紫綬褒章

人物伝

漫画家・遊人の〝推定4億円〟豪邸はスゴイ! デビュー以来、売れるまで画風を変えながら美少女漫画を生み出したのもスゴイ!

漫画家・遊人の〝推定4億円〟ロココ調豪邸

『ANGEL』『桜通信』で有名な漫画家・遊人がTwitterを始められました。
現在は港区六本木と湘南を行き来して生活をされているようです。

かつて1990年代半ばに、遊人さんは湘南に〝推定4億円〟といわれる豪邸を新築。
新築にあたっては、ハウスメーカーがアメリカ現地の邸宅を調査して建てられた経緯があります。

この豪邸は『ダ・ヴインチ』とか『COMIC GON!』サブカル系の雑誌で特集されていて、『桜通信』の作中にもよく登場していました。
『トゥナイト』にも取り上げられた記憶があります・・・。

本名は確か國光さん。
TwitterのID、@kunimituyuji はご本名ですね。

4月5日〜4月14日 大阪のとらのあなでも 生イラスト・生原稿オークションイベント開催されました

大盛況だった、秋葉原に引き続き、大阪・なんばのとらのあなでも

「平成お世話になった漫画家遊人の生イラスト生原稿オークション」のイベントが行われました。

「平成お世話になった漫画家遊人の生イラスト生原稿オークション」
土日祝 12:00~20:00
平日  17:00~20:00
入場:無料
場所:とらのあななんば店A
〒556-0005 大阪府大阪市浪速区日本橋3丁目8−16

東京・秋葉原に続いて、こちらも大盛況のうちに終わったようですね。

漫画家・遊人のプロフィール

遊人さんはかなりの苦労人なんですよね。

1959年6月15日に山口県宇部市生まれ。
高校卒業後に上京して漫画家を目指して、1979年に『同姓契約』でデビューしたものの、その後は10年近く鳴かず飛ばず。
ちなみに國光という苗字(姓)は宇部市に多いです。

初期の大友克洋の影響を受けた、劇画調の作品も個人的には好きなのですが、ウケなかったんですねえ・・・

(あのままの画風だとかわぐちかいじっぽい絵になっていたのかも)と思うことがあります。

漫画家として売れなかった時代は、印刷屋さんやクリーニング店、漫画家アシスタントとして働きながら漫画を描き続けられていました。

20代半ばには、もう結婚されて娘さんもいらっしゃったはず。
その娘さんは、現在デザイナーとして活躍されておられるようです。

この頃は、相当、漫画家としての位置づけに悩まれただろうなと思います。

画風が変わり続ける漫画家・遊人

事実、遊人さんの絵は、「同一の漫画家か?」というくらいに変化しています。
デビュー当初は、大友克洋さんの影響を受けた劇画調の絵。
それから、江口寿史さんや江川達也さんの影響を受けた絵に変わり、ブレイクすることになる美少女の絵柄に変わります。

これは想像ですが、遊人さんは江口寿史さんの位置を一時期、狙っていたのではないかと思うことがあります。

週刊少年ジャンプに連載した『すすめ!!パイレーツ』と『ストップ!!ひばりくん!』の2作品によって、人気漫画家の地位を不動のものにして、さらに30代になるかならないかのうちに、原稿を落とすことがもはやステータスになっていた〝ビッグE〟江口寿史さんの絵は、今でも十二分に魅力的ですが、1980年代、大変魅力的でした。

江口さんの本業は漫画家ですが、ギャラのいいイラスト仕事が優先になり、江口さんは連載漫画の原稿を落とすことが、恒常的になります。

そこで、遊人さんが「江口寿史の絵は受ける。これだったら、江口寿史風の絵で漫画連載をすれば受けるんじゃないか?」と思われても、決して不思議ではない。

実際、週刊モーニングに連載した末松正博さんの『右曲がりのダンディー』は、江口寿史のパクリそのものでしたが、全9巻で600万部以上を売り上げました。

まあ、江口寿史さん本人から、末松さんは「〝リスペクトじゃなくて、ただのパクリ〟」と名指し批判をされたので、遊人さんは、江口寿史路線で売れなくてよかったと、一ファンとしては思っています。

