生涯収入9億6400万円 !代表作『復讐するは我にあり』の直木賞作家・佐木隆三氏が晩年に公表した30年間の収支一覧表
直木賞作家の生涯収入は?
はる坊です。
人間は他人のことが気になる生き物です。
例えば、収入。
あの人は幾らくらいひと月に稼いでいるんだろう?
あの職業に就いている人はどれくらいの年収があるんだろう?
例えば、作家・小説家。
2015年11月、作家の森博嗣さんが『作家の収支
』という新書で、“「19年間で、総発行部数1400万部。累計で15億円の収入を得た」”と公表されました。
森さんは、事あるごとに、ご自身を〝マイナ〟であると定義されていますが、
著書はコンスタントに出されており、同時にコンスタントに売れ続けている作家です。
2018年には著書の累計売上数が1600万部を突破していますので、
〝出版巨大不況〟のご時世で、稼ぎは〝超メジャ〟であると思います。
2020年11月に刊行された『勉強の価値』も非常に面白くオススメです。
しかし、コンスタントに売れる本を出し続けていると言い難い作家の収入はどうなんだろう?
という疑問が出てきます。
そんななか、2007年(平成17年)に過去30年間の収支を公表した方がいます。
代表作のひとつ『身分帳』を原作にした映画『すばらしき世界』が2021年2月11日に西川美和監督・役所広司主演で公開された、直木賞作家の佐木隆三さんです。
ネタバレは避けますが、映画の原作小説となる『身分帳』は、実在の人物である田村明義をモデルに、主人公・山川一の人生を、佐木さんが得意とする〝ノンフィクション・ノベル〟の形で進んでいきます。
原作小説は1990年に講談社よりハードカバーが刊行され、1993年に文庫化。
1991年には第2回伊藤整文学賞を受賞しています。
文庫は絶版の状態が続いていましたが、今回の映画公開により文庫が復刊(併せて電子書籍化も)されました。
今回の復刊にあたって、主人公・山川一の最後を描いた『行路病死人──小説『身分帳』補遺』と西川美和さんによる解説も収録されています。
さて、佐木さんが公表された数字ですごい点は、毎年の収入だけではなく、
・経費
・課税対象額
・所得税額
・源泉徴収税額
・差引納付額
と、支出や納税額についても、細かく公にされたことでしょう。
佐木さんの代表作と言えば、直木賞受賞作であり、今村昌平
監督・緒形拳
主演で映画化された『復讐するは我にあり』ですが、
タイトルのせいか、意外にこの作品は西村寿行作品だと思っている方も一定数おられるようです。
ちなみに『復讐するは我にあり』は、新約聖書の(ローマ人への手紙 第12章 第19節)に出てくる『愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して「主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん」とあり』という言葉の一部であり、これは、《悪人に復讐を与えるのは神である》という意味といわれています。
佐木さんは『新約聖書』の言葉をタイトルに引用した形です。
しかし、最も一般的な佐木隆三さんのイメージは、何か物騒な事件が起きると、
ワイドショーやニュース番組で「作家のサキリューゾーさんは」とコメントをしていたおじさんではないでしょうか。
それでは、佐木隆三さんの30年間の収支一覧表です。
その下に、佐木隆三さんの詳しいプロフィールを紹介していますので、興味のある方はご覧ください。
1976年(昭和51年)~2005年(平成17年)分 佐木隆三 連年収支一覧表
1976年(昭和51年)
収入額:5,288万6,000円
経費額:1,449万9,000円
課税対象額:3,798万7,000円
所得税額:772万4,000円
源泉徴収税額:773万4,000円
差引納付額:-1万円
※備考 『復讐するは我にあり』の直木賞受賞で、前年度より急激に収入が増えたため、課税は平均課税方式がとられている。
出版された著作
1975年11月『復讐するは我にあり(上下)』(講談社)
1976年2月『沖縄住民虐殺-日兵虐殺と米国犯罪』(新人物往来社)
1976年2月『大将とわたし』(講談社)
1976年5月『狼からの贈物』(河出書房新社)
1976年6月『大罷業』(田畑書店)
1976年6月『ジャンケンポン協定』(講談社文庫)
1976年9月『偉大なる祖国アメリカ』(勁文社)
※『復讐するは我にあり』は1975年11月の刊行ですが、直木賞受賞で43万部を超えるベストセラーとなり、1976年分の収入に大きく寄与しているため、この年に出版された著作に含めました。
1976年に刊行された本の多くは、過去に一度刊行されて絶版状態にあったものや単行本化されていなかった原稿をまとめたものが目立ちます。
佐木さんは、直木賞受賞まで11冊の本を出されていますが、それらが版元を変えたり文庫化されて再度刊行されている形です。
『新宿鮫』シリーズが累計600万部以上の大ベストセラーになるまでに出した28冊ことごとくが売れず(28冊目は『氷の森』で大沢在昌作品の文庫では一番売れているのにわからないものです)、29冊目の『新宿鮫
』が大ヒットして、それまでに書いて絶版になっていた本が次々に復刊されて、それらを〝ゾンビ本〟と呼んだ大沢在昌
さんみたいな感じでしょうか。
1977年(昭和52年)
収入額:2,590万円
経費額:864万9,000円
課税対象額:1,685万1,000円
所得税額:482万4,000円
源泉徴収税額:269万8,000円
差引所得税納付額:212万5,000円
出版された著作
1977年2月『ドキュメント狭山事件』(文藝春秋)
1977年2月『日本漂民物語』(講談社)
1977年4月『越山田中角栄』(朝日新聞社)
1977年5月『殺人百科 』(徳間書店)
1977年10月『人生漂泊』(時事通信社)
1978年(昭和53年)
収入額:2,626万1,000円
経費額:939万円
課税対象額:1,649万1,000円
所得税額:465万2,000円
源泉徴収税額:268万円
差引所得税納付額:197万1,000円
出版された著作
1978年1月『偉大なる祖国アメリカ』(角川文庫)
1978年1月『実験的生活』(講談社)
1978年2月『閃光に向かって走れ』(文藝春秋)
1978年3月『男たちの祭り』(角川文庫)
1978年4月『詐欺師』(潮出版社)
1978年6月『愛の潮路』(光文社)
1978年9月『続人生漂泊』(時事通信社)
1978年10月『娼婦たちの天皇陛下』
1978年11月『大罷業』(角川文庫)
1978年12月『誓いて我に告げよ』(角川書店)
1978年12月『復讐するは我にあり(上)』(講談社)
1978年12月『復讐するは我にあり(下)』(講談社)
1979年(昭和54年)
収入額:4,963万8,000円
経費額:1,389万2,000円
課税対象額:3,536万7,000円
所得税額:11,787,000円
源泉徴収税額:682万7,000円
差引所得税納付額:495万9,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
出版された著作
1979年4月『曠野へ 死刑囚の手記から』(講談社)
1979年5月『事件百景-陰の隣人としての犯罪者たち』(徳間書店)
1979年5月『ドキュメント狭山事件』(文春文庫)
1979年6月『男と女のいる風景』(文藝春秋)
1979年9月『無宿の思想』(時事通信社)
