売上高13億円を超え、経常利益率は37%台に伸びます。
この年以降、売上高は25億円(1984年3月期分)⇒42億円(1985年3月期分)⇒60億円(1986年3月期分)⇒73億円(1987年3月期分)と急激に伸び、経常利益率も38~40%をキープし続けます。
上場を1年後に控えた1986年秋の時点で、取引先企業は、NEC・日立製作所・東芝・新日本製鐵(当時)・武田薬品工業などの大企業から中小零細企業まで1万社を数え、
営業拠点は、東京・名古屋・広島・福岡など全国に12拠点を擁して、従業員は330名。
そのうち100名が営業マンでした。
当時、センサ業界で先行していたのは、横河北辰電機(現:横河電機)・山武ハネウエル(現:アズビル)・立石電機(現:オムロン)でしたが、
先行メーカーの製品が、液体や粉体の計測を主としていたのに対して、リード電機の製品は、FA(ファクトリー・オートメーション)センサー、つまりは、主に検査・組立ラインに設置されるものでした。
なかでも注目すべきは、当時から〝業界初のオリジナル製品〟が売上の90%を占め、独占商品が70%を占める状態であったことです。
他の企業が参入してこない分野であれば、リード電機の商品が自動的にプライスリーダーになれます。
このことで、
〝キーエンスはニッチ商品を開発して成長した〟
と言われることになるのですが、この時代から、基本的に製造は外注でおこない、販売方法も直販のコンサルティング営業で、顧客側から、
「こういうものを作って欲しい」
「こういう風にできないか?」
と提案をされてから応えるのではなく、顧客の潜在需要を拾い上げる考え方を重要視していました。
顧客の現場で、営業マンが顧客の潜在需要を拾い集めて、会社に持ち帰ります。
顧客より先回りして、
「こういう商品が必要になるのではないか?」
と予測を立てて、それを精度の高いものにした上で、
キーエンスが100%リスクを負って、
商品開発と製造をおこなって、顧客にその製品を提案して販売していくやり方です。
直販方式なのは、キーエンスが扱う先端技術商品は、商社を使って販売するとそのマージンが非常に高かったこと、そして製品の価値がうまく顧客に伝わらないと滝崎氏が考えた為ですが、結果的に、製品の価値を顧客に直接PR可能で、また、現場での潜在需要を拾い上げることもでき、営業利益を大きく取れるスタイルとして確立したといえるでしょう。
キーエンスは、メーカーでありながらセンサ事業で注目され始めた頃には、すでにファブレス経営に徹しています。
これはなぜなのか、滝崎氏の答えは明解です。
(生産を外部に委託するやり方のままで、会社を大きくしていくことに不安はないか)との問いに、
“「いいえ、設備投資をしたら、その設備を遊ばないようにしなくてはならない。そういう理由から、本当に有名な会社が「キーエンスさん、仕事ないですか」と言ってこられることもあるんですよ。自分で設備を持つ方がずっと大変ですね」”
1984年(昭和59年)11月には、本社を大阪府高槻市に移転。
1985年(昭和60年)3月には、米カリフォルニア州にキーエンス・コーポレーション・オブ・アメリカ(KEYENCE CORPORATION OF AMERICA)を設立。
(KEYENCEはリード電機時代から商品のブランド名でした。米国子会社は先駆けて商号をKEYENCEにしたわけです)
同年9月には製造子会社として、本社と同じ高槻市にクレポ株式会社(現:キーエンスエンジニアリング)を設立します。
ちなみに、このクレポという商号は〝クイックレスポンス〟の略で、滝崎氏の思考が堂々と表れている社名だと思います。
キーエンスエンジニアリングでは、協力会社に依頼することの出来ない極めて機密性の高い商品を開発・製造しています。
1986年(昭和61)年10月には、リード電機 株式会社から、商品ブランド名との統一を図るために、商号を株式会社 キーエンスに変更します。
そして、1987年10月29日キーエンスは大阪証券取引所第2部に上場します。一株の公募価格は5540円。上場初値は6800円でした。
会社設立から13年。滝崎武光氏は42歳でした。
株式上場については、滝崎氏は早い段階から考えており、まだ零細企業に過ぎなかった会社設立6年目で、
「会社らしい会社をつくりたい。株式上場をするためには、組織や財務体質をどうしたらいいのか?」
と自ら証券会社を訪ねていった経験をもっています。
上場初となる1988年3月期決算では売上高101億4800万円(前年比38.6%増)
営業利益40億1300万円(前年比58.0%増)経常利益35億5900万円(前年比36.6%増)
と極めて高い成長を見せ、売上高に対する営業利益は39.5%となります。
翌1989年(平成元年)3月期決算では、売上高146億6300万円(前年比44.5%)
営業利益62億9700万円(前年比57.0%増)
経常利益64億1000万円(前年比80.1%)
となり、営業利益率は42.9%と40%台に突入します。
同年12月25日には、東京証券取引所第2部に上場します。
1990年10月には東京証券取引所第1部・大阪証券取引所第1部に上場。
名実ともに1部上場企業の仲間入りを果たしました。
時に滝崎氏は45歳の若さでした。
この時代、創業社長でも45歳で東証1部上場企業の社長は最年少に近かったのではないでしょうか。
そして、翌1991年4月下旬には、任天堂を抜いて株価日本一を記録します。
しかし、滝崎氏は株価にはあくまでもクールな姿勢を保っていました。
インタビューを受けても
“「株価はしょせん人気指標。知名度が上がるのはありがたいのですが、浮かれることはありません」”
と株価にはそっけない対応に終始します。
滝崎氏が、
“「株価日本一なんかより、こっちのほうが自慢なんですよ」”
と言ったのは、やはり、売上高に対する営業利益率の高さでした。
“「これ(営業利益率)なんか、社員1人1人が付加価値の高い、いい仕事をした証でしょ。こっちのほうが私としてはうれしいですね。(中略)何年かしたら、30歳で1000万円は超せる給料を出せると思います。そしてゆくゆくは給料でも日本一にしたいと思ってるんですよ」”
何よりも付加価値の高い仕事をすることが大切だという滝崎氏の考えが率直に表れています。
また、すでに20代で高給が得られる会社という噂は立っており、1991年時点には、30歳で平均年収900万円。
その後、この発言のとおり、
“30歳で年収1000万円超え”
も
“給料(年収)日本一”も達成したのですから、すごいものだと感じます。
ここで1990年~1994年の決算を見てみましょう。
1990年(平成2年)3月期決算
売上高187億7700万円 営業利益 77億1000万円 経常利益 86億5600万円(営業利益率41.0%)
1991年(平成3年)3月期決算
売上高262億6700万円 営業利益108億7300万円 経常利益129億2800万円(営業利益率41.4%)
1992年(平成4年)3月期決算
売上高301億4500万円 営業利益120億5600万円 経常利益106億4300万円(営業利益率40.0%)
1993年(平成5年)3月期決算
売上高298億9300万円 営業利益102億4300万円 経常利益116億1600万円(営業利益率34.2%)
1994年(平成6年)3月期決算
売上高313億0700万円 営業利益115億5400万円 経常利益124億3000万円(営業利益率36.9%)
1992年下半期から1993年上半期にかけては、国内企業の設備投資圧縮のあおりを受けて、1993年3月期決算においては、キーエンスも厳しい年も経験しています。
しかし、この経験を糧に、海外部門を強化する重要性に気付き、アメリカ・オハイオ州に営業拠点を設けています。
この時代、売上高・営業利益の海外比率は9~10%でした。
現在は53%です。
これほど急速に確実性を持って成長した企業があるでしょうか?
