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人物伝

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その6

1990年代の西村寿行 病魔との闘い

はる坊です。
1990年代に入り、世間にはバブル景気崩壊に見舞われていた1993年。
62歳となった西村寿行は執筆意欲も薄くなり、代々木の仕事場で過ごす時間は多かったものの、この年には、『幻獣の森』『魔性の岩鷹』の2冊のみが発行されています。

そして、5月31日。
西村寿行は重大な宣告を受けることになります。
ガンを患っていることを報されたのです。

西村が体調の異変に気付いたのは、その1、2ヶ月前のことです。

喉にチクッチクッと痛みを感じるようになったのです。最初は、魚の小骨が喉に刺さったと思ったようです。
痛みは酒を飲んでいるうちに消え去りますが、断続的に、チクリと喉の痛みが西村を襲います。

体調の異変を感じ始めた西村は、いつからか、かかりつけとなった、西新宿の会員制クリニックに赴いて、内視鏡検査を受けます。
医師は「喉に炎症ができている」と話し、組織片を採取されます。
そして、1週間後、仕事場にほど近い大学附属病院で、飲み友達になっていた医師から、西村寿行は自身が癌であることを告げられます。
西村は、自分が酒飲みであることもあり、食道癌だと思ったようですが、医師の診断は下咽頭癌(扁平上皮癌)でした。

「ほっておいたら、半年保たない」

と医師に諭されて、西村は混乱しながらも入院を決意します。
最初の幾日かは、宣告を受けた東京の大学付属病院で過ごしますが、治療のため、神奈川県内にある同じ大学の付属病院本院に入院した彼は、当初、誰もそして何も寄せつけませんでした。

病院は自宅からも比較的近い場所にありましたが、西村は独りの時間を過ごします。

見舞い・面会は不要。
花も不要。

家族も一人娘が手続きに来たときに、立ち寄っただけでした。

家族仲が悪かったわけではありません。
西村自身が「来るな」と厳命したからです。

そして、家族も西村の気性を理解していました。
出版関係では、ただひとり、徳間書店の編集者に電話連絡をするのみでした。

大学付属病院の院長が主治医となり、ガン治療を33回の放射線照射でおこなうことに決定します。

毎朝、早くにおこなわれる数分の放射線治療が終わると、西村は病院を抜け出します。

(病院では死にたくない)と決意した彼は身体を鍛える為に、山歩きに没頭します。
西村は動物好きであった為、人間と共に働いた牛馬に思いを寄せ、それらを祀った道祖神に興味を持ち、自宅の庭に地蔵を2体祀っていましたが、特別な信仰を持ってはいませんでした。

しかし、最初に向かったのは庶民の山岳信仰で知られる大山でした。

やはり、ガン=死という幻影が、西村を大山へ駆り立てたのではないかと思います。
毎日のように丹沢山系を歩いたおかげで、西村の足腰はすっかり丈夫になります。

元々、作家になる前は、狩猟に生きていた時期もあり、山歩きをしていた西村ですが、このときの山歩きは、また別の思いを持ちながら歩を進めて行ったと思います。

下咽頭癌治療は手術こそしないものの辛いものとなり、放射線照射で放射線による火傷が頸部全体に広がり、内部までもが爛れました。

西村はネルシャツにジーンズ、そして首回りにスカーフを巻くというファッションを好みました。
今やそのスカーフは、おしゃれではなく、喉の火傷を覆い隠すものに変わっていました。

喉麻酔をしなくては、食事が採れない状態になりましたが、33回の照射治療でがん細胞は西村寿行の身体から消えました。
そして、6月27日に退院します。

しかし、退院した西村寿行を待っていたのは、痛恨の出来事でした。
入院して2週間は誰にも会いませんでしたが、徳間書店と光文社の編集者と丹沢の温泉旅館で食事をします。

徳間書店の編集者ひとりだけに入院したことだけを報せて、自身の体調について詳しい状況を話していないことに、西村自身の気がとがめたようです。
その折に、旧知の週刊誌記者が胃癌で入院したことを知らされます。

その記者は、西村が孤北丸という名のサロン・クルーザーを所有していたとき、キャプテンを務めた人物でした。
それだけ、西村と信頼関係にあった人物だといえるでしょう。
彼の容体を訊ねた西村に帰ってきた答えは、「3ヶ月の命だそうです・・・」という残酷な言葉でした。

西村寿行が所有していたサロンクルーザー・孤北丸については、徳間文庫版『雲の城』の巻末に『サロン・クルーザー』というエッセイが掲載されています。amazon kindleやDMM電子版でも読めます。

【DMM.com 電子書籍】

自らのガン治療を終えて退院した西村は、早速タクシーを飛ばして彼の元へ向かいました。
医師の宣告どおり、旧知の週刊誌記者は3ヶ月後に亡くなります。

その死の3週間前に、記者の妻が西村番の編集者とともに、西村の元へ訪れます。
「そして、しっかりとした病院へ移りたい」と本人が言っていると聞かされます。
最初に行った病院では胃潰瘍と診断されたこと、現在入院している病院では、医師は何もしてくれないという、訴えも聞かされることになります。

しかし、すべては遅すぎました。
西村寿行は自身を責めました。
「俺が入院するとき、誰にも会わないと言わなければ・・・」
「寿行さんなら、しかるべき病院と医師を、紹介してくれるのではないか、と本人が思っていたのなら・・・」

西村寿行、下咽頭癌治療を終えるも、今度は右手首を粉砕骨折

災難は更に降りかかります。
同年12月に転倒した折に、右手首を粉砕骨折してしまいます。
そして、翌1994年の3月まで再度の入院を余儀なくされます。

ガン治療と右手首の粉砕骨折での入院。
旧知の人物のガン死。
そして、自らのガンに対する放射線治療の代償として得た、頭重と嘔吐感、持病の蕁麻疹。

これらのことが、西村寿行を執筆から更に遠ざけた気がしてなりません。

西村寿行、執筆生活の終焉

かつての勢いをなくし、酒に耽溺する時間の増えた西村から離れる編集者もいました。

それでも、かつての西村を知る編集者は、雑誌連載や短編掲載で、西村を盛りたてようとします。
退院してから、執筆・刊行された本を以下のとおりです。

1994年『深い眸(中編集)』(光文社)

1995年『幻覚の鯱 神軍の章』(講談社)
(メフィスト 1994年8月号~1995年4月号連載)

1995年『世にも不幸な男の物語(短編集)』(徳間書店)

1995年『デビルズ・アイランド』(角川書店)
(小説王 1994年9月号~1995年1月号 及び 野性時代 1995年4月号~7月号連載 )

1996年『大厄病神』

1997年『鷲』(徳間書店)

1998年『牡牛の渓(短編集)』(光文社)

1998年『幻覚の鯱―天翔の章』(講談社)

2000年『月を撃つ男』(光文社)
(小説宝石 1999年4月号~9月号連載)

2001年『碇の男(短編集)』(徳間書店)

まだ、小説現代の臨時増刊号という位置づけで、誌面の性格が決まっていなかったことも影響していたでしょうが、『幻覚の鯱―神軍の章』が、『メフィスト』に連載されていたのは少し意外な気がします。

このほかに、短編集や中編集を違うタイトルで二次出版化されたものもありますが、それらは省きました。
内容は、かつて西村作品を愛読していた読者が物足りなさを感じるものになっていました。

1994年~2001年までに刊行された本は、ピーク時なら1年で刊行していた冊数です。
1999年に光文社『小説宝石』で最後の長編となる『月を撃つ男』を6回に分けて連載。

そして、2000年10月に同誌に掲載された短編『刑事』(『碇の男』に収録)を最後に西村寿行の新作小説が発表されることはありませんでした。
それでも、最後の長編『月を撃つ男』は文庫化されると増刷を重ね、第8刷まで重版されています。

一頭の紀州犬とともに独り孤城で過ごした西村寿行の最後の時間

西村は晩年、家族を自宅とは別にマンションに住まわせ、西村とボスと名付けた一頭の紀州犬と邸宅に籠もり、週末だけ家族と食事を共にする生活となりました。
パイプを口にくわえて、好々爺となった晩年の姿を捉えた顔写真は珍しいと思います。

『犬族からの通信』という近況報告を兼ねたエッセイが、2001年から『問題小説』誌に連載されていた時期もありますが、いつのまにかそれもなくなり、死の数年前に執筆していたという、自らの半生記もついに公に発表されることはありませんでした。

体調を損ねながらもアルコールの量は減ることなく、一人娘が注意しても聞き入れませんでした。

西村曰く、〝俺はアルコールと妄想と幻覚で生きていたんだ〟

そして、2007年8月23日朝。
様子を見に来た一人娘が、ベッドで亡くなっている西村寿行を発見します。
その死を看取り、傍にいたのは3代目の紀州犬・ボスだけでした。

死因は肝不全。
享年78(満76歳)。

徳間書店発行の小説誌『問題小説』では、【追悼・西村寿行】と題して、出世作となった『君よ憤怒の河を渉れ』が再掲載されました。

最後に残した西村寿行『遺言状』

通夜と告別式は近親者のみでひっそりとおこなわれました。
その後、旧知の人々が集ったお別れ会の席上、生前、弁護士に宛てて書かれながら、書斎の机の中に置かれたままで、投函されることのなかった西村寿行の『遺言状』が読まれました。

