はる坊の雑記

本の雑誌2021年3月号はる坊の雑記

『本の雑誌』2021年3月号 に当ブログの長者番付・作家部門のデータを提供させていただきました

『本の雑誌』2021年3月号 に長者番付・作家部門のデータを提供させていただきました。

はる坊です。

この度、『本の雑誌』2021年3月号 お馬ちゃかぽこ春風号 No.453にて、直木賞非公式WEBサイト『直木賞のすべて』(新しいタブが開きます)を運営されている川口則弘さんが寄稿された『長者番付作家編を読み解く』に、当ブログ内にある長者番付・作家部門のデータを提供させていただきました。

下記に長者番付・作家部門データの詳細ページへのリンクがありますので、ご興味のある方は、ぜひご覧ください

さて、同誌は1976年に発行を開始。当初は不定期誌でしたが、隔月誌を経て、1988年5月号より月刊誌となり現在に至っています。

2015年には、〝従来の書評誌にはなかったエンタテインメント中心の書評、ユニークな特集、個性的な執筆陣などで日本の出版文化に独自の存在感をアピール。本年で創刊四十周年を迎えた〟として、作家・歴史探偵の半藤一利氏・女優の吉永小百合氏・NHKスペシャル「カラーでよみがえる東京」「カラーでみる太平洋戦争」・車イスプロテニス選手の国枝慎吾氏とともに、第63回菊池寛賞を受賞しています。

『WEB本の雑誌』はこちらから。(新しいタブが開きます)

毎号、本好きにはたまらない興味惹かれる特集を組んでいますが、

今号の特集は「もしもベストセラーを出したら」です。

もちろん、内容は充実しており、

○1000万部超のベストセラー翻訳家・越前敏弥氏インタビュー

○『鬼滅の刃』勝手に皮算用! 原カントくん氏

○長者番付作家編を読み解く 川口則弘氏 

○角川文化振興財団 常務理事 宍戸健司氏インタビュー/「あれに似た匂い」で企画が通る!? 

○本屋の御輿の担ぎ方 元・紀伊國屋書店新宿本店 小出和代氏 

○読者アンケート/このベストセラーが好きだ! 

○わが社のベストセラー体験!

週刊金曜日/扶桑社/東京創元社/桐原書店/筑摩書房/晶文社/草思社/新潮社/双葉社/河出書房新社

○コラム/印刷会社M氏に聞くベストセラー体験! 

ベストセラーを出したら出版社と著者はどうなるのか?
本を出したい方なら誰もが夢みる、ベストセラーの世界に潜入しています。

1959年分~2004年分の長者番付・作家部門データはこちらから

今号の『本の雑誌』に提供させていただいた、長者番付・作家部門のデータは新聞発表とこちらが元になっております。

ある程度の年分で区切ってありますので、どうぞご覧ください。

長者番付・作家部門 1959年分~1973年分はこちらです。

『長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1959年分~1973年分)』

長者番付・作家部門 1974年分~1983年分はこちらです

『長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1974年分~1983年分)』

長者番付・作家部門 1984年~1988年分はこちらです

『長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1984年分~1988年分)』

長者番付・作家部門 1989年分~1995年分はこちらです

『長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1989年分~1995年分)』

長者番付・作家部門 1996年分~2004年分はこちらです

2005年以降も長者番付・作家部門が発表されていたら、どなたがランクインしていたかの推察や、作家の褒章・受章(紫綬褒章・文化功労者・文化勲章・日本芸術院会員)についても触れています。

『長者番付・作家部門を振り返ってみましょうか(1996年分~2004年分)』

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

本の雑誌453号2021年3月号 [ 本の雑誌編集部 ]

価格:
733円

(2021/02/11 03:35時点 )

感想:0件

何かございましたらこちらまで。

ツイッター:はる坊の雑記Twitter

メール:http://info*harubou-room.com (*を@にご変更いただきますようお願いいたします)

はる坊の雑記

「餃子の王将」創業者・初代社長 加藤朝雄の生涯とは? 大阪王将との関係は?

餃子の王将を展開する王将フードサービス創業者の加藤朝雄氏とは?

餃子の王将を運営する王将フードサービスは、1924年7月10日に福岡県飯塚市に生まれた加藤朝雄氏が、1967年に四条大宮に王将という中華料理店を営み始めたことにはじまります。

創業者の加藤朝雄氏は、地元の飯塚尋常小学校を卒業後に中国大陸に渡り、餃子に出会います。
そして、一旦は洋食を勉強するために帰国して、梅田新道のアサヒビールが運営するビアホールでコック見習いとなりますが、1944年に徴兵され、憲兵となって旧満州・大連で終戦を迎えます。

その後、1947年に日本へ引き揚げた後は、中華料理店勤務、行商人、進駐軍食堂コック、薪炭商、小口金融業、ファッションホテル共同経営という様々な経歴を重ねます。

そして、1967年12月に、現在も餃子の王将第1号店である京都・四条大宮に王将を開店。
一人前の焼餃子を50円にして、周囲を驚かせ、第2号店となった山科店では、「餃子10人前食べたら無料」と宣伝して、一気に客を呼び込みます。