わたしは、正直なところ奇跡的にすら感じます。
また、この間に私が注目したいのは、従業員の給与についてです。
1992年9月時点では、従業員は855名 平均年齢は28.1歳 平均賃金は諸手当を含んで339,166円で、30歳のモデル賃金が439,000円でした。
これが1994年9月時点では、従業員832名 平均年齢28.5歳と1992年の時点とあまり変わりがないのですが、
諸手当を含む平均賃金は400,283円と大幅にアップしています。
さて、お話をキーエンス高成長の理由に戻したいと思います。
〝キーエンスはニッチ商品を開発して成長したと言われた〟
と前述しましたが、滝崎氏は1991年のインタビューで高成長ができた理由を次のように語っています。
“「巷間、キーエンスは隙間商品を開発して伸びた、と言われていますが、私は市場創造ができたからだと思っています。われわれの商品政策は、従来からある商品でも非常に精度を高くするとか、精度は同じでも非常に小さい商品にするとか、はっきり特徴を出すやり方であり、こうして付加価値の高い商品を開発し、それを汎用品として売る力があるからこそ、高い成長力を維持できるのです」”
ちなみに、大阪証券取引所第2部に上場した際、キーエンスの発行済株式は1820万株でした。
以後、公募もありましたが、無償株式分割・株式無償割当ては何度もおこなわれて、現在の発行済株式は12160万株です。
その時にキーエンス株を100万円分買っておけば、今頃はどうなったでしょうか。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
何かございましたら、こちらまでお願いいたします。
はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます)
メール:http://info*harubou-room.com (*を@にご変更いただきますようお願いいたします)
元キーエンス従業員の方が書かれた本で、最もオススメしたいのがこちらです。
↓
次にオススメしたい、充分に一読の価値があるのがこちらです。
↓
【2018年11月に出版】キーエンスでの経験を生かしたサイト運営について普遍的で重要な事柄が凝縮された一冊。
キーエンスの社内ベンチャー・イプロスでウェブサイト作成・運営に携われた方の本です。
筆者の秋山典丈さんは、キーエンスの社内ベンチャー・イプロスで『製造業向けマッチングサイト』を企画された方です。
東京工業大学大学院理工学研究科情報工学専攻修士課程修了後、1995年にキーエンスに入社。
2000年にキーエンスの社内ベンチャーとしてスタートしたイプロス(株式会社 イプロスとして法人設立は2001年)の立ち上げに参画され、「徹底的に受け手の身になってサイトを作る」ことに向き合われた経験を生かして書かれた本です。
秋山さんは2003年に独立され、現在はシステム開発とサイトコンサルティング・商品企画コンサルティングに携わる株式会社 レクタスの代表取締役を務められています。
この本では、個人でも法人でも、また初心者から上級者までサイト作成・運営にとって重要なことが満載されています。
私も折に触れて読み返しています。
サイト作成に関する本は多く出版されていますが、ここまで普遍的で重要な事柄が凝縮されている本はめったにありません。
キーエンスに興味のない方でも、ご自分のブログやサイト、そしてSNSで見る人の心をガッチリ掴みたいと少しでも思われている方なら、ぜひお読みになってください。
↓
一橋大学イノベーション研究センターとキーエンスに長年在籍した方による共著です。
キーエンスの内部を知るには最もわかりやすいと思います。
ただ、『キーエンス~驚異的な業績を生み続ける経営哲学』というタイトルですが、『経営哲学』はどこにも書かれていません。
『経営哲学』を『経営目標』『経営手法』と読み替えるのが正しいと思います。
Kindle版しかありませんが、こちらもオススメできます。
↓
また、もう一冊だけ、現在紙の書籍で入手することは困難ですが、機会があればぜひ読んでいただきたい本があります。
キーエンスに1986年に新卒で入社され、アンリツを経て、現在は立石シゲオ中小企業診断士事務所代表として活躍されている、経営コンサルタント・立石茂生氏が2014年に書かれた、
『新規事業の競争戦略 高い利益を獲得するスピード経営: キーエンスに新卒入社、ライバル会社に転職後独立したコンサルタントのノウハウ公開』
という書籍です。
キーエンスで得られたノウハウを含めて、高収益企業を実現する経営指南書で示唆に富んだ良書中の良書なのですが、残念ながら古書でも手に入れるのは難しい状態です。
立石氏のホームページによると、2016年9月の時点で30,000円で古書がネット上で販売されていたようです。
これには、著者の立石氏も戸惑われたようですが、この本にそれだけの価値があると認められていることも、また事実でないかと私は思っております。
そのような状況が長く続きましたが、2020年8月にアマゾンKindleにて、この本が第2刷として出版されました。
Kindle Unlimited 会員の方は、このタイトルを追加料金なし(¥0円)でお読みになれます。
ご一読をおすすめいたします。
他にも元キーエンスの方が書かれた本があります。
参考にはなりますが、あえてこの場でおすすめするのは、控えさせていただきます。
一部引用・参考文献:
サンデー毎日 1991年7月 株価日本一「キーエンス」社長の倒産歴
週刊ダイヤモンド1997年 編集長インタビュー 滝崎武光氏(キーエンス社長)大企業の悪い面に学ぶ 将来考えぬ役員が規律乱す
Will 1991年 株価日本一「キーエンス」の秘密
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はる坊です。
1996年分~2000年分の高額納税者公示(長者番付)において、『俳優・タレント部門』『歌手部門』『その他・文化人部門』上位20位までにランクインした面々を紹介させていただきます。
3位 石橋貴明 1億6980万円(とんねるず)
4位 ビートたけし1億1113万円
5位 永六輔 1億0721万円
7位 三田佳子 9279万円
8位 タモリ 8245万円
9位 みのもんた 6532万円
10位 梅宮辰夫 6395万円
11位 飯島直子 6201万円
12位 関口宏 6170万円
13位 所ジョージ 5400万円
14位 峰竜太 5339万円
15位 明石家さんま 4943万円
16位 吉永小百合 4831万円
17位 中村吉右衛門 4701万円
18位 間寛平 4539万円
19位 地井武男 4479万円
20位 中村玉緒 4414万円
1位 藤井フミヤ 1億7532万円
2位 中村正人 1億4420万円(DREAMS COME TRUE)
3位 竹内まりや 1億3370万円
4位 吉田美和 1億2875万円(DREAMS COME TRUE)
5位 布袋寅泰 1億2266万円
6位 桜井和寿 1億2052万円(Mr.Children)
7位 森進一 1億1232万円
8位 美川憲一 9989万円
9位 長渕剛 9878万円
10位 大黒摩季 9852万円
11位 桑田佳祐 9503万円
12位 松任谷由実 9316万円
13位 山下達郎 8801万円
14位 中島みゆき 8733万円
17位 矢沢永吉 7721万円
19位 飛鳥涼 6582万円(CHAGE&ASKA)
20位 松田聖子 6528万円
1位 小室哲哉 10億0051万円(音楽プロデューサー)
2位 秋元康 4億2930万円(作詞家)
3位 小堀宗慶 3億7808万円(茶道家元)
4位 青山剛昌 3億0731万円(漫画家)
5位 薗部博之 2億8429万円(ゲームデザイナー)
6位 千宗室 2億5695万円(茶道家元)
7位 小林武史 2億0237万円(音楽プロデューサー)
8位 さとうふみや2億0029万円(漫画家)
9位 平山郁夫 1億8958万円(日本画家)
10位 千宗左 1億3775万円(茶道家元)
11位 井上雄彦 1億2575万円(漫画家)
12位 神尾葉子 1億1541万円(漫画家)
14位 秋本治 1億0227万円(漫画家)
15位 芦田淳 9227万円(ファッションデザイナー)
