小説家 長者番付 日本

本の雑誌2021年3月号はる坊の雑記

『本の雑誌』2021年3月号 に当ブログの長者番付・作家部門のデータを提供させていただきました

『本の雑誌』2021年3月号 に長者番付・作家部門のデータを提供させていただきました。

はる坊です。

この度、『本の雑誌』2021年3月号 お馬ちゃかぽこ春風号 No.453にて、直木賞非公式WEBサイト『直木賞のすべて』(新しいタブが開きます)を運営されている川口則弘さんが寄稿された『長者番付作家編を読み解く』に、当ブログ内にある長者番付・作家部門のデータを提供させていただきました。

下記に長者番付・作家部門データの詳細ページへのリンクがありますので、ご興味のある方は、ぜひご覧ください

さて、同誌は1976年に発行を開始。当初は不定期誌でしたが、隔月誌を経て、1988年5月号より月刊誌となり現在に至っています。

2015年には、〝従来の書評誌にはなかったエンタテインメント中心の書評、ユニークな特集、個性的な執筆陣などで日本の出版文化に独自の存在感をアピール。本年で創刊四十周年を迎えた〟として、作家・歴史探偵の半藤一利氏・女優の吉永小百合氏・NHKスペシャル「カラーでよみがえる東京」「カラーでみる太平洋戦争」・車イスプロテニス選手の国枝慎吾氏とともに、第63回菊池寛賞を受賞しています。

『WEB本の雑誌』はこちらから。(新しいタブが開きます)

毎号、本好きにはたまらない興味惹かれる特集を組んでいますが、

今号の特集は「もしもベストセラーを出したら」です。

もちろん、内容は充実しており、

○1000万部超のベストセラー翻訳家・越前敏弥氏インタビュー

○『鬼滅の刃』勝手に皮算用! 原カントくん氏

○長者番付作家編を読み解く 川口則弘氏 

○角川文化振興財団 常務理事 宍戸健司氏インタビュー/「あれに似た匂い」で企画が通る!? 

○本屋の御輿の担ぎ方 元・紀伊國屋書店新宿本店 小出和代氏 

○読者アンケート/このベストセラーが好きだ! 

○わが社のベストセラー体験!

週刊金曜日/扶桑社/東京創元社/桐原書店/筑摩書房/晶文社/草思社/新潮社/双葉社/河出書房新社

○コラム/印刷会社M氏に聞くベストセラー体験! 

ベストセラーを出したら出版社と著者はどうなるのか?
本を出したい方なら誰もが夢みる、ベストセラーの世界に潜入しています。

1959年分~2004年分の長者番付・作家部門データはこちらから

今号の『本の雑誌』に提供させていただいた、長者番付・作家部門のデータは新聞発表とこちらが元になっております。

ある程度の年分で区切ってありますので、どうぞご覧ください。

長者番付・作家部門 1959年分~1973年分はこちらです。

『長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1959年分~1973年分)』

長者番付・作家部門 1974年分~1983年分はこちらです

『長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1974年分~1983年分)』

長者番付・作家部門 1984年~1988年分はこちらです

『長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1984年分~1988年分)』

長者番付・作家部門 1989年分~1995年分はこちらです

『長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1989年分~1995年分)』

長者番付・作家部門 1996年分~2004年分はこちらです

2005年以降も長者番付・作家部門が発表されていたら、どなたがランクインしていたかの推察や、作家の褒章・受章(紫綬褒章・文化功労者・文化勲章・日本芸術院会員)についても触れています。

『長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1996年分~2004年分)』

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

本の雑誌453号2021年3月号 [ 本の雑誌編集部 ]

価格:
733円

(2021/02/11 03:35時点 )

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魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行

【カクヨムへ移行】魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第4回

【連載】魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第4回

伝奇アクション・ファンタジー・SF小説家・菊地秀行について

はる坊です。

第1回・第2回・第3回に引き続き、『魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第4回』を掲載します。

お気に召していただければ、本当にありがたいです。

第3回よりかなり時間が空いてしまった事を、心よりお詫び申し上げます。

怒濤の時代

1986年に入ると、菊地秀行が活躍する舞台は更に増えていく。

朝日ソノラマで『吸血鬼ハンターD』『エイリアン』シリーズを書いていた菊地が、祥伝社ノンノベルから『魔界行』が上梓されたのが、1985年3月のことだが、それからの9ヶ月間で、祥伝社・光文社・講談社・徳間書店・角川書店からノベルス・文庫オリジナル作品を上梓していった。
この作品群は当然、書き下ろしであり、菊地の執筆量は激増していく。