店舗を拡大後の1974年7月に株式会社 王将チェーンとして会社組織に変更。
1980年7月には、商号を株式会社 餃子の王将チェーンに変更しています。

この当時、餃子の王将は関西に124店舗、名古屋に9店舗、東京に26店舗を運営しており、年間売上高は80億円 経常利益7億円となっていました。

ちなみに、この当時の餃子一人前の値段は140円でした。

この当時から、加藤朝雄氏は株式上場を考えていたようですが、結果として株式上場は1993年3月となりました。

ところが、株式上場まもない1993年6月10日に加藤氏は急逝します。
アサヒビール時代に加藤氏よりスカウトされた副社長の望月邦彦氏が社長を継ぎますが、1994年には加藤氏の長男である加藤潔氏にバトンタッチ。その後、経営悪化により大東隆行氏が2000年に社長に就任する流れとなっています。

餃子の王将を展開する 王将フードサービス店頭公開(JASDAQ上場)時の情報

餃子の王将を展開する王将フードサービスは、1993年3月16日に株式店頭公開(現在のJASDAQ上場)を果たしました。

上場時のデータは以下のとおりです。

株式会社 王将フードサービス
会社設立:1974年7月
店頭公開:1993年3月
資 本 金:19億100万円
総 資産 :394億5600万円
株主資本:88億8300万円(22.5% 748円)
借 入 金:198億1000万円
金融収支:▲6億7300万円

従業員数:748名(平均年齢 31.6歳)
平均賃金:378,158円

株主構成:
加藤欣吾  287万1000株(24.1%)
加藤潔   265万1000株(22.3%)
加藤朝雄  179万5000株(15.1%)
加藤梅子    93万2000株(7.8%)
従業員持株会 30万1000株(2.5%)
加藤ひろみ  22万0000株(1.8%)
大東隆行   20万3000株(1.7%)
加藤貴司   20万3000株(1.7%)
加藤英里   20万3000株(1.7%)
加藤真人  20万3000株(1.7%)

役員構成:
社長 :加藤朝雄
副社長:望月邦彦
専務 :加藤潔
常務 :加藤欣吾
常務 :大東隆行
常務 :鈴木和久
取締役:土肥原啓二
取締役:宮嶋廣正
取締役:宮光正
取締役:知久平芳美
取締役:森田八寿広
取締役:村上武敏
常監査:小坂晴一郎
監査 :野中智弘

餃子の王将を展開する王将フードサービスと大阪王将を展開する大阪王将(イートアンドホールディングス)歴代社長

ちなみに、『餃子の王将』を展開する王将フードサービスの創業者・社長が加藤朝雄氏で、二代目社長がアサヒビールより招聘した望月邦彦氏。
三代目社長が加藤朝雄氏の長男・加藤潔氏。四代目社長が大東隆行氏。現在の五代目社長が渡辺直人氏です。

『大阪王将』を展開するイートアンドホールディングスの創業者が現在の代表取締役会長の文野直樹氏の父親である文野新造氏です。
佐野文夫氏と本木健二氏とともに1969年9月に大阪・京橋に中華料理店を出店して、餃子の売れ行きがダントツであったことから、餃子専門店に業態を変えています。

株式会社イートアンドホールディングスの代表取締役会長CEO 文野直樹氏の経歴

イートアンドホールディングス代表取締役会長CEOは文野直樹(ふみの なおき)氏です。
1959年11月29日生まれの61歳。
啓光学園高校を卒業後、大阪学院大学経営学部に進学するも1980年に中退。
実父・文野新造氏が経営する大阪王将食品に正式入社して、1984年7月に社長に就任したという経歴の持ち主です。
1996年8月に株式会社大阪王将に商号を変更。
2002年1月にイートアンド株式会社に商号を変更。
2011年6月に株式をJASDAQ市場に上場。
2012年11月に東京証券取引所第2部に上場。
2013年11月には、ついに東京証券取引所第1部上場を果たしています。
そして、2020年11月には、持株会社への移行とともに、株式会社イートアンドホールディングスとなり、大阪王将の運営会社は株式会社大阪王将となっています。

株式会社イートアンドホールディングスの取締役社長COO 仲田浩康氏の経歴

株式会社イートアンドホールディングスの取締役社長COOは仲田浩康(なかた ひろやす)氏です。
大阪王将の冷凍食品を扱う事業会社の株式会社イートアンドの代表取締役社長も兼任されています。

仲田氏は1964年4月26日生まれの56歳で、高校を卒業後、当時、流通業界で最大手だったダイエーに入社。
23歳で最年少主任となるなど活躍をしたのち、2000年8月に大阪王将に転職。

ご本人がインタビューで語られているところでは、ダイエーでは実績を残されていたので、大阪王将に移られた際には、給与・年収ともにダウンしたそうです。
その後、2001年7月に商事部部門長。2004年6月に取締役。2009年4月に取締役 常務執行役員 トレーディング本部長。
2012年4月 専務取締役。2017年6月にはついにイートアンドの代表取締役社長に就任。
持株会社移行後は、取締役社長COOに就任されています。
また、社会人となっても向学心を忘れず、関西学院大学大学院に進み修了されています。
よって、最終学歴は関西学院大学大学院修了となっています。

株式会社大阪王将の代表取締役社長 植月剛氏の経歴

大阪王将を運営する株式会社大阪王将の代表取締役社長は植月剛(うえつき たけし)氏です。
持株会社である株式会社イートアンドホールディングスの取締役も兼任されています。

