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大流行作家・超売れっ子作家となった西村寿行
はる坊です。
西村寿行は超売れっ子作家に登りつめました。
年収は3億円台をキープ。
山田風太郎や柳田邦男も居を構えた、多摩市に邸宅を構え、仕事場は渋谷区代々木の高層マンション最上階。
愛車は、垰(たわ)シリーズで秋葉文七が愛用し、俳優・根津甚八も所有していた、アメリカ製ジープのゴールデン・イーグルと、エンジ色のメルセデスベンツ500SLC AMG仕様。
そして、奥様用にボルボを購入。
また、1980年代半ばに差し掛かる頃には、約5,000万円のサロン・クルーザーを購入。
〈孤北丸〉と命名して、俗称は〈無頼船〉と呼び、クルーザー前方には〈BURAISEN〉と、ローマ字表記で黒い文字が書かれました。
〈孤北丸〉については、徳間文庫版『雲の城』の巻末に『サロン・クルーザー』というエッセイが掲載されています。amazon kindleやDMM電子版でも読めます。
ここまで読んでいただくと、羨ましい限りだと思われるかもしれませんが、売れっ子作家としての生活は過酷そのものでした。
日曜日の夜から金曜日までは、仕事場で寝泊まりして、大量の原稿を書き続け、夜は酒を飲みながら編集者との打ち合わせ。
そしてやっと、金曜の夜に自宅へ帰る生活。
しかし、自宅に戻っても来客がやってくる有様。
まさに千客万来。
西村寿行流 執筆の流儀と方法
まず、判を押したように毎朝7時分に仕事場で目を覚ますと、シャワーを浴びてレモンをかじり、さらに二日酔いの頭を覚ますために頭痛薬を服用して、執筆の準備を整えると、ソファーに腰掛け、足も別のソファーに伸ばします。
ひどい二日酔いの為に、起床してから、ここまでで3時間かかっています。
冷凍してある麦8:白米2のおにぎりを解凍して食べると、仕事開始です。
太ももあたりに画板やトランクケースを置いて、原稿を書き始めます。
西村寿行は机に向かっては、原稿が書けませんでした。
後年には、自らが座るソファーに、角度を調節できる台を設えた特注のもので原稿を書きました。
原稿は手書きで、生涯、万年筆で書き進められました。
万年筆はイタリア製のアウロラが好みだったようです。
作家になってしばらくしてからは、モンブランを使用していましたが、
“俺は芸術家じゃなくて、職人だから”
とインタビューで答えていたように、職人の仕事道具のような、俗に“サリサリ”と評されるアウロラ独特の少し引っ掛かりを覚える書き心地が気に入ったのかもしれません。
執筆量は1日35枚。
この枚数はノルマであり、1日で絶対に書き切らなければならない量でした。
タバコは峰。
日に2箱ほど吸いながら原稿を埋めていきました。
西村寿行の作品は〝ハードロマン〟と呼ばれ、アクションや冒険をテーマとし、バイオレンス小説とも呼ばれることが多いですが、作風とは異なり、原稿用紙に書かれた字は小さく、どこか繊細さを窺わせるものでした。
小説の執筆にあたっては、とことん資料を読み込むのが寿行流でした。
ひとつの小説を執筆するのに1メートル以上の資料を読みあさり、「京大式」と呼ばれるB6サイズのカードで整理をおこない、最大で3名のデータマンを雇って、時間的に取材をおこなえない箇所を補いました。
このデータマンのなかには、のちにノンフィクション作家となり、週刊ポスト誌上で『メタルカラーの時代』を、長年に渡って連載した山根一眞もいました。
午前中から午後6時、7時まで、仕事漬けの日々を送って作品を書き上げていきました。
一日の仕事を終えてからの酒盛り アーリータイムズ
仕事が終わる頃になると、各出版社の担当編集者が仕事場を訪れ、打ち合わせを兼ねた酒盛りが始まります。
西村寿行が愛したのは、バーボンウイスキー。
銘柄は『アーリータイムズ』でした。
夜に西村の仕事場へ赴く編集者は、このバーボンを何本か買っていくのが習慣でした。
西村が飲みたいといえば、どんな高級な酒でも編集者は持参したでしょう。