個人的な想像に過ぎないのですが、ひょっとしたら江口寿史さんは、イラストレーターとしての実績で、紫綬褒章・旭日小授章の受章・叙勲があるのではと思っています。
紫綬褒章は60歳代まで、旭日小授章は70歳以降の受章・叙勲になりますね。

漫画家・遊人のブレイク

そして、遊人さんは1988年に週刊ヤングサンデーに連載を開始した『ANGEL』でブレイク。

同時期には。リイド社の『リイドコミック』で『校内写生』の連載を開始。
単巻で100万部を超えるヒット作となります。

『ANGEL』第1巻が100万部を突破して、一躍人気漫画家の仲間入りを果たしますが、1990年代初頭に起こった有害図書(コミック)問題の槍玉に挙がり、路線の変更を余儀なくされます。

一旦、休載となり、その後、連載再開されましたが、騒動を恐れてか、コミックスが発行されない状態が続き、最終的にリイド社の子会社だったシュベール出版より、成人向けコミックとしてコミックスが発売されました。

その後は、週刊ヤングサンデー連載の『Juliet』を経て『桜通信』の連載を開始。

『桜通信』も途中の10巻時点で200万部を突破。

『桜通信』連載後半頃までに、出版された遊人作品のコミックスの部数は累計で1500万部を突破します。

漫画家・遊人の最盛期。収入は9年間で10億円


美少女コミックを描いて得た収入は、全盛期の9年間で10億円だったと、遊人さん本人がインタビューで語っています。

これは、遊人作品の魅力もさることながら、週刊ヤングサンデー(連載作品:『ANGEL』『Juliet』『桜通信』『Peach!』)や週刊ヤングジャンプ(連載作品:『学園天国』『幼な妻マープルの事件簿』)という一般・青年誌に連載を持ち、ただのエロマンガ・エロ漫画家とは一線を画する位置にいたからだろうと思います。

漫画家が本当に儲かったのは、1980年代~1990年代まででしょう。
何といっても、コミックの売上が現在とは比べものになりませんので。

1990年代半ばには、ブックオフが出て来始めましたし、福満しげゆきさんが、作中で「(漫画)バブルの頃だったら、もっと売れていた」とぼやいていますが、実際、漫画家は一部を除いて、そんなに稼げる仕事ではなくなりましたもんね。

豪邸も建て、高級外車を乗り回せる立場になっても遊人さんはお金に淡泊でこだわりがない

遊人さんが吉祥寺から移り住んだ湘南・藤沢。

この土地に買い求めていた100坪あまりの土地に、新築の白亜の邸宅を構えたのは1995年。

アトランタに現存している邸宅をモデルにして、荘厳なドアがカナダ製なのを始め、ほとんどが輸入資材によってまかなわれました。

湘南の豪邸の他にも、ハワイにコンドミニアムを持っていたり、港区六本木にオフィスを構えていたりと確かに傍目にはバブリーでした。

あとクルーザー(700万円)も。

2年ほど前でしょうか、5chまとめサイトで当時の記事が話題になり、

「こんな豪邸を建てても、維持できないだろ」

とか

「固定資産税ヤバイだろ」

という声がありましたが、この邸宅はいまでもしっかりと維持されておられます。

クルマも高級外車を複数所有。
イエローのポルシェ911(1000万円)と赤のフェラーリF355(1500万円)を所有して、のちにはランボルギーニ・ディアブロも所有されていたと記憶しています。