西村は自他共に認める〝晴れ男〟でした。
しかし、お別れ会当日は冷たい雨が東京に降り注いでいました。
まるで、寂しがり屋の西村が、〝自分抜きで別れの会なぞを執り行うな〟と言っているかのように。

この会が執り行われてから、『遺言状』の全文が光文社発行の『小説宝石』に掲載されました。

〝愉しかった人生に御礼申し上げます〟から始まるこの遺言状は、独特の死生観を綴った後に、こう締めくくられていました。

〝ぼくの死は誰にもいうな。死を発表するほどおろかしいことはない。
魚もだが、牛や馬は親仔、兄弟の死をあの大きな澄んだ瞳に浮かべることはない。
己の死を特別なことと捉えるのはひと類のおごりだろう。
ひっそり--それがぼくには似合っている。
海から這い上がって、いつの間にか消えていた--というような生と死--。〟

70代を迎えてから小説からを書くことからは遠ざかっていましたが、西村寿行らしい文章は最後まで健在でした。
お別れ会の祭壇には、毛蟹を調理する73歳の西村の写真が飾られ、終生愛したアーリータイムズが供えられました。

現在、西村寿行の本を新刊で読もうとすれば数冊の文庫しか残っていません。

しかし、電子書籍では読むことができます。

特に2017年秋から、徳間書店が多くの作品を電子化しました。
現在、アマゾンのKindleではキャンペーン中で、西村寿行作品の徳間文庫 電子復刻版が、一冊270円から販売されています。

そして、1976年に公開された『君よ憤怒の河を渉れ』のリメイク作『マンハント』が公開されました。
西村寿行作品、そして、その作品に影響を受けた人々は数多くいます。

例えば、夢枕獏。藤田和日郎。そして荒木飛呂彦。

2015年暮れには、半生を共にされた奥様・西村八千子さんも亡くなられ、西村寿行の時代はさらに遠くなった気もしますが、多摩市連光寺に建てられた邸宅は、まだその存在感を放っています。

つたない文章を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

ファンのひとりとして、このまま忘れ去られてしまうのは、あまりに惜しい作家だと思いますので、手持ちの資料を読みながら思いを込めて綴りました。



2018年6月 本の雑誌2018年7月号で、『巨魁・西村寿行伝説』と特集記事が組まれた!

2018年6月に西村寿行ファンとして、大変嬉しいことがありました。
本の雑誌社が発行している『本の雑誌2018年7月号』で、『巨魁・西村寿行伝説』と題した特集記事が組まれたのです。

担当編集者だった講談社の鈴木宣幸氏、徳間書店の平野健一氏、光文社の丸山弘順氏、そして、愛娘の西村亜子氏が登場して、80年代の西村寿行について語っています。

ちょうど『地獄』に登場していた担当編集者が寿行先生のお相手に疲れて、若手が投入されはじめた頃からのお話がメインになります。
そのエピソードがすべて面白すぎるので、気になる方は、ぜひチェックをしてみてください。

西村寿行 北海道取材旅行での超絶エピソード
・根室の旅館で宴会をするときに、花咲ガニはあったものの大好物の毛ガニがなく「みんな、飲めーッ!、喰えーッ!」というどんちゃん騒ぎがしたかった寿行先生はご立腹。
ちなみに、寿行先生は浜茹でされた毛蟹が大好物でした。
その席の幹事だった角川書店の宍戸健司氏(専修大学卒業後に角川書店に入社。角川ホラー文庫を立ち上げ、日本ホラー大賞、山田風太郎賞創設も手掛けた敏腕編集者にして、のちに馳星周を『不夜城』で華々しくデビューさせた方です)に集中攻撃。

このときに、ブチ切れた寿行先生が宍戸健司氏に向かって発言した「おまえは根室市長に連絡したか」は重要な寿行ワードです。

次の日は知床泊で、前日のことがあったので、編集者が気を利かせて旅館側に「いくらかかってもいいからカニづくしにしてくれ」と頼んだところ、宴席にやってきた寿行先生は、

「こんなにカニばっかりあって気持ちが悪い」と言いだして機嫌を損ねます。

更に、「カニが俺を見ている」と名言を吐きます。

それから、不機嫌になって海を眺めていた西村寿行でしたが、何を見間違えたのか、

「ロシアのスパイ船がいる」

と言い始めて、海上保安庁に電話連絡をするも、相手にされず、電話を叩きつけて壊しました。

それからも、

・釧路動物園で「あいつを殴ってやる」と言ってヒグマのいる柵を上り始めた。その横に写生をしにきていた地元の小学生がいたが、みんなびっくりしていた。
等々。

また、日常生活においても面白エピソードが満載です。

これを気に、亜子氏が『父・西村寿行』とサブタイトルがつくような本を書いてくださると有難いのですが。
叶わない願いかもしれません。

⇒番外編ですが、西村寿行と大藪春彦の比較です。
このふたり、意外な共通点と相反する部分を持っており、個人的に興味深いのでまとめてみました。

⇒昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! VS大藪春彦編(大藪春彦の食事はステーキ・すき焼き 肉まみれ)

人物伝

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その5

1980年代の西村寿行

はる坊です。
まず、1980年代になっても、西村寿行がどれだけ売れていたのかを示すデータから。
俗にいう長者番付。高額納税者番付作家部門です。
1983年度分からは、従来の申告所得額ではなく、納税額が公示されるようになりました。

1983年度分 1億2,588万円 4位
1984年度分 1億5,615万円 5位
1985年度分 1億3,745万円 5位
1986年度分 1億1,809万円 5位
1987年度分 1億3,190万円 4位
1988年度分 1億0,072万円 5位
1989年度分   9,508万円 7位
1990年度分   8,185万円 6位

1980年度分から1990年度分までに公示された申告所得額・納税額をみると、
この時代に売れて税金を多く納めた作家は次の順になります。
1位 赤川次郎   6位  池波正太郎
2位 西村京太郎  7位  森村誠一
3位 司馬遼太郎  8位  笹沢左保
4位 西村寿行   9位  渡辺淳一
5位 松本清張   10位 遠藤周作

西村寿行は、なぜ、ここまで売れたのか?
・小説本がもっとも売れた昭和50~60年代に活躍したこと。

・1975年の『君よ憤怒の河を渉れ』以降、特に77年からは、毎月のように新刊を出し続け、その全作が水準以上の出来栄えで、西村寿行作品は面白いという評価を読者から受けていたこと。

1975年に角川書店が角川文庫を発刊して、西村寿行作品に廉価で身近に触れられたこと。角川文庫の売り上げ部数は、横溝正史・赤川次郎・森村誠一に次いで歴代第4位です。

・寿行作品の多くを出版した徳間書店が、80年に徳間文庫を発刊して、ここでも寿行作品が文庫化されたこと。

さらに、徳間書店では『西村寿行選集(NISHIMURA HARD-ROMAN SERIES)』をノベルスで別に刊行し続けたこと。

新刊のハードカバー・ノベルスは15万部程度売れ、文庫の初版は20万部。
もちろん、増刷が繰り返されます。

徳間書店の創業者・徳間康快(とくま やすよし《名前はこうかいとも呼ばれました》)は反権力の立場にいる作家を愛しました。
なかでも大藪春彦とは親友同士で、大藪の葬儀で弔辞を読んだのも徳間康快でした。

エンタメ系のプロ作家が対象の大藪春彦賞も制定しています。

賞金300万円は、デビュー後の作家がもらえる賞の賞金としては、柴田錬三郎賞と並んで最高額タイです。

実業家としては、本業の徳間書店のほかにも、スタジオジブリの初代社長も務めています。
また、映画会社の大映や徳間ジャパンの経営もおこないました。

〝徳間文庫、いや、徳間書店を支えている一因は西村寿行〟と囁かれるほどの人気ぶりでした。

しかし、一番の理由は、

“俺は芸術家じゃなくて、職人だから、面白おかしく書いて、たくさんの人に読んでもらえればいいんだ。”

と語っていた読者を大切に考える西村寿行自身の姿勢にあったと思います。
では、年ごとに出版された作品をみていきたいと思います。

1983年(昭和58年)に刊行された本

『霖雨の時計台』『宴は終わりぬ』(唯一のエッセイ集)『石塊の衢』『鬼(中編集)』『狼のユーコン河』『濫觴の宴』『花に三春の約あり』『魔境へ、無頼船』『幻戯』『頻闇にいのち惑ひぬ』『襤褸の詩』
エッセイを含んで11冊を上梓しています。