植月氏は1972年7月13日生まれの48歳で、1995年4月に大阪王将に入社。
採用時期から、大学新卒採用の生え抜きではないかと考えられます。
その後、2006年6月に取締役。2009年4月に取締役 執行役員 王将営業本部長。
大阪王将の海外事業部門も統括します。
2012年4月には、取締役 常務執行役員 王将営業本部長。
2019年4月に常務取締役 外食事業統括兼海外戦略本部長。
と順調にキャリアを積んで、2020年10月に大阪王将の代表取締役社長に就任されています。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

はる坊の雑記

ご長男が社長に!さくらももこさんの事務所 さくらプロダクションの現在

さくらももこさんの事務所 さくらプロダクションの現在は?

はる坊です。

2018年8月15日に漫画家のさくらももこさんが亡くなられました。
亡くなられてから、もうすぐ2年半かと思うと、月日の経つのは早いものだと感じます。

漫画家としても有名なさくらさんですが、エッセイストとしてもすぐれた作品を残されています。

もともと、さくらさんご自身はエッセイストになりたかったけれど、その方法がよくわからなかったこと。
また、知名度のない人間のエッセイなど、書いたところで誰も手に取って読んでくれやしないだろうと思ったので、まず漫画家になったという話があります。

特に、1991年に刊行された『もものかんづめ』(累計235万部) 

1992年に刊行された『さるのこしかけ』(累計150万部) 
同じく1992年に刊行された『たいのおかしら』(累計130万部) 

の初期エッセイ集はミリオンセラーとなり、広く読まれました。

中学校の授業で使う副読本にも、エッセイの文章が使われていました。

さて、20代前半の若さで『ちびまる子ちゃん』を大ヒットさせたさくらさんは、1990年2月6日に、株式会社さくらプロダクションを設立しています。

会社設立の理由としては、著作物の版権管理をスムースにおこなうこと、アシスタントなど、周囲にいる方々への福利厚生面での配慮、そして税金対策が挙げられると考えます。

あれだけ大ヒットした『ちびまる子ちゃん』ですが、作者であるさくらももこさんは長者番付上位に登場されたことはありません。
(さくらさん個人で7000万円ほど納税されていた年もありましたが、そうなると当時の年収は1億5000万円以上となります)

これはさくらプロダクションで納税されていたことが大きいでしょう。

さくらさんが亡くなられてからも、日曜6時からはアニメ『https://amzn.to/2NYuIsV』が放映されており、企業のCMキャラクターにも起用されています。

また、『りぼん』にも新作が掲載されることがあり(原作:https://amzn.to/3f7ms5N 漫画:さくらプロダクション の扱いです)、キャラクターグッズも多く販売されています。

現在は息子さんがさくらプロダクションの社長

株式会社さくらプロダクションは、1990年2月6日に設立されています。

さくらももこさんは、前年の1989年に集英社『りぼん』の編集者だった宮永正隆さんと結婚され、宮永さんは1990年に集英社を退社、さくらプロダクションの社長に就任しました。

1965年5月8日に静岡県清水市(現・静岡市清水区)に生まれたさくらさんは、地元の静岡県立清水西高等学校と静岡英和女学院短期大学(現・静岡英和学院大学短期大学部)国文学科を卒業して、上京。

ぎょうせいにOLとして勤務しますが、すでに漫画家としてデビューを飾っており、勤務時間後は漫画を描くため睡眠時間が足りず、居眠りが目立つことを上司に注意された際に、「会社か漫画かどちらかを選べ」と言われたことから、「ちびまる子ちゃん」の連載も決定していたことから、「そりゃ、漫画にしますと」即答して2ヶ月で退社。(この覚悟の据わりっぷりはスゴイと思います)

宮永さんとの離婚後は、さくらさんご本人が、代表取締役社長となり、取締役には、父・ヒロシさんと母・スミエさんが名を連ねて、監査役にも親族の方が就任されていました。

さくらももこさん亡き後の2019年1月17日にさくらさんの長男・三浦陽一郎さんが取締役に就任され、同年3月29日に代表取締役社長に就任されました。
同時に、父・ヒロシさん 母・スミエさんは取締役を退任されています。

さくらさんの父・ヒロシさんは静岡県清水市(現・静岡市清水区)で八百屋を営まれていましたが、さくらさんが漫画で成功されるとともに、スミエさんとともに東京へ移住されています。

『ちびまる子ちゃん』の原作やアニメだと、ヒロシさんには、この仕事をしているという設定がないので、何の仕事をしているかわからないのですが、これはさくらさんご自身が八百屋だとバックに野菜や果物などを背景に描くことを嫌ったことが原因という説があります。

私は何となく、1990年にアニメを見始めた頃、「ヒロシさんは、製造業関係の技術屋さんかなあ…」と思っていました。
個人的には、ヒロシさんより友蔵さん(リアルでも漫画の世界でも)が、何の仕事をされていたのかが気になります。

累計発行部数3200万部以上となった『ちびまる子ちゃん』のメガヒットで、巨額の印税が入って、生活は左うちわでうらやましいと思われるかも知れませんが、著作権をしっかり管理して、作品のイメージを損なわないようにコントロールしていくのは大変なことです。

