生涯収入9億6400万円 !代表作『復讐するは我にあり』の直木賞作家・佐木隆三氏が晩年に公表した30年間の収支一覧表
直木賞作家の生涯収入は?
はる坊です。
人間は他人のことが気になる生き物です。
例えば、収入。
あの人は幾らくらいひと月に稼いでいるんだろう?
あの職業に就いている人はどれくらいの年収があるんだろう?
例えば、作家・小説家。
2015年11月、作家の森博嗣さんが『作家の収支
』という新書で、“「19年間で、総発行部数1400万部。累計で15億円の収入を得た」”と公表されました。
森さんは、事あるごとに、ご自身を〝マイナ〟であると定義されていますが、
著書はコンスタントに出されており、同時にコンスタントに売れ続けている作家です。
2018年には著書の累計売上数が1600万部を突破していますので、
〝出版巨大不況〟のご時世で、稼ぎは〝超メジャ〟であると思います。
2020年11月に刊行された『勉強の価値』も非常に面白くオススメです。
しかし、コンスタントに売れる本を出し続けていると言い難い作家の収入はどうなんだろう?
という疑問が出てきます。
そんななか、2007年(平成17年)に過去30年間の収支を公表した方がいます。
代表作のひとつ『身分帳』を原作にした映画『すばらしき世界』が2021年2月11日に西川美和監督・役所広司主演で公開された、直木賞作家の佐木隆三さんです。
ネタバレは避けますが、映画の原作小説となる『身分帳』は、実在の人物である田村明義をモデルに、主人公・山川一の人生を、佐木さんが得意とする〝ノンフィクション・ノベル〟の形で進んでいきます。
原作小説は1990年に講談社よりハードカバーが刊行され、1993年に文庫化。
1991年には第2回伊藤整文学賞を受賞しています。
文庫は絶版の状態が続いていましたが、今回の映画公開により文庫が復刊(併せて電子書籍化も)されました。
今回の復刊にあたって、主人公・山川一の最後を描いた『行路病死人──小説『身分帳』補遺』と西川美和さんによる解説も収録されています。
さて、佐木さんが公表された数字ですごい点は、毎年の収入だけではなく、
・経費
・課税対象額
・所得税額
・源泉徴収税額
・差引納付額
と、支出や納税額についても、細かく公にされたことでしょう。
佐木さんの代表作と言えば、直木賞受賞作であり、今村昌平
監督・緒形拳
主演で映画化された『復讐するは我にあり』ですが、
タイトルのせいか、意外にこの作品は西村寿行作品だと思っている方も一定数おられるようです。
ちなみに『復讐するは我にあり』は、新約聖書の(ローマ人への手紙 第12章 第19節)に出てくる『愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して「主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん」とあり』という言葉の一部であり、これは、《悪人に復讐を与えるのは神である》という意味といわれています。
佐木さんは『新約聖書』の言葉をタイトルに引用した形です。
しかし、最も一般的な佐木隆三さんのイメージは、何か物騒な事件が起きると、
ワイドショーやニュース番組で「作家のサキリューゾーさんは」とコメントをしていたおじさんではないでしょうか。
それでは、佐木隆三さんの30年間の収支一覧表です。
その下に、佐木隆三さんの詳しいプロフィールを紹介していますので、興味のある方はご覧ください。
1976年(昭和51年)~2005年(平成17年)分 佐木隆三 連年収支一覧表
1976年(昭和51年)
収入額:5,288万6,000円
経費額:1,449万9,000円
課税対象額:3,798万7,000円
所得税額:772万4,000円
源泉徴収税額:773万4,000円
差引納付額:-1万円
※備考 『復讐するは我にあり』の直木賞受賞で、前年度より急激に収入が増えたため、課税は平均課税方式がとられている。
出版された著作
1975年11月『復讐するは我にあり(上下)』(講談社)
1976年2月『沖縄住民虐殺-日兵虐殺と米国犯罪』(新人物往来社)
1976年2月『大将とわたし』(講談社)
1976年5月『狼からの贈物』(河出書房新社)
1976年6月『大罷業』(田畑書店)
1976年6月『ジャンケンポン協定』(講談社文庫)
1976年9月『偉大なる祖国アメリカ』(勁文社)
※『復讐するは我にあり』は1975年11月の刊行ですが、直木賞受賞で43万部を超えるベストセラーとなり、1976年分の収入に大きく寄与しているため、この年に出版された著作に含めました。
1976年に刊行された本の多くは、過去に一度刊行されて絶版状態にあったものや単行本化されていなかった原稿をまとめたものが目立ちます。
佐木さんは、直木賞受賞まで11冊の本を出されていますが、それらが版元を変えたり文庫化されて再度刊行されている形です。
『新宿鮫』シリーズが累計600万部以上の大ベストセラーになるまでに出した28冊ことごとくが売れず(28冊目は『氷の森』で大沢在昌作品の文庫では一番売れているのにわからないものです)、29冊目の『新宿鮫
』が大ヒットして、それまでに書いて絶版になっていた本が次々に復刊されて、それらを〝ゾンビ本〟と呼んだ大沢在昌
さんみたいな感じでしょうか。
1977年(昭和52年)
収入額:2,590万円
経費額:864万9,000円
課税対象額:1,685万1,000円
所得税額:482万4,000円
源泉徴収税額:269万8,000円
差引所得税納付額:212万5,000円
出版された著作
1977年2月『ドキュメント狭山事件』(文藝春秋)
1977年2月『日本漂民物語』(講談社)
1977年4月『越山田中角栄』(朝日新聞社)
1977年5月『殺人百科 』(徳間書店)
1977年10月『人生漂泊』(時事通信社)
1978年(昭和53年)
収入額:2,626万1,000円
経費額:939万円
課税対象額:1,649万1,000円
所得税額:465万2,000円
源泉徴収税額:268万円
差引所得税納付額:197万1,000円
出版された著作
1978年1月『偉大なる祖国アメリカ』(角川文庫)
1978年1月『実験的生活』(講談社)
1978年2月『閃光に向かって走れ』(文藝春秋)
1978年3月『男たちの祭り』(角川文庫)
1978年4月『詐欺師』(潮出版社)
1978年6月『愛の潮路』(光文社)
1978年9月『続人生漂泊』(時事通信社)
1978年10月『娼婦たちの天皇陛下』
1978年11月『大罷業』(角川文庫)
1978年12月『誓いて我に告げよ』(角川書店)
1978年12月『復讐するは我にあり(上)』(講談社)
1978年12月『復讐するは我にあり(下)』(講談社)
1979年(昭和54年)
収入額:4,963万8,000円
経費額:1,389万2,000円
課税対象額:3,536万7,000円
所得税額:11,787,000円
源泉徴収税額:682万7,000円
差引所得税納付額:495万9,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
出版された著作
1979年4月『曠野へ 死刑囚の手記から』(講談社)
1979年5月『事件百景-陰の隣人としての犯罪者たち』(徳間書店)
1979年5月『ドキュメント狭山事件』(文春文庫)
1979年6月『男と女のいる風景』(文藝春秋)
1979年9月『無宿の思想』(時事通信社)
1979年12月『錆びた機械』(潮出版社)
※1977年分(昭和52年分)・1978年分(昭和53年分)から収入が大幅に増加しているのは、1979年(昭和54年)4月21日に、今村昌平監督・緒形拳主演で公開された『復讐するは我にあり』の映画化により、講談社から出版された文庫本が版を重ねたのが理由と考えられる。
1980年(昭和55年)
収入額:3,283万8,000円
経費額:1,136万9,000円
課税対象額:2,105万9,000円
所得税額:684万7,000円
源泉徴収税額:352万2,000円
差引所得税納付額:332万4,000円
出版された著作
1980年2月『海燕ジョーの奇跡』(新潮社)
1980年2月『殺人百科 PARTⅡ』(徳間書店)
1980年5月『旅人たちの南十字星』(文藝春秋)
1980年11月『波に夕陽の影もなく 海軍少佐竹内十次郎の生涯』(中央公論社)
1980年11月『風恋花』(潮出版社)
1981年(昭和56年)
収入額:3,570万2,000円
経費額:1,117万9,000円
課税対象額:2,412万6,000円
所得税額:850万5,000円
源泉徴収税額:409万8,000円
差引所得税納付額:440万4,000円
出版された著作
1981年2月『越山田中角栄』(徳間文庫)
1981年4月『殺人百科』(文春文庫)
1981年4月『冷えた鋼塊(上巻)』(集英社)
1981年4月『冷えた鋼魂(下巻)』(集英社)
