印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1996年分~2004年分)
はる坊です。
個人情報保護の為、2005年(平成17年)以降は、発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年(平成16)分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。
ここでは1996年(平成8年)から2004年(平成16年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。
毎年のベスト20までを列挙しています。
ソースは、当時の新聞報道・各年の『全国高額納税者名簿』(東京商工リサーチ刊)によるものです。
1996年分~1998年分の所得税率について
課税所得330万円以下・・・10%
課税所得330万円超~900万円以下・・・20%
課税所得900万円超~1800万円以下・・・30%
課税所得1800万円超~3000万円・・・40%
課税所得3000万円超・・・50%
参考までに、1996年分~1998年分の住民税の税率です。
課税所得200万円以下・・・5%
課税所得200万円超~700万円以下・・・10%
課税所得700万円超・・・15%
それでは、長者番付・作家部門(1996年分~2004年分)です
1996年(平成8年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1位 内田康夫 1億4657万円
2位 西村京太郎 1億3351万円
3位 森村誠一 8222万円
4位 神坂一 8010万円
5位 津本陽 7450万円
6位 渡辺淳一 7327万円
7位 田中芳樹 6568万円
8位 椎名誠 6199万円
9位 石原慎太郎 6096万円
10位 斎藤栄 5933万円
11位 宮部みゆき 5291万円
12位 菊地秀行 5017万円
13位 五木寛之 4960万円
14位 群ようこ 4112万円
15位 童門冬二 3976万円
16位 宮本輝 3973万円
17位 荒巻義雄 3860万円
18位 赤川次郎 3805万円
19位 平岩弓枝 3795万円
20位 宮城谷昌光 3696万円
※赤川次郎首位陥落の理由
13年連続で長者番付・作家部門の1位を守り続けた赤川次郎氏が一気に18位まで順位を下げたのは、バブル期に購入した自宅兼仕事場の売却損で、作家活動による印税・原稿料・著作権収入と売却損が相殺された為。
収入は例年と同様の額があったとのこと。
※司馬遼太郎の遺産評価額
1997年2月、1996年2月に逝去した司馬遼太郎氏の遺産評価額が管内税務署にて公示されました。
遺産額は約26億4000万円。
約20億1000万円が銀行等金融機関への預貯金。
約3億9000万円が著作権。
約2億4000万円が自宅の土地建物でした。
1997年(平成9年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1位 赤川次郎 2億7760万円
2位 渡辺淳一 2億2675万円
3位 西村京太郎 2億1257万円
4位 内田康夫 2億0827万円
5位 村上春樹 9244万円
6位 浅田次郎 9187万円
7位 森村誠一 8611万円
8位 林真理子 6980万円
9位 宮部みゆき 6942万円
10位 津本陽 6752万円
11位 神坂一 6336万円
12位 菊地秀行 5817万円
13位 群ようこ 5298万円
14位 斎藤栄 5147万円
15位 星野富弘 5103万円
16位 田中芳樹 4981万円
17位 平岩弓枝 4632万円
18位 髙村薫 4439万円
19位 椎名誠 4293万円
20位 大沢在昌 4247万円
落合信彦 3311万円
1998年(平成10年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1位 西村京太郎 2億5196万円
2位 赤川次郎 1億9087万円
3位 鈴木光司 1億4207万円
4位 宮部みゆき 1億1679万円
5位 内田康夫 1億0594万円
6位 浅田次郎 1億0474万円
7位 五木寛之 7780万円
8位 森村誠一 7128万円
9位 宮城谷昌光 6738万円
10位 神坂一 5612万円
11位 菊地秀行 5495万円
12位 群ようこ 5357万円
13位 渡辺淳一 4998万円
14位 星野富弘 4962万円
15位 椎名誠 4927万円
16位 落合信彦 4687万円
17位 馳星周 4412万円
18位 斎藤栄 4399万円
19位 田中芳樹 4385万円
20位 筒井康隆 4220万円
北方謙三 3905万円
河合隼雄 3563万円
林真理子 3211万円
平岩弓枝 1974万円
1999年分以降は、所得税率が過去最低にダウン
1998年(平成10年)分までは、最高税率が所得税50%+住民税15%でしたが、
所得税率は最高で37%までダウンしました。
そのせいか、下記に挙げる作家の納税額も前年までに比べて減少していますが、2000年に入ると出版不況が深刻化して、作家の収入自体が減少していく様子が分かります。
1990年代初頭では、年収1億円あったとしてもランキングのベスト20に入れるかどうかでしたが、2000年分以降では、ベストテンに入れる年収になっています。
それほど、本が売れずに印税収入が細ってきている模様もうかがえます。
2006年分まで使用された所得税率表は下記のとおりです。
課税所得330万円以下・・・・・・・・・・・10%
課税所得330万円超~900万円・・・・20%
課税所得900万円超~1800万円・・・30%
課税所得1800万円超・・・・・・・・・・・・・37%
参考までに、2006年分まで使用された住民税税率表は下記のとおりです。
課税所得200万円以下・・・5%
課税所得200万円超~700万円以下・・・10%
課税所得700万円超・・・13%
1998年分までに比べると最高税率が大幅に下がりました。
1998年分まで、所得税50%+住民税15%=最高税率65%
1999年分から、所得税37%+住民税10%=最高税率47%
1999年(平成11年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1位 西村京太郎 1億6519万円
2位 内田康夫 1億3929万円
3位 宮部みゆき 1億1492万円
4位 鈴木光司 7656万円
5位 浅田次郎 7315万円
6位 五木寛之 6320万円
7位 森村誠一 6199万円
8位 桐生操(堤幸子) 5640万円
9位 桐生操(上田加代子) 5610万円
10位 星野富弘 5246万円
11位 村上春樹 4664万円
12位 津本陽 4329万円
13位 赤瀬川源平 4015万円
14位 山崎豊子 3940万円
15位 東野圭吾 3803万円
16位 菊地秀行 3777万円
17位 天童荒太 3718万円
18位 桐野夏生 3355万円
19位 京極夏彦 3300万円
20位 神坂一 3282万円
21位以下で公示された作家
林真理子 2719万円
平岩弓枝 2174万円
馳星周 1412万円
2000年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1位 西村京太郎 1億5603万円
2位 赤川次郎 1億1108万円
3位 宮部みゆき 7873万円
4位 山崎豊子 7559万円
5位 内田康夫 7265万円
6位 浅田次郎 6758万円
7位 五木寛之 6468万円
8位 天童荒太 6465万円
9位 真保裕一 4153万円
10位 北方謙三 3956万円
11位 菊地秀行 3886万円
12位 夢枕獏 3591万円
13位 江國香織 3412万円
14位 阿川佐和子 3227万円
15位 落合信彦 3188万円
16位 津本陽 3176万円
17位 星野富弘 3108万円
18位 森村誠一 2887万円
19位 東野圭吾 2878万円
20位 林真理子 2746万円
21位以下で公示された作家
山口洋子 2624万円
森博嗣 2392万円
大沢在昌 2223万円
渡辺淳一 1932万円
柳美里 1891万円
宮尾登美子 1724万円
曽野綾子 1714万円
花村萬月 1332万円
平岩弓枝 1116万円
2001年(平成12年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1位 西村京太郎 1億5946万円
2位 宮部みゆき 1億4566万円
3位 赤川次郎 8648万円
4位 内田康夫 7743万円
5位 浅田次郎 6633万円
6位 夢枕獏 5960万円
7位 江國香織 4331万円
8位