1979年12月『錆びた機械』(潮出版社)
※1977年分(昭和52年分)・1978年分(昭和53年分)から収入が大幅に増加しているのは、1979年(昭和54年)4月21日に、今村昌平監督・緒形拳主演で公開された『復讐するは我にあり』の映画化により、講談社から出版された文庫本が版を重ねたのが理由と考えられる。
1980年(昭和55年)
収入額:3,283万8,000円
経費額:1,136万9,000円
課税対象額:2,105万9,000円
所得税額:684万7,000円
源泉徴収税額:352万2,000円
差引所得税納付額:332万4,000円
出版された著作
1980年2月『海燕ジョーの奇跡』(新潮社)
1980年2月『殺人百科 PARTⅡ』(徳間書店)
1980年5月『旅人たちの南十字星』(文藝春秋)
1980年11月『波に夕陽の影もなく 海軍少佐竹内十次郎の生涯』(中央公論社)
1980年11月『風恋花』(潮出版社)
1981年(昭和56年)
収入額:3,570万2,000円
経費額:1,117万9,000円
課税対象額:2,412万6,000円
所得税額:850万5,000円
源泉徴収税額:409万8,000円
差引所得税納付額:440万4,000円
出版された著作
1981年2月『越山田中角栄』(徳間文庫)
1981年4月『殺人百科』(文春文庫)
1981年4月『冷えた鋼塊(上巻)』(集英社)
1981年4月『冷えた鋼魂(下巻)』(集英社)
1981年5月『幸せの陽だまり』(潮出版社)
1981年6月『欲望の塀』(文藝春秋)
1981年10月『日本漂民物語』(徳間文庫)
1981年12月『右の腕』(学習研究社)
1982年(昭和57年)
収入額:4,219万5,000円
経費額:1,506万1,000円
課税対象額:2,873万4,000円
所得税額:1,022万2,000円
源泉徴収税額:468万5,000円
差引所得税納付額:553万7,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
出版された著作
1982年1月『大将とわたし』(講談社文庫)
1982年2月『詐欺師』(文春文庫)
1982年3月『殺人百科 PARTⅢ』(徳間書店)
1982年4月『沖縄住民虐殺-日兵虐殺と米国犯罪』(徳間文庫)
1982年5月『政商 小佐野賢治』(講談社)
1982年5月『我が沖縄ノート』(潮出版社)
1982年6月『土曜日の騎士』(河出書房新社)
1982年7月『新撰組』(文藝春秋)
1982年8月『きのこ雲』(中央公論社)
1982年8月『ジミーとジョージ』(集英社)
1982年9月『娼婦たちの天皇陛下』(徳間文庫)
1982年10月『噂になった女たち』(文藝春秋)
1982年12月『閃光に向かって走れ』(文春文庫)
1983年(昭和58年)
収入額:2,533万4,000円
経費額:1,005万9,000円
課税対象額:1,527万5,000円
所得税額:391万5,000円
源泉徴収税額:312万円
差引所得税納付額:79万4,000円
出版された著作
1983年3月『曠野へ』(講談社文庫)
1983年4月『英雄』(集英社)
1983年6月『深川通り魔殺人事件』(文藝春秋)
1983年9月『海燕ジョーの奇跡』(新潮文庫)
1983年10月『田中角栄の風景―戦後初期・炭管疑獄』(徳間書店)
1983年10月『波に夕陽の影もなく』(中公文庫)
1983年10月『冷えた鋼塊(上)』集英社文庫
1983年10月『冷えた鋼塊(下)』集英社文庫
1984年(昭和59年)
収入額:3,961万3,000円
経費額:1,493万円
課税対象額:2,468万3,000円
所得税額:783万2,000円
源泉徴収税額:415万6,000円
差引所得税納付額:367万5,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
出版された著作
1984年2月『誓いて我に告げよ』(角川文庫)
1984年6月『殺人百科 一』(徳間文庫)
1984年6月『殺人百科 二』(徳間文庫)
1984年9月『男の自画像』(佼正出版社)
1984年9月『千葉大女医殺人事件』(徳間書店)
1984年9月『殺人百科 三』(徳間文庫)
1984年10月『人生漂泊』(潮文庫)
1985年(昭和60年)
収入額:2,615万4,000円
経費額:931万1,000円
課税対象額:1,684万3,000円
所得税額:424万5,000円
源泉徴収税額:297万9,000円
差引所得税納付額:126万5,000円
出版された著作
1985年4月『ありふれた奇蹟』(講談社)
1985年4月『翔んでる十兵衛(上)』(潮出版社)
1985年4月『翔んでる十兵衛(下)』(潮出版社)
1985年7月『一・二審死刑、残る疑問―別府三億円保険金殺人事件』(徳間書店)
1985年9月『勝ちを制するに至れり〈上〉』(毎日新聞社)
1985年9月『勝ちを制するに至れり〈下〉』(毎日新聞社)
1985年10月『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』(文春文庫)
1985年12月『犯罪するは我にあり―佐木隆三文学ノート』(作品社)
1986年(昭和61年)
収入額:3,126万9,000円
経費額:1,077万5,000円
課税対象額:2,049万4,000円
所得税額:638万6,000円
源泉徴収税額:338万4,000円
差引所得税納付額:300万3,000円
出版された著作
1986年1月『ジミーとジョージ』(潮文庫)
1986年2月『政商 小佐野賢治』(徳間文庫)
1986年5月『殺人百科〈Part4〉―陰の隣人としての犯罪者たち』(徳間書店)
1986年7月『旅人たちの南十字星』(文春文庫)
1986年7月『南へ走れ、海の道を!』(徳間書店)
1986年12月『恋文三十年 沖縄・仲間翻訳事務所の歳月』(学習研究社)
1987年(昭和62年)
収入額:3,315万5,000円
経費額:1,053万9,000円
課税対象額:2,261万6,000円
所得税額:600万1,000円
源泉徴収税額:356万7,000円
差引所得税納付額:243万4,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
出版された著作
1987年4月『華やかな転落』(潮出版社)
1987年5月『男の責任―女高生・OL連続誘拐殺人事件』(徳間書店)
1987年7月『わが沖縄ノート』(徳間文庫)
1987年7月『殺人百科―陰の隣人としての犯罪者たち〈2〉』(文春文庫)
1987年7月『殺人百科―陰の隣人としての犯罪者たち〈3〉 』(文春文庫)
1987年10月『深川通り魔殺人事件』(文春文庫)
1988年(昭和63年)
収入額:2,279万9,000円
経費額:778万8,000円
課税対象額:1,501万9,000円
所得税額:337万3,000円
源泉徴収税額:246万円
差引所得税納付額:91万3,000円
出版された著作
1988年12月『勝ちを制するに至れり〈上〉』(文春文庫)
1988年12月『勝ちを制するに至れり〈下〉』(文春文庫)
1989年(昭和64年・平成元年)
収入額:2,883万1,000円
経費額:845万4,000円
課税対象額:2,037万7,000円
所得税額:537万9,000円
源泉徴収税額:297万4,000円