その後、世田谷区に転居されて、吉祥寺に移られ、六本木と湘南・藤沢にを行き来する生活になったわけです。

さて、遊人さんはお金に淡泊な方です。

お金がドサッと入ったときに、アルマーニのスーツとか欲しいものを買ってみたけど、

感想は〝「こんなものか」〟で。

豪邸がクローズアップされたときには、

「ジーンズメイトとかで安くていいのを買っている」〟状態。

「たまに、タクシーに乗って帰宅すると、運転手さんに「お父さん、お金持ちなんだねえ」と言われる」〟と。

さてさて、美少女が登場する漫画で注目されてしまったので、作者はキモオタ・デブオタではないかと思われがちですが、遊人さんはなかなかのイケメンですよ。

遊人さん本人のお写真を拝見すると、漫画家というより、デザイナーや音楽関係者という印象を持ちました。

実際、ミュージシャン志望で、我流でありながらピアノ演奏はかなりの腕前で、自作の曲も弾かれるとインタビュー記事で読んだことがあります。

また、年齢よりかなりお若く見えますので、美少女を描く漫画家とご本人が、イコールにならないです。

それに、アウトドア派で原稿が上がると、家にいないという方のようで、30代半ばでメディアに露出されていた頃は、しっかり身体も鍛えておられるなという感じでした。

もっとも、

「睡眠時間は3~4時間。眠くなったら寝るので、不規則です」

という多忙な日々を乗り越える為にも、身体のコンディションを整えておられたのでしょう。

元々、「お金がないことが不幸ではない」という考え方の方ですから、

遊人さん本人曰く

「遊びで建てた」

この豪邸のインパクトはスゴイですが、その他は意外に質素に暮らしておられるような気がします。

Twitterに上がっている画像で普段の生活振りが垣間見えますが、〝安くていいものが一番いいもの〟という価値観をお持ちではないかなと感じます。

最近の漫画家・遊人

遊人さんは、2019年1月まで、東京都港区六本木3丁目のタワーマンション・THE ROPPONGI TOKYOの一室を購入して、仕事場として使われていたようですが、昨年末に売却されたときも、Twitter上で〝「今年1月に売却。6年前に購入した金額の40パーセントUPで売れました。一等地は凄いなーと思いました。」〟と淡々としたコメント。

ここで週刊漫画ゴラクに連載された『ANGEL~恋愛奉仕人・熱海康介~ 』『ANGEL ~恋愛奉仕人・熱海康介~ SEASON 2』を描かれていたようですね。

遊人作品は、その画風からか電子書籍の売り上げが良好な漫画でもあります。

遊人作品は、その多くが電子書籍化されていますが、その売り上げが良好な漫画家さんです。

電子書籍・電子コミックを多く取り扱うアマゾンのKindleでも、遊人作品が販売中です。

いままで、遊人作品を読んだことのない方も、今回、このサイトで「遊人! 懐かしいなあ」と思われた方も、ちょっとのぞかれてみてはいかがでしょうか?

Kindleで遊人作品を読むのに一番簡単な方法をご紹介します。

1.スマホの無料アプリでKindleをダウンロードします。

2.あなたのAmazonアカウントを入力します。
(メールアドレスとパスワードです)

3.あとは、遊人作品を購入または1ヶ月980円の定額読み放題システムKindle Unlimitedに登録すれば、遊人作品はあなたのものです、

ANGEL

※『ANGEL』には〝改訂版〟と〝完全版〟の2種類があります。

表示されるカバー画像だけでは違いがわかりにくいので、簡単に違いをご説明します。

改訂版は初期の出版された作品を修正したもので、3巻までです。

完全版は、のちにシュベール出版から刊行された作品を電子化しているので、修正箇所が多めに見受けられます。
しかし、こちらは週刊ヤングサンデーに連載再開後、コミックス化されなかった4、5巻もあります。