はる坊です。 個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。 ここでは1989年(平成元年)から1995年(平成7年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。 この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。 個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。 ここでは1989年(平成元年)から1995年(平成7年)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。 この時代、新刊の小説本が売れた最後の時期にあたっており、作家には印税収入を主として、まだ大きな収入がありました。 1位 赤川次郎 4億6173万円 2位 西村京太郎 2億6262万円 3位 吉本ばなな 2億3699万円 4位 村上春樹 1億5111万円 5位 司馬遼太郎 1億4012万円 6位 池波正太郎 1億0920万円 7位 西村寿行 9508万円 8位 菊地秀行 8208万円 9位 渡辺淳一 7829万円 10位 藤島泰輔 7197万円 11位 藤川桂介 7190万円 12位 笹沢左保 6656万円 13位 遠藤周作 6637万円 14位 山村美紗 6485万円 15位 斎藤栄 6011万円 16位 内田康夫 5759万円 17位 森村誠一 5718万円 18位 椎名誠 5671万円 19位 胡桃沢耕史 5526万円 20位 田中芳樹 5103万円 ※10位にランクインしている藤島泰輔は、作家・評論家として活動。学習院時代の学友だった明仁天皇(上皇明仁)をモデルにした『孤獨の人』で衝撃的なデビューを果たす。 1位 赤川次郎 3億7980万円 2位 西村京太郎 2億4497万円 3位 司馬遼太郎 1億1140万円 4位 松本清張 8736万円 5位 菊地秀行 8622万円 6位 西村寿行 8185万円 7位 田中芳樹 7944万円 8位 内田康夫 7927万円 9位 渡辺淳一 7572万円 10位 斎藤栄 7266万円 11位 門田泰明 6705万円 12位 笹沢左保 6618万円 13位 山村美紗 6578万円 14位 遠藤周作 6239万円 15位 椎名誠 6127万円 16位 落合信彦 5929万円 17位 森村誠一 5801万円 18位 藤島泰輔 5760万円 19位 村上春樹 5890万円 20位 田辺聖子 5404万円 ※20位圏外で登場した作家 北方謙三 3716万円 森瑤子 3095万円 大藪春彦 2890万円 柳田邦男 2081万円 草柳大蔵 1709万円 1位 赤川次郎 3億5512万円 2位 西村京太郎 2億5489万円 3位 内田康夫 1億7140万円 4位 司馬遼太郎 9101万円 5位 椎名誠 8577万円 6位 山村美紗 8404万円 7位 菊地秀行 8325万円 8位 遠藤周作 8171万円 9位 落合信彦 7378万円 10位 笹沢左保 7290万円 11位 渡辺淳一 6643万円 12位 田中芳樹 6508万円 13位 森村誠一 6414万円 14位 斎藤栄 6003万円 15位 山崎豊子 5315万円 16位 橋本治 5294万円 17位 門田泰明 5062万円 18位 陳舜臣 4933万円 19位 豊田行二 4794万円 20位 松本清張 4393万円 ※20位圏外で登場した作家 西村寿行 3873万円 森瑤子 3737万円 大藪春彦 3692万円 北方謙三 3584万円 夢枕獏 2875万円 草柳大蔵 2078万円 柳田邦男 1602万円 1位 赤川次郎 3億5093万円 2位 西村京太郎 2億3698万円 3位 内田康夫 1億8649万円 4位 司馬遼太郎 1億1944万円 5位 菊地秀行 7890万円 6位 田中芳樹 7650万円 7位 渡辺淳一 7318万円 8位 山村美紗 7261万円 9位 豊田行二 7187万円 10位 辺見じゅん 7155万円 11位 森村誠一 6530万円 12位 斎藤栄 5902万円 13位 椎名誠 5728万円 14位 荒巻義雄 5486万円 15位 落合信彦 5244万円 16位 津本陽 5233万円 17位 門田泰明 4846万円 18位 笹沢左保 4822万円 19位 平岩弓枝 4720万円 20位 宮本輝 4673万円 ※20位圏外では、 西村寿行が納税額4098万円 夢枕獏が納税額2000万円 佐木隆三が納税額1127万円で登場している。 1位 赤川次郎 3億2209万円 2位 西村京太郎 2億2168万円 3位 内田康夫 1億7412万円 4位 司馬遼太郎 9969万円 5位 山村美紗 8624万円 6位 津本陽 7765万円 7位 森村誠一 7689万円 8位 荒巻義雄 7680万円 9位 菊地秀行 6970万円 10位 斎藤栄 6650万円 11位 宮尾登美子 6384万円 12位 藤沢周平 6351万円 13位 椎名誠 6050万円 14位 童門冬二 5686万円 15位 渡辺淳一 5365万円 16位 志茂田景樹 5272万円 17位 豊田行二 5224万円 18位 遠藤周作 5029万円 19位 平岩弓枝 4979万円 20位 門田泰明 4777万円 1位 赤川次郎 3億2209万円 2位 西村京太郎 2億2500万円 3位 内田康夫 1億7700万円 4位 司馬遼太郎 1億0287万円 5位 森村誠一 8864万円 6位 斎藤栄 7957万円 7位 菊地秀行 7586万円 8位 荒巻義雄 6786万円 9位 椎名誠 6694万円 10位 津本陽 6449万円 11位 山村美紗 5991万円 12位 藤沢周平 5986万円 13位
はる坊です。 個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。 ここでは1984年(昭和59年)から1988年(昭和63)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。各年のベスト20までを列挙しています。 この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。 記事の一番下に、当時の所得税率・住民税率を記載しておりますので、ご興味のある方はご覧ください。 それでは長者番付・作家部門(1984年分~1988年分)です
1位 赤川次郎 6億3836万円 2位 西村京太郎 1億8276万円 3位 司馬遼太郎 1億7432万円 4位 松本清張 1億7240万円 5位 西村寿行 1億5615万円 6位 渡辺淳一 1億0481万円 7位 笹沢左保 9941万円 8位 森村誠一 8300万円 9位 平岩弓枝 8157万円 10位 片岡義男 8064万円 11位 池波正太郎 7429万円 13位 田辺聖子 7104万円 14位 筒井康隆 6714万円 15位 斎藤栄 6251万円 16位 夏樹静子 5884万円 17位 遠藤周作 4774万円 18位 柳田邦男 4521万円 19位 大藪春彦 4316万円 20位 和久俊三 4251万円 1位 赤川次郎 7億5709万円 2位 西村京太郎 2億4789万円 3位 池波正太郎 1億9872万円 4位 松本清張 1億4105万円 5位 西村寿行 1億3745万円 6位 司馬遼太郎 1億2567万円 8位 渡辺淳一 9333万円 9位 森村誠一 8665万円 10位 笹沢左保 8061万円 11位 平岩弓枝 6712万円 12位 斎藤栄 6459万円 13位 田辺聖子 6059万円 14位 夢枕獏 5971万円 15位 遠藤周作 5560万円 16位 大藪春彦 5131万円 17位 和久俊三 5073万円 18位 高城肇 5007万円 19位 平井和正 4355万円 20位 胡桃沢耕史 4300万円 21位以下 菊地秀行 3981万円 1位 赤川次郎 8億6100万円 2位 西村京太郎 2億9662万円 3位 司馬遼太郎 1億4368万円 4位 渡辺淳一 1億4036万円 5位 西村寿行 1億1809万円 6位 松本清張 1億0914万円 7位 遠藤周作 1億0621万円 8位 菊地秀行 1億0458万円 ⇒菊地秀行の生誕から爆発的な人気を得る1980年代後半に至る軌跡をまとめた記事はこちらです。魔界都市〈新宿〉の創世主・ライトノベルの始祖 菊地秀行 第1回~第4回』(新しいタブが開きます) 10位 池波正太郎 9919万円 11位 畑正憲 8904万円 12位 田辺聖子 7290万円 13位 笹沢左保 6774万円 14位 夢枕獏 6769万円 15位 胡桃沢耕史 6664万円 16位 斎藤栄 6452万円 17位 平岩弓枝 6064万円 18位 井上ひさし 6006万円 19位 山村美紗 5781万円 20位 森村誠一 5370万円 1位 赤川次郎 6億4860万円 2位 西村京太郎 2億8468万円 3位 司馬遼太郎 1億4980万円 4位 西村寿行 1億3190万円 5位 池波正太郎 1億0257万円 6位 菊地秀行 9533万円 7位 田辺聖子 9531万円 8位 渡辺淳一 9331万円 9位 松本清張 8866万円 11位 山村美紗 7536万円 12位 遠藤周作 7080万円 13位 胡桃沢耕史 6404万円 14位 椎名誠 6390万円 15位 安部譲二 6255万円 16位 笹沢左保 6157万円 17位 斎藤栄 6111万円 18位 森村誠一 6060万円 19位 新井素子 5576万円 20位 平岩弓枝 5482万円 1位 赤川次郎 5億8233万円 2位 西村京太郎 2億8833万円 3位 村上春樹 2億5369万円 4位 池波正太郎 1億3898万円 5位 西村寿行 1億0072万円 6位 司馬遼太郎 9920万円 7位 菊地秀行 8673万円 8位 松本清張 7903万円 9位 山村美紗 7376万円 10位 斎藤栄 7018万円 11位 平岩弓枝 6957万円 12位 遠藤周作 6931万円 13位 田辺聖子 6711万円 14位 笹沢左保 6237万円 15位 藤川桂介 6235万円 16位 渡辺淳一 6079万円 17位 藤島泰輔 5918万円 18位 椎名誠 5913万円 19位 門田泰明 5871万円 20位 森村誠一 5598万円 最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。 