1980年代の話

『ドラゴンクエスト』『サウンドノベル』『不思議のダンジョン』シリーズを手掛けたチュンソフトの創生期はこんな感じだった!

『ドラゴンクエスト』『サウンドノベル』『不思議のダンジョン』シリーズを手掛けたチュンソフトの創生期はこんな感じだった!

はる坊です。

今回取り上げるのは、チュンソフトです。

現在では、スパイクと合併してスパイクチュンソフトに社名が変わっており、創業者の中村光一さんは取締役会長になっています。

そんなチュンソフトは、1984年4月9日に設立されました。

早速、創業当時のチュンソフトを見ていきましょう。

創業当時のチュンソフトとそのメンバーたち

前述したように、チュンソフトは株式会社として1984年4月9日に東京都調布市に設立されました。
京王線の調布駅から程近く、徒歩3~4分の好立地にあるマンションの2階2部屋を、事務所と開発室に充ててスタートしました。

代表取締役は中村光一さんです。
当時は、電気通信大学短期大学部の2年生でした。
チュンソフト設立当時の中村さんは、1964年8月15日生まれなので、まだ19歳でした。

しかし、すでに、丸亀高校時代に、エニックスのゲームコンテスト・第1回ホビープログラムコンテストで優秀賞に輝いた『ドアドア』で大ヒットを放っており、続く『ニュートロン』もヒット。
エニックスはゲームを当時主流だった〝買取〟ではなく〝印税〟をクリエイターに支払う方式をとっていました。
(印税は卸値の22%だったようです)
まだゲーム市場は小さかったものの、中村さんはゲームのヒットにより、大学1年生にして月額最高423万円。年間2000万円の印税を受け取りました。

18~19歳で年収2000万円となれば、舞い上がってしまいそうですが、中村さんは、トヨタ・ソアラの購入や飲み食いに使った部分もありましたが、税金を支払った残り半分は貯金をされていましたので、500万円の資本金のほとんどは、中村さんが出資できる余裕がありました。

創業当時の社員・そしてアルバイトは?

チュンソフト創業当時の社員は4名でした。

まずは、中西一彦さん
当時、電気通信大学短期大学部2年生で、のちの名物広報です。
中村さんとは大学で学籍番号がひとつ違いだったため、同じクラスとなり仲良くなったようです。

吉田幸司さん
吉田さんは、電気通信大学2年生でした。
『ドラゴンクエスト』『ドラゴンクエストⅡ』でプログラマーを務めた後、カプコンに入社されています。

安野隆志さん
安野さんは、早稲田大学政治経済学部1年生でした。
中村さんとは、丸亀高校の同級生でした。
『ドラゴンクエスト』~『ドラゴンクエストⅥ』まで、CGデザイナーを務め、SFC版『ドラゴンクエストⅢ』では、グラフィックデザインを務めています。
『ドラゴンクエストⅤ』で、チュンソフトは『ドラゴンクエスト』の開発から離脱しました。よって、安野さんは、グラフィックデザインを手掛けていた、ハートビートに移り、ドラクエのデザインを手掛けていましたが、のちに退社されたようです。

鈴木李佳さん
電気通信大学短期大学部2年生でした。
『ドラゴンクエスト』ではⅠ~Ⅳまで、アシスタントとしてスタッフロールに名を連ねています。
2005年にドワンゴがチュンソフトを子会社化した際に、チュンソフトの株主であることがあきらかになりました。

続いてはアルバイトで参加していた方々です。

成田東吾さん
当時、東京理科大学2年生でした。
成田さんは、このあとチュンソフトの大黒柱となります。
『ドラゴンクエストⅡ』~『ドラゴンクエストⅣ』までは、プログラマーを務め、『ドラゴンクエストⅤ』ではチーフプログラマとして参加しています。

福沢正さん
当時、電気通信大学2年生でした。
福沢さんは当初『ドラゴンクエスト』では、アシスタントとしての役回りでしたが、Ⅲ~Ⅴではサウンドプログラマとして活躍しています。

ゲーム業界の人材は流動的ですが、『ドラゴンクエスト』の人気が沸騰するにつれて、新しい人材が入ってきました。

代表的な存在は、内藤寛さんと山名学さんです。

内藤さんは高校時代よりアルバイトでプログラマーとして活躍していた方で、専門学校在学時にチュンソフトに入社。
ⅢとⅣでは、チーフプログラマを務めます。
1990年4月にはクライマックスを設立しますが、チュンソフトの辞め方が良くなかったようで、エニックスの社長を務めていた福嶋康博さんは、エニックス社員が内藤さんをデベロッパーに起用したいと申し出た折に、「ダメだ」と却下しています。
エニックスでも同じ事をされたのでは、たまらないという気持ちだったのではないでしょうか。

山名学さんは、1965年6月8日東京都出身。高校時代よりゲームソフト開発に触れて、日本大学在学中の1986年にチュンソフトに入社。Ⅲではプログラム、Ⅳではチーフプログラマ、そしてⅤ・Ⅵではディレクターを務めています。
1991年の大学卒業と同時に、チュンソフトでは取締役開発部長に就任していますので、社長の中村さんの信頼も厚かったのでしょう。
Ⅴを最後にチュンソフトがドラクエの開発から離れると、山名さんは有限会社ハートビートを設立して、代表取締役社長に就任。『ドラゴンクエストⅥ』と『ドラゴンクエストⅦ』の開発を手掛けます。
『ドラゴンクエストⅧ』の開発がレベルファイブに決定したことから、山名さんは2002年6月に新会社・ジニアス・ソノリティを設立して、任天堂のゲームソフトの開発に向かいました。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

何かございましたらこちらまで。

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はる坊の雑記

ご長男が社長に!さくらももこさんの事務所 さくらプロダクションの現在

さくらももこさんの事務所 さくらプロダクションの現在は?

はる坊です。

2018年8月15日に漫画家のさくらももこさんが亡くなられました。
亡くなられてから、もうすぐ2年半かと思うと、月日の経つのは早いものだと感じます。

漫画家としても有名なさくらさんですが、エッセイストとしてもすぐれた作品を残されています。

もともと、さくらさんご自身はエッセイストになりたかったけれど、その方法がよくわからなかったこと。
また、知名度のない人間のエッセイなど、書いたところで誰も手に取って読んでくれやしないだろうと思ったので、まず漫画家になったという話があります。

特に、1991年に刊行された『もものかんづめ』(累計235万部) 

1992年に刊行された『さるのこしかけ』(累計150万部) 
同じく1992年に刊行された『たいのおかしら』(累計130万部) 

の初期エッセイ集はミリオンセラーとなり、広く読まれました。

中学校の授業で使う副読本にも、エッセイの文章が使われていました。

さて、20代前半の若さで『ちびまる子ちゃん』を大ヒットさせたさくらさんは、1990年2月6日に、株式会社さくらプロダクションを設立しています。

会社設立の理由としては、著作物の版権管理をスムースにおこなうこと、アシスタントなど、周囲にいる方々への福利厚生面での配慮、そして税金対策が挙げられると考えます。

あれだけ大ヒットした『ちびまる子ちゃん』ですが、作者であるさくらももこさんは長者番付上位に登場されたことはありません。
(さくらさん個人で7000万円ほど納税されていた年もありましたが、そうなると当時の年収は1億5000万円以上となります)

これはさくらプロダクションで納税されていたことが大きいでしょう。

さくらさんが亡くなられてからも、日曜6時からはアニメ『https://amzn.to/2NYuIsV』が放映されており、企業のCMキャラクターにも起用されています。

また、『りぼん』にも新作が掲載されることがあり(原作:https://amzn.to/3f7ms5N 漫画:さくらプロダクション の扱いです)、キャラクターグッズも多く販売されています。

現在は息子さんがさくらプロダクションの社長

株式会社さくらプロダクションは、1990年2月6日に設立されています。

さくらももこさんは、前年の1989年に集英社『りぼん』の編集者だった宮永正隆さんと結婚され、宮永さんは1990年に集英社を退社、さくらプロダクションの社長に就任しました。

1965年5月8日に静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれたさくらさんは、地元の静岡県立清水西高等学校と静岡英和女学院短期大学(現・静岡英和学院大学短期大学部)国文学科を卒業して、上京。

ぎょうせいにOLとして勤務しますが、すでに漫画家としてデビューを飾っており、勤務時間後は漫画を描くため睡眠時間が足りず、居眠りが目立つことを上司に注意された際に、「会社か漫画かどちらかを選べ」と言われたことから、「ちびまる子ちゃん」の連載も決定していたことから、「そりゃ、漫画にしますと」即答して2ヶ月で退社。(この覚悟の据わりっぷりはスゴイと思います)

宮永さんとの離婚後は、さくらさんご本人が、代表取締役社長となり、取締役には、父・ヒロシさんと母・スミエさんが名を連ねて、監査役にも親族の方が就任されていました。

さくらももこさん亡き後の2019年1月17日にさくらさんの長男・三浦陽一郎さんが取締役に就任され、同年3月29日に代表取締役社長に就任されました。
同時に、父・ヒロシさん 母・スミエさんは取締役を退任されています。

さくらさんの父・ヒロシさんは静岡県清水市(現・静岡市清水区)で八百屋を営まれていましたが、さくらさんが漫画で成功されるとともに、スミエさんとともに東京へ移住されています。

『ちびまる子ちゃん』の原作やアニメだと、ヒロシさんには、この仕事をしているという設定がないので、何の仕事をしているかわからないのですが、これはさくらさんご自身が八百屋だとバックに野菜や果物などを背景に描くことを嫌ったことが原因という説があります。