しかし、大の売れっ子作家でありながら、当時でも決して高価ではなかったこの酒を、西村は最後まで手放しませんでした。
30代半ばから飲み始めた酒が、日常生活の一部になってしまうほど好きだったこともありますが、大量の原稿を書く疲れを癒やす意味もあったのでしょう。少なくてボトル半分、多いときではボトル1本を一晩で開けてしまうほど酒量は凄まじく、翌朝に目覚めたときは、いつも二日酔いで頭痛薬が手放せませんでした。
これほどの酒を飲みながら仕事第一の生活を貫き、西村本人も〝仕事には律儀〟と語っていたように、〆切りに遅れたことはありませんでした。
1980年代の西村寿行の仕事ぶりを、まずは、刊行した本でみていきましょう。
今回は1980年~1982年まで。
1980年(昭和55年)に刊行された本
『滅びの宴』(『滅びの笛』の続編)『風は悽愴』『滅びざる大河』『虎落笛』『陽は陰翳してぞゆく』『(捜神鬼中編集)』『鬼女哀し』『汝は日輪に背く』『怨霊孕む』『血の翳り』
昨年より刊行数は減っていますが、安定して名作を放ち続けた一年だと思います。
この中でも、『血の翳り』(血は〝ルジラ〟と読みます)と中編集『捜神鬼』は名作中の名作です。
もし、直木賞候補を受け続けていたなら、この作品で、受賞をしたかもしれないと私は思っています。
1981年(昭和56年)に刊行された本
『扉のない闇(短編集)』『虚空の舞い』『老人と狩りをしない猟犬物語』『秋霖(上)』『秋霖(下)』『虚空の影落つ』『癌病船』『蘭菊の狐』『ふたたび渚に』『無頼船』『鷲の啼く北回帰線』『闇の法廷』『白い鯱』
この年には無頼船シリーズと癌病船シリーズの刊行が始まります。
連載媒体に目を移すと『虚空の舞い』が産経新聞に連載されています。スポーツ紙連載は何度もありましたが、全国紙連載はこれが初めてでした。
また、『蘭菊の狐』のヒロイン・出雲阿紫は、これまでに西村寿行作品に登場したヒロインとは違い、性の対象とはならず、気高く凛とした姿が印象的です。
1982年(昭和57年)に刊行された本
『妖魔(短編集)』『鬼狂い』『牛馬解き放ち―太政官布告第二九五号』『碧い鯱』『攻旗だ、無頼船よ』『地獄 (上)』『地獄 (下)』『裸の冬』『オロロンの呪縛』『晩秋の陽の炎ゆ』
この年の作品では、『晩秋の陽の炎ゆ』のヒロインである槐帰雲(えんじゅ・かえりくも)が魅力的です。
また、コアな寿行ファンなら『地獄 (上)』『地獄 (下)』は見逃せません。
西村寿行本人が主人公の小説で、編集者たちとともにフグにあたって地獄へ落ちて冒険をする物語です。
最後に、1980年~1982年分の長者番付においての西村寿行の順位
をみてみます。
例によって申告所得が発表となっています。
1980年分 2億5,017万円 作家部門3位
1981年分 1億8,746万円 作家部門3位
1982年分 2億5,946万円 作家部門3位
税理士と信用金庫の担当者がついて、節税を行っていた分は経費に計上されており、申告所得は、年収3億円以上から経費を差し引いた分が公表されています。
しかしこの時代は、所得税率が最高で75%。住民税率も最高で18%でした。
それに予定納税もありますので、いくら稼いでも、内情は自転車操業だったようです。
1960年代から長きにわたって活躍した、『木枯らし紋次郎』や『取調室』(いかりや長介主演の2時間ドラマのほうが有名でしょうか)で著名な笹沢左保は、
「税金を払うために借金をしたこともある」
と語っていますので、幾ら本が売れていた時代であっても、作家の台所事情は意外に苦しいものだったようです。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
それでは、1980年代半ば以降の西村寿行はその5でご覧ください。
時代は変わっても西村寿行作品は不滅です
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