何かございましたら、こちらまでお願いいたします。 はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます) なんと15分類に分かれていました 課税所得50万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5% 課税所得50万円超~120万円以下・・・・・・12% 課税所得120万円超~200万円以下・・・・・14% 課税所得200万円超~300万円以下・・・・・17% 課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21% 課税所得400万円超~600万円以下・・・・・25% 課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30% 課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35% 課税所得1000万円超~1200万円以下・・・40% 課税所得1200万円超~1500万円以下・・・45% 課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50% 課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55% 課税所得3000万円超~5000万円以下・・・60% 課税所得5000万円超~8000万円以下・・・65% 課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・70% まだ、12分類に分かれていました。 課税所得150万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・10.5% 課税所得150万円超~200万円以下・・・・・12% 課税所得200万円超~300万円以下・・・・・16% 課税所得300万円超~500万円以下・・・・・20% 課税所得500万円超~600万円以下・・・・・25% 課税所得600万円超~800万円以下・・・・・30% 課税所得800万円超~1000万円以下・・・・35% 課税所得600万円超~1000万円以下・・・・40% 課税所得1000万円超~2000万円以下・・・45% 課税所得600万円超~1000万円以下・・・・50% 課税所得1000万円超~2000万円以下・・・55% 課税所得2000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60% やっと6分類まで減りました。 課税所得300万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・10% 課税所得300万円超~600万円以下・・・・・20% 課税所得600万円超~1000万円以下・・・・30% 課税所得1000万円超~2000万円以下・・・40% 課税所得2000万円超~5000万円以下・・・50% 課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・60% 1980年分から使用されていました。 課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・4% 課税所得30万円超~45万円以下・・・・・・・5% 課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・6% 課税所得70万円超~100万円以下・・・・・・7% 課税所得100万円超~130万円以下・・・・・8% 課税所得130万円超~150万円以下・・・・・9% 課税所得150万円超~230万円以下・・・・・11% 課税所得230万円超~370万円以下・・・・・12% 課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13% 課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14% 課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15% 課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16% 課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17% 課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・18% よって、1984年分の所得税と住民税の最高税率は驚異の88%でした。 同じく14分類に分かれていました 課税所得20万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4.5% 課税所得20万円超~45万円以下・・・・・・・・5% 課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・・6% 課税所得70万円超~95万円以下・・・・・・・・7% 課税所得95万円超~120万円以下・・・・・・・8% 課税所得120万円超~150万円以下・・・・・・9% 課税所得150万円超~220万円以下・・・・・11% 課税所得220万円超~370万円以下・・・・・12% 課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13% 課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14% 課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15% 課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16% 課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17% 課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18% 1987年分の所得税と住民税の最高税率は、所得税の最高税率が10%下がったため78%でした。 所得税と同じく7分類に簡略化されました 課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5% 課税所得60万円超~130万円以下・・・・・・・7% 課税所得130万円超~260万円以下・・・・・10% 課税所得260万円超~460万円以下・・・・・12% 課税所得460万円超~950万円以下・・・・・14% 課税所得950万円超~1900万円以・・・・・・15% 課税所得1900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・16% 1988年分の所得税と住民税の最高税率は、住民税の最高税率が2%下がったため76%でした。 本当の最後まで読んでくださって、心より御礼申し上げます。 復刊ドットコム 本好きの皆さんから寄せられた復刊リクエストを元に、2000年のサイトオープン以来、独自の復刊活動を20年にわたり続けて来られました。 これまでに55万人の会員様から55,000タイトル・85万票のリクエストが寄せられ、およそ6,000タイトルが復刊されています。 実際に復刊が実現した作品は、自社のサイトを通じて一般販売を行っています。 近年は、復刊本のみならず、 過去に復刊が実現した本の関連書籍(新刊を含む)の販売も積極的に展開して、 レア本・限定本・懐かしの本・コミックなどを満載したセレクトショップ的なネット書店を運営されています。 個人情報保護の為、2005年で発表が廃止された高額納税者(長者番付)の発表ですが、2004年分までは毎年5月に世間の注目を集めたものでした。 ここでは1974年(昭和49年)から1983年(昭和58)年分の長者番付・作家部門に名を連ねた方々を見ていきます。 ちなみに、1982年分(昭和57年)までは納税額ではなく申告所得額が発表されていました。 1981年分(昭和56年)までは、ベスト10。1982年分(昭和57年)以降はベスト20までを列挙しています。 1983年度(昭和58年)からは、発表されるのが申告所得額から所得税納税額に変更されています。 ソースは、当時の新聞報道によるものです。 申告所得額とは? この申告所得に下の所得税率が掛かるのです。 1974年分~1983年分の所得税率は、過去・現在に至るまで日本の所得税率の推移を見た上で、最も税率が厳しかった時代です。下の税率表をご覧になっていただくと、国税ではなく“酷税”と呼ばれていたことがご理解いただけるかと思います。 なんと19分類に分かれていました。 課税所得60万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・10% 参考までに、1974年分~1979年分の住民税の税率です。 1973年分から使用されていましたが、細かく13分類に分かれていました。 課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4% 1984年分まで使用されていました。さらに細かく14分類に分かれていました。 よって、1980年分~1983年分の所得税と住民税の最高税率は、驚異の88%でした。 