私は何となく、1990年にアニメを見始めた頃、「ヒロシさんは、製造業関係の技術屋さんかなあ…」と思っていました。
個人的には、ヒロシさんより友蔵さん(リアルでも漫画の世界でも)が、何の仕事をされていたのかが気になります。

累計発行部数3200万部以上となった『ちびまる子ちゃん』のメガヒットで、巨額の印税が入って、生活は左うちわでうらやましいと思われるかも知れませんが、著作権をしっかり管理して、作品のイメージを損なわないようにコントロールしていくのは大変なことです。

これからもさくらももこ作品が、広く愛されていきますように。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

はる坊の雑記

最強のファミリービジネスだった 長谷川町子『サザエさん』と姉妹社

2020年は『サザエさん』の原作者・長谷川町子さんの生誕100年

はる坊です。
2020年は『サザエさん』の原作者・長谷川町子さんの生誕100年にあたります。

長谷川町子さんは1920年に佐賀県生まれ、福岡県を経て東京都に移住。
『サザエさん』『エプロンおばさん』『いじわるばあさん』という大ヒット漫画を生み出して、1992年に逝去されました。
没後贈呈ですが、国民栄誉賞を授与されています。

『サザエさんは』1969年からアニメ化され、「古き良き時代の日本の家庭が見られる」という肯定的な意見と「時代とズレている」という否定的な意見がありますが、ずっと日曜日18時30分から毎週放映されています。

長谷川家が営んでいた出版社・姉妹社

『サザエさん』の原作は四コマ漫画として、地方紙であるフクニチ新聞などを経て、休載を挟みながら25年に渡り、朝日新聞に連載。

『エプロンおばさん』『いじわるばあさん』はサンデー毎日に連載されていました。

とすると、コミックスの発行は朝日新聞社と毎日新聞社となるのが通常の流れですが、長谷川町子作品はすべて、姉妹社という長谷川家が営んでいた出版社から発行されていました。

姉妹社が発行しているのは、長谷川町子作品だけ。
つまり、確実に、絶対に売れる作品だけを出版していました。

姉妹社は長谷川町子さんが1992年に亡くなられたことにより、1993年5月27日に廃業して、著作権は1985年9月3日に設立されていた財団法人 長谷川町子美術館に引き継がれました。
長谷川町子美術館は現在、一般財団法人となっています。

姉妹社が設立されたのは1946年12月のこと。
この姉妹社が株式会社だったのか有限会社だったのか、それとも個人事業だったのかはよくわかっていません。

工藤美代子『』では、“姉妹社が株式会社あるいは有限会社として登録された記録はない”となっています。

姉妹社設立の中心となったのは、町子さんの母・長谷川貞子さんと姉の長谷川毬子さんでした。
そして、妹の長谷川洋子さんが経理を担当します。

翌1947年1月1日付で、夕刊フクニチに連載されていた『サザエさん』をコミックスとして発行したのが、最初の出版事業でした。

最初は、本のサイズが書店に置きづらいB5サイズになっていたので、返本の洗礼も受けたようですが、3巻目が出る頃には順調に売れはじめ、1950年には〝サザエさんのまち〟として知られる世田谷区桜新町に640坪の敷地面積をもつ邸宅を新築しています。

長谷川町子さんの収入

気になるのが、長谷川町子さんの収入ですが、年収が判っているのは以下のとおりです。

1971年分 申告所得2453万円
1972年分 申告所得1682万円

この当時、公示されていたのは申告所得額です。
実際の収入-必要経費=申告所得となります。

実際の収入は申告所得の2倍といったところが多かったようです。

いまから50年前と、時代も時代ですが、
「えっ、これだけ?」と思われた方もおられるかもしれません。

そんなあなたは鋭いです。

次の申告所得額を見てどう思われますでしょうか?

1971年分 申告所得1億3273万円
1972年分 申告所得2億2629万円

現在から見ても、超高収入です。
これは、町子の姉・長谷川毬子さんの申告所得です。
1972年分では母の貞子さんも申告所得2238万円。
妹の洋子さんも申告所得1402万円です。

長谷川家の皆さんは、姉妹社に入って来る莫大な収入を、家族に分散していました。
姉の毬子さんの申告所得額が桁外れなのは、姉妹社の経営者だったこともありますが、町子さんの収入を大きなものにしてしまうと、『サザエさん』読者や視聴者から、

「一般家庭を描いているけど、作者本人はものすごいお金持ちじゃないか」

と思われるのが嫌だった、という点が考えられます。
そういった見方を避ける必要があったのではないかと思います。

姉妹社に必要なのは〝社員〟ではなく〝奉公人〟

1976年に現在、長谷川町子美術館の理事長兼館長を務めている川口淳二さんが、義母のツテで商社から姉妹社に転職しています。

このときの面接で、社長の毬子さんが川口さんに告げた言葉が印象的です。

「うちは〝社員〟ではなく〝奉公人〟でなければ務まらないけど、どんな仕事でもできる?」

奉公人とは、ずいぶんと時代がかった言葉ですが、長谷川家に忠誠を誓える人間しかいらないとする、毬子さんの強い意思が感じられます。

実際、川口さんは出版関係から掃除や庭の草むしり、運転手もこなす〝何でも屋〟を務めます。
川口さんによれば、この頃、姉妹社の社員は7名ほどだったとのことです。

雑誌『東京人』2020年5月号に、長谷川町子特集があります。
なかなか読み応えのある特集号ですので、興味のある方は一読されることをお勧めします。

長谷川町子美術館と遺産の行方

長谷川町子美術館の建設計画がスタートしたのは1980年です。
昭和30年代から収集をはじめた絵画や陶芸品、ガラス工芸品を社会還元することを目的に、財団法人による美術館運営を目指していましたが、実際に設立が認可されたのは1985年9月3日のことでした。

そして、同年11月3日に財団法人 長谷川美術館として、姉妹社が倉庫として使用していた土地に建てられた建物が美術館としてオープンします。

初代館長には長谷川町子さん自身が就任しています。

この財団法人には美術品の社会還元の他に、相続税対策も絡んでいました。
母・貞子さんは優秀な不動産投資家で、晩年は認知症を患われていましたが、その資産は10億円に達していました。
この資産を相続税にもっていかれることなく、処理をするには、自前の財団法人に寄付するのが一番の方法でした。

発足当時、財団が有していた資産は12億円でしたが、2008年の時点では、何と96億円となっています。
ですが、現在、この財団の役員に長谷川家の方はどなたもおられません。
長谷川町子さんが収集された美術品の社会還元と、その著作権の管理運営保持を役割としています。

1992年5月27日、長谷川町子さんは72歳でその生涯を終えます。
同年7月28日には、国民栄誉賞が没後贈呈されました。

長谷川町子さんの名前が、再び世間を賑わせるのは翌年のことです。
町子さんの遺産額が税務署に公示されたのです。
当時は一定額以上の遺産があった場合、遺産額と相続人を税務署が公示していました。

長谷川町子さんの遺産額、何と29億8800万円。

同じく前年に亡くなった松本清張でさえ、遺産額は17億5700万円でした。

そして、町子さんの遺産額が公示されてまもなく大事件が起こります。
多磨霊園から、町子さんの遺骨が盗まれたのです。

その後、犯人からの脅迫状が届き、結果として、遺骨は渋谷駅のコインロッカーで発見されて、遺族の元に戻りました。

犯人とのやりとりは、一切警察が明かしていません。
ですが、ある週刊誌では「2000万円の要求があった」と記されています。

日曜夜に放送され続けている『サザエさん』ですが、その裏側にはとてつもない歴史がありました。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

参考文献:

長谷川町子『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』
長谷川洋子『サザエさんの東京物語』
工藤美代子『サザエさんと長谷川町子』

はる坊の雑記

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漫画家・遊人の〝推定4億円〟豪邸はスゴイ! デビュー以来、売れるまで画風を変えながら美少女漫画を生み出したのもスゴイ!

漫画家・遊人の〝推定4億円〟ロココ調豪邸

『ANGEL』『桜通信』で有名な漫画家・遊人がTwitterを始められました。
現在は港区六本木と湘南・藤沢を行き来して生活をされているようです。

かつて1990年代半ばに、遊人さんは湘南に〝推定4億円〟といわれるを新築。
新築にあたっては、ハウスメーカーがアメリカ現地の邸宅を調査して建てられた経緯があります。

この豪邸は『ダ・ヴインチ』とか『COMIC GON!』サブカル系の雑誌で特集されていて、『桜通信』の作中にもよく登場していました。
『トゥナイト』にも取り上げられた記憶があります・・・。

本名は確か國光さん。

TwitterのID、@kunimituyuji はご本名ですね。

漫画家・遊人のプロフィール

遊人さんはかなりの苦労人なんですよね。

1959年6月15日に山口県宇部市生まれ。
工業高校卒業後に上京して漫画家を目指して、1979年に芳文社にて短編読み切り『同姓契約』でデビューしたものの、その後は10年近く鳴かず飛ばず。
ちなみに國光という苗字(姓)は宇部市に多いです。

