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はる坊です。
前回に引き続き、キーエンスと創業者・滝崎武光さんの足跡を追っていきます。
怒濤の急成長を遂げた1980年代のリード電機(キーエンス)
リード電機が急成長を遂げたのは、1980年(昭和55年)4月から光電センサの分野に進出してからです。
いままでの自動車業界や弱電業界だけではなく、一般の工場でも導入できる製品の開発販売を手掛け始めました。
1981年(昭和56年)には本社を大阪府吹田市に移転。
1982年(昭和57年)に自動線材切断機事業を売却しています。
この事業は年間売上高の10%を占め、経常利益率も20%ありました。
普通なら、この利益率に満足するところですが、滝崎氏は利益率が低いと感じ、将来性も薄いと判断してこの事業を売却します。そして得た売却益を、電子部品業界向けのセンサ事業につぎ込みます。
また、この1982年にのちに2000年よりキーエンス2代目社長となる佐々木道夫氏が明治大学政治経済学部を卒業して入社されています。
10年間社長を務められた佐々木氏は、取締役特別顧問を退任以降、瑞光、東京エレクトロン、SHIFTの社外取締役を務められる一方、
2017年には、日商岩井、キーエンス、THKで海外事業や新規事業で活躍された菅原伸昭氏らと共に、
ロボット制御を機械学習(AI)で行うソフトウェアを開発を目的とする株式会社イロハ(iROHA)を設立して、
取締役に就任され、現在は、SHIFTの取締役副社長と東京エレクトロンの社外取締役を務められています。
今後、伸びていくセンサ事業に集中して資本を投下する
さて、センサ事業を軸としたリード電機は、翌1983年(昭和57年)には年間売上高13億円を超え、経常利益率は37%台に伸びます。
この年以降、売上高は25億円(1984年3月期分)⇒42億円(1985年3月期分)⇒60億円(1986年3月期分)⇒73億円(1987年3月期分)と急激に伸び、経常利益率も38~40%をキープし続けます。
上場を1年後に控えた1986年秋の時点で、取引先企業は、NEC・日立製作所・東芝・新日本製鐵(当時)・武田薬品工業などの大企業から中小零細企業まで1万社を数え、
営業拠点は、東京・名古屋・広島・福岡など全国に12拠点を擁して、従業員は330名。
そのうち100名が営業マンでした。
当時、センサ業界で先行していたのは、横河北辰電機(現:横河電機)・山武ハネウエル(現:アズビル)・立石電機(現:オムロン)でしたが、
先行メーカーの製品が、液体や粉体の計測を主としていたのに対して、リード電機の製品は、FA(ファクトリー・オートメーション)センサー、つまりは、主に検査・組立ラインに設置されるものでした。
なかでも注目すべきは、当時から〝業界初のオリジナル製品〟が売上の90%を占め、独占商品が70%を占める状態であったことです。
他の企業が参入してこない分野であれば、リード電機の商品が自動的にプライスリーダーになれます。
このことで、
〝キーエンスはニッチ商品を開発して成長した〟
と言われることになるのですが、この時代から、基本的に製造は外注でおこない、販売方法も直販のコンサルティング営業で、顧客側から、
「こういうものを作って欲しい」
「こういう風にできないか?」
と提案をされてから応えるのではなく、顧客の潜在需要を拾い上げる考え方を重要視していました。
顧客の現場で、営業マンが顧客の潜在需要を拾い集めて、会社に持ち帰ります。
顧客より先回りして、
「こういう商品が必要になるのではないか?」
と予測を立てて、それを精度の高いものにした上で、
キーエンスが100%リスクを負って、
商品開発と製造をおこなって、顧客にその製品を提案して販売していくやり方です。
直販方式なのは、キーエンスが扱う先端技術商品は、商社を使って販売するとそのマージンが非常に高かったこと、そして製品の価値がうまく顧客に伝わらないと滝崎氏が考えた為ですが、結果的に、製品の価値を顧客に直接PR可能で、また、現場での潜在需要を拾い上げることもでき、営業利益を大きく取れるスタイルとして確立したといえるでしょう。
キーエンスは、メーカーでありながらセンサ事業で注目され始めた頃には、すでにファブレス経営に徹しています。
これはなぜなのか、滝崎氏の答えは明解です。
(生産を外部に委託するやり方のままで、会社を大きくしていくことに不安はないか)との問いに、
“「いいえ、設備投資をしたら、その設備を遊ばないようにしなくてはならない。そういう理由から、本当に有名な会社が「キーエンスさん、仕事ないですか」と言ってこられることもあるんですよ。自分で設備を持つ方がずっと大変ですね」”
キーエンス 設立13年で上場企業に
1987年10月29日大阪証券取引所第2部上場
1984年(昭和59年)11月には、本社を大阪府高槻市に移転。