1位 松本清張 3億0959万円 2位 司馬遼太郎 2億1463万円 3位 五木寛之 2億1226万円 4位 遠藤周作 1億8637万円 5位 石川達三 1億0710万円 6位 山岡荘八 1億0283万円 7位 宇能鴻一郎 9712万円 8位 北杜夫 8803万円 9位 川上宗薫 8488万円 10位 花登筺 8023万円 1位 松本清張 3億0027万円 2位 司馬遼太郎 2億3512万円 3位 五木寛之 2億2587万円 4位 石川達三 1億3422万円 5位 遠藤周作 1億3403万円 6位 横溝正史 1億1547万円 7位 有吉佐和子 1億1474万円 8位 山岡荘八 1億1259万円 9位 宇能鴻一郎 1億0656万円 10位 井上ひさし 9484万円 1位 松本清張 3億3461万円 2位 司馬遼太郎 3億3032万円 3位 横溝正史 3億3825万円 4位 五木寛之 1億4125万円 5位 森村誠一 1億1042万円 6位 城山三郎 1億0654万円 7位 宇能鴻一郎 1億0477万円 8位 石川達三 1億0237万円 9位 遠藤周作 9947万円 10位 高木彬光 8799万円 1位 森村誠一 6億2264万円 2位 横溝正史 4億0416万円 3位 松本清張 3億0545万円 4位 司馬遼太郎 2億1785万円 5位 新田次郎 1億7766万円 6位 五木寛之 1億5034万円 7位 城山三郎 1億2768万円 8位 梶原一騎 1億1504万円 9位 高木彬光 1億0564万円 10位 池波正太郎 1億0470万円 1位 森村誠一 4億3139万円 2位 松本清張 3億1856万円 3位 西村寿行 2億3487万円 4位 司馬遼太郎 1億8863万円 5位 五木寛之 1億7058万円 6位 横溝正史 1億6815万円 7位 新田次郎 1億5140万円 8位 有吉佐和子 1億4812万円 9位 池波正太郎 1億3878万円 10位 梶原一騎 1億3240万円 1位 西村寿行 2億6932万円 2位 大藪春彦 2億3452万円 3位 五木寛之 2億2013万円 4位 高木彬光 1億9313万円 5位 松本清張 1億7942万円 6位 司馬遼太郎 1億7085万円 7位 池波正太郎 1億5487万円 8位 横溝正史 1億5360万円 9位 花登筺 1億5085万円 10位 半村良 1億4451万円 1位 司馬遼太郎 3億0102万円 2位 五木寛之 2億7570万円 3位 西村寿行 2億5017万円 4位 松本清張 2億4733万円 5位 大藪春彦 2億0029万円 6位 井上靖 1億6792万円 7位 森村誠一 1億4427万円 8位 遠藤周作 1億2251万円 9位 池波正太郎 1億1704万円 10位 小松左京 1億1435万円 1位 司馬遼太郎 2億9193万円 2位 石坂洋次郎 2億1670万円 3位 西村寿行 1億8746万円 4位 松本清張 1億7853万円 5位 横溝正史 1億4582万円(発表時故人) 6位 五木寛之 1億4264万円 7位 森村誠一 1億4254万円 8位 勝目梓 1億4065万円 9位 笹沢左保 1億3832万円 10位 遠藤周作 1億2961万円 電子書籍ではなく、紙の本を手元に置いてじっくり読まれたい方は新品も中古本も揃っている通販がオススメです。 1位 松本清張 3億1489万円 2位 赤川次郎 2億7041万円 3位 西村寿行 2億5946万円 4位 司馬遼太郎 2億5731万円 5位 森村誠一 2億4362万円 6位 笹沢左保 1億7016万円 7位 渡辺淳一 1億4707万円 8位 大藪春彦 1億3650万円 9位 池波正太郎 1億1935万円 10位 井上ひさし 1億1861万円 11位 平岩弓枝 1億1492万円 12位 田辺聖子 1億0886万円 13位 西村京太郎 1億0720万円 14位 黒岩重吾 1億0158万円 15位 遠藤周作 1億0131万円 16位 筒井康隆 9823万円 17位 五木寛之 9800万円 18位 梅原猛 9545万円 19位 井上靖 9295万円 20位 平井和正 9003万円 1983年(昭和58年)分所得税納税額 2位 松本清張 1億9201万円 3位 司馬遼太郎 1億5360万円 4位 西村寿行 1億2588万円 5位 西村京太郎 1億0969万円 6位 笹沢左保 1億0733万円 7位 渡辺淳一 1億0117万円 8位 平岩弓枝 9085万円 9位 池波正太郎 8353万円 10位 筒井康隆 8005万円 11位 森村誠一 7933万円 12位 田辺聖子 6815万円 13位 勝目梓 6167万円 14位 大藪春彦 6043万円 15位 平井和正 5800万円 16位 中島梓(栗本薫) 5155万円 17位 和久俊三 5149万円 18位 斎藤栄 5100万円 19位 三浦綾子 5085万円 20位 遠藤周作 5026万円 ※2022年1月22日加筆修正をおこないました。 はる坊です。 1990年代以降の西村寿行と、その晩年について綴っていきます。 世間はバブル景気崩壊により長い不況のトンネルに入っていた1993年。 62歳となっていた西村寿行は執筆意欲も薄くなり、代々木の仕事場で過ごす時間は多かったものの、この年には、『幻獣の森』『魔性の岩鷹』の2冊のみが発行されています。 そして、5月31日。 西村寿行は重大な宣告を受けることになります。 西村が体調の異変に気付いたのは、その1、2ヶ月前のことです。 喉にチクッチクッと痛みを感じるようになったのです。最初は、魚の小骨が喉に刺さったと思ったようです。 体調の異変を感じ始めた西村は、いつからか、かかりつけとなった、西新宿の会員制クリニックに赴いて、内視鏡検査を受けます。 そして、1週間後、仕事場にほど近い大学附属病院で、飲み友達になっていた医師から電話が掛かってきました。 しかし、病院で待っていたのは、残酷な宣告でした。 医師は西村の身体が癌に蝕まれていることを告げられます。 「ほっておいたら、どうなります?」と訊ねた西村に医師は、 と医師に告げます。 西村は混乱しながらも入院を決意します。 病院は自宅からも比較的近い場所にありましたが、西村はただ独りの時間を過ごします。 見舞い・面会は不要。 家族も一人娘が手続きに来たときに、立ち寄っただけでした。 家族仲が悪かったわけではありません。 そして、家族も西村の気性を理解していました。 出版関係では、ただひとり、徳間書店の編集者に電話連絡をするのみでした。 大学付属病院の院長が主治医となり、ガン治療を33回の放射線照射でおこなうことに決定します。 毎朝、早くにおこなわれる数分の放射線治療が終わると、西村は病院を抜け出します。 (病院では死にたくない)と決意した彼は身体を鍛える為に、山歩きに没頭します。 しかし、最初に向かったのは庶民の山岳信仰で知られる大山でした。 やはり、ガン=死という幻影が、西村を大山へ駆り立てたのではないかと思います。 毎日のように丹沢山系を歩いたおかげで、西村の足腰はすっかり丈夫になります。 元々、作家になる前は、狩猟に生きていた時期もあり、山歩きをしていた西村ですが、このときの山歩きは、また別の思いを持ちながら歩を進めて行ったと思います。 下咽頭癌治療は手術こそしないものの辛いものとなり、放射線照射で放射線による火傷が頸部全体に広がり、内部までもが爛れました。 西村はネルシャツにジーンズ、そして首回りにスカーフを巻くというファッションを好みました。 喉麻酔をしなくては、食事が採れない状態になりましたが、33回の照射治療でがん細胞は西村寿行の身体から消えました。 しかし、退院した西村寿行を待っていたのは、痛恨の出来事でした。 入院して2週間は誰にも会いませんでしたが、考えをあらためて信頼していた徳間書店と光文社の担当編集者と丹沢の温泉旅館で食事をします。 温泉旅館での席で、西村は旧知の週刊誌記者が胃癌で入院したことを知らされます。 その記者は、西村が孤北丸という名のサロン・クルーザーを所有していたとき、キャプテンを務めた人物でした。 西村寿行が所有していたサロンクルーザー・孤北丸については、徳間文庫版『雲の城』の巻末に『サロン・クルーザー』というエッセイが掲載されています。amazon kindleやDMM電子版でも読めます。 自らのガン治療を終えて退院した西村は、早速タクシーを飛ばして彼の元へ向かいました。 記者の死の3週間前に、彼の妻が西村担当の編集者とともに、西村の元へ訪れます。 そして、 「しっかりとした病院へ移りたい」 と本人が言っていると聞かされます。 最初に行った病院では胃潰瘍と診断されたこと、現在入院している病院では、医師は何もしてくれないという、訴えも聞かされることになります。 しかし、すべては遅すぎました。 「俺が入院するとき、誰にも会わないと言わなければ・・・」 災難は更に降りかかります。 ガン治療と右手首の粉砕骨折での入院。 これらのことが、西村寿行を執筆から更に遠ざけた気がしてなりません。 かつての勢いをなくし、酒に耽溺する時間の増えた西村から離れる編集者もいました。 それでも、かつての西村を知る編集者は、雑誌連載や短編掲載で、西村を盛りたてようとします。 1994年『深い眸(中編集)』(光文社)(小説宝石掲載) 1995年『幻覚の鯱―神軍の章』(講談社) 1995年『世にも不幸な男の物語(短編集)』(徳間書店)(問題小説掲載) 1995年『デビルズ・アイランド』(角川書店) 1996年『大厄病神』 1997年『鷲』(徳間書店) 1998年『牡牛の渓(短編集)』(光文社)(小説宝石掲載) 1998年『幻覚の鯱―天翔の章』(講談社)(小説現代増刊 メフィスト連載) 2000年『月を撃つ男』(光文社)(小説宝石 1999年4月号~9月号連載) 2001年『碇の男(短編集)』(徳間書店)(問題小説掲載) まだ、小説現代の臨時増刊号という位置づけで、誌面の性格が決まっていなかったことも影響していたでしょうが、『幻覚の鯱―神軍の章』が、『メフィスト』に連載されていたのは少し意外な気がします。 