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はる坊です。
2018年2月9日、福山雅治も出演している映画『マンハント(Manhunt)』(原題:『追捕』が日本上映されました。
『男たちの挽歌』シリーズ『フェイス/オフ』『レッドクリフ』で有名なジョン・ウー(呉宇森)監督作品です。
主演キャストにチャン・ハンユー(張涵予)と福山雅治を配して話題になっています。
この映画は1976年に日本で制作された『君よ憤怒の河を渉れ』のリメイク作品です。
⇒『君よ憤怒の河を渉れ』
※映画『君よ憤怒の河を渉れ』は、DMM TVで楽しめます。
監督は佐藤純彌。
主演の杜丘冬人は高倉健が演じ、リメイク作では福山雅治が演じている矢村は原田芳雄が担当しています。
中国において、この映画が文化大革命後、初の外国映画として『追捕』というタイトルで1979年に公開され、
8億人以上が観たといわれています。
ヒロインである遠波真由美を演じた中野良子は高倉健とともに中国でもっとも有名な日本人俳優(女優)となり、高倉健がのちに『単騎、千里を走る』で主演を務めるきっかけにもなりました。
また、中国でこの映画の続編も製作されました。
『マンハント(Manhunt)』の評価は様々ですが、個人的な評価としては、「良くも悪くも完全なジョン・ウー作品」と言っておきます。
もっとも、『君よ憤怒の河を渉れ』が上映されたのは45年以上も前です。
まったくの別物として観るべきでしょう。
ただ、 主題歌は前作と同じ『孤独の逃亡』なのですが、今回のチャン・ハンユー(張涵予)バージョンのほうが良かったです。
『君よ憤怒の河を渉れ』『追捕 マンハント(Manhunt)』の原作者・西村寿行
今回取り上げたいのは、この原作小説の作者である西村寿行(にしむら じゅこう)です。
本名読みは(にしむら としゆき)。
戸籍上の名前表記は西村壽行。
そんな西村が本格的に小説を書き始めたのは意外に遅く、40歳に手が届く頃です。
西村寿行は1930年(昭和5年)11月3日、現在は猫好きが集う島、そして現代アートの島として有名になった香川県香川郡雌雄島村男木島(現在の香川県高松市男木町)の網元の家に生まれました。
父親は正義。母親はつぎ子。男4人女3人の7人兄妹のひとりでした。長兄がのちに同じく作家となる西村望です。
網元の家といっても、父親の時代には没落したため、父・正義は満州に渡り土木建築業を始め、男木島には年に一度帰ってくるくらいでした。
西村は、1946年(昭和21年)に兄・望とともに上京しますが、当時の東京は敗戦まもない混乱期。仕事にありつけるはずもなく、故郷へ戻り漁師となります。
父親は、女木島と男木島のふたつを含む雌雄島村の助役(村長代理)となった後に、高松市内へ移り土木建築業を始めますが、西村寿行は、再び、兄と故郷を後にします。
大阪に移り叔父の仲介でトラックの運転手になりますが、仕事は続かず、関西のあちこちを旅して歩きます。
“「関西で足を踏み入れたことのない場所はない」”
とのちの本人が述懐するほど、歩き回ったようです。
そんな風来坊は女性にモテました。
数多くの女性と同棲して、女性に食べさせてもらうこともありましたが、飯と寝床には困りませんでした。
上京後に、妻となる女性に出会い、再びトラック運転手・速記者・業界紙記者・薬品会社のプロパー社員・白タク運転手など20を超える職を経験しますが、いずれの仕事も長続きすることなく、もっとも長く続いた仕事で1年ほどでした。
本人が小説家になって成功を収めてからのインタビューでは、最初に買ったクルマのローン(当時の言い方では〝月賦〟)が払えなくなって始めた白タク(無許可タクシー)は一番合っていたと回想しています。
生活は、長野県出身の妻が支え、本人はといえば、夏はスキューバダイビングに没頭し、冬は山中にて猟師同然の生活をしていました。
ちー子と名付けた柴犬が彼のパートナーでした。
しかし、1967年に狩猟を止めます。
撃ち落とした鳥が輪を描いて雪原のなかで果てたとき、彼のなかで、何かが変わりました。
その後は、妻とともに新宿のはずれで営んでいた小料理・活魚料理店の経営者兼板前の仕事に集中します。
