早稲田大学

【連載】魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行

【連載】魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第2回

伝奇バイオレンス・アクション・ファンタジー・SF小説家・菊地秀行について

はる坊です。

第1回に引き続き、『魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第2回』を掲載します。

お気に召していただければ、本当にありがたいです。

売れないルポライター

ルポライターとなった菊地秀行は、取材に駆け回った。
初めて手掛けたのは、「スキー場の民宿百軒」という記事だった。
電話でスキー場近くの民宿に電話を掛け、

「雑誌に掲載するので宣伝になります。その代わり、読者割引をしてほしいんです」

と頼むのだ。

現在の『○○Walker』や『ランチパスポート』のような性質のものだろう。

取材の為には、あちこちを歩き回らなければならない。そして、取材対象者に会わなければいけない。

取材の中心は犯罪モノ・事件モノ・セックスモノなど多岐に渡った。

暴走族の群れに飛び込みで取材をおこなったり、阪神タイガースと西武ライオンズで活躍したホームランバッターのスクープをものにしたりと、データマンとしての仕事をこなしていった。

菊地にとって、仕事とはいえ興味のない事柄を取材して、相手にお世辞を言い、持ち上げながら話を聞くのは、苦痛以外の何物でもなかった。
経済的にも決して恵まれた日々とはいえなかった。

早稲田大学漫画研究会と立教大学漫画研究会を通じて知り合い、のちにゲームソフト『ドラゴンクエスト』の生みの親となる堀井雄二(1954年1月6日生まれ)や『桃太郎電鉄』の作者・さくまあきら(1952年7月29日生まれ)も大学在学中からフリーライターや放送作家としての活動をおこなっていたが、

“「月に50万円~100万円稼いでいました」”
(「家」の履歴書 堀井雄二(ゲームデザイナー)32歳で世田谷に一戸建てを購入。でもドラクエ御殿じゃないですよ 週刊文春1996年7月25日号)

“「寝る間もないくらい仕事を引き受けるの。僕らの仲間は全員20代で家を買ったよ」”
(『ゲームの巨人語録 : 岡本吉起と12人のゲームクリエイター (電撃文庫)』よりさくまあきらの発言 岡本吉起, 電撃王編集部 メディアワークス2000年5月刊)

と、フリーライターでも生活は充分に潤っていた。

事実、堀井雄二は『ドラゴンクエスト』で大ヒットを飛ばす前に、中古マンションを経て、32歳で世田谷区に36坪の新築一戸建てを購入し、さくまあきらも26歳で中古の一戸建てを購入している。

彼らは、編集者から仕事の相談を受けると、「あっ、こんな奴がいますよ」と自分の仲間のライターやイラストレーターに仕事を回し合っていた。

菊地にはないネットワークと営業力があった。

しかし、このルポライター時代に、菊地はその後の作家生活に必要不可欠な技術を身に付けていく。
原稿を締め切りまでに書き抜くことだった。
早く大量の記事を短時間で書き上げる。

菊地が書いた取材原稿は、編集部でチェックが入る。いつも指摘されるのは、「もっと具体的に書け」ということだった。
一種の娯楽として読まれる週刊誌に抽象的や哲学的な記述は必要ない。
この具体的に書くということは、取材記事執筆を通じて菊地の全身に染み込んでいった。

翻訳家志望

だが、菊地も貧乏ライター生活に手をこまねいていた訳ではない。
1977年に開講された漫画原作者・小池一夫の『劇画村塾』に入塾して1年間、原作科を受講している。
第1期生は約250名。

同期に、漫画家では高橋留美子・たなか亜希夫・山本貴嗣。
漫画原作者では、狩撫麻礼・工藤かずや・早乙女正幸。
また、フジテレビプロデューサーの岡正や小説家・占星術家の式貴士がいる。

前述したさくまあきらも編集者育成科を受講しており、第3期では堀井雄二も原作科に入塾している。

さくまあきらと堀井雄二は、卒塾後に漫画原作を手掛けている、堀井は本田一景というペンエームで、さいとうたかをの『ゴルゴ13』にも『サギ師ラッキー』(1984年10月発表作品)・『アイリッシュ・パディーズ』(1984年12月発表作品)・『イリーガルの妻』(1985年4月発表作品)・『弾道』(1986年1月発表作品)の脚本を担当している。

菊地は、漫画原作者コースを受講したものの、小池一夫に認められる成果は挙げられなかったようだ。
しかし、小池一夫の持論であり、のちにコミック業界に確立された『キャラクターが第一。キャラクターを起たせること』という教えは、菊地の作家生活において大きな影響を及ぼしている。

この頃、菊地は所属していたライターのグループから離れて、独り立ちをしている。
「週刊誌のルポライターは自分には向かない」と判断した結果だった。

菊地は趣味で古いホラー映画の8ミリフィルムを集めていた。
ルポライター時代の仲間が『JACKER(ジャッカー)』という雑誌の編集長を務めることになり、菊地は誌面でホラー映画の紹介グラビアを担当した。
このグラビアは一部の好事家に注目された。

そして、菊地は『宇宙船』を出していた朝日ソノラマにこのグラビア記事を持って、何か書かせて欲しいと営業に出掛けた。

『宇宙船』でも、菊地は仕事ができるようになった。
この朝日ソノラマとの縁は、作家・菊地秀行誕生に大きな役割を果たす。

菊地は作家になることを目指していた。
しかし、“「自信がなかった」”、と語っている。

山田正紀の登場も自信を揺るがす要因になった。
1974年に『神狩り』で作家デビューを飾った山田は、『流氷民族』(のちに出版された角川文庫版では『氷河民族』)で地歩を固め、立て続けに『崑崙遊撃隊』『謀殺のチェス・ゲーム』とSF小説・冒険小説を放ち続け、1977年の『火神(アグニ)を盗め』では直木賞候補に挙げられている。

菊地は、山田正紀の小説を発表当初読むことができなかった。
打ちのめされるのが目に見えていたからだという。
結果的には読んだが、2、3日は、アパートの天井を見ながらボンヤリと過ごした。

だがこれは、菊地に限ったことではない。
『新宿鮫』シリーズで一躍人気作家の仲間入りを果たした大沢在昌も、矢作俊彦の初期作品を読んで、衝撃のあまり2、3日寝込んだ経験を持っている。

菊地は、青山学院大学を卒業後も、山村正夫が主宰していた『推理文学会』に、竹河聖とともに同人として参加しており、何作かショートショートを書いている。

この頃、菊地は翻訳家になることを真剣に考え始める。
銀座のイエナ書店、そしてサンフランシスコへ行き、『ファンタジーエトセトラ』でどっさりと原書を購入した。

菊地は翻訳した作品を奇想天外、廣済堂、サンリオに持ち込む。

その結果、

1979年3月『オリンピック村の誘惑』ロビン・ヤング原著(廣済堂出版)

1979年5月『女医の部屋』マルコ・ヴァッシー原著(廣済堂出版)

1979年7月『課外授業』アルバート・リハイ原著(廣済堂出版)

1979年10月『舌戯』ジーン・ブレント原著(壱番館書房)

1979年12月『凍結都市』アーノルド・フェダーブッシュ原著(廣済堂出版)
※初のハードカバー

1980年7月『ザ・ワルチンブック』デヴィッド・ワルチンスキー原著(集英社)
※この作品は井上篤夫との共訳

1981年7月『メデューサの子ら』ボブ・ショウ原著(サンリオSF文庫)

1982年2月『パラダイス・ゲーム 宇宙飛行士グレンジャーの冒険』ブライアン・M・ステイブルフォード原著(サンリオSF文庫)

1982年3月『フェンリス・デストロイヤー 宇宙飛行士グレンジャーの冒険』ブライアン・M・ステイブルフォード原著(サンリオSF文庫)

1982年5月『スワン・ソング 宇宙飛行士グレンジャーの冒険』ブライアン・M・ステイブルフォード原著(サンリオSF文庫)

と、ハイペースで翻訳作品が本になり、生活も安定していく。

そして、この頃、通っていた伊藤昇の少林寺拳法の道場で知り合った女性と結婚をしている。
彼女にはふたりの兄がいた。長兄がニューヨークに滞在しており、次兄は菊地と同い年である出版社の記者だった。
菊地は、近しい職業の兄を持つ彼女に親近感を覚えたようだ。

同じ頃、菊地は同人誌『推理文学会』に『人でなし』という30枚ほどの作品を発表する。
この作品は、完全なエンターテインメントで菊地独特のエロスとバイオレンスが芽を出している。

この作品を、ある席で直接、褒めたのが川辺豊三という人物だった。
船乗りとして生活したのち、推理作家に転身した人物だ。
1997年に川辺が死去した際、菊地はノベルスのあとがきで、川辺との思い出を記している。
菊地にとって、『人でなし』を手放しで褒めてくれた川辺の存在と言葉は、創作活動において大きな支えだったのではないだろうか。

1982年9月30日『魔界都市〈新宿〉』で作家デビュー

フリーライター・翻訳家として活動中の1981年、菊地に転機が訪れる。
朝日ソノラマの『宇宙船』の編集者から「ソノラマ文庫に何か書いてみないか」と声が掛かったのだ。
菊地は早速ストーリーを作成して提出したが、これはあえなく没となった。
理由は、「長すぎる」。

その後、菊地は半年ほどのあいだ新たにストーリーを提出しなかった。
自負はあったが、没にされたことで一時自信を失ったのではないだろうか。

しかし、映画『ニューヨーク1997』にインスパイアされて、再度、小説に取り組むことになる。
この小説が出版されるまでには、紆余曲折もあった。

菊地の持ち味であるエロスとホラー要素が、「ソノラマ文庫の読者と合っていない」と編集者から指摘を受け、数箇所を削除しなければならなかった。
菊地には不愉快な出来事だっただろう。
しかし、菊地は指摘を受けた箇所を直して作品を完成させた。夫人の励ましもあったのだろう。原稿の清書では、半分を夫人がおこなった。

夫婦が一体となって完成させたといってもさしつかえない作品『魔界都市〈新宿〉』は1982年9月30日に発売となった。

菊地秀行33歳での作家デビュー。

初版は1万3000部。

9月25日生まれの菊地にとっては5日遅れではあったが、最高のバースデープレゼントだったのではないだろうか。

1ヶ月後には1万部の増刷が決まる。
当時のソノラマ文庫で増刷がかかっていたのは、『機動戦士ガンダム』のノベライズと高千穂遙の『クラッシャージョウ』くらいだった。

ソノラマ文庫編集部にとって、読者の反応は意外なことだったのではないか。

菊地は、ソノラマ文庫を戦場に次なる作品を放っていくことになる。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

第3回に続きます。

【連載】魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行

【連載】魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第1回

伝奇アクション・ファンタジー・SF小説家・菊地秀行について

はる坊です。

まずは、このふたつのエッセイの一部分を読んでいただきたいと思います。

まず、大学卒業を控えた時期のことを。

「会社員になれるとは思っていなかったが、かといって、所属せず生きていける自信もなかった。(中略)要するに誰と関わることもなく、最低の生活費を稼いでゴロゴロしていたかったのである。人生と戦うなんて真っ平であった(以下略)」
(週刊小説1986年2月21日号 「十五年前の私」 『人生と戦いたくなかった』より)

大学卒業後から作家デビューまでの10年間を振り返って。

「いつまでも忘れられない事実がある。一〇〇万円貯まらなかった。一〇年近い、ルポライター時代を通してである。当時の貯金通帳はないが、記憶によれば、七十万円がリミットであった。一〇年で貯金が一〇〇万円に遠い。私のルポライター時代を、寒々と象徴する事実である」”
(小説春秋 1987年6月号 『作家になるまえ』より)

このエッセイは、菊地秀行が作家となり、爆発的に人気を得た頃に書かれたものです。

1982年(昭和57年)10月に『魔界都市〈新宿〉』(朝日ソノラマ)で小説家としてデビューを果たし、『吸血鬼ハンター”D”』シリーズ 『トレジャー・ハンター(エイリアン)』シリーズで人気を得た菊地は、

1984年(昭和59年)2月に、祥伝社 ノン・ノベルからサイコダイバー・シリーズ『魔獣狩り 淫楽編』、続いて同年7月に『魔獣狩り 暗黒編』徳間書店 トクマ・ノベルスから『闇狩り師』、12月の『魔獣狩り 鬼哭編』を発表して、一躍ベストセラー作家の仲間入りを果たした夢枕獏に続いて、

1985年3月に祥伝社ノン・ノベルから刊行された『魔界行』

同年5月に光文社カッパノベルスから刊行された『妖魔シリーズ』の第1作『妖魔戦線』

同年7月に徳間書店 トクマ・ノベルスから刊行された『妖獣都市』で一躍、超人気作家の仲間入りを果たします。

『魔界行』『妖魔戦線』はすぐに10万部を突破、そして『妖獣都市』は一気に20万部を発行するヒット作になります。

1985年には15冊(原作担当のゲームブック『魔群の都市』・イラストノベル『夢幻境戦士エリア』を除く)。

1986年には17冊。

1987年には21冊(映画エッセイ集『魔界シネマ館』を含む)。

1988年には17冊。

1989年から2002年まで多い年には18冊、少ない年でも12冊を、ノベルスを中心に刊行し続け、2003年以降も旺盛な執筆量で作品を発表し続け、2017年2月に祥伝社 ノン・ノベルから上梓された『魔界都市ブルース 霧幻の章』で著作数は400冊となりました。

作家・菊地秀行の半生を振り返っていきます

2000年代中頃から、書店では菊地が作品発表の主戦場としてきた〝ノベルス〟の棚やスペースが縮小されていき(2019年現在においてノベルスは、少年ジャンプ人気作品のノベライズ版ジャンプ ジェイ ブックス(JUMP j BOOKS)が主流になりましたね)、それにつれて菊地秀行の名前を知らない、若い読書好きの方も増えているように感じます。

しかし、『涼宮ハルヒ』シリーズの谷川流

『空の境界』の奈須きのこは、

菊地秀行からの影響を公言していますし、意識をするしないに関係なく、菊地が1980年代後半から現在までのライトノベルコミックに与えた影響は多大です。

前述したエッセイと作家生活に入ってからのコントラストには驚かされるばかりですが、今回は、伝奇バイオレンス・ホラー・ファンタジー小説家として大きな足跡を残している菊地秀行の半生を振り返ってみたいと思います。

下記から、文体が変わりますが、お気になさらないでください。

港町・銚子

菊地秀行は1949年(昭和24年)9月25日千葉県銚子市に生まれた。
父は徳太郎・母は知可子。長男であった。
実家は、当時、歓楽街であった観音町で、昼間は食堂、夜は大衆割烹の呑み屋を経営していた。

徳太郎はこの店の三代目にあたり、当時は、祖父・源太郎が店のいっさいを仕切っていた。
母も寿司屋の長女として産まれており、飲食業に縁の深い一家、夫婦だったといえるだろう。

幼い頃の菊地は身体が弱かった。扁桃腺炎で週に一度は熱を出し、小学校を休むことが多かった。家で漫画雑誌を読むのを何よりの楽しみとしていた。

当時は、街に貸本屋があったが、銚子にはそれはなく、菊地は幼い頃から本屋ではいっぱしの顔であり、両親も、菊地が欲しがるものは何でも買い与えた。

そして、映画館。

店舗兼自宅近くに新東宝の映画館があり、菊地が店の手伝いで出前を持っていくことで、映画館主に顔を知られていた菊地は、タダで映画を見ることができた。
毎年夏に上映される怪奇・化物映画は菊地のホラー趣味を育んだ。

父・徳太郎もホラー映画が好きであった。
身体は弱いが、自分と同じ嗜好を持ちつつある息子・秀行を好もしく思っていたのではないだろうか。
ただ、同じ恐怖映画でも、菊地が好んだのは洋画であり、情念の世界である邦画のホラー物は肌に合うものは少なかった。