1981年5月『幸せの陽だまり』(潮出版社)
1981年6月『欲望の塀』(文藝春秋)
1981年10月『日本漂民物語』(徳間文庫)
1981年12月『右の腕』(学習研究社)
1982年(昭和57年)
収入額:4,219万5,000円
経費額:1,506万1,000円
課税対象額:2,873万4,000円
所得税額:1,022万2,000円
源泉徴収税額:468万5,000円
差引所得税納付額:553万7,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
出版された著作
1982年1月『大将とわたし』(講談社文庫)
1982年2月『詐欺師』(文春文庫)
1982年3月『殺人百科 PARTⅢ』(徳間書店)
1982年4月『沖縄住民虐殺-日兵虐殺と米国犯罪』(徳間文庫)
1982年5月『政商 小佐野賢治』(講談社)
1982年5月『我が沖縄ノート』(潮出版社)
1982年6月『土曜日の騎士』(河出書房新社)
1982年7月『新撰組』(文藝春秋)
1982年8月『きのこ雲』(中央公論社)
1982年8月『ジミーとジョージ』(集英社)
1982年9月『娼婦たちの天皇陛下』(徳間文庫)
1982年10月『噂になった女たち』(文藝春秋)
1982年12月『閃光に向かって走れ』(文春文庫)
1983年(昭和58年)
収入額:2,533万4,000円
経費額:1,005万9,000円
課税対象額:1,527万5,000円
所得税額:391万5,000円
源泉徴収税額:312万円
差引所得税納付額:79万4,000円
出版された著作
1983年3月『曠野へ』(講談社文庫)
1983年4月『英雄』(集英社)
1983年6月『深川通り魔殺人事件』(文藝春秋)
1983年9月『海燕ジョーの奇跡』(新潮文庫)
1983年10月『田中角栄の風景―戦後初期・炭管疑獄』(徳間書店)
1983年10月『波に夕陽の影もなく』(中公文庫)
1983年10月『冷えた鋼塊(上)』集英社文庫
1983年10月『冷えた鋼塊(下)』集英社文庫
1984年(昭和59年)
収入額:3,961万3,000円
経費額:1,493万円
課税対象額:2,468万3,000円
所得税額:783万2,000円
源泉徴収税額:415万6,000円
差引所得税納付額:367万5,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
出版された著作
1984年2月『誓いて我に告げよ』(角川文庫)
1984年6月『殺人百科 一』(徳間文庫)
1984年6月『殺人百科 二』(徳間文庫)
1984年9月『男の自画像』(佼正出版社)
1984年9月『千葉大女医殺人事件』(徳間書店)
1984年9月『殺人百科 三』(徳間文庫)
1984年10月『人生漂泊』(潮文庫)
1985年(昭和60年)
収入額:2,615万4,000円
経費額:931万1,000円
課税対象額:1,684万3,000円
所得税額:424万5,000円
源泉徴収税額:297万9,000円
差引所得税納付額:126万5,000円
出版された著作
1985年4月『ありふれた奇蹟』(講談社)
1985年4月『翔んでる十兵衛(上)』(潮出版社)
1985年4月『翔んでる十兵衛(下)』(潮出版社)
1985年7月『一・二審死刑、残る疑問―別府三億円保険金殺人事件』(徳間書店)
1985年9月『勝ちを制するに至れり〈上〉』(毎日新聞社)
1985年9月『勝ちを制するに至れり〈下〉』(毎日新聞社)
1985年10月『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』(文春文庫)
1985年12月『犯罪するは我にあり―佐木隆三文学ノート』(作品社)
1986年(昭和61年)
収入額:3,126万9,000円
経費額:1,077万5,000円
課税対象額:2,049万4,000円
所得税額:638万6,000円
源泉徴収税額:338万4,000円
差引所得税納付額:300万3,000円
出版された著作
1986年1月『ジミーとジョージ』(潮文庫)
1986年2月『政商 小佐野賢治』(徳間文庫)
1986年5月『殺人百科〈Part4〉―陰の隣人としての犯罪者たち』(徳間書店)
1986年7月『旅人たちの南十字星』(文春文庫)
1986年7月『南へ走れ、海の道を!』(徳間書店)
1986年12月『恋文三十年 沖縄・仲間翻訳事務所の歳月』(学習研究社)
1987年(昭和62年)
収入額:3,315万5,000円
経費額:1,053万9,000円
課税対象額:2,261万6,000円
所得税額:600万1,000円
源泉徴収税額:356万7,000円
差引所得税納付額:243万4,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
出版された著作
1987年4月『華やかな転落』(潮出版社)
1987年5月『男の責任―女高生・OL連続誘拐殺人事件』(徳間書店)
1987年7月『わが沖縄ノート』(徳間文庫)
1987年7月『殺人百科―陰の隣人としての犯罪者たち〈2〉』(文春文庫)
1987年7月『殺人百科―陰の隣人としての犯罪者たち〈3〉 』(文春文庫)
1987年10月『深川通り魔殺人事件』(文春文庫)
1988年(昭和63年)
収入額:2,279万9,000円
経費額:778万8,000円
課税対象額:1,501万9,000円
所得税額:337万3,000円
源泉徴収税額:246万円
差引所得税納付額:91万3,000円
出版された著作
1988年12月『勝ちを制するに至れり〈上〉』(文春文庫)
1988年12月『勝ちを制するに至れり〈下〉』(文春文庫)
1989年(昭和64年・平成元年)
収入額:2,883万1,000円
経費額:845万4,000円
課税対象額:2,037万7,000円
所得税額:537万9,000円
源泉徴収税額:297万4,000円
差引所得税納付額:240万5,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
出版された著作
1989年9月『千葉大女医殺人事件』(徳間文庫)
1989年11月『リクルート帝王の白日夢』(双葉社)
1990年(平成2年)
収入額:3,734万6,000円
経費額:1,220万3,000円
課税対象額:2,514万3,000円
所得税額:647万7,000円
源泉徴収税額:410万5,000円
差引所得税納付額:237万1,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
※収入(売上)3,000万円以上の為、消費税課税事業者。
出版された著作
1990年2月『バカなふりして生きてみな』(青春出版社)
1990年3月『裁判長大岡淳三』(講談社)
1990年6月『身分帳』(講談社)※第2回伊藤整文学賞受賞
1990年7月『新撰組事件帳』(文春文庫)
1990年9月『別府三億円保険金殺人事件』(徳間文庫)
1991年(平成3年)
収入額:2,961万8,000円
経費額:1,259万1,000円
課税対象額:1,702万7,000円
所得税額:393万6,000円
源泉徴収税額:303万8,000円
差引所得税納付額:89万8,000円
出版された著作
1991年8月『宮崎勤裁判〈上〉 』(朝日新聞社)
1991年9月『女高生・OL連続誘拐殺人事件』(徳間書店)
1991年9月『親が知らなかった子の愛し方』(青春出版社)
1991年12月『いま、裁判が面白い』(蒼樹社)
1992年(平成4年)
収入額:5,574万7,000円
経費額:1,883万4,000円
課税対象額:3,619万2,000円
所得税額:1,127万7,000円
源泉徴収税額:576万2,000円
差引所得税納付額:551万4,000円
※備考:納税に平均課税方式がとられている。
※収入(売上)3,000万円以上の為、消費税課税事業者。
出版された著作
1992年2月『恩讐海峡』(双葉社)
1992年4月『法廷の賓客たち』(河出書房新社)
1992年7月『正義の剣』(講談社)
1992年7月『捜査検事片桐葉子』(双葉社)
1992年10月『しぶとさの自分学』(青春出版社)
1992年11月『越山田中角栄』(現代教養文庫)
1992年11月『伊藤博文と安重根』(文藝春秋)
※1990年前後に、オリジナルキャラクターを造形した小説を何冊か刊行されましたが、
こちらの売れ行きは良くなかったと佐木隆三氏ご本人が述懐されています。
1993年(平成5年)
収入額:2,909万円
経費額:1,075万5,000円
課税対象額:1,835万5,000円
所得税額:444万2,000円
源泉徴収税額:332万6,000円
差引所得税納付額:111万5,000円
出版された著作
1993年1月『殺人百科 四』(徳間文庫)
1993年2月『矯正労働者の明日』(河出書房新社)