この年の作品では、田中邦衛主演でドラマ化された『霖雨の時計台』が白眉です。

インタビュー嫌いの西村寿行にしては珍しく、この『霖雨の時計台』に関しては、この小説に対しての強い思い入れを取材に応じて、機嫌よく語っているのです。

同時に、幻想小説として傑作であり、夢枕獏が雑誌掲載時に驚愕したという『鬼(中編集)』はおすすめです。

また、『花に三春の約あり』は『峠に棲む鬼』のヒロイン・逢魔麻紀子の娘、逢魔紀魅が登場します。


そして、『襤褸の詩』では『蘭菊の狐』のヒロイン・出雲阿紫が再登場しますが、扱いが他の寿行作品で描かれるヒロインと同じ道を辿ったのが、個人的には残念でした。

生涯で唯一刊行されたエッセイ集『宴は終わりぬ』は人間・西村寿行が余すところなく感じられて面白いです。

また、表紙の絵を愛娘の西村亜子さんが描いています。そして題字は西村寿行本人によるものです。

1984年(昭和59年)に刊行された本

『空蝉の街』『監置零号』『鉛の法廷』『風紋の街』『妖しの花乱れにぞ』『垰 大魔縁』『垰よ永遠に』『夢想幻戯』『沈黙の渚』『緋の鯱』『黒猫の眸のほめき』『憑神(中編集)』
12冊を上梓しています。
垰シリーズが、『垰よ永遠に』をもって終わりました。
『鉛の法廷』は司法で裁くことができない犯罪者を、私設裁判所にて裁くという重くも救いのある作品です。
『黒猫の眸のほめき』は、西村寿行が主役です(物語の序盤に西村寿行は、実際の愛車で、本当に1リットルで2キロしか走らなかったという、恐ろしく燃費の悪いチューンアップ済みのメルセデスベンツ500SLC AMG仕様に乗って登場しますが、その後は・・・)。『地獄』の世界観を楽しめるのなら、この作品も面白いはずです。

1985年(昭和60年)に刊行された本

『雲の城(中編集)』『牙(短編集)』『異常者』『鬼の跫』『人類法廷』『ガラスの壁』『無頼船、極北光に消ゆ』『鷲の巣』
上梓した冊数は8冊に減りました。
ポリティカルフィクションというジャンルにあてはまる『人類法廷』『ガラスの壁』が刊行されます。
寿行作品中期以降のなかでも異質な存在感を放つ、『異常者』もこの年に発表されています。

これは読み手によって様々な意見があると思うのですが、個人的にはこの1985年に発表された作品あたりから、徐々に全体のバランスが崩れた作品が出始めたように感じます。

夢枕獏・菊地秀行が伝奇バイオレンス・伝奇アクション小説を書き出した時期

前年の84年に、西村寿行の影響を公言している夢枕獏の伝奇バイオレンス小説『魔獣狩り 淫楽編』『魔獣狩り 暗黒編』『闇狩り師』が単巻で10万部以上のヒット作になります。

『闇狩り師』を刊行した徳間書店の編集者は“「ウチはもう完全なバックアップ態勢です。第二の西村寿行になりうると確信しています」”と発言しています。(出典:週刊文春1984年9月27日号「バイオレンスのニューパワー夢枕獏の正体」より)

当時、夢枕獏自身がインタビューで“「昨年(前年の1983年分)の年収は780万円だったのに、今年は6800万円でした。あるときに、通帳記帳に行ったら、機械がダダダッて印字がとまらなくて、『来たな』と思いました」”と話しているように、翌1985年分、1986年分では長者番付の作家部門14位に登場します。

そして、この時期から伝奇小説だけではなく格闘小説『餓狼伝』や『陰陽師』の執筆も開始して、月産500~800枚という多産に耐えながら、作家としてのフィールドを拡げていきます。

98年に『神々の山頂』で柴田錬三郎賞を受賞したのを皮切りに、一般文芸を対象とした文学賞にも縁ができはじめ、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞も受賞し、2018年春には紫綬褒章を受章しています。

また、朝日ソノラマで、『魔界都市〈新宿〉』でデビューを果たし、『トレジャーハンター(エイリアン)』やシリーズ『吸血鬼ハンターD』シリーズジョブナイル小説(現在のライトノベル)を書いていた菊地秀行がこの年にノベルス界に進出すると矢継ぎ早に『魔界行Ⅰ(復讐編)』『魔界行Ⅱ(殺戮編)』『魔界行Ⅲ(淫獄編)』『妖魔戦線』『妖魔陣』『妖魔軍団』『妖人狩り』『妖獣都市』など伝奇小説を量産して、そのほとんどが10万部を軽く超えるベストセラーとなりました。

1987年には、21冊もの伝奇バイオレンス小説を主にノベルスで発表して、ベストセラー作家の座を確固たるものにします。

年間10冊以上の新刊を長期間にわたって発表し続け、2017年2月には『魔界都市ブルース 霧幻の章』で著作400冊を達成しています。また、1986年分から1995年分までの10年間、長者番付・作家部門ではベストテンにランクインし続けました。

このような新しい動きがあったことは、西村寿行に追随したバイオレンス小説の大家・勝目梓もその半自伝的著書『小説家』のなかで触れています。

勝目が年間15冊平均でノベルスを出していた時期で、一番多忙であった頃ですが、半自叙伝的な著書に夢枕獏と菊地秀行の台頭を記しているところをみると、当時としては、かなり脅威に映ったのではないかと思います。

1986年(昭和61年)に刊行された本

『珍らしや蟾蜍、吐息す』『死神 ザ・デス』『山姥が哭く(短編集)』『曠野の狼』『無頼船 ブーメランの日』『遺恨の鯱』『時の旅』『癌病船応答セズ』『まぼろしの獣』
長編を中心に9冊を上梓しています。
癌病船シリーズが『癌病船応答セズ』をもって終結しました。

1987年(昭和62年)に刊行された本

『凩の蝶』『魔の山(短編集)』『人間の十字路(短編集)』『陽炎の街』『風の渚』『幽鬼の鯱』『母なる鷲』『コロポックルの河』『旅券のない犬』
昨年同様、9冊を上梓していますが、個人的に消化不良に思える作品が増えてきます。
特に鯱シリーズではそれが顕著に感じられました。
『風の渚』は渚シリーズ最後の作品になりました。

1988年(昭和63年)に刊行された本

『残像(短編集)』『執鬼(短編集)』『賞金犬(ウォンテッド)(短編集)』『道』『無法者の独立峠』『無頼船、緑地獄からのSOS』『幻想都市』『聖者の島』『悪霊刑事』『衄られた寒月(中編集)』
刊行数は久々に二桁、10冊になりました。
この年の作品を読むと、前半は面白いけれど、後半になってからが・・・という感じでしょうか。
『賞金犬(ウォンテッド)』が、1995年オリジナルビデオで映像化されています。北野武監督映画『ソナチネ』の出演がきっかけとなり、演技派俳優として認知をされていく大杉漣も、この作品に出演しています。
(残念ながら、大杉漣さんは2018年2月21日に急性心不全で急逝されました。ご冥福をお祈りいたします)
また、『無頼船、緑地獄からのSOS』は無頼船シリーズ、『幻想都市』は幻戯シリーズ(宮田雷四郎シリーズ)最後の作品となりました。

1989年(平成元年)に刊行された本

『学歴のない犬(上・下)』『頽れた神々(上・下)』『神聖の鯱』『風と雲の街』

息を吹き返したかのように面白い長編が発表されました。
特に『学歴のない犬(上・下)』は作家生活後半で、もっとも優れた長編になると思います。

1990年(平成2年)~1992年(平成4年)に刊行された本

1990年(平成2年)
『呪医 ウィッチ・ドクター』『魔物』『涯の鷲』『矛盾の壁を超えた男』『蟹の目(短編集)』

1991年(平成3年)
『凩の犬』『呪いの鯱』

1992年(平成4年)
『消えた島』『魔獣(短編集)』『鬼の都』『ここ過ぎて滅びぬ』

1990年代に上梓された本を92年分までひとまとめにしてしまいましたが、これには理由があります。
90年代に入ると、思わず首を捻ってしまう作品が増えます。

着想は、さすが西村寿行だなと思わせるのですが、内容にまとまりがなく支離滅裂と感じられるものになってきます。
鯱シリーズの『呪いの鯱』は週刊現代に連載されていますし、その他の作品も雑誌連載・掲載作がほとんどですが、雑誌を読むと他の小説家と比べて浮いている印象を受けざるを得ないのです。

1989年12月、徳間書店では文芸書籍編集部の求人の応募して、中途入社した芝田暁氏が西村寿行の担当編集者になっています。
芝田氏の著書『共犯者 -編集者のたくらみ- 』には、西村寿行番編集者の大変さが綴られています。

第一に、徳間書店が文芸書籍編集部の求人を出した理由は、西村寿行の担当編集者が、あまりの大変さに逃げ出してしまい、先輩編集者たちも敬遠しており、やむを得ず、新たに中途採用で担当編集者を補おうとしたからでした。

その大変さはハンパなものではありませんが、初めて、西村寿行に受け入れられたときの喜びも書かれています。
最初、付き合うのには我慢と時間がかかりますが、一度信頼関係を築けると「ホントに仕方のない人だな」と思いながらも惹きつけられてしまう。
そんな人間的魅力が西村寿行にはありました。