初期の大友克洋の影響を受けた、劇画調の作品も個人的には好きなのですが、ウケなかったんですねえ・・・

(あのままの画風だとかわぐちかいじっぽい絵になっていたのかも)と思うことがあります。

漫画家として売れなかった時代は、印刷屋さんやクリーニング店、漫画家アシスタントとして働きながら漫画を描き続けられていました。

20代半ばには、もう結婚されて娘さんもいらっしゃったはず。
その娘さんは、現在デザイナーとして活躍されておられるようです。

この頃は、相当、漫画家としての位置づけに悩まれただろうなと思います。

画風が変わり続ける漫画家・遊人

事実、遊人さんの絵は、「同一の漫画家か?」というくらいに変化しています。

デビュー当初は、大友克洋さんの影響を受けた劇画調の絵。

それから、江口寿史さん、江川達也さんの影響を受けた絵に変わり、ブレイクすることになる美少女の絵柄に変わります。

これは想像ですが、遊人さんは江口寿史さんの位置を一時期、狙っていたのではないかと思うことがあります。

週刊少年ジャンプに連載した『すすめ!!パイレーツ』と『ストップ!!ひばりくん!』の2作品によって、人気漫画家の地位を不動のものにして、さらに30代になるかならないかのうちに、原稿を落とすことがもはやステータスになっていた〝ビッグE〟江口寿史さんの絵は、今でも十二分に魅力的ですが、1980年代、大変魅力的でした。

江口さんの本業は漫画家ですが、ギャラのいいイラスト仕事が優先になり、江口さんは連載漫画の原稿を落とすことが、恒常的になります。

そこで、遊人さんが、

「江口寿史の絵は受ける。これだったら、江口寿史風の絵で漫画連載をすれば受けるんじゃないか?」

と思われても、決して不思議ではない。

実際、週刊モーニングに連載した末松正博さんの『右曲がりのダンディー』は、江口寿史のパクリそのものでしたが、全9巻で600万部以上を売り上げました。

まあ、末松さんは、江口寿史さん本人から

「〝リスペクトじゃなくて、ただのパクリ〟」と名指し批判をされたので、遊人さんは、江口寿史路線で売れなくてよかったと、一ファンとしては思っています。

個人的な想像に過ぎないのですが、ひょっとしたら江口寿史さんは、イラストレーターとしての実績で、紫綬褒章・旭日小授章の受章・叙勲があるのではと思っています。

紫綬褒章は60歳代まで、旭日小授章は70歳以降の受章・叙勲になりますね。

漫画家・遊人のブレイク

そして、遊人さんは1988年に週刊ヤングサンデーに連載を開始した『ANGEL』でブレイク。

同時期には。リイド社の『リイドコミック』で『校内写生』の連載を開始。
単巻で100万部を超えるヒット作となります。

『ANGEL』第1巻が100万部を突破して、一躍人気漫画家の仲間入りを果たしますが、1990年代初頭に起こった有害図書(コミック)問題の槍玉に挙がり、路線の変更を余儀なくされます。

一旦、休載となり、その後、連載再開されましたが、騒動を恐れてか、コミックスが発行されない状態が続き、最終的にリイド社の子会社だったシュベール出版より、成人向けコミックとしてコミックスが発売されました。

その後は、週刊ヤングサンデー連載の『Juliet』を経て『桜通信』の連載を開始。

『桜通信』も途中の10巻時点で200万部を突破。

『桜通信』連載後半頃までに、出版された遊人作品のコミックスの部数は累計で1500万部を突破します。

1996年に発行された『個人授業』も遊人さんのTwitterによると38万部が発行された模様です。

ヒロイン・飯嶋沙羅が作中でフェラーリF355に乗っていますが、これは遊人さんが実際に所有されていたクルマですね。

また、『遊人ブランド』のOVAやコミックも人気を得て、売れました。

漫画家・遊人の最盛期。収入は9年間で10億円

美少女コミックを描いて得た収入は、全盛期の9年間で10億円だったと、遊人さん本人がインタビューで語っています。

これは、遊人作品の魅力もさることながら、週刊ヤングサンデー(連載作品:『ANGEL』『Juliet』『桜通信』『Peach!』)や週刊ヤングジャンプ(連載作品:『学園天国』『幼な妻マープルの事件簿』)という一般・青年誌に連載を持ち、ただの美少女マンガ・美少女漫画家とは一線を画する位置にいたからだろうと思います。

漫画家が本当に儲かったのは、1980年代~1990年代まででしょう。
何といっても、コミックの売上が現在とは比べものになりませんので。

1990年代半ばには、ブックオフが出て来始めましたし、福満しげゆきさんが、作中で

「(漫画)バブルの頃だったら、もっと売れていた」

とぼやいていますが、実際、漫画家は一部を除いて、そんなに稼げる仕事ではなくなりましたもんね。

豪邸も建て、高級外車を乗り回せる立場になっても遊人さんはお金に淡泊でこだわりがない

遊人さんが吉祥寺から移り住んだ湘南・藤沢。

この土地に買い求めていた100坪あまりの土地に、新築の白亜の邸宅を構えたのは1995年。

アトランタに現存している邸宅をモデルにして、荘厳なドアがカナダ製なのを始め、ほとんどが輸入資材によってまかなわれました。

湘南の豪邸の他にも、ハワイにコンドミニアムを持っていたり、港区六本木にオフィスを構えていたりと確かに傍目にはバブリーでした。

愛車は赤のフェラーリF355と黄色のポルシェ911。

あとクルーザー(700万円)も。

2年ほど前でしょうか、5chまとめサイトで当時の記事が話題になり、

「こんな豪邸を建てても、維持できないだろ」

とか

「固定資産税ヤバイだろ」

という声がありましたが、この邸宅はいまでもしっかりと維持されておられます。

クルマも高級外車を複数所有。
イエローのポルシェ911(1000万円)と赤のフェラーリF355(1500万円)を所有して、のちにはランボルギーニ・ディアブロも所有されていたと記憶しています。

その後、世田谷区に転居されて、吉祥寺に移られ、六本木と湘南・藤沢にを行き来する生活になったわけです。

最近では、コンパクトでお洒落なイタリア車を所有されています。

さて、遊人さんはお金に淡泊な方です。

お金がドサッと入ったときに、アルマーニのスーツとか欲しいものを買ってみたけど、

感想は〝「こんなものか」〟で。

豪邸がクローズアップされたときには、

〝「ジーンズメイトとかで安くていいのを買っている」〟状態。

〝「たまに、タクシーに乗って帰宅すると、運転手さんに「お父さん、お金持ちなんだねえ」と言われる」〟と。

さてさて、美少女が登場する漫画で注目されてしまったので、作者はキモオタ・デブオタではないかと思われがちですが、遊人さんはなかなかのイケメンです。

遊人さん本人のお写真を拝見すると、漫画家というより、デザイナーや音楽関係者という印象を持ちました。

実際、ミュージシャン志望で、我流でありながらピアノ演奏はかなりの腕前で、自作の曲も弾かれるとインタビュー記事で読んだことがあります。

また、年齢よりかなりお若く見えますので、美少女を描く漫画家とご本人が、イコールにならないです。

それに、アウトドア派で原稿が上がると、家にいないという方のようで、30代半ばでメディアに露出されていた頃は、しっかり身体も鍛えておられるなという感じでした。

もっとも、

「睡眠時間は3~4時間。眠くなったら寝るので、不規則です」

という多忙な日々を乗り越える為にも、身体のコンディションを整えておられたのでしょう。

元々、「お金がないことが不幸ではない」という考え方の方ですから、

遊人さん本人曰く

「遊びで建てた」

この豪邸のインパクトはスゴイですが、その他は意外に質素に暮らしておられるような気がします。

Twitterに上がっている画像で普段の生活振りが垣間見えますが、

〝安くていいものが一番いいもの〟

という価値観をお持ちではないかなと感じます。

最近の漫画家・遊人

遊人さんは、2019年1月まで、東京都港区六本木3丁目のタワーマンション・THE ROPPONGI TOKYOの一室を購入して、仕事場として使われていたようですが、昨年末に売却されたときも、Twitter上で

「今年1月に売却。6年前に購入した金額の40パーセントUPで売れました。一等地は凄いなーと思いました。」〟と淡々としたコメント。

ここで週刊に連載された『ANGEL ~恋愛奉仕人・熱海康介~ SEASON 2』を描かれていたようですね。

遊人作品は、その画風からか電子書籍の売り上げが良好な漫画でもあります。

遊人作品は、その多くが電子書籍化されていますが、その売り上げが良好な漫画家さんです。

電子書籍・電子コミックを多く取り扱うアマゾンのKindleでも、遊人作品が販売中です。

いままで、遊人作品を読んだことのない方も、今回、このサイトで

「遊人! 懐かしいなあ」

と思われた方も、ちょっとのぞかれてみてはいかがでしょうか?

1990年代初頭、代表作『ANGEL』に引き続いてヤングサンデーに連載された『Juliet』

そして、1995年から同じくヤングサンデーに連載開始された『桜通信』。

『桜通信』は全20巻と遊人作品として最長です。

ヒロインの春日麗、慶應義塾大学文学部に通う令嬢・四葉美咲子、麗の友人・夏樹香美、そして秋本美寿紀と登場する女性は、全員が人間的に魅力的です。
また、主人公・因幡冬馬と秋本浩司の友情も泣けます。

しかし、なぜ大学が慶應義塾大学と上智大学、専修大学、そして、K大学(おそらく駒沢大学)しかでてこないのか、疑問ではありました。

Twitterに続いて、『遊人楽園』以来の公式サイト『遊漫人』

1990年代後半、遊人さんは『遊人楽園』という公式サイトをお持ちでした。
クオリティの高いサイトであったと記憶しています。

それから、直接、情報を発信されることはなかったのですが、Twitterに続いて公式サイトが開設されました。

毎週金曜日更新で、過去の漫画や新作ネームが見られるようです。

また、ブログあり
(いきなり水木しげる大先生登場です)。

グッズ販売あり。
(サイトオープン2日目を待たずして、いきなり1点を残して売り切れてしまいました。1話○○万円の生原稿まで!)

