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生涯収入9億6400万円 !代表作『復讐するは我にあり』の直木賞作家・佐木隆三氏が晩年に公表した30年間の収支一覧表

直木賞作家の生涯収入は?

はる坊です。

人間は他人のことが気になる生き物です。
例えば、収入。

あの人は幾らくらいひと月に稼いでいるんだろう?

あの職業に就いている人はどれくらいの年収があるんだろう?
例えば、作家・小説家。

2015年11月、作家の森博嗣さんが『作家の収支』という新書で、“「19年間で、総発行部数1400万部。累計で15億円の収入を得た」”と公表されました。

森さんは、事あるごとに、ご自身を〝マイナ〟であると定義されていますが、

著書はコンスタントに出されており、同時にコンスタントに売れ続けている作家です。

2018年には著書の累計売上数が1600万部を突破していますので、

〝出版巨大不況〟のご時世で、稼ぎは〝超メジャ〟であると思います。

2020年11月に刊行された『勉強の価値』も非常に面白くオススメです。

しかし、コンスタントに売れる本を出し続けていると言い難い作家の収入はどうなんだろう?
という疑問が出てきます。

そんななか、2007年(平成17年)に過去30年間の収支を公表した方がいます。

代表作のひとつ『身分帳』を原作にした映画『すばらしき世界』が2021年2月11日に西川美和監督・役所広司主演で公開された、直木賞作家の佐木隆三さんです。
ネタバレは避けますが、映画の原作小説となる『身分帳』は、実在の人物である田村明義をモデルに、主人公・山川一の人生を、佐木さんが得意とする〝ノンフィクション・ノベル〟の形で進んでいきます。

原作小説は1990年に講談社よりハードカバーが刊行され、1993年に文庫化。
1991年には第2回伊藤整文学賞を受賞しています。

文庫は絶版の状態が続いていましたが、今回の映画公開により文庫が復刊(併せて電子書籍化も)されました。
今回の復刊にあたって、主人公・山川一の最後を描いた『行路病死人──小説『身分帳』補遺』と西川美和さんによる解説も収録されています。

さて、佐木さんが公表された数字ですごい点は、毎年の収入だけではなく、
・経費
・課税対象額
・所得税額
・源泉徴収税額
・差引納付額
と、支出や納税額についても、細かく公にされたことでしょう。

佐木さんの代表作と言えば、直木賞受賞作であり、今村昌平監督・緒形拳主演で映画化された『復讐するは我にあり』ですが、


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タイトルのせいか、意外にこの作品は西村寿行作品だと思っている方も一定数おられるようです。

ちなみに『復讐するは我にあり』は、新約聖書の(ローマ人への手紙 第12章 第19節)に出てくる『愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して「主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん」とあり』という言葉の一部であり、これは、《悪人に復讐を与えるのは神である》という意味といわれています。

佐木さんは『新約聖書』の言葉をタイトルに引用した形です。

しかし、最も一般的な佐木隆三さんのイメージは、何か物騒な事件が起きると、

ワイドショーやニュース番組で「作家のサキリューゾーさんは」とコメントをしていたおじさんではないでしょうか。

それでは、佐木隆三さんの30年間の収支一覧表です。

その下に、佐木隆三さんの詳しいプロフィールを紹介していますので、興味のある方はご覧ください。

1976年(昭和51年)~2005年(平成17年)分 佐木隆三 連年収支一覧表

1976年(昭和51年)

収入額:5,288万6,000円
経費額:1,449万9,000円
課税対象額:3,798万7,000円
所得税額:772万4,000円
源泉徴収税額:773万4,000円
差引納付額:-1万円
※備考 『復讐するは我にあり』の直木賞受賞で、前年度より急激に収入が増えたため、課税は平均課税方式がとられている。

出版された著作
1975年11月『復讐するは我にあり(上下)』(講談社)
1976年2月『沖縄住民虐殺-日兵虐殺と米国犯罪』(新人物往来社)
1976年2月『大将とわたし』(講談社)
1976年5月『狼からの贈物』(河出書房新社)
1976年6月『大罷業』(田畑書店)
1976年6月『ジャンケンポン協定』(講談社文庫)
1976年9月『偉大なる祖国アメリカ』(勁文社)

※『復讐するは我にあり』は1975年11月の刊行ですが、直木賞受賞で43万部を超えるベストセラーとなり、1976年分の収入に大きく寄与しているため、この年に出版された著作に含めました。

1976年に刊行された本の多くは、過去に一度刊行されて絶版状態にあったものや単行本化されていなかった原稿をまとめたものが目立ちます。
佐木さんは、直木賞受賞まで11冊の本を出されていますが、それらが版元を変えたり文庫化されて再度刊行されている形です。

『新宿鮫』シリーズが累計600万部以上の大ベストセラーになるまでに出した28冊ことごとくが売れず(28冊目は『氷の森』で大沢在昌作品の文庫では一番売れているのにわからないものです)、29冊目の『新宿鮫』が大ヒットして、それまでに書いて絶版になっていた本が次々に復刊されて、それらを〝ゾンビ本〟と呼んだ大沢在昌さんみたいな感じでしょうか。

1977年(昭和52年)

収入額:2,590万円
経費額:864万9,000円
課税対象額:1,685万1,000円
所得税額:482万4,000円
源泉徴収税額:269万8,000円
差引所得税納付額:212万5,000円

出版された著作
1977年2月『ドキュメント狭山事件』(文藝春秋)
1977年2月『日本漂民物語』(講談社)
1977年4月『越山田中角栄』(朝日新聞社)
1977年5月『殺人百科 』(徳間書店)
1977年10月『人生漂泊』(時事通信社)

1978年(昭和53年)

収入額:2,626万1,000円
経費額:939万円
課税対象額:1,649万1,000円
所得税額:465万2,000円
源泉徴収税額:268万円
差引所得税納付額:197万1,000円

出版された著作

1978年1月『偉大なる祖国アメリカ』(角川文庫)
1978年1月『実験的生活』(講談社)
1978年2月『閃光に向かって走れ』(文藝春秋)
1978年3月『男たちの祭り』(角川文庫)
1978年4月『詐欺師』(潮出版社)
1978年6月『愛の潮路』(光文社)
1978年9月『続人生漂泊』(時事通信社)
1978年10月『娼婦たちの天皇陛下』
1978年11月『大罷業』(角川文庫)
1978年12月『誓いて我に告げよ』(角川書店)
1978年12月『復讐するは我にあり(上)』(講談社)
1978年12月『復讐するは我にあり(下)』(講談社)

1979年(昭和54年)

収入額:4,963万8,000円
経費額:1,389万2,000円
課税対象額:3,536万7,000円
所得税額:11,787,000円
源泉徴収税額:682万7,000円
差引所得税納付額:495万9,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。