16位 水島新司 9179万円(漫画家)
17位 羽生善治 9122万円(棋士)
19位 コシノジュンコ 8300万円(ファッションデザイナー)
※4位の青山剛昌は、週刊少年サンデーに94年から連載を開始した
『名探偵コナン』が本格的に人気沸騰してのランクイン。
※5位の薗部博之はゲーム『ダービースタリオン』で有名なゲームクリエイター。
また、〝スタープログラマー〟〝バランスオブゲーム〟〝
アブソリュート〟〝インディーズゲーム〟などのサラブレッドを保有する馬主としても有名。
8位のさとうふみやは週刊少年マガジン連載の『金田一少年の事件簿』の作画担当。
11位の井上雄彦は96年夏に週刊少年ジャンプ連載の『スラムダンク』が終了するもランクイン。
12位の神尾葉子はマーガレットに連載した『花より男子』が大ヒット。現在までに6100万部を発行し、少女漫画史上最大の大ヒット作となった。
茶道・華道の家元関係は以下のとおり。
※3位の小堀宗慶・・・遠州流十二世。
※6位の千宗室・・・茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。現在の千玄室
※10位の千宗左・・・茶道表千家13代家元
※20位の池坊専永・・・華道池坊華道家元四十五世。
1位 石橋貴明 3億1050万円(とんねるず)
2位 松本人志 1億8888万円(ダウンタウン)
4位 三田佳子 1億3043万円
5位 松たか子 1億1515万円
6位 木梨憲武 1億0508万円(とんねるず)
7位 ビートたけし 9987万円
8位 峰竜太 9441万円
9位 タモリ 9149万円
10位 永六輔 9066万円
11位 堺正章 7542万円
12位 飯島直子 7088万円
13位 黒柳徹子 6999万円
14位 中村玉緒 6890万円
15位 鈴木京香 6729万円
16位 菅野美穂 6583万円
17位 みのもんた 6484万円
18位 松本幸四郎 6421万円(二代目松本白鸚)
19位 関口宏 5945万円
20位 所ジョージ 5752万円
1位 藤井フミヤ 2億6995万円
2位 桑田佳祐 1億3777万円
3位 槇原敬之 1億3612万円
4位 桜井和寿 1億2421万円(Mr.Children)
5位 森進一 1億1826万円
7位 松田聖子 1億1626万円
9位 草野マサムネ 1億0140万円(スピッツ)
10位 稲葉浩志 9982万円(B’z)
11位 松任谷由実 9612万円
12位 木村拓哉 8835万円(SMAP)
13位 五木ひろし 8586万円
14位 長渕剛 8395万円
16位 井上陽水 8185万円
18位 吉井和哉 7815万円(THE YELLOW MONKEY)
19位 中島みゆき 7497万円
1位 小室哲哉 11億7342万円(音楽プロデューサー)
2位 秋元康 3億7789万円(作詞家)
3位 青山剛昌 3億0615万円(漫画家)
4位 平山郁夫 2億7040万円(日本画家)
5位 千宗室 2億7025万円(茶道家元)
6位 薗部博之 2億3801万円(ゲームデザイナー)
7位 織田哲郎 2億1906万円(音楽プロデューサー)
8位 東山魁夷 1億4549万円(日本画家)
9位 芦田淳 1億3824万円(ファッションデザイナー)
10位 千宗左 1億3060万円(茶道家元)
11位 神尾葉子 1億2096万円(漫画家)
12位 妹尾河童 1億1501万円(舞台芸術家)
13位 小林武史 1億0708万円(音楽プロデューサー)
14位 さとうふみや 1億0471万円(漫画家)
15位 久米宏 1億0002万円(ニュースキャスター)
16位 堀井雄二 8772万円(ゲームデザイナー)
17位 秋本治 8648万円(漫画家)
18位 池坊専永 8634万円(華道家元)
19位 浅利慶太 7992万円(舞台演出家)
20位 永楽即全 7612万円(陶芸家)
1位 石橋貴明 2億8809万円(とんねるず)
2位 浜田雅功 1億8230万円(ダウンタウン)
3位 松本人志 1億6352万円(ダウンタウン)
4位 松たか子 1億5433万円
5位 飯島直子 1億2680万円
6位 中村玉緒 1億1489万円
7位 木梨憲武 1億1217万円(とんねるず)
8位 ビートたけし 1億0917万円
9位 タモリ 9918万円
10位 堺正章 9906万円
11位 木村拓哉 7258万円(SMAP)
12位 樹木希林 7123万円
13位 内村光良 6833万円(ウッチャンナンチャン
はる坊です。 前回に引き続き、キーエンス創業者 名誉会長の滝崎武光氏の足跡を追ってみたいと思います。 ちょうど、東京オリンピックが開かれた1964年、尼崎工業高等学校を卒業した滝崎氏が就職先に選んだのは外資系計装企業であるロックウェル・リパブリック社でした。 この当時、学校を出てすぐに新卒で外資系企業に勤めるという方は少なかったのですが、滝崎氏はこの会社を選んだ理由について、 “「最初から独立を念頭に置いていたので、この会社では技術を覚えるのが目的でした」” と語っています。 滝崎氏は、オートメーション化された機械をコントロールするプロセス制御の仕組みを作るシステムエンジニアとして働きます。 そしてこの頃までに、“「フォードやIBMの経営手法を含めて、本をたくさん読みましたね」”とインタビューで語っています。 そして、6年後の1970年(昭和45年)に若干24歳にして独立。 まず、共同経営の会社を設立します。 これ以外にも、独立してまもない時期に手掛けた事業には、日清食品の日清カップヌードルの工場ラインの電気系統設計がありますが、請負の受注仕事は順調に行かず、共同会社の会社を含めて2つの会社は短期間のうちに畳むことになります。 実際、上からの受注に頼るだけの請負仕事では、ずっと下請けに甘んじることになります。 おそらく、一旦、そこに嵌まり込むとなかなか抜け出せなくなることに、滝崎氏は気付いたのではないでしょうか。 電子制御機器の将来性に注目していた滝崎氏は、1972年(昭和47年)3月に兵庫県伊丹市内においてリード電機を創業します。 滝崎氏は高付加価値の生産財を作り、人々の生活の役に立つことを目標に、滝崎氏は磁気応用センサの研究・開発に没頭します。 現在でも、磁気応用センサを活用した製品はこのように数多く、私たちの生活に関わっています。 この頃に滝崎氏は忘れられない経験をしています。 滝崎氏が衝撃を受けたのは、オイルショックを受けて全国に伝播したトイレットペーパーの買い占め騒動ではなく、土日のマイカー規制でした。 他にも深夜テレビ放送やプロ野球のナイター短縮、街のネオンまで規制や自粛する騒ぎになりました。 しかし、大手鉄鋼メーカーの工場は稼働していたのです。 しかし、1年が経つとこのような騒ぎも潮を引いたように収まっていきました。その様子を見て滝崎氏は、 “「資源は有限ではない、だが市場原理は有効なんだ」” という結論に達し、研究開発を進めます。 この頃プライベートでは、3歳年下の奥様・美彌子さんとのあいだに、長男の武史さんが誕生しています。 ご家族は奥様と息子さんだけのようですが、奥様は、滝崎氏が独立して悪戦苦闘していた時期から滝崎氏を支えてきた糟糠の妻といえるでしょう。 長男の滝崎武史氏については、資産管理会社の株式会社ティ・ティを通じた1500億円の贈与が申告漏れであると国税局に否認され、300億円の追徴課税を受けて、名前が挙がりました。 現在、武史氏は、定款にホテル・旅館の経営も目的としている別の資産管理会社の役員を務めていますが、滝崎武光氏自らが先頭に立って、コネ採用・縁故採用を排除しているキーエンスの役員や社員ではありません。 ホテル経営については、2003年にキーエンスが大阪にあるホテルを買収すると報じられましたが、滝崎氏自らがインタビューの中で、キーエンスの事業として行うつもりは一切ない、あくまで個人としての事業のテーマとして関心があるという姿勢に留めています。 さて、1973年(昭和48年)4月、滝崎氏は、完成させた磁気応用センサ「金属板二枚送り検出器」をトヨタ自動車に売り込み成功します。 これは自動車工場で使用される高価なプレス金型の損傷を予防する為の安全装置でした。 滝崎氏は拠点を兵庫県尼崎市に移して、リード電機を法人化します。 