小学校高学年で扁桃腺切除手術をおこない、病弱さからは抜けだしたが、慣れ親しんだ趣味からは離れられなかった。漫画・SF小説、そして、映画に耽溺した。

また、実家が客商売をしていたこともあって、1953年(昭和28年)にはじまったテレビ放映後まもなく、テレビが店に置かれた。
一家に一台テレビがあるという状況から程遠い時代だった。
人々は、街頭テレビに熱狂した。
そんな時代からテレビで放送される番組に触れられたことも、のちの作家活動に影響を与えただろう。

菊地は『宇宙船エンゼル号の冒険』(1957年 日本テレビ)『海底人8823』(1960年 フジテレビ)『宇宙船シリカ』(1960年 NHK)『恐怖のミイラ』(1961年 日本テレビ)などを、記憶に残った番組だ、と後に語っている。

1960年、小学校5年生のとき、菊地は人生を決定づける映画に遭遇することになる。
ハマー・フィルム・プロダクション製作『吸血鬼ドラキュラ』(英・1958年)である。
実は、この映画が銚子で上映されるのは二度目だった。最初に上映されたのは、封切られた1958年か翌年の1959年だろう。

ただしこの時、菊地はこの映画を観ていない。
もし、菊地が少年時代にこの映画を観ていなかったら、もし観ていたとしても、もっとのちのことだったら、菊地の人生は変わっていたのかも知れない。

菊地の映画館通いは、銚子第三中学校に上がると、職員会議で問題になるほどだった。
学校では、中学生の映画館通いは禁止されていたのだ。
にも関わらず、堂々とひとりで行く。
菊地は勉強もキチンとしていた。そのアンバランスさが教師の目には余計に奇異に映ったのかも知れない。
菊地がどう言い逃げたかは定かではないが、教師の指導・注意だけで映画館通いが止まることはなかった。

上映後、菊地は海沿いを歩きながら、「俺だったら、あそこはああじゃなくて、こうするのにな」と想像に耽るのが楽しみでもあった。

当時の日本では西部劇がブーム(ウエスタンブーム)だった。
銚子の映画館で上映された『シェーン』(1958年米)『駅馬車』(1939年米)『荒野の決闘』(1954年米)『ヴェラクルス』(1954年米)『OK牧場の決斗』(1957年米)などの西部劇映画を菊地も楽しんだ。

また、漫画では横山光輝『伊賀の影丸』、そして小説では山田風太郎に熱中した。

実弟・菊地成孔の誕生

1963年(昭和38年)6月14日に弟の菊地成孔が誕生している。
菊地の兄弟は成孔だけだ。
だが、14歳も歳の離れた成孔の誕生は、〝恥かきっ子〟というわけではない。

現在、ジャズミュージシャン・文筆家として活躍している成孔がメディアで語っているので記すことにするが、菊地と成孔のあいだには4人の子どもがいた。

しかし、何の因果か全員が死産であった。

父・徳太郎は6人きょうだいの長男、母・知可子は9人きょうだいの長女という当時としてはあたりまえの大きょうだいと共に成長した。
自分たちも、多くの子どもを儲けることが当然だという考えもあったのだろう。
だが、現実はあまりに哀しいものだった。

また、父。徳太郎の女性問題もあった。
菊地も弟・成孔も母・知可子似である。

父は実業家然とした梅宮辰夫風の偉丈夫だった。
食堂兼大衆割烹料理の経営者・花板である父は、常に仕事姿を客に見られる立場にあった。
そして、酒を出す店という部分もあったのだろう。
彼に惹かれる女性は数多くいたようだ。
母・知可子は、そんな夫を責めたりはしなかった。代わりに夫に付きっきりとなり、他の女性を寄せつけない法を選んだ。

そんな現実も、少年の心に暗い影を落とし、漫画やSF小説、そして映画への耽溺を深くしたのではないだろうか。

このエピソードと語るにはあまりに酷な体験であったことは間違いない。

そして、『魔界都市ブルース』『吸血鬼ハンター〝D〟』シリーズなどに流れる菊地作品独特の哀切感も、この時代に観た映画の影響とともにこの体験から生まれた部分も少なからずあるのではないだろうか。

1965年(昭和40年)銚子市立銚子高等学校に入学した菊地は、ますます映画とともにSF小説に没頭していく。
ウィルマー・H・シラス『アトムの子ら』シオドア・スタージョン『人間以上』ロバート・A・ハインライン『夏の扉』、そして、レイ・ブラッドベリの『火星年代記』。
なかでも、ブラッドベリは菊地がもっとも影響を受け、作品に憧れる作家だった。

上京・大学進学

1968年(昭和43年)3月 銚子市立銚子高等学校を卒業した菊地は、東京で一年間の浪人生活を送ることになる。

父・徳太郎との約束は「法学部に入ること」だった。
これは、「法学部はつぶしが効く」といった理由ではない。
徳太郎は、自らが水商売に向いていないことを知悉していた。
本人は、「人を助け、ありがたがられる仕事がしたい。薬剤師になりたい。先生と呼ばれたい」と漏らしていた。

息子が法学部へ進学すれば、法曹への道があると思ったのだろう。
司法試験に合格して弁護士になるか、司法書士になって銚子に戻ってくれれば、「菊地先生」と呼ばれる息子の姿を見ることができる。
徳太郎は、そんな未来を想像していたのかもしれない。

徳太郎の「先生と呼ばれたい」という夢は、父が想像もしない形で息子ふたりが叶えることとなる。

1969年(昭和44年)4月 菊地は青山学院大学法学部に入学する。
法学部をいろいろ受けた結果、青学に滑り込んだ形だった。

入学後、菊地は推理小説研究会に入会し、その博識ぶりで会員たちを驚かせる。
菊地は、銚子時代に自分の趣味嗜好を話せる友人・仲間がいなかった。
だが、青山学院大学推理小説研究会においては、菊地は〝水を得た魚〟だった。

才能は自然と集まるものなのだろうか。研究会の同期には、『風の大陸』シリーズ『巡検使カルナー』シリーズで人気作家となった竹河聖(文学部史学科)、一年後輩には、在学中からSF作品の翻訳を手掛け、小説家として『幽霊事件』シリーズを執筆した風見潤(法学部卒業後、文学部英米文学科に再入学・中退)がいた。

菊地は、研究会の機関誌『A・M・マンスリー』において、〝きくち れい〟の名で作品を発表し始める。

意外なことだが、評論が中心で、創作も叙情的なショートショートだった。

また、行動力に富み、3年次には同会の会長に就任した頃には、研究会の顧問に山村正夫を迎え、新入生の勧誘、歓迎ハイキングにコンパ、そして夏季合宿と秋の学園祭の催しを率先しておこない会長職を全うした。

菊地の下宿は原宿にあった。六畳一間で家賃は1万円。

実家からの仕送りは4万円で、そのうち1万円は家賃に消えるので、自由に使える金は3万円ということになるが、菊地の大学在学中(1969年~1973年)の大卒初任給は、インフレ経済下で大きく上昇しているが(1969年 34,100円 1970年 39,900円 1971年 46,400 1972年 52,700円 1973年 62,300円[年次統計より引用])、決して、苦学生というわけではなかった。

菊地は、この頃から本格的に国内外のミステリー・ハードボイルド・SFを体系的に読み進めていく。
上京して、青学推理小説研究会を通じて、銚子では手に入らなかった作品、興味を持っていなかった作品にも出会うことになり、菊地の視野も広がったと考えられる。

大学に程近い場所にあった菊地の下宿は、研究会会員のあいだで〝菊地ホテル〟と呼ばれ、夕方から呑んで帰れなくなった会員たちの泊まり場となっていた。
菊地はこの頃から現在に至るまでアルコールを口にしないが、飲み会には積極的に参加して、ジュース片手に冗談を飛ばしながら、談笑していた。

この菊地ホテルに数度世話になったことがあるかもしれないとのちに語った竹河聖によると、

「菊池氏は厭な顔ひとつせずに彼等を泊め、時には夜食や朝食を振舞うのだった。毎日とは言わないが、かなり頻繁に、入れ替わり立ち替わりなのである。しかも下戸の菊池氏が酔っ払いを泊めるのだ。(中略)几帳面な菊池氏は、いつも部屋を清潔にしていたが、部屋に入ると、まず大きな本棚が目に付いた。おまけに、それには本が二重に詰り、はみ出したものもある。(中略)ブラッドベリとウールリッチをこよなく愛していた菊池氏の本棚には、私が未だ読んでいなかったものが数多く並べられていた。ここでも〝ムムッ、やるな〟である。」”
(『小説現代臨時増刊 菊地秀行スペシャル 新妖戦地帯+劇画・妖戦地帯&All ABOUT秀行』 竹河聖 『菊地秀行氏のこと あのころ、あるいは〝菊地ホテル〟』1986年10月15日 講談社より引用)

まだ、若者文化の発信地は渋谷ではなく新宿だった。
菊地は、当時の原宿を気に入ったのか、大学卒業後、3,4年のあいだ、この部屋で暮らしている。



菊地秀行 ルポライター時代

菊地は、就職をしなかった。
1社だけ創元新社を受けたが、倍率は100倍。敢えなく不合格となった。

ゼミは刑法だった。
入学当初は、父が希望したとおりの法律関係の職に就くことを考えていたのかも知れない。
ちなみに卒論は、“「犯罪の素質のある奴を早めに手をうってどうこうしちゃうのは是か非かっていうテーマでしたね。必死に捜したんですよ、趣味が出せる奴を。もう法律やる気なんかなかったですからね」
というものだったようだ。

大学卒業後、就職もせず、法律関係の専門職を目指すそぶりも見せない息子に、父・徳太郎はひとつの提案をおこなう。

「食堂兼大衆割烹料理店をやめるから、喫茶店にして、店を継げ。喫茶学校で勉強する金は出す」

菊地はその言葉に従って、喫茶学校に通ったが、途中で父と諍いが起こったことで、この学校に通うのを途中でやめてしまう。
以降、しばらくのあいだ実家とは気まずい関係が続いた。

菊地を心配したアパートの大家の紹介で、皿洗いのアルバイトを経て、大学の先輩が経営していた喫茶店の手伝いをしていた頃、別の先輩から、「ルポライターをやってみないか?」と声が掛かった。

菊地は、ライターの事務所に所属して、週刊誌のデータマンとして取材に駆け回った。

講談社が発行していた女性週刊誌『ヤングレディ』が主戦場だった。
集英社の『週刊プレイボーイ』や小学館の『GORO』の仕事もしていたようだが、講談社の仕事がメインだった。

『ヤングレディ』編集部で、菊地は意外な出会いをしている。
のちに芸能リポーターとして有名になる梨元勝と出会ったのだ。
梨本は、菊地に親しく声を掛けてくれたという。
当時、梨本は『ヤングレディ』の契約記者だったが、菊地は梨本を“「編集長だと思っちゃった」”と述懐している。

菊地は、この出会いに温かいものを感じたのだろうか。

作家デビューを果たし、1983年5月に上梓された、トレジャーハンターシリーズの第1作『エイリアン秘宝街』では、主人公・八頭大とコンビを組む太宰ゆきにこんなセリフを吐かせている。

「不潔。梨本さんに言いつけてやるから!」

しかし、菊地が小説家として独り立ちするまでには、まだまだ時間が必要だった。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

第2回に続きます。

参考文献・一部引用

菊地秀行『幻妖魔宴』(1987年8月25日 角川文庫

菊地秀行『夢みる怪奇男爵』(1991年1月30日 角川書店)

週刊小説1986年2月21日号 「十五年前の私」 『人生と戦いたくなかった』

小説春秋 1987年6月号 『作家になるまえ』

『小説現代臨時増刊 菊地秀行スペシャル 新妖戦地帯+劇画・妖戦地帯&All ABOUT秀行』(1986年10月15日 講談社)

『SFアドベンチャー増刊 夢枕獏VS.菊池秀行ジョイント・マガジン 妖魔獣鬼譚』
(1986年11月15日発行 徳間書店)

全日本菊地秀行ファンクラブ・編 菊地秀行学会・協力 菊地秀行・監修『菊地秀行解体新書』
(1996年4月15日発行 スコラ)

人物伝

大藪春彦本人の食事シーンは小説よりも奇なりだった!

小説の食事シーンは魅力的です

はる坊です。

映画やTVドラマで食をテーマにしたモノには人気があります。
その原作となっているのは、漫画や小説であることが多いです。
コミック作品がアニメ化されるのは珍しいことではありませんが、映画化やTVドラマ化されるのは、一般的にグルメものは視聴者にウケがいいと制作サイドが考えているからではないでしょうか。

漫画なら
『孤独のグルメ』(原作:久住昌之 作画:谷口ジロー)
『ワカコ酒』(新久千映)
『忘却のサチコ』(阿部潤)
『サチのお寺ごはん』(かねもりあやみ 原案協力:久住昌之 監修:青江覚峰)
『ラーメン大好き小泉さん』(鳴見なる)

などなど。

小説においても、
村上春樹や池波正太郎の料理や食事シーンの描写は特に巧みです。
村上作品の料理については『村上レシピ』として出版されていますし、池波正太郎はグルメについてのエッセイや生前愛した店をまとめた本も出版されています。

また、
『強運の持ち主』(瀬尾まいこ)
『食堂かたつむり』『喋々喃々』(小川糸)

の食に関するシーンは魅力的ですし、

『みをつくし料理帳』(高田郁)に至っては、この作品内に登場する料理のレシピ集『澪の料理帖』が出版されるまでになりました。

基本的に、作中の料理や食事シーンは、著者が、

「このキャラクターならこんなメニューが好きだろう。似合うだろうな」
とか、
「このキャラクターにはこういう料理を作らせたい」

という願望や読者サービスで描いているケースが多いのではないかと思います。
無論、作者の趣味・趣向が反映されていることはいうまでもありませんが。

大藪春彦作品は昭和時代を映し出す鏡

そんななか、日本におけるハードボイルド小説の先駆者である大藪春彦は、作中のキャラクターと作者自身を同化させている人物であったと思います。

『野獣死すべし』『蘇える金狼』『汚れた英雄』が代表作になると思いますが、早稲田大学教育学部英文学科在学中に『野獣死すべし』を発表して、一躍〝売れっ子作家〟となった大藪は、これまでの貧弱な食生活に復讐するかのように、好き放題に食材を買い込み、外食に出掛けます。

実際のところ、大藪自身は『野獣死すべし』がベストセラーとなり映画化された(大藪が映画化の際に受けとった原作料は大卒初任給1万3000円の時代に50万円でした)といっても、専業作家・筆一本の生活に不安を覚えて、教員免許取得を目指して都内の私立女子高で教育実習をおこなっています。

ただ、その実習で黒板に銃の絵を描いて女子高生相手に銃の構造を説明したところ、現場の教師に怒られたエピソードもあるようですが。
また、卒業論文も執筆しましたが、作家稼業が多忙になり、結局のところ教員免許取得はできないまま早大を中退しています。

さて、大藪作品の特徴は、銃やクルマなどのメカニックについての描写が延々と続くイメージがありますが、実際のところは、作中全体にあらゆるもののディテールが盛り込まれています。

例えば、1960年代に書かれた大藪作品を読むと、時代背景や舞台となった場所の様子が克明に書かれています。
1970年代に描かれた作品も同じです。

大藪春彦は作品執筆中に少しでも気になることがあると、徹底的に調べ、時には自ら赴いて場所を正確に確認することを怠りませんでした。

そして、これは食事に関してもです。

大藪春彦の食生活

大藪春彦は早大在学中の1958年(昭和33年)に『野獣死すべし』でデビューを果たし、一躍ベストセラー作家となると、23歳の若き青年作家は、小説執筆のエネルギー源として、買い物かごいっぱいに食材を買い込みます。

“「毎日、モツの焼き肉2キロ。カニだとでっかい毛ガニ三匹。マグロだとネギマ用の骨つき大なべにいっぱい」”
(引用:大藪春彦『荒野からの銃火』1979年 角川文庫より)