出版された著作
1979年4月『曠野へ 死刑囚の手記から』(講談社)
1979年5月『事件百景-陰の隣人としての犯罪者たち』(徳間書店)
1979年5月『ドキュメント狭山事件』(文春文庫)
1979年6月『男と女のいる風景』(文藝春秋)
1979年9月『無宿の思想』(時事通信社)
1979年12月『錆びた機械』(潮出版社)

※1977年分(昭和52年分)・1978年分(昭和53年分)から収入が大幅に増加しているのは、1979年(昭和54年)4月21日に、今村昌平監督・緒形拳主演で公開された『復讐するは我にあり』の映画化により、講談社から出版された文庫本が版を重ねたのが理由と考えられる。

1980年(昭和55年)

収入額:3,283万8,000円
経費額:1,136万9,000円
課税対象額:2,105万9,000円
所得税額:684万7,000円
源泉徴収税額:352万2,000円
差引所得税納付額:332万4,000円

出版された著作
1980年2月『海燕ジョーの奇跡』(新潮社)
1980年2月『殺人百科 PARTⅡ』(徳間書店)
1980年5月『旅人たちの南十字星』(文藝春秋)
1980年11月『波に夕陽の影もなく 海軍少佐竹内十次郎の生涯』(中央公論社)
1980年11月『風恋花』(潮出版社)

1981年(昭和56年)

収入額:3,570万2,000円
経費額:1,117万9,000円
課税対象額:2,412万6,000円
所得税額:850万5,000円
源泉徴収税額:409万8,000円
差引所得税納付額:440万4,000円

出版された著作
1981年2月『越山田中角栄』(徳間文庫)
1981年4月『殺人百科』(文春文庫)
1981年4月『冷えた鋼塊(上巻)』(集英社)
1981年4月『冷えた鋼魂(下巻)』(集英社)
1981年5月『幸せの陽だまり』(潮出版社)
1981年6月『欲望の塀』(文藝春秋)
1981年10月『日本漂民物語』(徳間文庫)
1981年12月『右の腕』(学習研究社)

1982年(昭和57年)

収入額:4,219万5,000円
経費額:1,506万1,000円
課税対象額:2,873万4,000円
所得税額:1,022万2,000円
源泉徴収税額:468万5,000円
差引所得税納付額:553万7,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。

出版された著作
1982年1月『大将とわたし』(講談社文庫)
1982年2月『詐欺師』(文春文庫)
1982年3月『殺人百科 PARTⅢ』(徳間書店)
1982年4月『沖縄住民虐殺-日兵虐殺と米国犯罪』(徳間文庫)
1982年5月『政商 小佐野賢治』(講談社)
1982年5月『我が沖縄ノート』(潮出版社)
1982年6月『土曜日の騎士』(河出書房新社)
1982年7月『新撰組』(文藝春秋)
1982年8月『きのこ雲』(中央公論社)
1982年8月『ジミーとジョージ』(集英社)
1982年9月『娼婦たちの天皇陛下』(徳間文庫)
1982年10月『噂になった女たち』(文藝春秋)
1982年12月『閃光に向かって走れ』(文春文庫)

1983年(昭和58年)

収入額:2,533万4,000円
経費額:1,005万9,000円
課税対象額:1,527万5,000円
所得税額:391万5,000円
源泉徴収税額:312万円
差引所得税納付額:79万4,000円

出版された著作
1983年3月『曠野へ』(講談社文庫)
1983年4月『英雄』(集英社)
1983年6月『深川通り魔殺人事件』(文藝春秋)
1983年9月『海燕ジョーの奇跡』(新潮文庫)
1983年10月『田中角栄の風景―戦後初期・炭管疑獄』(徳間書店)
1983年10月『波に夕陽の影もなく』(中公文庫)
1983年10月『冷えた鋼塊(上)』集英社文庫
1983年10月『冷えた鋼塊(下)』集英社文庫

1984年(昭和59年)

収入額:3,961万3,000円
経費額:1,493万円
課税対象額:2,468万3,000円
所得税額:783万2,000円
源泉徴収税額:415万6,000円
差引所得税納付額:367万5,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。

出版された著作

1984年2月『誓いて我に告げよ』(角川文庫)
1984年6月『殺人百科 一』(徳間文庫)
1984年6月『殺人百科 二』(徳間文庫)
1984年9月『男の自画像』(佼正出版社)
1984年9月『千葉大女医殺人事件』(徳間書店)
1984年9月『殺人百科 三』(徳間文庫)
1984年10月『人生漂泊』(潮文庫)


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1985年(昭和60年)

収入額:2,615万4,000円
経費額:931万1,000円
課税対象額:1,684万3,000円
所得税額:424万5,000円
源泉徴収税額:297万9,000円
差引所得税納付額:126万5,000円

出版された著作
1985年4月『ありふれた奇蹟』(講談社)
1985年4月『翔んでる十兵衛(上)』(潮出版社)
1985年4月『翔んでる十兵衛(下)』(潮出版社)
1985年7月『一・二審死刑、残る疑問―別府三億円保険金殺人事件』(徳間書店)
1985年9月『勝ちを制するに至れり〈上〉』(毎日新聞社)
1985年9月『勝ちを制するに至れり〈下〉』(毎日新聞社)
1985年10月『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』(文春文庫)
1985年12月『犯罪するは我にあり―佐木隆三文学ノート』(作品社)

1986年(昭和61年)

収入額:3,126万9,000円
経費額:1,077万5,000円
課税対象額:2,049万4,000円
所得税額:638万6,000円
源泉徴収税額:338万4,000円
差引所得税納付額:300万3,000円

出版された著作
1986年1月『ジミーとジョージ』(潮文庫)
1986年2月『政商 小佐野賢治』(徳間文庫)
1986年5月『殺人百科〈Part4〉―陰の隣人としての犯罪者たち』(徳間書店)
1986年7月『旅人たちの南十字星』(文春文庫)
1986年7月『南へ走れ、海の道を!』(徳間書店)
1986年12月『恋文三十年 沖縄・仲間翻訳事務所の歳月』(学習研究社)

1987年(昭和62年)

収入額:3,315万5,000円
経費額:1,053万9,000円
課税対象額:2,261万6,000円
所得税額:600万1,000円
源泉徴収税額:356万7,000円
差引所得税納付額:243万4,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。

出版された著作
1987年4月『華やかな転落』(潮出版社)
1987年5月『男の責任―女高生・OL連続誘拐殺人事件』(徳間書店)
1987年7月『わが沖縄ノート』(徳間文庫)
1987年7月『殺人百科―陰の隣人としての犯罪者たち〈2〉』(文春文庫)
1987年7月『殺人百科―陰の隣人としての犯罪者たち〈3〉 』(文春文庫)
1987年10月『深川通り魔殺人事件』(文春文庫)

