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いまこそ日本マクドナルド創業者・藤田田(デンと発音して下さい)を再検証する。2019年4月13日「ユダヤの商法」復刊!

2019年4月13日 ついに藤田田『ユダヤの商法』復刊!

はる坊です。

長い間、謎だったことがあります。
それは、なぜあの本は絶版・品切れ中になったままなのか。

絶対に、ニーズのある本なのに、ご遺族の意向なのか?

その本は、1972年に発売され年間ベストセラーで第6位にランクインした、藤田田『ユダヤの商法』。

これほど普遍的な事柄を書いた本はないのに、いつのまにか書店・古本屋から姿を消して、古書は1万円以上の値が付く状態。

そんな本がようやくこの4月13日に復刊されることになりました。
題して、藤田田『
ユダヤの商法(新装版)

本当に嬉しいことです。

また、勝てば官軍(新装版)〝Den Fujitaの商法 〟シリーズも新装版が同時発売となります。

推薦文も幻冬舎社長 見城徹・SHOWROOM社長 前田裕二・AMF社長 椎木里佳・オリエンタルラジオ 中田敦彦と藤田田の本が好きそうなメンツが寄せています。

どの本も、読んで絶対に損をすることはありませんので、おすすめします。
『ユダヤの商法』と『勝てば官軍』が1,588円。
〝Den Fujitaの商法〟が各994円。

ハッキリ言って、書いてある内容に比べたら安すぎます。

特に『ユダヤの商法』は久留米大学附設高等学校に在学中だった、当時16歳のソフトバンクグループの孫正義を感激させ、どうしても藤田田に会いたいと電話を掛け続けるも、会ってもらえなかった為、アポなしで九州から東京へ飛行機で向かい、秘書との激しいやりとりの末に、ようやく藤田田本人との面会が叶い、

孫正義が放った「これからアメリカへ行って勉強してくるが、何を勉強したらいいか?」との質問に、

藤田田が「コンピュータだ。私が君の歳ならコンピュータをやる。これからコンピュータはどんどん小さくなっていく、その過程で絶対に儲かるチャンスがある」と答えたエピソードは有名です。

後日談として、ソフトバンクを成長させ、株式を店頭公開(現在のJASDAQ上場)を果たした孫正義が藤田田を訪ねると、藤田田は「あのときの少年か!」と感激して、早速ソフトバンクの300台のパソコンを発注したというええ話もあります。

ソフトバンクについては、後に孫正義の誘いに応じて社外取締役に就任しました。

藤田田の任期が終わったあと、社外取締役の後任となったのがファーストリテイリングの柳井正でした。挨拶に来た柳井に、藤田は「君が柳井君か。ええもんをやろう」といって手渡したのは、ハンバーガーの無料券数枚でした。

また、ユニクロの柳井正や少年時代の宇野康秀が愛読していたりと、現在活躍している実業家・経済人がむさぼり読んだ本として知られています。

藤田田(デンと発音して下さい)って誰?

まず、「藤田田(デンと発音して下さい)って誰?」という方のために、Wikipediaより高い精度のプロフィールを。

藤田田は1926年3月13日に大阪府大阪市に生まれました。(城東区生まれと淀川区生まれとふたつの記述があります)
父親はイギリス企業の日本支社で働く電気技師。母親は敬虔なクリスチャンでした。
3歳で吹田市千里山に転居して、小学校時代を過ごしますが、旧制中学受験に失敗。1年間の浪人生活を送る羽目になります。

1年後、再受験で旧制北野中学に入学。北野中には1年違いで手塚治虫が在籍していました。
北野中学を経て旧制松江高校に入学。ここで英語とドイツ語をマスターします。
卒業後は、東京大学に進学。

そして1945年8月、日本は敗戦を迎えます。
焼け野原の東京でひとりぼっち。

しかし、藤田田には感傷に浸っている暇はありませんでした。
戦時中に父親が亡くなり、学生でありながら残った家族に仕送りをしなければならない立場になったのです。

当時の東大生のアルバイトは家庭教師が中心でしたが、それでは自分の生活費と家族への仕送りはまかなえません。
そこで藤田は英字新聞で見つけたGHQの通訳募集の求人に臨んで、試験に合格します。