1986年に入ると、菊地の執筆量は更に増える。
これまでの書き下ろしに加えて、雑誌連載を抱えるようになった為だ。

その雑誌連載も、〝短期集中連載〟がほとんどであり、菊地は月産900~1000枚という多産を強いられることになる。

最高時は一日で94枚『魔界都市〈新宿〉魔宮バビロン』執筆時。
ひと月では1050枚。
1ヶ月で350枚のノベルスを3冊書き下ろさなければならなかったとき。

上北沢のマンションで、都内のホテルでカンヅメになりながら、菊地は万年筆で原稿用紙を埋めていった。

自宅には担当編集者が待機して、24時間体制で菊地の原稿を待った。
編集者のなかには、読みにくい菊地の原稿を待機時間中に持ち込んだワープロで打ち直す者もいた。

この忙しい最中、夫人は編集者に夜食を振るまい、また菊地自身も気分転換も兼ねてインスタントラーメンなどを編集者に供した。

この時期、菊地のストレス解消法は、机に座ってエアガンで紙コップに向けて弾を撃つことくらいしかなかった。高級ホテルに入るのも気分転換にはなるが、そこで待っているのは仕事だ。

そして、食事にもこだわりがない。
「そこそこのものなら何でも美味いと感じる」とこの頃のインタビューで語り、ホテルのレストランや寿司店・和食の店に行くのも、“「ああいう店は接待で行くんだから。仕事関係とか友達とかおねえちゃんとか、おまえ(実弟・菊地成孔のこと)とか。そういうとき、相手にはビフテキでも何でも「はいどうぞ」だけど、俺はべつに何でもいいのよ」”(TBSラジオ「菊地成孔の粋な夜電波」出演時)
休みはひと月に1日あるかないか。

取材を兼ねたアメリカ・カナダ旅行の際にも、菊地は原稿を書き続け、ファックスで日本に送り続けた。
超の付くほどの過密スケジュール。
しかし、これをこなさないと原稿が間に合わなかった。

ここまでくると、表現したい世界があり書くことが好きではないと、根を上げてしまう。

結果として、1986年に上梓された菊地秀行作品は17冊に及んだ。
加えて週刊少年チャンピオンでは、原作:菊地秀行 作画:細馬信一の『魔界都市ハンター』(全17巻)の連載も開始され、86年中に4巻まで刊行されている。

この時代、日本のエンターテインメント小説は、ノベルスで出版されることが多かった。
70年代後半から始まったノベルスブームが、エンターテインメント小説の軸であり、ハードカバーで出版される小説は現在よりも少なかった。

菊地の主戦場はこのノベルスだったが、ノベルス中心の小説家は、ハードカバーを出す小説家より、ひとつ低く見られていたのも事実としてあった。

菊地がこの時代、一流の売れっ子作家だったことは間違いのない事実だが、ノベルスデビューから日の浅い作家でもあった。
出版社側の要望で、当初の打ち合わせで決まっていた内容が変わることも珍しくなかった。

あるとき、菊地はついに悲鳴を上げる。

菊地ファンならおなじみであり、またお楽しみである「あとがき」に「もうこれ以上、書き下ろしは不可能です」と宣言したのだ。

菊地の要望を真っ先に取り入れてくれたのは徳間書店だったが、「だったら雑誌連載ならいいでしょう」と雑誌連載の数が増えていくことにもなった。

書き下ろし型の菊地だが、週刊誌・月刊小説誌を合わせて最高7本の連載を持つことになる。
売れている作家を、そう簡単に出版社・編集者は手放さない。

特に『妖魔』シリーズがヒットしていた光文社では、
『週刊宝石』『小説宝石』『宝石(月刊)』に菊地の作品が連載される有様だった。

この地獄のような状況でも、菊地は編集者から口々に発せられる「菊地先生、菊地先生」の大合唱と、振り込まれる多額の印税、そして、ファンからの手紙に支えられて次々に作品を放っていった。

1987年には、書き下ろしと雑誌連載をまとめたもので、年間21冊の菊地秀行作品が刊行されている。
※原作コミックは別。

ちなみに、1987年5月に公示された高額納税者(長者番付)・作家部門で、菊地は初のベストテン入りを果たす。

納税額は1億458万円で作家部門8位。
前年度の納税額3981万円より大幅に増えている。
菊地は1996年5月に公示された1995年分まで、以後10年間この長者番付・作家部門で5位~9位のあいだを維持し続ける。