これからもさくらももこ作品が、広く愛されていきますように。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
心より御礼申し上げます。

はる坊の雑記

最強のファミリービジネスだった 長谷川町子『サザエさん』と姉妹社

2020年は『サザエさん』の原作者・長谷川町子さんの生誕100年

はる坊です。
2020年は『サザエさん』の原作者・長谷川町子さんの生誕100年にあたります。

長谷川町子さんは1920年に佐賀県生まれ、福岡県を経て東京都に移住。
『サザエさん』『エプロンおばさん』『いじわるばあさん』という大ヒット漫画を生み出して、1992年に逝去されました。
没後贈呈ですが、国民栄誉賞を授与されています。

『サザエさんは』1969年からアニメ化され、「古き良き時代の日本の家庭が見られる」という肯定的な意見と「時代とズレている」という否定的な意見がありますが、ずっと日曜日18時30分から毎週放映されています。

長谷川家が営んでいた出版社・姉妹社

『サザエさん』の原作は四コマ漫画として、地方紙であるフクニチ新聞などを経て、休載を挟みながら25年に渡り、朝日新聞に連載。

『エプロンおばさん』『いじわるばあさん』はサンデー毎日に連載されていました。

とすると、コミックスの発行は朝日新聞社と毎日新聞社となるのが通常の流れですが、長谷川町子作品はすべて、姉妹社という長谷川家が営んでいた出版社から発行されていました。

姉妹社が発行しているのは、長谷川町子作品だけ。
つまり、確実に、絶対に売れる作品だけを出版していました。

姉妹社は長谷川町子さんが1992年に亡くなられたことにより、1993年5月27日に廃業して、著作権は1985年9月3日に設立されていた財団法人 長谷川町子美術館に引き継がれました。
長谷川町子美術館は現在、一般財団法人となっています。

姉妹社が設立されたのは1946年12月のこと。
この姉妹社が株式会社だったのか有限会社だったのか、それとも個人事業だったのかはよくわかっていません。

工藤美代子『』では、“姉妹社が株式会社あるいは有限会社として登録された記録はない”となっています。

姉妹社設立の中心となったのは、町子さんの母・長谷川貞子さんと姉の長谷川毬子さんでした。
そして、妹の長谷川洋子さんが経理を担当します。

翌1947年1月1日付で、夕刊フクニチに連載されていた『サザエさん』をコミックスとして発行したのが、最初の出版事業でした。

最初は、本のサイズが書店に置きづらいB5サイズになっていたので、返本の洗礼も受けたようですが、3巻目が出る頃には順調に売れはじめ、1950年には〝サザエさんのまち〟として知られる世田谷区桜新町に640坪の敷地面積をもつ邸宅を新築しています。

長谷川町子さんの収入

気になるのが、長谷川町子さんの収入ですが、年収が判っているのは以下のとおりです。

1971年分 申告所得2453万円
1972年分 申告所得1682万円

この当時、公示されていたのは申告所得額です。
実際の収入-必要経費=申告所得となります。

実際の収入は申告所得の2倍といったところが多かったようです。

いまから50年前と、時代も時代ですが、
「えっ、これだけ?」と思われた方もおられるかもしれません。

そんなあなたは鋭いです。

次の申告所得額を見てどう思われますでしょうか?

1971年分 申告所得1億3273万円
1972年分 申告所得2億2629万円

現在から見ても、超高収入です。
これは、町子の姉・長谷川毬子さんの申告所得です。
1972年分では母の貞子さんも申告所得2238万円。
妹の洋子さんも申告所得1402万円です。

長谷川家の皆さんは、姉妹社に入って来る莫大な収入を、家族に分散していました。
姉の毬子さんの申告所得額が桁外れなのは、姉妹社の経営者だったこともありますが、町子さんの収入を大きなものにしてしまうと、『サザエさん』読者や視聴者から、

「一般家庭を描いているけど、作者本人はものすごいお金持ちじゃないか」

と思われるのが嫌だった、という点が考えられます。
そういった見方を避ける必要があったのではないかと思います。

姉妹社に必要なのは〝社員〟ではなく〝奉公人〟

1976年に現在、長谷川町子美術館の理事長兼館長を務めている川口淳二さんが、義母のツテで商社から姉妹社に転職しています。

このときの面接で、社長の毬子さんが川口さんに告げた言葉が印象的です。

「うちは〝社員〟ではなく〝奉公人〟でなければ務まらないけど、どんな仕事でもできる?」

奉公人とは、ずいぶんと時代がかった言葉ですが、長谷川家に忠誠を誓える人間しかいらないとする、毬子さんの強い意思が感じられます。

実際、川口さんは出版関係から掃除や庭の草むしり、運転手もこなす〝何でも屋〟を務めます。
川口さんによれば、この頃、姉妹社の社員は7名ほどだったとのことです。

雑誌『東京人』2020年5月号に、長谷川町子特集があります。
なかなか読み応えのある特集号ですので、興味のある方は一読されることをお勧めします。

長谷川町子美術館と遺産の行方

長谷川町子美術館の建設計画がスタートしたのは1980年です。
昭和30年代から収集をはじめた絵画や陶芸品、ガラス工芸品を社会還元することを目的に、財団法人による美術館運営を目指していましたが、実際に設立が認可されたのは1985年9月3日のことでした。