どんなサイトに育っていくか、これから楽しみにしています。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
他にも楽しんでいただける記事があるかと思いますので、どうぞゆっくりご覧ください。

はる坊の雑記

ある昭和の〝のんびりサラリーマン〟のお話

我が道をゆく、昭和の〝のんびリーマン〟

はる坊です。

今回は、ある昭和のサラリーマンのお話をしたいと思います。

昭和のサラリーマンというと、よくいえば〝企業戦士〟。
悪く言えば〝モーレツ社員〟とか〝午前様〟とか。

とにかく、残業・休日出勤を厭わず(それどころか進んでやる)仕事が終われば、酒を飲み、たまの休みには疲れ果て、〝家族サービス〟どころではなく、自宅で一日中寝ている。

某総合電機メーカーで部長を務められていた方によると、

「仕事は早くて夜9時、遅くて0時までしていたな。もちろん、仕事が終わってそのまま家に帰るんじゃないよ。毎日、飲みに行くんだから。昔の人はよくお酒を飲んだよね」

とのこと。

〝働き方改革〟が声高に叫ばれる現在の感覚からすると、まったくもってとんでもない存在に映ります。

ですが、こんなサラリーマンも存在しました。

誰あろう、私の父親です。

昭和の〝のんびリーマン〟の人生

私の父親は、新卒で昭和30年代に某メーカーに入社しました。
なぜ、その会社に入ったかというと、特に理由はなかったようで、

「受けたら通ったから」

というのが、実際のところだったようです。

父の周囲に話を聞くと、

「試験日を間違えて、帰ってきた」

など、あまり就職に積極的ではなかった様子も窺えます。

ところが、3年も経たずにこの会社を辞めてしまいます。

「労働組合が幅を利かせていて、争議まで起こしていて、それが嫌になった」

そんな父は帰郷後、恩師に身の振り方を相談します。
紹介されたのは、なぜか薬局。
この薬局は、薬品製造業も手掛けており、のちにドラッグストアチェーンを展開することになります。

といっても、薬学部出身ではない父は本社勤めで、

「社長からあれをやれ、これをやれ」

と走りまわっていたそうです。

この薬局も性に合わずに退職。

その次に、金属加工メーカーに勤めますが、これもあまりよくわからない理由であっさりと退職。

さすがに、

「簡単に入って辞めてが癖になっている」

と親兄弟に怒られて、職探しの末、東証1部上場企業の関連会社に職を得ます。
時代は1970年代に入っていました。

この会社ではさすがに長続きして、定年退職まで勤め上げました。

これまで、数年間で職を変えているので、働くのが苦手で飽きっぽいのかと言われると、そうも言えないところがありまして、

「残業代が出ていた頃は、用がなくても残業していた。遅くまで会社に残っていると、やる気のある人間だと思われて係長になった。だけど、係長になったら管理職扱いで残業代が出なくなったから、会社にいても仕方ないから、定時になるとサッサと帰っていた」

「住宅ローン返済と小遣い稼ぎに、夜はレントゲンフィルムの配送をアルバイトでしていた。結構、いいお金になった」

要するに、サービス残業が嫌で嫌で、お金をくれないのなら、定時退社でアルバイトしよう、という人だったのです。

給料はそれほどでもなく、年収に関しては同世代にコンプレックスを持っていたようですが、私が成長していくに連れて、父も年功序列で係長から課長になり、最終的には次長になりました。

部長以上は、親会社からの出向・転籍で占められていた為、プロパー社員としては最高の役職に就けたわけで、管理部門では現場トップの役割でした。

週に2回は、直行で銀行に寄るため、出勤は遅く、週に一度は午後4時には帰宅していました。

忙しいのは決算のシーズンのみ。

何だかんだで、親会社がしっかりしていたので、のんびりとした社風も父には合っていたようです。

たしかに、我が家は裕福でもなく、贅沢な思い出は何ひとつもありません。
(家族での外食は1度だけ。家族旅行もしたことはありません。いつも旅行計画は時刻表のなかでした)

それでも、時間を見つけては、私を手近な場所に連れて行ってくれたのは、いまでも良い思い出です。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

はる坊の雑記

2020年も『はる坊の雑記』をどうぞよろしくお願い申し上げます。

はる坊です。

新年明けましておめでとうございます。

旧年中は、多くの方々に拙ブログをご覧いただき、また、お問い合わせ等もメールでいただき、本当にありがとうございました。

このブログを作って本当に良かったな、と実感した一年でありました。

2020年も変わらぬご支援、ご愛顧をお願い申し上げる次第です。

はる坊拝

メールをいただける場合はこちらまで。

info-harubou〒king-postman.com

※お手数をお掛けいたしますが、〒を@に変更していただきますよう、お願い申し上げます。
また、フリーメールや匿名でのメールには、お返信できかねる場合がございますので、あしからずご了承ください。

魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行

魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第4回

【連載】魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第4回

伝奇アクション・ファンタジー・SF小説家・菊地秀行について

はる坊です。

第1回・第2回・第3回に引き続き、『魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第4回』を掲載します。

お気に召していただければ、本当にありがたいです。

第3回よりかなり時間が空いてしまった事を、心よりお詫び申し上げます。

怒濤の時代

1986年に入ると、菊地秀行が活躍する舞台は更に増えていく。

朝日ソノラマで『吸血鬼ハンターD』『エイリアン』シリーズを書いていた菊地が、祥伝社ノンノベルから『魔界行』が上梓されたのが、1985年3月のことだが、それからの9ヶ月間で、祥伝社・光文社・講談社・徳間書店・角川書店からノベルス・文庫オリジナル作品を上梓していった。
この作品群は当然、書き下ろしであり、菊地の執筆量は激増していく。

1986年に入ると、菊地の執筆量は更に増える。
これまでの書き下ろしに加えて、雑誌連載を抱えるようになった為だ。

その雑誌連載も、〝短期集中連載〟がほとんどであり、菊地は月産900~1000枚という多産を強いられることになる。

最高時は一日で94枚『魔界都市〈新宿〉魔宮バビロン』執筆時。
ひと月では1050枚。
1ヶ月で350枚のノベルスを3冊書き下ろさなければならなかったとき。

上北沢のマンションで、都内のホテルでカンヅメになりながら、菊地は万年筆で原稿用紙を埋めていった。

自宅には担当編集者が待機して、24時間体制で菊地の原稿を待った。
編集者のなかには、読みにくい菊地の原稿を待機時間中に持ち込んだワープロで打ち直す者もいた。

この忙しい最中、夫人は編集者に夜食を振るまい、また菊地自身も気分転換も兼ねてインスタントラーメンなどを編集者に供した。

この時期、菊地のストレス解消法は、机に座ってエアガンで紙コップに向けて弾を撃つことくらいしかなかった。高級ホテルに入るのも気分転換にはなるが、そこで待っているのは仕事だ。

そして、食事にもこだわりがない。
「そこそこのものなら何でも美味いと感じる」とこの頃のインタビューで語り、ホテルのレストランや寿司店・和食の店に行くのも、“「ああいう店は接待で行くんだから。仕事関係とか友達とかおねえちゃんとか、おまえ(実弟・菊地成孔のこと)とか。そういうとき、相手にはビフテキでも何でも「はいどうぞ」だけど、俺はべつに何でもいいのよ」”(TBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」出演時)
休みはひと月に1日あるかないか。

取材を兼ねたアメリカ・カナダ旅行の際にも、菊地は原稿を書き続け、ファックスで日本に送り続けた。
超の付くほどの過密スケジュール。
しかし、これをこなさないと原稿が間に合わなかった。

ここまでくると、表現したい世界があり書くことが好きではないと、根を上げてしまう。

結果として、1986年に上梓された菊地秀行作品は17冊に及んだ。
加えて週刊少年チャンピオンでは、原作:菊地秀行 作画:細馬信一の『魔界都市ハンター』(全17巻)の連載も開始され、86年中に4巻まで刊行されている。

この時代、日本のエンターテインメント小説は、ノベルスで出版されることが多かった。
70年代後半から始まったノベルスブームが、エンターテインメント小説の軸であり、ハードカバーで出版される小説は現在よりも少なかった。

菊地の主戦場はこのノベルスだったが、ノベルス中心の小説家は、ハードカバーを出す小説家より、ひとつ低く見られていたのも事実としてあった。

菊地がこの時代、一流の売れっ子作家だったことは間違いのない事実だが、ノベルスデビューから日の浅い作家でもあった。
出版社側の要望で、当初の打ち合わせで決まっていた内容が変わることも珍しくなかった。

あるとき、菊地はついに悲鳴を上げる。

菊地ファンならおなじみであり、またお楽しみである「あとがき」に「もうこれ以上、書き下ろしは不可能です」と宣言したのだ。

菊地の要望を真っ先に取り入れてくれたのは徳間書店だったが、「だったら雑誌連載ならいいでしょう」と雑誌連載の数が増えていくことにもなった。

書き下ろし型の菊地だが、週刊誌・月刊小説誌を合わせて最高7本の連載を持つことになる。
売れている作家を、そう簡単に出版社・編集者は手放さない。

特に『妖魔』シリーズがヒットしていた光文社では、
『週刊宝石』『小説宝石』『宝石(月刊)』に菊地の作品が連載される有様だった。

この地獄のような状況でも、菊地は編集者から口々に発せられる「菊地先生、菊地先生」の大合唱と、振り込まれる多額の印税、そして、ファンからの手紙に支えられて次々に作品を放っていった。