『魔界都市ブルース』秘話

『魔界都市ブルース』といえば菊地の代表作のひとつであり、現在までに累計で700万部を突破している大ベストセラーシリーズである。

秋せつらやメフィストを始めとするキャラクターは大きな人気を得て、メフィストは『魔界医師メフィスト』として、1988年から角川書店・カドカワノベルスでシリーズ化され、その後、講談社ノベルス、祥伝社ノン・ノベルと出版社を変えながら現在も続くシリーズとなっている。

さて、この『魔界都市ブルース』シリーズだが、ずっと祥伝社ノンノベルで刊行が続いている。
祥伝社の小説誌『小説NON』(現在は休載中か?)に連載・掲載されたものか書き下ろしである。

しかし、第1作の「人形使い」だけは、徳間書店が刊行していた『SFアドベンチャー』1985年2月号に掲載されている。
そして、第2作は掲載されることはなかった。

菊地自身は「打ち切られた」と思っており、当時『SFアドベンチャー』編集長からは「菊地さん、朝日ソノラマでやってるようなのを書いてくれないか」という話があったと後年述懐している。

これは推測だが、1985年に徳間書店は文庫レーベルとして「徳間アニメージュ文庫」を創刊している。

このレーベルから出版されヒットしたオリジナル作品には、首藤剛志『永遠のフィレーナ』シリーズや、現在に至るまで、『女神転生』から『真・女神転生』『女神異聞録ペルソナ』『デビルサマナー ソウルハッカーズ』『ペルソナ』シリーズなどに派生して、累計720万本を超える人気ゲームシリーズとなっている西谷史『女神転生 デジタル・デビル・ストーリー』シリーズがある。

菊地の作風から、編集長は菊地作品をこのアニメージュ文庫のラインナップに加えたかったのかもしれない。

結局、菊地はその後、祥伝社からの執筆依頼の折、『魔界都市ブルース』の話を持込み、第2作「さらば歌姫」が『マガジン・ノン』1985年10月号に掲載される。

この作品に対する評価は『マガジン・ノン』編集部では絶賛に近いものだった。

翌月号から「仮面の女」「L伯爵の舞踏会」「影盗人」と短編掲載が続き、1986年4月に『魔界都市ブルース1(妖花の章)』として上梓され、当初は〝伝奇バイオレンス〟小説が主体の菊地作品のなかでは、地味な部類として見られて反響は少なかったが、次作となる『魔王伝』3部作(1986年7月・1986年10月・1987年3月)の刊行で、同人誌界で高河ゆんがパロディ本を出し人気を得たことから、同人誌業界に『魔王伝』ブームが起こり、本家である『魔界都市ブルース』の人気も確立されていく。

現在まで、『魔界都市ブルース』は映像化もコミック化もされていない。
アニメ化・コミック化を望むファンもいれば、原作小説だけで充分だというファンもいるだろう。

いかにクオリティの高いアニメ・コミックでも、すべての原作ファンを納得させることはできない。
ファンひとりひとりの心のなかに、それぞれの秋せつらがおりメフィストがいるのだから、原作が人気を得ているものを派生させ、高い評価を得るのは非常に難しいものだと感じる。

しかし、『魔界都市ブルース』については、過去に高河ゆんによるコミック化の話は存在した。
残念なことに、当時、菊地作品のコミック化は秋田書店に限定されており、この話は立ち消えになったという。

そのかわり、秋田書店では、『魔界都市ハンター』(全17巻)に続き『魔界学園』(全21巻・作画:細馬信一)が週刊少年チャンピオンで長期連載され、あしべゆうほが『Candle』で1987年~1988年に掛けて『ダークサイドブルース』のコミックを連載している。

嵐のような季節のなかで そして夢枕獏とのスタンスの違い

1980年代後半は、〝伝奇バイオレンス小説〟の時代だった。
そして『菊地秀行の時代だった』と言っても過言ではないと思う。

「夢枕獏の時代じゃないの?」

との声もあるかもしれないので、ここで菊地秀行と夢枕獏のスタンスの違いについて、すこし私なりの意見を含めて説明をしておきたい。

伝奇バイオレンス小説家としてデビューが早かったのは夢枕獏だった。
続いて、登場したのが菊地秀行だ。
これは〝夢枕獏が火を付けて、その火に菊地秀行が流れをつけた〟という当時の一文がすべてを語っていると思う。