そして、同年11月3日に財団法人 長谷川美術館として、姉妹社が倉庫として使用していた土地に建てられた建物が美術館としてオープンします。

初代館長には長谷川町子さん自身が就任しています。

この財団法人には美術品の社会還元の他に、相続税対策も絡んでいました。
母・貞子さんは優秀な不動産投資家で、晩年は認知症を患われていましたが、その資産は10億円に達していました。
この資産を相続税にもっていかれることなく、処理をするには、自前の財団法人に寄付するのが一番の方法でした。

発足当時、財団が有していた資産は12億円でしたが、2008年の時点では、何と96億円となっています。
ですが、現在、この財団の役員に長谷川家の方はどなたもおられません。
長谷川町子さんが収集された美術品の社会還元と、その著作権の管理運営保持を役割としています。

1992年5月27日、長谷川町子さんは72歳でその生涯を終えます。
同年7月28日には、国民栄誉賞が没後贈呈されました。

長谷川町子さんの名前が、再び世間を賑わせるのは翌年のことです。
町子さんの遺産額が税務署に公示されたのです。
当時は一定額以上の遺産があった場合、遺産額と相続人を税務署が公示していました。

長谷川町子さんの遺産額、何と29億8800万円。

同じく前年に亡くなった松本清張でさえ、遺産額は17億5700万円でした。

そして、町子さんの遺産額が公示されてまもなく大事件が起こります。
多磨霊園から、町子さんの遺骨が盗まれたのです。

その後、犯人からの脅迫状が届き、結果として、遺骨は渋谷駅のコインロッカーで発見されて、遺族の元に戻りました。

犯人とのやりとりは、一切警察が明かしていません。
ですが、ある週刊誌では「2000万円の要求があった」と記されています。

日曜夜に放送され続けている『サザエさん』ですが、その裏側にはとてつもない歴史がありました。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

参考文献:

長谷川町子『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』
長谷川洋子『サザエさんの東京物語』
工藤美代子『サザエさんと長谷川町子』

はる坊の雑記

【記事移動のお知らせ】『身分帳』が原作となる映画『すばらしき世界』が2月11日に西川美和監督・役所広司主演で公開。代表作『復讐するは我にあり』の直木賞作家・佐木隆三が公表した30年間の収支一覧表

はる坊の雑記

漫画家・遊人の〝推定4億円〟豪邸はスゴイ! デビュー以来、売れるまで画風を変えながら美少女漫画を生み出したのもスゴイ!

漫画家・遊人の〝推定4億円〟ロココ調豪邸

『ANGEL』『桜通信』で有名な漫画家・遊人がTwitterを始められました。
現在は港区六本木と湘南・藤沢を行き来して生活をされているようです。

かつて1990年代半ばに、遊人さんは湘南に〝推定4億円〟といわれるを新築。
新築にあたっては、ハウスメーカーがアメリカ現地の邸宅を調査して建てられた経緯があります。

この豪邸は『ダ・ヴインチ』とか『COMIC GON!』サブカル系の雑誌で特集されていて、『桜通信』の作中にもよく登場していました。
『トゥナイト』にも取り上げられた記憶があります・・・。

本名は確か國光さん。

TwitterのID、@kunimituyuji はご本名ですね。

漫画家・遊人のプロフィール

遊人さんはかなりの苦労人なんですよね。

1959年6月15日に山口県宇部市生まれ。
工業高校卒業後に上京して漫画家を目指して、1979年に芳文社にて短編読み切り『同姓契約』でデビューしたものの、その後は10年近く鳴かず飛ばず。
ちなみに國光という苗字(姓)は宇部市に多いです。

初期の大友克洋の影響を受けた、劇画調の作品も個人的には好きなのですが、ウケなかったんですねえ・・・

(あのままの画風だとかわぐちかいじっぽい絵になっていたのかも)と思うことがあります。

漫画家として売れなかった時代は、印刷屋さんやクリーニング店、漫画家アシスタントとして働きながら漫画を描き続けられていました。

20代半ばには、もう結婚されて娘さんもいらっしゃったはず。
その娘さんは、現在デザイナーとして活躍されておられるようです。

この頃は、相当、漫画家としての位置づけに悩まれただろうなと思います。

画風が変わり続ける漫画家・遊人

事実、遊人さんの絵は、「同一の漫画家か?」というくらいに変化しています。

デビュー当初は、大友克洋さんの影響を受けた劇画調の絵。

それから、江口寿史さん、江川達也さんの影響を受けた絵に変わり、ブレイクすることになる美少女の絵柄に変わります。

これは想像ですが、遊人さんは江口寿史さんの位置を一時期、狙っていたのではないかと思うことがあります。

週刊少年ジャンプに連載した『すすめ!!パイレーツ』と『ストップ!!ひばりくん!』の2作品によって、人気漫画家の地位を不動のものにして、さらに30代になるかならないかのうちに、原稿を落とすことがもはやステータスになっていた〝ビッグE〟江口寿史さんの絵は、今でも十二分に魅力的ですが、1980年代、大変魅力的でした。