ところが、実際にアメリカ兵が使っている英語は学校で習ったものとまったく違うもの。
困った藤田は、将校に頼んで泊まり込みで実地の英語を勉強します。
半年ほどすると、英語が解り出します。

そして、ユダヤ人との付き合いも始まり、彼らにビジネスを教わります。

藤田田の東大時代は忙しいものでした。
朝は東大。
昼は銀座2丁目で始めたフジタ&カンパニーの仕事。
夜は進駐軍の通訳。

進駐軍の通訳の仕事は収入が良く、国家公務員の給与が1000円~2000円だった当時、月額1万円でした。

当時、三鷹に住んでいた太宰治との交遊も有名で、太宰治が玉川上水で入水を遂げた夜も一緒に飲んでおり、後年まで「あれは自殺ではなく、事故だった」と主張していました。

1950年に藤田商店を設立。(法人化は1960年)
国家公務員試験(高等文官試験行政科)を受け、大蔵省に合格しますが、辞退をして、1951年3月に東京大学法学部を卒業すると、実業の世界に飛び込んでいきます。

日本マクドナルドを始めるまで、藤田田が手掛けたのは高級雑貨の輸出入業でした。
クリスチャン・ディオールの正規輸入代理店を長く手掛け、東京タワーの蝋人形館も藤田田が手掛けた仕事のひとつです。

そして1971年渡米した際に、アメリカマクドナルドの創設者 レイ・クロック氏に会うことを勧められた藤田田は、50:50の合弁会社ならやるといい、レイ・クロックと合意します。

そして1971年三越銀座店の一角に日本マクドナルド一号店が開店。
瞬く間に大人気となり、1976年には100号店達成。
1979年に200号店達成。
1982年に300号店達成。
1984年に売上高1,000億円を突破。
1985年に500号店達成。
1987年に600号店達成。
1989年に700号店達成。
1993年に1000号店達成。
1996年に2000号店達成。
1999年に3000号店達成。

〝ハンバーガー王〟〝外食王〟と呼ばれるようになっていきました。

“「頭の悪い奴は損をする」”と断言した藤田田の凄さ

藤田田は生前、“「人生はカネや」”と公言していました。
しかし、金儲けだけの人間ではありませんでした。

現在、日本マクドナルドでは創業者である藤田田の影響力やイメージは消し去られてしまいました。
ここに『日本マクドナルド20年のあゆみ』に収められている「藤田田物語」には、真っ正直な藤田田の本音が綴られています。

“肉親の死を始め、同時代人の多くの死にも立ち会ってきました。そういった経験から、確信をもっていえることは、人間には裸で生まれて裸で死んでゆくという単純な事実しかないということでした。そうであるならば、今現在を精一杯生きてゆくこと、それが人生で一番大切なことではないかと思います。それが結果として金儲けにつながるのかもしれませんが、金儲けというのは結局は目的ではなく、チャンスを得るための手段ではないかと思います。(中略します)要は、目的を持って、1日1日を粘り強く生きていくことに、金儲けの本質があるのではないでしょうか”

お読みになっていかがだったでしょうか?

露悪的で、金の亡者的な発言や文章を残している藤田田ですが、本当は繊細で優しく、そして誰よりも勁い人間だったのではないかと思えてきます。
学生の身で父親を亡くし、学びながら家族を養ったこと。
東大法学部在学中に、光クラブ事件の山崎晃嗣や太宰治の死に出会ったこと。
そんななかでユダヤ人のたくましい生き方に出会い、やがては、“銀座のユダヤ人”を自称するまでになります。

藤田田の商法は、完全な合理主義と義理人情のバランスをうまく取るものでした。
そんな藤田田の名言を集めました

藤田田の名言集

・物事をひとつの角度からしか眺められない人間は、人間として半人前だが、商人としても失格だ。

・不況なんてみんな同じ。その中でどうすれば勝てるかや! 考えろ!考えろ!