1961年(昭和36年)に、大藪は静龍子さんと結婚します。
龍子さんは日本大学文学部卒業後に、森脇文庫の『週刊スリラー』の編集者となり、大藪の担当編集者になったのが縁でした。

1996年(平成8年)2月26日に大藪春彦は61歳で亡くなります。
大藪と縁の深かった徳間書店では、その年の7月に『問題小説 増刊号 大藪春彦の世界』を出版しています。

この雑誌で、森村誠一と船戸与一が対談をしています。
そのなかで、大藪の早世を悼みながら、

“船戸:「前に大藪さんと対談したときに、新婚当初に夫婦ですき焼きとなるとだいたい一キロ肉を買ってきたというんですね。いくら何でも奥さんは、二百グラムも食えばいいと思うんですよ。そうしたらやっぱり大藪さんが八百グラム食っている(笑)」

森村:「めちゃくちゃなパワーですよね」”

という箇所がありますが、実際に大藪春彦と船戸与一が対談をした『諸士乱想 トーク・セッション18』(1994年 ベストセラーズ)を読むと、

大藪は、“「(龍子夫人と)ふたりですき焼きをするときには、肉を三キロ入れて食った」”

と語っています。

大藪春彦も船戸与一も故人となったいまでは、確認の仕様もありませんが、当時は、今よりも高級品だったすき焼き用の牛肉を大量に食べていたことだけは間違いないでしょう。

気に入った食材・食事には徹底的に凝る

イノシシのすき焼き

作家デビューを果たし、一躍流行作家となった大藪春彦は膨大な原稿を書きながら、狩猟にも精を出します。

あるとき、友人が和歌山県有田市にイノシシ猟に行き、大成果を挙げた報告を受けた大藪は居ても立ってもいられず、仕事を無理矢理に片付けて、勇躍、有田に向かいます。
大藪もイノシシ猟で大きな成果を挙げて、夜には地元の人と酒を飲みながらイノシシ肉を平らげます。

これが3日続いたあと、すっかりイノシシ肉を気に入った大藪は、お土産に大量のシシ肉を持ち帰り、東京でもイノシシ肉のすき焼きを楽しみます。

しかし、このときの大藪は鯨飲馬食で血圧が上昇していました。紀州でイノシシを追い続けていた3日間は汗まみれになって活動しているからいいのですが、東京で手先しか動かさない日々に戻ると、慢性的な睡眠不足と精神的な疲労もあり、大量の鼻血を鼻から吹き出す仕儀となります。
(イノシシ肉を大量に食べ続けると赤血球を破壊する作用があるようですね)

それでも、編集者は横で原稿を急ぐようにせっつきますが、ついに意識が朦朧としてきた大藪は病院に担ぎこまれて、1ヶ月ものあいだ、輸血を受ける羽目になります。
そのあいだも、大藪は口述筆記で仕事を続けなければなりませんでした。

世界中のチーズを味わう

1963年(昭和38年)頃には、チーズに凝ります。
世界中のチーズを収集して、グリュイエールをパンと同じ厚さに切ってロシアピクルスと一緒にサンドイッチにしてパクつきます。

しかし、ブルーチーズは分厚く切るのではなく、薄く切って2,3切れつまむほうが風味を味わえるとの結論に達します。

ちなみにチーズについては、一体どれだけの量を集めたのか、最後には冷蔵庫から耐えがたい肥だめのようなニオイを発し出したというオチがつきました。

BAR OYABU オーナーバーテンダー・大藪春彦

この頃には、酒も自家製カクテルに凝り出します。
ウォッカ・マルティーニ(ウォッカ・マティーニ)をストリーチナヤ(ストリチナヤ)のウォッカを2本分痛飲します。

また、自家製カクテルでは、ジンフィズに凝った時期もあり、各社の担当編集者は、バーテンダー・大藪春彦に付き合わされることになりました。

ボロニアソーセージ・レバーソーセージがお気に入り

また、ソーセージにも凝りました。
大藪はハムが好きではなく、ソーセージが大好物でした。
ソーセージのなかでも、ボロニアソーセージやレバーソーセージがお気に入りで、1万円分ほどを買い込んでは、3日と保たず食べ尽くしました。

ちなみにこの話は1966年(昭和41年)に発表されたものです。
当時の大卒初任給は24,900円。
そんな時代に、1万円分のソーセージを3日足らずで食べ尽くしてしまうエネルギーには驚かされます。

「男の料理は俺に任せろ!」シェフ・大藪春彦

大藪春彦は自分で料理をすることもありました。

自信のメニューはカツオのたたき、ビーフステーキ、ローストビーフ。

ときには、家族で、そして自宅に集った仲間に振る舞い。好評を博したようです。

自身の作品世界に登場する主人公・伊達邦彦 朝倉哲也 北野晶夫 西城秀夫 石川克也 杉田淳たちが好むメニューを大藪自身も好みました。

肉類だけではなく中華料理や魚介類も好物

元々、大藪は中華料理好きでしたが、香港に取材旅行に赴いた際に現地で味わった美味が忘れられず、帰国後は、“「同じような味にめぐり会いたい」”と横浜中華街を一軒一軒試し歩きます。
大金をはたいて、巡礼者のごとく中華街をうろつきますが、満足できる店が見つからず、ついにあるお店で〝アワビのハラワタのからあげ〟を見つけたときは、感動をしたようです。
(これは馳星周の『マンゴープリン』のエピソードと少し似ていますね。)

また、大藪春彦=肉類・ステーキというイメージがありますが、海産物も大好きで、新潟に猟へ出掛けた際には、寒ブリと子持ちスケソウダラ、そして越後米の味に感激しています。

ウニ・アワビ・エビなどは、わざわざ新鮮なものを求めて、海岸にある店に食べに出掛け、晩酌の肴に刺身を食べるときは、最低3人前を食べないと気が済みませんでした。

海外ハンティングと野性の味覚

大藪春彦は1964年(昭和39年)の終わりに、東南アジアとヨーロッパを訪れます。
そして、〝アブランド・ゲーム〟と呼ばれる、ヤマドリ・キジ・コジュウケイなどを標的とする猟にのめり込みます。

そして、1970年代に入ると、本格的に海外にハンティングに出掛けるようになります。

1972年 アラスカ

1973年 ニュージーランド・オーストラリア

1975年 アフリカ・ザンビア

1977年 モンゴル・ハエ・アルタイ山脈、カナダロッキー、モンタナロッキー

1980年 アフリカのサファリ

1981年 アメリカでシューティングツアーに参加

1982年に急性膵炎に倒れるまで、世界中で〝ザ・ビッグ・ゲーム〟を続けました。

そのなかで、野性の味に舌鼓を打ちます。

大藪曰く、

・ムース(大ヘラジカ)は、ステーキやカツレツにすると美味い。

・赤シカはステーキやシチューにするといい。ただしメス。

・ナイル川を泳ぐナイルワニの尻尾は、エビの味に似ている。

・象の鼻はゼラチン質。

・オーストラリアのオオトカゲのしっぽの蒸し焼きは、イカの生干しそっくりの味。

前述しましたように、1982年に大藪は膵炎に倒れます。そして、亡くなるまでに3度の入院を経験して、最後までこの病に悩まされることとなります。

晩年の大藪春彦は、酒もほとんど飲まず、タバコも1日5本までに制限されます。

それでも、退院後は、ラーメンを食し、やがて大盛りを頼むようになります。

最晩年は、自宅近くのそば屋の天盛りを好みました。(もちろん、大盛りです)

1996年2月26日 夕方近く 大藪春彦はこの世から旅立ちました。

享年61。

最後に食したのは、龍子夫人とともにした昼食で出された甘塩鮭でした。
自分のぶんを平らげると、龍子夫人の分まで手を付けます。

大藪春彦は、最後までグルマン・食いしん坊を貫き通しました。

大藪春彦の愛犬チリーも食いしん坊だった

大藪春彦は鳥猟の相棒として、チリーと名付けたセッターを千葉県のハンターから譲り受けました。

大藪の相棒として、そして猟犬としては優れていましたが、大藪が仲間と狩りに出掛けて、仲間が撃った鳥は口にくわえて戻ってこずに、土の中に埋めてしまうという癖もありました。

ある日、大藪が家族とともに自宅に戻ると、異臭が漂っていました。

チリーが大藪の酒の肴であるスルメを大量に食べて、水を飲み、胃の中で膨らんだスルメを吐き出していたからです。

ビックリする大藪家の面々をよそに、チリーは洋室でグーグーと大いびきをかきながらお休み中でした。

チリーは、大藪の晩酌風景を見ていて、スルメに興味を持ったのでしょう。

家庭に飼われる犬としては、少し間抜けな面があったようですが、チリーは大藪家にとってかけがえのない家族だった、と思います。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

昔の大学偏差値&学費

1965年(昭和40年)東京大学・京都大学・北海道大学・東北大学・名古屋大学・大阪大学・九州大学 高校別合格者数一覧表

東大・京大・北大・東北大・名大・阪大・九大 高校別合格者数一覧表です。

はる坊です。

今回は、1965年(昭和40年)の東京大学・京都大学・北海道大学・東北大学・名古屋大学・大阪大学・九州大学、いわゆる旧帝国大学の高校別合格者数をご紹介します。
東京大学合格者のベスト20校においては、現役生・浪人生別の人数もあります。

合格者の出身高校を見てみますと、現在でも偏差値の高い名門・伝統校が並んでいますが、私立高校よりも国公立高校出身者が多いことが判ります。

当時の大学進学率は17.0%(引用元『年次統計』)でしたが、地元の公立高校から一番近い難関国公立大学を目指すというのが、当時の大学進学のスタイルだったのではないでしょうか。

理由は、学費にあります。

1965年のサラリーマンの平均月給は30,300円でした。(引用『年次統計』より)

東大と早大・慶大の入学初年度学費を比べてみましょう。

東京大学

受験料:1,500円
入学金:1,500円
授業料:12,000円
施設費:0円
実習費:300円
諸会費:5,700円
入学初年度学費合計:21,000円

早稲田大学

受験料:5,000円
入学金:30,000円
授業料:50,000円
施設費:50,000円
実習費:0円
諸会費:5,200円
入学初年度学費合計:140,200円

慶應義塾大学

受験料:5,000円
入学金:70,000円
授業料:80,000円
施設費:25,000円
実習費:1,500円
諸会費:5,100円
入学初年度学費合計:186,600円

現在以上の差があることがわかります。

他の国公立大学も見てみましょう。
(音楽大学・美術大学は除きますが、医学部を含みます)

受験料:1,500円~2,000円
入学金:1,500円~8000円
授業料:12,000円
施設費:0円~24,000円
実習費:0円~4,000円
諸会費:0円~23,000円

他の私立大学も見てみましょう。

(音楽大学・美術大学・医学部は除きます)
受験料: 3,000円~8,000円
入学金: 15,000円~70,000円
授業料: 38,000円~90,000円
施設費: 0円~80,000円
実習費: 0円~20,650円
諸会費: 0円~28,650円

私立大学医学部はどうだったのか?

東京女子医科大学と久留米大学を見てみましょう。

東京女子医科大学

受験料:10,000円
入学金:150,000円
授業料:150,000円
施設費:350,000円
実習費:20,000円
諸会費:24,500円
入学初年度学費合計:704,500円

久留米大学医学部

受験料:10,000円
入学金:150,000円
授業料:150,000円
施設費:200,000円
実習費:10,500円
諸会費:42,100円
入学初年度学費合計:562,600円

1968年に廃止されましたが、インターン(〝診療実施修練〟)を終え医師国家試験に合格すれば、一人前の医師としてのスタートを切れますが、この学費は到底一般家庭では支払えるものではありませんね。

それでは、旧帝国大学の高校別合格者数を見ていきましょう。

数は少ないですが、名門校だけではなく、大学検定合格者・実業校(工業高校・商工高校)出身者もいます。

東京大学

日比谷高校・・・181名
(現役生:77名 浪人生:104名)

西高校・・・127名
(現役生:63名 浪人生:64名)

戸山高校・・・110名
(現役生:44名 浪人生:66名)

麻布高校・・・88名
(現役生:55名 浪人生:33名)

東京教育大学附属高校・・・87名
(現役生:55名 浪人生:32名)

新宿高校・・・71名
(現役生:29名 浪人生:42名)

東京教育大学附属駒場高校・・・69名
(現役生:53名 浪人生:16名)

灘高校・・・66名
(現役生:55名 浪人生:11名)

小石川高校・・・63名
(現役生:30名 浪人生:33名)

開成高校・・・55名
(現役生:35名 浪人生:20名)

浦和高校・・・52名
(現役生:24名 浪人生:28名)

湘南高校・・・51名
(現役生:25名 浪人生:26名)

旭丘高校・・・49名
(現役生:34名 浪人生:15名)

栄光学園高校・・・46名
(現役生:32名 浪人生:14名)

小山台高校・・・46名
(現役生:23名 浪人生:23名)

両国高校・・・42名
(現役生:21名 浪人生:21名)

上野高校・・・40名
(現役生:10名 浪人生:30名)

鹿児島ラ・サール高校・・・38名
(現役生:26名 浪人生:12名)

広島大学附属高校・・・34名
(現役生:23名 浪人生:11名)

東京学芸大学附属高校・・・33名
(現役生:16名 浪人生:17名)

武蔵高校・・・33名
(現役生:15名 浪人生:18名)

立川高校・・・29名
(現役生:10名 浪人生:19名)

高松高校・・・27名
(現役生:19名 浪人生:8名)

修猷館高校・・・24名
(現役生:12名 浪人生:12名)

天王寺高校・・・23名
(現役生:15名 浪人生:8名)

朝日高校・・・22名
(現役生:17名 浪人生:5名)

松本深志高校・・・21名
(現役生:12名 浪人生:9名)

小倉高校・・・20名
(現役生:13名 浪人生:7名)

長野高校・・・20名
(現役生:15名 浪人生:5名)

広島大学附属福山高校・・・19名

九段高校・・・18名

静岡高校・・・17名

前橋高校・・・16名

平塚江南高校・・・16名

富山中部高校・・・15名

金沢大学附属高校・・・15名

甲府高校・・・15名

岐阜高校・・・15名

合格者数:14名~12名

水戸第一高校

千葉高校

桐朋高校

愛光高校

舞鶴高校

熊本高校

甲府第一高校

神戸高校

操山高校

宇都宮高校

熊谷高校

浜松北高校

大手前高校

合格者数:11名~9名

盛岡第一高校

お茶の水女子大学附属高校

横須賀高校

上田高校

修道高校

鶴丸高校

新潟高校

富山高校

高崎高校

東海高校

住吉高校

北野高校

宇部高校

城南高校

大分上野丘高校

沼津東高校

高岡高校

時習館高校

甲陽学院高校

鳥取西高校

丸亀高校

土佐高校

甲南高校

合格者数:8名~6名

札幌北高校

仙台第一高校

福島高校

東京都立大学附属高校

成蹊高校

藤島高校

長崎東高校

大泉高校

横浜翠嵐高校

小田原高校

岡崎高校

明和高校

奈良女子大学文学部附属高校

今治西高校

久留米大学附設高校

芝高校

飯田高校

六甲高校

甲陽学院高校

淳心学院高校

明善高校

合格者数5名~4名

磐城高校

安積高校

長生高校

青山高校

長岡高校

津高校

広島高校

下関西高校

佐賀高校

長崎西高校

宮崎大宮高校

秋田高校

高田高校

太田高校

土浦第一高校

佐原高校

北園高校

豊多摩高校

駒場東邦高校

希望ヶ丘高校

川崎高校

聖光学院高校

豊中高校

高津高校

大手前高校

加古川東高校

出雲高校

浜田高校

徳山高校

合格者数3名以下(都道府県順)