1974年5月27日に兵庫県尼崎市で設立されたキーエンスの前身、リード電機 株式会社ですが、滝崎氏自らが開発して売り込んだ『金属板二枚送り検出器』という磁気応用のセンサーがトヨタ自動車の全工場を始め、日産自動車の工場でも採用されたことで、会社設立2年(1976年3月期決算)で黒字となりました。 この年から、毎月の基本給や年2回の賞与とは別枠で、営業利益の一部を従業員に還元していくのですが、一般的な企業がするように剰余金が出たり、目標を達成したもしくは超えたから、決算ボーナスを出すような形ではありません。 営業利益の一部から半分を毎月の給与に加算して、残りの半分をボーナスに加算する方式を採りました。 キーエンスは営業利益率が高く、またその額が年々大きなものになってきたことで、毎月加算されるインセンティブもボーナスに加算される分も多くなってきたわけです。 現在に至って、キーエンスの従業員が平均年収2000万円を超えるようになった仕組みを会社が黒字化して1年目から、すでに考案して、実行していたのは凄いと同時に素晴らしいことです。 滝崎氏はリード電機設立までに、事業を2度、短期間で畳んだ経験を持つ人物だということは、①でも書きましたが、この失敗から、 “「会社を続けるためには、会社にかかわりのある人にメリットがなけりゃダメなんですよ。取引先や社員を含めてね」” という教訓を得ていますが、従業員がキーエンスで働く上でのメリットも、理詰めで考え抜かれたのだと思います。 とはいえ、キーエンスは創業当初から急成長をした訳ではありません。 他社との差別化を図るために特殊な用途や高い精度を必要とする磁器センサーのオリジナル製品を開発して、自動車業界や弱電業界に売り込み、三菱自動車、本田技研工業、富士重工、そしてオートバイメーカーに顧客を拡げていきますが、年間売上高1億円に達成したのは1979年(昭和54年)3月期決算でのこと。 5年間かかっています。 この時代のことを滝崎氏はのちのインタビューで、 “「私もね、創業時の苦労はしましたから、今だから言えるとか言って、自慢話の一つもしたいですよ。 そういうことのお好きな社長さんもいらっしゃいますよね。 でも、そういうのって泥臭いでしょ。 ワンマン企業みたいで。若い社員もそんなこと言われたらかなわんでしょう。 会社のイメージにもマイナス。だから言わないんです」” 滝崎武光氏は当時46歳。このインタビューの答え方から、滝崎氏のお人柄や理詰めの思考回路が垣間見える気がします。 翌1980年3月期決算では売上高は3億円と、一気に3倍増に増えます。 1980年代に入るまで、リード電機は東京都目黒区に営業所を持つものの、尼崎市に本社を置く資本金1800万円の零細企業にしか映りませんでした。 しかし、1980年代に突入すると、この会社は驚異的な成長を見せます。 最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。 滝崎武光氏は、事業の柱をセンサ事業に集約させ、現在のキーエンスに繋がる体制づくりをはかっていきます。その③に続きます。 ⇒資産約2兆円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス③ 何かございましたら、こちらまでお願いいたします。 はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます) メール:http://info*harubou-room.com (*を@にご変更いただきますようお願いいたします) 元キーエンス従業員の方が書かれた本で、最もオススメしたいのがこちらです。 次にオススメしたい、充分に一読の価値があるのがこちらです。 【2018年11月に出版】キーエンスでの経験を生かしたサイト運営について普遍的で重要な事柄が凝縮された一冊。 筆者の秋山典丈さんは、キーエンスの社内ベンチャー・イプロスで『製造業向けマッチングサイト』を企画された方です。 東京工業大学大学院理工学研究科情報工学専攻修士課程修了後、1995年にキーエンスに入社。 2000年にキーエンスの社内ベンチャーとしてスタートしたイプロス(株式会社 イプロスとして法人設立は2001年)の立ち上げに参画され、「徹底的に受け手の身になってサイトを作る」ことに向き合われた経験を生かして書かれた本です。 秋山さんは2003年に独立され、現在はシステム開発とサイトコンサルティング・商品企画コンサルティングに携わる株式会社 レクタスの代表取締役を務められています。 この本では、個人でも法人でも、また初心者から上級者までサイト作成・運営にとって重要なことが満載されています。 私も折に触れて読み返しています。 サイト作成に関する本は多く出版されていますが、ここまで普遍的で重要な事柄が凝縮されている本はめったにありません。 キーエンスに興味のない方でも、ご自分のブログやサイト、そしてSNSで見る人の心をガッチリ掴みたいと少しでも思われている方なら、ぜひお読みになってください。 ↓ 一橋大学イノベーション研究センターとキーエンスに長年在籍した方による共著です。 ただ、『キーエンス~驚異的な業績を生み続ける経営哲学』というタイトルですが、『経営哲学』はどこにも書かれていません。 『経営哲学』を『経営目標』『経営手法』と読み替えるのが正しいと思います。 また、もう一冊だけ、現在紙の書籍で入手することは困難ですが、機会があればぜひ読んでいただきたい本があります。 キーエンスに1986年に新卒で入社され、アンリツを経て、現在は立石シゲオ中小企業診断士事務所代表として活躍されている、経営コンサルタント・立石茂生氏が2014年に書かれた、 『新規事業の競争戦略 高い利益を獲得するスピード経営: キーエンスに新卒入社、ライバル会社に転職後独立したコンサルタントのノウハウ公開』 という書籍です。 キーエンスで得られたノウハウを含めて、高収益企業を実現する経営指南書で示唆に富んだ良書中の良書なのですが、残念ながら古書でも手に入れるのは難しい状態です。 立石氏のホームページによると、2016年9月の時点で30,000円で古書がネット上で販売されていたようです。 そのような状況が長く続きましたが、2020年8月にアマゾンKindleにて、この本が第2刷として出版されました。 Kindle Unlimited 会員の方は、このタイトルを追加料金なし(¥0円)でお読みになれます。 ご一読をおすすめいたします。 他にも元キーエンスの方が書かれた本があります。 最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。 100日のお試し期間 10年長期保証。 そして、送料無料、返品時の引取手数料も全国無料。 安心できるアフターサービスが整っています。 ドイツの厳しい品質基準をクリアして世界で100万人が愛用しています。 プレミアムマットレスは人気ですが、少々お値段が張るものが多いのがネックです。 口コミや評判を調べてみても、高評価と低評価が混ざっていれば、判断に迷います。 しかし、このエマ・スリープ 快眠マットレスは、エマ・スリープ・ジャパン(Emma Sleep Japan)合同会社 (住所:東京都港区赤坂2-11-7 ATT新館11階)からのメーカー直販ですので、そのような問題は解決できます。 もし、100日のお試し期間中、使用してみてあなたの身体に合わなかったら、全額返金・返品無料。 これは自分に合わないと判断した場合は、エマ・スリープにメールを送れば回収費用も同社が負担して製品を受け取ってくれます。 それだけ、自社の製品に自信を持っていることの証明と言えます。 エマ・スリープは、他社同等の製品より、20~30%程度安い価格設定がなされています。 なぜ、他のプレミアムマットレスよりも安価なのか? いわゆる、「安かろう、悪かろう」ではありません。 ・通気性が良い。 ・体圧を分散してくれて、背骨をまっすぐに保ってくれているのを体感できる。 ・抵抗力が低くて、寝返りもしやすい。身体が楽。 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すっかり、ファーストリテイリングの柳井正氏、ソフトバンクグループの孫正義氏、サントリーホールディングスの佐治信忠氏と並んで、日本人トップの資産を保有する人物として定着している感があります。 