夢枕獏は1984年に『魔獣狩り』(祥伝社 ノン・ノベル)『闇狩り師』(徳間書店 トクマ・ノベルス)で一気に人気を得た。
この作品はシリーズ化されベストセラーとなった。

このあと、夢枕は『獅子の門』(光文社)『大帝の剣』(角川書店)『餓狼伝』(双葉社)と伝奇バイオレンス小説を残しつつも、格闘小説の分野にも進出していく。

これには、夢枕獏がインタビューで語った次の言葉が、真だと感じる。

“「伝奇バイオレンスのブームが終わったら、いらない作家になるんじゃないかと思ったんです。そこで格闘小説を書きたいと編集者に言ったんです」”

また、1986年には「オール讀物」誌に『陰陽師』を書き始めている。
実際、この作品が注目されベストセラーとなるのは10年後のことだ。
それでも、夢枕獏は書き続けた。

“「ぼくの本は売れるものと売れないものの差が激しいんです」”

と別のインタビューで語り、

“「一番多い本で14万部。少ない本で2万部」”

と、新刊書に挟まれる夢枕獏事務所作成の小冊子「仰天・夢枕獏1号」に綴っている。
万部は初版部数を意味していると思う。

-ひとつのジャンルで飽きられる前に、自分の持ち味が出せる別のジャンルにも種を蒔き続ける。

これが、夢枕獏の基本的なスタンスではないかと思う。

1980年代、菊地秀行の月産原稿枚数が900~1000枚に及ぶ時期があったと前述した。
夢枕獏も毎月500枚~800枚の原稿を書いていた。
これだけの原稿を書けば、刊行される本も多い。
だが、伝奇バイオレンス小説がコンスタントに売れる菊地秀行と売れない本も出していた夢枕獏では収入も違っていた。

毎年、作家部門ベストテンに名を連ねた菊地と違い、夢枕は1985年分・1986年分でそれぞれ14位にランクインしてからは、姿を消している。
「税金を取られるくらいなら、ふんだんに経費を使ったほうがいい」と考えて、納税対象額を圧縮していたことも考えられるが、1989年には有限会社 夢枕獏事務所を設立しているのは、マネージメント体制を整える意味と節税のふたつの意味があったと推察する。

夢枕獏は、1990年代を迎える頃に、一度、月産200~300枚程度にペースを落としている。
これは、次の種を蒔くための準備期間が必要だったからだと思う。

そして、もうひとつは賞に関するスタンスだ。

菊地秀行は、現在に至るまで賞には縁がなく無冠を貫いている。

1986年に第17回星雲賞で『切り裂き街のジャック』(早川書房)が候補に挙がり、吉川英治文庫賞が創設されてからは、第2回から最新の第4回まで『吸血鬼ハンターD』(朝日新聞出版)が候補に挙がっているが、受賞には至っていない。
1990年代になり、ハードカバーで時代小説を刊行しているが、おそらく菊地自身は賞に対するこだわりや思いは、ないのではないかと推測する。

対して夢枕獏は、注目される作家となってまもない1984年に上梓した『悪夢喰らい』(角川書店)が、1985年3月に受賞作が発表された第6回吉川英治文学新人賞の候補に挙がっている。
この時の受賞作は船戸与一の『山猫の夏』(講談社)だった。
このときの選評を見てみると、圧倒的な強さで船戸の受賞が決まっている。

このあと、1990年に『上弦の月を喰べる獅子』(早川書房)で第10回日本SF大賞を受賞するが、1988年と1989年にそれぞれ『歓喜月の孔雀舞』(新潮社)『鮎師』(文藝春秋)で泉鏡花文学賞の候補になっている。
『鮎師』は夢枕が4、5年の歳月を掛けて書かれたもので、バイオレンス描写はなく小田原での釣りと自然の描写に腐心して書かれた作品だ。
文藝春秋から刊行された本であることも加味すれば、当時直木賞候補になってもおかしくはない作品とも思える。

多少は文学賞を意識した作品だったとも読める。

夢枕獏は菊地秀行より作家デビューは早い。
1977年26歳の時のことだ。
そして、1981年に専業作家となったが収入は少なく、食事は夫人がアルバイトに出ていたパン屋の残り物で凌いでいたという。
夢枕のエッセイによると、“「売れない時期には、原稿料がもらえなかったこともある」”という。
1984年に一躍ベストセラー作家となっても、これまでの悔しかった経験は夢枕のなかに生き続けていたと私は思う。
そして、ノベルス作家が一段下の作家として見られることも感じていただろう。

