1972年長者番付全国1位になった中国出身・韓黎(範統万寿)は何者だったのか?
※本ページはアフィリエイト広告を利用しています はる坊です。 2004年分まで、1000万円以上の高額納税者は税務署に公示されていましたが、個人情報保護を理由に廃止されました。 それまでランクインしてきた人々には様々なド…
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1973年(昭和48年)2月、西村寿行のデビュー作『瀬戸内殺人海流』が、サンケイ出版より出版されました。
42歳での小説家デビューです。
9月には第2作『安楽死』が出版され、翌年には第27回日本推理作家協会賞の候補に挙げられます。
※『安楽死』は2018年8月に角川文庫から復刊されています。
西村寿行の小説を読んだことのある方なら、〝男根さま〟〝後背位〟〝尻〟〝人妻〟〝ジーパン人妻〟がやたら出てくる、「ああいう小説か」と思われるかも知れませんが、作家生活前半の西村作品には、そんな言葉はほとんど出てきません。
受賞したのは、1973年内に上巻204万部・下巻185万部を売り、当時大ベストセラーとなった小松左京の『日本沈没(上下)』でしたが、
選考委員の評を読む限りでは、次点といったところで、一定以上の評価を受けています。
本格的に作家デビューとなったこの年の年収は250万円。
ちなみに、この年の大卒初任給は62,300円です。
翌1974年(昭和49年)には、第3作『屍海峡』が刊行され、出版業界では、〝新進の推理小説家〟と呼ばれ始めます。
この年の収入は1,200万円となり、デビューした1年前より大幅にアップします。
しかし、西村寿行のなかでは違和感と悩みが生まれていました。
『推理小説家になりたかったわけではない』
『推理小説家と呼ばれたところでしっくりこない』
そして、『トリックというものが性に合わない』
そんな折りに、西村は直木賞作家・生島治郎からアドバイスを受けます。
「冒険小説を書いてはどうか」
生島治郎は、早大英文科を卒業後、早川書房にて編集者を務め、『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』編集長を経て、退社。
『傷痕の街』で作家デビュー後、『追いつめる』で直木賞を受賞。
『黄土の奔流』などで、ハードボイルド小説の書き手として活躍。
『兇悪』シリーズが、天知茂主演のテレビドラマ『非情のライセンス』の原作になるなど、人気作家として名を轟かせる一方、大沢在昌を見出すなど、才能を見出す力にも秀でていました。
また、韓国籍のソープランド嬢との結婚を題材にした『片翼だけの天使』の作者としても有名です。
西村寿行は生島のアドバイスに従い、手にした印税で山中に建つ一軒家の一角を借りて、大量の資料を持ち込んで、一心に冒険小説を書きます。
そして、彼の運命を変える『君よ憤怒の河を渉れ』は完成しました。
西村は書き上げた原稿を手に、講談社を訪れます。
早速、作品を読んだ編集者からは、〝作品が荒削りであり、荒唐無稽な箇所もあるので、もう一捻りして欲しい〟と指摘を受けます。
しかし、自分の作品に絶対の自信があったのか、西村は原稿を直すことなく、今度は徳間書店を訪れます。
作品を読んだ『問題小説』編集長は、荒削りな作品であることを承知で、そのまま『問題小説』に掲載します。
掲載されると、作品は大いに反響を呼び、刊行されたノベルス(新書版)『君よ憤怒の河を渉れ』はベストセラーとなります。
ノベルスと文庫を合わせて、最終的には発行部数70万部を記録しました。
ただ、デビューから数年がたっただけの西村の作品を、西村寿行選集(NISHIMURA HARD-ROMAN SERIES)と銘打って大々的に売り出したのも、当時大きな効果があったのでしょう。
ちなみにこの選集は、他社から刊行された本も、徳間書店が二次的にノベルスで発売を続け、1999年に発行された『鷲』『涯の鷲』まで全112冊に及びました。
また、続けて徳間書店から『蒼き海の伝説』も刊行。
いままでの書き下ろし一辺倒から、短編小説の雑誌掲載依頼も出版社から来るようになり、1975年分の年収は一気に4,400万円にアップ。
中野区上高田のマンションに仕事場を構えます。
順調な作家生活が始まりました。
1976年に入ると、角川書店から前年の終わりに野性時代誌上に一挙掲載された『化石の荒野』が刊行されます。(のちに渡瀬恒彦主演で映画化されます)
ストーリーはまったく違いますが、『化石の荒野』は『君よ憤怒の河を渉れ』を大幅にブラッシュアップした印象を受けます。
そして、この後の作品群で見受けられる設定や構成が決定的なものになるのも、この作品からです。
西村寿行自身もこの作品を気に入っていたのでしょう。
あとがきでは「ぼくのデビュー作」とまで言い切っています。
これもベストセラーとなり、西村寿行は、〝推理小説家〟ではなく〝新進気鋭のハードボイルド作家〟と見なされるようになります。
(〝ハードロマン〟という呼び方はまだ浸透していませんでした)
