2024年になっても終わらない公務員人気
はる坊です。
コロナ禍で先の見えないご時世に公務員が人気だそうです。
しかも、国家公務員よりも地方公務員が。
地方公務員でも県や市によっては、合格者が辞退を申し出るケースも増えています。
日程が違うところは、複数受験できますし、たとえ受かっても、その県や市に魅力がない、また、将来的に不安だ。
もともと、ここは力試しや肩慣らしで受けたら通っただけ。
理由は様々ですが、公務員であっても、財政が安定している自治体。待遇のいい自治体で働きたいというのは、当然のことだと思います。
心ない人々からは、
「おまえたちは公僕だ」
(多分、こういうことを言う方は、〝公僕〟の意味を理解されていません。)
とか、
「俺たちの税金で食ってるくせに」
などと言われても、公務員だって社会で生活する人間のひとりです。
税金もしっかり払っています。
立場と収入が安定している公務員
ブラック企業や過労死、サービス残業といったマイナスのワードが、マスコミやウェブ上で当たり前となり、一瞬にして情報が駆け巡る時代に、すこしでも良いところへ行きたい、それに『収入が安定しているから』公務員を目指す人が増えているのだと思います。
収入の安定については間違いありません。
給与の遅配はありません。もし、起こったのなら大変なことになります。
また、年に2回のボーナス(期末手当・勤勉手当)も確実に支給されます。
収入やステータスは一流どころの巨大企業には及ばないが、それなりの人生は送れる。
または、地方公務員の場合は転勤がない、あっても限定的だ。
というのが大きな理由でしょう。
特に女性の場合は、ライフステージに併せて様々なサポートが手厚い、市役所・区役所の行政職が一番働きやすい職業ではないかと思います。
もちろん、生まれ育った地元や縁のあるところで根を張って働きたいと非常に前向きな方もおられるでしょう。
いずれにせよ、頑張って試験勉強をして、受験をしておられるのだと思っています。
リストラされないという神話
公務員には『余程何かをやらかさない限り、リストラや解雇されない』という神話があります。
安定して無難な人生が送れるというイメージがあるのは事実でしょう。
また、地方公務員のほうが人気なのは、国家公務員は激務だというイメージがあるからかもしれません。
実際、霞ヶ関は不夜城です。
特に国家一般職で本省だと・・・・・・。
薄給でしかも激務と。
しかし、都庁・府庁・道庁・市役所でも深夜残業が当たり前な部署があることは、忘れないでいただきたいと思います。
(こういう部署は、能力が高いと上層部に見られた方が配属されるのですが)
先行き不透明な時代で、安定を求めようとするのも無理はありません。
9時~17時で帰れる部署は、皆無と言って良い状況になっています。
それでも、安定したステータス・収入保障・福利厚生を考えると、市役所職員は、非常に魅力のある職場であることに間違いはありません。
というのも、私が元地方公務員(市役所職員)だからです。
某中核市で7年間勤務していました。
私は元市役所職員です
私の職歴を申し上げると、大学卒業後、新卒で民間企業に入社して企画営業職に従事しました。
そして、会社を退職した翌日に、当時在住していた市役所に入職して、行政事務職を丸7年間経験しました。
その後、伯父が設立した会社を引き継いだ従兄の誘いで、市役所を退職して、
同族会社に勤務したのちに、のれん分けのような形で独立して現在に至ります。
私が市役所職員を目指したのは些細なきっかけからでした。
大学を卒業したのは就職氷河期まっただ中でしたが、最初から民間企業にしか眼中になく「公務員になろう」とはまったく考えませんでした。というよりも興味がなかったというほうが正確です。
身内や友人・知人に公務員がいなかったことで、話を聞く機会や影響を受けることがなかったのがその理由だと思います。