それが、第一線から退いた1990年代にも小説連載の仕事が続いた理由ではないでしょうか。

しかし、この頃、作品の雑誌連載・掲載時の煽り文句も〝不条理〟〝奇想〟〝奇作〟と付けられており、どうにも編集者が扱いに困りだしているのが目に浮かんでしまうのです。

また、1990年度分を最後に長者番付作家部門からも姿を消します。

ですが、この時期になっても、西村寿行の新作は単行本(ハードカバー)で初版5万部。
ノベルスもで初版で5万部が刷られていました。

当時税務署で公示されていた高額納税者と納税額を集計した資料をみると、1991年以降も数年間、年間1,000万円以上を納税していたことがわかります。

〝西村寿行 指〟や〝西村寿行 ポキポキ〟に対する反論

さて、ここからは余談になりますが、ネットで〝西村寿行〟と検索すると、〝西村寿行 指〟や〝西村寿行 ポキポキ〟という検索がされているのに気がつきます。
どうやら、『「金を払うから女性に指を折らせてくれ」と西村寿行が言った』というもののようです。
なかには、〝西○○行〟と卑怯な書き方をしているところもあります。

これに関しては、私は強く否定します。

西村寿行の小説やエッセイを読み、その考え方や人となりを知ると、とてもではないですが、そういう人物だったとは思えないのです。

〝ホステスに対して言った〟〝風俗関係の女性に対して言った〟という文章もネットに上がっていますが、確かな情報ソースがあるわけではなく、大変に無責任で西村寿行の名誉を毀損する書き込みだと思います。

銀座など女性のいるクラブやラウンジを西村は嫌いました。
大流行作家となっても、足を向けることはありませんでした。
これらは西村寿行のエッセイや、その執筆活動をささえた編集者たちの思い出話の中に出て来ます。

また、女性関係でも、長年秘書としてもそれ以上の関係としても作家生活を支えた女性がいること。
一時期は女優と交際したこと。
どこのソープランドへ編集者と連れだって行くことなど、神秘的なイメージを持ちたい作家なら絶対に公言しないことも、「別に隠すことでもなんでもないじゃねえか」というふうに、堂々とあっけらかんとインタビューで答えています。

こういう人物にそのような噂自体そぐわないと思います。

喜怒哀楽が激しい寂しがり屋で、お山の大将気質。
酔いに任せた部分もあったのでしょうが、夜に宴会をしているときには、北海道から九州まで方々へ電話を掛けまくり1日の電話代が2万円に及ぶこともありました。
自身が飲むのは、売れっ子作家となって、年収が毎年3億円になっても、ビールとバーボンウイスキー・アーリータイムズ。
酒が大好きで、気心の知れた仲間と宴会をするのが大好き。

小説家として一番忙しく、そして輝きを放っていた時期には、渋谷区代々木のマンション最上階に構えた仕事場での執筆が終わる18時頃から、各社の担当編集者が西村の元にアーリータイムズ持参で集まり、毎夜、打ち合わせを兼ねた飲み会を開き、週末になると、編集者たちと『雑木の会』という宴会を開いてもいました。

晩年になって、小説の執筆を完全にストップさせてからも、多摩市連光寺の自邸で宴を催した折りには、長年の戦友とも呼べる旧知の編集者だけではなく出入りの庭師なども呼び、かつて〝海賊料理〟と称した活魚料理店の経営者兼板前だった経験を生かして、自ら客に料理を振る舞いました。
宴の主役はいつも大好物の蟹でした。慣れた手つきで蟹を調理しては、客に蟹の身肉を存分に味わってもらい、蟹雑炊で締めるという何とも贅沢な時間を西村寿行自らが提供していたのです。

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私は、西村寿行という人物についてこう思います。
自分からは進んで徒党を組もうとはしない孤高の人。
でも、縁あって知り合い、気心の知れた人を大切にしたのが、西村寿行という人間だったと思います。

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話が横道に逸れました。

⇒そして、1993年(平成5年)を迎えます。その6に続きます。

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その6

人物伝

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その2

西村寿行 小説家デビュー

1973年(昭和48年)2月、西村寿行のデビュー作瀬戸内殺人海流が、サンケイ出版より出版されました。

42歳での小説家デビューです。

9月には第2作安楽死が出版され、翌年には第27回日本推理作家協会賞の候補に挙げられます。

※『安楽死』は2018年8月に角川文庫から復刊されています。

西村寿行の小説を読んだことのある方なら、〝男根さま〟〝後背位〟〝尻〟〝人妻〟〝ジーパン人妻〟がやたら出てくる、「ああいう小説か」と思われるかも知れませんが、作家生活前半の西村作品には、そんな言葉はほとんど出てきません。

受賞したのは、1973年内に上巻204万部・下巻185万部を売り、当時大ベストセラーとなった小松左京の『日本沈没(上下)』でしたが、

選考委員の評を読む限りでは、次点といったところで、一定以上の評価を受けています。

本格的に作家デビューとなったこの年の年収は250万円。
ちなみに、この年の大卒初任給は62,300円です。

翌1974年(昭和49年)には、第3作屍海峡が刊行され、出版業界では、〝新進の推理小説家〟と呼ばれ始めます。
この年の収入は1,200万円となり、デビューした1年前より大幅にアップします。

しかし、西村寿行のなかでは違和感と悩みが生まれていました。

『推理小説家になりたかったわけではない』
『推理小説家と呼ばれたところでしっくりこない』

そして、『トリックというものが性に合わない』

そんな折りに、西村は直木賞作家・生島治郎からアドバイスを受けます。

「冒険小説を書いてはどうか」

生島治郎は、早大英文科を卒業後、早川書房にて編集者を務め、『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』編集長を経て、退社。
『傷痕の街』で作家デビュー後、『追いつめる』で直木賞を受賞。
『黄土の奔流』などで、ハードボイルド小説の書き手として活躍。
『兇悪』シリーズが、天知茂主演のテレビドラマ『非情のライセンス』の原作になるなど、人気作家として名を轟かせる一方、大沢在昌を見出すなど、才能を見出す力にも秀でていました。
また、韓国籍のソープランド嬢との結婚を題材にした『片翼だけの天使』の作者としても有名です。

出世作『君よ憤怒の河を渉れ』誕生

西村寿行は生島のアドバイスに従い、手にした印税で山中に建つ一軒家の一角を借りて、大量の資料を持ち込んで、一心に冒険小説を書きます。
そして、彼の運命を変える『君よ憤怒の河を渉れ』は完成しました。

西村は書き上げた原稿を手に、講談社を訪れます。
早速、作品を読んだ編集者からは、〝作品が荒削りであり、荒唐無稽な箇所もあるので、もう一捻りして欲しい〟と指摘を受けます。

しかし、自分の作品に絶対の自信があったのか、西村は原稿を直すことなく、今度は徳間書店を訪れます。

作品を読んだ『問題小説』編集長は、荒削りな作品であることを承知で、そのまま『問題小説』に掲載します。

掲載されると、作品は大いに反響を呼び、刊行されたノベルス(新書版)『君よ憤怒の河を渉れ』はベストセラーとなります。
ノベルスと文庫を合わせて、最終的には発行部数70万部を記録しました。

ただ、デビューから数年がたっただけの西村の作品を、西村寿行選集(NISHIMURA HARD-ROMAN SERIES)と銘打って大々的に売り出したのも、当時大きな効果があったのでしょう。

ちなみにこの選集は、他社から刊行された本も、徳間書店が二次的にノベルスで発売を続け、1999年に発行された『鷲』『涯の鷲』まで全112冊に及びました。

また、続けて徳間書店から『蒼き海の伝説』も刊行。

いままでの書き下ろし一辺倒から、短編小説の雑誌掲載依頼も出版社から来るようになり、1975年分の年収は一気に4,400万円にアップ。

中野区上高田のマンションに仕事場を構えます。
順調な作家生活が始まりました。

西村寿行の活躍が始まる

1976年に入ると、角川書店から前年の終わりに野性時代誌上に一挙掲載された化石の荒野が刊行されます。(のちに渡瀬恒彦主演で映画化されます)
ストーリーはまったく違いますが、『化石の荒野』は『君よ憤怒の河を渉れ』を大幅にブラッシュアップした印象を受けます。

そして、この後の作品群で見受けられる設定や構成が決定的なものになるのも、この作品からです。
西村寿行自身もこの作品を気に入っていたのでしょう。
あとがきでは「ぼくのデビュー作」とまで言い切っています。

これもベストセラーとなり、西村寿行は、〝推理小説家〟ではなく〝新進気鋭のハードボイルド作家〟と見なされるようになります。
(〝ハードロマン〟という呼び方はまだ浸透していませんでした)

1976年(昭和51年)に刊行された本

この年には、前述した化石の荒野の他に、『娘よ、涯なき地に我を誘え』(78年に『犬笛』に改題)『幻の白い犬を見た(短編集)』『滅びの笛』『牙城を撃て(上)』『牙城を撃て (下)』『原色の蛾(短編集)』を刊行。

スポーツ新聞連載、小説雑誌連載・掲載が相次ぎ、執筆量が大幅に増加します。
この当時、西村寿行の月産枚数は原稿用紙900枚と報じられました。

1976年度分の年収は8,800万円。

まさに、倍々ゲーム。
仕事場も、新宿区と渋谷区の境に建ったばかりのマンション最上階に移します。

7月には、ニホンオオカミを題材に取った短編『咆哮は消えた』で第75回直木賞候補に挙げられます。
落選こそしましたが、当時の選評を読む限りでは、源氏鶏太・水上勉・柴田錬三郎からは好感を得ています。
※参照 オール讀物 1976年9月号