1985年(昭和60年)3月には、米カリフォルニア州にキーエンス・コーポレーション・オブ・アメリカ(KEYENCE CORPORATION OF AMERICA)を設立。
(KEYENCEはリード電機時代から商品のブランド名でした。米国子会社は先駆けて商号をKEYENCEにしたわけです)
同年9月には製造子会社として、本社と同じ高槻市にクレポ株式会社(現:キーエンスエンジニアリング)を設立します。
ちなみに、このクレポという商号は〝クイックレスポンス〟の略で、滝崎氏の思考が堂々と表れている社名だと思います。
キーエンスエンジニアリングでは、協力会社に依頼することの出来ない極めて機密性の高い商品を開発・製造しています。
1986年(昭和61)年10月には、リード電機 株式会社から、商品ブランド名との統一を図るために、商号を株式会社 キーエンスに変更します。
そして、1987年10月29日キーエンスは大阪証券取引所第2部に上場します。一株の公募価格は5540円。上場初値は6800円でした。
会社設立から13年。滝崎武光氏は42歳でした。
株式上場については、滝崎氏は早い段階から考えており、まだ零細企業に過ぎなかった会社設立6年目で、
「会社らしい会社をつくりたい。株式上場をするためには、組織や財務体質をどうしたらいいのか?」
と自ら証券会社を訪ねていった経験をもっています。
上場初となる1988年3月期決算では売上高101億4800万円(前年比38.6%増)
営業利益40億1300万円(前年比58.0%増)経常利益35億5900万円(前年比36.6%増)
と極めて高い成長を見せ、売上高に対する営業利益は39.5%となります。
翌1989年(平成元年)3月期決算では、売上高146億6300万円(前年比44.5%)
営業利益62億9700万円(前年比57.0%増)
経常利益64億1000万円(前年比80.1%)
となり、営業利益率は42.9%と40%台に突入します。
同年12月25日には、東京証券取引所第2部に上場します。
1990年10月 東証・大証1部上場企業に
1990年10月には東京証券取引所第1部・大阪証券取引所第1部に上場。
名実ともに1部上場企業の仲間入りを果たしました。
時に滝崎氏は45歳の若さでした。
この時代、創業社長でも45歳で東証1部上場企業の社長は最年少に近かったのではないでしょうか。
そして、翌1991年4月下旬には、任天堂を抜いて株価日本一を記録します。
しかし、滝崎氏は株価にはあくまでもクールな姿勢を保っていました。
インタビューを受けても
“「株価はしょせん人気指標。知名度が上がるのはありがたいのですが、浮かれることはありません」”
と株価にはそっけない対応に終始します。
滝崎氏が、
“「株価日本一なんかより、こっちのほうが自慢なんですよ」”
と言ったのは、やはり、売上高に対する営業利益率の高さでした。
“「これ(営業利益率)なんか、社員1人1人が付加価値の高い、いい仕事をした証でしょ。こっちのほうが私としてはうれしいですね。(中略)何年かしたら、30歳で1000万円は超せる給料を出せると思います。そしてゆくゆくは給料でも日本一にしたいと思ってるんですよ」”
何よりも付加価値の高い仕事をすることが大切だという滝崎氏の考えが率直に表れています。
また、すでに20代で高給が得られる会社という噂は立っており、1991年時点には、30歳で平均年収900万円。
その後、この発言のとおり、
“30歳で年収1000万円超え”
“給料(年収)日本一”
を達成したのですから、すごいものだと感じます。
ここでキーエンスの1990年~1994年3月期決算を見てみましょう
1990年(平成2年)3月期決算
売上高187億7700万円 営業利益 77億1000万円 経常利益 86億5600万円(営業利益率41.0%)
1991年(平成3年)3月期決算
売上高262億6700万円 営業利益108億7300万円 経常利益129億2800万円(営業利益率41.4%)
1992年(平成4年)3月期決算
売上高301億4500万円 営業利益120億5600万円 経常利益106億4300万円(営業利益率40.0%)
1993年(平成5年)3月期決算
売上高298億9300万円 営業利益102億4300万円 経常利益116億1600万円(営業利益率34.2%)
1994年(平成6年)3月期決算
売上高313億0700万円 営業利益115億5400万円 経常利益124億3000万円(営業利益率36.9%)
1992年下半期から1993年上半期にかけては、国内企業の設備投資圧縮のあおりを受けて、1993年3月期決算においては、キーエンスも厳しい年も経験しています。
しかし、この経験を糧に、海外部門を強化する重要性に気付き、アメリカ・オハイオ州に営業拠点を設けています。
この時代、売上高・営業利益の海外比率は9~10%でした。
現在は54%です。
これほど急速に確実性を持って成長した企業があるでしょうか?
