スタジオジブリの役員はどうなっているのか?

はる坊です。
今回は、商業登記簿を読み解いて、スタジオジブリの役員がどうなっているのかを見てみたいとおもいます。

それでは早速、本題に入りましょう。

株式会社 スタジオジブリの会社情報

株式会社スタジオジブリの会社設立は2005年4月です。

※1985年6月に、初代・株式会社スタジオジブリは、徳間書店出資の下、代表取締役社長に徳間書店社長の徳間康快氏、常務取締役にトップクラフトを経営していた原徹氏が就任して設立されています。
徳間書店の社内制カンパニー導入によって、徳間書店に吸収合併されて、再度独立した経緯がありますので、現在のスタジオジブリは2005年4月設立になります。

資本金は1000万円。

以下の3名が代表権を持つ取締役です。

代表取締役会長
星野康二
※1956年5月7日 北海道札幌市出身。北海道立札幌旭丘高等学校、創価大学文学部卒業。ニューヨーク州立大学オルバニービジネススクールにて経営学修士課程修了(MBA取得)
外資系建築資材メーカー、カーナビー・カンパニーグループに移籍。
ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント日本代表、ウォルト・ディズニー・インターナショナル執行副社長を経て、スタジオジブリ代表取締役社長に就任。

代表取締役社長
中島清文
※1963年5月26日 栃木県小山市出身。栃木県立栃木高等学校、東京大学経済学部卒業。
住友銀行入行後、経営危機に陥った徳間書店再建の為に、同社に出向後正式に転籍。
スタジオジブリ関連としては、徳間記念アニメーション文化財団の事務局長を経て、三鷹の森ジブリ美術館館長に就任している。
2017年11月にスタジオジブリに移籍して、同年11月28日付で代表取締役社長に就任。

代表取締役プロデューサー
鈴木敏夫
※1948年8月19日愛知県名古屋市出身。東海高等学校、慶應義塾大学文学部社会学専攻卒業。
徳間書店入社後、週刊アサヒ芸能編集部を経て、創刊された『アニメージュ』に移る。
宮崎駿氏・髙畑勲氏との出会いを経て、スタジオジブリの設立に尽力する。
『アニメージュ』編集長を経て、1989年10月にスタジオジブリに移籍。

常務取締役
宮崎 吾朗

取締役
宮崎 駿
※言わずと知れた、巨匠アニメ監督の宮崎駿さんです。

野中 晋輔 制作業務部 部長

田居  因 出版部 部長

玉川 典由 財務経理部 部長
※2018年3月1日にスタジオジブリに吸収合併された、株式会社マンマユート団の代表取締役社長も務めていた。
(1998年10月に株式会社マンマユート団が設立されたときの商号は、株式会社ムゼオ・ダルテ・ジブリだったが、2001年10月にマンマユート団に商号が変更されている)

西方 大輔 管理部 部長 

橋田 真 広報部 部長

奥井 敦
(1992年スタジオジブリ入社。以後、ジブリ作品の撮影監督・映像演出を手掛けている)

監査役
中尾 博隆 
※税理士で、庵野秀明監督率いる株式会社カラーの監査役も務めている。
アニメ業界の税務に精通した人物か。

高畑勲監督はジブリの役員ではなかったのか?

宮崎駿監督とともにスタジオジブリ作品を作り続けた髙畑勲監督は、スタジオジブリの役員ではありませんでした。
そういう立場が嫌いだったようです。

その代わり、個人事務所の有限会社 畑事務所(1993年8月に有限会社髙畑事務所から商号変更)が、1992年12月7日に設立されています。
資本金は500万円で、2018年4月5日に亡くなるまで高畑監督が代表取締役を務めていました。
取締役には長兄の髙畑昭久氏も名を連ねていました。

おもひでぽろぽろ』(1991年7月公開)『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年7月公開)と、1990年代前半の髙畑監督は、偉大なヒットメーカーでした。
畑事務所が設立された経緯としては、大ヒット作品を監督したことにより舞い込んでくる個人的な仕事依頼や節税の必要性があったのかもしれません。

宮崎駿監督の個人事務所・二馬力は現在?

宮崎勲監督の個人事務所の二馬力は1983年5月27日に設立され、2004年2月に新しく設立された2代目の株式会社 二馬力と合併して解散しています。
解散前には、長男の宮崎吾朗氏が代表取締役を務めています。宮崎駿監督や奥様の宮崎朱美さんも取締役に名を連ねていました。

2004年1月29日に設立された2代目の株式会社 二馬力は、引き続いて宮崎吾朗氏が代表取締役を務め、他の役員も宮崎駿監督の近親者が名を連ねています。

そんな、株式会社 二馬力でしたが2016年4月1日にスタジオジブリに吸収合併されて、法人は消滅しています。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

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