滝崎氏が、ここに挙げた3名の方と違うのは、滝崎武光氏は資産家・実業家の子息として生を受けたわけではなく、サラリーマン家庭に生まれ育ち、学歴も高卒であること。 約6年間のサラリーマン生活を経て共同経営の会社を設立するも、短期間で倒産させ、再度のチャレンジでも上手くいかず、20代後半までに結局2度の会社倒産を経験している人物であること。 3度目に正直となったキーエンスも、最初はリード電機という滝崎氏ただひとりの個人事業に過ぎない時点からスタートしているところでしょう。 まさに立志伝中の人物といえます。 この記事を読み進めていただくとお分かりいただけると思うのですが、滝崎氏ご本人は、この2兆円を超える資産のことは、必要以上に誇っているようには思えません。 もし、滝崎氏に現在の資産額について尋ねたら、 「資産といっても、私個人や家族、資産管理会社で保有している株式が大半です。 株価は必ずしも、会社の業績に比例して上下するものではなく不確かなもの。 ですから、あてにはなりません。 私は株や不動産売買で利益を出そうとする〝財テク〟はしてはいけないという考えです。 それよりも高付加価値の仕事をすること、会社の営業利益のほうが大切ですよ。 私は売上高には目を向けません。 いくら売上があっても低い利益率では、従業員を含めて企業に関わる人々がメリットを享受できませんから、意味がありません。 現在、キーエンスの営業利益率は売上高の54%強です。 この数字は社員ひとりひとりが、付加価値の高い良い仕事をしてくれていることの証だと思います。 私はそちらを誇りたいです」 きっと、そんな答えが返ってくるような気がします。 それでは、キーエンスと滝崎武光氏の足跡を追っていきましょう。 キーエンスは、創業者・滝崎武光氏が1972年3月に兵庫県伊丹市において、個人事業・リード電機として創業。 1974年5月に兵庫県尼崎市に移転するとともに法人化され、リード電機株式会社となります。 その後、FA(ファクトリーオートメーション)用センサーや計測器の開発・販売を手掛けて業績を伸ばし、1986年10月に商品ブランド名のキーエンス(KEYENCE)と商号の統一を図るために株式会社キーエンスに社名を変更。 ちなみにキーエンス(KEYENCE)とは、Key of Science-キー・オブ・サイエンス(科学の鍵)の略語です。 翌1987年10月には大阪証券取引所第2部に株式を上場。 2年後の1989年12月には東京証券取引所2部にも重複上場。 上場時から高収益企業・高株価企業として有名でしたが、 まれに見る高収益体質を維持したまま、現在まで成長を続け、 2023年3月期の連結決算では、 売上高:9,224億2,200万円 売上総利益:7,547億3,200万円 営業利益4,989億1,400万円を記録 粗利率は驚異の81.9% 営業利益率は何と54.1%です。 2024年3月期の連結決算数字がどうなるか、これから注視していきたいと思います。 キーエンスは、従業員の年収が高い企業としても有名ですが、〝人件費は経費にあらず〟というキーエンス独自の思考から、2023年6月に提出された有価証券報告書では従業員:2,788名(平均年齢35.8歳)の平均年収は2,279万3,975円となっています。 前述したように、ボーナスは(3月・6月・9月・12月)の年4回です。 2022年6月に提出された有価証券報告書では、従業員:2,599名(平均年齢36.1歳)の平均年収は2,182万7,204円となっていましたので、業績好調を受けて、従業員の平均年収もアップしています。 また、従業員の人数も単純計算で189名増加しています。 キーエンスは、国内・海外(北米・欧州・南アフリカ・中国・アジア・中東・オセアニア)に営業拠点を張り巡らせていますが、本社・研究所は、大阪府大阪市東中島(JR新大阪駅の近くです)に構えています。 この社屋が建てられたのは1994年とかなり年月が経ってしまっているのですが、高さ111メートル・21階建てのビルは非常にスタイリッシュで、数々の賞にも輝き、現在でも古くささを感じさせません。 創業者の滝崎氏は2000年12月に、当時43歳だった生え抜きの佐々木道夫氏(明治大学政治経済学部卒業)に社長職を譲り、55歳で代表取締役会長に就任。 “「創業当時から自分がいなくても、会社が回るようにずっと考えてきました。会長に退いたのも、私が半年1年いなくてもこの会社は回るなと思ったからです」”と語っています。 2012年12月からは、佐々木道夫氏は取締役特別顧問となり、当時45歳だった山本晃則氏(立命館大学理工学部卒業)が代表取締役社長が就任。 滝崎氏は引き続き会長職に就かれていましたが、2017年12月からは取締役名誉会長を務めておられます。 2019年12月には、山本晃則氏は取締役特別顧問となり、1974年生まれの中田有氏(関西学院大学法学部卒業)が代表取締役社長に就任しています。 そして、 モンスター企業のキーエンスですが、意外に経営トップの年収はそこまで高くありません。 従業員の最高平均年収は約2,279万円ですが、 創業者の滝崎氏から数えて、4代目代表取締役社長を務められている中田有氏の年間役員報酬は2023年3月期の有価証券報告書によると、1億8,800万円 前社長で、現在は取締役 特別顧問を務められている山本晃則氏の年間役員報酬も1億1,300万円です。 社外取締役をのぞく、他の常勤取締役に1億円プレーヤーはいません。 これには理由があり、創業者の滝崎武光氏が社長在任時代に、自身の報酬を低めに設定していた伝統が残っているからです。 滝崎氏自身“「サラリーマン社長と同等にしている」”とインタビューで発言しており、役員だからといって、億単位の役員報酬をもらっていなかったのです。 現在、SHIFTの取締役副社長を務められている、キーエンス2代目社長・佐々木道夫氏の後継者として、 3代目社長を務められた山本晃則社長も、 年間役員報酬は、2018年3月期の有価証券報告書で1億3800万円。2019年3月期が1億5600万円でした。 そして、2019年に社長職を中田有氏にバトンタッチされ、取締役特別顧問となられた2020年3月期の有価証券報告書では1億5000万円。 また、滝崎氏は2018年6月に、まだまだ日本では浸透していない大学進学者向けの給付型奨学金を提供する一般財団法人キーエンス財団を設立され、代表理事も務められています。 2019年4月大学新入学生を対象とするものですが、募集人数は125名程度で月額8万円を在学中の4年間支給する という返済の必要がない奨学金ではかなり規模の大きなものです。 現在の日本では経済的な理由で奨学金を利用して大学や専門学校に進学される方が多くなっていることは事実です。 若くして高収入が得られる職に就き、奨学金の返済を滞ることなく支払える方もおられるでしょうが、不安定な立場や低収入から返済をすることができず延滞金が上乗せされ、最悪の場合、自己破産に追い込まれ、人生に大きな狂いが生じている方も多く存在していることも事実です。 そんななかで、前途のある学生に返済不要の給付金を提供する財団を立ち上げられたのは素晴らしいことだと思います。 実は、滝崎氏が奨学金に目を向けたのは今回が初めてではありません。 さて、キーエンス財団の事務局も大阪府大阪市東中島キーエンス本社ビル内にあります。 これは公私の区別を厳しくしている滝崎氏らしいと思うのですが、普通、成功を収めた事業家などが奨学財団や文化・スポーツ振興財団を設立した際には、自分の苗字を財団名の頭に付けていたり、理事や評議員に親族が名を連ねているケースがほとんどです。 また、自らの人脈をアピールする目的もあるのか、財界や学界、専門分野のなかでも著名な人物や肩書きが立派な人物の名前が並んでいることもあるのですが、キーエンス財団の場合はそういったものがないように感じられます。 理事や評議員のなかに、滝崎氏の親族は誰ひとり名前がありません。 奨学金を給付する有能な学生を選考する為には、どのような人物を置けば一番効果的で合理的かという滝崎氏の哲学が、この財団にも表れているような気がしてなりません。 さて、日本人長者番付2位の大資産家である滝崎武光氏ですが、その人物像はほとんど知られていません。 