まずは、〝改訂版〟を読まれて、気に入られたら、『ANGEL完全版 4』『元祖!! ANGEL完全版 5』を続けて読まれるのが一番いいと思います。

そして、『ANGEL』に引き続いてヤングサンデーに連載された『Juliet

そして、1995年から同じくヤングサンデーに連載開始された『桜通信』。

桜通信』は全20巻は遊人作品として最長です。

ヒロインの春日麗、慶應義塾大学文学部に通う令嬢・四葉美咲子、麗の友人・夏樹香美、そして秋本美寿紀と登場する女性は、全員が人間的に魅力的です。
また、主人公・因幡冬馬と秋本浩司の友情も泣けます。

Kindle本体をまだお持ちではない方は、この機会に購入されてもいいと思います。

紙の本やコミックはどうしてもかさばりますが、電子書籍なら、Kindleだけで持ち運びも簡単ですし、電子書籍のほうが、紙の本・コミックより安く手に入ったり、期間限定で人気作品が無料で読めたりします。(人気作品の1巻なら、期間限定ではなく丸々無料でダウンロードできる作品もあります)

本やコミックに接する方なら、Kindleを持たれるメリットは大きいです。

また、遊人作品のように、「紙のコミックではちょっと・・・」という方でも、ご自身のKindleがあれば、自分だけで好きな作品を楽しむことができますから、Kindleはうってつけです。

エントリーモデルともいえる本体8,980円のモデルでも容量は4GBありますので、初めてKindleを手にされる方であれば充分だと思いますが、私個人のオススメもあわせていえば、本体13,980円のほうが8GBと容量も倍で、数千円差で32GBモデルもありますので、お得ではないかと思います。


また、Kindleは丈夫です。
私が使用しているKindleは2013年12月に購入したので、もう5年半使い続けていることになります。
もちろん、自宅外へ持っていくことも多いですが、故障は一度も経験していません。

Twitterに続いて、『遊人楽園』以来の公式サイト『遊漫人』

1990年代後半、遊人さんは『遊人楽園』のいう公式サイトをお持ちでした。
クオリティの高いサイトであったと記憶しています。

それから、直接、情報を発信されることはなかったのですが、Twitterに続いて公式サイトが開設されました。

遊人公式サイト 遊漫人(新しいページが開きます)

毎週金曜日更新で、過去の漫画や新作ネームが見られるようです。

また、ブログあり
(いきなり水木しげる大先生登場です)。

グッズ販売あり。
(サイトオープン2日目を待たずして、いきなり1点を残して売り切れてしまいました。1話○○万円の生原稿まで!)

どんなサイトに育っていくか、これから楽しみにしています。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
他にも楽しんでいただける記事があるかと思いますので、どうぞゆっくりご覧ください。

人物伝

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その5

1980年代の西村寿行

はる坊です。
まず、1980年代になっても、西村寿行がどれだけ売れていたのかを示すデータから。
俗にいう長者番付。高額納税者番付作家部門です。
1983年度分からは、従来の申告所得額ではなく、納税額が公示されるようになりました。

1983年度分 1億2,588万円 4位
1984年度分 1億5,615万円 5位
1985年度分 1億3,745万円 5位
1986年度分 1億1,809万円 5位
1987年度分 1億3,190万円 4位
1988年度分 1億0,072万円 5位
1989年度分   9,508万円 7位
1990年度分   8,185万円 6位

1980年度分から1990年度分までに公示された申告所得額・納税額をみると、
この時代に売れて税金を多く納めた作家は次の順になります。
1位 赤川次郎   6位  池波正太郎
2位 西村京太郎  7位  森村誠一
3位 司馬遼太郎  8位  笹沢左保
4位 西村寿行   9位  渡辺淳一
5位 松本清張   10位 遠藤周作

西村寿行は、なぜ、ここまで売れたのか?
・小説本がもっとも売れた昭和50~60年代に活躍したこと。

・1975年の『君よ憤怒の河を渉れ』以降、特に77年からは、毎月のように新刊を出し続け、その全作が水準以上の出来栄えで、西村寿行作品は面白いという評価を読者から受けていたこと。