【北海道】

札幌南高校

旭川北高校

室蘭栄高校

紋別高校

藤女子高校

帯広三条高校

砂川北高校

札幌第一高校

函館北高校

函館中部高校

北海道ラ・サール高校

札幌東高校

月形高校

釧路湖陵高校

美唄東高校

長沼高校

旭川東高校

苫小牧東高校

【青森県】

青森高校

弘前高校

八戸高校

三本木高校

【秋田県】

能代高校

横手高校

角館高校

大館鳳鳴高校

【岩手県】

水沢高校

花巻北高校

【山形県】

山形東高校

酒田東高校

【宮城県】

古川高校

角田高校

白石高校

石巻高校

【栃木県】

栃木高校

足利高校

佐野女子高校

栃木女子高校

佐野高校

大田原高校

茂木高校

真岡高校

烏山高校

【群馬県】

桐生高校

沼田高校

渋川高校

富岡高校

前橋女子高校

【茨城県】

竜ヶ崎第一高校

下妻第一高校

日立第一高校

【千葉県】

成東高校

匝瑳高校

木更津高校

安房高校

銚子高校

麗澤高校

市川高校

大学検定合格者

【埼玉県】

春日部高校

川越高校

不動丘高校

川越工業高校

【東京都】

富士高校

都立武蔵高校

成城高校

明正高校

広尾高校

北高校

駒場高校

三田高校

田園調布高校

暁星高校

武蔵丘高校

学習院女子高校

忍岡高校

城南高校

石神井高校

桜蔭高校

大崎高校

鷺宮高校

北野高校

隅田川高校

明星高校

東京大学教育学部附属高校

千歳高校

京華高校

北豊島高校

江北高校

自由学園高等科

桜町高校

法政大学第一高校

松原高校

国立高校

小松川高校

玉川高校

杉並高校

学習院高等科

千歳丘高校

【神奈川県】

関東学院六浦高校

浅野高校

鶴見高校

桜丘高校

金沢高校

横浜平沼高校

厚木高校

慶應義塾高校

横浜緑ケ丘高校

戸塚高校

フェリス女学院高校

神奈川商工高校

多摩高校

【新潟県】

柏崎高校

三条高校

佐渡高校

村上高校

新津高校

巻高校

六日市高校

【山梨県】

甲府高校

日川高校

石和高校

吉田高校

【長野県】

諏訪清陵高校

伊那北高校

【静岡県】

清水東高校

韮山高校

磐田南高校

榛原高校

掛川西高校

富士高校

浜松工業高校

【富山県】

桜井高校

砺波高校

新湊高校

魚津高校

【石川県】

輪島高校

小松高校

泉丘高校

大聖寺高校

津幡高校

七尾高校

【岐阜県】

大垣北高校

大垣南高校

【愛知県】

国府高校

半田高校

瀬戸高校

刈谷高校

一宮高校

滝高校

【福井県】

若狭高校

武生高校

【滋賀県】

彦根東高校

虎姫高校

膳所高校

【京都府】

日吉ヶ丘高校

洛星高校

洛北高校

洛西高校

同志社高校

鴨沂高校

綾部高校

朱雀高校

堀川高校

【大阪府】

大阪学芸大学附属高校池田校舎

三国丘高校

高槻高校

生野高校

寝屋川高校

富田林高校

大阪学芸大学附属高校天王寺校舎

市岡高校

八尾高校

【三重県】

四日市高校

伊勢高校

上野高校

【和歌山県】

桐蔭高校

星林高校

新宮高校

海南高校

田辺高校

橋本高校

南部高校

【奈良県】

奈良高校

天理高校

【兵庫県】

長田高校

姫路西高校

西宮高校

篠山鳳鳴高校

龍野高校

兵庫高校

小野高校

赤穂高校

三木高校

明石高校

尼崎高校

甲陽学院高校

【岡山県】

総社高校

高梁高校

倉敷青陵高校

津山高校

金光学園高校

児島高校

倉敷天城高校

岡山工業高校

【鳥取県】

倉吉東高校

鳥取東高校

米子東高校

【島根県】

益田高校

平田高校

松江南高校

【広島県】

呉宮原高校

呉三津田高校

尾道北高校

大柿高校

因島高校

広高校

広島学院高校

忠海高校

国泰寺高校

【山口県】

下松高校

山口高校

防府高校

豊北高校

豊浦高校

萩高校

柳井高校

大津高校

熊毛南高校

【香川県】

観音寺第一高校

三本松高校

坂出高校

善通寺第一高校

【愛媛県】

新居浜西高校

松山東高校

松山南高校

今治北高校

松山北高校

【高知県】

高知学芸高校

高知高校

【福岡県】

嘉穂高校

福岡高校

豊津高校

宗像高校

門司高校

伝習館高校

【佐賀県】

鹿島高校

武雄高校

伊万里高校

【長崎県】

大村高校

島原高校

佐世保北高校

佐世保南高校

諫早高校

長崎高校

長崎南高校

【大分県】

中津北高校

鶴崎高校

佐伯鶴城高校

中津南高校

鶴見丘高校

津久見高校

【宮崎県】

延岡高校

妻高校

真鍋高校

【熊本県】

天草高校

熊本マリスト学園高校

人吉高校

済々黌高校

【鹿児島県】

玉龍高校

加治木高校

【アメリカ】

キンガム高校

ワバッシュ高校

合格者総数:2827名(うち女子92名)

京都大学

天王寺高校・・・98名

大手前高校・・・76名

洛星高校・・・66名

北野高校・・・55名

神戸高校・・・55名

灘高校・・・53名

旭丘高校・・・51名

甲陽学院高校・・・51名

膳所高校・・・48名

高津高校・・・45名

姫路西高校・・・40名

住吉高校・・・37名

豊中高校・・・35名

鴨沂高校・・・34名

紫野高校・・・33名

茨木高校・・・27名

朝日高校・・・27名

岐阜高校・・・25名

高松高校・・・23名

堀川高校・・・22名

三国丘高校・・・22名

藤島高校・・・21名

嵯峨野高校・・・21名

桃山高校・・・21名

操山高校・・・21名

小倉高校・・・21名

朱雀高校・・・20名

東海高校・・・19名

静岡高校・・・18名

修猷館高校・・・18名

合格者15名~17名

金沢大学附属高校

修道高校

彦根東高校

六甲高校

桂高校

山城高校

市岡高校

長田高校

城南高校

熊本高校

合格者:14名~12名

広島学院高校

広島大学附属福山高校

丸亀高校

土佐高校

津高校

広島大学附属高校

松本深志高校

淳心学院高校

桐蔭高校

合格者:11名~10名

高岡高校

明和高校

奈良女子大学文学部附属高校

愛光学園高校

洛東高校

大阪学芸大学附属高校

合格者総数:2,310名

北海道大学

札幌南高校・・・126名

札幌西高校・・・113名

札幌北高校・・・107名

札幌旭丘高校・・・83名

小樽潮陵高校・・・79名

札幌東高校・・・49名

小樽桜陽高校・・・48名

旭川東高校・・・34名

旭川北高校・・・31名

函館中央高校・・・27名

北海道ラ・サール高校・・・26名

旭川西高校・・・26名

帯広三条高校・・・25名

岩見沢東高校・・・25名

江別高校・・・24名

帯広柏葉高校・・・24名

月寒高校・・・20名

岩見沢西高校・・・19名

滝川高校・・・19名

苫小牧東高校・・・17名

深川西高校・・・15名

函館西高校・・・15名

室蘭栄高校・・・14名

室蘭清水ヶ丘高校・・・14名

小樽千秋高校・・・14名

小樽緑陵高校・・・14名

函館東高校・・・13名

釧路湖陵高校・・・13名

合格者:12名~10名

北見柏陽高校

藤女子高校

留萌高校

芦別高校

合格者総数 1,880名

東北大学

仙台第一高校・・・166名

仙台第二高校・・・73名

山形東高校・・・48名

宮城第一女子高校・・・38名

盛岡第一高校・・・36名

秋田高校・・・31名

福島高校・・・30名

宇都宮高校・・・29名

水戸第一高校・・・29名

長野高校・・・29名

沼津東高校・・・27名

富山中部高校・・・26名

松本深志高校・・・25名

土浦第一高校・・・25名

八戸高校・・・24名

石巻高校・・・23名

静岡高校・・・23名

安積高校・・・22名

磐城高校・・・21名

古川高校・・・21名

合格者19名~15名

会津高校

東北学院高校

青森高校

高岡高校

大田原高校

前橋高校

熊谷高校

合格者14名~10名

甲府第一高校

浜松北高校

新潟高校

上田高校

栃木高校

北海道ラ・サール高校

弘前高校

酒田東高校

大館鳳鳴高校

鶴岡南高校

栄光学園高校

飯田高校

湘南高校

長岡高校

諏訪清陵高校

白石高校

合格者総数 1,867名

名古屋大学

旭丘高校・・・160名

明和高校・・・160名

東海高校・・・100名

岐阜高校・・・96名

時習館高校・・・68名

瑞陵高校・・・62名

刈谷高校・・・49名

岡崎高校・・・40名

大垣北高校・・・38名

一宮高校・・・38名

向陽高校・・・31名

四日市高校・・・26名

半田高校・・・25名

津高校・・・23名

桜台高校・・・23名

名古屋西高校・・・21名

横須賀高校・・・20名

合格者13名~10名

西尾高校

南山高校

熱田高校

岐阜北高校

滝高校

豊橋東高校

合格者総数:1346名

大阪大学

住吉高校・・・82名

大手前高校・・・78名

天王寺高校・・・75名

北野高校・・・70名

神戸高校・・・68名

豊中高校・・・55名

高津高校・・・50名

茨木高校・・・37名

甲陽学院高校・・・30名

灘高校・・・30名

大阪学芸大学附属高校・・・29名

奈良高校・・・28名

八尾高校・・・23名

高松高校・・・23名

畝傍高校・・・23名

三国丘高校・・・22名

兵庫高校・・・22名

池田高校・・・21名

市岡高校・・・19名

桐蔭高校・・・18名

藤島高校・・・17名

長田高校・・・16名

城南高校・・・15名

六甲高校・・・14名

合格者:13名・12名

新居浜西高校

東淀川高校

丸亀高校

修道高校

合格者:11名~7名

加古川東高校

淳心学院高校

今治西高校

愛光高校

今宮高校

土佐高校

県立西宮高校

伊勢高校

桃山高校

静岡高校

尼崎北高校

県立芦屋高校

広島大学附属福山高校

合格者総数:1,675名

九州大学

修猷館高校・・・183名

福岡高校・・・159名

大分舞鶴高校・・・54名

小倉高校・・・54名

明善高校・・・51名

上野丘高校・・・49名

鶴丸高校・・・46名

佐賀高校・・・43名

久留米大学附設高校・・・36名

宮崎大宮高校・・・30名

八幡高校・・・28名

筑紫丘高校・・・27名

甲南高校・・・27名

熊本高校・・・26名

別府鶴見丘高校・・・26名

東筑高校・・・24名

佐世保北高校・・・22名

門司高校・・・22名

若松高校・・・22名

宇部高校・・・21名

戸畑高校・・・21名

合格者:20名~15名

長崎東高校

嘉穂高校

長崎西高校

豊津高校

京都高校

玉龍高校

鹿児島ラ・サール高校

山口高校

徳山高校

下関西高校

済々黌高校

長崎南高校

田川高校

唐津東高校

合格者:14名~10名

伝習館高校

延岡高校

八幡中央高校

鞍手高校

武雄高校

三池高校

山門高校

大牟田北高校

加治木高校

築上中部高校

杵築高校

中津北高校

島原高校

山田高校

西南学院高校

福岡中央高校

宗像高校

合格者総数:1,768名

参考・引用元

『婦人倶楽部』(講談社 1965年6月)

昔の大学偏差値&学費

1962年(昭和37年)東京大学・一橋大学・東京工業大学・お茶の水女子大学・東京教育大学・早稲田大学・慶應義塾大学・東京女子大学合格・進学者高校別一覧表まとめ

1962年(昭和37年)4月 首都圏著名大学進学者を高校別にまとめたデータをご紹介します

はる坊です。

今回は、1962年(昭和37年)4月 首都圏著名大学進学者を高校別にまとめたデータをご紹介します。

現役生で、1943年(昭和18年)4月2日~1944年(昭和19年)4月1日生まれの方ですね。

現在、75歳~76歳。
〝後期高齢者〟の仲間入りを果たされてどう思われているのでしょうか。

過去何十年にも遡って東大合格者をまとめているところは多いですが、それ以外の大学進学者の出身高校のデータは、少し珍しいのではないかと思います。

東京都立高校の〝学校群制度〟導入前になりますので、私立高校より旧制中学校・旧制高等女学校(ナンバースクール)の流れを引く都立高校の強かったことがハッキリとわかります。

それでは見ていきましょう。

東京大学

日比谷高校・・・184名

西高校・・・121名

戸山高校・・・105名

新宿高校・・・92名

小石川高校・・・73名

麻布高校・・・72名

開成高校・・・67名

東京教育大学附属高校・・・60名

両国高校・・・58名

一橋大学

立川高校・・・20名

西高校・・・18名

小山台高校・・・11名

開成高校・・・9名

新宿高校・・・8名

上野高校・・・8名

桐朋高校・・・8名

両国高校・・・7名

豊多摩高校・・・7名

東京工業大学

小山台高校・・・38名

新宿高校・・・18名

立川高校・・・17名

開成高校・・・16名

上野高校・・・14名

両国高校・・・12名

麻布高校・・・11名

北園高校・・・11名

戸山高校・・・10名

小石川高校・・・10名

お茶の水女子大学

お茶の水女子大学附属高校・・・23名

女子学院高校・・・14名

駒場高校・・・9名

西高校・・・7名

三田高校・・・7名

東京学芸大学附属高校・・・6名

白鴎高校・・・6名

東京教育大学附属高校・・・5名

富士高校・・・5名

新宿高校・・・4名

竹早高校・・・3名

日比谷高校・・・3名

大泉高校・・・3名

東京教育大学

立川高校・・・15名

大泉高校・・・14名

小石川高校・・・12名

北園高校・・・12名

西高校・・・11名

両国高校・・・11名

豊多摩高校・・・10名

東京教育大学附属駒場高校・・・10名

千歳高校・・・9名

上野高校・・・9名

白鴎高校・・・8名

早稲田大学

早稲田大学高等学院・・・511名

小石川高校・・・79名

新宿高校・・・77名

立川高校・・・62名

戸山高校・・・56名

両国高校・・・54名

大泉高校・・・53名

西高校・・・53名

成城高校・・・51名

早稲田高校・・・50名

開成高校・・・50名

上野高校・・・49名

青山高校・・・48名

慶應義塾大学

慶應義塾高校・・・960名

慶應義塾志木高校・・・199名

慶應義塾女子高校・・・127名

麻布高校・・・103名

日比谷高校・・・82名

開成高校・・・74名

新宿高校・・・66名

西高校・・・63名

東京教育大学附属高校・・・53名

戸山高校・・・52名

小山台高校・・・52名

小石川高校・・・47名

東京女子大学

駒場高校・・・18名

女子学院高校・・・10名

富士高校・・・10名

西高校・・・9名

雙葉高校・・・8名

お茶の水女子大学附属高校・・・7名

桜蔭高校・・・6名

白鴎高校・・・5名

新宿高校・・・5名

三田高校・・・5名

日比谷高校・・・4名

戸山高校・・・4名

参考文献

『都立高校のすべてがわかる本』(山崎謙著 山下出版)