1993年3月『裁判長大岡淳三』(講談社文庫)
1993年6月『生きている裁判官』(中央公論社)
1993年6月『身分帳』(講談社文庫)
1993年9月『闇の中の光』(徳間書店)
1993年9月『錬金術師の白日夢』(双葉文庫)
1994年(平成6年)
収入額:2,821万5,000円
経費額:874万5,000円
課税対象額:1,922万円
所得税額:362万1,000円
源泉徴収税額:329万6,000円
差引所得税納付額:32万5,000円
出版された著作
1994年1月『絆 春日部新平の簡裁事件簿』(双葉社)
1994年4月『恩讐海峡』(双葉文庫)
1994年6月『バカなふりして生きてみな』(青春文庫)
1994年7月『死刑囚 永山則夫』(講談社)
1994年10月『捜査検事片桐葉子』(双葉社)
1995年(平成7年)
収入額:3,049万4,000円
経費額:1,125万円
課税対象額:1,880万4,000円
所得税額:365万7,000円
源泉徴収税額:325万9,000円
差引所得税納付額:39万7,000円
出版された著作
1995年4月『司法卿 江藤新平』(文藝春秋)
1995年6月『白鳥正宗刑事の事件帳』(中央公論社)
1995年6月『宮崎勤裁判〈上〉』(朝日文芸文庫)
1995年8月『正義の剣』(講談社文庫)
1996年(平成8年)
収入額:3,521万2,000円
経費額:1,183万4,000円
課税対象額:2,321万8,000円
所得税額:490万6,000円
源泉徴収税額:355万7,000円
差引所得税納付額:134万8,000円
※備考:平均課税方式がとられている。
出版された著作
1996年1月『絆 春日部新平の簡裁事件簿』(双葉文庫)
1996年3月『伊藤博文と安重根』(文春文庫)
1996年10月『「オウム法廷」連続傍聴記①』(小学館)
1996年10月『「オウム法廷」連続傍聴記 (2) 麻原出廷②』(小学館)
1996年10月『オウム裁判を読む』(岩波書店)
1996年10月『ハダカの自分を生きてみな』(青春文庫)
1997年(平成9年)
収入額:4,676万7,000円
経費額:1,563万2,000円
課税対象額:3,024万2,000円
所得税額:716万9,000円
源泉徴収税額:536万8,000円
差引所得税納付額:180万1,000円
※備考:平均課税方式がとられている。
出版された著作
1997年2月『法廷のなかの人生』(岩波新書)
1997年8月『死刑囚 永山則夫』(講談社文庫)
1997年10月『宮崎勤裁判〈中〉』(朝日新聞社)
1997年10月『宮崎勤裁判〈下〉』(朝日新聞社)
1997年11月『冷えた鋼塊 上』(読売新聞社)
1997年11月『冷えた鋼塊 上』(読売新聞社)
1998年(平成10年)
収入額:3,854万5,000円
経費額:1,328万9,000円
課税対象額:2,487万9,000円
所得税額:587万1,000円
源泉徴収税額:384万9,000円
差引所得税納付額:202万2,000円
出版された著作
1998年3月『人が人を裁くということ』(青春出版社)
1998年4月『司法卿 江藤新平』(文春文庫)
1998年9月『裁判』(作品社)
1999年(平成11年)
収入額:2,987万7,000円
経費額:1,324万6,000円
課税対象額:1,741万円
所得税額:346万円
源泉徴収税額:307万5,000円
差引所得税納付額:385,000円
※備考:消費税課税事業者
出版された著作
1999年5月『もう一つの青春』(岩波書店)
1999年8月『悪女の涙―福田和子の逃亡十五年』(新潮社)
1999年9月『少年犯罪の風景-「親子の法廷」で考えたこと』(東京書籍)
1999年11月『死刑執行―隣りの殺人者〈1〉』(小学館文庫) ※『曠野へ 死刑囚の手記から』改題
この年、東京暮らしに別れを告げ、福岡県北九州市門司区に移住されています。
2000年(平成12年)
収入額:2,935万2,000円
経費額:1,317万5,000円
課税対象額:1,617万7,000円
所得税額:313万4,000円
源泉徴収税額:317万7,000円
差引所得税納付額:-4万3,000円(還付)
※備考:消費税課税事業者
出版された著作
2000年1月『白昼凶刃―隣りの殺人者〈2〉』(小学館文庫) ※『深川通り魔殺人事件
』改題
2000年3月『法廷のなかの隣人たち』(潮出版社)
2000年4月『逃亡射殺 隣りの殺人者3』(小学館文庫) ※『旅人たちの南十字星
』改題
2000年5月『成就者たち』(講談社)
2000年6月『女医絞殺 隣りの殺人4』(小学館文庫) ※『千葉大女医殺人事件
』改題
2000年8月『組長狙撃 海燕ジョーの奇跡 隣りの殺人者5』(小学館文庫)
2000年9月『宮崎勤裁判〈中〉』(朝日学芸文庫)
2000年12月『宮崎勤裁判』(朝日学芸文庫)
2001年(平成13年)
収入額:2,478万円
経費額:1,567万円
課税対象額:1,395万円
所得税額:245万5,000円
源泉徴収税額:249万9,000円
差引所得税納付額:-4万4,000円(還付)
出版された著作
2001年1月『小説 大逆事件』(文藝春秋)
2001年4月『供述調書―佐木隆三作品集』(文藝春秋)
2001年7月『裁かれる家族―断たれた絆を法廷でみつめて』(東京書籍)
2001年11月『法廷の内と外で考える―犯罪者たちとの十年』(文芸社)
2002年(平成14年)
収入額:2,296万8,000円
経費額:1,048万7,000円
課税対象額:1,248万1,000円
所得税額:229万7,000円
源泉徴収税額:238万8,000円
差引所得税納付額:-34万1,000円(還付)
出版された著作
2002年4月『三つの墓標―小説・坂本弁護士一家殺害事件 』(小学館)
2002年11月『大義なきテロリスト―オウム法廷の16被告』(日本放送出版協会)
2003年(平成15年)
収入額:1,685万4,000円
経費額:936万4,000円
課税対象額:658万2,000円
所得税額:78万9,000円
源泉徴収税額:171万4,000円
差引所得税納付額:-92万4,000円(還付)
出版された著作
2003年5月『成就者たち』(講談社文庫)
2003年10月『少女監禁―「支配と服従」の密室で、いったい何が起きたのか』(青春出版社)
2004年(平成16年)
収入額:1,946万1,000円
経費額:1,053万8,000円
課税対象額:768万4,000円
所得税額:96万5,000円
源泉徴収税額:202万4,000円
差引所得税納付額:-105万9,000円(還付)
出版された著作
2004年2月『小説 大逆事件』
2004年2月『慟哭 小説・林郁夫裁判』(講談社)
2004年6月『証言台の母―小説医療過誤裁判』(弦書房)
2004年9月『深川通り魔殺人事件』(新風舎文庫)
2004年10月『宿老・田中熊吉伝』(文藝春秋)
2005年(平成17年)
収入額:1,763万9,000円
経費額:1,101万5,000円
課税対象額:662万3,000円
所得税額:66万8,000円
源泉徴収税額:177万8,000円
差引所得税納付額:-111万円(還付)
出版された著作 はる坊です。 映画やTVドラマで食をテーマにしたモノには人気があります。 漫画なら 『ワカコ酒 『忘却のサチコ 『サチのお寺ごはん 『ラーメン大好き小泉さん などなど。 小説においても、 また、 『食堂かたつむり』『喋々喃々』(小川糸 の食に関するシーンは魅力的ですし、 『みをつくし料理帳』(高田郁 基本的に、作中の料理や食事シーンは、著者が、 「このキャラクターならこんなメニューが好きだろう。似合うだろうな」 という願望や読者サービスで描いているケースが多いのではないかと思います。 そんななか、日本におけるハードボイルド小説の先駆者である大藪春彦は、作中のキャラクターと作者自身を同化させている人物であったと思います。 『野獣死すべし』『蘇える金狼 実際のところ、大藪自身は『野獣死すべし』がベストセラーとなり映画化された(大藪が映画化の際に受けとった原作料は大卒初任給1万3000円の時代に50万円でした)といっても、専業作家・筆一本の生活に不安を覚えて、教員免許取得を目指して都内の私立女子高で教育実習をおこなっています。 ただ、その実習で黒板に銃の絵を描いて女子高生相手に銃の構造を説明したところ、現場の教師に怒られたエピソードもあるようですが。 さて、大藪作品の特徴は、銃やクルマなどのメカニックについての描写が延々と続くイメージがありますが、実際のところは、作中全体にあらゆるもののディテールが盛り込まれています。 例えば、1960年代に書かれた大藪作品を読むと、時代背景や舞台となった場所の様子が克明に書かれています。 大藪春彦は作品執筆中に少しでも気になることがあると、徹底的に調べ、時には自ら赴いて場所を正確に確認することを怠りませんでした。 