この年には、前述した『化石の荒野』の他に、『娘よ、涯なき地に我を誘え』(78年に『犬笛
』に改題)『幻の白い犬を見た
(短編集)』『滅びの笛
』『牙城を撃て(上)
』『牙城を撃て (下)
』『原色の蛾
(短編集)』を刊行。
スポーツ新聞連載、小説雑誌連載・掲載が相次ぎ、執筆量が大幅に増加します。
この当時、西村寿行の月産枚数は原稿用紙900枚と報じられました。
1976年度分の年収は8,800万円。
まさに、倍々ゲーム。
仕事場も、新宿区と渋谷区の境に建ったばかりのマンション最上階に移します。
7月には、ニホンオオカミを題材に取った短編『咆哮は消えた』で第75回直木賞候補に挙げられます。
落選こそしましたが、当時の選評を読む限りでは、源氏鶏太・水上勉・柴田錬三郎からは好感を得ています。
※参照 オール讀物 1976年9月号
『咆哮は消えた(短編集)』『妄執果つるとき
』『帰らざる復讐者
』『汝!怒りもて報いよ(上)
』『汝!怒りもて報いよ (下)
』『魔の牙
』『魔笛が聴こえる
』『荒涼山河風ありて
』『悪霊の棲む日々
』『白骨樹林
』『双頭の蛇
(短編集)』『往きてまた還らず(上)
』『往きてまた還らず(下)
』を刊行。
1977年には更なる活躍を見せ、毎月の執筆枚数は400字詰め原稿用紙で800~1000枚。
急激に読者の人気を得ていきます。
西村寿行の専売特許ともいえる〝ハードロマン〟という言葉も浸透し始めました。
1月に『滅びの笛』で第76回直木賞、7月には、『魔笛が聴こえる
』で第77回直木賞候補に挙げられます。
新聞や雑誌に連載され本にまとまったとき、連載時と文章を比較すると、しっかりと著者校正作業をおこなっていたのが分かります。
しかし、執筆量が大幅に増えて、ひとつひとつの作品の細部にまで、目が届かなくなっていったこともあったでしょう。
急激な西村寿行作品の人気上昇を面白く思わない選考委員も存在したと思います。
選考委員の意見は、「着想は面白いが雑」「荒唐無稽」「劇画的」と否定的になり、いずれも落選の憂き目に遭います。
※参照 オール讀物 1977年4月号・1977年10月号
西村は3度目の直木賞落選のあと、文藝春秋に「もう候補にしてくれるな」と断り状を出しています。
この断り状のタイミングが不明なのですが、77年の年末に、78年1月に選考が行われる第78回直木賞候補に自作が挙げられるのを知って、断り状を出したのであれば、どの作品が候補に挙がることになったのかは、気になるところです。
1980年に受けたインタビューで、“「どこの賞も候補になるのは断っている。」”と発言しています。
参照:「データバンクにっぽん人 西村寿行」週刊現代1980年5月22日号
日本推理作家協会賞や、雑誌の企画で誌上にて手紙のやり取りをした五木寛之が仕掛け人となった泉鏡花文学賞。
それに、この年に始まった日本SF大賞の候補打診があったのかもしれません。
しかし、このインタビューでは、こんな思いも漏らしています。
“「でも、同業者が選ぶ賞は欲しくないが、前に小説現代がやっていたような読者賞ならいい。」”
西村が触れているのは『小説現代ゴールデン読者賞』のことです。
この賞は、読者の投票によって決まる賞で、1970年~1975年まで続きました。
受賞者は以下の通りです。
第1回 笹沢佐保『見返り峠の落日』
(推理小説から時代小説に初めて挑戦し、『木枯し紋次郎』の原型となった作品です)
第2回 梶山季之『ケロイド心中』
(被爆と性をテーマにした短編です。発表当時には各所から猛抗議を受けたようですが、彼自身、広島に深い縁があり、原爆被災資料の刊行に資金援助をした人物でもありました)
第3回 松本清張『留守宅の事件』
(短編集『証明』に収められている一編です。ここではネタバレはしません)
第4回 野坂昭如『砂絵呪縛後日怪談』
(本人のイメージと異なる江戸を舞台にした時代小説です。執筆にあたって柴田錬三郎から「江戸の夜は暗かった。女のほうが強かった」という短いアドバイスをもらって書き上げたというエピソードがあります)
第5回 池波正太郎『殺しの四人』
(『鬼平犯科帳』『剣客商売
』と並ぶ人気シリーズ『仕掛人 藤枝梅安
』の一編で、「おんなごろし」に次ぐ梅安シリーズの2作目です)
第6回 井上ひさし『いとしのブリジット・ボルドー
』
(東北の旧家で発見された1800年代中盤のボルドーワインを巡る騒動を描いています。笑い・ユーモアはすごいと思います)
こうやってリストアップしてみると、小説の読者は、いい小説を選んでいるなとつくづく思います。
1977年度の年収は1億5,000万円。
前年度から更に倍増します。
⇒アマゾンのKindleでは、電子書籍のキャンペーン実施中で、西村寿行作品が270円から読めます。
⇒西村寿行の勢いは留まることを知りません。更に読者の人気を得ていきます、そしてついに・・・
その3に続きます。
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