1988年(昭和63年)

収入額:2,279万9,000円
経費額:778万8,000円
課税対象額:1,501万9,000円
所得税額:337万3,000円
源泉徴収税額:246万円
差引所得税納付額:91万3,000円

出版された著作
1988年12月『勝ちを制するに至れり〈上〉』(文春文庫)
1988年12月『勝ちを制するに至れり〈下〉』(文春文庫)

1989年(昭和64年・平成元年)

収入額:2,883万1,000円
経費額:845万4,000円
課税対象額:2,037万7,000円
所得税額:537万9,000円
源泉徴収税額:297万4,000円
差引所得税納付額:240万5,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。

出版された著作
1989年9月『千葉大女医殺人事件』(徳間文庫)
1989年11月『リクルート帝王の白日夢』(双葉社)

1990年(平成2年)

収入額:3,734万6,000円
経費額:1,220万3,000円
課税対象額:2,514万3,000円
所得税額:647万7,000円
源泉徴収税額:410万5,000円
差引所得税納付額:237万1,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
※収入(売上)3,000万円以上の為、消費税課税事業者。

出版された著作
1990年2月『バカなふりして生きてみな』(青春出版社)
1990年3月『裁判長大岡淳三』(講談社)
1990年6月『身分帳』(講談社)※第2回伊藤整文学賞受賞
1990年7月『新撰組事件帳』(文春文庫)
1990年9月『別府三億円保険金殺人事件』(徳間文庫)

1991年(平成3年)

収入額:2,961万8,000円
経費額:1,259万1,000円
課税対象額:1,702万7,000円
所得税額:393万6,000円
源泉徴収税額:303万8,000円
差引所得税納付額:89万8,000円

出版された著作
1991年8月『宮崎勤裁判〈上〉 』(朝日新聞社)
1991年9月『女高生・OL連続誘拐殺人事件』(徳間書店)
1991年9月『親が知らなかった子の愛し方』(青春出版社)
1991年12月『いま、裁判が面白い』(蒼樹社)

1992年(平成4年)

収入額:5,574万7,000円
経費額:1,883万4,000円
課税対象額:3,619万2,000円
所得税額:1,127万7,000円
源泉徴収税額:576万2,000円
差引所得税納付額:551万4,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
※収入(売上)3,000万円以上の為、消費税課税事業者。

出版された著作
1992年2月『恩讐海峡』(双葉社)
1992年4月『法廷の賓客たち』(河出書房新社)
1992年7月『正義の剣』(講談社)
1992年7月『捜査検事片桐葉子』(双葉社)
1992年10月『しぶとさの自分学』(青春出版社)
1992年11月『越山田中角栄』(現代教養文庫)
1992年11月『伊藤博文と安重根』(文藝春秋)

※1990年前後に、オリジナルキャラクターを造形した小説を何冊か刊行されましたが、
こちらの売れ行きは良くなかったと佐木隆三氏ご本人が述懐されています。

1993年(平成5年)

収入額:2,909万円
経費額:1,075万5,000円
課税対象額:1,835万5,000円
所得税額:444万2,000円
源泉徴収税額:332万6,000円
差引所得税納付額:111万5,000円

出版された著作
1993年1月『殺人百科 四』(徳間文庫)
1993年2月『矯正労働者の明日』(河出書房新社)
1993年3月『裁判長大岡淳三』(講談社文庫)
1993年6月『生きている裁判官』(中央公論社)
1993年6月『身分帳』(講談社文庫)
1993年9月『闇の中の光』(徳間書店)
1993年9月『錬金術師の白日夢』(双葉文庫)

1994年(平成6年)

収入額:2,821万5,000円
経費額:874万5,000円
課税対象額:1,922万円
所得税額:362万1,000円
源泉徴収税額:329万6,000円
差引所得税納付額:32万5,000円

出版された著作

1994年1月『絆 春日部新平の簡裁事件簿』(双葉社)
1994年4月『恩讐海峡』(双葉文庫)
1994年6月『バカなふりして生きてみな』(青春文庫)
1994年7月『死刑囚 永山則夫』(講談社)
1994年10月『捜査検事片桐葉子』(双葉社)

1995年(平成7年)

収入額:3,049万4,000円
経費額:1,125万円
課税対象額:1,880万4,000円
所得税額:365万7,000円
源泉徴収税額:325万9,000円
差引所得税納付額:39万7,000円

出版された著作

1995年4月『司法卿 江藤新平』(文藝春秋)
1995年6月『白鳥正宗刑事の事件帳』(中央公論社)
1995年6月『宮崎勤裁判〈上〉』(朝日文芸文庫)
1995年8月『正義の剣』(講談社文庫)

1996年(平成8年)

収入額:3,521万2,000円
経費額:1,183万4,000円
課税対象額:2,321万8,000円
所得税額:490万6,000円
源泉徴収税額:355万7,000円
差引所得税納付額:134万8,000円
※備考:平均課税方式がとられている。

出版された著作
1996年1月『絆 春日部新平の簡裁事件簿』(双葉文庫)
1996年3月『伊藤博文と安重根』(文春文庫)
1996年10月『「オウム法廷」連続傍聴記①』(小学館)
1996年10月『「オウム法廷」連続傍聴記 (2) 麻原出廷②』(小学館)
1996年10月『オウム裁判を読む』(岩波書店)
1996年10月『ハダカの自分を生きてみな』(青春文庫)

1997年(平成9年)

収入額:4,676万7,000円
経費額:1,563万2,000円
課税対象額:3,024万2,000円
所得税額:716万9,000円
源泉徴収税額:536万8,000円
差引所得税納付額:180万1,000円
※備考:平均課税方式がとられている。

出版された著作
1997年2月『法廷のなかの人生』(岩波新書)
1997年8月『死刑囚 永山則夫』(講談社文庫)
1997年10月『宮崎勤裁判〈中〉』(朝日新聞社)
1997年10月『宮崎勤裁判〈下〉』(朝日新聞社)
1997年11月『冷えた鋼塊 上』(読売新聞社)
1997年11月『冷えた鋼塊 上』(読売新聞社)

1998年(平成10年)

収入額:3,854万5,000円
経費額:1,328万9,000円
課税対象額:2,487万9,000円
所得税額:587万1,000円
源泉徴収税額:384万9,000円
差引所得税納付額:202万2,000円

出版された著作
1998年3月『人が人を裁くということ』(青春出版社)
1998年4月『司法卿 江藤新平』(文春文庫)
1998年9月『裁判』(作品社)

1999年(平成11年)