・1円にこだわれ!もっと粘れ

・人間は忘れる生き物だから、24時間メモを取れ。

・その国の教育と商売はリンクして進まないといけない。早すぎても、遅すぎても駄目なんだ。

・人件費は投資。設備投資と同じで、絞れば会社は弱くなる。

・高い給料でも儲かる仕組みを作るのが社長の仕事。人件費を下げて利益を出したら社長とは言えん。
-藤田田が社長を務めていた1998年当時、マクドナルドの店長の平均年収は819万円。
20代後半の店長も少なくなかった。
もちろん、外食産業の中では際だって高い給与水準だった。

そして・・・

・凡眼には見えず、心眼を開け、好機は常に眼前にあり

総資産数千億といわれた大富豪・藤田田

藤田田は2004年4月21日、心不全のため78歳で亡くなります。
(70代を迎えても元気に、マクドナルドの社長・会長業に励んでいましたが、実は糖尿病と心臓に病を抱えていたようです)
2005年3月に遺産総額が公示されました。
その額491億円。
歴代6位の遺産額でした。
(ちなみに歴代1位はパナソニック創業者・松下幸之助氏です。2,450億円でした。)

そんな藤田田の資産は生前、1,500億円とも3,210億円とも伝えられていました。

一番大きかったのは、日本マクドナルド株ですが、長年に渡って、そのマクドナルドの売上の1%が契約役務・コンサルタント料として、藤田商店に入る仕組みになっていました。

またポテトの納入元が藤田田のファミリーカンパニーだったりと、個人で保有していた株式の他にも、現金が手元に流れ込む仕組みを作っていたことから、資産が膨大な額だと目され、また、日本マクドナルドがあれほどの大企業なのに東証1部ではなくJASDAQ上場となったのは、藤田田と日本マクドナルドの契約に不透明性があったからだと報じられました。

現在も、藤田商店は存在しており、息子さんが社長を務めていますが、デン・フジタやデン・フジタ興産といった無数にあったファミリー企業の多くは藤田商店に吸収合併されています。

息子さんは2人。藤田元(ゲンと発音して下さい)・藤田完(カンと発音して下さい)です。
元はジェネラル・将軍を意味する。
完はカーン・王様を意味する。

息子たちは、名前で得をするはずだ、と藤田田は生前に語っています。

ふたりとも成城大学出身という話がありますが、正確なところは、
どちらかが早稲田大学商学部卒業、そしてもうひとりが成城大学経済学部卒業。
日本マクドナルド2代目社長となった八木康行氏が成城大学出身だったのは、息子の友人であったことで藤田田と出会い、創業まもないマクドナルドに飛び込んだことが後の出世に繋がりました。

藤田田は、息子に日本マクドナルドを継がせることはありませんでした。
2003年に会長を退任するとき、取締役に就いていた息子も同時に退任しました。

日本マクドナルドは2000年にハンバーガーの価格を半額にして、一時は売上が好調に推移し、〝デフレの勝ち組〟ともて囃されました。
最安値でハンバーガー1個59円という時代がありました。

しかし、為替差損で2002年には初の赤字決算に陥り、ブランドイメージは落ち、決定的な打開策を見いだせないまま、2003年に藤田田は日本マクドナルドを去りました。

実は、この値下げ商法は自著『ユダヤの商法』に反したものでした。
彼自身が著書の中に安売り商法はしてはいけないと断じていたのです。
慢心したのか、それともこの時代は値下げしてモノを売る方法しかないと思ったのか・・・
永遠の謎ですが、現代に生きる私たちは『ユダヤの商法』を読んで、〝藤田田 金儲けの教え〟について学ぶべきところはしっかりと学ぶべきだと思います。

ゲーム業界昔話

【懐かしい1993年1月】株式上場していたゲーム会社各社の会社情報・役員・株主構成一覧

はる坊です。
今回は1993年にゲーム業界で上場していたゲーム会社の会社情報をご紹介したいと思います。

1993年1月 任天堂 役員情報

東京・大阪1部上場・京都上場
売上高:5075億円(1992年3月期)
営業利益:1403億6400万円(1992年3月期)
経常利益:1562億4700万円(1992年3月期)
従業員:890名(平均年齢35.8歳)
平均給与:352,675円
初任給:191,000円
30歳モデル賃金:315,000円

役員構成
社長:山内溥
常務:谷本克典 祖谷登希雄
取締役:福田博之 辻昭男 大西康博 荒川實
常勤監査役:近藤良明
監査役:稲葉實 澤井末造

株主構成:
山内溥 11.0%
京都銀行4.9%
大和銀行4.9%
東海銀行4.9%
三和銀行4.9%
東洋信託銀行4.4%
三菱銀行4.4%
中央信託銀行3.2%
住友信託銀行2.7%
日本興業銀行2.0%