よって、ウェブ上では〝前半生が謎〟であるとか、〝来歴や家族関係は一切不詳〟と書かれているページすら見受けられます。 さて、滝崎氏自身、社長職を退いて、会長となって以降はたった一度しかマスコミのインタビューに応じていません。 名誉会長に就任して、後進に会社を託すような形となった現在では、メディア露出の可能性は更に低くなったと思います。 東証1部上場企業の創業者ですが、財界活動にも全く興味を示さない人物ですので、世界に通じる日本有数の大富豪として一部の人だけに名前を知られた状態で、このままミステリアスなイメージを保っていくのではないでしょうか。 それでも、まだ1980年代、1990年代には、多少ではありますがマスコミの取材やインタビューに応じていました。そこで語られたエピソードを中心に、滝崎武光氏に迫ってみたいと思います。 滝崎武光氏は1945年(昭和20年)6月10日兵庫県芦屋市で出生しています。 現在は大阪府豊中市に在住です。 芦屋市といえば、関西で一番富裕層が集い邸宅を構えているようなセレブなイメージがありますが、滝崎氏の父親はお金持ちでも経営者でもなく一介のサラリーマンでした。 その父親がメーカー勤務だったのかはあきらかにされていませんが、幼い頃、父親とともに住友金属工業(現在の新日鐵住金)和歌山製鉄所へ行ったときの思い出が滝崎氏には強く残っているようです。 当時、この製鉄所の中には、そこで働く人々を運ぶバスが運行されていました。 滝崎氏はこのときを振り返って、 “「理屈っぽい性格なので、これほど巨大な工場が何のためにあるのかを考え、自分の生活にも寄与しているんだと気が付いた」” と語っています。 また、父親は機械の見本市にも武光少年を連れていったりもしています。 武光少年は小学校の卒業アルバムに『今度会うときにはテープレコーダーを作っているだろう』と寄せ書きしていたそうで、中学校時代には、友達から10円を集めて薬局でマグネシウムなどを購入して、実験をしていました。 モノづくりや電気いじり、科学実験好きの少年時代を過ごしたようです。 滝崎氏が中学校卒業後に進学したのは、兵庫県立尼崎工業高等学校電気通信科(在学中に電子科に名称変更)でした。 (尼崎工業高校の後輩にはダウンタウンの松本人志氏(機械科卒業)がおられますが、島田紳助氏と共演していたトーク番組『松本紳助』内で「賢いクラスがありましたねえ。電子科は賢かった」と発言していましたので、いくつかに分かれている科のなかでも、滝崎氏はレベルの高いクラスに在籍していたと思われます) 高校在学中、滝崎氏は自治会や生徒会の役員になります。 このとき、滝崎氏は先頭に立って市内5校で連合会を作っています。 ご本人は “「(自身が通っていたのが女子生徒のいない工業高校だったので)女学生のいる学校に遊びに行きたかっただけかもしれません」” と多少冗談めかしてはいますが、高校生にしてリーダーシップを取ることのできる人物だったことがわかります。 また、この経験からでしょうか “「人を組織することに興味を覚えた」” とのちに語っています。 時代はちょうど大学紛争の頃、自治会の役員をしていた滝崎氏は京都大学などで学生運動をしている人々と出会うことになります。 滝崎氏が、学生運動をしている年上の人々と知り合ったなかで、気が付いたのは、 思想というものは文学や芸術と同じで好き嫌いの世界 で、そういった客観的に測れないものは自分自身の性格上、相容れないものだということ。 そして、 経済というのは数字の世界だから客観性があり、企業の善し悪しも数字で対比すれば分かるもの だということでした。 そして、滝崎氏は志を立てます。 自分は主観だけで判断するものには向いていない。 それなら、一流の事業家になろう。 それも、デザインや個人の趣味、趣向に左右される消費財ではなく、ユーザーの生産性を上げることに狙いを絞り込み、機能や性能に対して価格が安いか高いかで評価される生産財がいい。 1964年(昭和39年)3月滝崎氏は、兵庫県立尼崎工業高校電子科を卒業すると、実社会に足を踏み入れます。 実社会に足を踏み入れた滝崎氏は、エンジニアとなり24歳で独立を果たしますが・・・ 最後まで読んでくださってありがとうございました。 その②に続きます⇒社員の平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス②(新しいタブが開きます) ⇒3分でキャリア診断!若手ハイエンド向け転職サイト『ASSIGN』 何かございましたら、こちらまでお願いいたします。 はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます) メール:http://info*harubou-room.com (*を@にご変更いただきますようお願いいたします) 元キーエンス従業員の方が書かれた本で、最もオススメしたいのがこちらです。 次にオススメしたい、充分に一読の価値があるのがこちらです。 【2018年11月に出版】キーエンスでの経験を生かしたサイト運営について普遍的で重要な事柄が凝縮された一冊 キーエンスの社内ベンチャー・イプロスでウェブサイト作成・運営に携われた方の本です。 「心に触れるホームページをつくる」 筆者の秋山典丈さんは、キーエンスの社内ベンチャー・イプロスで『製造業向けマッチングサイト』を企画された方です。 東京工業大学大学院理工学研究科情報工学専攻修士課程修了後、1995年にキーエンスに入社。 2000年にキーエンスの社内ベンチャーとしてスタートしたイプロス(株式会社 イプロスとして法人設立は2001年)の立ち上げに参画され、「徹底的に受け手の身になってサイトを作る」ことに向き合われた経験を生かして書かれた本です。 秋山さんは2003年に独立され、現在はシステム開発とサイトコンサルティング・商品企画コンサルティングに携わる株式会社 レクタスの代表取締役を務められています。 この本では、個人でも法人でも、また初心者から上級者までサイト作成・運営にとって重要なことが満載されています。 私も折に触れて読み返しています。 サイト作成に関する本は多く出版されていますが、ここまで普遍的で重要な事柄が凝縮されている本はめったにありません。 キーエンスに興味のない方でも、ご自分のブログやサイト、そしてSNSで見る人の心をガッチリ掴みたいと少しでも思われている方なら、ぜひお読みになってください。 一橋大学イノベーション研究センターとキーエンスに長年在籍した方による共著です。 ただ、『キーエンス~驚異的な業績を生み続ける経営哲学』というタイトルですが、『経営哲学』はどこにも書かれていません。 『経営哲学』を『経営目標』『経営手法』と読み替えるのが正しいと思います。 Kindle版しかありませんが、こちらもオススメできます。 また、もう一冊だけ、現在紙の書籍で入手することは困難ですが、機会があればぜひ読んでいただきたい本があります。 キーエンスに1986年に新卒で入社され、アンリツを経て、現在は立石シゲオ中小企業診断士事務所代表として活躍されている、経営コンサルタント・立石茂生氏が2014年に書かれた書籍です。 キーエンスで得られたノウハウを含めて、高収益企業を実現する経営指南書で示唆に富んだ良書中の良書なのですが、残念ながら古書でも手に入れるのは難しい状態です。 立石氏のホームページによると、2016年9月の時点では30,000円で古書がネット上で販売されていたようです。 そのような状況が長く続きましたが、2020年8月にアマゾンKindleにて第2刷として出版されました。 Kindle Unlimited 会員の方は、このタイトルを追加料金なし(¥0円)でお読みになれます。 ご一読をおすすめいたします。 他にも元キーエンスの方が書かれた本があります。 ※本ページはアフィリエイト広告を利用しています はる坊です。 前回に引き続き、スクウェア・エニックス・ホールディングス名誉会長の福嶋康博さんの人生を追っていきます。 現在は渋谷区初台に〝ドラクエ御殿〟とも呼ばれる大豪邸を… 元市役所勤務のはる坊です。 公務員=楽に加えて、 正確に言えば、仕事内容に給与が見合っていないということだと思います。 これはニュースになりましたが、2012年関東某市の課長補佐級の職員が、1年間で、1873時間の時間外勤務をして、783万円の残業手当を受け取っていた事実が確認されました。 