実際、同じゼミで、当時の国家二種(現在の国家一般職)に受かり、卒業後に総務省へ入省したゼミ生が2名、国土交通省に入省したゼミ生が1名いましたが、「ふ~ん」という感じでした。
また、国税専門官になったゼミ生も1名いましたが、「ふ~ん、伊丹十三監督の『マルサの女』の世界か」という感じでした。
これまた、警視庁へ事務職員(警察行政職員)として入ったゼミ生もいましたが、これもまた「えっ、警察官じゃないのね」という感じでした。
私がコンプレックスを感じたのは、私より成績が優秀で、都市銀行(当時、メガバンクという言葉は使われていませんでした。まだ欧米の話でした)に入行したゼミ生たちでした。
そんな彼らが入行した銀行の出身者が市役所に転職をしてきて、一緒に仕事をすることになろうとは、この当時は思ってもみませんでした。
営業マンから市役所職員になった理由
新卒で入った会社は厳しかったものの、私自身は事務仕事より営業が向いていたとみえて、一日中、外回りをするのが楽しかったです。
若かったせいもあったでしょうが、キツくても達成感を味わえる仕事は、辞めがたいものがあります。
(それでも、やはりノルマが達成できそうにないときには胃が痛みましたし、血尿も出ましたけど)
どうも、営業職を嫌う方は多いように思うのですが、営業ほどクリエイティブな職もないのではないかと思います。
さて、4年目に異動となった支社にAという同期がいました。
この支社は私の生まれ育った地元に近い場所にあったのと、入社以来Aと気が合ったので、嬉しかったことを憶えています。
そして、いろいろと喋っているうちに、Aが公務員試験を受けたことを知りました。
Aのご両親は国家公務員でした。その影響が濃かったんでしょう。
民間企業に就職したものの、チャレンジをしたくなったようです。
Aから公務員の素晴らしさ(美味しさ)を聞くに連れて、「僕も受けてみようかな」と思うようになりました。
地元の市役所の受験資格を調べてみると、年齢はギリギリで大丈夫。
あとは試験をどうやって乗り越えるかでした。
私の公務員試験勉強法
私が実行した勉強法はシンプルです。
・出社前・退勤後には電車内や喫茶店で、集中してやる。
・どんなに辛くても早朝に起きて、2時間は勉強する。
・休みの日には、図書館へ行って筆記試験の勉強に勤しむ傍ら、地元の市役所が今やっていること、これからやろうとしていること(施策)を調べまくる。
(要するに、その市のことを誰よりも知っているくらいの勢いで調べておけば大丈夫です)
そして、まずは筆記試験に合格。
これに合格しないことには、何も始まりません。
筆記試験で数的推理が苦手だとおっしゃる方が多いようですが、残念ながら避けては通れません。
学生や社会人にこだわらず、時間の使い方、タイムマネジメントについて、私が感銘を受けたのは以下の2冊です。
「そんなことはわかっているよ」
という項目もありますが、この2冊のすごいところは、読んだ者をやる気にさせてくれるところです。
だからこそ、読む価値があると感じています。
私も苦手でしたが、どうせ勉強をするのなら、市役所に受かりたいという一心で、問題と取っ組み合いしていました。
どうしてこの年になって、英語や数学までやり直さないといけないのかと思ったこともありましたが、苦手であることを克服することで人間は成長できるものだと大学受験で知ったので、時折17、8歳の頃を思い出しながら取り組みました。
教養論文も時事問題を中心に勉強したおかげで次の集団討論も合格。
集団討論では営業職で、ただアピールをするのではなく、
自分の立場を推し量りながら仕事をしていたのが役に立ったといまになっては思います。
現在の公務員試験では、面接が合否を分けます。
個人面接(第一次面接)も合格。
最終面接(第二次面接)も合格。
面接については、個人的にいろいろ思うところがあります。
たしかに、私は図書館で目指す自治体について、徹底的に調べました。
情報が公表されているものに関して、面接官から何を突っ込まれても、答えられるようにしておきたかったのです。