そして、これは食事に関してもです。 大藪春彦は早大在学中の1958年(昭和33年)に『野獣死すべし “「毎日、モツの焼き肉2キロ。カニだとでっかい毛ガニ三匹。マグロだとネギマ用の骨つき大なべにいっぱい」” 1961年(昭和36年)に、大藪は静龍子さんと結婚します。 1996年(平成8年)2月26日に大藪春彦は61歳で亡くなります。 この雑誌で、森村誠一と船戸与一が対談をしています。 “船戸:「前に大藪さんと対談したときに、新婚当初に夫婦ですき焼きとなるとだいたい一キロ肉を買ってきたというんですね。いくら何でも奥さんは、二百グラムも食えばいいと思うんですよ。そうしたらやっぱり大藪さんが八百グラム食っている(笑)」 森村:「めちゃくちゃなパワーですよね」” という箇所がありますが、実際に大藪春彦と船戸与一が対談をした『諸士乱想―トーク・セッション18 大藪は、“「(龍子夫人と)ふたりですき焼きをするときには、肉を三キロ入れて食った」” と語っています。 大藪春彦も船戸与一も故人となったいまでは、確認の仕様もありませんが、当時は、今よりも高級品だったすき焼き用の牛肉を大量に食べていたことだけは間違いないでしょう。 ⇒WEBで和歌山県の熊野牛を変えるのはここだけ!【Meat Factory】 作家デビューを果たし、一躍流行作家となった大藪春彦は膨大な原稿を書きながら、狩猟にも精を出します。 あるとき、友人が和歌山県有田市にイノシシ猟に行き、大成果を挙げた報告を受けた大藪は居ても立ってもいられず、仕事を無理矢理に片付けて、勇躍、有田に向かいます。 これが3日続いたあと、すっかりイノシシ肉を気に入った大藪は、お土産に大量のシシ肉を持ち帰り、東京でもイノシシ肉のすき焼きを楽しみます。 しかし、このときの大藪は鯨飲馬食で血圧が上昇していました。紀州でイノシシを追い続けていた3日間は汗まみれになって活動しているからいいのですが、東京で手先しか動かさない日々に戻ると、慢性的な睡眠不足と精神的な疲労もあり、大量の鼻血を鼻から吹き出す仕儀となります。 それでも、編集者は横で原稿を急ぐようにせっつきますが、ついに意識が朦朧としてきた大藪は病院に担ぎこまれて、1ヶ月ものあいだ、輸血を受ける羽目になります。 1963年(昭和38年)頃には、チーズに凝ります。 しかし、ブルーチーズは分厚く切るのではなく、薄く切って2,3切れつまむほうが風味を味わえるとの結論に達します。 ちなみにチーズについては、一体どれだけの量を集めたのか、最後には冷蔵庫から耐えがたい肥だめのようなニオイを発し出したというオチがつきました。 この頃には、酒も自家製カクテルに凝り出します。 また、自家製カクテルでは、ジンフィズに凝った時期もあり、各社の担当編集者は、バーテンダー・大藪春彦に付き合わされることになりました。 ワイン初心者からソムリエ資格取得まで【アカデミー・デュ・ヴァン】 また、ソーセージにも凝りました。 ちなみにこの話は1966年(昭和41年)に発表されたものです。 大藪春彦は自分で料理をすることもありました。 自信のメニューはカツオのたたき、ビーフステーキ、ローストビーフ。 ときには、家族で、そして自宅に集った仲間に振る舞い。好評を博したようです。 自身の作品世界に登場する主人公・伊達邦彦 朝倉哲也 北野晶夫 西城秀夫 石川克也 杉田淳たちが好むメニューを大藪自身も好みました。 元々、大藪は中華料理好きでしたが、香港に取材旅行に赴いた際に現地で味わった美味が忘れられず、帰国後は、“「同じような味にめぐり会いたい」”と横浜中華街を一軒一軒試し歩きます。 馳星周公式サイト「Sleepless City」内 Hase’s Note「マンゴープリン」(新しいタブが開きます) また、大藪春彦=肉類・ステーキというイメージがありますが、海産物も大好きで、新潟に猟へ出掛けた際には、寒ブリと子持ちスケソウダラ、そして越後米の味に感激しています。 ウニ・アワビ・エビなどは、わざわざ新鮮なものを求めて、海岸にある店に食べに出掛け、晩酌の肴に刺身を食べるときは、最低3人前を食べないと気が済みませんでした。 大藪春彦は1964年(昭和39年)の終わりに、東南アジアとヨーロッパを訪れます。 そして、1970年代に入ると、本格的に海外にハンティングに出掛けるようになります。 1972年 アラスカ 1973年 ニュージーランド・オーストラリア 1975年 アフリカ・ザンビア 1977年 モンゴル・ハエ・アルタイ山脈、カナダロッキー、モンタナロッキー 1980年 アフリカのサファリ 1981年 アメリカでシューティングツアーに参加 1982年に急性膵炎に倒れるまで、世界中で〝ザ・ビッグ・ゲーム〟を続けました。 そのなかで、野性の味に舌鼓を打ちます。 大藪曰く、 ・ムース(大ヘラジカ)は、ステーキやカツレツにすると美味い。 ・赤シカはステーキやシチューにするといい。ただしメス。 ・ナイル川を泳ぐナイルワニの尻尾は、エビの味に似ている。 ・象の鼻はゼラチン質。 ・オーストラリアのオオトカゲのしっぽの蒸し焼きは、イカの生干しそっくりの味。 前述しましたように、1982年に大藪は膵炎に倒れます。そして、亡くなるまでに3度の入院を経験して、最後までこの病に悩まされることとなります。 晩年の大藪春彦は、酒もほとんど飲まず、タバコも1日5本までに制限されます。 それでも、退院後は、ラーメンを食し、やがて大盛りを頼むようになります。 最晩年は、自宅近くのそば屋の天盛りを好みました。(もちろん、大盛りです) 1996年2月26日 夕方近く 大藪春彦はこの世から旅立ちました。 享年61。 最後に食したのは、龍子夫人とともにした昼食で出された甘塩鮭でした。 大藪春彦は、最後までグルマン・食いしん坊を貫き通しました。 大藪春彦は鳥猟の相棒として、チリーと名付けたセッターを千葉県のハンターから譲り受けました。 大藪の相棒として、そして猟犬としては優れていましたが、大藪が仲間と狩りに出掛けて、仲間が撃った鳥は口にくわえて戻ってこずに、土の中に埋めてしまうという癖もありました。 ある日、大藪が家族とともに自宅に戻ると、異臭が漂っていました。 チリーが大藪の酒の肴であるスルメを大量に食べて、水を飲み、胃の中で膨らんだスルメを吐き出していたからです。 ビックリする大藪家の面々をよそに、チリーは洋室でグーグーと大いびきをかきながらお休み中でした。 チリーは、大藪の晩酌風景を見ていて、スルメに興味を持ったのでしょう。 家庭に飼われる犬としては、少し間抜けな面があったようですが、チリーは大藪家にとってかけがえのない家族だった、と思います。 最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。 ちなみに、管理人自身が一番好きな大藪作品は、 『戦士の挽歌(バラード)』 『ヘッド・ハンター』です。 ひとつには絞りきれません。 おすすめです。 はる坊です。 個人情報保護の為、2005年(平成17年)以降は、発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年(平成16)分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。 ここでは1996年(平成8年)から2004年(平成16年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。 課税所得330万円以下・・・10% 課税所得330万円超~900万円以下・・・20% 課税所得900万円超~1800万円以下・・・30% 課税所得1800万円超~3000万円・・・40% 課税所得3000万円超・・・50% 課税所得200万円以下・・・5% 課税所得200万円超~700万円以下・・・10% 課税所得700万円超・・・15% 1位 内田康夫 2位 西村京太郎 3位 森村誠一 4位 神坂一 5位 津本陽 6位 渡辺淳一 7位 田中芳樹 8位 椎名誠 9位 石原慎太郎 10位 斎藤栄 11位 宮部みゆき 12位 菊地秀行 13位 五木寛之 14位 群ようこ 15位 童門冬二 16位 宮本輝 17位 荒巻義雄 18位 赤川次郎 19位 平岩弓枝 20位 宮城谷昌光 ※赤川次郎首位陥落の理由 ※司馬遼太郎の遺産評価額 1位 赤川次郎 2位 渡辺淳一 3位 西村京太郎 4位 内田康夫 5位 村上春樹 6位 浅田次郎 7位 森村誠一 8位 林真理子 9位 宮部みゆき 10位 津本陽 11位 神坂一 12位 菊地秀行 13位 群ようこ 14位 斎藤栄 15位 星野富弘 16位 田中芳樹 17位 平岩弓枝 18位 髙村薫 19位 椎名誠 20位 大沢在昌 落合信彦 1位 西村京太郎 2位 赤川次郎 3位 鈴木光司 4位 宮部みゆき 5位 内田康夫 6位 浅田次郎 7位 五木寛之 8位 森村誠一 9位 宮城谷昌光 10位 神坂一 11位 菊地秀行 12位 群ようこ 13位 渡辺淳一 14位 星野富弘 15位 椎名誠 16位 落合信彦 17位 馳星周 18位 斎藤栄 19位 田中芳樹 20位 筒井康隆 北方謙三 河合隼雄 林真理子 平岩弓枝 1999年分以降は、所得税率が過去最低にダウン 1998年(平成10年)分までは、最高税率が所得税50%+住民税15%でしたが、 そのせいか、下記に挙げる作家の納税額も前年までに比べて減少していますが、2000年に入ると出版不況が深刻化して、作家の収入自体が減少していく様子が分かります。 