最強のファミリービジネスだった 長谷川町子『サザエさん』と姉妹社

2020年は『サザエさん』の原作者・長谷川町子さんの生誕100年

はる坊です。
2020年は『サザエさん』の原作者・長谷川町子さんの生誕100年にあたります。

この7月11日には、世田谷区桜新町にある長谷川町子美術館から道路を一本挟んで、長谷川町子記念館がオープンしました。

長谷川町子さんは1920年に佐賀県生まれ、福岡県を経て東京都に移住。
『のらくろ』で有名な漫画家・田河水泡に弟子入りして、わずか15歳で漫画家デビュー。

その後、『サザエさん』『エプロンおばさん』『いじわるばあさん』という大ヒット漫画を生み出して、1992年に逝去されました。
没後贈呈ですが、国民栄誉賞を授与されています。

『サザエさんは』1969年からアニメ化され、古き良き時代の日本の家庭が見られる」という肯定的な意見と「時代とズレている」という否定的な意見がありますが、ずっと日曜日18時30分から毎週放映されています。

長谷川家が営んでいた出版社・姉妹社

『サザエさん』の原作は四コマ漫画として、地方紙であるフクニチ新聞などを経て、休載を挟みながら25年に渡り、朝日新聞に連載。

『エプロンおばさん』『いじわるばあさん』はサンデー毎日に連載されていました。

とすると、コミックスの発行は朝日新聞社と毎日新聞社となるのが通常の流れですが、長谷川町子作品はすべて、姉妹社という長谷川家が営んでいた出版社から発行されていました。

姉妹社が発行しているのは、長谷川町子作品だけ。
つまり、確実に、絶対に売れる作品だけを出版していました。

姉妹社は長谷川町子さんが1992年に亡くなられたことにより、1993年5月27日に廃業して、著作権は1985年9月3日に設立されていた財団法人 長谷川町子美術館に引き継がれました。
長谷川町子美術館は現在、一般財団法人となっています。

姉妹社が設立されたのは1946年12月のこと。
この姉妹社が株式会社だったのか有限会社だったのか、それとも個人事業だったのかはよくわかっていません。

工藤美代子『サザエさんと長谷川町子』では、“姉妹社が株式会社あるいは有限会社として登録された記録はない”となっています。

姉妹社設立の中心となったのは、町子さんの母・長谷川貞子さんと姉の長谷川毬子さんでした。
そして、妹の長谷川洋子さんが経理を担当します。

翌1947年1月1日付で、夕刊フクニチに連載されていた『サザエさん』をコミックスとして発行したのが、最初の出版事業でした。

最初は、本のサイズが書店に置きづらいB5サイズになっていたので、返本の洗礼も受けたようですが、3巻目が出る頃には順調に売れはじめ、1950年には〝サザエさんのまち〟として知られる世田谷区桜新町に640坪の敷地面積をもつ邸宅を新築しています。

長谷川町子さんの収入

気になるのが、長谷川町子さんの収入ですが、年収が判っているのは以下のとおりです。

1971年分 申告所得2453万円
1972年分 申告所得1682万円

この当時、公示されていたのは申告所得額です。
実際の収入-必要経費=申告所得となります。

実際の収入は申告所得の2倍といったところが多かったようです。

いまから50年前と、時代も時代ですが、
「えっ、これだけ?」と思われた方もおられるかもしれません。

そんなあなたは鋭いです。

次の申告所得額を見てどう思われますでしょうか?

1971年分 申告所得1億3273万円
1972年分 申告所得2億2629万円

現在から見ても、超高収入です。
これは、町子の姉・長谷川毬子さんの申告所得です。
1972年分では母の貞子さんも申告所得2238万円。
妹の洋子さんも申告所得1402万円です。

長谷川家の皆さんは、姉妹社に入って来る莫大な収入を、家族に分散していました。

姉の毬子さんの申告所得額が桁外れなのは、姉妹社の経営者だったこともありますが、町子さんの収入を大きなものにしてしまうと、『サザエさん』読者や視聴者から、

「一般家庭を描いているけど、作者本人はものすごいお金持ちじゃないか」

と思われるのが嫌だった、という点が考えられます。
そういった見方を避ける必要があったのではないかと思います。

町子さん自身は、漫画執筆のストレス解消に、国内旅行の他に、当時の庶民には高額だった海外旅行に出ることが多くなりました。
また、ジバンシイ(GIVENCHY)をはじめとする、海外ブランド品を好みました。