企業・公益法人編

安心して学ぶために。安心して学ばせるために。親子で見る大学進学 給付型奨学金完全ガイド【企業・公益法人の奨学金編】

安心して学ぶために。親子で見る大学進学 給付型奨学金完全ガイド【企業・公益法人の奨学金編】

親子で負担を感じずに、安心して学業に励むために給付金奨学金が存在しています

はる坊です。
大学進学に際しての奨学金には、返済義務のある〝貸与型奨学金〟と返済不要の〝給付型奨学金〟の2種類があります。

〝貸与型奨学金〟の場合は、卒業した6ヶ月後に返済が始まりますが、大学入学と同時に数百万円単位の借金を背負うのと同じ事になります。

そこで、返済の必要のない〝給付型奨学金〟情報が必要となってきます。

〝給付型奨学金〟は狭き門かもしれませんが、申し込めるものにはダメ元でも申し込んでみられるべきだと、私は思います。
月額・年額と給付期間は各法人によって異なりますが、大学生活において、貴重なお金になることは間違いありません。

今回は、企業・公益法人が実施している〝給付型奨学金〟情報をまとめました。
ガイドとなれば何より嬉しいです。

公益財団法人 栗林育英学術財団

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:
給付・支給額:月額25,000円
給付・支給期間:45ヶ月
人数:10名
申込時期:入学後
申込時期詳細:4月上旬~5月上旬
地域条件の有無:北海道
給付資格・条件:経済的に困難な者・学校長の推薦が必要・※選考後、第2四半期より給付

公益財団法人 北海道文化財団

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:
給付・支給額:年額250,000円
給付・支給期間:正規の最短修学年限
人数:若干名
申込時期:その他
申込時期詳細:秋~12月
地域条件の有無:北海道
給付資格・条件:将来の活躍が期待される道内在住または道内出身者を対象に、心身とも健全であるもの。経済困難な者(JASSO第1種奨学金を目安)。学業基準以上の者。学校長の推薦書または教員等からの紹介書等の必要書類を要する。※新入学生には入学奨学金(給付150,000円有り)

公益財団法人 みちのく・ふるさと貢献基金

対象の専攻分野:保健
対象専攻分野詳細:毎年4月1日に青森県内の大学の医学科に入学した学生。
毎年4月1日に青森県内の大学等の看護学科に入学した学生。
給付・支給額:医学科生 月額50,000円 看護学科生 月額30,000円
給付・支給期間:正規の最短就学期間
人数:1名
申込時期:入学後
申込時期詳細:6月1日~7月31日
地域条件の有無:青森県
給付資格・条件:学長または学部長が経済的な理由によって修学が困難と認めた者

公益財団法人 吉原育英会

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:
給付・支給額:月額20,000円
給付・支給期間:正規の最短修業年数
人数:1~2名
申込時期:入学後
申込時期詳細:4月~5月
地域条件の有無:青森県
給付資格・条件:青森県出身の生徒または学生である。
学業・人物ともに優秀かつ健康である。
学費の支弁が困難である。
卒業までの経済支援が必要。
在学学校長の推薦がある。

特定非営利活動法人 イワテスカラシップ

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:
給付・支給額:一律300,000円
給付・支給期間:認定時、入学時
人数:5名程度
申込時期:その他
申込時期詳細:1月
地域条件の有無:岩手県
給付資格・条件:経済困難な者。学校長の推薦が必要。1校1名。

公益財団法人 克念社

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:
給付・支給額:月額20,000円
給付・支給期間:修学年期間
人数:0名~5名
申込時期:その他
申込時期詳細:10月~11月
地域条件の有無:山形県
給付資格・条件:成績が抜群で優秀で経済的にきわめて困難な者。

公益財団法人 会津地域教育・学術振興財団

対象の専攻分野:理学
対象専攻分野詳細:コンピュータ理工学部1年生のみ
給付・支給額:30万円
給付・支給期間:1回のみ
人数:5名
申込時期:入学度
申込時期詳細:9月~10月
地域条件の有無:なし
給付資格・条件:成績優秀者・経済困難者・福島県以外の国内高等学校または中等学校の出身者・日本国籍を有する者または永住者、定住者、日本人の配偶者、子

公益財団法人 クリナップ財団

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:但し、医学・薬学・歯学系を除く
給付・支給額:月額20,000円
給付・支給期間:1年間(翌年度の再応募可)
人数:高等専門学校専攻科生を含めて25名
申込時期:入学後
申込時期詳細:4月1日~5月20日
地域条件の有無:福島県
給付資格・条件:福島県出身者で福島県内の大学に在学する、学業優秀で向上心旺盛ながら経済的理由で修学が困難な学生等
※他団体の奨学金との重複可

公益財団法人 東邦銀行教育・文化財団

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:四年制大学以上
給付・支給額:年額200,000円
給付・支給期間:4年間
人数:A.15名 B.10名
申込時期:その他
申込時期詳細:5月~6月
地域条件の有無:福島県
給付資格・条件:A.成績優秀で、経済的に困窮している者。各学校長の推薦が必要。
B.東日本大震災の被災者の子弟で、成績優秀で経済的に困窮している者。各学校長の推薦が必要。
※令和元年度奨学生募集終了(平成29年度~令和2年度募集まで4年間実施予定)

公益財団法人 青井奨学会

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:
給付・支給額:月額50,000円 入学一時金300,000円
給付・支給期間:4年生学部は48ヶ月。 6年生学部は72ヶ月。
人数:40名程度
申込時期:その他
申込時期詳細:高校3年に6月~7月
地域条件の有無:なし
給付資格・条件:応募には当財団指定の国公立高校3年に在籍している学生で、学校長推薦が必要。

対象となる学校の種類は、国公立大学と私立大学2校(早稲田大学・慶應義塾大学)

公益法人 伊勢丹奨学会

対象の専攻分野:教養・学際・その他
対象専攻分野詳細:商業・経済・経営関係学部
給付・支給額:月額30,000円
給付・支給期間:標準修業年限48ヶ月
人数:10名
申込時期:入学後
申込時期詳細:毎年春
地域条件の有無:なし
給付資格・条件:学業、人物ともに優秀、修学可能な心身で、学資の支弁が困難と認められる者
※国立・私立の7校指定校制度
※商業・経済及び経営関係学部

公益財団法人 江間忠・木材振興財団

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:森林・木材学分野
給付・支給額:月額20,000円
給付・支給期間:原則として採用から在籍期間終了まで
人数:18名程度
申込時期:入学後
申込時期詳細:4月~5月
地域条件の有無:なし
給付資格・条件:指定した学校に在籍する者。財団の定める学力基準・家計基準を満たす者
※指定校あり

公益財団法人 東京海上各務記念財団

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:文系(主に社会科学)と理系(除く医学部)の学部2年生
給付・支給額:月額45,000円
給付・支給期間:標準修業年限36ヶ月
人数:44名
申込時期:入学後
申込時期詳細:毎年春
地域条件の有無:なし
給付資格・条件:学業成績が優秀な者。学費支出が困難と認められる者。在籍大学の推薦を受けた者。

公益財団法人 中村積善会

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:
給付・支給額:月額30,000円
給付・支給期間:最低修業年限
人数:
申込時期:入学後
申込時期詳細:毎年春
地域条件の有無:なし
給付資格・条件:当会指定学校からのみ推薦を受け付けます。4月入学者。
※個人応募は受け付けません。

公益財団法人 日本財団

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:
給付・支給額:月額50,000円 入学一時金300,000円
給付・支給期間:学校正規の就学期間
人数:定めない
申込時期:随時
申込時期詳細:審査・手続きに4ヶ月~6ヶ月を要する
地域条件の有無:なし
給付資格・条件:保護者が犯罪被害に遭遇し、学費の支弁が困難になった家庭の子ども

公益財団法人 似鳥国際奨学財団

対象の専攻分野:なし
対象専攻分野詳細:
給付・支給額:自宅生月額50,000円 自宅外生月額80,000円
給付・支給期間:2年次より最短修業年
人数:大学及び大学院から計60名
申込時期:その他
申込時期詳細:2018年11月19日~2019年4月30日
地域条件の有無:なし
給付資格・条件:1.「日本国籍」を有する者。※「永住者」「定住者」を有する者も応募可能。
2.学部生:2019年4月1日より、大学学部課程1・2・3・4年に正規生として在籍する者
※それ以外の条件はホームページ募集要項を確認のこと。

最後までお読みいただいてありがとうございました。
これからも、給付型奨学金情報の充実に努めてまいりますので、よろしくお願い申し上げます。

※詳細につきましては、変更されている場合がございます。
最新の情報は、給付型奨学金を実施している各企業・各公益法人にお問い合わせを願います。

1970年代の話

1968年(昭和43年)主要国公立・私立大学入試難易度 偏差値代わりの難易度別18分類一覧表まとめ

1968年(昭和43年)大学入試難易度 偏差値に代わりに18分類一覧表をまとめました

はる坊です。

これまで、大昔の大学入試偏差値について、1972年(昭和47年)と1976年(昭和51年)の大学偏差値一覧表を掲載しました。
(各年のリンクを一番下に設けております)

今回ご紹介するのは、1968年(昭和43年)入試の大学難易度です。
残念ながら、偏差値ではなく18分類で難易度が示されています。

難易度は、1上位~6下位まで18段階です。

ニュースソースは、新宿高等予備校・駿台高等予備校・一橋学院・武蔵高等予備校・代々木ゼミナール・早稲田ゼミナール・早稲田予備校・大阪アベノYMCA学院大学予備校・近畿予備校などのデータから抽出されたものです。

当時の受験生は、現役生で1949年(昭和24年)~1950年(昭和25年)生まれの方になります。
現在は69~70歳。

ギリギリで『団塊の世代』に掛かっています。

ちょっと、頭の片隅に入れておきたいデータ

この年の18歳人口は236万人(出典:18歳人口と高等教育機関への進学率等の推移 – 文部科学省)

このうち大学進学率は19.2%。
現役生・浪人生を併せて、大学受験に臨んだのは83万人といわれています。

お金のほうに目を移しますと、国立大学の年間授業料は12,000円
対する私立大学の年間授業料は、平均ですが文系で74,100円、理系で99,800円
随分と差があります。(出典:年次統計)

国公立大学の難易度が私立大学に比べて格段に高い理由は頷けます。
国公立大学が絶対的に優位な時代だったことが読み取れます。

私立大学の動きとしては、早稲田大学・慶應義塾大学に次いで上智大学が人気を集め、学生運動が華やかな頃であった為、学生運動にあまり関わりの少なかった成蹊大学や武蔵大学といったごぢんまりとした大学が見直された時期でもあるようです。

また、関西では学費の安さを武器に立命館大学の人気が上がってきた頃でもあります。

1968年の社会で身近な出来事としては、

・日清食品が『出前一丁』を、大塚食品が『ボンカレー』を、明治製菓『カール』をサンヨー食品が『サッポロ一番 みそラーメン』をそれぞれ発売開始。

・『ビッグコミック』『週刊少年ジャンプ』創刊。

・トヨタ自動車がコロナマークIIを発売開始。

・いすゞ自動車が117クーペを発売開始。

・川端康成がノーベル文学賞を受賞。

・東京都府中市で、迷宮入りとなった三億円強奪事件が発生。
・和田アキ子デビュー。

という年でした。

それでは、1968年の大学難易度ランキング表をご覧ください。

1968年(昭和43年)入試 国公立文科系大学難易度ランク一覧表

国公立大学文科系難易度 1上位ランク

東京大学文科一類 

東京大学文科二類 

国公立文科系難易度 1中位・下位ランクとも該当なし

国公立大学文科系難易度 2上位ランク

東京大学文科三類

一橋大学商学部

一橋大学大学経済学部

一橋大学法学部

お茶の水女子大学文教育学部

京都大学法学部

京都大学経済学部

国公立大学文科系難易度 2中位ランク

東京外国語大学外国語学部

大阪大学法学部

大阪大学経済学部

国公立大学文科系難易度 2下位ランク

東北大学法学部

東北大学経済学部

一橋大学社会学部

お茶の水女子大学家政学部

京都大学文学部

九州大学法学部

九州大学経済学部

国公立大学文科系難易度 3上位ランク

北海道大学文類

東京教育大学教育学部

横浜国立大学経済学部

横浜国立大学経営学部

名古屋大学経済学部

大阪外国語大学外国語学部

神戸大学経済学部

国公立大学文科系難易度 3中位ランク

千葉大学文理学部

東京教育大学文学部

東京都立大学人文学部一部

東京都立大学法学部一部

東京都立大学経済学部一部

横浜市立大学商学部

横浜市立大学文理学部

神戸大学経営学部

国公立大学文科系難易度 3下位ランク

小樽商科大学商学部

埼玉大学経済学部

神戸大学法学部

国公立大学文科系難易度 4上位ランク

滋賀大学経済学部

神戸商科大学商経学部

国公立大学文科系難易度 4中位ランク

大阪市立大学経済学部一部

国公立大学文科系難易度 4下位ランク

大阪市立大学法学部一部

1968年(昭和43年)入試 国公立理工科系大学難易度ランク一覧表

国公立大学理工科系難易度 1上位ランク

東京大学理科一類

東京大学理科二類

東京大学理科三類

国公立大学理工科系難易度 1中位ランク

京都大学医学部

国公立大学難易度 1下位ランク

京都大学工学部

国公立大学理工科系難易度 2上位ランク

東北大学医学部医学科

東京医科歯科大学医学部

東京工業大学工学部

東京工業大学理学部

京都大学理学部

大阪大学医学部

国公立大学理工科系難易度 2中位ランク

北海道大学医学部進学課程

東北大学工学部

千葉大学医学部

千葉大学工学部

お茶の水女子大学理学部

大阪大学理学部

九州大学医学部

国公立大学理工科系難易度 2下位ランク

北海道大学理類

東京教育大学理学部

横浜市立大学医学部

新潟大学医学部進学課程

京都大学農学部

岡山大学医学部進学課程

九州大学工学部

国公立大学理工科系難易度 3上位ランク

群馬大学医学部進学課程

東京都立大学理学部一部

東京都立大学工学部一部

横浜国立大学工学部

金沢大学医学部進学課程

名古屋大学工学部

大阪大学基礎工学部

大阪大学工学部

広島大学医学部進学課程

国公立大学理工科系難易度 3中位ランク

埼玉大学理工学部

電気通信大学電気通信学部

東京農工大学工学部

京都工芸繊維大学工芸学部

国公立大学理工科系難易度 3下位ランク

東京医科歯科大学歯学部

新潟大学工学部

金沢大学工学部

奈良女子大学理学部

広島大学工学部

国公立大学理工科系難易度 4上位ランク

茨城大学工学部

群馬大学工学部

東京農工大学農学部

1968年(昭和43年)私立大学文科系難易度 ランク一覧表

※3上位ランクからスタートです。

私立大学文科系難易度 3上位ランク

慶應義塾大学経済学部

早稲田大学政治経済学部

3中位ランクに該当する大学はありません

私立大学文科系難易度 3下位ランク

上智大学外国語学部

国際基督教大学(ICU)教養学部

津田塾大学学芸学部

私立大学文科系難易度 4上位ランクに該当する大学はありません

私立大学難易度 4中位ランク

慶應義塾大学法学部

早稲田大学法学部

早稲田大学商学部

私立大学文科系難易度 4下位ランク

慶應義塾大学文学部

慶應義塾大学商学部

上智大学外国語学部

早稲田大学第一文学部

東京女子大学文理学部

同志社大学法学部

同志社大学経済学部

関西学院大学経済学部

私立大学文科系難易度 5上位ランク

上智大学経済学部

中央大学法学部

早稲田大学教育学部

同志社大学文学部

同志社大学商学部

関西学院大学法学部

私立大学文科系難易度 5中位ランク

上智大学法学部

明治大学商学部

立教大学経済学部

立命館大学法学部

関西学院大学文学部

関西学院大学社会学部

関西学院大学経済学部

私立大学文科系難易度 5下位ランク

青山学院大学文学部

青山学院大学経済学部

青山学院大学法学部

学習院大学経済学部

中央大学商学部

法政大学経済学部

明治大学政治経済学部

私立大学文科系難易度 6上位ランク

青山学院大学経営学部

学習院大学法学部

学習院大学文学部

中央大学経済学部

明治大学法学部

立教大学文学部

武蔵大学経済学部

日本女子大学文学部

日本女子大学家政学部

私立大学文科系難易度 6中位ランク

成蹊大学政治経済学部

立教大学社会学部

立教大学法学部

1968年(昭和43年)私立大学理工科系難易度 ランク一覧表

※2上位ランクからのスタートです。

私立大学理工科系難易度 2上位ランク

慶應義塾大学医学部

私立大学理工科系難易度 2中位ランク

早稲田大学理工学部

私立大学理工科系難易度 2下位ランク

該当大学なし

私立大学理工科系難易度 3上位ランク

慶應義塾大学工学部

私立大学理工科系難易度 4上位ランク

東京医科大学医学部進学課程

日本医科大学医学部

同志社大学工学部

関西学院大学理学部

私立大学理工科系難易度 4中位ランク

上智大学理工学部

東京女子医科大学医学部進学課程

東京歯科大学歯学部進学課程

私立大学理工科系難易度 4下位ランク

立命館大学理工学部

私立大学理工科系難易度 5上位ランク

該当大学なし

私立大学理工科系難易度 5中位ランク

成蹊大学工学部

中央大学理工学部

日本大学理工学部

私立大学理工科系難易度 5下位ランク

青山学院大学理工学部

明治大学工学部

最新大学・高校・高専・中学校偏差値データ

【2020年版】SAPIX(サピックス)が発表した 首都圏中学入試 合格率80%偏差値一覧表

2020 SAPIX(サピックス)が発表した 首都圏中学校 偏差値一覧表

はる坊です。

2020年の中学入試に向けた戦いは、まさに真っ最中です。
SAPIX(サピックス)が2019年4月に首都圏の国立・公立・私立中学校の偏差値を発表しました。

これは、2019年入試において、該当する偏差値において80%のSAPIX生が合格した数値です。

偏差値をみていきますと、〝御三家〟〝女子御三家〟〝早慶〟でも偏差値60台が多く見受けられますが、SAPIXに通っている生徒の学力レベルを考えると、この一覧表・ランキングで偏差値60であっても、かなりの学力を有しています。
最大限の努力×一番正しい勉強法を身に付けないと、合格はおぼつかないでしょう。