1990年代初頭では、年収1億円あったとしてもランキングのベスト20に入れるかどうかでしたが、2000年分以降では、ベストテンに入れる年収になっています。 それほど、本が売れずに印税収入が細ってきている模様もうかがえます。 2006年分まで使用された所得税率表は下記のとおりです。 参考までに、2006年分まで使用された住民税税率表は下記のとおりです。 1998年分までに比べると最高税率が大幅に下がりました。 1998年分まで、所得税50%+住民税15%=最高税率65% 1位 西村京太郎 2位 内田康夫 3位 宮部みゆき 4位 鈴木光司 5位 浅田次郎 6位 五木寛之 7位 森村誠一 8位 桐生操 9位 桐生操 10位 星野富弘 11位 村上春樹 12位 津本陽 13位 赤瀬川源平 14位 山崎豊子 15位 東野圭吾 16位 菊地秀行 17位 天童荒太 18位 桐野夏生 19位 京極夏彦 20位 神坂一 21位以下で公示された作家 林真理子 平岩弓枝 馳星周 1位 西村京太郎 2位 赤川次郎 3位 宮部みゆき 4位 山崎豊子 5位 内田康夫 6位 浅田次郎 7位 五木寛之 8位 天童荒太 9位 真保裕一 10位 北方謙三 11位 菊地秀行 12位 夢枕獏 13位 江國香織 14位 阿川佐和子 15位 落合信彦 16位 津本陽 17位 星野富弘 18位 森村誠一 19位 東野圭吾 20位 林真理子 21位以下で公示された作家 山口洋子 森博嗣 大沢在昌 渡辺淳一 柳美里 宮尾登美子 曽野綾子 花村萬月 平岩弓枝 1位 西村京太郎 2位 宮部みゆき 3位 赤川次郎 4位 内田康夫 5位 浅田次郎 6位 夢枕獏 7位 江國香織 8位
はる坊です。 個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。 ここでは1989年(平成元年)から1995年(平成7年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。 この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。 個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。 ここでは1989年(平成元年)から1995年(平成7年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。 この時代、新刊の小説本が売れた最後の時期にあたっており、作家には印税収入を主として、まだ大きな収入がありました。 1位 赤川次郎 2位 西村京太郎 3位 吉本ばなな 4位 村上春樹 5位 司馬遼太郎 6位 池波正太郎 7位 西村寿行 8位 菊地秀行 9位 渡辺淳一 10位 藤島泰輔 11位 藤川桂介 12位 笹沢左保 13位 遠藤周作 14位 山村美紗 15位 斎藤栄 16位 内田康夫 17位 森村誠一 18位 椎名誠 19位 胡桃沢耕史 20位 田中芳樹 ※10位にランクインしている藤島泰輔は、作家・評論家として活動。学習院時代の学友だった明仁天皇(上皇明仁)をモデルにした『孤獨の人 1位 赤川次郎 2位 西村京太郎 3位 司馬遼太郎 4位 松本清張 5位 菊地秀行 6位 西村寿行 7位 田中芳樹 8位 内田康夫 9位 渡辺淳一 10位 斎藤栄 11位 門田泰明 12位 笹沢左保 13位 山村美紗 14位 遠藤周作 15位 椎名誠 16位 落合信彦 17位 森村誠一 18位 藤島泰輔 19位 村上春樹 20位 田辺聖子 ※20位圏外で登場した作家 北方謙三 森瑤子 大藪春彦 柳田邦男 草柳大蔵 1位 赤川次郎 2位 西村京太郎 3位 内田康夫 4位 司馬遼太郎 5位 椎名誠 6位 山村美紗 7位 菊地秀行 8位 遠藤周作 9位 落合信彦 10位 笹沢左保 11位 渡辺淳一 12位 田中芳樹 13位 森村誠一 14位 斎藤栄 15位 山崎豊子 16位 橋本治 17位 門田泰明 18位 陳舜臣 19位 豊田行二 20位 松本清張 ※20位圏外で登場した作家 西村寿行 森瑤子 大藪春彦 北方謙三 夢枕獏 草柳大蔵 柳田邦男 1位 赤川次郎 2位 西村京太郎 3位 内田康夫 4位 司馬遼太郎 5位 菊地秀行 6位 田中芳樹 7位 渡辺淳一 8位 山村美紗 9位 豊田行二 10位 辺見じゅん 11位 森村誠一 12位 斎藤栄 13位 椎名誠 14位 荒巻義雄 15位 落合信彦 16位 津本陽 17位 門田泰明 18位 笹沢左保 19位 平岩弓枝 20位 宮本輝 ※20位圏外では、 西村寿行 夢枕獏 佐木隆三が納税額1127万円で登場している。 1位 赤川次郎 2位 西村京太郎 3位 内田康夫 4位 司馬遼太郎 5位 山村美紗 6位 津本陽 7位 森村誠一 8位 荒巻義雄 9位 菊地秀行 10位 斎藤栄 11位 宮尾登美子 12位 藤沢周平 13位 椎名誠 14位 童門冬二 15位 渡辺淳一 16位 志茂田景樹 17位 豊田行二 18位 遠藤周作 19位 平岩弓枝 20位 門田泰明 1位 赤川次郎 2位 西村京太郎 3位 内田康夫 4位 司馬遼太郎 5位 森村誠一 6位 斎藤栄 7位 菊地秀行 8位 荒巻義雄 9位 椎名誠 10位 津本陽 11位 山村美紗 12位 藤沢周平 13位
個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。 ここでは1974年(昭和49年)から1983年(昭和58)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。 ちなみに、1982年分(昭和57年)までは納税額ではなく申告所得額が発表されていました。 1981年分(昭和56年)までは、ベスト10。1982年分(昭和57年)以降はベスト20までを列挙しています。 1983年度(昭和58年)からは、発表されるのが申告所得額から所得税納税額に変更されています。 ソースは、当時の新聞報道によるものです。 申告所得額とは? この申告所得に下の所得税率が掛かるのです。 1974年分~1983年分の所得税率は、過去・現在に至るまで日本の所得税率の推移を見た上で、最も税率が厳しかった時代です。下の税率表をご覧になっていただくと、国税ではなく“酷税”と呼ばれていたことがご理解いただけるかと思います。 なんと19分類に分かれていました。 課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10% 参考までに、1974年分~1979年分の住民税の税率です。 1973年分から使用されていましたが、細かく13分類に分かれていました。 課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4% 1984年分まで使用されていました。さらに細かく14分類に分かれていました。 よって、1980年分~1983年分の所得税と住民税の最高税率は、驚異の88%でした。 1位 松本清張 3億0959万円 2位 司馬遼太郎 2億1463万円 3位 五木寛之 2億1226万円 4位 遠藤周作 1億8637万円 5位 石川達三 1億0710万円 6位 山岡荘八 1億0283万円 7位 宇能鴻一郎 9712万円 8位 北杜夫 8803万円 9位 川上宗薫 8488万円 10位 花登筺 8023万円 1位 松本清張 3億0027万円 2位 司馬遼太郎 2億3512万円 3位 五木寛之 2億2587万円 4位 石川達三 1億3422万円 5位 遠藤周作 1億3403万円 6位 横溝正史 1億1547万円 7位 有吉佐和子 1億1474万円 8位 山岡荘八 1億1259万円 9位 宇能鴻一郎 1億0656万円 10位 井上ひさし 9484万円 1位 松本清張 3億3461万円 2位 司馬遼太郎 3億3032万円 3位 横溝正史 3億3825万円 4位 五木寛之 1億4125万円 5位 森村誠一 1億1042万円 6位 城山三郎 1億0654万円 7位 宇能鴻一郎 1億0477万円 8位 石川達三 1億0237万円 9位 遠藤周作 9947万円 10位 高木彬光 8799万円 1位 森村誠一 6億2264万円 2位 横溝正史 4億0416万円 3位 松本清張 3億0545万円 4位 司馬遼太郎 2億1785万円 5位 新田次郎 1億7766万円 6位 五木寛之 1億5034万円 7位 城山三郎 1億2768万円 8位 梶原一騎 1億1504万円 