差引所得税納付額:240万5,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
出版された著作
1989年9月『千葉大女医殺人事件』(徳間文庫)
1989年11月『リクルート帝王の白日夢』(双葉社)
1990年(平成2年)
収入額:3,734万6,000円
経費額:1,220万3,000円
課税対象額:2,514万3,000円
所得税額:647万7,000円
源泉徴収税額:410万5,000円
差引所得税納付額:237万1,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
※収入(売上)3,000万円以上の為、消費税課税事業者。
出版された著作
1990年2月『バカなふりして生きてみな』(青春出版社)
1990年3月『裁判長大岡淳三』(講談社)
1990年6月『身分帳』(講談社)※第2回伊藤整文学賞受賞
1990年7月『新撰組事件帳』(文春文庫)
1990年9月『別府三億円保険金殺人事件』(徳間文庫)
1991年(平成3年)
収入額:2,961万8,000円
経費額:1,259万1,000円
課税対象額:1,702万7,000円
所得税額:393万6,000円
源泉徴収税額:303万8,000円
差引所得税納付額:89万8,000円
出版された著作
1991年8月『宮崎勤裁判〈上〉 』(朝日新聞社)
1991年9月『女高生・OL連続誘拐殺人事件』(徳間書店)
1991年9月『親が知らなかった子の愛し方』(青春出版社)
1991年12月『いま、裁判が面白い』(蒼樹社)
1992年(平成4年)
収入額:5,574万7,000円
経費額:1,883万4,000円
課税対象額:3,619万2,000円
所得税額:1,127万7,000円
源泉徴収税額:576万2,000円
差引所得税納付額:551万4,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
※収入(売上)3,000万円以上の為、消費税課税事業者。
出版された著作
1992年2月『恩讐海峡』(双葉社)
1992年4月『法廷の賓客たち』(河出書房新社)
1992年7月『正義の剣』(講談社)
1992年7月『捜査検事片桐葉子』(双葉社)
1992年10月『しぶとさの自分学』(青春出版社)
1992年11月『越山田中角栄』(現代教養文庫)
1992年11月『伊藤博文と安重根』(文藝春秋)
※1990年前後に、オリジナルキャラクターを造形した小説を何冊か刊行されましたが、
こちらの売れ行きは良くなかったと佐木隆三氏ご本人が述懐されています。
1993年(平成5年)
収入額:2,909万円
経費額:1,075万5,000円
課税対象額:1,835万5,000円
所得税額:444万2,000円
源泉徴収税額:332万6,000円
差引所得税納付額:111万5,000円
出版された著作
1993年1月『殺人百科 四』(徳間文庫)
1993年2月『矯正労働者の明日』(河出書房新社)
1993年3月『裁判長大岡淳三』(講談社文庫)
1993年6月『生きている裁判官』(中央公論社)
1993年6月『身分帳』(講談社文庫)
1993年9月『闇の中の光』(徳間書店)
1993年9月『錬金術師の白日夢』(双葉文庫)
1994年(平成6年)
収入額:2,821万5,000円
経費額:874万5,000円
課税対象額:1,922万円
所得税額:362万1,000円
源泉徴収税額:329万6,000円
差引所得税納付額:32万5,000円
出版された著作
1994年1月『絆 春日部新平の簡裁事件簿』(双葉社)
1994年4月『恩讐海峡』(双葉文庫)
1994年6月『バカなふりして生きてみな』(青春文庫)
1994年7月『死刑囚 永山則夫』(講談社)
1994年10月『捜査検事片桐葉子』(双葉社)
1995年(平成7年)
収入額:3,049万4,000円
経費額:1,125万円
課税対象額:1,880万4,000円
所得税額:365万7,000円
源泉徴収税額:325万9,000円
差引所得税納付額:39万7,000円
出版された著作
1995年4月『司法卿 江藤新平』(文藝春秋)
1995年6月『白鳥正宗刑事の事件帳』(中央公論社)
1995年6月『宮崎勤裁判〈上〉』(朝日文芸文庫)
1995年8月『正義の剣』(講談社文庫)
1996年(平成8年)
収入額:3,521万2,000円
経費額:1,183万4,000円
課税対象額:2,321万8,000円
所得税額:490万6,000円
源泉徴収税額:355万7,000円
差引所得税納付額:134万8,000円
※備考:平均課税方式がとられている。
出版された著作
1996年1月『絆 春日部新平の簡裁事件簿』(双葉文庫)
1996年3月『伊藤博文と安重根』(文春文庫)
1996年10月『「オウム法廷」連続傍聴記①』(小学館)
1996年10月『「オウム法廷」連続傍聴記 (2) 麻原出廷②』(小学館)
1996年10月『オウム裁判を読む』(岩波書店)
1996年10月『ハダカの自分を生きてみな』(青春文庫)
1997年(平成9年)
収入額:4,676万7,000円
経費額:1,563万2,000円
課税対象額:3,024万2,000円
所得税額:716万9,000円
源泉徴収税額:536万8,000円
差引所得税納付額:180万1,000円
※備考:平均課税方式がとられている。
出版された著作
1997年2月『法廷のなかの人生』(岩波新書)
1997年8月『死刑囚 永山則夫』(講談社文庫)
1997年10月『宮崎勤裁判〈中〉』(朝日新聞社)
1997年10月『宮崎勤裁判〈下〉』(朝日新聞社)
1997年11月『冷えた鋼塊 上』(読売新聞社)
1997年11月『冷えた鋼塊 上』(読売新聞社)
1998年(平成10年)
収入額:3,854万5,000円
経費額:1,328万9,000円
課税対象額:2,487万9,000円
所得税額:587万1,000円
源泉徴収税額:384万9,000円
差引所得税納付額:202万2,000円
出版された著作
1998年3月『人が人を裁くということ』(青春出版社)
1998年4月『司法卿 江藤新平』(文春文庫)
1998年9月『裁判』(作品社)
1999年(平成11年)
収入額:2,987万7,000円
経費額:1,324万6,000円
課税対象額:1,741万円
所得税額:346万円
源泉徴収税額:307万5,000円
差引所得税納付額:385,000円
※備考:消費税課税事業者
出版された著作
1999年5月『もう一つの青春』(岩波書店)
1999年8月『悪女の涙―福田和子の逃亡十五年』(新潮社)
1999年9月『少年犯罪の風景-「親子の法廷」で考えたこと』(東京書籍)
1999年11月『死刑執行―隣りの殺人者〈1〉』(小学館文庫) ※『曠野へ 死刑囚の手記から』改題
この年、東京暮らしに別れを告げ、福岡県北九州市門司区に移住されています。
2000年(平成12年)
収入額:2,935万2,000円
経費額:1,317万5,000円
課税対象額:1,617万7,000円
所得税額:313万4,000円
源泉徴収税額:317万7,000円
差引所得税納付額:-4万3,000円(還付)
※備考:消費税課税事業者
出版された著作
2000年1月『白昼凶刃―隣りの殺人者〈2〉』(小学館文庫) ※『深川通り魔殺人事件
』改題
2000年3月『法廷のなかの隣人たち』(潮出版社)