夢枕の眼に文学賞はその悔しさを晴らす、手段に映っても不思議はない。
結局、夢枕は山本周五郎賞・直木三十五賞の候補に挙げられることはなかった。
だが、1998年に『神々の山嶺』(集英社)で第10回柴田錬三郎賞を受賞する。
このとき、夢枕獏47歳。
デビューが早かったとはいえ、40代後半での柴田賞受賞は早いほうになる。

その後2011年・2012年には『大江戸釣客伝』で第39回泉鏡花文学賞・第5回舟橋聖一文学賞・第46回吉川英治文学賞をトリプル受賞し、2017年には第65回菊池寛賞。2018年には紫綬褒章を受章している。
2010年代に入ってからは、一気に賞(章)に恵まれている。

伝奇バイオレンスの先駆者

ひとつのジャンルが盛り上がりを見せると、その場所に、別ジャンルを書いていた作家が参入することがある。

〝夢枕獏が火を付けて、その火に菊地秀行が流れをつけた〟このジャンルも例外ではなかった。

だが、このふたりの他に、現在まで伝奇バイオレンス小説を書き続けている作家がいるだろうか。
もしくは、伝奇バイオレンス作家として認知されている作家がいるだろうか。
鑑みたとき、この先達の偉大さに畏敬の念を感じずにはいられない。

1990年代に入ると、ノベルスは1980年代後半にデビューした綾辻行人・法月綸太郎・有栖川有栖らを嚆矢として〝新本格ムーブメント〟が起こり、京極夏彦・森博嗣が第二波として続いた。

もちろん、別のムーブメントが起こったからといって、1990年代に入り菊地秀行の人気がすぐ衰えたわけではない。
『魔界都市ブルース』シリーズの最高傑作『夜叉姫伝』(祥伝社 ノン・ノベル 全8巻)は、1989年から1992年に小説NONで連載後に刊行され、8巻にも及ぶ長いストーリーとなったが、「7巻よりラストの8巻のほうが、売れ行きがよかった」と菊地が述懐するほど、本人が誇れる作品であると同時に、読者にも大きな支持を受けた。

1993年に第1作が刊行された『ブルー・マン』シリーズ(講談社ノベルス)も人気を得た。

だが、菊地秀行作品の濃度と熱さは1980年代が頂点だった、と感じる。

注目を浴びる者の宿命ではあるが、当時、菊地秀行も夢枕獏もその作品が大勢の読者に受け入れられる一方で、的外れの非難を浴びることがあった。

「こういう小説が流行る風潮はよくない」

「新新興宗教にも影響を与えているのではないか」

これらの非難記事をよく読めば、菊地作品も夢枕作品にも目を通していないことがよくわかる。

菊地秀行と夢枕獏が与えた影響は、その後の小説・漫画・アニメ・ゲームだ。
もちろん、それらを創り出すクリエーターにも。
この影響は多大だ。

1980年代後半の嵐のような季節のなかで、菊地秀行はハイスピードで高クオリティの作品を発表し続けた。
クイズ番組に出演したり、三田佳子や黒木香と対談したりと、小説を執筆する以外の場に引っ張り出されもした。

菊地は1988年、以前に購入しておいた都下の土地に自宅を新築した。
白い外壁が印象的な邸宅だ。
人呼んで“「魔界御殿」”。

『バンパイアハンターD』をコミック化した鷹木骰子が菊地邸を訪れた際に、“「Dに出てきそうなおうち」”と巻末のコミックエッセイで表現しているが、まさにそのような印象を受ける。
インタビュー記事などで、自宅内の様子がわかるが、菊地テイストのグッズに囲まれている。

ちなみに、夢枕獏が小田原に建てた邸宅は、『魔獣狩り 淫楽編』の印税で購入したことから、“「淫楽御殿」”と呼ばれることになる。

久々の記事になったのにもかかわらず、最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

第5回がいつになるかわかりませんが、また書きます。
そのときは、どうかよろしくお願い申し上げます。

長者番付

長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1996年分~2004年分)

はる坊です。

個人情報保護の為、2005年(平成17年)以降は、発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年(平成16)分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1996年(平成8年)から2004年(平成16年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。
毎年のベスト20までを列挙しています。
ソースは、当時の新聞報道・各年の『全国高額納税者名簿』(東京商工リサーチ刊)によるものです。