9位 高木彬光 1億0564万円 10位 池波正太郎 1億0470万円 1位 森村誠一 4億3139万円 2位 松本清張 3億1856万円 3位 西村寿行 2億3487万円 4位 司馬遼太郎 1億8863万円 5位 五木寛之 1億7058万円 6位 横溝正史 1億6815万円 7位 新田次郎 1億5140万円 8位 有吉佐和子 1億4812万円 9位 池波正太郎 1億3878万円 10位 梶原一騎 1億3240万円 1位 西村寿行 2億6932万円 2位 大藪春彦 2億3452万円 3位 五木寛之 2億2013万円 4位 高木彬光 1億9313万円 5位 松本清張 1億7942万円 6位 司馬遼太郎 1億7085万円 7位 池波正太郎 1億5487万円 8位 横溝正史 1億5360万円 9位 花登筺 1億5085万円 10位 半村良 1億4451万円 1位 司馬遼太郎 3億0102万円 2位 五木寛之 2億7570万円 3位 西村寿行 2億5017万円 4位 松本清張 2億4733万円 5位 大藪春彦 2億0029万円 6位 井上靖 1億6792万円 7位 森村誠一 1億4427万円 8位 遠藤周作 1億2251万円 9位 池波正太郎 1億1704万円 10位 小松左京 1億1435万円 1位 司馬遼太郎 2億9193万円 2位 石坂洋次郎 2億1670万円 3位 西村寿行 1億8746万円 4位 松本清張 1億7853万円 5位 横溝正史 1億4582万円(発表時故人) 6位 五木寛之 1億4264万円 7位 森村誠一 1億4254万円 8位 勝目梓 1億4065万円 9位 笹沢左保 1億3832万円 10位 遠藤周作 1億2961万円 電子書籍ではなく、紙の本を手元に置いてじっくり読まれたい方は新品も中古本も揃っている通販がオススメです。 1位 松本清張 3億1489万円 2位 赤川次郎 2億7041万円 3位 西村寿行 2億5946万円 4位 司馬遼太郎 2億5731万円 5位 森村誠一 2億4362万円 6位 笹沢左保 1億7016万円 7位 渡辺淳一 1億4707万円 8位 大藪春彦 1億3650万円 9位 池波正太郎 1億1935万円 10位 井上ひさし 1億1861万円 11位 平岩弓枝 1億1492万円 12位 田辺聖子 1億0886万円 13位 西村京太郎 1億0720万円 14位 黒岩重吾 1億0158万円 15位 遠藤周作 1億0131万円 16位 筒井康隆 9823万円 17位 五木寛之 9800万円 18位 梅原猛 9545万円 19位 井上靖 9295万円 20位 平井和正 9003万円 1983年(昭和58年)分所得税納税額 2位 松本清張 1億9201万円 3位 司馬遼太郎 1億5360万円 4位 西村寿行 1億2588万円 5位 西村京太郎 1億0969万円 6位 笹沢左保 1億0733万円 7位 渡辺淳一 1億0117万円 8位 平岩弓枝 9085万円 9位 池波正太郎 8353万円 10位 筒井康隆 8005万円 11位 森村誠一 7933万円 12位 田辺聖子 6815万円 13位 勝目梓 6167万円 14位 大藪春彦 6043万円 15位 平井和正 5800万円 16位 中島梓(栗本薫) 5155万円 17位 和久俊三 5149万円 18位 斎藤栄 5100万円 19位 三浦綾子 5085万円 20位 遠藤周作 5026万円 はる坊です。 個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。 ここでは1959年(昭和34年)から1973年(昭和48)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。 ちなみに、1982年分(昭和57年)までは納税額ではなく申告所得額が発表されていました。 この時代、売れている小説家は凄まじい年収があり、名声と地位に包まれ、俳優やタレント、そして歌手よりも稼いでいる存在でした。 ソースは当時の新聞発表によるものです。 簡単に説明をしますと、実収入ー経費=申告所得になります。 それでは、長者番付・作家部門(1959年分~1973年分)をごらんください。 1位 吉川英治 2位 源氏鶏太 3位 松本清張 4位 川口松太郎 5位 井上靖 6位 舟橋聖一 7位 柴田錬三郎 8位 谷崎潤一郎 9位 菊田一夫 10位 山手樹一郎 1位 松本清張 2位 源氏鶏太 3位 川口松太郎 4位 吉川英治 5位 舟橋聖一 6位 菊田一夫 7位 井上靖 8位 富田常雄 9位 柴田錬三郎 10位 山手樹一郎 1位 松本清張 2位 源氏鶏太 3位 川口松太郎 4位 丹羽文雄 5位 吉川英治 6位 山手樹一郎 7位 井上靖 8位 柴田錬三郎 9位 舟橋聖一 10位 菊田一夫 1位 松本清張 2位 山岡荘八 3位 源氏鶏太 4位 川口松太郎 5位 柴田錬三郎 6位 山手樹一郎 7位 丹羽文雄 8位 石原慎太郎 9位 今東光 10位 水上勉 1位 山岡荘八 2位 松本清張 3位 源氏鶏太 4位 石坂洋次郎 5位 山田風太郎 6位 柴田錬三郎 7位 川口松太郎 ※この年の公表はなぜか7位まででした。 1位 山岡荘八 2位 源氏鶏太 3位 松本清張 4位 谷崎潤一郎 5位 川口松太郎 6位 柴田錬三郎 7位 司馬遼太郎 申告所得が、実収入から経費を差し引いたものであると説明しました。 実収入 6000万円 申告所得から、どれだけ税金をとられるか・・・ ダウンタウンの松本人志 1位 松本清張 2位 源氏鶏太 3位 石坂洋次郎 4位 山岡荘八 5位 柴田錬三郎 6位 井上靖 7位 黒岩重吾 8位 石原慎太郎 1位 松本清張 2位 司馬遼太郎 3位 源氏鶏太 4位 石坂洋次郎 5位 梶山季之 7位 柴田錬三郎 8位 井上靖 9位 黒岩重吾 10位 山岡荘八 11位 大久保康雄 12位 北杜夫 1位 司馬遼太郎 2位 松本清張 3位 佐賀潜 4位 梶山季之 5位 源氏鶏太 6位 柴田錬三郎 7位 石坂洋次郎 8位 北杜夫 9位 黒岩重吾 10位 山岡荘八 11位 川端康成 1位 梶山季之 2位 松本清張 3位 佐賀潜 4位 司馬遼太郎 5位 吉田健一 6位 海音寺潮五郎 7位 山岡荘八 8位 川端康成 9位 柴田錬三郎 10位 源氏鶏太 ※漫画原作者・梶原一騎 1位 松本清張 2位 司馬遼太郎 3位 山岡荘八 4位 梶山季之 5位 五木寛之 6位 石原慎太郎 7位 黒岩重吾 8位 井上靖 9位 曽野綾子 ※この年の発表は、なぜか上位9名まででした。 ※『銭ゲバ ※ちばてつや また、石ノ森章太郎 1位 松本清張 2位 司馬遼太郎 3位 山岡荘八 4位 五木寛之 5位 川上宗薫 6位 梶山季之 7位 井上靖 8位 柴田錬三郎 幻冬舎 代表取締役社長・見城徹とは 最近は、幻冬舎社長の見城徹 まず、見城徹氏が幻冬舎を設立したのは、自分を角川書店の正社員として採用してくれた角川春樹氏が、薬物事件で逮捕されたのが要因になっているとか。取締役会で、春樹氏の社長解任をおこなうなら、春樹氏に採用され従ってきた自分も辞めようと思ったとのこと。 なかなかできることではありませんが、筋は通っていますね。 見城氏の経歴を追ってみると、 まず、ここまでで思うことがいくつか出てきます。 それも一冊や二冊ではない。 テレビにも出演していますし、YouTubeでは『徹の部屋』という番組のホストもしています。 本人曰く、少年期から青年期にかけて、コンプレックスの塊だったと述べられています。 セクシーさも感じる顔をしておられると思いますが、容姿に対するコンプレックスがかなりあったようです。 また、読書家なのは少年の頃からのようで、それが、現在の見城氏を作り上げる土壌になっていることは確かでしょう。 まず、私が思ったのは、なぜ文学部へ行かなかっただろう?という点です。 また、石原慎太郎の大ファンだったこともあり、(石原氏は、一橋大学法学部卒業)法学部を選んだのかなあと、個人的には思うところです。 そういえば、少し前に『1万円起業』という書籍が売れましたが、 ですが、この小説は、編集者・見城徹を語るには、とても重要な作品であると思っています。 実は、この小説、宮尾登美子の『一絃の琴』とともに、第80回直木賞を受賞しているんです。 野性時代78年2月から断続的に掲載された連作短編集です。 そして、この本が角川書店初の直木賞受賞作です。 のちに見城氏は、角川書店時代に『直木賞製造マシーン』という異名を得ることになります。 見城氏が直接担当して、直木賞を受賞したのは以下の4作品です。 結果的に、文藝春秋のオール讀物に発表した『京都まで』『最終便にまにあえば』で第94回直木賞を受賞した林真理子も第91回候補作『星影のステラ』 第92回候補作『葡萄が目にしみる』は、見城氏が担当しています。 今回はこのくらいで。 最後まで、読んでくださり本当にありがとうございました。
2005年6月『
人物伝
ハードボイルド作家・大藪春彦本人の食事シーンは小説よりも奇なりだった!