2000年4月『逃亡射殺 隣りの殺人者3』(小学館文庫) ※『旅人たちの南十字星
』改題
2000年5月『成就者たち』(講談社)
2000年6月『女医絞殺 隣りの殺人4』(小学館文庫) ※『千葉大女医殺人事件
』改題
2000年8月『組長狙撃 海燕ジョーの奇跡 隣りの殺人者5』(小学館文庫)
2000年9月『宮崎勤裁判〈中〉』(朝日学芸文庫)
2000年12月『宮崎勤裁判』(朝日学芸文庫)
2001年(平成13年)
収入額:2,478万円
経費額:1,567万円
課税対象額:1,395万円
所得税額:245万5,000円
源泉徴収税額:249万9,000円
差引所得税納付額:-4万4,000円(還付)
出版された著作
2001年1月『小説 大逆事件』(文藝春秋)
2001年4月『供述調書―佐木隆三作品集』(文藝春秋)
2001年7月『裁かれる家族―断たれた絆を法廷でみつめて』(東京書籍)
2001年11月『法廷の内と外で考える―犯罪者たちとの十年』(文芸社)
2002年(平成14年)
収入額:2,296万8,000円
経費額:1,048万7,000円
課税対象額:1,248万1,000円
所得税額:229万7,000円
源泉徴収税額:238万8,000円
差引所得税納付額:-34万1,000円(還付)
出版された著作
2002年4月『三つの墓標―小説・坂本弁護士一家殺害事件 』(小学館)
2002年11月『大義なきテロリスト―オウム法廷の16被告』(日本放送出版協会)
2003年(平成15年)
収入額:1,685万4,000円
経費額:936万4,000円
課税対象額:658万2,000円
所得税額:78万9,000円
源泉徴収税額:171万4,000円
差引所得税納付額:-92万4,000円(還付)
出版された著作
2003年5月『成就者たち』(講談社文庫)
2003年10月『少女監禁―「支配と服従」の密室で、いったい何が起きたのか』(青春出版社)
2004年(平成16年)
収入額:1,946万1,000円
経費額:1,053万8,000円
課税対象額:768万4,000円
所得税額:96万5,000円
源泉徴収税額:202万4,000円
差引所得税納付額:-105万9,000円(還付)
出版された著作
2004年2月『小説 大逆事件』
2004年2月『慟哭 小説・林郁夫裁判』(講談社)
2004年6月『証言台の母―小説医療過誤裁判』(弦書房)
2004年9月『深川通り魔殺人事件』(新風舎文庫)
2004年10月『宿老・田中熊吉伝』(文藝春秋)
2005年(平成17年)
収入額:1,763万9,000円
経費額:1,101万5,000円
課税対象額:662万3,000円
所得税額:66万8,000円
源泉徴収税額:177万8,000円
差引所得税納付額:-111万円(還付)
出版された著作 はる坊です。 まずは、本多圭司さんのプロフィールです。 ◎学歴 ◎職歴 ◎ご家族や趣味 ゴルフとテニスを嗜み、音楽もバッハ、キース・ジャレット、ビートルズとクラシック、ジャズ、ロックと垣根を超えて好きなモノを聞くという方です。 愛読書にしているのは加藤周一さんの『羊のうた』。これは名著ですね。 座右の銘は「転石、苔生せず」 早稲田大学大学院を修了した本多さんは、乃村工藝社に入社します。 本多さんは乃村工藝社で、文化施設のデザイン・プランニングを担当します。 仕事に不満があったわけではありませんでしたが、新しい仕事をしてみたいという思いが強くなり、乃村工藝社を退職。ヨーロッパ放浪の旅に出ます。途中で、パスポート盗難の被害にも遭いますが、放浪の旅を満喫して帰国します。 帰国した本多さんは仕事を探すことにします。 早速、アポイントメントを取り、当時のエニックス本社に向かうと、そこは西新宿の雑居ビル。 面接担当者は、その小太りのおじさんでした。 話は本多さんのヨーロッパ放浪に始まり、若き福嶋康博さんのアメリカ・インド・東南アジア放浪の話に移り、一向に面接らしい話に移りませんでした。 「OK。じゃあ一緒にやろう」 本多圭司さんはエニックスに入社するまで、ファミコンの存在は知っていましたが、『ドラゴンクエスト』のことは知りませんでした。 実力主義のエニックス・福嶋康博イズムでは珍しくもないことかもしれませんが、入社してまだ3年に満たない、30歳過ぎの人間を現地法人の責任者にするとは、かなり大胆な人事といえます。 アメリカ現地法人に渡った本多さんは、忘れられない経験をすることになります。 このようにシビアなビジネス体験をしたアメリカでしたが、後年スクウェア・エニックスとして合併するスクウェアの鈴木尚さんも、時を同じくしてアメリカの現地法人にいた為、ふたりは遊び友達になり楽しい時間も過ごしたようです。 帰国した本多さんは、1994年4月にソフトウェア企画部長に就任しました。 つまりは、ミリオンセラーとなるゲームソフトを作ること。 現在、スクウェア・エニックス取締役 執行役員を務め『ドラゴンクエストX』『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』でプロデューサーを務め、『ニーア オートマタ』で世界的に大ヒットを飛ばした齊藤陽介さんをソフトウェア企画に引き入れたのは本多さんの大きな功績でしょう。 結果、本多さんはミリオンセラーを作ることが出来たか? 1998年6月 本多圭司さんは、エニックス 取締役 ソフトウェア企画部長に就任します。 そして、2000年10月に福嶋康博さんのあとを継いで、エニックス2代目社長に就任します。 エニックスの社長交代は、内外で驚きをもって迎えられたようですが、社長交代から5ヶ月前に福嶋さんと本多さんが共に関西出張に出掛けた際に、福嶋さんが「ブロードバンド事業をやりたい」と言いだし、「面白そうじゃないですか」と返した本多さんに、「いまのままじゃ時間が取れない。だから本多君が社長やって」と福嶋さんが伝え、本多さんがそれを承諾したのが実際のところです。 本多圭司さんの社長就任から半年が経過した2001年春、エニックスに激震が走ります。 結局、当時、取締役 営業本部 営業部長だった田口浩司さんが和解条項をとりまとめますが、2001年5月から9月までは、出版事業部長を社長である本多圭司さんが担当することになります。(以後は田口浩司さんにバトンタッチ) これは経営者・本多圭司にとって大きなショックだったと思います。 2003年4月、スクウェアを吸収合併する形で、スクウェア・エニックスが誕生しました。 この合併について、和田洋一社長と実質的に話を進めたのが本多圭司さんでした。 当初、代表取締役副社長に就いた本多圭司さんでしたが、仕事を終えたのちに立ち寄った新宿の居酒屋で和田洋一社長に「現場に戻してください」と直訴して、代表権を返上。 しかし、2013年にはスクウェア・エニックス全体の業績悪化の為、取締役兼業務執行担当に降格。 旧エニックスに入社されてから30年。 これだけの実績をお持ちの方ですので、どこかのゲーム関連企業の社外取締役などを務められるのではないかと思います。 前述しましたが、本多圭司さんは2018年6月をもって、スクウェア・エニックスホールディングス取締役を退任されました。 はる坊です。 個人情報保護の為、2005年(平成17年)以降は、発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年(平成16)分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。 