1975年に角川書店が角川文庫を発刊して、西村寿行作品に廉価で身近に触れられたこと。角川文庫の売り上げ部数は、横溝正史・赤川次郎・森村誠一に次いで歴代第4位です。

・寿行作品の多くを出版した徳間書店が、80年に徳間文庫を発刊して、ここでも寿行作品が文庫化されたこと。

さらに、徳間書店では『西村寿行選集(NISHIMURA HARD-ROMAN SERIES)』をノベルスで別に刊行し続けたこと。

新刊のハードカバー・ノベルスは15万部程度売れ、文庫の初版は20万部。
もちろん、増刷が繰り返されます。

徳間書店の創業者・徳間康快(とくま やすよし《名前はこうかいとも呼ばれました》)は反権力の立場にいる作家を愛しました。
なかでも大藪春彦とは親友同士で、大藪の葬儀で弔辞を読んだのも徳間康快でした。

エンタメ系のプロ作家が対象の大藪春彦賞も制定しています。

賞金300万円は、デビュー後の作家がもらえる賞の賞金としては、柴田錬三郎賞と並んで最高額タイです。

実業家としては、本業の徳間書店のほかにも、スタジオジブリの初代社長も務めています。
また、映画会社の大映や徳間ジャパンの経営もおこないました。

〝徳間文庫、いや、徳間書店を支えている一因は西村寿行〟と囁かれるほどの人気ぶりでした。

しかし、一番の理由は、

“俺は芸術家じゃなくて、職人だから、面白おかしく書いて、たくさんの人に読んでもらえればいいんだ。”

と語っていた読者を大切に考える西村寿行自身の姿勢にあったと思います。
では、年ごとに出版された作品をみていきたいと思います。

1983年(昭和58年)に刊行された本

『霖雨の時計台』『宴は終わりぬ』(唯一のエッセイ集)『石塊の衢』『鬼(中編集)』『狼のユーコン河』『濫觴の宴』『花に三春の約あり』『魔境へ、無頼船』『幻戯』『頻闇にいのち惑ひぬ』『襤褸の詩』
エッセイを含んで11冊を上梓しています。

この年の作品では、田中邦衛主演でドラマ化された『霖雨の時計台』が白眉です。

インタビュー嫌いの西村寿行にしては珍しく、この『霖雨の時計台』に関しては、この小説に対しての強い思い入れを取材に応じて、機嫌よく語っているのです。

同時に、幻想小説として傑作であり、夢枕獏が雑誌掲載時に驚愕したという『鬼(中編集)』はおすすめです。

また、『花に三春の約あり』は『峠に棲む鬼』のヒロイン・逢魔麻紀子の娘、逢魔紀魅が登場します。


そして、『襤褸の詩』では『蘭菊の狐』のヒロイン・出雲阿紫が再登場しますが、扱いが他の寿行作品で描かれるヒロインと同じ道を辿ったのが、個人的には残念でした。

生涯で唯一刊行されたエッセイ集『宴は終わりぬ』は人間・西村寿行が余すところなく感じられて面白いです。

また、表紙の絵を愛娘の西村亜子さんが描いています。そして題字は西村寿行本人によるものです。

1984年(昭和59年)に刊行された本

『空蝉の街』『監置零号』『鉛の法廷』『風紋の街』『妖しの花乱れにぞ』『垰 大魔縁』『垰よ永遠に』『夢想幻戯』『沈黙の渚』『緋の鯱』『黒猫の眸のほめき』『憑神(中編集)』
12冊を上梓しています。
垰シリーズが、『垰よ永遠に』をもって終わりました。
『鉛の法廷』は司法で裁くことができない犯罪者を、私設裁判所にて裁くという重くも救いのある作品です。
『黒猫の眸のほめき』は、西村寿行が主役です(物語の序盤に西村寿行は、実際の愛車で、本当に1リットルで2キロしか走らなかったという、恐ろしく燃費の悪いチューンアップ済みのメルセデスベンツ500SLC AMG仕様に乗って登場しますが、その後は・・・)。『地獄』の世界観を楽しめるのなら、この作品も面白いはずです。