ブランド品の知識は、『サザエさん』の服装やコミックスのデザインに生かされています。
そして、海外旅行は『サザエさん旅あるき』という作品に結実しています。

姉妹社に必要なのは〝社員〟ではなく〝奉公人〟

1976年に現在、長谷川町子美術館の理事長兼館長を務めている川口淳二さんが、義母のツテで商社から姉妹社に転職しています。

このときの面接で、社長の毬子さんが川口さんに告げた言葉が印象的です。

「うちは〝社員〟ではなく〝奉公人〟でなければ務まらないけど、どんな仕事でもできる?」

奉公人とは、ずいぶんと時代がかった言葉ですが、長谷川家に忠誠を誓える人間しかいらないとする、毬子さんの強い意思が感じられます。

実際、川口さんは出版関係から掃除や庭の草むしり、運転手もこなす〝何でも屋〟を務めます。
川口さんによれば、この頃、姉妹社の社員は7名ほどだったとのことです。

しかし、姉妹社の居心地は悪くなく、長谷川家のために尽くす人間には手厚く遇したようです。

雑誌『東京人』2020年5月号に、長谷川町子特集があります。
なかなか読み応えのある特集号ですので、興味のある方は一読されることをお勧めします。

長谷川町子美術館と税金対策

長谷川町子美術館の建設計画がスタートしたのは1980年です。
昭和30年代から収集をはじめた絵画や陶芸品、ガラス工芸品を社会還元することを目的に、財団法人による美術館運営を目指していましたが、実際に設立が認可されたのは1985年9月3日のことでした。

財団法人設立に当たっては、誰もが知る大手有名企業のトップを務めた財界の大物が何人も手助けしますが、それでも、当時は財団法人の設立要件が厳しく、設立には時間を要したようです。
(例えば、〝長谷川町子美術館〟だと「生存者のフルネームをつけるのはダメ。〝サザエさん美術館〟ならOK」という、役所側の謎ルールに振り回されるなど)

そして、同年11月3日に財団法人 長谷川美術館として、姉妹社が倉庫として使用していた世田谷区桜新町1-30-6にある約150坪の土地にに建てられた、町子さんが名古屋の業者に特別注文したという、レンガ造りの建物が美術館としてオープンします。
美術館の場所は、町田市玉川学園や千葉県八千代市も候補に挙がっていましたが、結局は町子さんの自宅にも程近い桜新町の落ちついたようです。

初代館長には長谷川町子さん自身が就任しています。

この財団法人には美術品の社会還元の他に、相続税対策も絡んでいました。
母・貞子さんは優秀な不動産投資家で、晩年は認知症を患われていましたが、その資産は10億円に達していました。

この資産を相続税で国にもっていかれることなく処理をするには、自前の財団法人に寄付するのが一番の方法でした。
遺族は、その財団法人の役員になればいいのです。

発足当時、財団が有していた資産は12億円でしたが、2008年の時点では、何と96億円となっています。

ですが現在、この財団の役員に長谷川家の方はどなたもおられません。
長谷川毬子さんが2012年に亡くなられるまで理事長を務められ、ワカメちゃんのモデルになったパリ在住の姪・長谷川たかこさんが理事であった時期もありますが、十数年前に離れられています。

長谷川町子さんが収集された美術品の社会還元と、その著作権の管理運営保持を役割としています。

他県の美術館を立ち上げた経験をお持ちの学芸員、副館長・学芸部長の橋本野乃子さんが中心となって、所蔵コレクションの展示展開をされているようです。

長谷川町子さんの死と驚愕の遺産額、そして遺骨盗難事件

1992年5月27日、長谷川町子さんは、10年前に新築された600坪以上の敷地を誇る世田谷区用賀の自宅で72歳の生涯を終えます。

桜新町から用賀に引っ越して、姉・毬子さんと晩年を過ごされていました。

死因は心不全とも冠動脈硬化症(妹・長谷川洋子さんの話)ともいわれていますが、詳細はおおやけにされていません。
ただ、町子さんは1991年暮れに、自宅で踏み台から足を踏み外して頭部を強打、以来健康が優れなかったと伝えられています。

同年7月28日には、国民栄誉賞が没後贈呈されました。

長谷川町子さんの名前が、再び世間を賑わせるのは翌年のことです。
町子さんの遺産額が税務署に公示されたのです。
この当時は一定額以上の遺産があった場合、遺産額と相続人を税務署が公示していました。

長谷川町子さんの遺産額、何と29億8800万円。

同じく前年に亡くなった松本清張でさえ、遺産額は17億5700万円でした。
(松本清張は長者番付作家部門で13回1位という、名実ともに国民的作家でした。よって長谷川町子さんが、そんな清張よりも高額の資産を有していたことに驚いた方が多かったようです。

ただ、松本清張は自作の映像化に並々ならぬ情熱を燃やして、1978年には映画監督の野村芳太郎と霧プロダクションを設立、1985年には霧企画事務所を設立して、経営に関与していましたので、巨額の収入の一部は、映像化に使っていた可能性があります)

そして、町子さんの遺産額が公示されてまもなく大事件が起こります。
多磨霊園から、町子さんの遺骨が盗まれたのです。

その後、犯人からの脅迫状が届き、結果として、遺骨は渋谷駅のコインロッカーで発見されて、遺族の元に戻りました。

犯人とのやりとりは、一切警察が明かしていません。
ですが、ある週刊誌では「2000万円の要求があった」と記されています。
とすると、犯人側と何らかの取引があった・・・

日曜夜に放送され続けている『サザエさん』ですが、その裏側にはとてつもない歴史がありました。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

何かございましたらこちらまで。

はる坊の雑記Twitter

参考文献:

長谷川町子『サザエさんうちあけ話・似たもの一家
長谷川洋子『サザエさんの東京物語
工藤美代子『サザエさんと長谷川町子