私はSAPIXの回し者ではありませんが、この偏差値表の最後に、2019年のSAPIX生の合格実績リストをご用意しました。

2020年の中学入試のご参考に、一助となれば幸いです。

お子さまの第一志望校合格を、心から祈念いたしております。
合格したという経験は、お子さま自身が将来に向けて、何より大きな自信を持つことになります。

自信を持たせるのではなく、自らが自身に自信を持つ。
これは大きな違いがあります。

それでは、偏差値ランキングをみていきましょう。

2020 中学受験SAPIX 首都圏中学校 男子 偏差値一覧表

偏差値70以上

筑波大学附属駒場中学校
2019年入試日程:2月3日
偏差値:70

偏差値60~69クラス

開成中学校
2019年入試日程:2月1日
偏差値:67

聖光学院中学校 1回
2019年入試日程:2月2日
偏差値:64

渋谷教育学園幕張中学校 1次
2019年入試日程:1月22日
偏差値:64

渋谷教育学園幕張中学校 2次
2019年入試日程:2月2日
偏差値:64

渋谷教育学園渋谷中学校 2回
2019年入試日程:2月2日
偏差値:63

栄光学園中学校
2019年入試日程:2月2日
偏差値:62

早稲田中学校 2回
2019年入試日程:2月3日
偏差値:62

麻布中学校
2019年入試日程:2月1日
偏差値:62

海城中学校 2回
2019年入試日程:2月3日
偏差値:61

筑波大学附属中学校
2019年入試日程:2月3日
偏差値:61

栄東中学校 東大I
2019年入試日程:1月12日
偏差値:61

東京都立小石川中等教育学校 一般枠
2019年入試日程:2月3日
偏差値:60

偏差値:50~59クラス

海城中学校 1回
2019年入試日程:2月1日
偏差値:58

駒場東邦中学校
2019年入試日程:2月1日
偏差値:58

慶應義塾湘南藤沢中等部(SFC)一般
2月2日
偏差値:58

慶應義塾中等部
2019年入試日程:2月3日
偏差値:58

慶應義塾普通部
2019年入試日程:2月1日
偏差値:58

早稲田中学校 1回
2019年入試日程:2月1日
偏差値:58

武蔵中学校
2019年入試日程:2月1日
偏差値:58

昭和学院秀英中学校 午後特別
2019年入試日程:1月20日
偏差値:58

渋谷教育学園渋谷中学校 1回
2019年入試日程:2月1日
偏差値:57

浅野中学校
2019年入試日程:2月3日
偏差値:57

早稲田大学高等学院 中学部
2019年入試日程:2月1日
偏差値:56

本郷中学校 2回
2019年入試日程:2月2日
偏差値:56

開智中学校 先端特待
2019年入試日程:1月11日
偏差値:56

明治大学付属明治中学校 1回
2019年入試日程:2月2日
偏差値:56

明治大学付属明治中学校 2回
2019年入試日程:2月3日
偏差値:56

桐朋中学校 2回
2019年入試日程:2月2日
偏差値:55

攻玉社中学校 2回
2月2日
偏差値:55

早稲田実業学校 中等部
2月1日
偏差値:55

広尾学園中学校 1回
2月1日
偏差値:55

市川中学校 1回
1月20日
偏差値:55

東邦大学付属東邦中学校 後期
2月3日
偏差値:55

東邦大学付属東邦中学校 前期
1月21日
偏差値:54

芝中学校 1回
2月1日
偏差値:53

昭和学院秀英中学校 3回
2月2日
偏差値:52

逗子開成中学校 1次
2月1日
偏差値:51

立教新座中学校 1回
1月25日
偏差値:51

昭和学院秀英中学校 2回
1月22日
偏差値:51

サレジオ学院中学校 A
2月1日
偏差値:50

鎌倉学園中学校 2次
2月2日
偏差値:50

2020 中学受験SAPIX 首都圏中学校 女子 偏差値一覧表

偏差値:60~64クラス

渋谷教育学園幕張中学校 1次
2019年入試日程:1月22日
偏差値:64

渋谷教育学園幕張中学校 2次
2019年入試日程:2月2日
偏差値:64

渋谷教育学園渋谷中学校 2回
2019年入試日程:2月2日
偏差値:63

慶應義塾中等部
2019年入試日程:2月3日
偏差値:63

桜蔭中学校
2019年入試日程:2月1日
偏差値:62

豊島岡女子学園中学校 2回
2月3日
偏差値:62

栄東中学校 東大特待I
2019年入試日程:1月12日
偏差値:61

女子学院中学校
2019年入試日程:2月1日
偏差値:61

筑波大学附属中学校
2019年入試日程:2月3日
偏差値:61

慶應義塾湘南藤沢中等部(SFC)一般
2019年入試日程:2月2日
偏差値:60

渋谷教育学園渋谷中学校 1回
2019年入試日程:2月1日
偏差値:60

豊島岡女子学園中学校 1回
2019年入試日程:2月2日
偏差値:60

偏差値:50~59クラス

昭和学院秀英中学校 午後特別
2019年入試日程:1月20日
偏差値:58

お茶の水女子大学附属中学校
2019年入試日程:2月3日
偏差値:58

早稲田実業学校中等部
2019年入試日程:2月1日
偏差値:58

東京都立小石川中等教育学校 一般枠
2019年入試日程:2月3日
偏差値:58

雙葉中学校
2019年入試日程:2月1日
偏差値:58

鴎友学園女子中学校 2回
2019年入試日程:2月3日
偏差値:57

洗足学園中学校 2回
2019年入試日程:2月2日
偏差値:57

開智中学校 先端特待
2019年入試日程:1月11日
偏差値:56

明治大学付属明治中学校 1回
2019年入試日程:2月2日
偏差値:56

明治大学付属明治中学校 2回
2019年入試日程:2月3日
偏差値:56

フェリス女学院中学校
2019年入試日程:2月1日
偏差値:56

浦和明の星女子中学校 1回
2019年入試日程:1月14日
偏差値:56

横浜共立学園中学校 B
2019年入試日程:2月3日
偏差値:56

広尾学園中学校 1回
2019年入試日程:2月1日
偏差値:55

市川中学校 1回
2019年入試日程:1月20日
偏差値:55

東邦大学付属東邦中学校 後期
2019年入試日程:2月3日
偏差値:55

東邦大学付属東邦中学校 前期
2019年入試日程:1月21日
偏差値:54

吉祥女子中学校 2回
2019年入試日程:2月2日
偏差値:54

青山学院中等部
2019年入試日程:2月2日
偏差値:54

洗足学園中学校 1回
2019年入試日程:2月1日
偏差値:54

白百合学園中学校
2019年入試日程:2月2日
偏差値:54

学習院女子中等科 B
2019年入試日程:2月3日
偏差値:53

昭和学院秀英中学校 3回
2019年入試日程:1月22日
偏差値:52

吉祥女子中学校 1回
2019年入試日程:2月1日
偏差値:52

昭和学院秀英中学校 2回
2019年入試日程:1月22日
偏差値:51

東京学芸大学附属世田谷中学校
2019年入試日程:2月3日
偏差値:51

東洋英和女学院中学部 B
2019年入試日程:2月3日
偏差値:51

学習院女子中等科 A
2019年入試日程:2月1日
偏差値:50

頌栄女子学院中学校 1回
2019年入試日程:2月1日
偏差値:50

SAPIX 2019年 全国中学入試合格者数一覧表

※首都圏だけではなく、関西圏の合格実績も見ていただきたいと考え、五十音順にしております。

東大を始め、国公立・私立医学部に合格者を多数出している学校。
そして今後、難化が予想される早慶・MARCHクラスの附属中学校にも、多くの生徒が合格していることがわかります。

浅野中学校
合格者数:236名

麻布中学校
合格者数:183名

足立学園中学校
合格者数:6名

栄光学園中学校
合格者数:128名

大阪星光学院中学校
合格者数:4名

海城中学校
合格者数:262名

開成中学校
合格者数:273名

海陽中等教育学校
合格者数:24名

学習院中等科
合格者数:73名

鹿児島県立楠隼中学校
合格者数:2名

鎌倉学園中学校
合格者数:86名

暁星中学校
合格者数:38名

慶應義塾普通部
合格者数:107名

京華中学校
合格者数:5名

攻玉社中学校
合格者数:126名

佼成学園中学校
合格者数:9名

甲南中学校
合格者数:3名

甲陽学院中学校
合格者数:8名

駒場東邦中学校
合格者数:169名

サレジオ学院中学校
合格者数:90名

静岡聖光学院中学校
合格者数:9名

芝中学校
合格者数:175名

芝浦工業大学附属中学校
合格者数:13名

城北中学校
合格者数:136名

城北埼玉中学校
合格者数:67名

巣鴨中学校
合格者数:192名

逗子開成中学校
合格者数:96名

聖学院中学校
合格者数:3名

聖光学院中学校
合格者数:225名

成城中学校
合格者数:57名

世田谷学園中学校
合格者数:163名

高輪中学校
合格者数:76名

筑波大学附属駒場中学校
合格者数:73名

東海中学校
合格者数:3名

東京都市大学付属中学校
合格者数:344名

桐光学園中学校男子部
合格者数:13名

東大寺学園中学校
合格者数:8名

桐朋中学校
合格者数:141名

藤嶺学園藤沢中学校
合格者数:7名

獨協中学校
合格者数:27名

名古屋中学校
合格者数:1名

灘中学校
合格者数:31名

日本大学豊山中学校
合格者数:11名

日本学園中学校
合格者数:2名

函館ラ・サール中学校
合格者数:155名

北嶺中学校
合格者数:35名

本郷中学校
合格者数:254名

武蔵中学校
合格者数:55名

明治大学付属中野中学校
合格者数:69名

明星中学校(大阪)
合格者数:3名

横浜中学校
合格者数:4名

ラ・サール中学校
合格者数:20名

洛星中学校
合格者数:3名

立教池袋中学校
合格者数:30名

立教新座中学校
合格者数:167名

六甲学院中学校
合格者数:4名

早稲田中学校
合格者数:206名

早稲田大学高等学院中学部
合格者数:57名

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

長者番付

長者番付を振り返ってみましょうか【平成プロアスリート編 1989年分~2004年分】

長者番付を振り返ってみましょうか【プロアスリート編 1989年分~2004年分】をまとめました

はる坊です。

個人情報保護によって、2004年分を最後に公示がされなくなりましたが、それまでは、毎年5月中に1,000万円以上を納税した人物は、所管税務署で氏名・住所・納税額が公示されていました。

公示された当日や翌日にかけては、芸能ニュースを中心に大きく取り上げられたものです。

今回は、1989年~2004年分まで、つまりは平成時代に活躍したプロスポーツ選手・プロアスリートの長者番付をみていきましょう。

1989年分(平成元年)

1位  落合博満  5408万円(プロ野球選手)

2位  田淵幸一  4745万円(プロ野球監督)

3位  門田博光  4725万円(プロ野球選手)

4位  尾崎直道  4520万円(プロゴルファー)

5位  山本浩二  4485万円(プロ野球選手)

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6位  高木豊   4370万円(プロ野球選手)

7位  藤田元司  4296万円(プロ野球監督)

8位  星野一義  3744万円(レーシングドライバー)

9位  尾崎将司  3530万円(プロゴルファー)



10位  郭源治   3464万円(プロ野球選手)

11位  小林浩美  3328万円(プロゴルファー)

12位  尾崎健夫  3317万円(プロゴルファー)

13位  芹澤信雄  3273万円(プロゴルファー)

14位  高橋慶彦  3035万円(プロ野球選手)

15位  青木功   2920万円(プロゴルファー)

16位  千代の富士 2688万円(大相撲横綱)

17位  横島由一  2653万円(プロゴルファー)

18位  秋山幸二  2630万円(プロ野球選手)

19位  鈴木弘一  2568万円(プロゴルファー)

20位  中嶋常幸  2554万円(プロゴルファー)

※1位は当時、中日ドラゴンズの主砲だった落合博満でした。
ちなみに、1989年分の年俸は球界トップの1億3000万円。
1989年のシーズン成績は、打率321 本塁打40 打点116で打点王に輝いています。

現在なら、年俸何億になるのでしょうか?