ここでは1996年(平成8年)から2004年(平成16年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。 課税所得330万円以下・・・10% 課税所得330万円超~900万円以下・・・20% 課税所得900万円超~1800万円以下・・・30% 課税所得1800万円超~3000万円・・・40% 課税所得3000万円超・・・50% 課税所得200万円以下・・・5% 課税所得200万円超~700万円以下・・・10% 課税所得700万円超・・・15% 1位 内田康夫 2位 西村京太郎 3位 森村誠一 4位 神坂一 5位 津本陽 6位 渡辺淳一 7位 田中芳樹 8位 椎名誠 9位 石原慎太郎 10位 斎藤栄 11位 宮部みゆき 12位 菊地秀行 13位 五木寛之 14位 群ようこ 15位 童門冬二 16位 宮本輝 17位 荒巻義雄 18位 赤川次郎 19位 平岩弓枝 20位 宮城谷昌光 ※赤川次郎首位陥落の理由 ※司馬遼太郎の遺産評価額 1位 赤川次郎 2位 渡辺淳一 3位 西村京太郎 4位 内田康夫 5位 村上春樹 6位 浅田次郎 7位 森村誠一 8位 林真理子 9位 宮部みゆき 10位 津本陽 11位 神坂一 12位 菊地秀行 13位 群ようこ 14位 斎藤栄 15位 星野富弘 16位 田中芳樹 17位 平岩弓枝 18位 髙村薫 19位 椎名誠 20位 大沢在昌 落合信彦 1位 西村京太郎 2位 赤川次郎 3位 鈴木光司 4位 宮部みゆき 5位 内田康夫 6位 浅田次郎 7位 五木寛之 8位 森村誠一 9位 宮城谷昌光 10位 神坂一 11位 菊地秀行 12位 群ようこ 13位 渡辺淳一 14位 星野富弘 15位 椎名誠 16位 落合信彦 17位 馳星周 18位 斎藤栄 19位 田中芳樹 20位 筒井康隆 北方謙三 河合隼雄 林真理子 平岩弓枝 1999年分以降は、所得税率が過去最低にダウン 1998年(平成10年)分までは、最高税率が所得税50%+住民税15%でしたが、 そのせいか、下記に挙げる作家の納税額も前年までに比べて減少していますが、2000年に入ると出版不況が深刻化して、作家の収入自体が減少していく様子が分かります。 1990年代初頭では、年収1億円あったとしてもランキングのベスト20に入れるかどうかでしたが、2000年分以降では、ベストテンに入れる年収になっています。 それほど、本が売れずに印税収入が細ってきている模様もうかがえます。 2006年分まで使用された所得税率表は下記のとおりです。 参考までに、2006年分まで使用された住民税税率表は下記のとおりです。 1998年分までに比べると最高税率が大幅に下がりました。 1998年分まで、所得税50%+住民税15%=最高税率65% 1位 西村京太郎 2位 内田康夫 3位 宮部みゆき 4位 鈴木光司 5位 浅田次郎 6位 五木寛之 7位 森村誠一 8位 桐生操 9位 桐生操 10位 星野富弘 11位 村上春樹 12位 津本陽 13位 赤瀬川源平 14位 山崎豊子 15位 東野圭吾 16位 菊地秀行 17位 天童荒太 18位 桐野夏生 19位 京極夏彦 20位 神坂一 21位以下で公示された作家 林真理子 平岩弓枝 馳星周 1位 西村京太郎 2位 赤川次郎 3位 宮部みゆき 4位 山崎豊子 5位 内田康夫 6位 浅田次郎 7位 五木寛之 8位 天童荒太 9位 真保裕一 10位 北方謙三 11位 菊地秀行 12位 夢枕獏 13位 江國香織 14位 阿川佐和子 15位 落合信彦 16位 津本陽 17位 星野富弘 18位 森村誠一 19位 東野圭吾 20位 林真理子 21位以下で公示された作家 山口洋子 森博嗣 大沢在昌 渡辺淳一 柳美里 宮尾登美子 曽野綾子 花村萬月 平岩弓枝 1位 西村京太郎 2位 宮部みゆき 3位 赤川次郎 4位 内田康夫 5位 浅田次郎 6位 夢枕獏 7位 江國香織 8位
はる坊です。 個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。 ここでは1984年(昭和59年)から1988年(昭和63)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。各年のベスト20までを列挙しています。 この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。 記事の一番下に、当時の所得税率・住民税率を記載しておりますので、ご興味のある方はご覧ください。 それでは長者番付・作家部門(1984年分~1988年分)です
1位 赤川次郎 2位 西村京太郎 3位 司馬遼太郎 4位 松本清張 5位 西村寿行 6位 渡辺淳一 7位 笹沢左保 8位 森村誠一 9位 平岩弓枝 10位 片岡義男 11位 池波正太郎 13位 田辺聖子 14位 筒井康隆 15位 斎藤栄 16位 夏樹静子 17位 遠藤周作 18位 柳田邦男 19位 大藪春彦 20位 和久俊三 1位 赤川次郎 2位 西村京太郎 3位 池波正太郎 4位 松本清張 5位 西村寿行 6位 司馬遼太郎 8位 渡辺淳一 9位 森村誠一 10位 笹沢左保 11位 平岩弓枝 12位 斎藤栄 13位 田辺聖子 14位 夢枕獏 15位 遠藤周作 16位 大藪春彦 17位 和久俊三 18位 高城肇 19位 平井和正 20位 胡桃沢耕史 21位以下 菊地秀行 1位 赤川次郎 2位 西村京太郎 3位 司馬遼太郎 4位 渡辺淳一 5位 西村寿行 6位 松本清張 7位 遠藤周作 8位 菊地秀行 ⇒菊地秀行の生誕から爆発的な人気を得る1980年代後半に至る軌跡をまとめた記事はこちらです。魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第1回~第4回』(新しいタブが開きます) 10位 池波正太郎 11位 畑正憲 12位 田辺聖子 13位 笹沢左保 14位 夢枕獏 15位 胡桃沢耕史 16位 斎藤栄 17位 平岩弓枝 18位 井上ひさし 19位 山村美紗 20位 森村誠一 1位 赤川次郎 2位 西村京太郎 3位 司馬遼太郎 4位 西村寿行 5位 池波正太郎 6位 菊地秀行 7位 田辺聖子 8位 渡辺淳一 9位 松本清張 11位 山村美紗 12位 遠藤周作 13位 胡桃沢耕史 14位 椎名誠 15位 安部譲二 16位 笹沢左保 17位 斎藤栄 18位 森村誠一 19位 新井素子 20位 平岩弓枝 1位 赤川次郎 2位 西村京太郎 3位 村上春樹 4位 池波正太郎 5位 西村寿行 6位 司馬遼太郎 7位 菊地秀行 8位 松本清張 9位 山村美紗 10位 斎藤栄 11位 平岩弓枝 12位 遠藤周作 13位 田辺聖子 14位 笹沢左保 15位 藤川桂介 16位 渡辺淳一 17位 藤島泰輔 18位 椎名誠 19位 門田泰明 20位 森村誠一 最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。 何かございましたら、こちらまでお願いいたします。 はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます) なんと15分類に分かれていました 課税所得50万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5% 課税所得50万円超~120万円以下・・・・・・12% 課税所得120万円超~200万円以下・・・・・14% 課税所得200万円超~300万円以下・・・・・17% 課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21% 課税所得400万円超~600万円以下・・・・・25% 課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30% 課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35% 課税所得1000万円超~1200万円以下・・・40% 課税所得1200万円超~1500万円以下・・・45% 課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50% 課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55% 課税所得3000万円超~5000万円以下・・・60% 課税所得5000万円超~8000万円以下・・・65% 課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・70% まだ、12分類に分かれていました。 課税所得150万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5% 課税所得150万円超~200万円以下・・・・・12% 課税所得200万円超~300万円以下・・・・・16% 課税所得300万円超~500万円以下・・・・・20% 課税所得500万円超~600万円以下・・・・・25% 課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30% 課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35% 課税所得600万円超~1000万円以下・・・・40% 課税所得1000万円超~2000万円以下・・・45% 課税所得600万円超~1000万円以下・・・・50% 課税所得1000万円超~2000万円以下・・・55% 課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60% やっと6分類まで減りました。 課税所得300万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・10% 課税所得300万円超~600万円以下・・・・・20% 課税所得600万円超~1000万円以下・・・・30% 課税所得1000万円超~2000万円以下・・・40% 課税所得2000万円超~5000万円以下・・・50% 課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60% 1980年分から使用されていました。 課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・4% 課税所得30万円超~45万円以下・・・・・・・5% 課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・6% 課税所得70万円超~100万円以下・・・・・・7% 課税所得100万円超~130万円以下・・・・・8% 課税所得130万円超~150万円以下・・・・・9% 課税所得150万円超~230万円以下・・・・・11% 課税所得230万円超~370万円以下・・・・・12% 課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13% 課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14% 課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15% 課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16% 課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17% 課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・18% よって、1984年分の所得税と住民税の最高税率は驚異の88%でした。 同じく14分類に分かれていました 課税所得20万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4.5% 課税所得20万円超~45万円以下・・・・・・・・5% 課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・・6% 課税所得70万円超~95万円以下・・・・・・・・7% 課税所得95万円超~120万円以下・・・・・・・8% 課税所得120万円超~150万円以下・・・・・・9% 課税所得150万円超~220万円以下・・・・・11% 課税所得220万円超~370万円以下・・・・・12% 課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13% 課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14% 課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15% 課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16% 課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17% 課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18% 1987年分の所得税と住民税の最高税率は、所得税の最高税率が10%下がったため78%でした。 所得税と同じく7分類に簡略化されました 課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5% 課税所得60万円超~130万円以下・・・・・・・7% 課税所得130万円超~260万円以下・・・・・10% 課税所得260万円超~460万円以下・・・・・12% 課税所得460万円超~950万円以下・・・・・14% 課税所得950万円超~1900万円以・・・・・・15% 課税所得1900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・16% 1988年分の所得税と住民税の最高税率は、住民税の最高税率が2%下がったため76%でした。 本当の最後まで読んでくださって、心より御礼申し上げます。 復刊ドットコム 本好きの皆さんから寄せられた復刊リクエストを元に、2000年のサイトオープン以来、独自の復刊活動を20年にわたり続けて来られました。 これまでに55万人の会員様から55,000タイトル・85万票のリクエストが寄せられ、およそ6,000タイトルが復刊されています。 実際に復刊が実現した作品は、自社のサイトを通じて一般販売を行っています。 近年は、復刊本のみならず、 過去に復刊が実現した本の関連書籍(新刊を含む)の販売も積極的に展開して、 レア本・限定本・懐かしの本・コミックなどを満載したセレクトショップ的なネット書店を運営されています。