収入額:2,987万7,000円
経費額:1,324万6,000円
課税対象額:1,741万円
所得税額:346万円
源泉徴収税額:307万5,000円
差引所得税納付額:385,000円
※備考:消費税課税事業者

出版された著作
1999年5月『もう一つの青春』(岩波書店)
1999年8月『悪女の涙―福田和子の逃亡十五年』(新潮社)
1999年9月『少年犯罪の風景-「親子の法廷」で考えたこと』(東京書籍)
1999年11月『死刑執行―隣りの殺人者〈1〉』(小学館文庫) ※『曠野へ 死刑囚の手記から』改題

この年、東京暮らしに別れを告げ、福岡県北九州市門司区に移住されています。

2000年(平成12年)

収入額:2,935万2,000円
経費額:1,317万5,000円
課税対象額:1,617万7,000円
所得税額:313万4,000円
源泉徴収税額:317万7,000円
差引所得税納付額:-4万3,000円(還付)
※備考:消費税課税事業者

出版された著作
2000年1月『白昼凶刃―隣りの殺人者〈2〉』(小学館文庫) ※『深川通り魔殺人事件』改題
2000年3月『法廷のなかの隣人たち』(潮出版社)
2000年4月『逃亡射殺  隣りの殺人者3』(小学館文庫) ※『旅人たちの南十字星』改題
2000年5月『成就者たち』(講談社)
2000年6月『女医絞殺 隣りの殺人4』(小学館文庫) ※『千葉大女医殺人事件』改題
2000年8月『組長狙撃 海燕ジョーの奇跡 隣りの殺人者5』(小学館文庫)
2000年9月『宮崎勤裁判〈中〉』(朝日学芸文庫)
2000年12月『宮崎勤裁判』(朝日学芸文庫)

2001年(平成13年)

収入額:2,478万円
経費額:1,567万円
課税対象額:1,395万円
所得税額:245万5,000円
源泉徴収税額:249万9,000円
差引所得税納付額:-4万4,000円(還付)

出版された著作
2001年1月『小説 大逆事件』(文藝春秋)
2001年4月『供述調書―佐木隆三作品集』(文藝春秋)
2001年7月『裁かれる家族―断たれた絆を法廷でみつめて』(東京書籍)
2001年11月『法廷の内と外で考える―犯罪者たちとの十年』(文芸社)

2002年(平成14年)

収入額:2,296万8,000円
経費額:1,048万7,000円
課税対象額:1,248万1,000円
所得税額:229万7,000円
源泉徴収税額:238万8,000円
差引所得税納付額:-34万1,000円(還付)

出版された著作
2002年4月『三つの墓標―小説・坂本弁護士一家殺害事件 』(小学館)
2002年11月『大義なきテロリスト―オウム法廷の16被告』(日本放送出版協会)

2003年(平成15年)

収入額:1,685万4,000円
経費額:936万4,000円
課税対象額:658万2,000円
所得税額:78万9,000円
源泉徴収税額:171万4,000円
差引所得税納付額:-92万4,000円(還付)

出版された著作
2003年5月『成就者たち』(講談社文庫)
2003年10月『少女監禁―「支配と服従」の密室で、いったい何が起きたのか』(青春出版社)

2004年(平成16年)

収入額:1,946万1,000円
経費額:1,053万8,000円
課税対象額:768万4,000円
所得税額:96万5,000円
源泉徴収税額:202万4,000円
差引所得税納付額:-105万9,000円(還付)

出版された著作
2004年2月『小説 大逆事件』
2004年2月『慟哭 小説・林郁夫裁判』(講談社)
2004年6月『証言台の母―小説医療過誤裁判』(弦書房)
2004年9月『深川通り魔殺人事件』(新風舎文庫)
2004年10月『宿老・田中熊吉伝』(文藝春秋)

2005年(平成17年)

収入額:1,763万9,000円
経費額:1,101万5,000円
課税対象額:662万3,000円
所得税額:66万8,000円
源泉徴収税額:177万8,000円
差引所得税納付額:-111万円(還付)

出版された著作
2005年6月『

ドケチ術

ドン引き!?尊敬!?節約術を見習う!?働きながら資産1億円以上貯めたドケチ警官

ラジオ大阪で「これがケチだ」という番組があった。面白ドケチエピソードの数々

かつて、大阪のラジオ局で「これがケチだ」という身も蓋もないプログラムがありました。
実行中のケチなり、アイデアを募集して、秀作と認められれば3000円、佳作を半ケチと称してハンケチ(ハンカチ)が送られるというもので、大阪という土地柄からか応募者が多く、週に200以上の応募がありました。

放送されたドケチエピソードはこんな感じです。

◎絶対に二度寝をしないドケチな方法

『わたしは牛乳配達をしてもらう契約をする際に、牛乳を置いてもらう時間に、必ず玄関のインターホンを押してもらう約束をさせました。それで、目覚まし時計を買うお金を貯金しました』
二度寝はしなかった模様です・・・

◎絶対に早起きできるドケチな方法

『寝る前に、多量のお茶を飲めば膀胱タイマーが起こしてくれます。早起きしなければならないときに実行しています』
膀胱に良くないと思いますが・・・

◎ドケチ座布団

『牛乳瓶のフタにかぶせてあるポリエチレンの覆いを数百枚ためて、座布団に入れました』
座り心地はどんなものでしょうか・・・

◎健康とお金を手に入れて、道に落ちているお金も拾って一石三鳥なドケチの朝

『朝、運動のつもりで新聞配達をしています。二百部配達して月の小遣いにしています。配達帰りに1部もらって読むので新聞代が浮きます。読んだ新聞を貯めて古紙回収業者に売ります。新聞の配達地域は、キタのバーやクラブの多い北新地付近なので、百円玉や千円札がよく落ちています』
新聞配達は健康的ですね。

◎ドケチな親の教育方法

『普通科に進みたいという娘を説き伏せて、看護科に入れました。5年制で就職は100%保証されますから安心です。卒業後はなるべくへんぴな田舎へ行かせるつもりです。遊びに行くところもないから無駄遣いしない。寄宿舎で生活費は安くておしゃれをする気にもならないだろうから、結婚費用もすぐに貯まります。白衣姿は美人に見えますから、玉の輿に乗るかもしれません。離婚したり未亡人になっても看護師資格があるので安泰です』
娘さんご自身の意思は、完全に無視されていますが大丈夫なんでしょうか・・・

◎無料で身体を温めるドケチな方法

『寒いときは、身体の温まるアルバイトをするに限ります。満員電車の乗客を車内に押すバイトです。身体が温まり、バイト代ももらえて一石二鳥です』
押されるほうはキツイんですけどね・・・

この番組は人気となり、3年半続きましたが、スポンサーがケチだったため、終了となってしまいました。

警官として勤務しながら1億円以上貯めたドケチ警官がスゴい!