小説の食事シーンは魅力的です
その原作となっているのは、漫画や小説であることが多いです。
コミック作品がアニメ化されるのは珍しいことではありませんが、映画化やTVドラマ化されるのは、一般的にグルメものは視聴者にウケがいいと制作サイドが考えているからではないでしょうか。
『孤独のグルメ』(原作:久住昌之 作画:谷口ジロー)
』(新久千映)
』(阿部潤)
』(かねもりあやみ 原案協力:久住昌之 監修:青江覚峰)
』(鳴見なる)
村上春樹や池波正太郎の料理や食事シーンの描写は特に巧みです。
村上作品の料理については『村上レシピ』として出版されていますし、池波正太郎
はグルメについてのエッセイや生前愛した店をまとめた本も出版されています。
『強運の持ち主』(瀬尾まいこ)
)
)に至っては、この作品内に登場する料理のレシピ集『澪の料理帖
』が出版されるまでになりました。
とか、
「このキャラクターにはこういう料理を作らせたい」
無論、作者の趣味・趣向が反映されていることはいうまでもありませんが。大藪春彦作品は昭和時代を映し出す鏡
』『汚れた英雄
』が代表作になると思いますが、早稲田大学教育学部英文学科在学中に『野獣死すべし』を発表して、一躍〝売れっ子作家〟となった大藪は、これまでの貧弱な食生活に復讐するかのように、好き放題に食材を買い込み、外食に出掛けます。
また、卒業論文も執筆しましたが、作家稼業が多忙になり、結局のところ教員免許取得はできないまま早大を中退しています。
1970年代に描かれた作品も同じです。 大藪春彦の食生活
』でデビューを果たし、一躍ベストセラー作家となると、23歳の若き青年作家は、小説執筆のエネルギー源として、買い物かごいっぱいに食材を買い込みます。
(引用:大藪春彦『荒野からの銃火』1979年 角川文庫より)
龍子さんは日本大学文学部卒業後に、森脇文庫の『週刊スリラー』の編集者となり、大藪の担当編集者になったのが縁でした。
大藪と縁の深かった徳間書店では、その年の7月に『問題小説 増刊号 大藪春彦の世界』を出版しています。
そのなかで、大藪の早世を悼みながら、』(1994年 ベストセラーズ)を読むと、
気に入った食材・食事には徹底的に凝る
イノシシのすき焼き
大藪もイノシシ猟で大きな成果を挙げて、夜には地元の人と酒を飲みながらイノシシ肉を平らげます。
(イノシシ肉を大量に食べ続けると赤血球を破壊する作用があるようですね)
そのあいだも、大藪は口述筆記で仕事を続けなければなりませんでした。世界中のチーズを味わう
世界中のチーズを収集して、グリュイエールをパンと同じ厚さに切ってロシアピクルスと一緒にサンドイッチにしてパクつきます。
BAR OYABU オーナーバーテンダー・大藪春彦
ウォッカ・マルティーニ(ウォッカ・マティーニ)をストリーチナヤ(ストリチナヤ)のウォッカを2本分痛飲します。ボロニアソーセージ・レバーソーセージがお気に入り
大藪はハムが好きではなく、ソーセージが大好物でした。
ソーセージのなかでも、ボロニアソーセージやレバーソーセージがお気に入りで、1万円分ほどを買い込んでは、3日と保たず食べ尽くしました。
当時の大卒初任給は24,900円。
そんな時代に、1万円分のソーセージを3日足らずで食べ尽くしてしまうエネルギーには驚かされます。「男の料理は俺に任せろ!」シェフ・大藪春彦
肉類だけではなく中華料理や魚介類も好物
大金をはたいて、巡礼者のごとく中華街をうろつきますが、満足できる店が見つからず、ついにあるお店で〝アワビのハラワタのからあげ〟を見つけたときは、感動をしたようです。
(これは馳星周の『マンゴープリン』のエピソードと少し似ていますね。) 海外ハンティングと野性の味覚
そして、〝アブランド・ゲーム〟と呼ばれる、ヤマドリ・キジ・コジュウケイなどを標的とする猟にのめり込みます。
自分のぶんを平らげると、龍子夫人の分まで手を付けます。 大藪春彦の愛犬チリーも食いしん坊だった
心より御礼申し上げます。
この記事をここまで読んでくださった方なら、大藪ワールドを楽しんでいただけると思います。
長者番付
印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1996年分~2004年分)
毎年のベスト20までを列挙しています。
ソースは、当時の新聞報道・各年の『全国高額納税者名簿』(東京商工リサーチ刊)によるものです。1996年分~1998年分の所得税率について
参考までに、1996年分~1998年分の住民税の税率です。
それでは、長者番付・作家部門(1996年分~2004年分)です
1996年(平成8年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1億4657万円
1億3351万円
8222万円
8010万円
7450万円
7327万円
6568万円
6199万円
6096万円
5933万円
5291万円
5017万円
4960万円
4112万円
3976万円
3973万円
3860万円
3805万円
3795万円
3696万円
13年連続で長者番付・作家部門の1位を守り続けた赤川次郎氏が一気に18位まで順位を下げたのは、バブル期に購入した自宅兼仕事場の売却損で、作家活動による印税・原稿料・著作権収入と売却損が相殺された為。
収入は例年と同様の額があったとのこと。
1997年2月、1996年2月に逝去した司馬遼太郎氏の遺産評価額が管内税務署にて公示されました。
遺産額は約26億4000万円。
約20億1000万円が銀行等金融機関への預貯金。
約3億9000万円が著作権。
約2億4000万円が自宅の土地建物でした。1997年(平成9年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
2億7760万円
2億2675万円
2億1257万円
2億0827万円
9244万円
9187万円
8611万円
6980万円
6942万円
6752万円
6336万円
5817万円
5298万円
5147万円
5103万円
4981万円
4632万円
4439万円
4293万円
4247万円
3311万円
1998年(平成10年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
2億5196万円
1億9087万円
1億4207万円
1億1679万円
1億0594万円
1億0474万円
7780万円
7128万円
6738万円
5612万円
5495万円
5357万円
4998万円
4962万円
4927万円
4687万円
4412万円
4399万円
4385万円
4220万円
3905万円
3563万円
3211万円
1974万円
所得税率は最高で37%までダウンしました。
課税所得330万円以下・・・・・・・・・・・10%
課税所得330万円超~900万円・・・・20%
課税所得900万円超~1800万円・・・30%
課税所得1800万円超・・・・・・・・・・・・・37%
課税所得200万円以下・・・5%
課税所得200万円超~700万円以下・・・10%
課税所得700万円超・・・13%
1999年分から、所得税37%+住民税10%=最高税率47%1999年(平成11年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1億6519万円
1億3929万円
1億1492万円
7656万円
7315万円
6320万円
6199万円
(堤幸子) 5640万円
(上田加代子) 5610万円
5246万円
4664万円
4329万円
4015万円
3940万円
3803万円
3777万円
3718万円
3355万円
3300万円
3282万円
2719万円
2174万円
1412万円
2000年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1億5603万円
1億1108万円
7873万円
7559万円
7265万円
6758万円
6468万円
6465万円
4153万円
3956万円
3886万円
3591万円
3412万円
3227万円
3188万円
3176万円
3108万円
2887万円
2878万円
2746万円
2624万円
2392万円
2223万円
1932万円
1891万円
1724万円
1714万円
1332万円
1116万円
2001年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1億5946万円
1億4566万円
8648万円
7743万円
6633万円
5960万円
4331万円
長者番付
印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1989年分~1995年分)
毎年のベスト20までを列挙しています。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。1989年(平成元年)分所得税納税額
毎年のベスト20までを列挙しています。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。長者番付・作家部門(1989年分~1995年分)です
1989年(平成元年)分所得税納税額
4億6173万円
2億6262万円
2億3699万円
1億5111万円
1億4012万円
1億0920万円
9508万円
8208万円
7829万円
7197万円
7190万円
6656万円
6637万円
6485万円
6011万円
5759万円
5718万円
5671万円
5526万円
5103万円
』で衝撃的なデビューを果たす。
〝在日フランス人〟ポール・ポネ名義での著作もある。
また、ジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川の妹、藤島メリー泰子とのあいだに藤島ジュリー景子を儲けている。
馬主としても有名でランニングフリーなど名馬を所有していた。
収入には、本業の作家活動の他、ジャニーズ事務所からの役員報酬。馬主としての収入が大きかったといわれている。1990年(平成2年)分所得税納税額
3億7980万円
2億4497万円
1億1140万円
8736万円
8622万円
8185万円
7944万円
7927万円
7572万円
7266万円
6705万円
6618万円
6578万円
6239万円
6127万円
5929万円
5801万円
5760万円
5890万円
5404万円
3716万円
3095万円
2890万円
2081万円
1709万円
1991年(平成3年)分所得税納税額
3億5512万円
2億5489万円
1億7140万円
9101万円
8577万円
8404万円
8325万円
8171万円
7378万円
7290万円
6643万円
6508万円
6414万円
6003万円
5315万円
5294万円
5062万円
4933万円
4794万円
4393万円
3873万円
3737万円
3692万円
3584万円
2875万円
2078万円
1602万円
1992年(平成4年)分所得税納税額
3億5093万円
2億3698万円
1億8649万円
1億1944万円
7890万円
7650万円
7318万円
7261万円
7187万円
7155万円
6530万円
5902万円
5728万円
5486万円
5244万円
5233万円
4846万円
4822万円
4720万円
4673万円
が納税額4098万円
が納税額2000万円
1993年(平成5年)分所得税納税額
3億2209万円
2億2168万円
1億7412万円
9969万円
8624万円
7765万円
7689万円
7680万円
6970万円
6650万円
6384万円
6351万円
6050万円
5686万円
5365万円
5272万円
5224万円
5029万円
4979万円
4777万円
1994年(平成6年)分所得税納税額
3億2209万円
2億2500万円
1億7700万円
1億0287万円
8864万円
7957万円
7586万円
6786万円
6694万円
6449万円
5991万円
5986万円
1970年代の話
印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1974年分~1983年分)
この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。
簡単に説明をしますと、実収入ー経費=申告所得になります。
小説家の経費は実収入の30%が認められていたようです。
例)実収入・・・1億円
経費・・・3000万円
申告所得・・・7000万円当時の所得税率は恐ろしいものでした!
1974年分~1979年分は所得税+住民税=最高93%時代!