2005年6月『
人物伝
エニックス2代目社長・スクウェア・エニックスホールディングス副社長・取締役を歴任した本多圭司氏
エニックス2代目社長・スクウェア・エニックスホールディングス副社長・取締役を歴任した本多圭司さんのプロフィール
今回は、エニックス2代目社長を務め、スクウェア・エニックス・スクウェア・エニックスホールディングス副社長・取締役を歴任した本多圭司さんについて触れたいと思いますのでよろしくお願い申し上げます。
1957年(昭和32年)12月29日福岡県生まれ。山羊座。
現在、61歳です。
1980年(昭和55年) 3月 大阪市立大学工学部建築学科卒業。
1982年(昭和57年) 3月 早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了
1982年(昭和57年) 4月 株式会社乃村工藝社 入社
1987年(昭和62年)10月 エニックス 入社
1990年(平成2年) 7月 エニックスアメリカコーポレーション駐在(現地責任者)
1994年(平成6年) 4月 エニックス 商品企画本部 ソフトウェア企画部長
1998年(平成10年) 6月 エニックス 取締役 商品企画本部 ソフトウェア企画部長
2000年(平成12年)10月 エニックス 代表取締役社長兼最高執行責任者COO
2001年(平成13年) 4月 エニックス 代表取締役社長兼最高執行責任者COO兼出版事業部長
2002年(平成14年) 9月 エニックス 代表取締役社長兼最高執行責任者COO兼ソフトウェア事業部長
2003年(平成15年) 4月 スクウェア・エニックス 代表取締役副社長
2004年(平成16年) 6月 スクウェア・エニックス 取締役副社長(中国・上海駐在)
2005年(平成17年) 1月 SQUARE ENIX(China)CO.LTD 董事長(代表取締役に相当)
2006年(平成18年) 4月 スクウェア・エニックスホールディングス 取締役副社長
2008年(平成20年)10月 スクウェア・エニックス 代表取締役副社長
2009年(平成21年)10月 SQUARE ENIX OF AMERICA HOLDINGS, INC.取締役
2013年(平成25年) 4月 スクウェア・エニックス 取締役
2013年(平成25年) 6月 スクウェア・エニックスホールディングス 取締役
2018年(平成30年) 3月 スクウェア・エニックス 取締役を退任
2018年(平成30年) 6月 スクウェア・エニックスホールディングス 取締役を退任
ご家族は奥さまと3人のお嬢様。
趣味は仕事と家庭。
“「この2つから得られる満足感に人生の豊かさを感じます」”
とコメントされています。
-物事についてのんびり構えず、スピーディに対処するという意味に独自で解釈されています。エニックス入社までの本多圭司さんについて
乃村工藝社は、百貨店等の商業施設、美術館、博物館等の展示施設、万国博覧会等のイベント展示の企画、デザイン、設計・制作施工を手掛けている企業で、筒井康隆さんがサラリーマン生活を過ごした企業としても知られています。
そして、30歳を迎えようとしているあるとき、仕事である企業の社長と話す機会を得ます。
その折に、“「本多さん、経営もデザインなんですよ」”
という言葉を掛けられます。
その言葉は、本多さんのなかに残りました。
「小さい会社でもいい、自分の力が発揮できるところに」と求人雑誌を開いたところ、目に入ったのがエニックスの求人でした。その求人広告は、他の企業と違っていて、手作り感に溢れていたところが特徴的で、本多さんは興味を覚えました。
そのなかのエニックスを訪ねると、本多さんが声を掛けるより早く、小太りのおじさんが段ボール箱を抱えて出てきました。
「ウチの会社に何か用なの?」
「面接にまいりました本多ですが」
「ああそう。じゃあ入って」
社長の福嶋康博さんです。
「最近、何してたの?」
「ヨーロッパをぶらぶらしてました」
「いいねえ」
結局、そのまま本多さんの採用が決まりました。エニックス入社後の本多圭司さん
そんな本多さんは、千田幸信さんの元でドラクエグッズの商品企画を担当します。
そして、入社3年弱が過ぎた頃、アメリカの現地法人であるエニックスアメリカコーポレーション現地責任者となります。
それだけ、福嶋さんは本多さんを買っていたともいえると思います。
ある玩具卸問屋がいきなり倒産してしまい、本多さんは売掛金の回収に走りますが、結果としてほとんど売掛金の回収をすることができませんでした。
しかし、同じゲーム業界の企業で、完璧に売掛金の回収をおこなっていた企業がありました。
NOA。ニンテンドウ・オブ・アメリカです。
本多さんは「さすが任天堂・・・」と脅威を感じたといいます。ミリオンセラーソフトを目指す
そして、千田幸信さんに次いで〝アシスタント・プロデューサー〟として『ドラゴンクエスト』シリーズにも関わりますが、目指したのは、ドラクエに続く柱を作ることでした。
これは否です。
最高のヒットは、『スターオーシャン セカンドストーリー』でしたが、国内のみでは売上は70数万本。
しかし、『バスト ア ムーブ』(発売本数 約40万本)を生み出すなど、ドラクエシリーズとクインテット開発のゲームしかなかったエニックスのゲーム企画部門を大きく発展させた功績は非常に大きいと思います。取締役、そしてエニックス2代目社長に就任
ちょうど40歳。
エニックスに入社して10年半。早い出世であることは間違いありません。
本多さんが代表取締役社長兼COOとなり既存の事業を担当。
福嶋康博さんは代表取締役会長兼CEOとなり新規事業の企画に専念します。
本多さんは、まだ42歳の若さでした。〝エニックスお家騒動〟勃発
出版事業部門の実質的創設者で、取締役 出版事業部長の保坂嘉弘氏をはじめ、出版事業部の幹部数名がエニックスを退社して、新会社マッグガーデンを設立して、同時にエニックスのコミック誌で活動していた漫画家を引き抜いたのです。
エニックスの出版部門(コミックス部門)には大ダメージでした。スクウェア・エニックス誕生
代表取締役会長CEOに福嶋康博さん
代表取締役社長COOに和田洋一さん
代表取締役副社長に本多圭司さん
取締役に鈴木尚さん・千田幸信さん・成毛眞さんが就任します。
本多さんから報告を受けた福嶋さんが和田社長の経営能力を評価して、合併へOKサインを出しました。
合併については、旧スクウェアの株式を50数%保有していたオーナーの宮本雅史さんから、スクウェア株式への評価が低いとして、
エニックス1:0.81スクウェアから、
エニックス1:0.85スクウェアに株式の評価があらためられるという一幕もありましたが、合併は無事におこなわれました。スクウェア・エニックス時代の本多圭司さん
上海に駐在して、中国事業全般を担当することになります。
中国事業においては、現地法人の代表も兼ねて利益を出し続けました。
スクウェア・エニックスホールディングスが誕生して持株会社化されてからも取締役副社長を務め、子会社となったスクウェア・エニックスでは代表取締役副社長を務めます。
2018年4月には、スクウェア・エニックス取締役を退任。
同年6月にはスクウェア・エニックスホールディングス取締役も退任されました。
そして、旧エニックスから役員として20年間、本当にお疲れさまでしたと申し上げたいです。本多圭司さんの年収は?