大阪府警のある地域課に勤める巡査はドケチで有名でした。
“「あの男の生活を見とると、根っからのケチやと思いますね。われわれがケチしよう思たらそれなりに努力します。努力いうんは、イコール苦労と違いますか? 楽しいということは全然ない。ところが彼は違うんです。『メシに塩かけて食べて生きていけるオレは、生まれつきツイてるんや』とケロッとしているんです」”(同僚の話)

“「彼が趣味やゆうとるデパート巡りは、ほかの目的がおまんのや。閉店まぢかになると安く売るんで、そいつを買うて帰ろうという魂胆ですわ。昼間にうろついてたら、それは試食巡り。昼飯分タダや」”(別の同僚の話)

“「何しろ無口ですよ。舌を動かすのも惜しいのとちゃうかな? しゃべれば腹減るわな。奥さんと家で食事しとるときも、奥さんがごはんのおかわり3杯目になると、やっこさん、キッと奥さんにらむそうです。奥さんは居候やないのにね」”(別の同僚の話)

記者が本人に会うと、たしかに言葉は少ないが、人の噂には泰然としていてへっちゃらだったようです。
本人の話。“「噂には本当のこともウソもあります。たしかに僕の生活は質素です。というより、他の人が派手すぎるんですよ。僕に酒なんかたかろう思っても、僕が応じないからケチをつけるんです。そやけど、直接耳に入ってこなければ平気や。

愚かな連中は金を持たない。金も持たん人が、愚かなことを言ったり、愚かなことをするんです」”

彼はどうして資産を形成したのか?
巡査を拝命してから2年間で貯めたお金を株式に投資しました。相変わらず食生活は塩と漬物を貫いて、貯めた金で増資、株式の新株購入をしているうちに株価は上昇、5年後に5倍になったところで売却。日曜日に大阪市内をパトロールして、土地を購入。
その後、大阪市内の土地の値上がりを見て、大阪には見切りをつけて、滋賀県の土地を購入。
不動産投資で1億円以上、他にも当座預金と株式が1万6000株。

住まいはずっと古ぼけた府営住宅に住み、奥さんは銀行勤めなので2馬力で収入はそこそこあるのですが、本人曰く“「自分の家も、車も、必要と認めんですよ。警官仲間の2割くらいが手弁当ですが、僕はいまでも塩とタクアンで平気やけど、女房がみっともないと言うて、人並みにおかずがついています。もったいないな。映画でっか? 3年に1度観るくらいや。タクシーなんか乗らへん。タバコは1日1本や」”

資産をもっと増やしたいかと記者に聞かれると・・・

“「わたしは一応、目標を立ててますんやけど、貯める努力が楽しいんですよね。ああするとええかな、こうするかなと考えていると楽しいです。同僚からケチと言われても何とも思いません。あんなに貯め込んで、少しぐらい奢ったらええやんか、と言うとるかもしれんけど、意地でも奢りません」”

そして、資産作りのコツを聞かれると・・・
“「運・勘・根や」”と答えています。
最初に運があって、勘を磨いて、資産を形成するぞという強い思いが大切だと言っています。

参考・引用:週刊読売「塩とタクアンで一億円貯めたドケチ警官ーウン・カン・コンの資産作り16年」より

最後まで、読んでくださり本当にありがとうございました。
他にもお役に立てる記事があるかと思いますので、どうぞお楽しみくださいませ。

人物伝

Dr.マシリトこと鳥嶋和彦はビックリするほど優秀だった そのⅤ

自分と関わった人間を富ませる人

〝ミダス王〟と自称したのはダテではなかった

はる坊です。
『Vジャンプ』編集長だった1990年代前半、鳥嶋和彦さんは自らのことを「ミダス王」と呼びました。ギリシャ神話に出てくる、触れた物をすべて黄金に変える力を持った神のことです。

たしかに鳥嶋さんと仕事で深く関わった方は、大きな収入や資産を得ています。
クリエイターでいえば、
鳥山明さんは、『ドラゴンボール』で、桂正和さんは『ウイングマン』『電影少女』『I”s』で、堀井雄二さんは『ドラゴンクエスト』で、さくまあきらさんは『桃太郎電鉄』で、坂口博信さんは『ファイナルファンタジー』でいずれも億単位の収入を得ることになります。

エニックスとスクウェアは上場企業に

また、ゲームで関わったエニックスとスクウェア(現:スクウェア・エニックス)も、それぞれ株式を店頭公開(現在でいうJASDAQ上場)を果たします。

まず、エニックスですが、1991年(平成3年)2月の株式店頭公開(株式上場)時に公募価格の8270円を大きく超える12000円の高値をつけて話題を呼びます。

これにより株主であった創業期からのメンバーは株式上場で大きな資産を得ます。エニックス社長(現・名誉会長)の福嶋康博さんは数百億円の株式資産を得て、杉並区浜田山にスポーツジムと麻雀スペースを備えた豪邸(現在は、渋谷区初台にもっと大きな邸宅を建設して居住)を建てます。

創業メンバーでドラクエのプロデューサーだったエニックスの千田幸信さんも数%の株式を保有する大株主でしたので、多額の資産を手に入れるとともに、JRA日本中央競馬会の馬主資格を得ることになります。

当時の週刊誌には、“「今回の株式公開で、役員は億単位の資産を手に入れ、社員にも数千万円の資産を手に入れた者もいる」”と報じています。

スクウェアの場合は、1994年(平成6年)8月に株式店頭公開(株式上場)を行います。
創業社長であり、91年で社長から身を引き、オーナーとして同社の成長を見てきた宮本雅史さんは、この時に持株の一部を売却しますが、翌1995年(平成7年)5月に発表された1994年分の全国高額納税者番付で17億7220万円を納税して全国2位になったことが報道されました。

ウィキペディアで94年分の全国2位にゲーム会社首脳と記載されているのは宮本さんのことです。

また、坂口博信さんも、株式店頭公開時にはスクウェアの株主ではベスト5に入る大株主でしたので、多額の株式資産を得ることになります。

1996年、43歳で週刊少年ジャンプ編集長に

そんな1996年2月、43歳になっていた鳥嶋和彦さんは、週刊少年ジャンプの編集部に戻り、編集長に就任します。

ジャンプは、後藤広喜さんから編集長のバトンを受け継いだ堀江信彦編集長の下、1994年12月に発行部数653万部を記録しますが、その後は、鳥山明さんの『ドラゴンボール』、そして冨樫義博さんの『幽遊白書』の終了などで、部数は500万部台に減少してしまいます。