ちなみに、この課長補佐級の年間給与は791万円だったそうです。 年間給与+時間外手当=1574万円 話を続けます。 まあ、そうでしょうね。 それが普通の感覚だと思います。 課長補佐(課長代理)クラスで年収1500万円以上って、パッと思いつくのは、誰でも知っている金融機関が商社、マスコミ関係くらいです。 さて、この問題ですが、この職員がどの部署にいたのか、ということが不明です。 市のコメントは「大震災の影響」だったようですが、もし、危機管理・防災関係の部署に配属されていたとすれば、これは納得せざるを得ない額です。 他の自治体でも、同じように時間外勤務をして、たまたま問題に発展しなかったケースもあるでしょうし、基本給の安いヒラ職員(主事)だったら、同じ時間外勤務をしていても、その手当はグッと少なかったはずです。 課長補佐級という自治体によって、管理職扱いにしているか、そうではないかが分かれている微妙な役職であったこともあるでしょう。 管理職扱いであれば、この職員の年収は791万円+管理職員特別勤務手当(1日につき6,7000円。最大でも1万円にいかない)だった。 しかし、当時「大震災の影響」は、関東の自治体ではどこも大きかったのも事実です。 だからといって、課長補佐級だからと時間外勤務をここまでさせるのも変だと思います。 他の職員にうまく仕事を振り分ければ、こんな問題に発展することもなかったでしょう。 それも、半管理職といえる課長補佐級の仕事のうちです。 人件費のコスト感覚のなさが、露呈した事件だった。 そういえると思います。 日本にいながらアメリカのマサチューセッツ州立大学MBA(経営学修士号)が最短2年で取得できます。 米国私立大学のAACSB国際認証MBAプログラムを修了するには、学費・現地滞在費を含めて1000万円以上の費用が必要となります。 本当に、完全オンラインで留学は不要で入学手続きも簡単です。 ↓ 話は、最初に戻ります。 「給食のおばさんが年収800万円」 「みどりのおばさんが年収800万円」 こんな文句がネットに載っています。 私が知っている限り、 いや、むしろ+100万円くらいはありました。 いや給食調理員だけではありません。 まったく働かないおじさん職員にも、50歳で年収800万円以上が支払われていました。 公務員の給与は年功序列です。 ヒラ職員でもこれだけもらえるなら、課長や部長はもっとすごいんだろうと想像されるかもしれませんが、それがそうでもありませんでした。 役所でもっとも責任がなく一番高収入だったのは、出世を望まないが有能で仕事を任されしっかりと残業代を稼ぎまくるヒラ職員でした。 現在は、給与に関しては、かなり是正されていますが、公務員批判が、現在に至るまで存在するのも、その理由として、過去に、民間とは大きく掛け離れた給与の配分があったことだけは、間違いのない事実だと思います。 公務員の給与について、さらに掘り下げます。 私は市役所を退職してから10数年が経過していますが、在職中に仲の良かった同期や先輩、後輩とは、まだ付き合いがあります。 また、在職中に知り合ったコッパンと呼ばれる国家一般職や国税専門官などとも付き合いがあります。 年に2回、公務員の金銭事情について、新聞やテレビ、ネットで報道がなされます。 ネットでは、国(多くの地方自治体もですが)が赤字なのに、公務員にボーナスを支給するのは許せないという冗談なのか本気なのかわかりませんが、やりきれなさをぶつけた書き込みを目にします。 その日は、6月30日と12月10日。 「今日、国家公務員にボーナス(期末・勤勉手当)が支給されました。管理職を除く一般行政職(平均年齢)の平均支給額は○○万○○○○円で昨年の夏(昨年の冬)より○.○%アップ・・・・・・」 公務員に限らず、民間企業にお勤めの方も、 「報道しているアンタのほうが、もっともらってるだろ!」 と感じられるでしょうが、ちなみに、2018年12月の国家公務員のボーナスは約71万円。 人事院勧告に従い、年間4.4ヶ月分から4.45ヶ月分にアップしましたが、平均年齢が下がった為、微減となりました。 基本給によりますが、同年4月から遡って追加支給される基本給引き上げ分と併せると、少なくとも、あと数万円は年収ベースでプラスでしょう。 ↓ さて、報道される公務員のボーナス額ですが、管理職を除くとなっています。 これはなぜか? これは、管理職を含めてしまうと大幅にアップした数字になることを恐れてのことでしょう。 当然、管理職のボーナス支給額は非管理職より大きくなります。 管理職のボーナスには、役職によって5%~20%の割増がなされます。 また、管理職手当がボーナスを計算する際に含まれます。(これは自治体によって含まないところもあります) この場合、仮にボーナスが2ヶ月分だとしても、非管理職と管理職では次のように差が生まれます。 ○非管理職のAさん 基本給280,000円+地域手当28,000円=308,000円 330,000×2.2ヶ月分=677,600円 ○管理職のBさん 基本給300,000+管理職手当50,000+地域手当35,000円=385,000円 385,000×(2.2ヶ月分×10%割増)=931,700円 やはり、管理職も含めると、平均額が大幅に上がることだけは間違いなく、管理職も含んだボーナス額が報道されると、風当たりが一層キツくなりそうですね。 最後まで読んでいただいてありがとうございました。 『公務員試験』対策なら法律資格・公務員試験専門の受験指導校・伊藤塾! もし、あなたが公務員試験を受験しようとされているなら、しっかりと目標を見定めて実績のあるプログラムで勉強をしたほうが、しっかりと夢に近づけますよ。 やはり、ただの独学では得られない、長年蓄積されたノウハウや一番効率のいい教育プログラムとは無視することができないと感じます。 最近では、安い受講料と手軽な受講方法をうたう業者も増えていますが、実際の合格数を見るとまったく比較になりません。 公務員採用後に得られる収入を考えれば、多少高くともしっかりした学習方法で能率よく学習して、一発合格をするほうがよいにきまっています。 また、本気で公務員になりたい仲間と一緒に勉強できることは、あなたにとって大きな刺激になります。 さらに、合格後・採用後に、同じ自治体に一緒に勉強して気心が知れた仲間がいれば、心強いですよ。 あなたの『公務員になりたい!』という思いを、心から信じています。 ↓ コピー禁止についてのご説明 はる坊でございます。 当サイトをご覧いただき、本当に有難うございます。 ひとつだけ、ご了解を得たいことがありますので、ご説明をさせていただきます。 当サイトでは、文章のコピーを禁止させていただ…社員の平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス②
外資系企業に就職。24歳で独立するも2度失敗!キーエンス(KEYENCE)創業までの苦闘
この当時に手掛けた仕事に、毎日放送制作の人気番組だった『アップダウンクイズ』のゴンドラの電気制御装置の製作(YouTubeに動画がありましたので載せます)があります。
[embed]https://www.youtube.com/watch?v=AiWFgkOsh7k[/embed]
(小池清やロイ・ジェームスが懐かしいですね)26歳のとき、たったひとりでキーエンス(KEYENCE)の前身リード電機を創業
このリード電機が現在のキーエンスになるのですが、スタート時は法人ではなく、たったひとりの個人事業でした。
それはオイルショックでのことです。
マイカー使用の自粛要請においては、ガソリンスタンドも休んでしまう始末。
滝崎氏は、鉄を生産している鉄工所のほうが重要で、自由に自分のクルマにも乗れないとは何事かと思い、工業製品を作る資源が無間ではなく有限であることから、これからこの状態が長引けば統制経済になるのではないかと考え、首筋が寒くなる経験をしたと語っています。
早速、元町工場で採用されることになります。翌年には、このセンサがトヨタ自動車の全工場に導入されることになりました。
1974年(昭和49年)5月 リード電機 株式会社 代表取締役社長 滝崎 武光 の誕生です。会社設立2年目から、現在の給与&ボーナスシステムを実行していた!