1987年には、書き下ろしと雑誌連載をまとめたもので、年間21冊の菊地秀行作品が刊行されている。
※原作コミックは別。

ちなみに、1987年5月に公示された高額納税者(長者番付)・作家部門で、菊地は初のベストテン入りを果たす。

納税額は1億458万円で作家部門8位。
前年度の納税額3981万円より大幅に増えている。
菊地は1996年5月に公示された1995年分まで、以後10年間この長者番付・作家部門で5位~9位のあいだを維持し続ける。

『魔界都市ブルース』秘話

『魔界都市ブルース』といえば菊地の代表作のひとつであり、現在までに累計で700万部を突破している大ベストセラーシリーズである。

秋せつらやメフィストを始めとするキャラクターは大きな人気を得て、メフィストは『魔界医師メフィスト』として、1988年から角川書店・カドカワノベルスでシリーズ化され、その後、講談社ノベルス、祥伝社ノン・ノベルと出版社を変えながら現在も続くシリーズとなっている。

さて、この『魔界都市ブルース』シリーズだが、ずっと祥伝社ノンノベルで刊行が続いている。
祥伝社の小説誌『小説NON』(現在は休載中か?)に連載・掲載されたものか書き下ろしである。

しかし、第1作の「人形使い」だけは、徳間書店が刊行していた『SFアドベンチャー』1985年2月号に掲載されている。
そして、第2作は掲載されることはなかった。

菊地自身は「打ち切られた」と思っており、当時『SFアドベンチャー』編集長からは「菊地さん、朝日ソノラマでやってるようなのを書いてくれないか」という話があったと後年述懐している。

これは推測だが、1985年に徳間書店は文庫レーベルとして「徳間アニメージュ文庫」を創刊している。

このレーベルから出版されヒットしたオリジナル作品には、首藤剛志『永遠のフィレーナ』シリーズや、現在に至るまで、『女神転生』から『真・女神転生』『女神異聞録ペルソナ』『デビルサマナー ソウルハッカーズ』『ペルソナ』シリーズなどに派生して、累計720万本を超える人気ゲームシリーズとなっている西谷史『女神転生 デジタル・デビル・ストーリー』シリーズがある。

菊地の作風から、編集長は菊地作品をこのアニメージュ文庫のラインナップに加えたかったのかもしれない。

結局、菊地はその後、祥伝社からの執筆依頼の折、『魔界都市ブルース』の話を持込み、第2作「さらば歌姫」が『マガジン・ノン』1985年10月号に掲載される。

この作品に対する評価は『マガジン・ノン』編集部では絶賛に近いものだった。

翌月号から「仮面の女」「L伯爵の舞踏会」「影盗人」と短編掲載が続き、1986年4月に『魔界都市ブルース1(妖花の章)』として上梓され、当初は〝伝奇バイオレンス〟小説が主体の菊地作品のなかでは、地味な部類として見られて反響は少なかったが、次作となる『魔王伝』3部作(1986年7月・1986年10月・1987年3月)の刊行で、同人誌界で高河ゆんがパロディ本を出し人気を得たことから、同人誌業界に『魔王伝』ブームが起こり、本家である『魔界都市ブルース』の人気も確立されていく。

現在まで、『魔界都市ブルース』は映像化もコミック化もされていない。
アニメ化・コミック化を望むファンもいれば、原作小説だけで充分だというファンもいるだろう。

いかにクオリティの高いアニメ・コミックでも、すべての原作ファンを納得させることはできない。
ファンひとりひとりの心のなかに、それぞれの秋せつらがおりメフィストがいるのだから、原作が人気を得ているものを派生させ、高い評価を得るのは非常に難しいものだと感じる。

しかし、『魔界都市ブルース』については、過去に高河ゆんによるコミック化の話は存在した。
残念なことに、当時、菊地作品のコミック化は秋田書店に限定されており、この話は立ち消えになったという。

そのかわり、秋田書店では、『魔界都市ハンター』(全17巻)に続き『魔界学園』(全21巻・作画:細馬信一)が週刊少年チャンピオンで長期連載され、あしべゆうほが『Candle』で1987年~1988年に掛けて『ダークサイドブルース』のコミックを連載している。

嵐のような季節のなかで そして夢枕獏とのスタンスの違い

1980年代後半は、〝伝奇バイオレンス小説〟の時代だった。
そして『菊地秀行の時代だった』と言っても過言ではないと思う。

「夢枕獏の時代じゃないの?」

との声もあるかもしれないので、ここで菊地秀行と夢枕獏のスタンスの違いについて、すこし私なりの意見を含めて説明をしておきたい。

伝奇バイオレンス小説家としてデビューが早かったのは夢枕獏だった。
続いて、登場したのが菊地秀行だ。
これは〝夢枕獏が火を付けて、その火に菊地秀行が流れをつけた〟という当時の一文がすべてを語っていると思う。

夢枕獏は1984年に『魔獣狩り』(祥伝社 ノン・ノベル)『闇狩り師』(徳間書店 トクマ・ノベルス)で一気に人気を得た。
この作品はシリーズ化されベストセラーとなった。

このあと、夢枕は『獅子の門』(光文社)『大帝の剣』(角川書店)『餓狼伝』(双葉社)と伝奇バイオレンス小説を残しつつも、格闘小説の分野にも進出していく。

これには、夢枕獏がインタビューで語った次の言葉が、真だと感じる。

“「伝奇バイオレンスのブームが終わったら、いらない作家になるんじゃないかと思ったんです。そこで格闘小説を書きたいと編集者に言ったんです」”

また、1986年には「オール讀物」誌に『陰陽師』を書き始めている。
実際、この作品が注目されベストセラーとなるのは10年後のことだ。
それでも、夢枕獏は書き続けた。

“「ぼくの本は売れるものと売れないものの差が激しいんです」”

と別のインタビューで語り、

“「一番多い本で14万部。少ない本で2万部」”

と、新刊書に挟まれる夢枕獏事務所作成の小冊子「仰天・夢枕獏1号」に綴っている。
万部は初版部数を意味していると思う。

-ひとつのジャンルで飽きられる前に、自分の持ち味が出せる別のジャンルにも種を蒔き続ける。

これが、夢枕獏の基本的なスタンスではないかと思う。

1980年代、菊地秀行の月産原稿枚数が900~1000枚に及ぶ時期があったと前述した。
夢枕獏も毎月500枚~800枚の原稿を書いていた。
これだけの原稿を書けば、刊行される本も多い。
だが、伝奇バイオレンス小説がコンスタントに売れる菊地秀行と売れない本も出していた夢枕獏では収入も違っていた。

毎年、作家部門ベストテンに名を連ねた菊地と違い、夢枕は1985年分・1986年分でそれぞれ14位にランクインしてからは、姿を消している。
「税金を取られるくらいなら、ふんだんに経費を使ったほうがいい」と考えて、納税対象額を圧縮していたことも考えられるが、1989年には有限会社 夢枕獏事務所を設立しているのは、マネージメント体制を整える意味と節税のふたつの意味があったと推察する。

夢枕獏は、1990年代を迎える頃に、一度、月産200~300枚程度にペースを落としている。
これは、次の種を蒔くための準備期間が必要だったからだと思う。

そして、もうひとつは賞に関するスタンスだ。

菊地秀行は、現在に至るまで賞には縁がなく無冠を貫いている。

1986年に第17回星雲賞で『切り裂き街のジャック』(早川書房)が候補に挙がり、吉川英治文庫賞が創設されてからは、第2回から最新の第4回まで『吸血鬼ハンターD』(朝日新聞出版)が候補に挙がっているが、受賞には至っていない。
1990年代になり、ハードカバーで時代小説を刊行しているが、おそらく菊地自身は賞に対するこだわりや思いは、ないのではないかと推測する。

対して夢枕獏は、注目される作家となってまもない1984年に上梓した『悪夢喰らい』(角川書店)が、1985年3月に受賞作が発表された第6回吉川英治文学新人賞の候補に挙がっている。
この時の受賞作は船戸与一の『山猫の夏』(講談社)だった。
このときの選評を見てみると、圧倒的な強さで船戸の受賞が決まっている。

このあと、1990年に『上弦の月を喰べる獅子』(早川書房)で第10回日本SF大賞を受賞するが、1988年と1989年にそれぞれ『歓喜月の孔雀舞』(新潮社)『鮎師』(文藝春秋)で泉鏡花文学賞の候補になっている。
『鮎師』は夢枕が4、5年の歳月を掛けて書かれたもので、バイオレンス描写はなく小田原での釣りと自然の描写に腐心して書かれた作品だ。
文藝春秋から刊行された本であることも加味すれば、当時直木賞候補になってもおかしくはない作品とも思える。

多少は文学賞を意識した作品だったとも読める。

夢枕獏は菊地秀行より作家デビューは早い。
1977年26歳の時のことだ。
そして、1981年に専業作家となったが収入は少なく、食事は夫人がアルバイトに出ていたパン屋の残り物で凌いでいたという。
夢枕のエッセイによると、“「売れない時期には、原稿料がもらえなかったこともある」”という。
1984年に一躍ベストセラー作家となっても、これまでの悔しかった経験は夢枕のなかに生き続けていたと私は思う。
そして、ノベルス作家が一段下の作家として見られることも感じていただろう。

夢枕の眼に文学賞はその悔しさを晴らす、手段に映っても不思議はない。
結局、夢枕は山本周五郎賞・直木三十五賞の候補に挙げられることはなかった。
だが、1998年に『神々の山嶺』(集英社)で第10回柴田錬三郎賞を受賞する。
このとき、夢枕獏47歳。
デビューが早かったとはいえ、40代後半での柴田賞受賞は早いほうになる。