1985年(昭和60年)に刊行された本

『雲の城(中編集)』『牙(短編集)』『異常者』『鬼の跫』『人類法廷』『ガラスの壁』『無頼船、極北光に消ゆ』『鷲の巣』
上梓した冊数は8冊に減りました。
ポリティカルフィクションというジャンルにあてはまる『人類法廷』『ガラスの壁』が刊行されます。
寿行作品中期以降のなかでも異質な存在感を放つ、『異常者』もこの年に発表されています。

これは読み手によって様々な意見があると思うのですが、個人的にはこの1985年に発表された作品あたりから、徐々に全体のバランスが崩れた作品が出始めたように感じます。

夢枕獏・菊地秀行が伝奇バイオレンス・伝奇アクション小説を書き出した時期

前年の84年に、西村寿行の影響を公言している夢枕獏の伝奇バイオレンス小説『魔獣狩り 淫楽編』『魔獣狩り 暗黒編』『闇狩り師』が単巻で10万部以上のヒット作になります。

『闇狩り師』を刊行した徳間書店の編集者は“「ウチはもう完全なバックアップ態勢です。第二の西村寿行になりうると確信しています」”と発言しています。(出典:週刊文春1984年9月27日号「バイオレンスのニューパワー夢枕獏の正体」より)

当時、夢枕獏自身がインタビューで“「昨年(前年の1983年分)の年収は780万円だったのに、今年は6800万円でした。あるときに、通帳記帳に行ったら、機械がダダダッて印字がとまらなくて、『来たな』と思いました」”と話しているように、翌1985年分、1986年分では長者番付の作家部門14位に登場します。

そして、この時期から伝奇小説だけではなく格闘小説『餓狼伝』や『陰陽師』の執筆も開始して、月産500~800枚という多産に耐えながら、作家としてのフィールドを拡げていきます。

98年に『神々の山頂』で柴田錬三郎賞を受賞したのを皮切りに、一般文芸を対象とした文学賞にも縁ができはじめ、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞も受賞し、2018年春には紫綬褒章を受章しています。

また、朝日ソノラマで、『魔界都市〈新宿〉』でデビューを果たし、『トレジャーハンター(エイリアン)』やシリーズ『吸血鬼ハンターD』シリーズジョブナイル小説(現在のライトノベル)を書いていた菊地秀行がこの年にノベルス界に進出すると矢継ぎ早に『魔界行Ⅰ(復讐編)』『魔界行Ⅱ(殺戮編)』『魔界行Ⅲ(淫獄編)』『妖魔戦線』『妖魔陣』『妖魔軍団』『妖人狩り』『妖獣都市』など伝奇小説を量産して、そのほとんどが10万部を軽く超えるベストセラーとなりました。

1987年には、21冊もの伝奇バイオレンス小説を主にノベルスで発表して、ベストセラー作家の座を確固たるものにします。

年間10冊以上の新刊を長期間にわたって発表し続け、2017年2月には『魔界都市ブルース 霧幻の章』で著作400冊を達成しています。また、1986年分から1995年分までの10年間、長者番付・作家部門ではベストテンにランクインし続けました。

このような新しい動きがあったことは、西村寿行に追随したバイオレンス小説の大家・勝目梓もその半自伝的著書『小説家』のなかで触れています。

勝目が年間15冊平均でノベルスを出していた時期で、一番多忙であった頃ですが、半自叙伝的な著書に夢枕獏と菊地秀行の台頭を記しているところをみると、当時としては、かなり脅威に映ったのではないかと思います。

1986年(昭和61年)に刊行された本

『珍らしや蟾蜍、吐息す』『死神 ザ・デス』『山姥が哭く(短編集)』『曠野の狼』『無頼船 ブーメランの日』『遺恨の鯱』『時の旅』『癌病船応答セズ』『まぼろしの獣』
長編を中心に9冊を上梓しています。
癌病船シリーズが『癌病船応答セズ』をもって終結しました。