本多さんが2017年度に受け取っておられた役員報酬は、金銭報酬として8900万円+ストックオプションとして1500万円の1億400万円でした。
2016年以前は、年間報酬1億円以上の取締役として公示されたことはありませんでしたので、最高でも年収8~9000万円だったのではないかと思います。長者番付
印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1996年分~2004年分)
毎年のベスト20までを列挙しています。
ソースは、当時の新聞報道・各年の『全国高額納税者名簿』(東京商工リサーチ刊)によるものです。1996年分~1998年分の所得税率について
参考までに、1996年分~1998年分の住民税の税率です。
それでは、長者番付・作家部門(1996年分~2004年分)です
1996年(平成8年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1億4657万円
1億3351万円
8222万円
8010万円
7450万円
7327万円
6568万円
6199万円
6096万円
5933万円
5291万円
5017万円
4960万円
4112万円
3976万円
3973万円
3860万円
3805万円
3795万円
3696万円
13年連続で長者番付・作家部門の1位を守り続けた赤川次郎氏が一気に18位まで順位を下げたのは、バブル期に購入した自宅兼仕事場の売却損で、作家活動による印税・原稿料・著作権収入と売却損が相殺された為。
収入は例年と同様の額があったとのこと。
1997年2月、1996年2月に逝去した司馬遼太郎氏の遺産評価額が管内税務署にて公示されました。
遺産額は約26億4000万円。
約20億1000万円が銀行等金融機関への預貯金。
約3億9000万円が著作権。
約2億4000万円が自宅の土地建物でした。1997年(平成9年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
2億7760万円
2億2675万円
2億1257万円
2億0827万円
9244万円
9187万円
8611万円
6980万円
6942万円
6752万円
6336万円
5817万円
5298万円
5147万円
5103万円
4981万円
4632万円
4439万円
4293万円
4247万円
3311万円
1998年(平成10年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
2億5196万円
1億9087万円
1億4207万円
1億1679万円
1億0594万円
1億0474万円
7780万円
7128万円
6738万円
5612万円
5495万円
5357万円
4998万円
4962万円
4927万円
4687万円
4412万円
4399万円
4385万円
4220万円
3905万円
3563万円
3211万円
1974万円
所得税率は最高で37%までダウンしました。
課税所得330万円以下・・・・・・・・・・・10%
課税所得330万円超~900万円・・・・20%
課税所得900万円超~1800万円・・・30%
課税所得1800万円超・・・・・・・・・・・・・37%
課税所得200万円以下・・・5%
課税所得200万円超~700万円以下・・・10%
課税所得700万円超・・・13%
1999年分から、所得税37%+住民税10%=最高税率47%1999年(平成11年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1億6519万円
1億3929万円
1億1492万円
7656万円
7315万円
6320万円
6199万円
(堤幸子) 5640万円
(上田加代子) 5610万円
5246万円
4664万円
4329万円
4015万円
3940万円
3803万円
3777万円
3718万円
3355万円
3300万円
3282万円
2719万円
2174万円
1412万円
2000年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1億5603万円
1億1108万円
7873万円
7559万円
7265万円
6758万円
6468万円
6465万円
4153万円
3956万円
3886万円
3591万円
3412万円
3227万円
3188万円
3176万円
3108万円
2887万円
2878万円
2746万円
2624万円
2392万円
2223万円
1932万円
1891万円
1724万円
1714万円
1332万円
1116万円
2001年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1億5946万円
1億4566万円
8648万円
7743万円
6633万円
5960万円
4331万円
長者番付
印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1984年分~1988年分)
ソースは、当時の新聞報道によるものです。1984年(昭和59年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
6億3836万円
1億8276万円
1億7432万円
1億7240万円
1億5615万円
1億0481万円
9941万円
8300万円
8157万円
8064万円
7429万円
7104万円
6714万円
6251万円
5884万円
4774万円
4521万円
4316万円
4251万円
1985年(昭和60年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
7億5709万円
2億4789万円
1億9872万円
1億4105万円
1億3745万円
1億2567万円
9333万円
8665万円
8061万円
6712万円
6459万円
6059万円
5971万円
5560万円
5131万円
5073万円
5007万円
4355万円
4300万円
3981万円
1986年(昭和61年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
8億6100万円
2億9662万円
1億4368万円
1億4036万円
1億1809万円
1億0914万円
1億0621万円
1億0458万円
9919万円
8904万円
7290万円
6774万円
6769万円
6664万円
6452万円
6064万円
6006万円
5781万円
5370万円
1987年(昭和62年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
6億4860万円
2億8468万円
1億4980万円
1億3190万円
1億0257万円
9533万円
9531万円
9331万円
8866万円
7536万円
7080万円
6404万円
6390万円
6255万円
6157万円
6111万円
6060万円
5576万円
5482万円
1988年(昭和63年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
5億8233万円
2億8833万円
2億5369万円
1億3898万円
1億0072万円
9920万円
8673万円
7903万円
7376万円
7018万円
6957万円
6931万円
6711万円
6237万円
6235万円
6079万円
5918万円
5913万円
5871万円
5598万円
1984年分~1986年分の所得税率について
1987年分の所得税率について
1988年分の所得税率について
参考までに、1984年分の住民税の税率です。
こちらもなんと、14分類に分かれていました。1985年分~1987年分の住民税の税率です。
1988年分の住民税の税率です。
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