このほかに、短編集や中編集を違うタイトルで二次出版化されたものもありますが、それらは省きました。 1994年~2001年までに刊行された本は、ピーク時なら1年で刊行していた冊数です。 そして、2000年10月に同誌に掲載された短編『刑事』(『碇の男』に収録)を最後に西村寿行の新作小説が発表されることはありませんでした。 西村は晩年、家族を自宅とは別にマンションに住まわせ、西村とボスと名付けた一頭の紀州犬と邸宅に籠もり、週末だけ家族と食事を共にする生活となりました。 『犬族からの通信』という近況報告を兼ねたエッセイが、2001年から徳間書店の小説誌『問題小説』に連載されていた時期もありますが、いつのまにかそれもなくなり、死の数年前に執筆していたという、自らの半生記もついに公に発表されることはありませんでした。 体調を損ねながらもアルコールの量は減ることなく、一人娘が注意しても聞き入れませんでした。 西村曰く、 〝俺はアルコールと妄想と幻覚で生きていたんだ〟。 そして、2007年8月23日朝。 死因は肝不全。 徳間書店発行の『問題小説』では、【追悼・西村寿行】と題して、出世作となった『君よ憤怒の河を渉れ』が全編再掲載されました。 通夜と告別式は近親者のみでひっそりとおこなわれました。 西村は自他共に認める〝晴れ男〟でした。 この会が執り行われてから、『遺言状』の全文が光文社発行の『小説宝石』に掲載されました。 〝愉しかった人生に御礼申し上げます〟から始まるこの遺言状は、独特の死生観を綴った後に、こう締めくくられていました。 〝ぼくの死は誰にもいうな。死を発表するほどおろかしいことはない。 70代を迎えて、小説を書くことからは遠ざかっていましたが、西村寿行らしい文章は最後まで健在でした。 お別れ会の祭壇には、毛蟹を調理する73歳の西村の写真が飾られ、最も愛した酒であるアーリー・タイムズが供えられました。 西村の逝去後も、代表作品の文庫は新装版として刊行され続けています。 そして、逝去から10年が経った2017年には、1976年に公開された『君よ憤怒の河を渉れ』のリメイク作『マンハント』が、ジョン・ウー監督 チャン・ハンユー 福山雅治主演で公開されました。 西村寿行作品に影響を受けた人々は数多くいます。 漫画家では、藤田和日郎。 そして、荒木飛呂彦。 2015年暮れには、半生を共にされた奥様・西村八千子さんも亡くなられ、西村寿行の時代はさらに遠くなった気もしますが、多摩市連光寺に建てられた邸宅は、まだその存在感を放っています。 つたない文章を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。 ファンのひとりとして、このまま忘れ去られてしまうのは、あまりに惜しい作家だと思いますので、手持ちの資料を読みながら思いを込めて綴りました。 2018年6月に西村寿行ファンとして、大変嬉しいことがありました。 本の雑誌社が発行している『本の雑誌420号2018年7月号』で、 『巨魁・西村寿行伝説』と題した特集記事が組まれたのです。 担当編集者だった講談社の鈴木宣幸氏、徳間書店の平野健一氏、光文社の丸山弘順氏、そして、愛娘の西村亜子氏が登場して、主に1980年代の西村寿行について語っています。 ちょうど『地獄』に登場していた担当編集者が寿行先生のお相手に疲れて、若手が投入されはじめた頃からのお話がメインになります。 以下は、1990年代半ばにおこなわれた北海道取材旅行で、実際にあったエピソードです。 ・根室の旅館に宿泊して、宴会をおこなう際に、花咲ガニはあったものの大好物の毛ガニがなく、 「みんな、飲めーッ!、喰えーッ!」 というどんちゃん騒ぎがしたかった寿行先生はご立腹。 寿行先生は同行の編集者たちに、「好きなだけ飲み食いをさせられず、申し訳ない」と詫びたあと、その席の幹事だった角川書店の宍戸健司氏に集中攻撃をします。 このときに、ブチ切れた寿行先生が、宍戸健司氏に向かって発言した 「おまえは根室市長に連絡したか!」 は重要な寿行ワードです。 あまりにネチネチと、寿行先生から怒りをぶつけられ続けた宍戸氏は我慢をしていましたが、ついに耐えきれなくなり、 「じゃあ、いいっすよ。俺、帰りますよ」 とキレ始める始末。 次の日は知床泊で、前日のことがあったので、編集者が気を利かせて旅館側に、 「いくらかかってもいいからカニづくしにしてくれ」 と頼んだところ、宴席にやってきた寿行先生は、 「こんなにカニばっかりあって気持ちが悪い」 と言いだしてご機嫌を損ねます。 更に、「カニが俺を見ている」と名言を吐きます。 それから、不機嫌になって酒を飲みながら海を眺めていた寿行先生でしたが、何を見間違えたのか、 「ロシアのスパイ船がいる」 と言い始めて、海上保安庁に「今、スパイ船が入ってきた」と電話連絡をするも、酔っ払いの戯言だと相手にされず、「クジラか何かじゃないでしょうか?」と返されると、「何言ってんだ!」と怒って、電話を叩きつけて壊しました。 それからも、 ・港に停泊中のロシア船に勝手に乗り込んでいった。 ・釧路動物園で、「あいつを殴ってやる」 と言ってヒグマのいる柵を上り始めた。その横に写生をしにきていた地元の小学生がいたが、みんなびっくりしていた。 また、日常生活においても面白エピソードが満載です。 でも、担当編集者は右往左往させられながらも、寿行先生のことが大好きで、この特集のなかで、 “「本当、寂しがりやだった。でも才能はすごい。鬼気迫るというか」” “「寿行さんは担当できてよかったなっていう一番の作家ですね」” と思い出を愉しそうに語られています。 これを期に、亜子氏が『父・西村寿行』とサブタイトルがつくような本を書いてくださると有難いのですが。 最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。 何かございましたら、こちらまでお願いいたします。 はる坊 拝 はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます) メール:http://info*harubou-room.com (*を@にご変更いただきますようお願いいたします) はる坊です。 1983年度分 1億2,588万円 4位 1980年度分から1990年度分までに公示された申告所得額・納税額をみると、 西村寿行は、なぜ、ここまで売れたのか? ・1975年の『君よ憤怒の河を渉れ』以降、特に77年からは、毎月のように新刊を出し続け、その全作が水準以上の出来栄えで、西村寿行作品は面白いという評価を読者から受けていたこと。 1975年に角川書店が角川文庫を発刊して、西村寿行作品に廉価で身近に触れられたこと。角川文庫の売り上げ部数は、横溝正史・赤川次郎・森村誠一に次いで歴代第4位です。 ・寿行作品の多くを出版した徳間書店が、80年に徳間文庫を発刊して、ここでも寿行作品が文庫化されたこと。 さらに、徳間書店では『西村寿行選集(NISHIMURA HARD-ROMAN SERIES)』をノベルスで別に刊行し続けたこと。 新刊のハードカバー・ノベルスは15万部程度売れ、文庫の初版は20万部。 徳間書店の創業者・徳間康快(とくま やすよし《名前はこうかいとも呼ばれました》)は反権力の立場にいる作家を愛しました。 エンタメ系のプロ作家が対象の大藪春彦賞も制定しています。 賞金300万円は、デビュー後の作家がもらえる賞の賞金としては、柴田錬三郎賞と並んで最高額タイです。 実業家としては、本業の徳間書店のほかにも、スタジオジブリの初代社長も務めています。 〝徳間文庫、いや、徳間書店を支えている一因は西村寿行〟と囁かれるほどの人気ぶりでした。 しかし、一番の理由は、 “俺は芸術家じゃなくて、職人だから、面白おかしく書いて、たくさんの人に読んでもらえればいいんだ。” と語っていた読者を大切に考える西村寿行自身の姿勢にあったと思います。 『霖雨の時計台』『宴は終わりぬ』(唯一のエッセイ集)『石塊の衢』『鬼(中編集)』『狼のユーコン河』『濫觴の宴』『花に三春の約あり』『魔境へ、無頼船』『幻戯』『頻闇にいのち惑ひぬ』『襤褸の詩』 この年の作品では、田中邦衛主演でドラマ化された『霖雨の時計台』が白眉です。 インタビュー嫌いの西村寿行にしては珍しく、この『霖雨の時計台』に関しては、この小説に対しての強い思い入れを取材に応じて、機嫌よく語っているのです。 同時に、幻想小説として傑作であり、夢枕獏が雑誌掲載時に驚愕したという『鬼(中編集)』はおすすめです。 また、『花に三春の約あり』は『峠に棲む鬼』のヒロイン・逢魔麻紀子の娘、逢魔紀魅が登場します。 生涯で唯一刊行されたエッセイ集『宴は終わりぬ』は人間・西村寿行が余すところなく感じられて面白いです。 また、表紙の絵を愛娘の西村亜子さんが描いています。そして題字は西村寿行本人によるものです。 『空蝉の街』『監置零号』『鉛の法廷』『風紋の街』『妖しの花乱れにぞ』『垰 大魔縁』『垰よ永遠に』『夢想幻戯』『沈黙の渚』『緋の鯱』『黒猫の眸のほめき』『憑神(中編集)』 『雲の城(中編集)』『牙(短編集)』『異常者』『鬼の跫』『人類法廷』『ガラスの壁』『無頼船、極北光に消ゆ』『鷲の巣』 これは読み手によって様々な意見があると思うのですが、個人的にはこの1985年に発表された作品あたりから、徐々に全体のバランスが崩れた作品が出始めたように感じます。 