編集長を務めていた堀江信彦さんは『メンズノンノ』の編集長に異動となり、後任に鳥嶋さんが就いた形になりました。
(堀江さんはその後、『BART』編集長を経て、集英社を退社します。

そして、北条司原哲夫次原隆二と共にコアミックスを設立、コミックバンチを創刊します。集英社を辞めるときは、年収2000万円を捨てた男として週刊誌の記事になりました。)

週刊少年ジャンプに戻った鳥嶋さんは、3ヶ月間編集部内の様子をみることに注力します。
4年間『Vジャンプ』の編集長を務めていた期間で、編集部のノリや雰囲気が変わっていて、すんなりとジャンプ編集部になじめなかったと回想しています。

プロジェクトをゼロから立て直す

同時に、前編集長が進めていたプロジェクトはすべて1回止めることにして、集英社の内外に頭を下げて回ります。このプロジェクトのなかには、宮部みゆきさん原作の漫画も含まれていたようです。

3ヶ月が過ぎて、ようやく編集部を見渡せるようになった鳥嶋さんの目に入ってきたのは、新人漫画家と編集者が育っていないということでした。

鳥嶋さん曰く

“「冷蔵庫が空っぽの状態になっていた。部数がどんどん上がっていた時期に、新人の連載が次々に失敗した結果だった」”

(引用元;月刊創 1998年12号 「少年ジャンプ」編集長ロングインタビュー 「意識するのはマガジンよりもコロコロですね」-かつて600万部強の驚異的部数を誇りながら)

まもなく、井上雄彦さんの『スラムダンク』も終了しました。



鳥嶋流・編集長術は意外にもシンプルだった

“『もう一回、とにかく少年ジャンプの基本に返るしかない。新人をどれだけ意欲的に取り込んでいけるのか、それで編集者と二人三脚で手作りでやった作品を読者の目にさらして、その反響を編集・作家双方が受け止めて、次の作品につなげていく。この繰り返ししかないんですよね。だから僕がジャンプに戻ってまず考えたのは、そこ(新人発掘・編集者育成)だけを徹底してやりたいということで。新人賞を含めて全部見直したいと。新人賞のマンガ家の選考は、たとえ毎週の校了日に引っかかっても、それだけは必ず見てもらう。それから、副編集長と相談して、連載漫画を数本終わらせてもいいから、必ず毎週、読み切りを載せるスペースを作ってくれと』”

(引用元;月刊創 1998年12号 「少年ジャンプ」編集長ロングインタビュー 「意識するのはマガジンよりもコロコロですね」-かつて600万部強の驚異的部数を誇りながら)

大胆な新人起用は、現在のジャンプに繋がっている

毎週、載せることになった読み切りから、現在までジャンプを支えることになった作品が登場することになります。
1996年夏の増刊号に『ROMANE DAWN』という作品が載ります。そして本誌41号に同じタイトルの読み切りが登場します。
主人公の名はルフィ。作者の名は尾田栄一郎。1975年熊本県生まれの当時21歳。九州東海大学(現:東海大学)工学部建築学科を中退して、『るろうに剣心』の和月伸宏さんの元でアシスタントをしながら描いた作品です。

そして1997年7月22日から『ONE PIECE』連載を開始。現在に続く大人気漫画となり、コミックスの発行部数も国内だけで4億3000万部となっています。

また、同年に始まった島袋光年さんの『世紀末リーダー伝たけし!』も人気を集め、続けて森田まさのりさんの『ROOKIES』、樋口大輔さんの『ホイッスル!』もスタートします。

そして、1998年には冨樫義博さんの『HUNTER×HUNTER』もスタート。武井宏之さんの『シャーマンキング』も人気作となります。

1999年も許斐剛さんによる『テニスの王子様』、原作:ほったゆみ×作画:小畑健による『ヒカルの碁』がヒット作となり、本誌の発行部数こそ減少しますが、コミックスの売れる連載作品が多く並ぶ誌面となっていきます。

最後に、99年には、岸本斉史さんの『NARUTO』もスタートします。

2014年の末に本編は完結しましたが、15年にわたる連載で全700話。単行本は全72巻+外伝1巻を数え、国内だけで1億4000万部以上、そして特筆すべきは海外人気で、フランスだけで1800万部以上、出版された35の国々の出版部数は7500万部以上となり、全世界で2億2000万部以上のメガヒットとなりました。

1997年から1999年までで、これだけの人気連載が出そろったのは、鳥嶋和彦さんが編集長に就任以来掲げてきた、新人漫画家と編集者の育成が進んだ結果といえると思います。

2001年に高橋俊昌さんに編集長の座をバトンタッチすると、鳥嶋さんは第3編集部部長(週刊少年ジャンプ・月刊少年ジャンプ・Vジャンプの統括)に昇格します。
また、権利関係に詳しいことから、ライツ事業部部長も兼任する形となります。

現在は、株式会社 白泉社 代表取締役会長 鳥嶋和彦

2004年には集英社の取締役 第3編集部部長兼ライツ事業部部長となり、2006年7月まで、第3編集部部長職を務め、2008年にはの小学館集英社プロダクション取締役も兼任。

2009年には集英社の常務取締役。

2010年には専務取締役に就任。

2015年8月に退任するまで務めます。

そして、同月に白泉社の顧問に就任すると、その3ヶ月後の2015年11月に白泉社の代表取締役社長に就任します。

白泉社は集英社から枝分かれする形で1973年12月に設立され、資本金1000万円・従業員100名ほどの出版社です。

単体だけで、700名の従業員がいる集英社に比べると小回りが利く企業といえるかもしれません。

社長に就任した鳥嶋さんは、まず、社員ひとりひとりと面談をします。社員が何を考えながら仕事をしているか、そして将来のビジョンは何なのかを知るためです。そして、編集者を育成することに力を注ぐことにします。

編集者を育成すること=新人漫画家の育成に繋がるという考えからうまれているのでしょう。

また、鳥嶋さんが社長に就任してからの白泉社の求人サイトはちょっとぶっ飛んでいます。

大きくアピールされたのは〝たいじん〟を求めますという言葉。
これは、○○をしたい。○○になりたい。の〝たい〟を意味しますが、一見すると何だろうと思えます。
また、2019年度の採用では、ズバリ〝変〟がテーマでした。

鳥嶋和彦は経営者としても優秀!? 白泉社社長就任後、業績がアップしている!