それが、功を奏した部分はあります。
質問に詰まることはありませんでした。
しかし、入職後に判ったのですが、運の要素もあったのです。
私が入職後にしたいこと、行きたい部署については、面接時に話をしましたが、面接官のなかで、最も権限を持っていた方は、その部署の長を務めて、当然のことながら、現場にも精通していたのです。
やはり、これは運と言わざるを得ません。
公務員試験を経験して感じたことがひとつだけあります。
それは、平等で公平なシステムだということ。
特に筆記試験では、努力は報われるということ。
筆記で落ちたのなら惨めですし、親兄弟に伝えたのなら、「勉強もせずに受けたのか」と思われても仕方ありません。
面接で落ちたのなら、「緊張をして、うまく受け答えができなかったのかな?」と思われても、そこまで、不勉強だと言われたり、思われたりすることはないでしょう。
多少の運不運はあっても、それを上回る努力をしたのなら、受け入れてもらえる。
これは、今になってもひとつの自信として私の中に息づいている気がします。
27歳で市役所職員になりました
私は27歳で、市役所職員になりました。
退職を申し出てから、ほとんど有給休暇も取れないまま3月31日まで民間企業に勤め、翌4月1日からは市役所に勤め始めました。
これまでに比べて、朝は1時間遅くまで寝ていられる。
これが、まず嬉しかったです。
市役所職員を目指したきっかけとなった恩人Aは・・・
ちなみに、私に公務員への道を開いてくれた恩人でもあるAは、市役所に入職した私から話を聞くにつれて、どうやら父親の時代と違うことを察して、公務員に幻想を抱いていたことに気付き、それでもサラリーマンでこのまま終わりたくないと、通勤途中やスキマ時間を有効に活用して試験勉強に励みました。
そして、まずは独学で行政書士試験に合格。
その後、会社を退職して無職の期間を作り、司法書士を目指して2年後の試験に合格。
法務事務所勤務を経て、現在は司法書士事務所を開いています。
たまに食事をしたり酒を飲んで旧交を温めますが、サラリーマン時代より、ずっといい顔をしています。
仕事終わりに会うとき、彼はいつも仕立てのいいスーツを身に付けていますが、歳を重ねてきたせいかとても似合っています。
また、靴もいいものを履いています。
行政書士・司法書士では食えない、食べていけないという話も聞きますが、そのあたりを訊ねると、
Aは「誰がそんなことを言ってるんだろうな?ネットか?」とため息を吐き、「そんなことはないよ」と断言します。
「行政書士ってね、年収1000万円以上がゴロゴロいる世界なんだよ。税務署員なら丸わかりだろうが。2000万円クラスだって珍しくない。5000万円以上だっているんだよ。そのどこが食えない世界って言える?」
「士業の法人化って、節税の意味合いもあるからね」
「もっと言えば、法律職の自由業で一番コストパフォーマンスがいい資格って、個人的には行政書士だと思ってる」と。
そして、「司法書士でもそれは同じ。年収1000万円は余裕でいける。数千万も狙える。年収は4、500万そこそこでいいって言うんなら、そういう生き方もできる。新規参入には新規参入組のやり方がある。都市部と地方ではやり方が違うけど、常に必要とされる仕事だよ。言いにくいけど、本当のところを言うと、一番食えない損な資格は弁護士じゃないかな」
Aに司法書士を目指したきっかけを訊ねたことがあります。
Aの答えは「何か根拠のあるものを武器に働いていきたかった」でした。
彼の場合は、法律家として、その資格を武器に経験を積んで、生きていくことでした。
最初、公務員がまず公法に則って動くものであることで目指し、挫折を味わってからも、法律を人生の根拠に求めて努力を惜しまなかったAは偉いと、つくづく思います。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。
『公務員試験』対策なら法律資格・公務員試験専門の受験指導校・伊藤塾!
最近のコメント