前年の84年に、西村寿行の影響を公言している夢枕獏の伝奇バイオレンス小説『魔獣狩り 淫楽編』『魔獣狩り 暗黒編』『闇狩り師』が単巻で10万部以上のヒット作になります。 『闇狩り師』を刊行した徳間書店の編集者は“「ウチはもう完全なバックアップ態勢です。第二の西村寿行になりうると確信しています」”と発言しています。(出典:週刊文春1984年9月27日号「バイオレンスのニューパワー夢枕獏の正体」より) 当時、夢枕獏自身がインタビューで“「昨年(前年の1983年分)の年収は780万円だったのに、今年は6800万円でした。あるときに、通帳記帳に行ったら、機械がダダダッて印字がとまらなくて、『来たな』と思いました」”と話しているように、翌1985年分、1986年分では長者番付の作家部門14位に登場します。 そして、この時期から伝奇小説だけではなく格闘小説『餓狼伝』や『陰陽師』の執筆も開始して、月産500~800枚という多産に耐えながら、作家としてのフィールドを拡げていきます。 98年に『神々の山頂』で柴田錬三郎賞を受賞したのを皮切りに、一般文芸を対象とした文学賞にも縁ができはじめ、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞も受賞し、2018年春には紫綬褒章を受章しています。 また、朝日ソノラマで、『魔界都市〈新宿〉』でデビューを果たし、『トレジャーハンター(エイリアン)』やシリーズ『吸血鬼ハンターD』シリーズジョブナイル小説(現在のライトノベル)を書いていた菊地秀行がこの年にノベルス界に進出すると矢継ぎ早に『魔界行Ⅰ(復讐編)』『魔界行Ⅱ(殺戮編)』『魔界行Ⅲ(淫獄編)』『妖魔戦線』『妖魔陣』『妖魔軍団』『妖人狩り』『妖獣都市』など伝奇小説を量産して、そのほとんどが10万部を軽く超えるベストセラーとなりました。 1987年には、21冊もの伝奇バイオレンス小説を主にノベルスで発表して、ベストセラー作家の座を確固たるものにします。 年間10冊以上の新刊を長期間にわたって発表し続け、2017年2月には『魔界都市ブルース 霧幻の章』で著作400冊を達成しています。また、1986年分から1995年分までの10年間、長者番付・作家部門ではベストテンにランクインし続けました。 このような新しい動きがあったことは、西村寿行に追随したバイオレンス小説の大家・勝目梓もその半自伝的著書『小説家』のなかで触れています。 勝目が年間15冊平均でノベルスを出していた時期で、一番多忙であった頃ですが、半自叙伝的な著書に夢枕獏と菊地秀行の台頭を記しているところをみると、当時としては、かなり脅威に映ったのではないかと思います。 『珍らしや蟾蜍、吐息す』『死神 ザ・デス』『山姥が哭く(短編集)』『曠野の狼』『無頼船 ブーメランの日』『遺恨の鯱』『時の旅』『癌病船応答セズ』『まぼろしの獣』 『凩の蝶』『魔の山(短編集)』『人間の十字路(短編集)』『陽炎の街』『風の渚』『幽鬼の鯱』『母なる鷲』『コロポックルの河』『旅券のない犬』 『残像(短編集)』『執鬼(短編集)』『賞金犬(ウォンテッド)(短編集)』『道』『無法者の独立峠』『無頼船、緑地獄からのSOS』『幻想都市』『聖者の島』『悪霊刑事』『衄られた寒月(中編集)』 『学歴のない犬(上・下)』『頽れた神々(上・下)』『神聖の鯱』『風と雲の街』 息を吹き返したかのように面白い長編が発表されました。 1990年(平成2年) 1991年(平成3年) 1992年(平成4年) 1990年代に上梓された本を92年分までひとまとめにしてしまいましたが、これには理由があります。 着想は、さすが西村寿行だなと思わせるのですが、内容にまとまりがなく支離滅裂と感じられるものになってきます。 1989年12月、徳間書店では文芸書籍編集部の求人の応募して、中途入社した芝田暁氏が西村寿行の担当編集者になっています。 第一に、徳間書店が文芸書籍編集部の求人を出した理由は、西村寿行の担当編集者が、あまりの大変さに逃げ出してしまい、先輩編集者たちも敬遠しており、やむを得ず、新たに中途採用で担当編集者を補おうとしたからでした。 その大変さはハンパなものではありませんが、初めて、西村寿行に受け入れられたときの喜びも書かれています。 それが、第一線から退いた1990年代にも小説連載の仕事が続いた理由ではないでしょうか。 しかし、この頃、作品の雑誌連載・掲載時の煽り文句も〝不条理〟〝奇想〟〝奇作〟と付けられており、どうにも編集者が扱いに困りだしているのが目に浮かんでしまうのです。 また、1990年度分を最後に長者番付作家部門からも姿を消します。 ですが、この時期になっても、西村寿行の新作は単行本(ハードカバー)で初版5万部。 当時税務署で公示されていた高額納税者と納税額を集計した資料をみると、1991年以降も数年間、年間1,000万円以上を納税していたことがわかります。 さて、ここからは余談になりますが、ネットで〝西村寿行〟と検索すると、〝西村寿行 指〟や〝西村寿行 ポキポキ〟という検索がされているのに気がつきます。 これに関しては、私は強く否定します。 西村寿行の小説やエッセイを読み、その考え方や人となりを知ると、とてもではないですが、そういう人物だったとは思えないのです。 〝ホステスに対して言った〟〝風俗関係の女性に対して言った〟という文章もネットに上がっていますが、確かな情報ソースがあるわけではなく、大変に無責任で西村寿行の名誉を毀損する書き込みだと思います。 銀座など女性のいるクラブやラウンジを西村は嫌いました。 また、女性関係でも、長年秘書としてもそれ以上の関係としても作家生活を支えた女性がいること。 こういう人物にそのような噂自体そぐわないと思います。 喜怒哀楽が激しい寂しがり屋で、お山の大将気質。 小説家として一番忙しく、そして輝きを放っていた時期には、渋谷区代々木のマンション最上階に構えた仕事場での執筆が終わる18時頃から、各社の担当編集者が西村の元にアーリータイムズ持参で集まり、毎夜、打ち合わせを兼ねた飲み会を開き、週末になると、編集者たちと『雑木の会』という宴会を開いてもいました。 晩年になって、小説の執筆を完全にストップさせてからも、多摩市連光寺の自邸で宴を催した折りには、長年の戦友とも呼べる旧知の編集者だけではなく出入りの庭師なども呼び、かつて〝海賊料理〟と称した活魚料理店の経営者兼板前だった経験を生かして、自ら客に料理を振る舞いました。 【送料無料】身入り9割以上 最上級堅蟹 超特大サイズ 毛がに 1尾 私は、西村寿行という人物についてこう思います。 ⇒⇒現在、アマゾンのKindleでは電子書籍のキャンペーン実施中で、西村寿行作品が270円から読めます。 話が横道に逸れました。 ⇒そして、1993年(平成5年)を迎えます。その6に続きます。印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1989年分~1995年分)
毎年のベスト20までを列挙しています。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。1989年(平成元年)分所得税納税額
毎年のベスト20までを列挙しています。
ソースは、当時の新聞報道によるものです。長者番付・作家部門(1989年分~1995年分)です
1989年(平成元年)分所得税納税額
〝在日フランス人〟ポール・ポネ名義での著作もある。
また、ジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川の妹、藤島メリー泰子とのあいだに藤島ジュリー景子を儲けている。
馬主としても有名でランニングフリーなど名馬を所有していた。
収入には、本業の作家活動の他、ジャニーズ事務所からの役員報酬。馬主としての収入が大きかったといわれている。1990年(平成2年)分所得税納税額
1991年(平成3年)分所得税納税額
1992年(平成4年)分所得税納税額
1993年(平成5年)分所得税納税額
1994年(平成6年)分所得税納税額
印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1984年分~1988年分)
ソースは、当時の新聞報道によるものです。1984年(昭和59年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1985年(昭和60年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1986年(昭和61年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1987年(昭和62年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1988年(昭和63年)分 長者番付・作家部門 所得税納税額
1984年分~1986年分の所得税率について
1987年分の所得税率について
1988年分の所得税率について
参考までに、1984年分の住民税の税率です。
こちらもなんと、14分類に分かれていました。1985年分~1987年分の住民税の税率です。
1988年分の住民税の税率です。
は、絶版本・品切れ本を読者からの投票で復刊させる、ユーザー参加型のサイトです。印税だけで食べていける作家 長者番付・作家部門(1974年分~1983年分)
この時代、小説本は非常に読まれており、作家には印税収入を中心に大きな収入がありました。
簡単に説明をしますと、実収入ー経費=申告所得になります。
小説家の経費は実収入の30%が認められていたようです。
例)実収入・・・1億円
経費・・・3000万円
申告所得・・・7000万円当時の所得税率は恐ろしいものでした!