江口さんの本業は漫画家ですが、ギャラのいいイラスト仕事が優先になり、江口さんは連載漫画の原稿を落とすことが、恒常的になります。

そこで、遊人さんが、

「江口寿史の絵は受ける。これだったら、江口寿史風の絵で漫画連載をすれば受けるんじゃないか?」

と思われても、決して不思議ではない。

実際、週刊モーニングに連載した末松正博さんの『右曲がりのダンディー』は、江口寿史のパクリそのものでしたが、全9巻で600万部以上を売り上げました。

まあ、末松さんは、江口寿史さん本人から

「〝リスペクトじゃなくて、ただのパクリ〟」と名指し批判をされたので、遊人さんは、江口寿史路線で売れなくてよかったと、一ファンとしては思っています。

個人的な想像に過ぎないのですが、ひょっとしたら江口寿史さんは、イラストレーターとしての実績で、紫綬褒章・旭日小授章の受章・叙勲があるのではと思っています。

紫綬褒章は60歳代まで、旭日小授章は70歳以降の受章・叙勲になりますね。

漫画家・遊人のブレイク

そして、遊人さんは1988年に週刊ヤングサンデーに連載を開始した『ANGEL』でブレイク。

同時期には。リイド社の『リイドコミック』で『校内写生』の連載を開始。
単巻で100万部を超えるヒット作となります。

『ANGEL』第1巻が100万部を突破して、一躍人気漫画家の仲間入りを果たしますが、1990年代初頭に起こった有害図書(コミック)問題の槍玉に挙がり、路線の変更を余儀なくされます。

一旦、休載となり、その後、連載再開されましたが、騒動を恐れてか、コミックスが発行されない状態が続き、最終的にリイド社の子会社だったシュベール出版より、成人向けコミックとしてコミックスが発売されました。

その後は、週刊ヤングサンデー連載の『Juliet』を経て『桜通信』の連載を開始。

『桜通信』も途中の10巻時点で200万部を突破。

『桜通信』連載後半頃までに、出版された遊人作品のコミックスの部数は累計で1500万部を突破します。

1996年に発行された『個人授業』も遊人さんのTwitterによると38万部が発行された模様です。

ヒロイン・飯嶋沙羅が作中でフェラーリF355に乗っていますが、これは遊人さんが実際に所有されていたクルマですね。

また、『遊人ブランド』のOVAやコミックも人気を得て、売れました。

漫画家・遊人の最盛期。収入は9年間で10億円

美少女コミックを描いて得た収入は、全盛期の9年間で10億円だったと、遊人さん本人がインタビューで語っています。

これは、遊人作品の魅力もさることながら、週刊ヤングサンデー(連載作品:『ANGEL』『Juliet』『桜通信』『Peach!』)や週刊ヤングジャンプ(連載作品:『学園天国』『幼な妻マープルの事件簿』)という一般・青年誌に連載を持ち、ただの美少女マンガ・美少女漫画家とは一線を画する位置にいたからだろうと思います。

漫画家が本当に儲かったのは、1980年代~1990年代まででしょう。
何といっても、コミックの売上が現在とは比べものになりませんので。

1990年代半ばには、ブックオフが出て来始めましたし、福満しげゆきさんが、作中で

「(漫画)バブルの頃だったら、もっと売れていた」

とぼやいていますが、実際、漫画家は一部を除いて、そんなに稼げる仕事ではなくなりましたもんね。

豪邸も建て、高級外車を乗り回せる立場になっても遊人さんはお金に淡泊でこだわりがない

遊人さんが吉祥寺から移り住んだ湘南・藤沢。

この土地に買い求めていた100坪あまりの土地に、新築の白亜の邸宅を構えたのは1995年。

アトランタに現存している邸宅をモデルにして、荘厳なドアがカナダ製なのを始め、ほとんどが輸入資材によってまかなわれました。

湘南の豪邸の他にも、ハワイにコンドミニアムを持っていたり、港区六本木にオフィスを構えていたりと確かに傍目にはバブリーでした。

愛車は赤のフェラーリF355と黄色のポルシェ911。

あとクルーザー(700万円)も。

2年ほど前でしょうか、5chまとめサイトで当時の記事が話題になり、

「こんな豪邸を建てても、維持できないだろ」

とか

「固定資産税ヤバイだろ」

という声がありましたが、この邸宅はいまでもしっかりと維持されておられます。

クルマも高級外車を複数所有。
イエローのポルシェ911(1000万円)と赤のフェラーリF355(1500万円)を所有して、のちにはランボルギーニ・ディアブロも所有されていたと記憶しています。