1977年(昭和52年)に刊行された本

咆哮は消えた(短編集)』『妄執果つるとき』『帰らざる復讐者 』『汝!怒りもて報いよ(上)』『汝!怒りもて報いよ (下)』『魔の牙』『魔笛が聴こえる』『荒涼山河風ありて』『悪霊の棲む日々』『白骨樹林』『双頭の蛇(短編集)』『往きてまた還らず(上)』『往きてまた還らず(下)を刊行。

1977年には更なる活躍を見せ、毎月の執筆枚数は400字詰め原稿用紙で800~1000枚。
急激に読者の人気を得ていきます。
西村寿行の専売特許ともいえる〝ハードロマン〟という言葉も浸透し始めました。

1月に『滅びの笛』で第76回直木賞、7月には、『魔笛が聴こえる』で第77回直木賞候補に挙げられます。

新聞や雑誌に連載され本にまとまったとき、連載時と文章を比較すると、しっかりと著者校正作業をおこなっていたのが分かります。

しかし、執筆量が大幅に増えて、ひとつひとつの作品の細部にまで、目が届かなくなっていったこともあったでしょう。
急激な西村寿行作品の人気上昇を面白く思わない選考委員も存在したと思います。

選考委員の意見は、「着想は面白いが雑」「荒唐無稽」「劇画的」と否定的になり、いずれも落選の憂き目に遭います。
※参照 オール讀物 1977年4月号・1977年10月号

西村は3度目の直木賞落選のあと、文藝春秋に「もう候補にしてくれるな」と断り状を出しています。

この断り状のタイミングが不明なのですが、77年の年末に、78年1月に選考が行われる第78回直木賞候補に自作が挙げられるのを知って、断り状を出したのであれば、どの作品が候補に挙がることになったのかは、気になるところです。

1980年に受けたインタビューで、“「どこの賞も候補になるのは断っている。」”と発言しています。
参照:「データバンクにっぽん人 西村寿行」週刊現代1980年5月22日号

日本推理作家協会賞や、雑誌の企画で誌上にて手紙のやり取りをした五木寛之が仕掛け人となった泉鏡花文学賞。
それに、この年に始まった日本SF大賞の候補打診があったのかもしれません。

しかし、このインタビューでは、こんな思いも漏らしています。

“「でも、同業者が選ぶ賞は欲しくないが、前に小説現代がやっていたような読者賞ならいい。」”

西村が触れているのは『小説現代ゴールデン読者賞』のことです。

この賞は、読者の投票によって決まる賞で、1970年~1975年まで続きました。
受賞者は以下の通りです。

第1回 笹沢佐保『見返り峠の落日』
(推理小説から時代小説に初めて挑戦し、『木枯し紋次郎』の原型となった作品です)

第2回 梶山季之『ケロイド心中』
(被爆と性をテーマにした短編です。発表当時には各所から猛抗議を受けたようですが、彼自身、広島に深い縁があり、原爆被災資料の刊行に資金援助をした人物でもありました)

第3回 松本清張『留守宅の事件』
(短編集『証明』に収められている一編です。ここではネタバレはしません)

第4回 野坂昭如『砂絵呪縛後日怪談』
(本人のイメージと異なる江戸を舞台にした時代小説です。執筆にあたって柴田錬三郎から「江戸の夜は暗かった。女のほうが強かった」という短いアドバイスをもらって書き上げたというエピソードがあります)

第5回 池波正太郎『殺しの四人』
(『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶ人気シリーズ『仕掛人 藤枝梅安』の一編で、「おんなごろし」に次ぐ梅安シリーズの2作目です)

第6回 井上ひさしいとしのブリジット・ボルドー
(東北の旧家で発見された1800年代中盤のボルドーワインを巡る騒動を描いています。笑い・ユーモアはすごいと思います)

こうやってリストアップしてみると、小説の読者は、いい小説を選んでいるなとつくづく思います。

1977年度の年収は1億5,000万円。
前年度から更に倍増します。

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⇒西村寿行の勢いは留まることを知りません。更に読者の人気を得ていきます、そしてついに・・・
その3に続きます。

昭和後期の超人気作家 西村寿行は本当に凄すぎた! その3

公務員

地方公務員は美味しい職業か? その3

はる坊です。

それでは、5ch(2ch)のランキングを見て、
私の見解で作成した市役所の配属先ランキングをお目に掛けます。
比較していただくと、違う部署が多いことがわかると思います。

はる坊の市役所配属先激務ランキング

◎印はエリート課
○印は準エリート課

天国
支所・出張所・霊園管理事務所

楽園
○監査委員会 ◎議会事務局 公民館 農業委員会
環境保全課 図書館(分室) 管財課 環境センター
人権課 男女共同参画課 資産税課 戸籍住民課
環境衛生課 下水道管理課 外郭団体総務
水道料金課 水道総務課 契約検査課

まあまあ
社会教育課 会計課 図書館(本館)農林課
土木課 建設課 ◎都市整備課 スポーツ課
広報課 ○市民活動推進室 ○情報システム課
総務課 ○企画課 住宅課 産業振興課 納税課
環境政策課 公園緑地課 医療助成課 市民税課

きついまたは汚い
◎人事課 ◎秘書課 ◎財政課 ◎企画政策課
○教育総務課 高齢福祉課 病院総務課 児童福祉課
建築指導課 道路管理課 生活支援課(生活保護)

激務&汚い
国民健康保険課 後期高齢者医療課
市民病院医事課

最悪・最低
介護保険課 障害福祉課 児童福祉課(手当・CW)
○防災課

明日を、もっと、ハッピーに!『ショップジャパン』

やっぱり、このあたりはエリート部署

人事課・秘書課・財政課・企画政策課・議会事務局は、私が勤務していた自治体でもエリート部署でした。

特に財政課はトップです。
やはり、市のお金を牛耳っているところは強力です。

では、財政課がどんな仕事をしているのかみていきましょう

予算請求書が各部署(○○局 ○○部 ○○課)で作成され、財政課に提出されます。
(ちなみに、予算請求書作成前に、財政課から予算額前年比○%カットを目標にというお達しが出ます)

予算請求書について、財政課が提出した部署ごとに、ヒアリングを実施します。
(どうしてここにこれだけお金がかかるのか、という聞き取り調査ですね)

財政課によって査定がおこなわれます。

財政課の担当者⇒管理職と経るにつれ、査定は厳しくなり、請求した予算は削られていきます。

副市長⇒市長へ査定報告がなされ、予算調整がなされます。

財政課から各部署に予算内示がおこなわれます。

内示された予算について、各部署と財政課の折衝がおこなわれます。

市長や副市長相手に折衝をおこなうこともありますが、緊急性や必要性の高い項目が予算削除や削減の対象となっていれば、業務に支障がでます。

各部署の予算編成担当者は必死です。

最終内示がなされます。
(当初提出した予算案とまったくの別物に見えるのは気のせいではありません)

市議会で審議がおこなわれ予算案の承認が行われます。

※自治体の財政、財政課の仕事については多くの書籍が出版されていますが、私が実際に熟読して、非常に良書だと感じており、おすすめできるのは以下の3冊です。

そして、人事課・企画政策課・議会事務局・秘書課。
いずれも花形部署ではありますが、財政・人事・企画政策・秘書の各課はあまりに多忙です。

出世コースではありますが、「行きたいか?」と問われれば躊躇します。
毎日朝から深夜までの勤務だけならまだしも、実質年間休日30~40日あれば御の字です。

非管理職であれば、多忙で代休を取れない場合、超過勤務手当に振り替えられて2ヶ月~3ヶ月後の給料に反映されますが、管理職だと、なかなか悲惨な環境に置かれます。

ここで成果を上げれば、出世コースの階段を駆け足で登れるわけですが、大きなミスがあった場合、上とうまくいかなくなった場合は、一気に不人気部署に異動となる確率があります。

ある程度出世コースに乗ったあと、「これ以上偉くなりたくもないし、ここいらでゆっくりしたい」という方だと問題ありません。

ですが、花形部署で大きな汚点を作ってしまうと、公務員の場合は、リベンジのチャンスを与えられることがほとんどありません。

すっかり腐ってしまい、昇格もないまま2~4年ほどのサイクルで、あってもなくてもどうでもいいような部署を転々としている課長クラスもいますね。

周囲の人間にとっては大迷惑な存在です。

また、採用時に他の課に配属されていても、そこで仕事のできる職員だと認められ見いだされれば、財政や人事に異動となることはよくあります。

米国MBA取得は遠い夢ではなくなりました

日本にいながらアメリカのマサチューセッツ州立大学MBA(経営学修士号)が最短2年で取得できます。
『本物のMBA』の証といわれるAACSB国際認証を受けているプログラムです。

米国私立大学のAACSB国際認証MBAプログラムを修了するには、学費・現地滞在費を含めて1000万円以上の費用が必要となります。
それに対して、このマサチューセッツ州立大学MBAプログラムは、入学から卒業までに必要な学費が、トータルで約290万円からとなっています。
この学費で最大5年間在籍・履修できます。