その後2011年・2012年には『大江戸釣客伝』で第39回泉鏡花文学賞・第5回舟橋聖一文学賞・第46回吉川英治文学賞をトリプル受賞し、2017年には第65回菊池寛賞。2018年には紫綬褒章を受章している。
2010年代に入ってからは、一気に賞(章)に恵まれている。

伝奇バイオレンスの先駆者

ひとつのジャンルが盛り上がりを見せると、その場所に、別ジャンルを書いていた作家が参入することがある。

〝夢枕獏が火を付けて、その火に菊地秀行が流れをつけた〟このジャンルも例外ではなかった。

だが、このふたりの他に、現在まで伝奇バイオレンス小説を書き続けている作家がいるだろうか。
もしくは、伝奇バイオレンス作家として認知されている作家がいるだろうか。
鑑みたとき、この先達の偉大さに畏敬の念を感じずにはいられない。

1990年代に入ると、ノベルスは1980年代後半にデビューした綾辻行人・法月綸太郎・有栖川有栖らを嚆矢として〝新本格ムーブメント〟が起こり、京極夏彦・森博嗣が第二波として続いた。

もちろん、別のムーブメントが起こったからといって、1990年代に入り菊地秀行の人気がすぐ衰えたわけではない。
『魔界都市ブルース』シリーズの最高傑作『夜叉姫伝』(祥伝社 ノン・ノベル 全8巻)は、1989年から1992年に小説NONで連載後に刊行され、8巻にも及ぶ長いストーリーとなったが、「7巻よりラストの8巻のほうが、売れ行きがよかった」と菊地が述懐するほど、本人が誇れる作品であると同時に、読者にも大きな支持を受けた。

1993年に第1作が刊行された『ブルー・マン』シリーズ(講談社ノベルス)も人気を得た。

だが、菊地秀行作品の濃度と熱さは1980年代が頂点だった、と感じる。

注目を浴びる者の宿命ではあるが、当時、菊地秀行も夢枕獏もその作品が大勢の読者に受け入れられる一方で、的外れの非難を浴びることがあった。

「こういう小説が流行る風潮はよくない」

「新新興宗教にも影響を与えているのではないか」

これらの非難記事をよく読めば、菊地作品も夢枕作品にも目を通していないことがよくわかる。

菊地秀行と夢枕獏が与えた影響は、その後の小説・漫画・アニメ・ゲームだ。
もちろん、それらを創り出すクリエーターにも。
この影響は多大だ。

1980年代後半の嵐のような季節のなかで、菊地秀行はハイスピードで高クオリティの作品を発表し続けた。
クイズ番組に出演したり、三田佳子や黒木香と対談したりと、小説を執筆する以外の場に引っ張り出されもした。

菊地は1988年、以前に購入しておいた都下の土地に自宅を新築した。
白い外壁が印象的な邸宅だ。
人呼んで“「魔界御殿」”。

『バンパイアハンターD』をコミック化した鷹木骰子が菊地邸を訪れた際に、“「Dに出てきそうなおうち」”と巻末のコミックエッセイで表現しているが、まさにそのような印象を受ける。
インタビュー記事などで、自宅内の様子がわかるが、菊地テイストのグッズに囲まれている。

ちなみに、夢枕獏が小田原に建てた邸宅は、『魔獣狩り 淫楽編』の印税で購入したことから、“「淫楽御殿」”と呼ばれることになる。

久々の記事になったのにもかかわらず、最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

第5回がいつになるかわかりませんが、また書きます。
そのときは、どうかよろしくお願い申し上げます。

【モンスター企業】キーエンスと創業者・滝崎武光氏のまとめ

【2021年卒・2022年卒も注目!大学名は関係なく採用されています】 大学・大学院卒業生 大学別キーエンス就職実績一覧表

無名大学からキーエンス新卒採用はあるのか?

はる坊です。

今回は、キーエンスの新卒採用についてお伝えします。

2019年3月卒業の大学卒と大学院修了者の合算ですが、一流大学・有名大学以外からもキーエンスに採用されている学生はいます。

国立大学・MARCH・関関同立(同クラスの大学も含む)以外の採用者を大学別に見ていきます。

成蹊大学・・・2名

日本大学・・・4名

東洋大学・・・1名

愛知学院大学・・・1名

中京大学・・・1名

名城大学・・・1名

京都産業大学・・・1名

京都女子大学・・・1名

近畿大学・・・2名

どの学部から内定・採用者がでているのか?

東洋大学からは経済学部の学生。

愛知学院大学からは経営学部経営学科の男子学生。

中京大学からは経営学部の学生。

近畿大学からは法学部の学生。

が採用されています。

また、名城大学では2019年3月卒業生に続いて、2020年3月卒業見込みの法学部生が内定を勝ち取った模様です。

このデータを見ていきますと、いわゆる『学歴フィルター』による選別は、キーエンスではおこなわれていないことがわかります。

採用実績としては、国公立大学上位校・早慶上理・MARCH・関関同立以上の学生が数の上では多いことは確かです。

しかし、日東駒専・愛愛名中・産近甲龍クラスの学生も内定を勝ち取り、就職しています。
チャンスと可能性はあるのです。

最近は、入試でも就職でも安全志向が高まっており、

「『学歴フィルター』で落とされるからエントリーしない」

「どうせ一流企業・大企業は無理」

「自信がない」

「自分は○○大学だから・・・」

などの理由で、最初からその大学のレベルで内定を獲得できそうな企業を狙う学生も増えていますが、大企業・一流企業を最初から諦めるのはもったいないことです。

新卒就職のチャンス人生で一度きりです。
だったら、キーエンスに限らずですが、どんな有名企業・大企業でも、自分がすこしでも、

「行きたいな」

「働きたいな」

と思う企業があれば、挑戦してみたほうが、絶対にいいです。

何かをしなかった後悔は、ずっと続きますから・・・

後悔のない就活を実現するあなたの味方 click!

キーエンスの新卒採用についての考え方

キーエンスの採用についての考え方について、創業者で現在は名誉会長を務められている滝崎武光氏が、興味深い発言をインタビューのなかでされているので引用します。

「偏差値の高い学生と低い学生を100名ずつ採用して、キーエンスで仕事をしてもらったら、偏差値の高い学生のほうが成果を挙げています。しかし、地頭の良さは別です」

要するに、学力の高い学生を評価するものの、それは全てではなく、地頭の良さ・キーエンスに向いている学生という要素も充分に加味して、採用活動をおこなうのが基本路線であると考えることができます。

よって、世間的に偏差値の低い大学であっても、キーエンスに採用される可能性は充分に残されているわけです。

また、リード電機という社名だった当時から、キーエンスに商号が変更され、大阪証券取引所2部上場から東京証券取引所1部上場を果たしてからしばらくのあいだ、1980年代から1990年代初頭のキーエンスの役員を調べると、東京大学法学部出身者もいれば、世間的に馴染みのない学校の出身者もいました。
このことも、滝崎氏が上記の考えを持つに至った理由ではないかと、私は感じます。

かつて、キーエンスは人材採用に頭を悩ませていた

いまでこそ、キーエンスは『モンスター企業』と呼ばれ、従業員の平均年収が2,000万円を超える企業になりましたが、1980年代は新卒採用でも中途採用でも、常に頭を悩ませていました。

離職率が高かったのです。

離職率の高さについては、キーエンスが1987年に大阪証券取引所第2部に新規上場する際にも、記者から指摘されており、滝崎氏は「改善している」と述べていますが、記者が質問事項に加えるほどですから、平均勤続年数が低い状況にあり、外部から投資対象として見た場合、不安要素であったことがうかがえます。

これは、

売上高ではなく営業利益・営業利益率を一番に考え、従業員に極めてロジカルな思考を求める滝崎氏の考え方に、経験者採用者を中心に、まだついていける風潮ではなかったこと。

また、

この時代には年間賞与も6ヶ月~7ヶ月分。

残業代もフル支給されていましたが、まだ、キーエンスの売上高は73億円(1987年3月期決算)に過ぎず、営業利益率は30%台後半とこの頃から高かったものの、激務に対して、給与も年収ベースでいくと他社よりも100万円ほど高い状況で、「割に合わない」と考える従業員が一定数おり

退職したのが要因と考えられます。

次に、この時代と現在のキーエンスの業績から、従業員に与えられるインセンティブを見ていきましょう。

1987年と2019年のキーエンスの従業員インセンティブの違い

1987年のキーエンス

1987年のキーエンスは従業員330名程度でした。
売上高73億円(1987年3月期決算)で営業利益率が38%と仮定します。そうすると営業利益27億7400万円。

このうちの10%を、インセンティブとして、従業員の給与と賞与に加算します。
ひとり頭の年間インセンティブは84万円ほど。

2019年のキーエンス

2019年6月17日に第50期有価証券報告書が、関東財務局長宛に提出されました。

連結決算ではなく、キーエンス単体の数字を見ていきます。

2019年3月期決算(2018年4月1日~2019年3月31日)
売 上 高:4,584億2,300万円
経常利益:2,902億3,800万円
従 業 員:2,388名

営業利益ではなく経常利益ですが、キーエンスの場合、毎年、営業利益と経常利益に大きな差違は見受けられませんので、経常利益率を算出しますが、経常利益率は63.31%です。