1996年分~1998年分の所得税率について

課税所得330万円以下・・・10%

課税所得330万円超~900万円以下・・・20%

課税所得900万円超~1800万円以下・・・30%

課税所得1800万円超~3000万円・・・40%

課税所得3000万円超・・・50%

参考までに、1996年分~1998年分の住民税の税率です。

課税所得200万円以下・・・5%

課税所得200万円超~700万円以下・・・10%

課税所得700万円超・・・15%

それでは、長者番付・作家部門(1996年分~2004年分)です

1996年(平成8年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  内田康夫 1億4657万円

2位  西村京太郎 1億3351万円

3位  森村誠一 8222万円

4位  神坂一 8010万円

5位  津本陽 7450万円

6位  渡辺淳一 7327万円

7位  田中芳樹 6568万円

8位  椎名誠 6199万円

9位  石原慎太郎 6096万円

10位  斎藤栄 5933万円

11位  宮部みゆき 5291万円

12位  菊地秀行 5017万円

13位  五木寛之 4960万円

14位  群ようこ 4112万円

15位  童門冬二 3976万円

16位  宮本輝 3973万円

17位  荒巻義雄 3860万円

18位  赤川次郎 3805万円

19位  平岩弓枝 3795万円

20位  宮城谷昌光 3696万円

※赤川次郎首位陥落の理由
13年連続で長者番付・作家部門の1位を守り続けた赤川次郎氏が一気に18位まで順位を下げたのは、バブル期に購入した自宅兼仕事場の売却損で、作家活動による印税・原稿料・著作権収入と売却損が相殺された為。
収入は例年と同様の額があったとのこと。

※司馬遼太郎の遺産評価額
1997年2月、1996年2月に逝去した司馬遼太郎氏の遺産評価額が管内税務署にて公示されました。
遺産額は約26億4000万円。
約20億1000万円が銀行等金融機関への預貯金。
約3億9000万円が著作権。
約2億4000万円が自宅の土地建物でした。

1997年(平成9年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  赤川次郎 2億7760万円

2位  渡辺淳一 2億2675万円

3位  西村京太郎 2億1257万円

4位  内田康夫 2億0827万円

5位  村上春樹 9244万円

6位  浅田次郎 9187万円

7位  森村誠一 8611万円

8位  林真理子 6980万円

9位  宮部みゆき 6942万円

10位  津本陽 6752万円

11位  神坂一 6336万円

12位  菊地秀行 5817万円

13位  群ようこ 5298万円

14位  斎藤栄 5147万円

15位  星野富弘 5103万円

16位  田中芳樹 4981万円

17位  平岩弓枝 4632万円

18位  髙村薫 4439万円

19位  椎名誠 4293万円

20位  大沢在昌 4247万円

落合信彦 3311万円

1998年(平成10年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 2億5196万円

2位  赤川次郎 1億9087万円

3位  鈴木光司 1億4207万円

4位  宮部みゆき 1億1679万円

5位  内田康夫 1億0594万円

6位  浅田次郎 1億0474万円

7位  五木寛之 7780万円

8位  森村誠一 7128万円

9位  宮城谷昌光 6738万円

10位  神坂一 5612万円

11位  菊地秀行 5495万円

12位  群ようこ 5357万円

13位  渡辺淳一 4998万円

14位  星野富弘 4962万円

15位  椎名誠 4927万円

16位  落合信彦 4687万円

17位  馳星周 4412万円

18位  斎藤栄 4399万円

19位  田中芳樹 4385万円

20位  筒井康隆 4220万円

北方謙三 3905万円

河合隼雄 3563万円

林真理子 3211万円

平岩弓枝 1974万円

1999年分以降は、所得税率が過去最低にダウン

1998年(平成10年)分までは、最高税率が所得税50%+住民税15%でしたが、
所得税率は最高で37%までダウンしました。

そのせいか、下記に挙げる作家の納税額も前年までに比べて減少していますが、2000年に入ると出版不況が深刻化して、作家の収入自体が減少していく様子が分かります。

1990年代初頭では、年収1億円あったとしてもランキングのベスト20に入れるかどうかでしたが、2000年分以降では、ベストテンに入れる年収になっています。

それほど、本が売れずに印税収入が細ってきている模様もうかがえます。

2006年分まで使用された所得税率表は下記のとおりです。
課税所得330万円以下・・・・・・・・・・・10%
課税所得330万円超~900万円・・・・20%
課税所得900万円超~1800万円・・・30%
課税所得1800万円超・・・・・・・・・・・・・37%