1990年(平成2年)

1位  落合博満 6928万円(プロ野球選手)

2位  野茂英雄  5674万円(プロ野球選手)

3位  川岸良兼  5137万円(プロゴルファー)

4位  門田博光  4397万円(プロ野球選手)

5位  中嶋常幸  4142万円(プロゴルファー)



6位  須藤豊   3786万円(プロ野球監督)

7位  秋山幸二  3784万円(プロ野球選手)

8位  星野一義  3701万円(カーレーサー)

9位  斎藤雅樹  3486万円(プロ野球選手)

10位  潮崎哲也  3475万円(プロ野球選手)

11位  芹澤信雄  3454万円(プロゴルファー)

12位  東聡    3426万円(プロゴルファー)

13位  加瀬秀樹  3358万円(プロゴルファー)

14位  倉本昌弘  3355万円(プロゴルファー)

15位  清原和博  3325万円(プロ野球選手)

16位  杉原輝雄  3273万円(プロゴルファー)

17位  長谷見昌弘 3272万円(カーレーサー)

18位  安井純子  3217万円(プロゴルファー)

19位  藤田元司  3063万円(プロ野球監督)

20位  与田剛   3056万円(プロ野球選手)

※2位の野茂英雄(当時:近鉄バッファローズ)と20位の与田剛(当時:中日ドラゴンズ)は、1989年のドラフトを経て入団していますので、プロ野球選手としての初年は1990年になります。
ランクインしている理由は、高額な契約金が一時所得として課税されたことによるものです。

1991年分(平成3年)

1位  落合博満 8669万円(プロ野球選手)

2位  芹澤信雄  4954万円(プロゴルファー)

3位  門田博光  4397万円(プロ野球選手)

4位  野茂英雄  4933万円(プロ野球選手)

5位  高橋慶彦  4599万円(プロ野球選手)

6位  中嶋常幸  4407万円(プロゴルファー)

7位  吉村禎章  4395万円(プロ野球選手)

8位  中嶋悟   4312万円(カーレーサー)

9位  尾崎直道  4289万円(プロゴルファー)

10位  横島由一  4237万円(プロゴルファー)

11位  秋山幸二  4184万円(プロ野球選手)

12位  長谷見昌弘 4132万円(カーレーサー)

13位  尾崎将司  4072万円(プロゴルファー)



14位  倉本昌弘  3909万円(プロゴルファー)

15位  長谷川滋利 3907万円(プロ野球選手)

16位  清原和博  3897万円(プロ野球選手)

17位  星野一義  3876万円(カーレーサー)

18位  水野嘉孝  3613万円(プロ野球選手)

19位  羽川豊   3298万円(プロゴルファー)

20位  江口孝義  3284万円(プロ野球選手)

1992年分(平成4年)

1位  落合博満 1億0263万円(プロ野球選手)

2位  倉本昌弘    7083万円(プロゴルファー)

3位  若田部健一   5796万円(プロ野球選手)

4位  尾崎将司    5938万円(プロゴルファー)

5位  秋山幸二    5126万円(プロ野球選手)

6位  野茂英雄    5089万円(プロ野球選手)

7位  三浦知良   5054万円(プロサッカー選手)

8位  中嶋常幸    4949万円(プロゴルファー)

9位  門田博光    4854万円(プロ野球選手)

10位  松永浩美    4533万円(プロ野球選手)

11位  清原和博    4398万円(プロ野球選手)

12位  青木功     4097万円(プロゴルファー)



13位  室田淳     4070万円(プロゴルファー)

14位  星野一義    3995万円(カーレーサー)

15位  斎藤隆     3991万円(プロ野球選手)

16位  駒田徳広    3885万円(プロ野球選手)

17位  長谷見昌弘   3847万円(カーレーサー)

18位  ジャイアント馬場 3822万円(プロレスラー)

19位  桑田真澄   3801万円(プロ野球選手)

20位  尾崎直道    3739万円(プロゴルファー)

1993年分(平成5年)

1位  三浦知良 1億3730万円(プロサッカー選手)

2位  落合博満   9686万円(プロ野球選手)

3位  野茂英雄    6082万円(プロ野球選手)

4位  中嶋常幸    6040万円(プロゴルファー)

5位  松井秀喜    5899万円(プロ野球選手)

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6位  秋山幸二    5501万円(プロ野球選手)

7位  渡辺司     5240万円(プロゴルファー)

8位  古田敦也   5196万円(プロ野球選手)

9位  飯合肇     4884万円(プロゴルファー)

10位  伊藤智仁    4850万円(プロ野球選手)

11位  小桧山雅仁   4710万円(プロ野球選手)

12位  原辰徳     4659万円(プロ野球選手)

13位  清原和博    4398万円(プロ野球選手)

14位  ラモス瑠偉   4379万円(プロサッカー選手)

15位  星野一義    4363万円(カーレーサー)

16位  池山隆寛    4299万円(プロ野球選手)

17位  駒田徳広    4227万円(プロ野球選手)

18位  ジャイアント馬場 4138万円(プロレスラー)

19位  武藤潤一郎   4092万円(プロ野球選手)

20位  石井丈裕    3973万円(プロ野球選手)

※11位の小桧山雅仁は慶應義塾大学・日本石油を経て、1992年のドラフトで横浜ベイスターズに入団。
2001年で横浜を退団して台湾で野球生活を続けるも2002年に引退。
2003年、TBSラジオに中途入社して、営業マンとして活躍中。

※19位の武藤潤一郎は、専修大学・プリンスホテルを経て、1992年のドラフトで1位指名で千葉ロッテマリーンズに入団。

1994年分(平成6年)

1位  落合博満 1億4995万円(プロ野球選手)

2位  三浦知良 1億2052万円(プロサッカー選手)

3位  石井貢     7197万円(プロ野球選手)

4位  秋山幸二    7059万円(プロ野球選手)

5位  古田敦也   6831万円(プロ野球選手)

6位  河原隆一    6811万円(プロ野球選手)

7位  北沢豪     6708万円(プロサッカー選手)

8位  清原和博    6696万円(プロ野球選手)

9位 ラモス瑠偉   6634万円(プロサッカー選手)

10位  石毛宏典    6008万円(プロ野球選手)

11位  伊東勤     5850万円(プロ野球選手)

12位  柳沢裕一    5767万円(プロ野球選手)

13位  柱谷哲二    5509万円(プロサッカー選手)

14位  佐々木久行   5431万円(プロゴルファー)

15位  三野勝大    5414万円(プロ野球選手)

16位  貴乃花光司   5382万円(大相撲横綱)

17位  中嶋常幸    5270万円(プロゴルファー)

18位  佐々木誠    5220万円(プロ野球選手)

19位  山部太     5108万円(プロ野球選手)

20位  野茂英雄    4890万円(プロ野球選手)

※15位にランクインした三野勝大は、東北福祉大学4年次におこなわれた1993年のドラフトで、読売ジャイアンツを逆指名し、1巨人から1位指名を受け、推定契約金1億5000万円 推定年俸1200万円で入団。
巨人時代に1試合、移籍した横浜ベイスターズで4試合の一軍登板はあったものの、未勝利のまま2000年に引退した。

※19位にランクインした山部太は、NTT四国から1993年のドラフトでヤクルトスワローズを逆指名し、1位で入団。

1995年分(平成7年)

1位  落合博満 1億6674万円(プロ野球選手)

2位  清原和博  1億1414万円(プロ野球選手)

3位  三浦知良    9937万円(プロサッカー選手)



4位  貴乃花光司   9470万円(大相撲横綱)

5位  王貞治     8586万円(プロ野球監督)

6位  斎藤雅樹    8493万円(プロ野球選手)

7位  中嶋常幸    8471万円(プロゴルファー)

8位  佐々木誠    8180万円(プロ野球選手)

9位  松永浩美    7569万円(プロ野球選手)

10位  イチロー    7123万円(プロ野球選手)

11位  ラモス瑠偉   6929万円(プロサッカー選手)

12位  山内泰幸    6805万円(プロ野球選手)

13位  秋山幸二    6698万円(プロ野球選手)

14位  石毛宏典    6656万円(プロ野球選手)

15位  桑田真澄    6619万円(プロ野球選手)

16位  古田敦也   6595万円(プロ野球選手)

17位  東聡      6558万円(プロゴルファー)

18位  辻発彦     6537万円(プロ野球選手)

19位  槇原寛己    6398万円(プロ野球選手)

20位  山本昌     6257万円(プロ野球選手)



※10位に大ブレイクを果たしたイチロー(当時:オリックスブルーウェーブ)がランクイン

1996年分(平成8年)

1位  落合博満 1億8074万円(プロ野球選手)

2位  イチロー  1億6153万円(プロ野球選手)

3位  斎藤雅樹  1億3401万円(プロ野球選手)

4位  佐々木誠  1億2857万円(プロ野球選手)

5位  清原和博  1億2348万円(プロ野球選手)

6位  三浦知良  1億1381万円(プロサッカー選手)



7位  尾崎将司  1億0013万円(プロゴルファー)

8位  古田敦也   9231万円(プロ野球選手)

9位  池山隆寛    8942万円(プロ野球選手)

10位  伊東勤     8760万円(プロ野球選手) 

11位  立浪和義    7791万円(プロ野球選手)

12位  星野伸之    6597万円(プロ野球選手)

13位  伊良部秀輝   6570万円(プロ野球選手)

14位  金石昭人    6556万円(プロ野球選手)

15位  槇原寛己    6313万円(プロ野球選手)

16位  岡本綾子    6170万円(プロゴルファー)

17位  秋山幸二    6170万円(プロ野球選手)

18位  ラモス瑠偉   5954万円(プロサッカー選手)

19位  川相昌弘    5866万円(プロ野球選手)

20位  貴乃花光司   5815万円(大相撲横綱)

1997年分(平成9年)

1位  イチロー 2億4229万円(プロ野球選手)

2位  清原和博  2億3473万円(プロ野球選手)

3位  丸山茂樹  1億5704万円(プロ野球選手)

4位  古田敦也 1億2943万円(プロ野球選手)

5位  斎藤雅樹  1億2195万円(プロ野球選手)

6位  尾崎将司  1億2050万円(プロゴルファー)



7位  三浦知良 1億2014万円(プロサッカー選手)

8位  落合博満  1億0206万円(プロ野球選手)

9位  伊東勤     9358万円(プロ野球選手)

10位  松井秀喜    8643万円(プロ野球選手)

11位  佐々木主浩   7997万円(プロ野球選手)

12位  立浪和義    7733万円(プロ野球選手)

13位  川村丈夫    7409万円(プロ野球選手)

14位  赤堀元之    7337万円(プロ野球選手)

15位  野村謙二郎   7169万円(プロ野球選手)

16位  谷繁元信    6995万円(プロ野球選手)

17位  山本昌     6855万円(プロ野球選手)



18位  井原正巳    6752万円(プロサッカー選手)

19位  黒田博樹    6695万円(プロ野球選手)

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20位 沢崎俊和    6657万円(プロ野球選手)

1998年分(平成10年)

1位  イチロー  2億9321万円(プロ野球選手)

2位  清原和博  2億5149万円(プロ野球選手)

3位  佐々木主浩 2億2584万円(プロ野球選手)

4位  丸山茂樹  1億4415万円(プロゴルファー)

5位  斎藤雅樹  1億4310万円(プロ野球選手)

6位  桑田真澄  1億2681万円(プロ野球選手)

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7位  松井秀喜  1億1710万円(プロ野球選手)

8位  川上憲伸  1億0399万円(プロ野球選手)

9位  落合博満  1億0247万円(プロ野球選手)

10位  古田敦也   9710万円(プロ野球選手)

11位  三浦知良    9697万円(プロサッカー選手)

12位  山本昌     9364万円(プロ野球選手)



13位  立浪和義    9249万円(プロ野球選手)

14位  石井琢朗    9154万円(プロ野球選手)

15位  伊東勤     9154万円(プロ野球選手)

16位  広澤克実    7918万円(プロ野球選手)

17位  赤堀元之    7873万円(プロ野球選手)

18位  高橋由伸    7666万円(プロ野球選手)

19位  駒田徳広    6858万円(プロ野球選手)

20位  谷繁元信    6578万円(プロ野球選手)

1999年分(平成11年)

1位  イチロー 1億9564万円(プロ野球選手)

2位  古田敦也 1億4788万円(プロ野球選手)

3位  丸山茂樹  1億2600万円(プロゴルファー)



4位  清原和博  1億1822万円(プロ野球選手)

5位  高橋由伸  1億1023万円(プロ野球選手)

6位  桑田真澄  1億0955万円(プロ野球選手)

7位  佐々木主浩 1億0942万円(プロ野球選手)

8位  斎藤雅樹  1億0894万円(プロ野球選手)

9位  松井秀喜  1億0227万円(プロ野球選手)

10位  武田一浩    9085万円(プロ野球選手)

11位  松坂大輔   9010万円(プロ野球選手)

12位  福留孝介    8935万円(プロ野球選手)

13位  石井琢朗    7537万円(プロ野球選手)

14位  工藤公康    7000万円(プロ野球選手)

15位  伊東勤     6834万円(プロ野球選手)

16位  槇原寛己    6526万円(プロ野球選手)

17位  山本昌     6001万円(プロ野球選手)



18位  前田智徳    5777万円(プロ野球選手)

19位  上原浩治   5480万円(プロ野球選手)

20位  松井稼頭央   5046万円(プロ野球選手)

 

2000年分(平成12年)

1位   イチロー 1億9537万円(プロ野球選手)

2位   松坂大輔 1億8888万円(プロ野球選手)

3位   松井秀喜  1億6637万円(プロ野球選手)

4位   高橋由伸  1億4397万円(プロ野球選手)

5位   丸山茂樹  1億3369万円(プロゴルファー)

6位   桑田真澄  1億0731万円(プロ野球選手)

7位   江藤智   1億0036万円(プロ野球選手)

8位   清原和博    9931万円(プロ野球選手)

9位   石井琢朗    8835万円(プロ野球選手)

10位  古田敦也   8565万円(プロ野球選手)

11位  斎藤雅樹    7566万円(プロ野球選手)

12位  工藤公康    7125万円(プロ野球選手)

13位  松井稼頭央   6628万円(プロ野球選手)

14位  佐々木主浩   6494万円(プロ野球選手)

15位  槇原寛己    6422万円(プロ野球選手)

16位  中村紀洋    6295万円(プロ野球選手)

17位  上原浩治   6274万円(プロ野球選手)

18位  谷口徹     6233万円(プロゴルファー)

19位  田中秀道    6165万円(プロゴルファー)

20位  鈴木尚典    6105万円(プロ野球選手)

2001年分(平成13年)

1位  松井秀喜  2億3815万円(プロ野球選手)

2位  丸山茂樹   1億6596万円(プロゴルファー)

3位  清原和博   1億5393万円(プロ野球選手)

4位  高橋尚子   1億4147万円(プロマラソン選手)

5位  中村紀洋   1億2854万円(プロ野球選手)

6位  高橋由伸   1億1665万円(プロ野球選手)

7位  川崎憲次郎    9858万円(プロ野球選手)

8位  工藤公康     9832万円(プロ野球選手)

9位  桑田真澄    9215万円(プロ野球選手)

10位  古田敦也    9125万円(プロ野球選手)

11位  松井稼頭央    9051万円(プロ野球選手)

12位  松坂大輔    6969万円(プロ野球選手)

13位  立浪和義     6935万円(プロ野球選手)

14位  石井一久     6681万円(プロ野球選手)

15位  仁志敏久     6065万円(プロ野球選手)

16位  伊沢利光     5957万円(プロゴルファー)

17位  斎藤雅樹     5945万円(プロ野球選手)

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18位  江藤智      5849万円(プロ野球選手)

19位  小久保裕紀    5816万円(プロ野球選手)

20位  金本知憲     5802万円(プロ野球選手)

2002年分(平成14年)

1位  松井秀喜  2億7196万円(プロ野球選手)

2位  中村紀洋   1億5836万円(プロ野球選手)

3位  清原和博   1億5542万円(プロ野球選手)

4位  高橋由伸   1億3284万円(プロ野球選手)

5位  谷繁元信   1億3097万円(プロ野球選手)

6位  工藤公康   1億2155万円(プロ野球選手)

7位  高橋尚子   1億1785万円(プロ野球選手)

8位  立浪和義   1億0308万円(プロ野球選手)

9位  松井稼頭央  1億0157万円(プロ野球選手)

10位   古田敦也   8652万円(プロ野球選手)

11位  松坂大輔    8046万円(プロ野球選手)

12位  小久保裕紀    7700万円(プロ野球選手)

13位  小笠原道大    6758万円(プロ野球選手)

14位  城島健司     6425万円(プロ野球選手)

15位  高津臣吾     6249万円(プロ野球選手)

16位  黒木知宏     5852万円(プロ野球選手)

17位  西口文也     5735万円(プロ野球選手)

18位  鈴木尚典     5527万円(プロ野球選手)

19位  横尾要      5401万円(プロゴルファー)

20位  仁志敏久     5269万円(プロ野球選手)

2003年分(平成15年)

1位  清原和博  1億7210万円(プロ野球選手)

2位  中村紀洋   1億5083万円(プロ野球選手)

3位  松井稼頭央  1億4251万円(プロ野球選手)

4位  桑田真澄  1億3376万円(プロ野球選手)

5位  金本知憲   1億3050万円(プロ野球選手)