営業利益の一部から半分を毎月の給与に加算、残りの半分をボーナスに加算
これは現在まで引き継がれている従業員への利益還元方法です。
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キーエンスの社内ベンチャー・イプロスでウェブサイト作成・運営に携われた方の本です。
キーエンスの内部を知るには最もわかりやすいと思います。
Kindle版しかありませんが、こちらもオススメできます。
↓
これには、著者の立石氏も戸惑われたようですが、この本にそれだけの価値があると認められていることも、また事実でないかと私は思っております。
参考にはなりますが、あえてこの場でおすすめするのは、控えさせていただきます。
心より御礼申し上げます。
その品質から、数々のアワードを受賞している信頼されたブランドでもあります。
一体どれがいいのか、違いがわかりにくいのもネックです。
また、最安値を調べてみても商品を取り扱っている業者が信用出来るのかどうか、という問題もあります。
追加の費用は、一切必要ありません。
⇒これは世界25カ国での販売網を活かして、サプライチェーンマネジメントを精密化しているからです。
私も使用していますが、それまでに使用していたプレミアムマットレスよりも、社員の平均年収2,279万円!資産約3兆1700億円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス①
キーエンス創業者で同社名誉会長・滝崎武光氏の総資産3兆1,700億円!
米フォーブス誌日本版で発表された2015年からの滝崎氏の資産推移を見てみましょう
株式会社 キーエンスとは?
〝人件費は経費にあらず〟従業員の最高平均年収は何と2,279万3,975円。ボーナスは年4回
株式上場準備に3年も4年もかかり、上場審査基準も厳しかった当時としては、かなりのスピードといえる会社設立から僅か13年で上場企業の仲間入りを果たします。
1991年9月には、ついに東京証券取引所1部上場を果たします。
退職者もいるので、仔細は不明ですが、新卒・中途採用とも継続してかなりの人数を採っていることがわかります。キーエンスの本社は東京ではなく大阪。JR新大阪駅の近く
自身が会長に退いた理由を、
(引用元:2003年10月27日号 日経ビジネス 特集 利益率40% 驚異の経営 キーエンスの秘密 編集長インタビュー 滝崎武光氏[キーエンス会長] 会社に思い出は不要)より。キーエンス社長の年収・役員報酬は意外に低い
2018年6月には、給付型奨学金を提供するキーエンス財団を設立
(4年間の合計支給金額は384万円になります)
ただ、その奨学金の大半は貸与型であり、卒業後に社会に出てから返済の必要があります。
1990年にアジアから学びに来る理工系の留学生の為に、私財3億円で奨学基金を設立していました。ミステリアスな滝崎武光氏の詳細なプロフィールをご紹介
第一に滝崎氏自身がメディアに露出しないからです。
また、〝韓国〟というキーワードが検索されていますが、韓国に縁のある人物であるとは確認できません。滝崎武光氏は1945年兵庫県出身の78歳です
しかし、真面目で働くことを美徳とする人物だったようで、モノ作り一筋の滝崎氏の人生にも大きな影響を与えている気がします。尼崎工業高校電子科時代、一流の事業家を志す
よろしければ、その②もお読みいただけるとありがたいです。
キーエンスの内部を知るには最もわかりやすいと思います。
これには、著者の立石氏も戸惑われたようですが、この本にそれだけの価値があると認められていることも、また事実でないかと私は思っております。
参考にはなりますが、あえてこの場でおすすめするのは、控えさせていただきます。天性の起業家 【ドラクエ王】スクウェア・エニックスの創業者 福嶋康博の人生がスゴすぎる②
地方公務員は美味しい職業か? その4
市役所課長補佐級 年間給与+時間外手当=年収1574万円
高給だという声があります。
(これは、基本給・役職手当・扶養手当・地域手当等の合計で、残業は一切ない場合の年間収入です)
地方公務員で一番給与が高いであろう、東京都庁の職員でも、この年収に達するのは、部長級以上。局長級でしょう。
地方の市役所だと首長(市長)で、これくらいの年収ですから。
この関東某市の時間外手当が異常であるとして、ネット上でも話題になりました。
ほぼ100%が非難する内容でした。
キーエンスだと、役職は別として、全従業員の平均年収は2000万円ですが。この職員が、どの部署にいたのかが問題
米国MBA取得は遠い夢ではなくなりました
『本物のMBA』の証といわれるAACSB国際認証を受けているプログラムです。
それに対して、このマサチューセッツ州立大学MBAプログラムは、入学から卒業までに必要な学費が、トータルで約290万円からとなっています。
この学費で最大5年間在籍・履修できます。
まずは、卒業生(修了生)の声を聞いてみてください。公務員は高給か? 公務員の給与は基本的に年功序列です。
私がそう問われれば、「まあ、2000年過ぎまでは、そうでした」と答えます。
15年前、給食調理員にこれだけの年収があったのは事実です。
職場に来ていれば、何の役に立たなくても、50代で年収800万円以上は、ヒラ職員でもあたりまえの数字でした。
課長で年収1000万円を超える程度。部長で年収1200万円ほど。
ですので、現在、公務員の給与や年収というものがどれくらいかは知っています。公務員のボーナスについて 管理職は除く??
この日が土日祝日であれば、その直近の平日(金曜が多いです)にニュースが流れます。1日10分間×90日間で株式投資の知識をゼロから学んでみませんか。
スキマ時間をうまく利用して身に付けた知識は一生モノになりますよ。なぜ、公務員は管理職のボーナス支給額を公表しないのか? その理由は・・・
◎例ですので、基本給は2万円差・管理職手当は5万円・地域手当は10%で、家族手当はナシで計算します。
最後に、あなたが公務員試験を受験しようとされている方なら、ここだけは聞いておいてください
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