1987年(昭和62年)に刊行された本

『凩の蝶』『魔の山(短編集)』『人間の十字路(短編集)』『陽炎の街』『風の渚』『幽鬼の鯱』『母なる鷲』『コロポックルの河』『旅券のない犬』
昨年同様、9冊を上梓していますが、個人的に消化不良に思える作品が増えてきます。
特に鯱シリーズではそれが顕著に感じられました。
『風の渚』は渚シリーズ最後の作品になりました。

1988年(昭和63年)に刊行された本

『残像(短編集)』『執鬼(短編集)』『賞金犬(ウォンテッド)(短編集)』『道』『無法者の独立峠』『無頼船、緑地獄からのSOS』『幻想都市』『聖者の島』『悪霊刑事』『衄られた寒月(中編集)』
刊行数は久々に二桁、10冊になりました。
この年の作品を読むと、前半は面白いけれど、後半になってからが・・・という感じでしょうか。
『賞金犬(ウォンテッド)』が、1995年オリジナルビデオで映像化されています。北野武監督映画『ソナチネ』の出演がきっかけとなり、演技派俳優として認知をされていく大杉漣も、この作品に出演しています。
(残念ながら、大杉漣さんは2018年2月21日に急性心不全で急逝されました。ご冥福をお祈りいたします)
また、『無頼船、緑地獄からのSOS』は無頼船シリーズ、『幻想都市』は幻戯シリーズ(宮田雷四郎シリーズ)最後の作品となりました。

1989年(平成元年)に刊行された本

『学歴のない犬(上・下)』『頽れた神々(上・下)』『神聖の鯱』『風と雲の街』

息を吹き返したかのように面白い長編が発表されました。
特に『学歴のない犬(上・下)』は作家生活後半で、もっとも優れた長編になると思います。

1990年(平成2年)~1992年(平成4年)に刊行された本

1990年(平成2年)
『呪医 ウィッチ・ドクター』『魔物』『涯の鷲』『矛盾の壁を超えた男』『蟹の目(短編集)』

1991年(平成3年)
『凩の犬』『呪いの鯱』

1992年(平成4年)
『消えた島』『魔獣(短編集)』『鬼の都』『ここ過ぎて滅びぬ』

1990年代に上梓された本を92年分までひとまとめにしてしまいましたが、これには理由があります。
90年代に入ると、思わず首を捻ってしまう作品が増えます。

着想は、さすが西村寿行だなと思わせるのですが、内容にまとまりがなく支離滅裂と感じられるものになってきます。
鯱シリーズの『呪いの鯱』は週刊現代に連載されていますし、その他の作品も雑誌連載・掲載作がほとんどですが、雑誌を読むと他の小説家と比べて浮いている印象を受けざるを得ないのです。

1989年12月、徳間書店では文芸書籍編集部の求人の応募して、中途入社した芝田暁氏が西村寿行の担当編集者になっています。
芝田氏の著書『共犯者 -編集者のたくらみ- 』には、西村寿行番編集者の大変さが綴られています。

第一に、徳間書店が文芸書籍編集部の求人を出した理由は、西村寿行の担当編集者が、あまりの大変さに逃げ出してしまい、先輩編集者たちも敬遠しており、やむを得ず、新たに中途採用で担当編集者を補おうとしたからでした。

その大変さはハンパなものではありませんが、初めて、西村寿行に受け入れられたときの喜びも書かれています。
最初、付き合うのには我慢と時間がかかりますが、一度信頼関係を築けると「ホントに仕方のない人だな」と思いながらも惹きつけられてしまう。
そんな人間的魅力が西村寿行にはありました。