店には常連客がついたものの、客が苦しいときには、金勘定そっちのけで酒を飲ませてご馳走をしてしまうので、経営状態はいつも赤字でした。
西村が作家になってからは、並外れた酒豪として、バーボンウイスキーのアーリータイムズがトレードマークになりますが、本格的に酒を飲み始めたのは、この活魚料理店を始めてからです。
30代半ばから酒を飲み始めた理由は、板場で料理を作りながら、酔っ払った客の話を聞くのに耐えられなかったからだと本人がエッセイに記しています。
素面だと、酔客の話がくだらなく聞こえて腹が立ち、気性の荒い西村は、客と喧嘩になることもしばしばだったようです。
ところが、アルコールを飲んで自分も酔っ払ってしまうと、酔客のくだらない話題も、何だか高邁な議論をしているように感じられ、話に加わった彼は、たちまち、客たちと飲み友達になってしまいます。
彼は赤字続きの活魚料理店の経営者兼板前として働きますが、あるとき、残りの人生に思いを馳せ、ゾッとするような予感に襲われます。
「俺の人生、このままでよいのか」と。
西村寿行 小説を書き出す
そんなある日、常連客のひとりが文藝春秋発行の文芸雑誌「オール讀物」を持ってやってきます。
その号には、第33回オール讀物新人賞受賞作が掲載されていました。
中身を一読した彼は、「これなら俺にも書ける」という思いを抱きました。
そして西村寿行は客を前にして堂々と宣言します。
「小説を書く」
客たちは笑いました。
いや、嗤ったと書いたほうが正しいのかもしれません。
しかし彼は、実際に小説を書き上げて、第34回オール讀物新人賞に投稿します。
結果、二次予選通過。
「これはいける」
良い感触を掴んだ彼は、兄の西村望に良いアイデアはないかと訊ねます。
兄から熊鷹の話と資料を送ってもらうと再び小説を書き投稿します。
1969年(昭和44年)第35回オール讀物新人賞にて『犬鷲―廃屋に光る眼』と題した作品は、佳作に選ばれます。
選考委員は、池波正太郎・黒岩重吾・瀬戸内晴美(寂聴)・近藤啓太郎・新田次郎。
選評を読むと、好意的な評が並んでいます。
このとき新人賞を受賞した男性は、受賞のことばで「数十年にもわたる文学修行云々かんぬん」と述べましたが、
この一作だけで消えてしまいました。
佳作となったデビュー作は、オール讀物誌上に全文掲載されましたが、実はそれまでに、佳作が掲載されたのは、松本清張の『啾啾吟』(新潮文庫『西郷札』収録)だけでした。
偶然かも知れませんが、西村寿行がのちに超人気作家となることを考えると、何かしらの因縁を感じます。
※参照:オール讀物1969年12月号
その後、西村は1971年に勝利出版という出版社から、
ノンフィクション『世界新動物記』を刊行。
また、翌1972年には朝日新聞社主催の動物愛育記に入選します。
そして、同時にオール讀物新人賞に挑戦を続けますが、
1972年6月 第41回「焔の海」は、惜しくも最終候補止まり。
(この時に『地虫』という作品でオール讀物新人賞を受賞したのは、黒岩重吾の弟子で、のちに直木賞作家となる難波利三でした。)
1972年12月 第41回「海の宴」で、これまた最終候補止まり。
受賞はなりませんでした。
※参考 オール讀物 1972年6月号・1972年12月号
(「海の宴」はその後、西村寿行初の直木賞ノミネート作『咆哮は消えた』が本になる際に、この短編集に収められています。
短編集に収録する際、書き直されたのかもしれませんが、オール讀物新人賞受賞作となっても何の不思議もない高レベルな作品です。)
ちなみに小説家を目指し始めたこの当時、彼の収入は全くのゼロ。
本人曰く〝女房のヒモ〟
生活は保険外交員となった奥さんに支えてもらっていました。
(これ以上、小説を投稿し続けても先が見えない)
と感じたのでしょうか、
西村は、書き上げた動物小説の原稿を手にサンケイ新聞社出版局を訪れます。
対応した編集者は、筆力があることに注目して、当時の売れっ子だった推理小説家の本を何冊か渡して、彼に推理小説を書かせることにしました。
参考:西村寿行『宴は終わりぬ』1983年 徳間書店刊
最後まで、読んでくださり本当にありがとうございました。
⇒さて、推理小説家として、デビューを果たした西村寿行ですが・・・。その2に続きます。
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