6位  丸山茂樹   1億2895万円(プロゴルファー)



7位  古田敦也  1億1533万円(プロ野球選手)

8位  上原浩治  1億1273万円(プロ野球選手)

9位   松坂大輔 1億0655万円(プロ野球選手)

10位  工藤公康   1億0530万円(プロ野球選手)

11位  小笠原道大  1億0186万円(プロ野球選手)

12位  高橋尚子   1億0185万円(プロマラソン選手)

13位  立浪和義   1億0029万円(プロ野球選手)

14位  谷繁元信     9164万円(プロ野球選手)

15位  貴乃花光司    8939万円(大相撲横綱)

16位  武豊       8485万円(競馬騎手)

17位  城島健司     8343万円(プロ野球選手)

18位  谷佳知      7713万円(プロ野球選手)

19位  伊沢利光     7497万円(プロゴルファー)

20位  鈴木尚典     7468万円(プロ野球選手)

2004年分(平成16年)

1位  佐々木主浩  2億3879万円(プロ野球選手)

2位  清原和博  1億6995万円(プロ野球選手)

3位  上原浩治  1億4876万円(プロ野球選手)

4位  小笠原道大  1億4377万円(プロ野球選手)

5位  中村紀洋   1億4119万円(プロ野球選手)

6位  城島健司   1億3800万円(プロ野球選手)

7位  小川直也   1億3780万円(格闘家〈ハッスル〉)

8位  丸山茂樹   1億3769万円(プロ野球選手)

9位  立浪和義   1億2400万円(プロ野球選手)

10位  松中信彦   1億1581万円(プロ野球選手)

11位  古田敦也  1億0771万円(プロ野球選手)

12位  高橋由伸   1億0100万円(プロ野球選手)

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13位  谷繁元信     9527万円(プロ野球選手)

14位  谷佳知      9393万円(プロ野球選手)

15位  金本知憲     9243万円(プロ野球選手)

16位  工藤公康     9161万円(プロ野球選手)

17位  高橋尚子     8881万円(プロマラソン選手)

18位  今岡誠      8332万円(プロ野球選手)

19位  松坂大輔    8010万円(プロ野球選手)

20位  新庄剛志    7562万円(プロ野球選手)

※第20位にランクインした新庄剛志はメジャーリーグを経て、北海道日本ハムファイターズに復帰。
〝SHINJO〟の登録名で、華麗なプレイとエンターテイナー振りを発揮して人気を集めた。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

1970年代の話

1974年度 国家公務員上級職キャリア組(現在の国家公務員総合職)採用内定者の省庁別出身大学一覧表まとめ

1974年度(昭和49年度) 国家公務員上級職キャリア組(現在の国家公務員総合職)採用内定者の省庁別出身大学を一覧表にまとめました

はる坊です。
今回は1974年(昭和49年)度の国家公務員上級職(いわゆるキャリア組ですね)採用内定者の出身大学データを省庁別にまとめました。

〝国家公務員上級試験から〟国家公務員I種試験〟と名称が変わり、現在の採用区分では、〝国家公務員総合職〟と呼ばれています。

戦後、公務員に人気が集まった時期は、朝鮮戦争の〝特需景気〟のあと。
1964年の東京オリンピック後の〝証券恐慌〟といわれる時代。
今回取り上げる1973年以後、2度にわたる〝オイルショック〟期。
そして、〝バブル景気〟崩壊後の平成時代。

1973年(昭和48年)・1974年(昭和49年)は、オイルショックによる不況によって、民間企業が新規採用を抑制したり中止したりと、大学生の従来の就職活動の形に変化が現れた年でもあります。

やはり、〝キャリア官僚・キャリア組=東大出身者〟というイメージどおり、東大生・東京大学出身者が圧倒的な強さを見せていますが、続く京都大学、他の旧帝大(北海道大学・東北大学・名古屋大学・大阪大学・九州大学)以外の、地方国立大学からの採用内定者もチラホラ見受けられます。

そして、早慶をはじめとする私立大学生の採用は、現在よりずっと少ない印象を受けます。
そんな私立大学生のなかで健闘しているのが、八王子移転前の中央大学です。
おそらく法学部生が中心だと思いますが、1973年の司法試験でも、東大の90名を抜いて、130名の合格者を出しています。

1974年には、東大・・・95名 中央大・・・85名となりますが、中央大学法学部の黄金期だったことも読み取れます。

こちらに1972年(昭和47年)の主要国公立・私立大学の偏差値をまとめているのですが、当時は、私立大学の学費が高額だったこともあり、国公立大学に人気が集まり、難関だったことがうかがえます。



1972年(昭和47年)の大学入試偏差値(難易度)を調べてみました。

ちなみに、1974年(昭和49年)度の、国家公務員上級職の初任給は72,800円。
新人の場合、フルに支給されるのは冬季分ですが、ボーナス(期末手当・勤勉手当)は年間5.2ヶ月分。
民間の大卒初任給の平均が、78,700円。

1年のうちに米や肉類の値段が10%は上昇する「狂乱物価」といわれるほどのインフレ時代だったので、翌1975年(昭和50年)度の初任給は、一気に80,500円。(民間大卒初任給の平均は89,300円)
ボーナス(期末手当・勤勉手当)は、前年と変わらず年間5.2ヶ月分。

翌々年の1976年(昭和51年)の初任給は86,400円(民間大卒初任給の平均は94,300円)。
ボーナス(期末手当・勤勉手当)は、0.2ヶ月分ダウンの年間5.0ヶ月分となっていますので、物価の上昇で、大幅昇給でも生活が楽になったかどうかはともかく、毎年、公務員・民間とも現在では考えられないような昇給があった時代でもありました。(数字は、『人事院』ホームページ 『年次統計』より引用)

そんな、大昔の公務員のお話ですが、こんな時代もあったんだな、と楽しんでいただければ幸いです。

※なお、採用内定となったものの、法曹への道、民間企業への就職、そして大学院進学を選んだ方もおられるようですので、実際に入省・入庁された方と、若干ではありますが、数字が変化する部分があることをご了承ください。

※また、外務省のデータは外務公務員しか取得できませんでした。
今後、情報を得ることができましたら掲載いたします。どうかご了承ください。

法務省

事務官
東京大学・・・6名 
埼玉大学・東京学芸大学・名古屋大学・九州大学・京都府立大学・早稲田大学・東京女子大学・関西学院大学・・・各2名
北海道大学・弘前大学・東北大学・信州大学・千葉大学・東京教育大学・お茶の水女子大学・金沢大学・京都大学・神戸大学・岡山大学・愛媛大学・慶應義塾大学・中央大学・上智大学・明治大学・愛知大学・・・各1名

大蔵省

事務官
東京大学・・・24名 
京都大学・・・5名 
一橋大学・・・4名 
大阪大学・・・3名 
早稲田大学・中央大学・法政大学・・・各2名 
北海道大学・名古屋大学・金沢大学・九州大学・横浜市立大学・慶應義塾大学・明治大学・・・各1名

技官
東北大学・・・2名
京都大学・東京都立大学・・・各1名

外務省

外務公務員
東京大学・・・13名
一橋大学・・・6名
慶應義塾大学・・・2名
東北大学・京都大学・上智大学・創価大学・・・各1名

※外務省のデータは外務公務員しか取得できませんでした。
今後、情報を得ることができましたら掲載いたします。どうかご了承ください。

文部省

事務官
東京大学・・・4名 
京都大学・・・3名 
北海道大学・・・2名
茨城大学・名古屋大学・早稲田大学・・・各1名

厚生省

事務官

東京大学・・・11名 
京都大学・・・4名 
一橋大学・・・2名 

技官

東京大学・・・7名 
京都大学・・・3名 
大阪大学・・・2名 
北海道大学・千葉大学・九州大学・大阪市立大学・・・各1名

農林省

事務官・技官の合計数

東京大学・・・35名 
京都大学・・・16名 
名古屋大学・・・9名 
宇都宮大学・・・8名 
北海道大学・東京農工大学・・・各7名 
九州大学・・・6名
東京教育大学・岐阜大学・三重大学・鹿児島大学・大阪府立大学・・・各5名
岩手大学・東北大学・・・各4名
宮崎大学・・・3名
帯広畜産大学・信州大学・鳥取大学・京都府立大学・早稲田大学・・・各2名
山形大学・千葉大学・東京水産大学・静岡大学・京都工芸繊維大学・神戸大学・岡山大学・島根大学・山口大学・佐賀大学・東京都立大学・慶應義塾大学・中央大学・麻布獣医大学・東海大学・日本獣医畜産大学・・・各1名

通産産業省

事務官
東京大学・・・25名
一橋大学・・・1名

技官
東京大学・・・19名
京都大学・・・2名
東北大学・東京工業大学・早稲田大学・・・各1名

運輸省

事務官
東京大学・・・14名
京都大学・・・2名
九州大学・・・1名

技官
東京大学・・・13名
京都大学・・・6名
東京工業大学・・・4名
九州大学・北海道大学・・・各3名
早稲田大学・・・2名
東北大学・東京農工大学・金沢大学・名古屋大学・名古屋工業大学・大阪大学・岡山大学・慶應義塾大学・姫路工業大学・・・各1名

郵政省

事務官
東京大学・・・14名
京都大学・・・2名
九州大学・・・1名
大阪大学・・・1名

技官

東京大学・・・6名
京都大学・・・2名
東京工業大学・横浜国立大学・・・2名
九州大学・北海道大学・東北大学・新潟大学・千葉大学・埼玉大学・電気通信大学・名古屋工業大学・大阪大学・九州工業大学・・・各1名

労働省

事務官

東京大学・・・7名
京都大学・・・3名
東北大学・お茶の水女子大学・横浜国立大学・金沢大学・山口大学・香川大学・慶應義塾大学・立教大学・・・各1名

技官

京都大学・東北大学・・・各2名
東京大学・北海道大学・神戸大学・・・各1名

清掃力抜群!エコバックスロボット掃除機

私が愛用しているロボット掃除機です。

スマホやリモコンでタイマーを設定するだけで、自動で清掃開始してくれるので、毎日の生活の場を綺麗に保ってくれます。

高性能レーザースキャンで、家具の位置や間取りを測定してマッピングしてくれる機能が優れています。
マッピングした地図はスマホのアプリより確認でき、エリアごとに清掃したり、スマホ上の地図に指で線を引くだけで、架空の境界線(バーチャルボーダー)を引くことができるので、コードが多い部分や入り込んでほしくないエリアを簡単に設定・制御することが可能です。

家具の下にも入り込める5.7cmの薄型設計の製品もあります。
5.7cmの薄型製品が狭い場所を掃除をしてくれる様子には、本当に感動しましたよ。

ロボット掃除機があなたのご自宅にあれば、床掃除に費やす時間が無くなりますから、その分、ご家族・あなたのために使える時間が増えます。

お金より大切なのはあなたの自由になる時間です。

もっと自由な時間が持てれば、あなたがやりたいことはなんですか?

その時間を得る対価として、エコバックスロボット掃除機は決して高い買い物ではないと思います。



建設省

事務官

東京大学・・・12名
京都大学・・・4名
東北大学・・・1名

技官

東京大学・・・17名
京都大学・・・12名
大阪大学・九州大学・・・各7名
東京工業大学・・・5名
北海道大学・・・4名
東北大学・早稲田大学・・・各3名
名古屋大学・名古屋工業大学・・・各2名
千葉大学・東京教育大学・東京農工大学・金沢大学・神戸大学・広島大学・九州工業大学・熊本大学・宮崎大学・東京都立大学・日本大学・東京農業大学・・・各1名

自治省

事務官

東京大学・・・16名
京都大学・東北大学・・・各1名

技官

東京工業大学・・・1名

総理府

事務官

東京大学・・・3名
京都大学・・・2名

警察庁

事務官

東京大学・・・10名
京都大学・・・3名
広島大学・・・1名

技官

北海道大学・・・2名
京都大学・横浜国立大学・新潟大学・九州工業大学・・・各1名

行政管理庁

事務官

東京大学・・・2名
京都大学・東北大学・東京都立大学・・・各1名

北海道開発庁

事務官

東京大学・京都大学・東北大学・・・各1名

技官

北海道大学・・・5名
鳥取大学・・・2名
東京大学・京都大学・東北大学・・・各1名

防衛庁

事務官

東京大学・中央大学・・・各2名
京都大学・一橋大学・早稲田大学・日本大学・関西学院大学・・・各1名

技官

名古屋工業大学・神戸大学・・・各1名

経済企画庁

事務官

東京大学・・・4名
一橋大学・東京都立大学・同志社大学・・・各1名

技官

東京大学・・・1名

科学技術庁

事務官

東京大学・・・1名

技官

東京大学・・・7名
東北大学・東京教育大学・・・各3名
京都大学・早稲田大学・・・各2名
埼玉大学・東京工業大学・電気通信大学・千葉大学・・・各1名

環境庁

事務官

東京大学・・・2名

技官

京都大学・東京工業大学・・・各2名
北海道大学・弘前大学・東北大学・東京農工大学・千葉大学・・・各1名

人事院

事務官

東京大学・・・3名 
名古屋大学・早稲田大学・・・各1名

技官

東京大学・東京工業大学・・・各1名

会計検査院

事務官
東京大学・・・4名 
東北大学・岡山大学・・・各1名

技官

京都大学・・・1名

日本専売公社

事務官

東京大学・・・4名
京都大学・大阪大学・・・各3名
東北大学・横浜国立大学・・・各2名
一橋大学・北海道大学・・・各1名

技官

東京大学・・・6名
北海道大学・・・5名
京都大学・九州大学・・・各3名
東北大学・・・2名
東京工業大学・横浜国立大学・千葉大学・・・各1名

特許庁

技官

東京大学・京都大学・・・各6名
東北大学・・・4名
東京工業大学・千葉大学・・・各3名
埼玉大学・東京芸術大学・横浜国立大学・名古屋大学・名古屋工業大学・・・各2名
北海道大学・新潟大学・電気通信大学・お茶の水女子大学・静岡大学・岐阜大学・大阪大学・金沢大学・山口大学・愛媛大学・九州芸術工科大学・九州大学・鹿児島大学・慶應義塾大学・法政大学・群馬工業高等専門学校・・・各1名

工業技術院

技官

京都大学・東京工業大学・・・各5名 東京大学・・・4名
北海道大学・大阪市立大学・・・各3名
東京教育大学・九州大学・・・各2名
東北大学・千葉大学・名古屋大学・神戸大学・広島大学・鹿児島大学・東京都立大学・早稲田大学・慶應義塾大学・同志社大学・・・各1名

気象庁

技官

東京大学・・・5名 
東北大学・京都大学・大阪市立大学・・・各2名
電気通信大学・金沢大学・大阪大学・大阪電気通信大学・・・各1名

最後に、あなたが公務員試験を受験しようとされている方なら、ここだけは聞いておいてください

もし、あなたが公務員試験を受験しようとされているなら、しっかりと目標を見定めて実績のあるプログラムで勉強をしたほうが、しっかりと夢に近づけますよ。

やはり、ただの独学では得られない、長年蓄積されたノウハウや一番効率のいい教育プログラムとは無視することができないと感じます。

最近では、安い受講料と手軽な受講方法をうたう業者も増えていますが、実際の合格数を見るとまったく比較になりません。

公務員採用後に得られる収入を考えれば、多少高くともしっかりした学習方法で能率よく学習して、一発合格をするほうがよいにきまっています。

また、本気で公務員になりたい仲間と一緒に勉強できることは、あなたにとって大きな刺激になります。

さらに、合格後・採用後に、同じ省庁に一緒に勉強して気心が知れた仲間がいれば、心強いですよ。

あなたの『公務員になりたい!』という思いを、心から信じています。
『公務員試験』対策なら法律資格・公務員試験専門の受験指導校・伊藤塾!



最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
これからも楽しんでいただける記事を書いていきますので、
今後ともよろしくお願い申し上げます。