1993年1月 コナミ(現・コナミホールディングス)会社情報

上場市場:東京証券取引所第1部・大阪証券取引所第1部上場
資本金:80億9600万円
売上高:470億8000万円(1992年2月期)
営業利益:81億1600万円(1992年2月期)
経常利益:81憶1900万円(1992年2月期)
従業員:641名(平均年齢28.0歳)
平均給与:308,875円
初任給:193,000円
30歳モデル賃金:305,580円

役員構成
会長:上月景正
社長:西村靖雄
専務:上月景彦
常務:藤田昌弘 今井中
取締役:矢野一夫 豊開壮吉 坂本進 五代友和
常勤監査役:井上更明
監査役:成瀬俊昭 森信静治

株主構成:
上月景正     13.6%
上月教育財団   13.4%
有限会社スリーケイ10.0%
住友信託銀行    5.6%
大和銀行 4.9%
さくら銀行 4.9%
あさひ銀行 3.4%
三菱信託銀行 1.4%
東洋信託銀行 1.4%
中央信託銀行 1.1%

1993年1月 カプコン会社情報

上場市場:店頭登録(JASDAQ上場)
資本金:65億6500万円
売上高:354億4500万円(1992年3月期)
営業利益:59億1400万円(1992年3月期)
経常利益:57憶3000万円(1992年3月期)
従業員:705名(平均年齢27.2歳)
平均給与:246,284円
初任給:188,000円
30歳モデル賃金:非公表

役員構成
社長:辻本憲三
専務:門脇精
常務:中村昌弘 置塩安雄
取締役:大島平治 中山喜仁 岡田光雄 濱田典彦 保木純夫 坂井昭夫 小沢吉郎
常勤監査役:黒田守男 來栖三郎
監査役:阿部幸孝

株主構成:
辻本憲三 41.8%
辻本美之  6.4%
辻本美佐子 6.1%
辻本春弘  6.1%
辻本良三  6.1%
富士銀行  1.8%
住友信託銀行1.6%
三菱銀行  1.5%
自社持株会 0.9%
大橋幸彦  0.9%

1993年1月 エニックス(現・スクウェア・エニックスホールディングス)会社情報

上場市場:店頭登録(現:JASDAQ上場)
資本金:37億9700万円
売上高:85億4400万円(1992年3月期)
営業利益12億0200万円(1992年3月期)
経常利益18億5200万円(1992年3月期)
従業員:142名(平均年齢29.3歳)
平均給与:270,061円
初任給:180,960円
30歳モデル賃金:280,240円

役員構成
社長:福嶋康博
専務:千田幸信
常務:前川敏雄
取締役:川口貴雄 才藤智宏 蟹江元 上條弘
常勤監査役:舟田正男
監査役:河野先

株主構成:
福嶋康博    46.6%
有限会社 福嶋 16.7%(現在の株式会社 福嶋企画)
福嶋美知子   5.9%
千田幸信    2.2%
三和銀行    1.9%
高野豊     1.8%
川口貴雄    1.8%
東洋信託銀行  1.6%
三菱銀行    1.3%
才藤智宏    0.9%

1993年1月 光栄(現・コーエーテクモホールディングス)会社情報

上場市場:店頭登録(現:JASDAQ上場)
資本金:70億4100万円
売上高:106億2000万円(1992年3月期)
営業利益36億2200万円(1992年3月期)
経常利益31億3000万円(1992年3月期)
従業員:258名(平均年齢26.9歳)
平均給与:271526円
初任給:189,000円
30歳モデル賃金:非公表

役員構成
社長:襟川陽一
副社長:襟川恵子
専務:江藤弘之
常務:堀口大典 丸山侑生
取締役:伊従勝 福井清之助 栗野敏和
常勤監査役:井上清栄
監査役:長堀守弘

株主構成:
有限会社 光優  53.2%
襟川陽一     14.8%
襟川恵子     11.8%
横浜銀行     2.7%
住友信託銀行   0.7%
田邊恵造     0.7%
従業員持株会   0.7%
富士銀行     0.6%
中央信託銀行   0.5%
日本BT信託銀行  0.4%

※日本BT信託銀行⇒日本バンカーズ・トラスト信託銀行

※セガ・エンタープライゼス、ナムコ、テクモ、ジャレコはもう少々お待ちください。
旧スクウェアの株式上場は1994年です。

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