その後、世田谷区に転居されて、吉祥寺に移られ、六本木と湘南・藤沢にを行き来する生活になったわけです。

最近では、コンパクトでお洒落なイタリア車を所有されています。

さて、遊人さんはお金に淡泊な方です。

お金がドサッと入ったときに、アルマーニのスーツとか欲しいものを買ってみたけど、

感想は〝「こんなものか」〟で。

豪邸がクローズアップされたときには、

〝「ジーンズメイトとかで安くていいのを買っている」〟状態。

〝「たまに、タクシーに乗って帰宅すると、運転手さんに「お父さん、お金持ちなんだねえ」と言われる」〟と。

さてさて、美少女が登場する漫画で注目されてしまったので、作者はキモオタ・デブオタではないかと思われがちですが、遊人さんはなかなかのイケメンです。

遊人さん本人のお写真を拝見すると、漫画家というより、デザイナーや音楽関係者という印象を持ちました。

実際、ミュージシャン志望で、我流でありながらピアノ演奏はかなりの腕前で、自作の曲も弾かれるとインタビュー記事で読んだことがあります。

また、年齢よりかなりお若く見えますので、美少女を描く漫画家とご本人が、イコールにならないです。

それに、アウトドア派で原稿が上がると、家にいないという方のようで、30代半ばでメディアに露出されていた頃は、しっかり身体も鍛えておられるなという感じでした。

もっとも、

「睡眠時間は3~4時間。眠くなったら寝るので、不規則です」

という多忙な日々を乗り越える為にも、身体のコンディションを整えておられたのでしょう。

元々、「お金がないことが不幸ではない」という考え方の方ですから、

遊人さん本人曰く

「遊びで建てた」

この豪邸のインパクトはスゴイですが、その他は意外に質素に暮らしておられるような気がします。

Twitterに上がっている画像で普段の生活振りが垣間見えますが、

〝安くていいものが一番いいもの〟

という価値観をお持ちではないかなと感じます。

最近の漫画家・遊人

遊人さんは、2019年1月まで、東京都港区六本木3丁目のタワーマンション・THE ROPPONGI TOKYOの一室を購入して、仕事場として使われていたようですが、昨年末に売却されたときも、Twitter上で

「今年1月に売却。6年前に購入した金額の40パーセントUPで売れました。一等地は凄いなーと思いました。」〟と淡々としたコメント。

ここで週刊に連載された『ANGEL ~恋愛奉仕人・熱海康介~ SEASON 2』を描かれていたようですね。

遊人作品は、その画風からか電子書籍の売り上げが良好な漫画でもあります。

遊人作品は、その多くが電子書籍化されていますが、その売り上げが良好な漫画家さんです。

電子書籍・電子コミックを多く取り扱うアマゾンのKindleでも、遊人作品が販売中です。

いままで、遊人作品を読んだことのない方も、今回、このサイトで

「遊人! 懐かしいなあ」

と思われた方も、ちょっとのぞかれてみてはいかがでしょうか?

1990年代初頭、代表作『ANGEL』に引き続いてヤングサンデーに連載された『Juliet』

そして、1995年から同じくヤングサンデーに連載開始された『桜通信』。

『桜通信』は全20巻と遊人作品として最長です。

ヒロインの春日麗、慶應義塾大学文学部に通う令嬢・四葉美咲子、麗の友人・夏樹香美、そして秋本美寿紀と登場する女性は、全員が人間的に魅力的です。
また、主人公・因幡冬馬と秋本浩司の友情も泣けます。

しかし、なぜ大学が慶應義塾大学と上智大学、専修大学、そして、K大学(おそらく駒沢大学)しかでてこないのか、疑問ではありました。

Twitterに続いて、『遊人楽園』以来の公式サイト『遊漫人』

1990年代後半、遊人さんは『遊人楽園』という公式サイトをお持ちでした。
クオリティの高いサイトであったと記憶しています。

それから、直接、情報を発信されることはなかったのですが、Twitterに続いて公式サイトが開設されました。

毎週金曜日更新で、過去の漫画や新作ネームが見られるようです。

また、ブログあり
(いきなり水木しげる大先生登場です)。

グッズ販売あり。
(サイトオープン2日目を待たずして、いきなり1点を残して売り切れてしまいました。1話○○万円の生原稿まで!)

どんなサイトに育っていくか、これから楽しみにしています。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
他にも楽しんでいただける記事があるかと思いますので、どうぞゆっくりご覧ください。

はる坊の雑記

ある昭和の〝のんびりサラリーマン〟のお話

我が道をゆく、昭和の〝のんびリーマン〟

はる坊です。

今回は、ある昭和のサラリーマンのお話をしたいと思います。

昭和のサラリーマンというと、よくいえば〝企業戦士〟。
悪く言えば〝モーレツ社員〟とか〝午前様〟とか。

とにかく、残業・休日出勤を厭わず(それどころか進んでやる)仕事が終われば、酒を飲み、たまの休みには疲れ果て、〝家族サービス〟どころではなく、自宅で一日中寝ている。

某総合電機メーカーで部長を務められていた方によると、

「仕事は早くて夜9時、遅くて0時までしていたな。もちろん、仕事が終わってそのまま家に帰るんじゃないよ。毎日、飲みに行くんだから。昔の人はよくお酒を飲んだよね」

とのこと。

〝働き方改革〟が声高に叫ばれる現在の感覚からすると、まったくもってとんでもない存在に映ります。

ですが、こんなサラリーマンも存在しました。

誰あろう、私の父親です。

昭和の〝のんびリーマン〟の人生

私の父親は、新卒で昭和30年代に某メーカーに入社しました。
なぜ、その会社に入ったかというと、特に理由はなかったようで、

「受けたら通ったから」

というのが、実際のところだったようです。

父の周囲に話を聞くと、

「試験日を間違えて、帰ってきた」

など、あまり就職に積極的ではなかった様子も窺えます。

ところが、3年も経たずにこの会社を辞めてしまいます。

「労働組合が幅を利かせていて、争議まで起こしていて、それが嫌になった」

そんな父は帰郷後、恩師に身の振り方を相談します。
紹介されたのは、なぜか薬局。
この薬局は、薬品製造業も手掛けており、のちにドラッグストアチェーンを展開することになります。