本当に、完全オンラインで留学は不要で入学手続きも簡単です。
まずは、卒業生(修了生)の声を聞いてみてください。

完全オンラインで米国MBAを取得 マサチューセッツ大MBA



さて、5ch発のランキングと私のランキングでは、大きく違うところがあります。

まずは、税関係。

資産税課が一番楽です。
次に市民税課、最後に納税課(最近のマンガでありましたが、自治体によって徴収課・収納課とも呼ばれています)です。

この『ゼイチョー ~納税課第三収納係~』は、

踏み込みが甘いと感じるところも多少はありましたが、
現場取材はかなり行き届いていてリアリティがあります。市役所職員に興味のある方は、是非、ご一読ください。

市民税課と納税課はしんどい部署だと書かれていますが、私自身が見聞きした限りでは、そこまでしんどい部署だとは思いません。

税務でひとくくりにされていれば、年中たいへんですが、市民税・資産税・税制と分けられている自治体なら、季節労働者的なところがあり、
繁忙期はあっても、割合に有給休暇が取得しやすいです。

また、税関係から異動になった方が、

「税に戻りたい」

と言っているのをよく聞きました。

市に税を徴収する形で貢献しているのが実感できますし、クレームがあっても、説明しやすいのが大きいようです。
(幾ら根拠を示して丁寧に対応しても、終止、感情を剥きだしにされたままの市民の方には往生しますが)

生活保護担当課はブラックではない!?

また、生活支援課(生活保護)もブラックだとはいえないと思います。

役所という組織上、個人プレーでできる仕事は限られていますが、生活保護関係は、個人の実力が大きくモノをいう部署です。

体力的にも精神的にもツラい部分はありますが、意外に、悲壮な顔をして仕事をしている方は少なかったです。

相対する市民の方の質には、いろいろと思うところがありますが、案外、勉強にもなりますし、やりがいもあるからかもしれません。

税と福祉が市役所の大きな柱ですし、ケースワーカーを経て、実力を見極めた上で、人事や財政に引き抜かれる職員もいます。

ある意味では、裏の出世コースなのかもしれないなと、在職中には思っていました。

経験を積んで福祉関係で独立される方もいらっしゃいます。

生活保護担当課が舞台の『健康で文化的な最低限度の生活』がドラマ化されましたが、原作のコミックはよく取材がなされているなと感じます。一読の価値ありです。

絶対に行きたくない地獄部署

本当にキツイ。
地獄といっていい部署は、介護保険課 障害福祉課 児童福祉課(手当・CW)の3つであることは間違いないです。

介護保険障害福祉児童福祉の3つがなぜキツイかといえば、事務処理に関しては慣れれば問題なく進めていくことができます。

相手となる市民の方々の相談受付や折衝がキツイのです。

窓口に来られている方には、ご自身の事情を話せば、役所がサッとこちらの思い通りに何とかしてくれると思い込んでいる方が一定数いらっしゃいます。
しかし、残念ながら、相談を受けてすぐにすべてのご事情を解消できるケースは少ないです。

そこで、トラブルが起きます。
市職員に向けて、不平不満が爆発します。
そうなると、元来の仕事がストップしてしまいます。
こういうケースが年々増加していることは確かです。

しかも、今後は、もっと仕事量が増えます。
これは間違いがありません。

ということは、現在より先は、この部門に今まで以上の人員が割かれるということになります。
よって、これから自治体に入る方は、この部署に配属される可能性が高まります。

市役所で基本的に楽な部署を挙げていきます

まず、清掃関係・上下水道関係は楽だと思います。

しかし、楽な部署は使えない職員が多く配置されていることも事実としてあります。

もしあなたが優秀な職員であったとしたら、使えない部署に異動となると、しんどいものがあります。

どうしようもない職員ばかりの課では、仕事が回らないため、優秀と目されている職員も配置します。
そうすると、仕事のできない職員の分まで、働く羽目になります。

どこかにやり甲斐や目的を持てればいいですが、給与に関しては、頑なに年功序列である為、サッサと辞めて欲しい人が、あなたの倍近くの給与を得ていることもあります。
昔は期待されていて、多少は出世をしたけれど、どこかで本流から外れて、やる気を失い、迷惑な方である場合もあります。

ボーナスにおいても、成績上位と成績下位の職員で、確固たる差は現状ではありません。

図書館も人気だけど・・・

また、図書館も人気がありましたが、最近では、図書館流通センター(TRC)などに外部委託をする自治体が増えて正規職員の配置は多くありません。

老若男女問わず利用される施設なので、それぞれの価値観からトラブルに発展することが多く、
ストレスが溜まる場所になりつつあります。

朝一番からシニア層が列をなして、新聞の取り合いに始まるマナーの悪さが職員へのクレームとなりますが、注意喚起を呼びかけるだけでは、まったく聞く耳を持ってはくれないようです。

また、出版業界が衰退の一途を辿っているのは図書館が本を大量購入して、本は図書館で無料で借りるものという認識を読者に植え付けてしまっているという声もありますが、利用者から予約した本がぜんぜん借りられないというクレームも多いと聞いています。

仕事面では本の貸し出し冊数が増加する一方で、作業量が増加。
司書資格を持ち、現場で対応するのは大半が女性職員。

対利用者だけでなく、女性職員同士のいざこざも深刻です。
自治体によっては、正職員・嘱託職員・非常勤職員・アルバイト職員と厳然とした差もありますので、人間関係が良好とはいえません。

よく話題に上っている防災課(危機管理課)は、東日本大震災を契機に性格が変わった

さて、よく話題に上っている防災課(危機管理課)は、2011年3月11日の東日本大震災を契機に性格が変わった自治体が多いように感じられます。

とにかくこの部署は待機時間が長いです。

災害が起こったとき、起こると予想できるときはもちろんですが、台風が近付いてきたというだけで、24時間待機。

その辛抱強さを買われて、出世するコースではありますが、プライベートは、まったくなくなると覚悟したほうがいいです。

1日10分間×90日間で株式投資の知識をゼロから学んでみませんか。
スキマ時間を有効に使って身に付けた金融知識は一生モノになりますよ。



個人的にオススメなのは、監査委員会事務局(監査委員事務局)

簡単にいうと、監査委員会事務局(監査委員事務局)の仕事は、決算審査や定期監査です。
契約関係や出納など、事務処理が適正に行われているかを調査します。

これは自治体すべての部署が対象となりますので、どの部署がどんな仕事をしているか、仕事のやり方は適正か、そして、優秀な職員は誰かということが、職務をこなしていくなかで、よくわかるところです。

給与をもらいながら職員として、本当に勉強をさせていただいていると深く感謝しながら、勤務をしていました。

また、監査をおこなうという立場上、勤務時間についても非常にキッチリしているので、市役所においては、ある意味理想的な職場だと、私は今になっても思っています。
(まあ、冷暖房の温度までキッチリしていましたね)

残業も多くなく、また、サービス残業も一切ありません。

少ない時期ですと、月に3時間~5時間ほど。

多い時期でも、月に20時間~30時間ほどでした。

キッチリしていて、自らを律していける方であれば、これ以上いいところはない気がします。
ただ、小規模な部署なので、配属される可能性が低いのが難点でしょうか。

新規採用時にどういう理由でここに配属になったのか、確固たる理由は、未だにわかりません。
ただ、先輩方は議会事務局・財政・企画・政策を経験されていました。

最後に、あなたが公務員試験を受験しようとされている方なら、ここだけは聞いておいてください

『公務員試験』対策なら法律資格・公務員試験専門の受験指導校・伊藤塾!

もし、あなたが公務員試験を受験しようとされているなら、しっかりと目標を見定めて実績のあるプログラムで勉強をしたほうが、しっかりと夢に近づけます。

やはり、ただの独学では得られない、長年蓄積されたノウハウや一番効率のいい教育プログラムとは無視することができないと感じます。

最近では、安い受講料と手軽な受講方法をうたう業者も増えていますが、実際の合格数を見るとまったく比較になりません。

公務員採用後に得られる収入を考えれば、多少高くともしっかりした学習方法で能率よく学習して、一発合格をするほうがよいにきまっています。

また、本気で公務員になりたい仲間と一緒に勉強できることは、あなたにとって大きな刺激になります。

さらに、合格後・採用後に、同じ自治体に一緒に勉強して気心が知れた仲間がいれば、心強いですよ。

あなたの『公務員になりたい!』という思いを、心から信じています。



地方公務員関係の記事は以下にまとめてあります。ぜひご一読ください

⇒(新しいタブが開きます)こちら『はる坊の雑記』地方公務員関連記事 整理ページです。

公務員

地方公務員は美味しい職業か? その2

はる坊です。

2020年の人事院勧告がおこなわれました。給与引き上げです。

2020年10月7日と10月27日に令和2年の人事院勧告がおこなわれました。

2020年度の国家公務員の給与については、民間との較差が164円と極めて少額であるとして、据え置きを勧告しました。

これまで、6年間連続で引き上げがおこなわれていましたが、月例給の改定なしとなりました

一般企業のボーナスに該当する期末・勤勉手当は、夏期(6月30日支給)と冬期(12月10日支給)の合計で昨年度の月給の4.50カ月分から4.45カ月分とする勧告も同時におこなわれました。

コロナウィルス禍のなか、公務員は給与据え置き、ボーナスカットは少しだけなのは「理解できない」と思われる方も多いのではないかと考えます。

人事院勧告の対象は国家公務員ですが、地方公務員にも準用されて、給与(俸給表)の据え置きとボーナスの引き下げがおこなわれる自治体が大半を占めるでしょう。

2019年の人事院勧告はどうだったか?