このうちの10%を、インセンティブとして、従業員の給与と賞与に加算します。
ひとり頭の年間インセンティブは1215万4020円になります。

単純計算ですが1987年と比較して、従業員に与えられるインセンティブは14.47倍に増加しています。

このインセンティブがキーエンス従業員の年収に反映されます。

キーエンスが高収入・高年収を誇る企業である秘密と理由がここにあります。

キーエンスの新卒採用について軽く触れます

キーエンスの新卒採用では、エントリーシートの提出はありません。
面接を重ねた選考をおこなっています。

第1次選考

まず、説明会に参加すること。
ここから選考がスタートします。

この説明会は、キーエンス本社ではなく、有名ホテルの大広間が使用されます。
4年制大学の卒業見込みであれば、どこの大学でも性別に関係なく、どなたでも参加できます。

これは、広く門戸を開いていることを学生にアピールすることも、狙いなのでしょう。

この説明会は、東京と大阪で複数回おこなわれます。

説明会終了後に、性格検査と20秒で自己PRを人事担当者の前でおこないます。
これが第1次選考です。

(ここは通過する学生が相当数います)

第2次選考

説得面接です
ここで、すでに営業力を図る段階に入っています。
「私は○○が嫌いです。そんな私を○○が好きになるように話してください」というものです。
面接官は、○○が嫌いだという理由を述べて、学生を説得しようとします。

ここで面接官に説得されてしまった学生は、ここで選考から落ちる傾向が強いです。
また、制限時間内に面接官を説得できなくても、学生側が面接官を○○好きになるよう話す内容によっては、次の選考に進む学生もいます。

第3次選考

第3次選考は、カメラ面接

カメラで学生の姿を360度映して、面接をおこないます。
これは、多面的に学生を評価する狙いがあります。ここで最終選考に残す学生が決められます。
(ここで一気にふるいに掛けられます)

最終選考

最終選考は、人事担当者と1対1での面接です。

ここでは、質問に対する回答について、かなり深いところまで突っ込まれます。

キーエンスに向いている学生かどうか?

キーエンスで働いていくことに必要なロジカルな思考の持ち主かどうか?

深いところまで突っ込まれ、突き詰められても破綻なく会話を成立させることができるかどうか?

これをクリアすれば、内定です。

キーエンス関係でおすすめする書籍

元キーエンス従業員の方が書かれた本で、最もオススメしたいのがこちらです。

次にオススメしたい、充分に一読の価値があるのがこちらです。

一橋大学イノベーション研究センターとキーエンスに長年在籍した方による共著です。
キーエンスの内部を知るには最もわかりやすいと思います。

ただ、『キーエンス~驚異的な業績を生み続ける経営哲学』というタイトルですが、『経営哲学』はどこにも書かれていません。

『経営哲学』を『経営目標』『経営手法』と読み替えるのが正しいと思います。
Kindle版しかありませんが、こちらもオススメできます。

他にも元キーエンスの方が書かれた本があります。
参考にはなりますが、あえてこの場でおすすめするのは、控えさせていただきます。

大学別 キーエンス就職実績一覧表

2019年3月卒業生の大学別キーエンス就職実績一覧表です。
大学か大学院修士か、学部・学科はどこかまでは記載しておりませんが、参考にはなるかと思います。

国公立大学

東京大学・・・9名

京都大学・・・8名

北海道大学・・・2名

東北大学・・・1名

大阪大学・・・5名

九州大学・・・1名

東京工業大学・・・8名

筑波大学・・・3名

千葉大学・・・1名

東京外国語大学・・・1名

首都大学東京・・・1名

横浜国立大学・・・3名

横浜市立大学・・・1名

大阪市立大学・・・1名

大阪府立大学・・・1名

神戸大学・・・1名

広島大学・・・1名

私立大学

早稲田大学・・・33名

慶應義塾大学・・・38名

上智大学・・・4名

明治大学・・・17名

青山学院大学・・・4名

立教大学・・・8名

中央大学・・・8名

法政大学・・・4名

成蹊大学・・・2名

日本大学・・・4名

東洋大学・・・1名

東京理科大学・・・1名

芝浦工業大学・・・1名

愛知学院大学・・・1名

中京大学・・・1名

南山大学・・・3名

名城大学・・・1名

同志社大学・・・19名

立命館大学・・・16名

関西大学・・・4名

関西学院大学・・・9名

京都産業大学・・・1名

京都女子大学・・・1名

近畿大学・・・2名

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

最初からキーエンスと創業者・滝崎武光氏について読んでくださる方はこちらから。


⇒資産約2兆円 キーエンス創業者・滝崎武光氏はどこまでもミステリアス①

元キーエンス従業員の方が書かれた本で、最もオススメしたいのがこちらです。

次にオススメしたい、充分に一読の価値があるのがこちらです。

一橋大学イノベーション研究センターとキーエンスに長年在籍した方による共著です。
キーエンスの内部を知るには最もわかりやすいと思います。

ただ、『キーエンス~驚異的な業績を生み続ける経営哲学』というタイトルですが、『経営哲学』はどこにも書かれていません。

『経営哲学』を『経営目標』『経営手法』と読み替えるのが正しいと思います。
Kindle版しかありませんが、こちらもオススメできます。

ドケチ術

【10月24日更新!】 最新版PayPay(ペイペイ)が使えるお店のまとめ 10月1日からがPayPay(ペイペイ)の本領発揮です!

10月5日更新! 最新版PayPayが使えるお店のまとめ

はる坊です。
PayPay使ってますか?

10月1日(火)から消費税が増税されました。(食料品等は除く)

8%から10%へ、2%の増税ですが、積もり積もると大きな金額になります。

これまで、消費税込みで1,080円で購入出来たものが、1,100円に。

10,800円で購入出来たものが、同じく11,000円に。

これは家計に大きな負担としてのしかかってきます。

しかし、PayPayを利用することによって、増税後もポイント還元でお得にお買い物ができます。

PayPayが使えるお店で、現金で支払ってしまうと、ポイント還元はありませんので、結果的に、電子マネー・電子決済でお買い物をする方よりも損をしてしまいます。

まだ、PayPayをご利用でない方は、スマホにPayPayのアプリをダウンロードされることをおすすめいたします。

現在、まちかどペイペイで、10%ポイント還元セール実施中!

全てのスーパー・専門店・サービス業者が対象ではないのが残念ですが、

paypayのまちかどペイペイ対象の店舗では、

10月1日 10:00~11月30日 23:59 まで、消費者還元事業から5%、paypayから5%(こちらは2020年6月まで実施)の

10%のポイントが最大で還元されるセールを実施中です。

スーパーマーケットや日常生活で必要な物を売るお店やサービスは、私たちの生活に欠かせないものです。
食料品・日用品などなど、家計簿をつけていらっしゃる方なら、一目瞭然ですが、節約をしていても、月の支出のなかで大きな割合を占めるもの。

それが、限られた店舗ではありますが、最大で10%ポイント還元されるというのは、大きいと思います。

そして、10月5日はpaypay1周年記念キャンペーンとして、スマホユーザー全員を対象にして、

1日だけの限定・店頭での限定になりますが、

paypay感謝デーがおこなわれ、最大で20%がポイントバック。

さらに、50回に1回の確率で10万円相当まで、全額が戻ってくるという大盤振る舞いが実施されます。

それでは、10月5日現在でPayPayが使えるお店をまとめましたので、ご参考にしていただければ幸いです。

※店舗状況により、導入日が変更になる場合もございます。詳細は各店舗までお問い合わせください。

最新版PayPayが使えるお店のまとめ

コンビニエンスストア

・セイコーマート

・セブンイレブン

・ファミリーマート

・ポプラ

・ミニストップ

・ローソン

・ナチュラルローソン

・ローソン100ストア

総合スーパー・ディスカウントストア

・アスタラビスタ

・スーパーアルプス

・イトーチェーン

・イトーヨーカドー

・ヨークマート

・スーパー魚長

・OKストア

・カブセンター

・ベニーマート

・近商ストア

・スーパーマーケットKINSHO pochette(ポシェット)

・グッディ

・KEIHOKU(京北スーパー)

・生活協同組合コープあいち

・コープさっぽろ

・コノミヤ

・ハローフーズ

・フレッシュマートワンダー

・サミット(サミットストア)

・スーパーベルクス

・サンプラザ

・スーパーマーケット サンプラザ

・サンフレッシュブルーム

・そうてつローゼン・

・シマホ(島忠・HOMES島忠)

・スーパーエバグリーン

・西友(SEIYU)

・SUNNY

・セキチュー

・大黒屋

・スーパーたじま

・ギガマート

・ギガパール

・ハローマート

ドラッグストア

・アインズ&トルベ

・アインズ

・LIPS and HIPS(リップスアンドヒップス)

・アカカベ

・ウェルシア

・ウェルシアダックス

・ハックドラッグ

・ハッピードラッグ

・B.B.O.N

・マルエドラッグ

・エバーグリーン(Evergreen)

・ドラッグ・イン・キムラヤ

・キリン堂

・サーバ

・クスリのアオキ

・GENKY

・コクミン

・ココカラファイン

・COSMETICS AND MEDICAL

・ゴダイドラッグ

・サツドラ(サッポロドラッグストア)

・サンドラッグ

・ドラッグ新生堂 くすりのハッピー

・スーパードラッグアサヒ

・スギ薬局

・ジャパン

・ツルハドラッグ

・ウォンツ

・杏林堂

・くすりの福太郎

・レデイ

・Wellneee

・B&Dドラッグストア

・SEIMS 富士薬品グループ

・ドラッグストア セキ(SEKI)

・TOMODS(トモズ アメリカンファーマシー)

・ドラッグイレブン

・メガ スーパードラッグ

・ビッグドラッグ

・コジマドラッグ

・Vdrag

・マツモトキヨシ

・くすりのスーパーdrag ハシドラッグ

・ププレ スーパードラッグ ひまわり

・薬王堂

宅配・デリバリー

・RAKURU(ラクール)

・ピザーラ(PIZZA-LA)

オンラインサービス、ネットショッピング

・Yahoo!ショッピング

・ヤフオク!