1974年分~1979年分は所得税+住民税=最高93%時代!
1974年分~1983年分の所得税率について
課税所得60万円超~120万円以下・・・・・・12%
課税所得120万円超~180万円以下・・・・・14%
課税所得180万円超~240万円以下・・・・・16%
課税所得240万円超~300万円以下・・・・・18%
課税所得300万円超~400万円以下・・・・・21%
課税所得400万円超~500万円以下・・・・・24%
課税所得500万円超~600万円以下・・・・・27%
課税所得600万円超~700万円以下・・・・・30%
課税所得700万円超~800万円以下・・・・・34%
課税所得800万円超~1000万円以下・・・・38%
課税所得1000万円超~1200万円以下・・・42%
課税所得1200万円超~1500万円以下・・・46%
課税所得1500万円超~2000万円以下・・・50%
課税所得2000万円超~3000万円以下・・・55%
課税所得3000万円超~4000万円以下・・・60%
課税所得4000万円超~6000万円以下・・・65%
課税所得6000万円超~8000万円以下・・・70%
課税所得8000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・75%
課税所得30万円超~50万円以下・・・・・・・5%
課税所得50万円超~80万円以下・・・・・・・6%
課税所得80万円超~110万円以下・・・・・・7%
課税所得110万円超~150万円以下・・・・・8%
課税所得150万円超~250万円以下・・・・・9%
課税所得250万円超~400万円以下・・・・・11%
課税所得400万円超~600万円以下・・・・・12%
課税所得600万円超~1000万円以下・・・・13%
課税所得1000万円超~2000万円以下・・・14%
課税所得2000万円超~3000万円以下・・・15%
課税所得3000万円超~5000万円以下・・・16%
課税所得5000万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%よって、1974年分~1983年分の所得税と住民税の最高税率は驚愕の93%でした。
参考までに、1980年分~1983年分の住民税の税率です。
課税所得30万円以下・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%
課税所得30万円超~45万円以下・・・・・・・5%
課税所得45万円超~70万円以下・・・・・・・6%
課税所得70万円超~100万円以下・・・・・・7%
課税所得100万円超~130万円以下・・・・・8%
課税所得130万円超~150万円以下・・・・・9%
課税所得150万円超~230万円以下・・・・・11%
課税所得230万円超~370万円以下・・・・・12%
課税所得370万円超~570万円以下・・・・・13%
課税所得570万円超~950万円以下・・・・・14%
課税所得950万円超~1900万円以下・・・・15%
課税所得1900万円超~2900万円以下・・・16%
課税所得2900万円超~4900万円以下・・・17%
課税所得4900万円超・・・・・・・・・・・・・・・・・・18%長者番付・作家部門(1974年分~1983年分)です
1974年(昭和49年)分申告所得額
1975年(昭和50年)分申告所得額
1976年(昭和51年)分申告所得額分
1977年(昭和52年)分申告所得額分
1978年(昭和53年)分申告所得額分
1979年(昭和54年)分申告所得額分
1980年(昭和55年)分申告所得額
1981年(昭和56年)分申告所得額
⇒激安セール 本・CD・DVD・ゲームソフトが108円から!
1982年(昭和57年)分申告所得額
1位 赤川次郎 4億0838万円昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その6
1990年代の西村寿行 病魔との闘い
ガンを患っていることを報されたのです。
痛みは酒を飲んでいるうちに消え去りますが、断続的に、チクリと喉の痛みが西村を襲います。
医師は「喉に炎症ができている」と話し、組織片を採取されます。
西村は、酒の誘いだと軽く考えて、病院に向かいました。
西村は、自分が酒飲みであることもあり、食道癌だと思ったようですが、医師の診断は下咽頭癌(扁平上皮癌)でした。
「ほっておいたら、半年保たない」
最初の幾日かは、宣告を受けた東京の大学付属病院で過ごしますが、治療のため、神奈川県内にある同じ大学の付属病院本院に入院した彼は、当初、誰もそして何も寄せつけませんでした。
花も不要。
西村自身が「来るな」と厳命したからです。
西村は動物好きであった為、人間と共に働いた牛馬に思いを寄せ、それらを祀った道祖神に興味を持ち、自宅の庭に地蔵を2体祀っていましたが、特別な信仰を持ってはいませんでした。
しかし、今やそのスカーフは、おしゃれではなく、喉の火傷を覆い隠すものに変わっていました。
そして、6月27日に退院します。
「西村寿行、癌で入院」の報せは、各社の〝西村番〟編集者に届きました。
西村は「騒ぐな。大きな話にするな!」と厳命しました。
長年の担当編集者である徳間書店のひとりだけに入院したことだけを報せて、自身の体調について詳しい状況を話していないことに、西村自身の気がとがめたようです。
それだけ、西村と強い信頼関係で結ばれていた人物だといえるでしょう。
彼の容体を訊ねた西村に返ってきた答えは、
「3ヶ月の命だそうです・・・」
という残酷な言葉でした。
西村は絶句するしかありませんでした。
しかし医師の宣告どおり、旧知の週刊誌記者は3ヶ月後に亡くなります。
西村は彼の葬儀には参列しませんでした。ひとり娘を名代として赴かせたその日、西村はただひとりで涙を流していました。
西村は自分自身を責めました。
「寿行さんなら、しかるべき病院と医師を、紹介してくれるのではないか、と本人が思っていたのなら・・・」西村寿行、下咽頭癌治療を終えるも、今度は右手首を粉砕骨折
同年12月に転倒した折に、右手首を粉砕骨折してしまいます。
そして、翌1994年の3月まで再度の入院を余儀なくされます。
雑誌に連載中の小説はこの間、休載。
旧知の人物のガン死。
そして、自らのガンに対する放射線治療の代償として得た、頭重と嘔吐感、持病の蕁麻疹。西村寿行、執筆生活の終焉
退院してから、執筆・刊行された本を以下のとおりです。
(メフィスト 1994年8月号~1995年4月号連載)
(小説王 1994年9月号~1995年1月号 及び 野性時代 1995年4月号~7月号連載 )
内容は、かつて西村作品を愛読していた読者が物足りなさを感じるものになっていました。
1999年に光文社『小説宝石』で最後の長編となる『月を撃つ男』を6回に分けて連載。
それでも、最後の長編『月を撃つ男』は文庫化されると増刷を重ね、第8刷まで重版されています。一頭の紀州犬とともに独り孤城で過ごした西村寿行の最後の時間
パイプを口にくわえて、好々爺となった晩年の姿を捉えた顔写真は珍しいと思います。
様子を見に来ていた家族が、ベッドで亡くなっている西村寿行を発見します。
その死を看取り、傍にいたのは3代目の紀州犬・ボスだけでした。
享年78(満76歳)。最後に残した西村寿行『遺言状』
その後、旧知の人々が集ったお別れ会の席上、生前、弁護士に宛てて書かれながら、書斎の机の中に置かれたままで、投函されることのなかった西村寿行の『遺言状』が読まれました。
しかし、お別れ会当日は冷たい雨が東京に降り注いでいました。
まるで、寂しがり屋の西村が、〝自分抜きで別れの会なぞを執り行うな〟と言っているかのように。
魚もだが、牛や馬は親仔、兄弟の死をあの大きな澄んだ瞳に浮かべることはない。
己の死を特別なことと捉えるのはひと類のおごりだろう。
ひっそり--それがぼくには似合っている。
海から這い上がって、いつの間にか消えていた--というような生と死--。〟
そして、現在・・・
なかには、現在人気作家・漫画家として活躍中の方も。2018年6月 本の雑誌2018年7月号で、『巨魁・西村寿行伝説』と特集記事が組まれた!