1974年分~1983年分の所得税率について
課税所得60万円超~120万円以下・・・・・・12%
課税所得120万円超~180万円以下・・・・・14%
課税所得180万円超~240万円以下・・・・・16%
課税所得240万円超~300万円以下・・・・・18%
課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21%
課税所得400万円超~500万円以下・・・・・24%
課税所得500万円超~600万円以下・・・・・27%
課税所得600万円超~700万円以下・・・・・30%
課税所得700万円超~800万円以下・・・・・34%
課税所得800万円超~1000万円以下・・・・38%
課税所得1000万円超~1200万円以下・・・42%
課税所得1200万円超~1500万円以下・・・46%
課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50%
課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55%
課税所得3000万円超~4000万円以下・・・60%
課税所得4000万円超~6000万円以下・・・65%
課税所得6000万円超~8000万円以下・・・70%
課税所得8000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・75%
課税所得30万円超~50万円以下・・・・・・・5%
課税所得50万円超~80万円以下・・・・・・・6%
課税所得80万円超~110万円以下・・・・・・7%
課税所得110万円超~150万円以下・・・・・8%
課税所得150万円超~250万円以下・・・・・9%
課税所得250万円超~400万円以下・・・・・11%
課税所得400万円超~600万円以下・・・・・12%
課税所得600万円超~1000万円以下・・・・13%
課税所得1000万円超~2000万円以下・・・14%
課税所得2000万円超~3000万円以下・・・15%
課税所得3000万円超~5000万円以下・・・16%
課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%よって、1974年分~1983年分の所得税と住民税の最高税率は驚愕の93%でした。
参考までに、1980年分~1983年分の住民税の税率です。
課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%
課税所得30万円超~45万円以下・・・・・・・5%
課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・6%
課税所得70万円超~100万円以下・・・・・・7%
課税所得100万円超~130万円以下・・・・・8%
課税所得130万円超~150万円以下・・・・・9%
課税所得150万円超~230万円以下・・・・・11%
課税所得230万円超~370万円以下・・・・・12%
課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%
課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%
課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%
課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%
課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%
課税所得4900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%長者番付・作家部門(1974年分~1983年分)です
1974年(昭和49年)分申告所得額
1975年(昭和50年)分申告所得額
1976年(昭和51年)分申告所得額分
1977年(昭和52年)分申告所得額分
1978年(昭和53年)分申告所得額分
1979年(昭和54年)分申告所得額分
1980年(昭和55年)分申告所得額
1981年(昭和56年)分申告所得額
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1982年(昭和57年)分申告所得額
1位 赤川次郎 4億0838万円1970年代の話
印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1959年分~1973年分)
申告所得額とは何か?
1959年(昭和34年)分 長者番付・作家部門 申告所得額
3948万円
2951万円
2728万円
2694万円
2206万円
2176万円
1692万円
1662万円
1619万円
1613万円
1960年(昭和35年)分 長者番付・作家部門 申告所得額
3842万円
3738万円
2823万円
2735万円
2521万円
2455万円
2397万円
1979万円
1967万円
1926万円
1961年(昭和36年)分 長者番付・作家部門 申告所得額
6150万円
4150万円
2980万円
2650万円
2560万円
2480万円
2360万円
2200万円
2140万円
2050万円
1962年(昭和37年)分 長者番付・作家部門 申告所得額
6013万円
5837万円
4620万円
2983万円
2913万円
2882万円
2866万円
2432万円
2232万円
2191万円
1963年(昭和38年)分 長者番付・作家部門 申告所得額は発表資料なし
1964年(昭和39年)分 長者番付・作家部門 申告所得額
7046万円
6654万円
5552万円
4708万円
4453万円
4427万円
4338万円
1965年(昭和35年)分 長者番付・作家部門 申告所得額
9699万円
5645万円
5298万円
4551万円
4532万円
4238万円
4034万円
本当の年収はいくらだったのか? 柴田錬三郎の場合
では、実収入はどれくらいだったのか?
1965年に柴田錬三郎がかなりあけすけに語っていますので、ご紹介します。
経費 1800万円弱
申告所得 4238万円
所得税 2500万円
住民税 800万円
合計 3300万円がTwitterで“高額納税者は高額所得者と知れ”とツイートして、様々な意見が出たことがありますが、高額所得者に課せられる税金は、この頃も酷なものだったようです。
1966年(昭和41年)分 長者番付・作家部門 申告所得額
7527万円
5371万円
4920万円
4807万円
4760万円
4164万円
3679万円
3534万円
1967年(昭和42年)分 長者番付・作家部門 申告所得額
7353万円
5954万円
5335万円
4822万円
4081万円
3964万円
3844万円
3565万円
3408万円
3201万円
3143万円
1968年(昭和43年)分 長者番付・作家部門 申告所得額
7593万円
6370万円
6043万円
5182万円
4545万円
4492万円
4461万円
4093万円
4092万円
3706万円
3189万円
1969年(昭和44年)分 長者番付・作家部門 申告所得
7786万円
6514万円
6046万円
5538万円
4630万円
4305万円
4256万円
4136万円
4056万円
4050万円
の申告所得額は2099万円
1970年(昭和45年)分 長者番付・作家部門 申告所得額
7825万円
7565万円
6949万円
6897万円
4979万円
4958万円
4662万円
4502万円
4491万円
』『アシュラ
』などの衝撃作で、一躍スターダムにのしあがった漫画家・ジョージ秋山
の年収が5000万円でした。
は、すでにちばプロダクションを設立していましたので、個人の所得は把握できませんが、1967年頃に、まだ『男一匹ガキ大将』を週刊少年ジャンプに連載する前、デビューまもない本宮ひろ志
がちばてつやの家を訪れた際には、練馬区に仕事場を兼ねた豪邸を構え、当時庶民には到底手の届かなかった高級車・メルセデスベンツ
を所有していました。
(石森章太郎)も同じ練馬区に、プール付きの豪邸
を1960年代後半に新築しています。
1971年(昭和46年)分 長者番付・作家部門 申告所得額
1億4538万円
1億1862万円
8782万円
6761万円
5920万円
5864万円
5835万円
人物伝
見城徹という怪物について その1
はる坊です。
私はあることに興味を持つと、徹底して調べるという癖(ヘキ)を持っています。
仕事に関することでも、全然関係のないことでも同じです。氏の本を集中的に読みました。
その感想です。
見城徹といえば、幻冬舎社長にして、元角川書店取締役編集局長。
そして何より、敏腕編集者として知られています。
1950年12月29日静岡県清水市(当時)生まれ。
地元の静岡県立静岡南高校を卒業後、慶応義塾大学法学部に入学・卒業。
廣済堂出版を経て、角川書店にアルバイト入社。
そして、芥川賞作家・高橋三千綱氏の後押しもあって、正社員に、とあります。
見城氏は、編集者でありながら、見城氏単独やサイバーエージェント社長・藤田晋氏などと著作を出しています。
発行されている書籍すべてに目を通してみると、重複するエピソードや、ちょっと違う書き方になっているなと思うところがありますが、自己顕示欲が強い方だという印象を受けます。
いまでは強面の結構イイ顔(褒め言葉です)で正直、カッコいい。
でも、その割に高校時代から、本人曰く、素晴らしい彼女がいたりして、(容姿にコンプレックスがあったって本当かい)と思わせてくれるような、アンバランスな印象を受けます。
「受けたけど、落ちたんだよ」
と言われたらお仕舞いですが、時代背景もあったのではないかと思うのです。
当時は、学生運動が吹き荒れていました。
法とは何か?
政治とは何か?
という疑問と興味が見城氏にあったと推察されます。
そして、卒業後は、廣済堂出版へ入社しています。
入社後に『公文式算数の秘密』という書籍を企画して、38万部のベストセラーに仕上げます。
また、『十万円独立商法』という書籍を企画して、これに興味を持った、当時東スポの記者で後に芥川賞を受賞する高橋三千綱氏との縁もできて、角川書店に入社することになります。
(『<マンガでわかる1万円起業』という形で漫画化もされています。)
これは、見城氏の企画に触発されたものだと私は思っています。
直木賞製造マシーンとして名を馳せる
さて、有明夏夫『大浪花諸人往来』という小説をご存じでしょうか?
また読まれた方はいらっしゃるでしょうか?
わたしは、著者名だけは聞いたことがありますが、読んだことはありません。
見城氏自身も、浅草キッドとの対談で“「この人とこの小説のことは誰も知らないんだけどね」”と言っています。
直木賞を受賞したけれど、売れっ子作家にはなれなかったというところだと思います。
決定したのは、1979年1月19日。
発行されたのは前年の1978年10月。
角川書店刊。
この本の担当編集者が見城徹氏でした。
(77年に、野性時代に掲載された池田満寿夫の『エーゲ海に捧ぐ』で、芥川賞は獲得しています)
82年1月 第86回直木賞受賞 つかこうへい『蒲田行進曲』
82年7月 第87回直木賞受賞 村松友視『時代屋の女房』
87年7月 第97回直木賞受賞 山田詠美『ソウルミュージック・ラバーズ・オンリー』
88年7月 第99回直木賞受賞 景山民夫『遠い海から来たCOO』
ですが、直木賞候補に並んだ小説だと、
つかこうへい 第82回候補『ロマンス』『かけおち』『ヒモのはなし』
村松友視 第85回候補『セミ・ファイナル』 第86回候補『泪橋』
そして、これは未確認で、想像の域を出ませんが、第90回候補の北方謙三『友よ、静かに瞑れ』も野性時代連載がまとまって、角川書店から本になったものですから、見城氏が関わっていたのではないかと思うことがあります。
見城氏が野性時代副編集長を経て、月刊カドカワの編集長になったのが、86年か87年。
だとすると、83年6月に発刊された『友よ、静かに瞑れ』には、見城氏が間接的にでも関わっていたと考えるのが順当でしょう。
北方謙三はその後、「いろいろ理由があって」直木賞を受賞しないまま、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞、更には紫綬褒章を受章して、現在は、直木賞選考委員になっています。
他にもお役に立てる記事があるかと思いますので、どうぞお楽しみくださいませ。
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