といっても、薬学部出身ではない父は本社勤めで、

「社長からあれをやれ、これをやれ」

と走りまわっていたそうです。

この薬局も性に合わずに退職。

その次に、金属加工メーカーに勤めますが、これもあまりよくわからない理由であっさりと退職。

さすがに、

「簡単に入って辞めてが癖になっている」

と親兄弟に怒られて、職探しの末、東証1部上場企業の関連会社に職を得ます。
時代は1970年代に入っていました。

この会社ではさすがに長続きして、定年退職まで勤め上げました。

これまで、数年間で職を変えているので、働くのが苦手で飽きっぽいのかと言われると、そうも言えないところがありまして、

「残業代が出ていた頃は、用がなくても残業していた。遅くまで会社に残っていると、やる気のある人間だと思われて係長になった。だけど、係長になったら管理職扱いで残業代が出なくなったから、会社にいても仕方ないから、定時になるとサッサと帰っていた」

「住宅ローン返済と小遣い稼ぎに、夜はレントゲンフィルムの配送をアルバイトでしていた。結構、いいお金になった」

要するに、サービス残業が嫌で嫌で、お金をくれないのなら、定時退社でアルバイトしよう、という人だったのです。

給料はそれほどでもなく、年収に関しては同世代にコンプレックスを持っていたようですが、私が成長していくに連れて、父も年功序列で係長から課長になり、最終的には次長になりました。

部長以上は、親会社からの出向・転籍で占められていた為、プロパー社員としては最高の役職に就けたわけで、管理部門では現場トップの役割でした。

週に2回は、直行で銀行に寄るため、出勤は遅く、週に一度は午後4時には帰宅していました。

忙しいのは決算のシーズンのみ。

何だかんだで、親会社がしっかりしていたので、のんびりとした社風も父には合っていたようです。

たしかに、我が家は裕福でもなく、贅沢な思い出は何ひとつもありません。
(家族での外食は1度だけ。家族旅行もしたことはありません。いつも旅行計画は時刻表のなかでした)

それでも、時間を見つけては、私を手近な場所に連れて行ってくれたのは、いまでも良い思い出です。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

はる坊の雑記

2020年も『はる坊の雑記』をどうぞよろしくお願い申し上げます。

はる坊です。

新年明けましておめでとうございます。

旧年中は、多くの方々に拙ブログをご覧いただき、また、お問い合わせ等もメールでいただき、本当にありがとうございました。

このブログを作って本当に良かったな、と実感した一年でありました。

2020年も変わらぬご支援、ご愛顧をお願い申し上げる次第です。

はる坊拝

メールをいただける場合はこちらまで。

info-harubou〒king-postman.com

※お手数をお掛けいたしますが、〒を@に変更していただきますよう、お願い申し上げます。
また、フリーメールや匿名でのメールには、お返信できかねる場合がございますので、あしからずご了承ください。

はる坊の雑記

【期間限定】黄金の月見バーガーは美味だったけど、発売はいつまで?日本マクドナルドと近くの店舗に電話してみました。

黄金の月見バーガーをレビューします

はる坊です。
今年もマクドナルドの月見バーガーの季節が始まりました。
2019年は9月4日(水)から10月上旬までの限定発売です。

商品ラインナップは・・・

・月見バーガー \340-

・チーズ月見 \370-

・黄金の月見バーガー \390-

・月見マフィン \330-

・月見パイ \150-

の5種類です。

購入されるときは、チラシかアプリのクーポンを利用されることをおすすめします。
ちなみに黄金の月見バーガーは、チーズバーガーと比べるとこんな感じです。

普通の月見バーガーとの違いは、チーズが挟まっているか否か、そして、ベーコンの分厚さがぜんぜん違うところです。

ベーコンの分厚さは目玉焼きの3分の1ほどですので、マクドナルドの公式情報に偽りなし。
かなりの分厚さですね。

バンズは普通の月見バーガーと違い、ゴマがかかっていませんが、ふっくらとしていて、とても風味がいいです。

さて、実食!

うん、美味い!
合格点。

ひとつだけ難を言えば、これから皆さんの口コミや評判がネット上に出てくると思いますが、私は厚切りベーコンが若干塩辛いかな、と感じました。
もっとも、これは個人差がありますので、何とも言えない部分がありますが。

ですので、私にはベーコンが薄いチーズ月見が合っているのかなと感じました。

10月上旬までに3回は食べたいですね。

チーズ月見と朝マックメニューの月見マフィンは必ず。

30円~50円でも、絶対に損はしたくありませんし、少しでもお得にお安く食べたいものです。
特に、マックフライポテトについては、150~190円で、クーポン利用前提での購入が浸透しているように感じます。

マックデリバリーもおすすめです

もし、天候が悪かったり体調が優れなかったり、自宅を空けられない用事があったりする場合は、スマホで出前・デリバリーを頼むことをおすすめします。
お手持ちのポイントが利用できますし、デリバリーを利用するとまたポイントが貯まります。
昔から、「あればいいな」と思っていましたが、すっかり、マクドナルドまでデリバリーできるようになる時代なのですね。