2019年の勧告は冬のボーナスにて、前年比より減少や支給しない民間企業も見受けられるなか、人事院は0.05ヶ月分アップを勧告しました。

この勧告によって、公務員の給与や年収にどういった変化があるかといいますと、

基本給となる俸級表も、例えば200,000円だったところが201,000円となり、この差額分は同年4月から遡って支給されます。

この基本給のアップ分には地域手当が掛けられます。
東京特別区の場合、地域手当は20%ですので、基本給の差額+基本給の差額×20%が4月からの遡及されて支給されます。
また、前年度には年間4.45ヶ月分だったボーナスも、アップ分の0.05ヶ月分はこのときに支払われますので、ちょっとしたボーナス感覚です。

これは、年末ギリギリか年始を過ぎてしばらくしてから、支給されることが多いです。
また、福利厚生に関しても、女性の場合、育児休暇を取得するのに何の気兼ねもいりません。
なぜなら、育児休暇を経て職場に復帰するのが当然のこととされているからです。

第一に、国が男性職員にも育児休業期間をとって育児参加をするよう促しているわけですから。

公務員の抜群の信用度と待ち受けるワナ

そして、抜群の信用度があります。部屋を借りるときでも嫌な顔は絶対にされませんし、自宅を購入するときにはすさまじいパワーを見せてくれます。

私自身、市職員時代に住宅ローンを組んで自宅を購入しましたが、こんなにも簡単に銀行の審査に通っていいものかと、逆に不安になるほどあっけなかったのを憶えていますし、クレジットカードを申し込んでも落ちた経験はありません。

ただ勘違いしていただきたくないのは、
【あなたが○○都・○○道・○○府・○○県・○○区・○○市の正規職員である】から、住宅ローンの審査がスルーパスなのです。

ところが、意外にも自分の実力だと勘違いしている方がいるのです。

これは公務員だけではなく、民間企業に勤めるサラリーマンの方でも、一定以上の収入を得ている方にもありがちです。

若い層ではあまり見受けられませんが、ミドル層以上では、どう考えてもお金の遣い方について、身分不相応としか思えない方がチラホラ見受けられます。
「えっ!」とビックリするような外車を持っていたり、資産や副収入がないと勤め人では住むことが難しいと考えられる場所に、高額返済のローンを組んで自宅を構えていたり、悠々と近場ではない海外へに旅行に出掛けたり。

また、当然のようにブランド服を身につけたり、外食も当然のように高級店を利用していたり、毎晩のように飲み歩いて、お店の常連になっていたり。

「銀行はホイホイお金を貸してくれるし、収入も安定しているから大丈夫。それに減額され続けているとはいえ、2~3,000万円の退職金があるし、年金も俺らの世代はもらえるし」

信じられないかもしれませんが、本当にこんな感じの方がいるのです。

しかし、甘いんですね。お金を借りる相手がいつしか銀行から金融業者に変わり、その金融業者から給与の差し押さえされた方を数多く見ました。ナニワ金融道』にも、父親の借金の保証人となった市役所勤務の娘が、転落していく話がありましたが、これは1990年代の昔話ではなく、実際に現在進行形のよくある話です。

役所の給与体系は完全に年功序列です。
若くして出世しても、中高年層であまり出世と関係のない方が給与を多くもらっているケースは幾らでもあります。
(これは早々に是正すべきだと思います)

若手は役所にいる限り、たとえ薄給激務部署であっても日々働かなくてはなりません。

退職金の計算を繰り返している人や、定年退職後の再任用について、できるだけ楽なところに行かせてほしいと、
庁内営業に余念のない方に替わって、役所の現場を支えているのは、若手です。

公務員は、金銭と酒のトラブルが一番怖い

公務員に話を戻します。

個人的に金銭トラブルを抱えているのが露見すると役所は冷たいです。

花形部署にいた人でも、次の人事異動で簡単に放出されます。それも、できるだけみんなが行きたくないと考えている部署へ。

それで済むならまだマシで、結局は退職を余儀なくされて、職を追われた方も何人かいました。

たとえば50代で、学校を出てからの30年以上、公務員しか経験のない方を、どこの会社が同じくらいの給与で雇ってくれるでしょうか?

私が見たケースでは、再就職が叶っても年収900万円から年収300万円に落ちた例などがありました。
この再就職は自力ではなく、人様の力添えで何とか実現したものです。
この方がその後、どうなったのかは知りませんが、公務員時代の金銭感覚を後悔していることだけは確かでしょう。

たとえ公務員時代が激務だったとしても、それなりの収入があったので、納得できていたでしょう。それが3分の1になり、仕事の量は増え、質もさらに高度なものが求められたら・・・・・・。

悲惨の一言ですね。

また、酒のトラブルも恐ろしい。飲酒運転で逮捕されれば懲戒免職処分は免れませんし、これは公務員の世界に限りませんが、酒癖が悪かったり、酒席での振る舞いによって、前途をなくした方も見ています。

行政書士法第2条第6号により、17年間以上(中学校卒業程度の場合は20年以上)行政事務に従事していれば、行政書士の資格は無試験で得ることができます。
ただ、行政書士資格を保有していたとしても、何の特長も持たない行政書士だと食べていくのは難しいのが現実です。

公務員は経験年数が長ければ長いほど、一般企業の常識と掛け離れていきます。

よって、何らかの理由で中途退職した公務員を進んで採用したがる企業はないでしょうし、転職活動は険しすぎるものと考えたほうがいいと思います。

その1でもお話しましたが、私自身、大学卒業後、民間企業の企画営業職を経験して、ひょんなことで市役所職員を目指すことになり、7年間行政事務職として市役所で働き、民間企業に戻った人間です。

5ch(2ch)公務員スレッド 激務ランキングの信憑性

さて、5ch(2ch)の公務員スレッドで激務ランキングというものも作られました。
引用してみましょう。

★は市役所出世ランキングのAクラス
☆はBクラス

天国
A
支所(出張所含) 資料館 文化会館 スポーツ課
美術館 給食調理場 霊園 聖苑 最終処分場
青少年会館 防災課※

楽園
B
会計課、監査委員会 土木課 建設課 ☆都市整備課
☆議会事務局 社会教育課 公民館 図書館 ☆広報課
市民活動推進室 農業委員会 消費生活課 環境センター
管財契約課 環境保全課(分析・届出)農産課

まあまあ
C
★総務課 企画課 住宅課 給与福利課 人権対策室
環境保全課(苦情・指導) 産業振興課 年金課 資産税課
納税課 戸籍住民課 環境衛生課 下水道管理課 環境政策課
公園緑地課

きついまたは汚い
D
★人事課 ★秘書課 ☆情報システム課 ★財政課 商業観光課
☆教育総務課 高齢福祉課 病院総務課 児童福祉課(保育園)
建築指導課 道路管理課(境界査定)

激務&汚い
E
保護課 介護保険課 後期高齢者医療 病院医事課 医療助成課
市民税課

最悪
F
国民健康保険課 障害福祉課 児童福祉課(手当・CW)

このランキングについてはスレッド上で議論が起こったり、また、ランキングがそのままの形で拡散しているので、ご覧になった方も多いのではないかと思います。
身も蓋もないいいかたをすると、このランキングは勤務する自治体によって大きく変わります。
自治体ごとに、そこに勤めている職員が作らないと正確なランキングは作成できません。

そして、また面倒なことに首長が替わるどころか、局長、部長が替わることによって、大きく入れ替わるランキングでもあるのが実際のところではないでしょうか。

その為、楽園に位置している部署が、○○市では誰も行きたがらない激務部署で、サービス残業(地方公務員の残業代については労働基準法上で適用外にできます)や休日出勤(これも無給)が常態化しているとか、また、その逆で、「えっ、何で! ○○課は楽よ」という声が聞こえてきたりするのです。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

続きはこちらから。私の考える〝市役所激務ランキング〟を掲載しています⇒地方公務員は美味しい職業か? その3

公務員の副業など上記以外の記事はこちらから・・・
⇒(新しいタブが開きます)こちら『はる坊の雑記』地方公務員関連記事 整理ページです。



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公務員

地方公務員は美味しい職業か? その1

終わらない公務員人気

はる坊です。
アベノミクスで景気は回復しているといわれながらも、イマイチ実感が湧いてこないご時世に公務員が人気だそうです。
しかも、国家公務員よりも地方公務員が。