参考までに、2006年分まで使用された住民税税率表は下記のとおりです。
課税所得200万円以下・・・5%
課税所得200万円超~700万円以下・・・10%
課税所得700万円超・・・13%

1998年分までに比べると最高税率が大幅に下がりました。

1998年分まで、所得税50%+住民税15%=最高税率65%
1999年分から、所得税37%+住民税10%=最高税率47%

1999年(平成11年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 1億6519万円

2位  内田康夫 1億3929万円

3位  宮部みゆき 1億1492万円

4位  鈴木光司  7656万円

5位  浅田次郎  7315万円

6位  五木寛之  6320万円

7位  森村誠一  6199万円

8位  桐生操(堤幸子) 5640万円

9位  桐生操(上田加代子) 5610万円

10位  星野富弘 5246万円

11位  村上春樹 4664万円

12位  津本陽 4329万円

13位  赤瀬川源平 4015万円

14位  山崎豊子 3940万円

15位  東野圭吾 3803万円

16位  菊地秀行 3777万円

17位  天童荒太 3718万円

18位  桐野夏生 3355万円

19位  京極夏彦 3300万円

20位  神坂一 3282万円

21位以下で公示された作家

林真理子 2719万円

平岩弓枝 2174万円

馳星周 1412万円

2000年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 1億5603万円

2位  赤川次郎 1億1108万円

3位  宮部みゆき 7873万円

4位  山崎豊子 7559万円

5位  内田康夫 7265万円

6位  浅田次郎 6758万円

7位  五木寛之 6468万円

8位  天童荒太 6465万円

9位  真保裕一 4153万円

10位  北方謙三 3956万円

11位  菊地秀行 3886万円

12位  夢枕獏 3591万円

13位  江國香織 3412万円

14位  阿川佐和子 3227万円

15位  落合信彦 3188万円

16位  津本陽 3176万円

17位  星野富弘 3108万円

18位  森村誠一 2887万円

19位  東野圭吾 2878万円

20位  林真理子 2746万円

21位以下で公示された作家

山口洋子 2624万円

森博嗣 2392万円

大沢在昌 2223万円

渡辺淳一 1932万円

柳美里 1891万円

宮尾登美子 1724万円

曽野綾子 1714万円

花村萬月 1332万円

平岩弓枝 1116万円

2001年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額

1位  西村京太郎 1億5946万円

2位  宮部みゆき 1億4566万円

3位  赤川次郎  8648万円

4位  内田康夫  7743万円

5位  浅田次郎  6633万円

6位  夢枕獏   5960万円

7位  江國香織   4331万円

8位  

長者番付

長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1989年分~1995年分)

はる坊です。

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1989年(平成元年)から1995年(平成7年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。
毎年のベスト20までを列挙しています。

この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。

1989年(平成元年)分所得税納税額

個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。

ここでは1989年(平成元年)から1995年(平成7年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。
毎年のベスト20までを列挙しています。

この時代、新刊の小説本が売れた最後の時期にあたっており、作家には印税収入を主として、まだ大きな収入がありました。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。

長者番付・作家部門(1989年分~1995年分)です

1989年(平成元年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 4億6173万円

2位  西村京太郎 2億6262万円

3位  吉本ばなな 2億3699万円

4位  村上春樹 1億5111万円

5位  司馬遼太郎 1億4012万円

6位  池波正太郎 1億0920万円

7位  西村寿行 9508万円

8位  菊地秀行 8208万円

9位  渡辺淳一 7829万円

10位  藤島泰輔 7197万円

11位  藤川桂介 7190万円

12位  笹沢左保 6656万円

13位  遠藤周作 6637万円

14位  山村美紗 6485万円

15位  斎藤栄 6011万円

16位  内田康夫 5759万円

17位  森村誠一 5718万円

18位  椎名誠 5671万円

19位  胡桃沢耕史 5526万円

20位  田中芳樹 5103万円

※10位にランクインしている藤島泰輔は、作家・評論家として活動。学習院時代の学友だった明仁天皇(上皇明仁)をモデルにした『孤獨の人』で衝撃的なデビューを果たす。
〝在日フランス人〟ポール・ポネ名義での著作もある。
また、ジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川の妹、藤島メリー泰子とのあいだに藤島ジュリー景子を儲けている。
馬主としても有名でランニングフリーなど名馬を所有していた。
収入には、本業の作家活動の他、ジャニーズ事務所からの役員報酬。馬主としての収入が大きかったといわれている。