・ロハコ(LOHACO)

・Yahoo!占い

・Yahoo!ニュース

・ebookjapan

・Yahoo!ゲーム

・DiDi

ファミレス・ファストフード・焼肉・しゃぶしゃぶ・回転寿司・カフェ

・ALOHA TABLE

・七輪焼肉 安安

・上島珈琲店

・キーズカフェ

・キッチンオリジン

・れんげ食堂 Toshu

・牛角

・フレッシュネスバーガー

・かっぱ寿司

・ステーキ宮

・しゃぶしゃぶ温野菜

・牛カツ京都勝牛

・サーティワンアイスクリーム

・シカゴピザ

・ストロベリーコーンズ

・TEXMEX FACTORY

・にくスタ

・TGI フライデーズ

・WANG’S GARDEN

・デリズ

・ナポリの窯

・ピザクック

・ピザポケット

・ピザリトルパーティー

・bb.q OLIVE CHICKEN café

・ファーストキッチン

・ウェンディーズ

・ファーストキッチン

・本棚珈琲

・松屋

・とんかつ松のや

・モンテカフェ

・焼肉万里

・吉野家

家電量販店

・エディオン

・100満ボルト

・ケーズデンキ

・デンキチ

・パソコン工房

・グッドウィル

・PC DEPO(ピーシーデポ)

・ビックカメラ

・コジマ

・ソフマップ

・ペイシア電器

・ヤマダ電機

・ツクモ

・ベスト電器

・マツヤデンキ

・ジョーシン

書籍

読書家の皆さんにも、Paypayは強い味方です。

・とらのあな

・ブックファースト

・古本市場

・らしんばん

・LIBRO(リブロ)

・あゆみBOOKS

・オリオン書房

・Carlova 360

・パルコ ブックセンター

・文喫 BUNKITSU

・文禄堂(ぶんろくどう)

・mio mio

・よみよむ

・Wonder GOO

飲食店・居酒屋

モンテローザ系列・ワタミ系列でいち早く導入された印象があります。

・魚銀

・魚民

・魚萬

・濱焼 北海道魚萬

・横濱 魚萬

・カラオケ歌之助

・268円厨房 うちくる

・おいで屋ホルモン

・俺の串かつ黒田×炭火焼鳥めでた家

・くろ〇

・kocoroya(こころや)

・白木屋

・千年の宴

・豊後高田どり酒場

・月の宴

・月の花

・鶏のジョージ

・海鮮楽屋 福福屋

・みつえちゃん

・目利きの銀次

・めでた家

・モンテビア

・山内農場

・笑笑

・きんくら酒場 金の蔵

・アカマル屋

・月の雫

・炭火串焼 東方見聞録

・バリバリ鶏

・ITALIAN RESTAURANT & BAR GOHAN

・坐・和民

・鳥メロ

・ニッポンまぐろ漁業団

・ミライザカ

・和民

・磯丸水産

・餃子いち五郎

・餃子トラ五郎

・手羽先唐揚専門店 鳥良

・鳥良商店

・かんてきや

・黒崎再生酒場

・九州うまいもん酒場 SUSU

・和風居酒屋 月の庭

・鳥くらぶ

・銀天街1923

・博多再生酒場

・大衆炉端 フジヤマ桜

・ふっくら

・炭火居酒屋 炎

ぜひ、串カツ田中でも導入して欲しいのですが、現金主義に徹している以上、現段階ではないでしょうね・・・

ファッション

・earth music&ecology

・AMERICAN HOLIC

・E hyphen world gallery

・Green Parks

・Koe

・ジーンズメイト

・OUTDOOR PRODUCTS

・タカキュー

・GRAND-BACK(グランバック)

・DIESEL

・Mac-House

・はるやま

・パーフェクトスーツファクトリー

・Parade(パレード)

・パレット

・PINKHUNT(ピンクハント)

・BABY DOLL(ベビードール)

・ライトオン

※気になる、ユニクロ・GUですが、順次paypayが使用できる店舗を増やしている最中のようです。
どの店舗でpaypayが使えるか?

ユニクロのオフィシャルサイトに掲載されていますので、お近くのユニクロ・GUで使用可能かどうか、ご確認くださいますようお願いいたします。

百貨店・デパート・ショッピングモール

・oazoーオアゾ

・TOKIAートキア

・丸ビル

・iiyo!!(イーヨ)

・Marunouchoi BRICK SQUARE

・LANDMARK PLAZA QUEEN’S TOWER A

・新丸ビル

・二重橋スクエア

・CANAL CITY (キャナルシティ博多)

・Marinoa City FUKUOKA(マリノアシティ福岡)

・RIVER WALK(リバーウォーク北九州(

・木の葉モール橋本

・MIO TENNOJI(天王寺ミオ)

・羽田空港(日本空港ビルデング)

・阪急百貨店(Hankyu)

・阪神百貨店(HANSHIN)

・阪急メンズ館

・LA CITTADELALA(ラ チッタデッラ)

・maruya gardens(マルヤガーデンズ)

メガネ、コンタクトレンズなど

・アイメガネ

・OWNDAYS

・Zoff(ゾフ)

・武田メガネ

・中央コンタクト

・フラワーコンタクト

・コンタクトレンズ ハートアップ

・PARIS MIKIーパリスミキ

・眼鏡市場

・ALOOK(アルク)

・LENS STYLE(レンズスタイル)

・レンズダイレクト(LENS DIRECT)

・メガネサロンルック

・メガネスーパー(EYE CARE STATION)

・あなたの町のメガネ屋さんーシミズメガネ

・メガネのタカハシ

・H!YES メガネハウス

・メガネドラッグ

・メガネのプリンス

楽器・靴・サイクリング・専門店

・イシバシ楽器

・ウインザーラケットショップ

・カメラのキタムラ

・釣具のキャスティング

・ゲオ

・ゲオモバイル

・サイクルスポット

・ル・サイク

・サイクルベース アサヒ

・島村楽器

・シュープラザ

・セカンドストリート

・ソニーストア

・東京靴流通センター

・Chiyoda(チヨダ)

・ステップ

・駿河屋

・DULTON(ダルトン)

・つるやゴルフ

・POINT(釣具店ポイント)

・東急ハンズ

・フィッシング遊

カラオケ・映画館・レジャー施設関係

・淡路ファームパーク イングランドの丘

・カラオケ館

・Kid’s US.LAND(キッズユーエスランド)

・カラオケコロッケクラブ

・ジャンカラ

・タックルベリー

・CINECITTA’ (チネチッタ)

・東映太秦映画村

・ビッグエコー

・ヤフオク!ドーム

・よみうりランド

タクシー・レンタカー

・伊予鉄タクシー

・江の島タクシー

・オリックスレンタカー

・遠鉄タクシー

・勝山タクシー

・第一交通

・東海交通

・奈良近鉄タクシー

・日本中央

・三和交通

・ロイヤルリムジン

・オリエンタルタクシー

・ジャパンプレミアム

・ichinisan

旅行代理店・ホテル・旅館(宿泊施設)

・H.I.S(エイチ・アイ・エス)

・京王プラザホテル札幌

・京阪ホテルズ&リゾーツ

・ホテル聚楽グループ

・JRイン札幌

・JRタワーホテル日航札幌

・ホテルヴィスキオ大阪

・ホテルヴィスキオ尼崎

・ホテルグランヴィア大阪

・ホテルグランヴィア京都

・第一滝本館

・東横イン

・ホテルマイステイズグループ

・ホテル日航新潟

・ホテルモントレグループ

・ワシントンホテルプラザ

・R&Bホテル

公共料金請求書の支払い

・東京電力

・中国電力

・九州電力

・東京ガス

・広島ガス

・東京都水道局

※10月以降になりますと、全国各地の約300の地方公共団体が、公共料金にPayPay支払いに対応予定です。
コンビニ等で、公共料金をお支払いの方は、請求書が届けば、自宅で支払えることになり、便利です。

お引っ越し・バイク用品・カー用品関係

・ash

・ダイアモンドアイズ

・アイ賃貸

・アリさんマークの引越社

・エンパイアー

・NPD 日本駐車場開発

・ニューヨークニューヨーク

・バイク王

・タイヤ&ホイール専門店 フジコーポレーション

・HEADLIGHT

・ライコランド

・ライフクリーナー

今後、導入予定のお店はどこだ? 一覧リストにしてまとめました

便利なPayPayを導入予定の企業・お店は以下のとおりです。
すでに実験的に導入している店舗もありますので、気になる場合は、その店舗に直接、問い合わせてみることをおすすめいたします。

・はなまるうどん

・ゆめタウン

・KASUMI(スーパーマーケット カスミ)

・ジョヴィ

・快活CLUB

・自遊空間

・アニメイト

・STELLA MAP cafe(ステラ マップ カフェ)

・タイトーステーション

・一軒め酒場

・だるまや水産

・養老の滝

・ロボ基地

・バラエティ厨房輪囲

・焼そばセンター

・白い恋人パーク

・ハッピードア

・うさちゃんクリーニング

・黒川クリーニング社

・グローバル治療院

・てもみん

・モーリーファンタジー

・PALO

・キッズーナ

・スキッズガーデン

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
10月からのお買い物にお役に立てば、何よりの幸せです。