地方公務員でも県や市によっては、合格者が辞退を申し出るケースも増えています。

日程が違うところは、複数受験できますし、たとえ受かっても、その県や市に魅力がない、また、将来的に不安だ。

もともと、ここは力試しや肩慣らしで受けたら通っただけ。

理由は様々ですが、公務員であっても、財政が安定している自治体。待遇のいい自治体で働きたいというのは、当然のことだと思います。
心ない人々からは、「おまえたちは公僕だ」(多分、こういうことを言う方は、〝公僕〟の意味を理解されていません。)
とか、
「俺たちの税金で食ってるくせに」などと言われても、公務員だって社会で生活する人間のひとりです。

立場と収入が安定している公務員

ブラック企業や過労死、サービス残業といったマイナスのワードが、マスコミやウェブ上で当たり前となり、一瞬にして情報が駆け巡る時代に、すこしでも良いところへ行きたい、それに『収入が安定しているから』公務員を目指す人が増えているのだと思います。

収入の安定については間違いありません。

給与の遅配はありません。もし、起こったのなら大変なことになります。
また、年に2回のボーナス(期末手当・勤勉手当)も確実に支給されます。

収入やステータスは一流どころの巨大企業には及ばないが、それなりの人生は送れる。
または、地方公務員の場合は転勤がない、あっても限定的だ。

というのが大きな理由でしょう。

特に女性の場合は、ライフステージに併せて様々なサポートが手厚い、市役所・区役所の行政職が一番働きやすい職業ではないかと思います。

もちろん、生まれ育った地元や縁のあるところで根を張って働きたいと非常に前向きな方もおられるでしょう。
いずれにせよ、頑張って試験勉強をして、受験をしておられるのだと思っています。
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リストラされないという神話
公務員には『余程何かをやらかさない限り、リストラや解雇されない』という神話があります。
安定して無難な人生が送れるというイメージがあるのは事実でしょう。

また、地方公務員のほうが人気なのは、国家公務員は激務だというイメージがあるからかもしれません。
実際、霞ヶ関は不夜城です。
特に国家一般職で本省だと・・・・・・。
薄給でしかも激務と。
しかし、都庁・府庁・道庁・市役所でも午前様が当たり前な部署はいくらでもあることは、忘れないでいただきたいと思います。

先行き不透明な時代で、安定を求めようとするのも無理はないと思います。
しかし、闇雲に公務員を目指すのはどうでしょうか?

というのも、私が元地方公務員(市役所職員)だからです。

某中核市で7年間勤務していました。

私は元市役所職員です

私の職歴を申し上げると、大学卒業後、新卒で民間企業に入社して企画営業職に従事しました。
そして、会社を退職した翌日に、当時在住していた市役所に入職して、行政事務職を丸7年間経験しました。
市役所退職後は、伯父が設立した会社を引き継いだ従兄の誘いで、同族会社に勤務したのちに、のれん分けのような形で独立して現在に至ります。

私が市役所職員を目指したのは些細なきっかけからでした。
大学を卒業したのは就職氷河期まっただ中でしたが、最初から民間企業にしか眼中になく「公務員になろう」とはまったく考えませんでした。というよりも興味がなかったというほうが正確です。

身内や友人・知人に公務員がいなかったことで、話を聞く機会や影響を受けることがなかったのがその理由だと思います。

実際、同じゼミで、当時の国家二種(現在の国家一般職)に受かり、卒業後に総務省へ入省したゼミ生がいましたが、「ふ~ん」という感じでした。
また、国税専門官になったゼミ生もいましたが、「ふ~ん、『マルサの女』の世界か」という感じでした。

これまた、警視庁へ事務職員(警察行政職員)として入ったゼミ生もいましたが、これもまた「ふ~ん、警察官じゃないのね」という感じでした。

コンプレックスを感じたのは、私より成績が優秀で、都市銀行(当時、メガバンクという言葉は使われていませんでした。欧米の話でした)に入行したゼミ生たちでした。そんな彼らが入行した銀行の出身者が市役所に転職をしてきて、一緒に仕事をすることになろうとは、この当時は思ってもみませんでした。

営業マンから市役所職員になった理由

新卒で入った会社は厳しかったものの、私自身事務仕事より営業が向いていたとみえて、一日中、外回りをするのが楽しかったです。
若かったせいもあったでしょうが、キツくても達成感を味わえる仕事は、辞めがたいものがあります。
(それでも、やはりノルマが達成できそうにないときには胃が痛みましたし、血尿も出ましたけど)

どうも、営業職を嫌う方は多いように思うのですが、営業ほどクリエイティブな職もないのではないかと思います。

さて、4年目に異動となった支社にAという同期がいました。
この支社は私の生まれ育った地元にあったのと、入社以来Aと気が合ったので、嬉しかったことを憶えています。

そして、いろいろと喋っているうちに、Aが公務員試験を受けていることを知りました。
Aのご両親は国家公務員でした。その影響が濃かったんでしょう。
Aから公務員の素晴らしさ(美味しさ)を聞くに連れて、「僕も受けてみようかな」と思うようになりました。

地元の市役所の受験資格を調べてみると、年齢はギリギリで大丈夫。
あとは試験をどうやって乗り越えるかでした。

私の公務員試験勉強法

私が実行した勉強法はシンプルです。
・出社前・退勤後には電車内や喫茶店で、集中してやる。
・どんなに辛くても早朝に起きて、2時間は勉強する。
・休みの日には、図書館へ行って筆記試験の勉強に勤しむ傍ら、地元の市役所が今やっていること、これからやろうとしていること(施策)を調べまくる。

(要するに、その市のことを誰よりも知っているくらいの勢いで調べておけば大丈夫です)

そして、まずは筆記試験に合格。
これに合格しないことには、何も始まりません。
筆記試験で数的推理が苦手だとおっしゃる方が多いようですが、残念ながら避けては通れません。

私も苦手でしたが、市役所に受かりたい一心で、問題と取っ組み合いしていました。
どうしてこの年になって、英語や数学までやり直さないといけないのかと思ったこともありましたが、苦手であることを克服することで人間は成長できるものだと大学受験で知ったので、時折17、8歳の頃を思い出しながら取り組みました。
教養論文も時事問題を中心に勉強したおかげで次の集団討論も合格。

集団討論では営業職で、ただアピールをするのではなく、自分の立場を推し量りながら仕事をしていたのが役に立ったといまになっては思います。

現在の公務員試験では、面接が合否を分けます。

個人面接(第一次面接)も合格。
最終面接(第二次面接)も合格。

面接については、個人的にいろいろ思うところがあります。
たしかに、私は図書館で目指す自治体について、徹底的に調べました。

情報が公表されているものに関して、面接官から何を突っ込まれても、答えられるようにしておきたかったのです。
それが、功を奏した部分はあります。
質問に詰まることはありませんでした。

しかし、入職後に判ったのですが、運の要素もあったのです。
私が入職後にしたいこと、行きたい部署については、面接時に話をしましたが、面接官のなかで、最も権限を持っていた方は、その部署の長を務めて、当然のことながら、現場にも精通していたのです。
やはり、これは運と言わざるを得ません。

公務員試験を経験して感じたことがひとつだけあります。

それは、平等で公平なシステムだということ。

特に筆記試験では、努力は報われるということ。

筆記で落ちたのなら惨めですし、親兄弟に伝えたのなら、「勉強もせずに受けたのか」と思われても仕方ありません。
面接で落ちたのなら、そんなことを言われたり、思われたりすることはないでしょう。

多少の運不運はあっても、それを上回る努力をしたのなら、受け入れてもらえる。
これは、今になってもひとつの自信として私の中に息づいている気がします。

27歳で市役所職員になりました

[br num=”1″]私は27歳で、市役所職員になりました。
退職を申し出てから、ほとんど有給休暇も取れないまま3月31日まで民間企業に勤め、翌4月1日からは市役所に勤め始めました。
これまでに比べて、朝は1時間遅くまで寝ていられる。
これが、まず嬉しかったです。

市役所職員を目指したきっかけとなった恩人Aは・・・

ちなみに、私に公務員への道を開いてくれた恩人でもあるAは、市役所に入職した私から話を聞くにつれて、どうやら父親の時代と違うことを察して、公務員に幻想を抱いていたことに気付き、それでもサラリーマンでこのまま終わりたくないと、通勤途中やスキマ時間を有効に活用して試験勉強に励みました。そして、まずは行政書士試験に合格
行政書士 合格講座 速修生!今から始めて6ヶ月で合格

その後、会社を退職して無職の期間を作り、司法書士を目指して2年後の試験に合格、法務事務所勤務を経て、現在は司法書士事務所を開いています。

たまに食事をしたり酒を飲んで旧交を温めますが、サラリーマン時代より、ずっといい顔をしています。
Aに司法書士を目指したきっかけを訊ねたことがあります。

Aの答えは「何か根拠のあるものを武器に働いていきたかった」でした。

彼の場合は、法律家として、その資格を武器に経験を積んで、生きていくことでした。
法律知識ゼロから合格レベルまで引き上げる!伊藤塾の司法書士入門講座

最初、公務員がまず公法に則って動くものであることで目指し、挫折を味わってからも、法律を人生の根拠に求めて努力を惜しまなかったAは偉いと、つくづく思います。
その2に続きます。市役所激務ランキングにも触れています

最後まで、読んでくださり本当にありがとうございました。
他にもお役に立てる記事があるかと思いますので、どうぞお楽しみくださいませ。