それが、第一線から退いた1990年代にも小説連載の仕事が続いた理由ではないでしょうか。

しかし、この頃、作品の雑誌連載・掲載時の煽り文句も〝不条理〟〝奇想〟〝奇作〟と付けられており、どうにも編集者が扱いに困りだしているのが目に浮かんでしまうのです。

また、1990年度分を最後に長者番付作家部門からも姿を消します。

ですが、この時期になっても、西村寿行の新作は単行本(ハードカバー)で初版5万部。
ノベルスもで初版で5万部が刷られていました。

当時税務署で公示されていた高額納税者と納税額を集計した資料をみると、1991年以降も数年間、年間1,000万円以上を納税していたことがわかります。

〝西村寿行 指〟や〝西村寿行 ポキポキ〟に対する反論

さて、ここからは余談になりますが、ネットで〝西村寿行〟と検索すると、〝西村寿行 指〟や〝西村寿行 ポキポキ〟という検索がされているのに気がつきます。
どうやら、『「金を払うから女性に指を折らせてくれ」と西村寿行が言った』というもののようです。
なかには、〝西○○行〟と卑怯な書き方をしているところもあります。

これに関しては、私は強く否定します。

西村寿行の小説やエッセイを読み、その考え方や人となりを知ると、とてもではないですが、そういう人物だったとは思えないのです。

〝ホステスに対して言った〟〝風俗関係の女性に対して言った〟という文章もネットに上がっていますが、確かな情報ソースがあるわけではなく、大変に無責任で西村寿行の名誉を毀損する書き込みだと思います。

銀座など女性のいるクラブやラウンジを西村は嫌いました。
大流行作家となっても、足を向けることはありませんでした。
これらは西村寿行のエッセイや、その執筆活動をささえた編集者たちの思い出話の中に出て来ます。

また、女性関係でも、長年秘書としてもそれ以上の関係としても作家生活を支えた女性がいること。
一時期は女優と交際したこと。
どこのソープランドへ編集者と連れだって行くことなど、神秘的なイメージを持ちたい作家なら絶対に公言しないことも、「別に隠すことでもなんでもないじゃねえか」というふうに、堂々とあっけらかんとインタビューで答えています。

こういう人物にそのような噂自体そぐわないと思います。

喜怒哀楽が激しい寂しがり屋で、お山の大将気質。
酔いに任せた部分もあったのでしょうが、夜に宴会をしているときには、北海道から九州まで方々へ電話を掛けまくり1日の電話代が2万円に及ぶこともありました。
自身が飲むのは、売れっ子作家となって、年収が毎年3億円になっても、ビールとバーボンウイスキー・アーリータイムズ。
酒が大好きで、気心の知れた仲間と宴会をするのが大好き。

小説家として一番忙しく、そして輝きを放っていた時期には、渋谷区代々木のマンション最上階に構えた仕事場での執筆が終わる18時頃から、各社の担当編集者が西村の元にアーリータイムズ持参で集まり、毎夜、打ち合わせを兼ねた飲み会を開き、週末になると、編集者たちと『雑木の会』という宴会を開いてもいました。

晩年になって、小説の執筆を完全にストップさせてからも、多摩市連光寺の自邸で宴を催した折りには、長年の戦友とも呼べる旧知の編集者だけではなく出入りの庭師なども呼び、かつて〝海賊料理〟と称した活魚料理店の経営者兼板前だった経験を生かして、自ら客に料理を振る舞いました。
宴の主役はいつも大好物の蟹でした。慣れた手つきで蟹を調理しては、客に蟹の身肉を存分に味わってもらい、蟹雑炊で締めるという何とも贅沢な時間を西村寿行自らが提供していたのです。

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私は、西村寿行という人物についてこう思います。
自分からは進んで徒党を組もうとはしない孤高の人。
でも、縁あって知り合い、気心の知れた人を大切にしたのが、西村寿行という人間だったと思います。

⇒現在、アマゾンのKindleでは電子書籍のキャンペーン実施中で、西村寿行作品が270円から読めます。

話が横道に逸れました。

⇒そして、1993年(平成5年)を迎えます。その6に続きます。

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その6