鳥嶋和彦さんが白泉社の代表取締役社長に就任したのは、2015年11月でした。
この2ヶ月前に発表された2015年9月期の決算では、業績は売上高が93億9400万円でした。
それが、鳥嶋社長体制になってから、2016年9月、2017年9月と売上高は100億円台に回復しています。

2010年頃からは、売上高80~90億円台でウロウロしていましたので、鳥嶋社長の経営姿勢が数字にも表れているのではないかと思います。

ちなみに、2018年11月20日の白泉社の役員体制は以下のとおりです。
代表取締役社長:鳥嶋和彦
常務取締役:菅原弘文・馬場建輔
取締役:八巻健史・島田明・堀内丸恵
監査役:木川真希子
※堀内丸恵氏は集英社 代表取締役社長
(1951年10月山梨県富士河口湖町生まれ。成蹊大学法学部卒業後、75年集英社入社。週刊少年ジャンプ編集部に配属され、小林よしのりや秋本治の担当編集者となる。青年誌に異動後、スーパージャンプ編集長を経て、管理部門の管理職を経験。役員待遇、取締役、常務取締役、専務取締役を経て、2011年8月より社長。小学館の監査役も兼任)

ちなみに集英社の役員体制は

代表取締役社長:堀内丸恵
専務取締役:東田英樹
常務取締役:柳本重民・石渡孝子・高梨雄二・鈴木晴彦・廣野眞一・小林桂・茨木政彦
取締役:田中恵・村田登志江・渡辺隆・北畠孝幸・隅野叙雄・田中純
常勤監査役:木川真希子
監査役:相賀昌宏

でした。

2018年11月21日 株式会社 白泉社 代表取締役会長に就任

白泉社に移った鳥嶋和彦さんの社長任期は、当初から3年と決まっていました。
よって、2018年11月以降の去就が注目されていたのですが、11月21日付けで白泉社の代表取締役会長に就任されました。
代表取締役社長には、常務取締役を務められていた菅原弘文常務が昇格。
新任取締役には、高木靖文(デジタル事業部、キャラクタープロデュース部担当)
白岡真紀(第一編集部、第三編集部担当)
小見山康司(販売部、宣伝部、制作部担当)
の3名が就任。
柳沢仁さん(宣伝部、出版部、MOE編集部担当)が、役員待遇のポストに就かれました。

2020年11月27日 株式会社 白泉社 取締役相談役に就任

2020年11月27日に定時株主総会と取締役会が執りおこなわれ、新役員体制が決定しました。

鳥嶋さんは代表取締役会長を退任して、取締役相談役に就任されました。

代表取締役社長(全社統括):菅原弘文
専務取締役(管理部:総務部・経理部・編集総務部 営業部門:販売部・宣伝部・制作部・海外営業部・コンテンツビジネス部担当):馬場建輔
取締役(総務部・経理部・編集総務部担当兼総務部・経理部部長):八巻健史
取締役(第2編集部・宣伝部担当兼第2編集部・宣伝部部長):島田明
取締役(デジタル事業部・キャラクタープロデュース部担当兼デジタル事業部・キャラクタープロデュース部部長):高木靖文
取締役(第1・3編集部担当):白岡真紀
取締役(販売部・制作部・海外営業部担当兼販売部部長):小見山康司
取締役(出版部・MOE編集部・kodomoe編集部・コンテンツビジネス部担当兼MOE編集部・kodomoe編集部部長):柳沢仁
取締役:廣野眞一(集英社 代表取締役社長)
取締役相談役:鳥嶋和彦
監査役:恩穂井和憲

今後、鳥嶋さんは、自らの知名度を生かした対外的な仕事や新しいプロジェクトを立ち上げられるかもしれません。
また、社長・会長時代に行っておられた、後進編集者の育成に力を注がれるかもしれません。

鳥嶋和彦さんの今後にも注目をしていきたいと思います。

最後まで、拙い文章を読み続けてくださり、本当にありがとうございました。

ビジカジサブスク

人物伝

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その2

西村寿行 小説家デビュー

1973年(昭和48年)2月、西村寿行のデビュー作瀬戸内殺人海流が、サンケイ出版より出版されました。

42歳での小説家デビューです。

9月には第2作安楽死が出版され、翌年には第27回日本推理作家協会賞の候補に挙げられます。

※『安楽死』は2018年8月に角川文庫から復刊されています。

西村寿行の小説を読んだことのある方なら、〝男根さま〟〝後背位〟〝尻〟〝人妻〟〝ジーパン人妻〟がやたら出てくる、「ああいう小説か」と思われるかも知れませんが、作家生活前半の西村作品には、そんな言葉はほとんど出てきません。

受賞したのは、1973年内に上巻204万部・下巻185万部を売り、当時大ベストセラーとなった小松左京の『日本沈没(上下)』でしたが、

選考委員の評を読む限りでは、次点といったところで、一定以上の評価を受けています。

本格的に作家デビューとなったこの年の年収は250万円。
ちなみに、この年の大卒初任給は62,300円です。

翌1974年(昭和49年)には、第3作屍海峡が刊行され、出版業界では、〝新進の推理小説家〟と呼ばれ始めます。
この年の収入は1,200万円となり、デビューした1年前より大幅にアップします。

しかし、西村寿行のなかでは違和感と悩みが生まれていました。

『推理小説家になりたかったわけではない』
『推理小説家と呼ばれたところでしっくりこない』

そして、『トリックというものが性に合わない』

そんな折りに、西村は直木賞作家・生島治郎からアドバイスを受けます。

「冒険小説を書いてはどうか」

生島治郎は、早大英文科を卒業後、早川書房にて編集者を務め、『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』編集長を経て、退社。
『傷痕の街』で作家デビュー後、『追いつめる』で直木賞を受賞。
『黄土の奔流』などで、ハードボイルド小説の書き手として活躍。
『兇悪』シリーズが、天知茂主演のテレビドラマ『非情のライセンス』の原作になるなど、人気作家として名を轟かせる一方、大沢在昌を見出すなど、才能を見出す力にも秀でていました。
また、韓国籍のソープランド嬢との結婚を題材にした『片翼だけの天使』の作者としても有名です。

出世作『君よ憤怒の河を渉れ』誕生

西村寿行は生島のアドバイスに従い、手にした印税で山中に建つ一軒家の一角を借りて、大量の資料を持ち込んで、一心に冒険小説を書きます。
そして、彼の運命を変える『君よ憤怒の河を渉れ』は完成しました。

西村は書き上げた原稿を手に、講談社を訪れます。
早速、作品を読んだ編集者からは、〝作品が荒削りであり、荒唐無稽な箇所もあるので、もう一捻りして欲しい〟と指摘を受けます。

しかし、自分の作品に絶対の自信があったのか、西村は原稿を直すことなく、今度は徳間書店を訪れます。

作品を読んだ『問題小説』編集長は、荒削りな作品であることを承知で、そのまま『問題小説』に掲載します。

掲載されると、作品は大いに反響を呼び、刊行されたノベルス(新書版)『君よ憤怒の河を渉れ』はベストセラーとなります。
ノベルスと文庫を合わせて、最終的には発行部数70万部を記録しました。