そのエピソードがすべて面白すぎるので、気になる方は、ぜひチェックをしてみてください。西村寿行 北海道取材旅行での超絶エピソード集
ちなみに、寿行先生は浜茹でされた毛ガニが大好物でした。
(宍戸氏は、専修大学卒業後に角川書店に入社。10年来、担当編集者として西村を支える一方、角川ホラー文庫を立ち上げ、日本ホラー大賞、山田風太郎賞創設も手掛けた敏腕編集者にして、馳星周氏を『不夜城』で華々しくデビューさせた方です)
(実際に、不審船が領海内に侵入していれば、海上保安庁は早々にレーダーで発見していたでしょう)
等々。
叶わない願いかもしれません。
もう一度、心より御礼申し上げます。昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その5
1980年代の西村寿行
まず、1980年代になっても、西村寿行がどれだけ売れていたのかを示すデータから。
俗にいう長者番付。高額納税者番付作家部門です。
1983年度分からは、従来の申告所得額ではなく、納税額が公示されるようになりました。
1984年度分 1億5,615万円 5位
1985年度分 1億3,745万円 5位
1986年度分 1億1,809万円 5位
1987年度分 1億3,190万円 4位
1988年度分 1億0,072万円 5位
1989年度分 9,508万円 7位
1990年度分 8,185万円 6位
この時代に売れて税金を多く納めた作家は次の順になります。
1位 赤川次郎 6位 池波正太郎
2位 西村京太郎 7位 森村誠一
3位 司馬遼太郎 8位 笹沢左保
4位 西村寿行 9位 渡辺淳一
5位 松本清張 10位 遠藤周作
・小説本がもっとも売れた昭和50~60年代に活躍したこと。
もちろん、増刷が繰り返されます。
なかでも大藪春彦とは親友同士で、大藪の葬儀で弔辞を読んだのも徳間康快でした。
また、映画会社の大映や徳間ジャパンの経営もおこないました。
では、年ごとに出版された作品をみていきたいと思います。1983年(昭和58年)に刊行された本
エッセイを含んで11冊を上梓しています。
そして、『襤褸の詩』では『蘭菊の狐』のヒロイン・出雲阿紫が再登場しますが、扱いが他の寿行作品で描かれるヒロインと同じ道を辿ったのが、個人的には残念でした。
1984年(昭和59年)に刊行された本
12冊を上梓しています。
垰シリーズが、『垰よ永遠に』をもって終わりました。
『鉛の法廷』は司法で裁くことができない犯罪者を、私設裁判所にて裁くという重くも救いのある作品です。
『黒猫の眸のほめき』は、西村寿行が主役です(物語の序盤に西村寿行は、実際の愛車で、本当に1リットルで2キロしか走らなかったという、恐ろしく燃費の悪いチューンアップ済みのメルセデスベンツ500SLC AMG仕様に乗って登場しますが、その後は・・・)。『地獄』の世界観を楽しめるのなら、この作品も面白いはずです。1985年(昭和60年)に刊行された本
上梓した冊数は8冊に減りました。
ポリティカルフィクションというジャンルにあてはまる『人類法廷』『ガラスの壁』が刊行されます。
寿行作品中期以降のなかでも異質な存在感を放つ、『異常者』もこの年に発表されています。夢枕獏・菊地秀行が伝奇バイオレンス・伝奇アクション小説を書き出した時期
1986年(昭和61年)に刊行された本
長編を中心に9冊を上梓しています。
癌病船シリーズが『癌病船応答セズ』をもって終結しました。1987年(昭和62年)に刊行された本
昨年同様、9冊を上梓していますが、個人的に消化不良に思える作品が増えてきます。
特に鯱シリーズではそれが顕著に感じられました。
『風の渚』は渚シリーズ最後の作品になりました。1988年(昭和63年)に刊行された本
刊行数は久々に二桁、10冊になりました。
この年の作品を読むと、前半は面白いけれど、後半になってからが・・・という感じでしょうか。
『賞金犬(ウォンテッド)』が、1995年オリジナルビデオで映像化されています。北野武監督映画『ソナチネ』の出演がきっかけとなり、演技派俳優として認知をされていく大杉漣も、この作品に出演しています。
(残念ながら、大杉漣さんは2018年2月21日に急性心不全で急逝されました。ご冥福をお祈りいたします)
また、『無頼船、緑地獄からのSOS』は無頼船シリーズ、『幻想都市』は幻戯シリーズ(宮田雷四郎シリーズ)最後の作品となりました。1989年(平成元年)に刊行された本
特に『学歴のない犬(上・下)』は作家生活後半で、もっとも優れた長編になると思います。1990年(平成2年)~1992年(平成4年)に刊行された本
『呪医 ウィッチ・ドクター』『魔物』『涯の鷲』『矛盾の壁を超えた男』『蟹の目(短編集)』
『凩の犬』『呪いの鯱』
『消えた島』『魔獣(短編集)』『鬼の都』『ここ過ぎて滅びぬ』
90年代に入ると、思わず首を捻ってしまう作品が増えます。
鯱シリーズの『呪いの鯱』は週刊現代に連載されていますし、その他の作品も雑誌連載・掲載作がほとんどですが、雑誌を読むと他の小説家と比べて浮いている印象を受けざるを得ないのです。
芝田氏の著書『共犯者 -編集者のたくらみ- 』には、西村寿行番編集者の大変さが綴られています。
最初、付き合うのには我慢と時間がかかりますが、一度信頼関係を築けると「ホントに仕方のない人だな」と思いながらも惹きつけられてしまう。
そんな人間的魅力が西村寿行にはありました。
ノベルスもで初版で5万部が刷られていました。〝西村寿行 指〟や〝西村寿行 ポキポキ〟に対する反論
どうやら、『「金を払うから女性に指を折らせてくれ」と西村寿行が言った』というもののようです。
なかには、〝西○○行〟と卑怯な書き方をしているところもあります。
大流行作家となっても、足を向けることはありませんでした。
これらは西村寿行のエッセイや、その執筆活動をささえた編集者たちの思い出話の中に出て来ます。
一時期は女優と交際したこと。
どこのソープランドへ編集者と連れだって行くことなど、神秘的なイメージを持ちたい作家なら絶対に公言しないことも、「別に隠すことでもなんでもないじゃねえか」というふうに、堂々とあっけらかんとインタビューで答えています。
酔いに任せた部分もあったのでしょうが、夜に宴会をしているときには、北海道から九州まで方々へ電話を掛けまくり1日の電話代が2万円に及ぶこともありました。
自身が飲むのは、売れっ子作家となって、年収が毎年3億円になっても、ビールとバーボンウイスキー・アーリータイムズ。
酒が大好きで、気心の知れた仲間と宴会をするのが大好き。
宴の主役はいつも大好物の蟹でした。慣れた手つきで蟹を調理しては、客に蟹の身肉を存分に味わってもらい、蟹雑炊で締めるという何とも贅沢な時間を西村寿行自らが提供していたのです。
自分からは進んで徒党を組もうとはしない孤高の人。
でも、縁あって知り合い、気心の知れた人を大切にしたのが、西村寿行という人間だったと思います。
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