わたしは、正直なところ奇跡的にすら感じます。
また、この間に私が注目したいのは、従業員の給与についてです。
1992年9月時点では、従業員は855名 平均年齢は28.1歳 平均賃金は諸手当を含んで339,166円で、30歳のモデル賃金が439,000円でした。
これが1994年9月時点では、従業員832名 平均年齢28.5歳と1992年の時点とあまり変わりがないのですが、
諸手当を含む平均賃金は400,283円と大幅にアップしています。
キーエンス高成長の理由
さて、お話をキーエンス高成長の理由に戻したいと思います。
〝キーエンスはニッチ商品を開発して成長したと言われた〟
と前述しましたが、滝崎氏は1991年のインタビューで高成長ができた理由を次のように語っています。
“「巷間、キーエンスは隙間商品を開発して伸びた、と言われていますが、私は市場創造ができたからだと思っています。われわれの商品政策は、従来からある商品でも非常に精度を高くするとか、精度は同じでも非常に小さい商品にするとか、はっきり特徴を出すやり方であり、こうして付加価値の高い商品を開発し、それを汎用品として売る力があるからこそ、高い成長力を維持できるのです」”
ちなみに、大阪証券取引所第2部に上場した際、キーエンスの発行済株式は1820万株でした。
以後、公募もありましたが、無償株式分割・株式無償割当ては何度もおこなわれて、現在の発行済株式は24320万株です。
上場時にキーエンス株を100万円分買っておけば、今頃はどうなったでしょうか。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
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何かございましたら、こちらまでお願いいたします。
はる坊 @harubou_room Twitter(新しいタブが開きます)
メール:http://info*harubou-room.com (*を@にご変更いただきますようお願いいたします)
元キーエンス従業員の方が書かれた本で、最もオススメしたいのがこちらです。
次にオススメしたい、充分に一読の価値があるのがこちらです。
【2018年11月に出版】キーエンスでの経験を生かしたサイト運営について普遍的で重要な事柄が凝縮された一冊。
キーエンスの社内ベンチャー・イプロスでウェブサイト作成・運営に携われた方の本です。
「心に触れるホームページをつくる」
筆者の秋山典丈さんは、キーエンスの社内ベンチャー・イプロスで『製造業向けマッチングサイト』を企画された方です。
東京工業大学大学院理工学研究科情報工学専攻修士課程修了後、1995年にキーエンスに入社。
2000年にキーエンスの社内ベンチャーとしてスタートしたイプロス(株式会社 イプロスとして法人設立は2001年)の立ち上げに参画され、「徹底的に受け手の身になってサイトを作る」ことに向き合われた経験を生かして書かれた本です。
秋山さんは2003年に独立され、現在はシステム開発とサイトコンサルティング・商品企画コンサルティングに携わる株式会社 レクタスの代表取締役を務められています。
この本では、個人でも法人でも、また初心者から上級者までサイト作成・運営にとって重要なことが満載されています。
私も折に触れて読み返しています。
サイト作成に関する本は多く出版されていますが、ここまで普遍的で重要な事柄が凝縮されている本はめったにありません。
キーエンスに興味のない方でも、ご自分のブログやサイト、そしてSNSで見る人の心をガッチリ掴みたいと少しでも思われている方なら、ぜひお読みになってください。
一橋大学イノベーション研究センターとキーエンスに長年在籍した方による共著です。
キーエンスの内部を知るには最もわかりやすいと思います。
ただ、『キーエンス~驚異的な業績を生み続ける経営哲学』というタイトルですが、『経営哲学』はどこにも書かれていません。
『経営哲学』を『経営目標』『経営手法』と読み替えるのが正しいと思います。
Kindle版しかありませんが、こちらもオススメできます。
また、もう一冊だけ、現在紙の書籍で入手することは困難ですが、機会があればぜひ読んでいただきたい本があります。
キーエンスに1986年に新卒で入社され、アンリツを経て、現在は立石シゲオ中小企業診断士事務所代表として活躍されている、経営コンサルタント・立石茂生氏が2014年に書かれた書籍です。
キーエンスで得られたノウハウを含めて、高収益企業を実現する経営指南書で示唆に富んだ良書中の良書なのですが、残念ながら古書でも手に入れるのは難しい状態です。
立石氏のホームページによると、2016年9月の時点では30,000円で古書がネット上で販売されていたようです。
これには、著者の立石氏も戸惑われたようですが、この本にそれだけの価値があると認められていることも、また事実でないかと私は思っております。
そのような状況が長く続きましたが、2020年8月にアマゾンKindleにて第2刷として出版されました。
Kindle Unlimited 会員の方は、このタイトルを追加料金なし(¥0円)でお読みになれます。
ご一読をおすすめいたします。
他にも元キーエンスの方が書かれた本があります。
参考にはなりますが、あえてこの場でおすすめするのは、控えさせていただきます。
一部引用・参考文献:
サンデー毎日 1991年7月 株価日本一「キーエンス」社長の倒産歴
週刊ダイヤモンド1997年 編集長インタビュー 滝崎武光氏(キーエンス社長)大企業の悪い面に学ぶ 将来考えぬ役員が規律乱す
Will 1991年 株価日本一「キーエンス」の秘密
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