ただ、デビューから数年がたっただけの西村の作品を、西村寿行選集(NISHIMURA HARD-ROMAN SERIES)と銘打って大々的に売り出したのも、当時大きな効果があったのでしょう。

ちなみにこの選集は、他社から刊行された本も、徳間書店が二次的にノベルスで発売を続け、1999年に発行された『鷲』『涯の鷲』まで全112冊に及びました。

また、続けて徳間書店から『蒼き海の伝説』も刊行。

いままでの書き下ろし一辺倒から、短編小説の雑誌掲載依頼も出版社から来るようになり、1975年分の年収は一気に4,400万円にアップ。

中野区上高田のマンションに仕事場を構えます。
順調な作家生活が始まりました。

西村寿行の活躍が始まる

1976年に入ると、角川書店から前年の終わりに野性時代誌上に一挙掲載された化石の荒野が刊行されます。(のちに渡瀬恒彦主演で映画化されます)
ストーリーはまったく違いますが、『化石の荒野』は『君よ憤怒の河を渉れ』を大幅にブラッシュアップした印象を受けます。

そして、この後の作品群で見受けられる設定や構成が決定的なものになるのも、この作品からです。
西村寿行自身もこの作品を気に入っていたのでしょう。
あとがきでは「ぼくのデビュー作」とまで言い切っています。

これもベストセラーとなり、西村寿行は、〝推理小説家〟ではなく〝新進気鋭のハードボイルド作家〟と見なされるようになります。
(〝ハードロマン〟という呼び方はまだ浸透していませんでした)

1976年(昭和51年)に刊行された本

この年には、前述した化石の荒野の他に、『娘よ、涯なき地に我を誘え』(78年に『犬笛』に改題)『幻の白い犬を見た(短編集)』『滅びの笛』『牙城を撃て(上)』『牙城を撃て (下)』『原色の蛾(短編集)』を刊行。

スポーツ新聞連載、小説雑誌連載・掲載が相次ぎ、執筆量が大幅に増加します。
この当時、西村寿行の月産枚数は原稿用紙900枚と報じられました。

1976年度分の年収は8,800万円。

まさに、倍々ゲーム。
仕事場も、新宿区と渋谷区の境に建ったばかりのマンション最上階に移します。

7月には、ニホンオオカミを題材に取った短編『咆哮は消えた』で第75回直木賞候補に挙げられます。
落選こそしましたが、当時の選評を読む限りでは、源氏鶏太・水上勉・柴田錬三郎からは好感を得ています。
※参照 オール讀物 1976年9月号

1977年(昭和52年)に刊行された本

咆哮は消えた(短編集)』『妄執果つるとき』『帰らざる復讐者 』『汝!怒りもて報いよ(上)』『汝!怒りもて報いよ (下)』『魔の牙』『魔笛が聴こえる』『荒涼山河風ありて』『悪霊の棲む日々』『白骨樹林』『双頭の蛇(短編集)』『往きてまた還らず(上)』『往きてまた還らず(下)を刊行。

1977年には更なる活躍を見せ、毎月の執筆枚数は400字詰め原稿用紙で800~1000枚。
急激に読者の人気を得ていきます。
西村寿行の専売特許ともいえる〝ハードロマン〟という言葉も浸透し始めました。

1月に『滅びの笛』で第76回直木賞、7月には、『魔笛が聴こえる』で第77回直木賞候補に挙げられます。

新聞や雑誌に連載され本にまとまったとき、連載時と文章を比較すると、しっかりと著者校正作業をおこなっていたのが分かります。

しかし、執筆量が大幅に増えて、ひとつひとつの作品の細部にまで、目が届かなくなっていったこともあったでしょう。
急激な西村寿行作品の人気上昇を面白く思わない選考委員も存在したと思います。

選考委員の意見は、「着想は面白いが雑」「荒唐無稽」「劇画的」と否定的になり、いずれも落選の憂き目に遭います。
※参照 オール讀物 1977年4月号・1977年10月号

西村は3度目の直木賞落選のあと、文藝春秋に「もう候補にしてくれるな」と断り状を出しています。

この断り状のタイミングが不明なのですが、77年の年末に、78年1月に選考が行われる第78回直木賞候補に自作が挙げられるのを知って、断り状を出したのであれば、どの作品が候補に挙がることになったのかは、気になるところです。

1980年に受けたインタビューで、“「どこの賞も候補になるのは断っている。」”と発言しています。
参照:「データバンクにっぽん人 西村寿行」週刊現代1980年5月22日号

日本推理作家協会賞や、雑誌の企画で誌上にて手紙のやり取りをした五木寛之が仕掛け人となった泉鏡花文学賞。
それに、この年に始まった日本SF大賞の候補打診があったのかもしれません。

しかし、このインタビューでは、こんな思いも漏らしています。

“「でも、同業者が選ぶ賞は欲しくないが、前に小説現代がやっていたような読者賞ならいい。」”

西村が触れているのは『小説現代ゴールデン読者賞』のことです。

この賞は、読者の投票によって決まる賞で、1970年~1975年まで続きました。
受賞者は以下の通りです。

第1回 笹沢佐保『見返り峠の落日』
(推理小説から時代小説に初めて挑戦し、『木枯し紋次郎』の原型となった作品です)

第2回 梶山季之『ケロイド心中』
(被爆と性をテーマにした短編です。発表当時には各所から猛抗議を受けたようですが、彼自身、広島に深い縁があり、原爆被災資料の刊行に資金援助をした人物でもありました)

第3回 松本清張『留守宅の事件』
(短編集『証明』に収められている一編です。ここではネタバレはしません)

第4回 野坂昭如『砂絵呪縛後日怪談』
(本人のイメージと異なる江戸を舞台にした時代小説です。執筆にあたって柴田錬三郎から「江戸の夜は暗かった。女のほうが強かった」という短いアドバイスをもらって書き上げたというエピソードがあります)

第5回 池波正太郎『殺しの四人』
(『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶ人気シリーズ『仕掛人 藤枝梅安』の一編で、「おんなごろし」に次ぐ梅安シリーズの2作目です)

第6回 井上ひさしいとしのブリジット・ボルドー
(東北の旧家で発見された1800年代中盤のボルドーワインを巡る騒動を描いています。笑い・ユーモアはすごいと思います)

こうやってリストアップしてみると、小説の読者は、いい小説を選んでいるなとつくづく思います。

1977年度の年収は1億5,000万円。
前年度から更に倍増します。

⇒アマゾンのKindleでは、電子書籍のキャンペーン実施中で、西村寿行作品が270円から読めます。

⇒西村寿行の勢いは留まることを知りません。更に読者の人気を得ていきます、そしてついに・・・
その3に続きます。

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その3