1990年(平成2年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億7980万円

2位  西村京太郎 2億4497万円

3位  司馬遼太郎 1億1140万円

4位  松本清張 8736万円

5位  菊地秀行 8622万円

6位  西村寿行 8185万円

7位  田中芳樹 7944万円

8位  内田康夫 7927万円

9位  渡辺淳一 7572万円

10位  斎藤栄 7266万円

11位  門田泰明 6705万円

12位  笹沢左保 6618万円

13位  山村美紗 6578万円

14位  遠藤周作 6239万円

15位  椎名誠 6127万円

16位  落合信彦 5929万円

17位  森村誠一 5801万円

18位  藤島泰輔 5760万円

19位  村上春樹 5890万円

20位  田辺聖子 5404万円

※20位圏外で登場した作家

北方謙三 3716万円

森瑤子  3095万円

大藪春彦 2890万円

柳田邦男 2081万円 

草柳大蔵 1709万円

1991年(平成3年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億5512万円

2位  西村京太郎 2億5489万円

3位  内田康夫 1億7140万円

4位  司馬遼太郎 9101万円

5位  椎名誠 8577万円

6位  山村美紗 8404万円

7位  菊地秀行 8325万円

8位  遠藤周作 8171万円

9位  落合信彦 7378万円

10位  笹沢左保 7290万円

11位  渡辺淳一 6643万円

12位  田中芳樹 6508万円

13位  森村誠一 6414万円

14位  斎藤栄 6003万円

15位  山崎豊子 5315万円

16位  橋本治 5294万円

17位  門田泰明 5062万円

18位  陳舜臣 4933万円

19位  豊田行二 4794万円

20位  松本清張 4393万円

※20位圏外で登場した作家

西村寿行 3873万円

森瑤子  3737万円

大藪春彦 3692万円

北方謙三 3584万円

夢枕獏  2875万円

草柳大蔵 2078万円

柳田邦男 1602万円

1992年(平成4年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億5093万円

2位  西村京太郎 2億3698万円

3位  内田康夫 1億8649万円

4位  司馬遼太郎 1億1944万円

5位  菊地秀行 7890万円

6位  田中芳樹 7650万円

7位  渡辺淳一 7318万円

8位  山村美紗 7261万円

9位  豊田行二 7187万円

10位  辺見じゅん 7155万円

11位  森村誠一 6530万円

12位  斎藤栄 5902万円

13位  椎名誠 5728万円

14位 荒巻義雄 5486万円

15位  落合信彦 5244万円

16位  津本陽 5233万円

17位  門田泰明 4846万円

18位  笹沢左保 4822万円

19位  平岩弓枝 4720万円

20位  宮本輝 4673万円

※20位圏外では、

西村寿行が納税額4098万円

夢枕獏が納税額2000万円

佐木隆三が納税額1127万円で登場している。

『生涯収入9億6400万円 !『身分帳』が原作となる映画『すばらしき世界』が2月11日に西川美和監督・役所広司主演で公開。代表作『復讐するは我にあり』の直木賞作家・佐木隆三が公表した30年間の収支一覧表』はこちらから。(新しいタブが開きます)

1993年(平成5年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億2209万円

2位  西村京太郎 2億2168万円

3位  内田康夫 1億7412万円

4位  司馬遼太郎 9969万円

5位  山村美紗 8624万円

6位  津本陽 7765万円

7位  森村誠一 7689万円

8位  荒巻義雄 7680万円

9位  菊地秀行 6970万円

10位  斎藤栄 6650万円

11位  宮尾登美子 6384万円

12位  藤沢周平 6351万円

13位  椎名誠 6050万円

14位  童門冬二 5686万円

15位  渡辺淳一 5365万円

16位  志茂田景樹 5272万円

17位  豊田行二 5224万円

18位  遠藤周作 5029万円

19位  平岩弓枝 4979万円

20位  門田泰明 4777万円

1994年(平成6年)分所得税納税額

1位  赤川次郎 3億2209万円

2位  西村京太郎 2億2500万円

3位  内田康夫 1億7700万円

4位  司馬遼太郎 1億0287万円

5位  森村誠一 8864万円

6位  斎藤栄 7957万円

7位  菊地秀行 7586万円

8位  荒巻義雄 6786万円

9位  椎名誠 6694万円

10位  津本陽 6449万円

11位  山村美紗 5991万円

12位  藤沢周平 5986万円

13位